メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:Newsted

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    UltimateGuitar.comにてジェイソン・ニューステッドがNEWSTEDの解散について語っていました。管理人拙訳にてご紹介します。

    jasonnewsted2017

    (自らのプロジェクト、NEWSTEDについて)良いこともあれば悪いこともあった。お金の面に関して言えば、全ての職責を負って、作曲して歌って演奏して全ての費用を払っていた。あまりにも大きな負荷だったんだ。

    良いことで言えば、ショーがとてもうまくいって、とても良く受け入れられたってことだね。ヨーロッパのショーは素晴らしいものだったし、ソニスフィアやダウンロード・フェスティバルでアイアン・メイデンのオープニング・アクトっていう良い機会にも恵まれた。あれは最高だったよ。自分ではおそらく予測できなかった敬意が表れていた。メタリカとヴォイヴォドに続くバンドの世代からリスペクトされてきた。俺たちはそんなこと知らずにみんなに教えていたんだな。

    自分の50歳の誕生日にNEWSTEDバンドをやったことで、俺にもまだ根性がある、自分の半分の年齢に人たちにショーをやって、ステージを走り回ることができると証明できた。俺にはまだそれができるとわかっていたし、自分自身に対してそれを証明しなければならなかった。俺たちがバンドを始めた時、マイク・ミューショックのような才能を持ったヤツとプレイできたことで触発されて、みんなに見てもらいたいと思ったんだ。

    ライヴをやった22ヶ国にNEWSTEDバンドを連れて行くにはとんでもないお金、数十万ドルはかかった。でも自分が学んだ教訓だとか、俺たちに示された敬意だとか、バンドの絆にはそれだけの価値があったよ。でもビジネスは今、俺が知ってたものとはずいぶん違って厳しいものだった。だから続けることができなかったんだ。


    UltimateGuitar.com(2017-04-01)

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    まずはNMEからジェイソン・ニューステッドのインタビュー紹介を引用。

    jason

    ジェイソン・ニューステッドは8月29日シリウスXM・サテライト・ラジオの番組「エディー・トランク・ライヴ」に出演し、メタリカの新曲”Hardwired”を聴いたか尋ねられた際に次のように答えている。

    「とても意地悪な質問だね。もう何回も聴いたよ。誰かが車の中で僕のためにかけてくれてね、それから家に持って帰ってまた聴いたんだ。楽曲の感じが好きだったし、激しいところが好みだったよ。素晴らしいと思う」

    また、メタリカのメンバーと今でも連絡を取るのか尋ねられた際には次のように答えている。「この間の木曜日にラーズ(・ウルリッヒ)と電話したよ。彼とは2週間に一回話すんだ。彼らは新しいレコードに備えて多くの材料がそこにはあって、できる範囲で支援したいからなんでも電話してくれと言ってあって、僕らは常に連絡を取り合っているんだ。そして今は電話で話をしているだけなんだけど、長らく会ってないから実は直接会いたいと思っている。でも、今彼らはこの新しいレコードに関してかなりたくさんのやらなくてはいけないことがあるみたいだからね。僕もとても興奮しているし、そんな彼らを誇りに思うよ」

    さらに、今はメタリカとは単純に友達としての付き合いなのか、それともビジネス・パートナーとしての関係なのか、もしくは何かまた一緒にやる可能性もあるのか訊かれた際には「その3つ、すべてに当てはまるね」と答えている。

    NME(2016-08-30)

    どういう形になるかわかりませんが、また共演という形で観てみたいところです。さらにForBassPlayerOnlyでのジェイソン・ニューステッドのインタビューを管理人拙訳にてご紹介します。先日紹介したBillboardのインタビューと同じコメントが多く散見されたので、もしかしたら同じインタビューを別媒体で書いているものかもしれません。できるだけ重複しない部分を抜粋して紹介します。

    −ちょうど今年はブラックアルバムのリリース25周年ということもあって私たちはその話もしようと思ってますが、あなたがいま行っているChophouseのスタジオを初めて開いてからも25周年なんですね。

    その通り。ブラックアルバムが本当にいいスタートを切って、俺はスタジオについてもアイデアを出してきて、現金がようやく入るようになってきたから、ガレージにそのスタジオの姿を設計した。それがChophouseになったんだ。みんなが2週間どこかにツアーに出る時にみんなが使える場所として、ジャムルームになるはずだった。

    当時はみんなが来て盛況だったよ。エクソダスとかセパルテゥラのヤツらとか、デヴィン・タウンゼンドとか、ツアーを廻ってたヤツらが自分たちの曲を弾いていたんだ。ほとんどがベイエリアのバンドで、ビッグになったバンドもいればそうでないのもいる。でも彼らはみんなChophouseにやってきて、オフの時間に音楽をプレイしていたのは楽しかったし、アルバム制作の苦難やツアーでの時間から離れて、ただ音楽を突き詰めていたんだ。

    (中略)

    −ファンはヘヴィメタルの巨人のひとりがフォークやルーツミュージックのような音楽に親近感を持っているということを疑問を持たざるえないのでは?

    それには深いわけがあってね。俺の母が病気になって、他のこと全ては二の次になった。次のNewstedのレコードを作ることもできたが、この時ばかりはそれはありえなかった。母に何か起きてしまったら、他のことは後回しだ。5月の最後の日に母は亡くなったが、最後の数年は母とたくさんの時間を過ごした。母はたくさんのこういった曲や音楽が好きだったんだ。だから母のために弾いたりしてね。そういう曲を集め始めた。少しの間、ヘヴィミュージックから離れて、また一呼吸おくことは重要なことだったんだ。また俺はアメリカン・ミュージックと昔のルーツミュージックについてのドキュメンタリーを何本か観た。そういった組み合わせ全てが本当に俺を触発し始めたんだ。かなりオープンマインドになって、違う視点から物を観るようになったと思う。母と長く過ごしたことで本当に価値あるものを俺に思い出させてくれたし、そういう方向性に向かわせてくれたんだ。

    −実際プレイするのに大きく調整したのですか?手にアコースティックギターを持っていても、自動的にヘッドバンギングを始めてしまったなんてことはなかったですか?

    (笑)まぁ、手足は動いていると思うよ。俺はアコースティックギターの弾き方を本当に学ぼうとして指が痛くなるまでプレイしていた。いつもメチャクチャだったけど、今の自分のようには集中できていなかった。俺はまだジョニー・キャッシュがやってたみたいにネックの端に指を置いてオープンコードで弾くだけなんだ。ほとんどの場合、俺は曲を漁って漁って漁って集めようとしている。

    (中略)

    −メタリカの曲やその他のメタルの曲をアレンジしてみようとは思わなかったのですか?

    そうそう、俺の友だちはみんなそう言ってくるよ。友人いわくこうさ。「なんで(Newsted時代の)「The Crow Flies」とかそういうものをやろうとしないんだ?落ち着いて自分のものにして今使っている楽器でこの場で入れてみないか?」でもそれは俺が思っていたほど簡単じゃないんだ。テンポを遅くして弾けばできると思っていたけど、そういうものじゃなかった。本当に曲の感じが変わってしまう。だから、オリジナルでやっているのと同じくらいクールなものにしていくには時間がかかるんだ。

    (中略)

    −(バンドとしての)Newstedはどうなってしまったのですか?数年前は全精力を傾けていたように見えましたが。

    あれについては前後を見誤ったと思っている。あまりに多くのものを一度に得ようとしていた。あまりに多くの期待がおそらく俺を参らせてしまった。やれるだけのことだけやれば、それ相応に作用する。俺はレコードもう1枚分の曲を書いていたけど、まとまっていないから(こんな曲があると)列挙したくないんだ。最後までレコーディングできていないし。みんなに披露するまでの準備ができていない。それは今は後回しになっているんだ。

    −先ほど言ったように、アルバム『Metallica』にとって記念すべき年です。25年経ってどう思いますか?

    俺が音楽をプレイしたいと思っている限り、つい3週間前のことのように感じるよ。俺たちがやったことに誇りを持っている。数週間前に何度かラーズと話したけど本当に素晴らしいよ。

    −スタジオでの制作はどんな感じでしたか?あなたが何か知っていることは?

    間違いなくやってきた集大成がそこにはあった。ヤツらが(メタリカを)始めてから10年、実際俺はフロットサムを始めた後だ。みんなは苦難続きで個々人が鍛えられていたし、どんな傷だろうがなんだろうが来たるものの準備はできていた。それからボブ・ロックがやってきた。もちろん俺たちはそういうことはやってこなかった。彼はコードのこと、パワーのこと、実際の音質について形作るために俺たちにやかましく言って聞かせていた。俺たちはその準備ができていたし、彼も俺たちのための準備ができていた。世界はあのサウンドの準備ができていたんだ。みんながコツコツ身を粉にして働いた。メタリカがいつもやっているようにね。そこから(成功の)果実を得たんだ。

    (中略)

    −あなたから本が出るという噂がありますが、それは本当でしょうか?

    Newstedの方が活動を縮小していた頃に執筆依頼があった。彼らは前払いでもやってほしかったようだ。俺は共著者とかそういった全てについて出版社と何回か会話をしていたんだ。でもうまくいかなかった。今やりたいことはそれじゃないと気付いたんだ。いつかはそうだとしてもね。俺が落ち着いたタイミングでもっと多くの話を書けたらと思っているよ。俺はまだこれ(音楽)をやっていたい。スキルが落ちないあいだ、機能が落ちないあいだ、全てがクールなあいだはね。それが進むべき道であり、まだそこから横道にそれることのない道だということを確かめたい。

    ForBassPlayerOnly(2016-08-22)

    後回しになっているジェイソンの新曲についてもいつか披露される日が来ることを祈っています。

    【追記】
    ジェイソンが地元のラジオ局に出演した際のライヴ映像がアップされていたのでご紹介しておきます。

    Bear Creek Blues (John Prine Cover)


    Down To The River (Doug Seegers Cover)


    Roll Me Up & Smoke Me When I Die (Willie Nelson Cover)


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    ジェイソン・ニューステッド、25周年を迎えたブラックアルバムや近況について語る
    メタリカ、新曲「Hardwired」公開!8年ぶりのアルバム『Hardwired…To Self-Destruct』を2016年11月18日発売決定!

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    リリース25周年を迎えたメタリカの5thアルバム『Metallica』ことブラックアルバムについて、ジェイソン・ニューステッドがBillboardのインタビューに答えてくれました。管理人拙訳にてご紹介。

    Jason-Newsted-performance-billboard-1548

    ジェイソン・ニューステッドは、最近新しく始めたアコースティック指向のChophouse Band、そして非常勤のデュオWould & Stealで忙しくしている。しかし世界中の誰かと同じく、かつてのメタリカのベーシストがブラックアルバムとして知られるセルフタイトルのアルバムが今週25周年となったことに何か感じたことは間違いない。

    ニューステッドはこう語る。「あぁ、俺の家のガレージには昔のメタリカのポスターとかキッズが作ったバナーとかそういったものがいろいろあるよ。先日、ちょうど家に帰って、見やるとあのアルバムのポスターがあって91年8月12日と書いてあった。俺は『何てこった・・・』って感じさ。妻に『あれから25年だって』って言ったら、妻も『あらまぁ・・・』って具合だった。でもそれは3週間前だったかもしれない。それが俺があの音楽について思ったことさ。」

    『Metallica』は故クリフ・バートンの後任として1986年に加入してからニューステッドにとって2枚目のアルバムだった。知っての通り、アメリカだけで1600万枚を売り上げグループの世界的な躍進につながった。一方で、ニューステッドのアルバム制作に関する思い出は、長ったらしい技巧を凝らした前作『...And Justice For All』よりも、ずっとダイレクトで集中的なアルバムにスタジオで新しい創造的なチャレンジをしたということだった。

    ニューステッドは回想する。「みんな、苦境を味わい傷を乗り越えて自分たちを鍛え上げて、俺たちみんなよりでっかくて、俺たちの誰よりもすごいものを創り上げるために、来たるべき準備はできていた。それはレーベルや(マネジメントの)Qプライムみたいに俺たちと一緒に仕事をしたみんなそうさ。ボブ・ロックがやってきて、キーのこととか物事のパワーだとか実際の音質について良くしようと俺たちをまとめてくれた。俺たちは彼への準備は万端だったし、彼も俺たちへの準備は万端だった。世界はあのサウンドの準備ができていたってわけさ。俺たちは座って「こんな風にしよう」なんて言わなかった。いや、でも俺たちは少しの間だけ俺たちを制御できる、俺たちを抑えられる誰かを引き入れたんだと俺は思う。みんな身を粉にして懸命に取り組んだ。メタリカはいつもそうだったけどね。そうして堰を切ったようにそこから(成功の)果実を得たんだ。俺は本当に自分たちがやったことに誇りを持っているよ。」

    ニューステッドが『Metallica』で好きな曲は「Sad But True」だ。「だってあの重さ、6弦ベースにあの大きな大きな重低音だからね。」彼はそう語る。しかし「My Friend Of Misery」にも格別な誇りを持っている。「あれはベースそのものだった。曲のイントロから。あの当時あのバンド内であれをやるのはそう簡単なことじゃない。あれで彼らはお辞儀してこうさ。『それでいこう、じゃあお前の曲を入れよう』ってね。あれを考え出したヤツになった。チームの一員であることとは対照的に、あの1分ばかりを自分のものにできた。それが本当の成果だったんだ。」

    『Metallica』の期間でニューステッドが持つもうひとつの素晴らしい思い出は、あのアルバムによってバンドは世界的な領域が開かれたということだった。彼は言う。「あれは最大の仕事だった。俺たちはあまりに長い間、あのレコードに懸命に取り組んできた。俺たちがやったことがとても強力だったように、世界中であの音楽が聴かれるようになった。「Nothing Else Matters」なんかは35か国で同じ週にNo.1だった。突然、アメリカのメタルバンドがキッズの前でプレイするなんて考えもしなかったような国からお呼びがかかるんだ。それで俺たちに電話をかけて『ちょうど今、メチャクチャ人気があるから、大金を儲けることができるんだ』とね。そうして俺たちはたくさんの場所で初めて訪れたヘヴィメタルバンドとして先鞭をつけていった。それが一番覚えていることだね。」

    『Metallica』が受け入れられている一方で、ニューステッドは新しいアコースティック・プロジェクトとして西海岸で行う5回の公演を含んだ、9月にアメリカを廻る計画に邁進している。彼が今住んでいる北カリフォルニア州、出身のミシガン州、モンタナ州、フロリダ州の4つのChophouseのスタジオからミュージシャンたちを伴い、フォークやカントリーだけでなくもっと現代的なものをアコースティックにアレンジしたレパートリーを弾く。アコースティックへの方向性は、ニューステッドがミュージシャン仲間とカリフォルニアのChophouseで行ったプライベートなショー、そしてアメリカのルーツ・ミュージックとそのミュージシャンに関するドキュメンタリー、今年初めに亡くなったミシガン州バトルクリークに住む病気療養中の母親のために弾いた曲に触発されたものだった。

    ニューステッドは語る。「それはもう20年、25年弾いてきたものなんだ。そういった曲を集めてきたし、今は以前よりもっと公共の場でそういうのを出している。少しヘヴィミュージックから離れて、もう一度息を吸って、こういう素晴らしい曲で何かするってことが重要なんだ。楽しいってことがキーだ。楽しい、楽しい、楽しい。つまらない仕事はもういらない。そういうものはもはや俺に必要ない。」ニューステッドはChophouse BandあるいはWould & Stealでレコーディングを行う計画はまだないが、彼はグループのためのオリジナル曲を書いている。今のところ、口づてあるいはソーシャルメディアによって音楽が拡散されることを幸せに思っている。そして彼はメタリカの曲を演奏することになるかもしれない。

    「(NEWSTED時代の曲)「As the Crow Flies」とかそういったものもやってきている。思っていたよりも簡単じゃないね。ただテンポを遅くするだけじゃダメなんだ。ちゃんと(アコースティックに合うように)曲の感じを変えなきゃならない。そういうことをするなら、同じようにクールにやりたいからね。」

    ニューステッドは回顧録の執筆依頼が来ていることを明かしたが、将来的には(執筆する可能性は)除外しないものの、今は依頼を留め置いている状態だ。2012年から2014年まで活動していたヘヴィメタルバンド、Newstedについても同様で、EPやアルバム、ライヴを含めて永久に終了するとは考えていない。

    ニューステッドはこう語る。「俺は一度に多くのものを取ろうとしていた。それだけのことができれば、うまくいくことはできる。レコード1枚分の曲は書いていたけど、まとまっていないから列挙はしたくない。最後までレコーディングしていないし。みんなのための準備ができていないんだ。それは今、後回しになっているよ。」

    Billboard.com(2016-08-12)

    ジェイソン自身の言葉で知りたかったところがBillboardにかなりまとめられてしまってはいますが、ジェイソンの現在がおおよそわかるインタビューでした。

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