ジェイソン・ニューステッドが2017年5月3日から7日にかけて行われた「Art Miami」主催の現代美術展、第3回「Art New York」と第2回「CONTEXT New York」に『RAWK』というタイトルの絵画作品12点を出展。50か国、150以上のギャラリー、1200人以上のアーティストが参加する国際現代美術展へのデビューを果たしたジェイソンにGuitarWorldがインタビューを行いました。アートとの関わりやメタリカについて語っています。管理人拙訳にてご紹介。

写真は同展示にて『ROCKERS』というシルクスクリーン作品を出展したロックフォトグラファー、ボブ・グルーエンと。
展示に参加したジェイソンのその他の写真はこちらから。
http://www.pacificpressagency.com/galleries/20194/jason-newsted-debuts-his-artwork-at-art-new-york-
以下、関連リンク。
Art New York
http://www.artnyfair.com/
CONTEXT New York
http://www.contextnyfair.com/home
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写真は同展示にて『ROCKERS』というシルクスクリーン作品を出展したロックフォトグラファー、ボブ・グルーエンと。
−今年のArt New Yorkにはどのような経緯で関わるようになったのでしょうか?
Art Miamiのオーナーと会う機会があってね。彼はメタルが大好きで、会った時に俺が手がけた絵をいくつか見せたら招待してくれたんだ。それで俺はここ数週間、アメリカのさまざまな場所を旅行してきて、過去7、8年のなかからキャンバスを持ってきた。国際展なんて初めてのことで、俺はとても興奮しているよ。
−アートは子供の頃からいつも興味を持っていたものだったんでしょうか?
若い頃、農村部で育って、そういう授業を受けていたよ。そこでアクリル絵の具と色を混ぜるということに出会ったんだ。それから3年ほど経って音楽に衝撃を受けて、がっつり30年もの間はその他全てのことが二の次になってしまった。
−絵を描くことに戻ったのはいつ頃ですか?
いったんメタリカに入って、その他のプロジェクトに取り掛かり始めると、俺はいつもいろんなことをやって、たくさんの機材の周りを動き回って自分をメチャクチャ忙しくしていた。(結局)俺は肩を痛めて手術が必要になってしまった。回復している間、俺がこれまで慣れ親しんだやり方で楽器を演奏することができなくなっていた。両手を必要に応じて使うことを練習しなくちゃならなかったんだ。俺にとって、音楽はフルタイムでやるものだった。それが出来なくなった時、俺はいつも音楽に注入していた創造的なエネルギーの全てを両手を使うことで放出し始めた。
俺は片腕でモンタナにある牧場をやっていた。そして納屋に行って塗装する必要があると思ったんだ。そこで古いドラムヘッドとそこらにあった塗るもの−ラスト・オリウム(訳注:防錆塗料)と緑と黄色のジョンディアのトラクターをみつけた。それからスノーブラシに色を染み込ませて、塗装していたものの上に塗料をぶちまけたんだ。
丸や顔や形をかたどるためにキャンバスにさえ触れる必要のないところまで行ってしまったんだ。それが始まりだった。それから両手の状態も良くなって、キャンバスにもっと触れ始めた。だからイカしたメタル・モンスターからキャンバスの上へとエネルギーが転移したんだ。作品を持っている人たちは、絵が音楽のように見えるというのがほぼ一致した意見だ。
−創造的なプロセスにおいて、あなたが一番好きなところは何ですか?
(自分の手で描かれて)出てくる生き物、色、タペストリーのイメージは、目の前にするまで自分の心の中にも存在しているとはわからなかったものなんだ。自分の中から飛び出して、他の目で見ているような感覚なんだよ。実際の意図されたものなんてのも決してない。どこから始まってどこで終わるのか決してわからないんだけど、出てくるものはいつも楽しい驚きなんだよ。
−絵画作品に土を混ぜるというアイデアはどこから来たんですか?
そういうことをたくさんやっていたジャン・デュビュッフェ(訳注:20世紀のフランス画家)の多くの影響を受けたんだ。(塗料を)適切な配合で砂の中に混ぜると、成形したり彫刻したりできるペーストになる。どんな色が飛び出してくるのか全く予測不可能なんだ。
−最初に正式な芸術作品に触れたのは何でしたか?
俺はラーズに真剣にしかるべき敬意を伝えるつもりだ。彼は国際的な教育環境にあったんで、早くから本当にクールな作品に触れてきた。彼の家に初めて行った時のことを覚えているよ。彼は子供のアートのようなゲーム部屋にそういう額縁の絵を飾っていた。実は精神的な障害を持つ大人によって描かれたアートなんだと俺に言ったんだ。俺にとってすごい新鮮で、本当に面白かったね。それで階を上ると、彼が結局売ることになったあのバスキアの絵(訳注:映画『Some Kind Of Monster』でも登場する「Profit I」)があった。ストーブの上に日用雑貨のように掛けてあったよ(笑)。本当に大きくて、あの簡潔さと複雑さが魅力的だった。ラーズを通じて俺は多くの人たちに紹介された。だからこの作品を披露することで、彼に対して最敬礼しようとしているんだ。
−音楽について少しお話させてください。Newstedの後、あなたは音楽活動を休んで、ソーシャルメディアから離れました。そのような決断に至ったのは何だったのですか?
もともと、自分で50歳になったら自らに何かを証明しなければならないと自問していた。だからNewstedのためにたくさんのものを結集して曲を書いた。それに没頭して楽しい時間を過ごし、たくさんのことを学んだ。いったんやってみると、俺はソーシャルメディア全体に流れる雰囲気と不誠実さに少し落胆した。そうすることになったのは、俺はいつだってプライベート・ガイ(人前に出たがらないヤツ)だったってことだ。
でも去年はChophouse Bandでアコースティック・ベースを携えて30回、今年はフロリダで同じ衣装でさまざまな音楽仲間といくつかのショーをやった。同じ雰囲気と強さ、そしてちょっと違う感覚だね。曲を集めてギターをプレイすることは、まだ俺にとってとても重要なことなんだ。
−あなたがメタリカと共にあった時間で、最も印象的なことは何ですか?
その質問をされると、加入した初期の先駆的なことが思い浮かぶ。パッと思いつくのは、それまで俺たちみたいな音楽をやったことないような場所で俺たちが初めてやったということだね。1986年に日本に行った時のように、何が起こるのか知らないような人たちの頭を吹き飛ばすんだ。以前にそういう音楽を演奏したことのない国々に行って、そこの人たちに来てもらうというのは最良の方法だった。そういう壁を壊して、それ以降に起こる全てのことのための道を開いたんだ。
GuitarWorld(2017-05-02)
展示に参加したジェイソンのその他の写真はこちらから。
http://www.pacificpressagency.com/galleries/20194/jason-newsted-debuts-his-artwork-at-art-new-york-
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Art New York
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