メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:MassMental

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    ロバート・トゥルージロがプロデュースしているジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画『Jaco』が、2015年11月22日にロサンゼルスのエースホテルにてワールドプレミアを迎えるとのこと。

    jaco_movie

    当日は映画の上映後、ロバート・トゥルージロ、ジャコ・パストリアスの息子であるフェリックス・パストリアスらでライヴが行われる予定(ロブはMASS MENTALとして出演する模様)。その他ゲストが登場するかは当日までのお楽しみのようです。

    チケットはすでに発売中でVIPチケット(120ドル)はミート&グリートがつくとのこと。

    AceHotelより(2015-10-12)


    ロブによる映画紹介の動画はこちらから。



    【追記】
    映画のオリジナルサウンドトラックのトラックリストも発表されていました。ライブのゲストもこのサウンドトラック参加者からの可能性が高いかもしれません。
    01. River People – Weather Report
    02. Teen Town – Weather Report
    03. Come On Come Over – Jaco Pastorius
    04. Continuum – Jaco Pastorius
    05. Portrait Of Tracy – Jaco Pastorius
    06. The Dry Cleaner From Des Moines (live) – Joni Mitchell
    07. All American Alien Boy – Ian Hunter
    08. Liberty City – Jaco Pastorius
    09. Crisis – Jaco Pastorius
    10. Okonkole y Trompa – Jaco Pastorius
    11. Mr. Gone – Weather Report
    12. Nineteen Eighty Seven - ††† (Crosses)
    13. Longing – Mary Pastorius
    14. Shine – TechN9ne
    15. Continuum – Rodrigo y Gabriela
    16. Come On Come Over – Mass Mental (Robert Trujillo and Flea)
    Amazonでも予約受付中です。
    jacosoundtrackcd
    Jaco Original Soundtrack


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    本日9月27日はクリフ・バートンの命日。そんなクリフの死にまつわる話を含む記事をみつけました。本当に「衝撃的」かどうかは人によるかと思いますが、管理人拙訳にてご紹介。(ちょっと長いのでお時間あるときに)

    19. ジェイムズ・ヘットフィールドの初めてのバンド

    obsession_artwork

    多くの人は信じないだろうが、ジェイムズ・ヘットフィールドが参加した最初のバンドはファントム・ロード(Phantom Lord)ではなく、オブセッション(Obsession)だ。このオブセッションでヘットフィールドはメタリカのオリジナルメンバーのベーシスト、ロン・マクガヴニーと初めてのジャム・セッションを行っている。そして、シンガーのマイク・ヴェセーラが音楽的キャリアを始めたバンドとしても知られている。オブセッションは長く名高いキャリアを持ち、1982年から1989年まで活動し、2004年に再結成した。バンドは現在も活動中で2012年には最新スタジオアルバム『Order of Chaos』をリリースしている。

    18. 緑の『Ride The Lightning』

    Ride-The-Lightning

    1984年のメタリカの2ndアルバム『Ride The Lightning』は、我々ほとんどが目にしたことあるのは標準的な青だが、Bernett Recordsによってジャケットが緑色にミスプリントされたフランス盤が400枚存在する。この緑盤はコレクター垂涎の的で見つけるのは難しい。『Ride The Lightning』はプラチナ・レコードの6倍つまり600万枚以上をアメリカだけで売り上げている。

    17. メタリカが所有し、運営しているMetClub

    MetClub

    献身的なメタリカファンなら、MetClubのことは聞いたことがあるだろう。バンドは1994年に熱狂的なファンのためにクラブを立ち上げ、100%メタリカによって運営されている。MetClubではその年のTシャツを提供し、「So What!」と題された年5回発行の会報誌を発行している。それだけでなくチケットやグッズも入手できるし、メンバーとして登録していて運がよければ、バックステージパスさえもらえるチャンスがある。

    16. 「Seek and Destroy」がシングルになっていない

    Seek-and-Destroy

    1983年のメタリカのアルバム『Kill 'Em All』が驚くべき楽曲内容のアルバムだと考えていたとしたら、かなりガッカリするかもしれないが、「Seek and Destroy」は『Kill 'Em All』のなかでほぼ間違いなく最も人気のある曲のひとつだ。例えば「Phantom Lord」「Metal Militia」「The Four Horsemen」は「Seek and Destroy」よりもテクニカル面においては優れているが、実際にシングルとしてリリースされなかった。実際、『Kill 'Em All』から出されたシングルは「Jump in the Fire」「Whiplash」の2つだけだ。

    15. タロットカードがクリフ・バートンを殺した?

    Cliff-Burton

    バス事故によるベーシスト、クリフ・バートンの悲劇的な死は『Master of Puppets』のツアーをしていたメタリカと彼らのファンみんなにとって大きな損失だった。元ペンタグラム(Pentagram)のジョー・ハッセルバンダーは彼がセイラム魔女裁判(※訳注1)を引用したタロットカードを持っていたから死んだと考えていることを別の機会に語っている。クリフ・バートンは1986年9月27日にわずか24歳で亡くなった。彼の伝説は生き続けており、2011年にはRollingStone誌でオールタイム・ベストベーシストの9位に選ばれている。

    14. ブラックアルバム伝説

    The-Black-Album

    メタリカがレコーディングした9枚のアルバムのうち、セルフタイトルのアルバムはブラックアルバムとしても知られている。このアルバムはいまだに最も売り上げたアルバムと考えられており、世界で3000万枚も売り上げたサウンドスキャン時代の最も売れたアルバムである。2003年にはRolling Stone誌のオールタイム・ベストアルバム500で255位にランクイン。2012年にはヨーロッパのブラックアルバムツアーでアルバム完全再現を行った。

    13. 記録破りに一役買った『Death Magnetic』

    Death-Magnetic

    メタリカの2008年の最新アルバムのリリースによって、ビルボード200でスタジオアルバムが5連続初登場1位というアメリカのバンドでは唯一の記録を持つこととなった。メタリカは元の音楽スタイルに戻ったと数多くの批評家が語ったように多くの肯定的なレビューを受けた。『Death Magnetic』はロバート・トゥルージロが加わっての初めてのアルバムでもある。この人と言えば・・・

    12. ロバート・トゥルージロのメタリカまでの音楽的背景

    Robert-Trujillo

    メタリカのベーシスト、ロバート・トゥルージロは、まだ実際にオジー・オズボーン・バンドに籍を置いていた1998年に、マス・メンタル(Mass Mental)を結成した。マス・メンタルはライヴアルバムを1枚、スタジオアルバムを1枚リリースしている。いずれも日本だけのリリースだ。さらに彼はスイサイダル・テンデンシーズ(Suicidal Tendencies)とインフェクシャス・グルーヴス(Infectious Grooves)のメンバーでもあった。現在は、2003年からメタリカのメンバーだが、12年在籍してアルバムは1枚しか演奏していない。

    11. スパスティック・チルドレン(Spastik Children)

    Spastik-Children

    スパスティック・チルドレン(Spastik Children)というバンドのことは聞いたことがあるだろうか?考えられないかもしれないが、スパスティック・チルドレンは、ジェイムズ・ヘットフィールド、クリフ・バートン、フレッド・コットン、ジェイムズ・マクダニエルによって結成された「おふざけバンド」だ。彼らは全く練習しないので、とんでもない曲を弾くことになった。彼らの音楽はメタリカよりも粗野なパンクスタイルで、カリフォルニア北部のクラブでのみ活動していた。ジェイムズがドラマーを務め、クリフがベースを弾いた。クリフの死後、カークがこのおふざけバンドでベースを弾いていた。かつてカークはこう語っている。「スパスティック・チルドレンは飲んだり、ステージ上でバカやったりできる良い言い訳だった。」

    10. メンバーそれぞれソロ活動をやっている

    james-hetfield

    世界最大のメタルバンドのひとつであることに加えて、彼らはいくつかのサイドプロジェクトにここ何年も手を出してきた。ラーズはマーシフル・フェイト(Mercyful Fate)の「Return of the Vampire」のリメイク版(※訳注2)でドラムをレコーディングしている。ジェイムズはダンジグ(Danzig)の「Am I Demon?」と「Twist of Cain」(※訳注3)のバックボーカルを務めている。カークもまたメタリカ以外の曲をレコーディングしており、レス・クレイプールやマイク・ボーディンとレコーディングしたのはそのうちのひとつだ。また彼はデス・エンジェル(Death Angel)のためにいくつかデモをプロデュースしている。

    09. オリンピックスタジアムでの事故

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    ジェイムズ・ヘットフィールドはモントリオールのオリンピックスタジアムで行ったライヴで1992年8月8日にステージ上のパイロ事故で火傷を負った。ジェイムズはパイロテクニクスの演出中に12フィート(4メートル弱)の炎の中に踏み入れてしまい、左上半身と頭の左側に第2級、第3級の火傷を負った。その時のベーシスト、ジェイソン・ニューステッドは当時ヘットフィールドの皮膚が「悪魔の毒々モンスター(原題:The Toxic Avenger)みたいに泡立っていた」(※訳注4)と語っている。事故によってメタリカはライヴを終了することを余儀なくされた。長時間の遅延後、(ダブルヘッドライナーのもうひとつのバンド)ガンズ・アンド・ローゼズはステージに立つ準備をしたが、2つの公演のあいだでモニターが正しく配置されなかったため、ミュージシャンは音が聴こえない状況になった。アクセル・ローズも喉を痛めていると訴えたため、ガンズもセットリストを短くカットし、モントリオールの街でファンによる暴動を引き起こすことになった。

    08. グラミー賞を勝ち取った『St.Anger』

    StAnger

    メタリカのファンのなかには2003年のアルバム『St.Anger』を嫌っている人もいる。アメリカのファンたちがCD炎上パーティーを行ったように。今では『St.Anger』収録曲をメタリカがライヴで演っているのを観るのは非常に稀だ。ファンが嫌っているにも関わらず、メタリカは先行シングル「St.Anger」でグラミー賞ベスト・メタル・パフォーマンス部門を受賞した。そしてアルバム自体もアメリカでダブル・プラチナ・レコードを獲得し、世界で600万枚を売り上げた。

    07. ジェイムズ・ヘットフィールドが受けたキリスト教的家庭教育

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    フロントマンのジェイムズ・ヘットフィールドは、過度に厳格なクリスチャン・サイエンス信者の家庭で育ったことにおそらく起因する、感情的で激しい歌詞を書くことで知られている。1991年のセルフタイトルのアルバムに収録されている「The God That Failed」という曲は、母親の死にまつわる曲としてヘットフィールドの宗教的な家庭を背景に題された。強い信仰により、母親は癌のための医学的治療を拒否し、治癒する希望を信仰に託すことを選んだのだ。

    06. テニスの申し子ラーズ

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    ラーズ・ウルリッヒはデンマークでの子供時代はテニスの申し子だった。プロテニスでプレイすることは彼の血筋だ。父親も祖父もプロなのだ。16歳でロサンゼルスに引っ越す前にスウェーデンのメロウなシンガー、ネナ・チェリーと友人になり、その後すぐに音楽への情熱によって、その他全てのこと、とりわけテニスが見劣りするものになってしまった。ドラムを前にする彼の技術的な才能はしばしば批判されてきたが(特にその他多くのメタルプレイヤーに比べて)地球上で最も有名なドラマーになったことは疑いようがない。

    05. カーク・ハメット vs デイヴ・ムステイン

    Dave-Mustaine

    ほとんどの人が知っているように、オリジナルメンバーのリードギタリスト、デイヴ・ムステインは1983年にメタリカを解雇された後にメガデスを結成した。結局、カーク・ハメットがムステインの代わりにメタリカに加入した。この出来事の真っ最中、ムステインは彼が書いたリフの多くが、後にカーク・ハメットによって仕上げられ、カークを有名にしたという不正が行われたと考えていた。彼はかつてカーク・ハメットに対してこう語っている。「俺の仕事を盗んだが、少なくともヤツが俺の仕事を奪う前にヤツの彼女とヤったぜ。」品を落とさないでくれ、デイヴ。

    04. メタリカの個人アシスタント

    Metallica_struggle

    今日の有名人のあいだでは個人的なアシスタントを雇っていることは珍しくない。実際、アシスタントが一人もいない有名人を見つけることは稀かもしれない。ラーズ・ウルリッヒはどこにいても個人アシスタントが付いてくる。彼女の名前はバーバラだ。彼女は基本的にパソコンの電源を入れることから、腕時計を付けることまで何でもやる・・・ロックスター生活だ!メタリカは83人のフルタイムのスタッフを雇っているというのに。『St.Anger』のレコーディングのあいだは、バンドを完全崩壊から守る心理アドバイザーまでここに含まれていた。

    03. エイブリルフールのジョーク?

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    カーク・ハメットはメタリカに加入する前に、エクソダス(Exodus)のギタリストだった。彼はメタリカのオーディションについての電話を初めて受けた時、あまりにショックで友だちが残酷なエイプリルフールの冗談を言っているのだと思った。しかし数日後、彼は確認の電話をもらい、冗談なんかではないと気付いた。後は歴史が語る通りだ。2003年にはRollingStone誌のオールタイムベストギタリストに10位のキース・リチャーズ、12位のカート・コバインのあいだに滑り込み11位にランクされた。

    02. 個人の政治的意見を表にしない

    Metallica3

    何年にも渡って、多くのミュージシャンが個人の政治的意見を音楽を通じて表現してきた。しかしジェイムズ・ヘットフィールドはそのような考えに賛同しない。彼は過去にこの問題について次のように語っている。

    「自分たちの意見を熱弁する有名人がたくさんいる。そして彼らは人気者だから(その意見が他の人が語る意見よりも)正当だとみんなが思ってしまう。俺たちにとって、人は人だ。みんな自分自身の意見を持つべきなんだ。俺たちは人生の不幸な部分が何たるかを人間的要素に入れられればいいんだが。」

    01. メタリカの始まり

    metallica-young

    どんなバンドの始まりでも学ぶべき面白さがある。特にそれが自分がずっと好きなバンドであればなおさら。メタリカの始まりは、ジェイムズ・ヘットフィールドがラーズ・ウルリッヒによって(地元紙の)リサイクラーに出された広告に答えた1981年に遡る。2人はジャム・セッションのために会ったが、1年後にラーズがメタルブレイドのコンピレーションアルバム『Metal Massacre』の収録曲をレコーディングできることになってすぐに誰かと一緒にバンドを組む必要が出てきた時まで本当に何も生まれなかった。「Metallica」の名前はラーズ・ウルリッヒの友だちロン・クインターナからの提案だった。彼は「MetalMania」の名前も提案していた。

    Gendalf News(2015-09-18)

    ちなみに、この記事は元々今年3月にロシア語で書かれていた元ネタを英語で紹介しているようです(そして、こうして日本語で改めて紹介している)。bugaga(2015-03-24)

    以下、訳注など。
    ※訳注1:セイラム魔女裁判
    17世紀に実際に起きた魔女狩り裁判。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%AD%94%E5%A5%B3%E8%A3%81%E5%88%A4

    ※訳注2:「Return of the Vampire」
    マーシフル・フェイトのアルバム『In the Shadows』に収録。
    intheshadows



    ※訳注3:実際にジェイムズが参加しているのは「Twist of Cain」と「Possession」

    「Twist of Cain」


    「Possession」


    ※訳注4:
    1984年公開の映画『悪魔の毒々モンスター』。予告編はこちら。


    ちなみに「カーク・ハメット vs デイヴ・ムステイン」について、最近デイヴ・ムステインがツイッターで、ファンとこんなやりとりをしていました。

    CPbWZJaWUAAKRf4

    ファン「メタリカのロック・イン・リオ 2013。「俺が本当に好きなギタリストはデイヴ・ムステイン」(Google翻訳)」
    大佐「見ろよ!・・・トラブルを起こすのが好きなのは俺だけじゃないみたいだぜ!!(笑)」

    twitter(2015-09-21)

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    更新ご無沙汰しています。まずはBARKSでも報じられているこの話題。

    先日のロラパルーザの舞台裏でカリフォルニアのラジオ局「107.7 The Bone」のインタビューを受けたロバート・トゥルージロ。彼がステージ上で見せる「カニ歩き」は、オジー・オズボーンがきっかけであることを語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にて。

    rob_crabwalk

    「あれはオジーがきっかけなんだ。ツアーで・・・あれは初日か2日目だったかな・・・彼と共演した2回目のショーだったと思う。ラスベガスでね、覚えているよ・・・。俺たちは(ブラック・サバスの)「Sweet Leaf」を弾いていて、彼はみんなに(ステージ上で)うるさく付きまとっていたんだ。良い意味でね。いろんなやり方で俺たちを挑発していたんだ。ステージの動きとかそういうことでね。だから俺はこの変てこな相撲みたいな動きをし始めたのさ・・・。それをみんなは「カニ歩き(crab walk)」って呼び出した。そんな感じだったのさ・・・。俺がオジーに振ってみせたら、彼も一緒にやってくれて、笑っちゃったよ。すごく面白かったね。それ以来、俺たちはやってるんだ・・・。でももう一緒ではないけどね。彼もまだやっているといいなぁ。やってるかは知らないけど。」

    「オジーと共演するなんて夢が叶ったようなもんだよ。俺たちはみんなブラック・サバスで育った。隠すまでもないことだ。メタリカのメンバーも、俺がこれまで加入していたどんなバンドのどんなメンバーでも、あるいは俺が一緒にやってきたどんなヤツでもそうさ。俺はいまだにブラック・サバスの曲を弾く。MASS MENTALの仲間ともジャムった。「War Pigs」だろ・・・「Fairies Wear Boots」だろ・・・俺たちは大好きなんだよ。今日までね。だからサバスはいつだって最高の音楽なんだ。グルーヴがあって、ファンキーで、ヘヴィで、(曲の展開に)たくさんの変化があるからね。ファストにもなれるし、最高のスローでパワフルなリフもある。メロディーも本当に重要だ。美しいよ。だから彼との共演は夢の実現なんだ。俺は80年代はじめにパーティーバンドに入っていた。そこでサバスやオジーの曲をラッシュやヴァン・ヘイレンとかそういう類の曲と同じだけ演っていたよ。だから彼と共演することは、もう一度言うけど、「えぇ!マジで!?」って感じだったのさ。そしてそれがあの時に笑っちゃった理由のひとつなんだ。俺が「カニ歩き」をしていて、オジーを見たら、現実とは思えなかった・・・俺にとっては神様みたいな、触れてはならない存在だったんだ。そんな彼が「カニ歩き」をしているんだからね。」


    BLABBERMOUTH.NETより(2015-08-03)

    インタビュー動画はこちらから。


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    ロバート・トゥルージロが2014年9月6日にサブプロジェクトMASS MENTALとして「Warwick Open Day」に出演した模様がアップされました。紹介するのが遅れましたが、アップ主はいずれ動画は消すと書いているのでお早めにどうぞ。

    roberttrujillomassmentalgermany2014_638



























    またロバートはメタリカの新譜制作について次のように語っています。(管理人拙訳)

    「俺たちは取り組んでいるし、曲も書いている。ここ数年で曲は書き続けている。数年前には曲を書くことに集中していた。それから3D映画『Through The Never』が公開されて、遠回りさせたその他2、3のことがあったけどね。この夏にはいくつかショーをやった。でも9月中旬には、もうすぐだけど、制作に戻ってジャム・セッションや作曲や全世界に向けて新しい音楽を準備することを続けていくつもりだよ。とてもエキサイティングだね。」

    BLABBERMOUTH.NET(2014-09-12)

    インタビュー全編はこちらから。


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    ロバート・トゥルージロ擁するMASS MENTALが期間限定で再結成

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    ロバート・トゥルージロがオジー・オズボーンのもとで活動していた98年に結成されたサブプロジェクト、MASS MENTALが期間限定で復活再結成し、2014年8月26日に第1弾ライヴを行いました。

    会場は、以前にもロバートがInfectious Groovesとして出演し、メタリカにも縁深い場所、「Whiskey A Go Go」。撮影されたライヴの模様がアップされています。
















    動画の続きはこちらから。
    http://www.blabbermouth.net/news/video-metallica-bassist-robert-trujillos-mass-mental-project-plays-whisky-a-go-go/

    当日の写真などはこちらから。
    http://theconcertologist.wordpress.com/2014/08/27/mass-mental-the-whisky-a-go-go-robert-trujillo-armand-sabal-lecco-ken-schalk-benji-webbe-whit-crane-doc-coyle-c-minus-red-camel/

    サイトによると参加メンバーは以下の通り。

    Benji Webbe
    Ken Schalk
    Whitfield Crane
    Armand Sabbal-Lecco
    Robert Trujillo
    C-Minus
    Doc Coyle

    MASS MENTALは2014年9月6日、ドイツで行われる「Warwick Open Day」にも出演予定です。
    robert_warwick2014

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