メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:FearFestEvil

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    ホラー映画関連のコレクターとしての顔を持つカーク・ハメットをインタビューした記事を管理人拙訳にてご紹介。インタビューとあわせてホラー映画の歴史もおさらいしている長文記事ですのでマニアックな点を覚悟してどうぞ。

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    メタリカのリードギタリストと息子、エンジェル・レイとヴィンツェンツォが彼のモンスターコレクションで遊んでいるところ

    メタリカのリードギタリスト、カーク・"リッパー"・ハメットが5歳の時、腕を捻挫し静養していた。両親は彼をテレビの前に居座らせていた。バックス・バニーの漫画に出てくるマラソンといったものは完璧な気晴らしになると考えることだろう。しかし、幼いハメットが腕の痛みを忘れられたのは、大きくなった肉食の宇宙植物が人間を恐怖に陥れるという映画『人類SOS!(原題:The Day of the Triffids)』を観に行った時だけだった。そして彼は恐怖というスリルを発見したのだ。

    6歳になって『フランケンシュタイン』を父親と観た時に彼のモンスター映画に対する愛は固まった。「俺は「フランケンシュタイン」に釘付けになった。」ハメットは電話越しにこう語った。「俺にとってこの世のものでないものがいっぱいだったんだ。ジェイムズ・ホエール監督のモノクロでシュールで印象派みたいな映画の様相だったり、ジャック・ピアスの素晴らしいメイクだったり、ボリス・カーロフの信じられないほど素晴らしい演技だったり、言うまでもなくストーリーそのものだったりがね。俺はただただ心奪われた。そこから、「モンスターマガジン」とかホラーコミックとかオーロラ社のモンスターフィギュアを買い始めた。子供だったから使えるお金は多くはなかったけど、あちこちでお金を稼ごうとしてやりくりしていったんだ。」

    現在52歳のハメットは10代で音楽と恋に落ちたわけだが、それはホラー映画への強迫観念を衰えさせたわけでは決してなかった。メタリカが1980年半ばにいくらかのお金が入り始めた頃、彼はモンスターマガジン、マスク、コミック本、子供の頃のおもちゃをもっと真剣に買い集め始めた。やがて、存在が確認されている最も希少なホラー映画のポスターや映画で使われた小道具などを買い集めて、ハメットはホラーメモラビリアの分野においてトップコレクターの一人となったのである。最近では、志を同じくする愛好家と繋がることを期待して、世界に自分のコレクションを共有し始めている。

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    1962年の映画『人類SOS!』に出てくる人食い植物が子供の頃にどれだけ彼を怖がらせたのかハメットは今笑って話す。

    2012年に彼は『Too Much Horror Business』というコレクションを載せた本を出版し、翌年デトロイトで行われたメタリカ主催の2回目の「Orion Music + More」フェスティバルでホラーメモラビリアのいくつかを展示した「Kirk's Crypt」を創り上げた。「Kirk's Crypt」は、2014年に地元サンフランシスコで全3日間のホラーコンベンション「Kirk Von Hammett's FearFestEvil」を始めるきっかけとなった。毎年行われるこのイベントは双方向なディスプレイを特色としていて、ハメットのモンスターコレクションの他、カーカス、デス・エンジェル、ハメットがメタリカ以前にいたバンド、エクソダスといったメタルバンドのパフォーマンス、ゲストには現代のホラー俳優、監督、特殊メイクアーティストばかりか、古典的ホラー映画のスターであるボリス・カーロフやベラ・ルゴシの子供たちもそこに含まれていた。現在、サンフランシスコをヴァージン航空かアメリカン航空で経由する旅行者はハメットのホラーコレクションの一部をサンフランシスコ国際空港内にあるミュージアムで行われている「Classic Monsters: The Kirk Hammett Collection」の展示を第2ターミナルで目にすることができる。

    ハメットはサイケデリックな60年代のサンフランシスコ、激動の文化的背景にあった危険な隣人の住むミッション地区で育った。『Too Much Horror Business』の導入部では、ホラー映画が自分を和ませる不気味で夢のような情景という別の世界へと連れて行ってくれたのだと説明している。

    自分をのけ者として認識し、チャールズ・アトラスの広告で顔に砂を蹴り上げられるような痩せっぽちになるかもしれない(※訳注1)と恐れていた。本のなかで、音楽ジャーナリストであり共著者でもあるステファン・チラジに彼は語っている。彼はとりわけ、父親と繋がりを持ちたい誤解されたはみ出し者であるフランケンシュタインの怪物に共感を感じていた。ハメットは自身の父親との関係について「強くはなかった」からだ。彼は従兄弟の持っていた狼男のマスクを被った時、力がみなぎり、人生をコントロールし、いじめっ子に対して仕返しをする能力を感じたのである。

    「信じられないかもしれないけど、俺は完全に内向的な人間なんだ。」ハメットはこう語る。「みんなはステージ上の俺を見たり、5万人を前に顔色ひとつ変えずに出て行くのを見たりしている。でも俺はそれに慣れているというだけだ。俺の家族の歴史からして、いつもアウトサイダーみたいに感じていた。とても静かで敏感な超恥ずかしがり屋の子供だった。いろんな状況に適応すべく苦労していた。自分をモンスターのように感じていたよ。俺がスクリーンで観たモンスターが経験していたことの多くが、俺自身の生活の中でもあったんだ。」

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    1931年の『フランケンシュタイン』のフランス版のパネル。ハメットはこの怪物の「孤独と悲しみの状態」を強いられていたと書いている。

    ヘヴィメタルのアルバムジャケットをランダムに参照してみると、ハメットだけがモンスター好きなのではないことは明らかだ。のけ者と逸脱した行為の魅力は、映画の歴史を通じても連綿と続いている。サイレント映画時代には、1920年のドイツ表現主義映画『カリガリ博士(原題:The Cabinet of Dr. Caligari)』、同じく1920年のアメリカ映画『狂へる悪魔(原題:Dr. Jekyll and Mr. Hyde)』、ドラキュラにインスパイアされた1922年のドイツ表現主義映画『吸血鬼ノスフェラトゥ(原題:Nosferatu)』といった映画にみられる、荒涼としたビジュアルと誇張された顔の表情、ビクビクさせる弦楽器、大きな音を奏でるオルガンが邪悪を意味していた。

    ユニバーサルスタジオは 社会不適合者がモンスターとみなされる映画の魅惑的な可能性に気付き、1923年にロン・チェイニー主演で映画『ノートルダムのせむし男(原題:The Hunchback of Notre Dame)』を発表した。その後数十年に渡るホラーフランチャイズの初めてのモンスター映画である。2年後、ユニバーサルはチェイニーを雇い、別の冷酷で醜いのけ者を『オペラ座の怪人(原題:The Phantom of the Opera)』で具現化した。

    しかし、トーキー映画が1930年代に大流行してからユニバーサルはBIG3を公開した。1931年のベラ・ルゴシの『魔人ドラキュラ(原題:Dracula)』、1931年のボリス・カーロフの『フランケンシュタイン(原題:Frankenstein)』と1932年のカーロフ主演の『ミイラ再生(原題:The Mummy)』である。当時、喋る映像を見るという体験(実際に映画を観に行くという体験そのもの)は観客にとって目新しく、こういった映画と初歩的な特殊効果を純粋に怖がっていた。しかし、1933年には、監督たちが自分たちの作品をちょっと意識したユーモアを差し込んでいくようになる。『透明人間(原題:The Invisible Man)』や『フランケンシュタイン』の続編となった1935年の『フランケンシュタインの花嫁(原題:Bride of Frankenstein)』のように。1940年代、50年代にはユニバーサルは2つの愛すべき獣たちを公開した。ロン・チェイニー・ジュニア主演の『狼男(原題:The Wolf Man)』と『大アマゾンの半魚人(原題:Creature From the Black Lagoon)』である。

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    ハメット所有の1931年の『魔人ドラキュラ』関連のおもちゃコレクション。財布、キャンディーボックス、ペイント・バイ・ナンバー・キット(訳注:下絵に書かれた数字の色と同じ絵の具を塗っていくだけで上手な絵が完成するキット)、パズル、ランチボックス、オーロラ社の「Frightening Lightning」モデル、ボードゲーム、そしてオーロラ社のドラキュラのドラッグレースドライバー版。(サンフランシスコ国際空港ミュージアム写真提供)

    第二次世界大戦の直後と冷戦初期には、巨大化した放射能による突然変異体や邪悪な異星人、宇宙ロボットといったものが、核技術と宇宙開発についてのアメリカの妄想を表していた。テレビが普及し、映画館では1959年の『ティングラー/背すじに潜む恐怖(原題:The Tingler)』のようなB級ホラー映画で10代の若者が映画を見に来るように思いつく限りのプロモーション・ギミック(※訳注2)を採用した。一方、1954年の『Seduction of the Innocent』(訳注:コミック本の悪影響を説いた精神科医の著書)はパニックを引き起こし、議会の公聴会が開かれるまでに至った。『Tales From the Crypt』のようなゾッとするコミック本が若者を破滅させ、非行に走らせると信じられていたのである。出版業界の新しいコミック自主規制コードに直面して、ECコミックは1955年にホラータイトルの出版を断念した。

    1957年(ホラーフランチャイズを畳んでわずか数年後)、ユニバーサルスタジオはモンスター伝説を強化する方法を編み出した。不気味な映画をテレビ局へ「Shock Theater」というパッケージで配給したのだ。テレビ局は映画を紹介するために、LAのKABC-TVで吸血鬼にインスパイアされた古くさい衣装を着た司会者を雇うことになった。1960年代には、こういった番組が通常金曜日か土曜日の夜8時以降に放送され、「Creature Features」として知られるようになる。1958年に創刊された「Famous Monsters of Filmland」のような雑誌は、この現象の人気を増幅させた。

    その頃には、1930年代から1950年代の古典的なユニバーサルのモンスター映画は、もはや大人にとって怖がったり、動揺したりするようなものではなかった。しかし子供にとっては不気味で古くさいけど面白いハロウィンのご褒美のようなものだった。1961年、オーロラ・プラスティクス社は自分で塗装する初のモンスターモデルキットを発売した。映画『フランケンシュタイン』に基づいたこのモデルは、あまりに子供たちに人気があったため、需要を満たすべく24時間操業で製造しなくてはならなかった。1962年には、ミュージシャンで俳優のボビー・ピケットがハツラツと歌う変わった曲「Monster Mash」がビルボードチャート1位になった。すぐに店のおもちゃコーナーには、石けん、首振り人形、ボードゲーム、パズル、的あてセット、リモコン、ペッツ・ディスペンサ(訳注3)、工作キットの広い範囲で想像しうる全てのモノがモンスターで埋め尽くされた。

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    「The Horror of the Seven Seas」は希少なプラモデル製造会社だ。ハメットはこう記している。「血が飛び散る帆と肉体のない幽霊のような頭が、このおもちゃでバスタブのなかではしゃいじゃうとても良い時間になるように見えるんだ!」(『Too Much Horror Business』より)

    モンスターマニアが1960年後半に広がった頃、6歳のハメットも(その方面に)取りつかれていた。『Too Much Horror Business』で詳しく述べられているが、ミッション地区のカトリックの学校へと通いながら、彼はみんながモンスターやマッドサイエンティストに出くわすことを想像していた。毎日、ハメットの両親は牛乳とドーナツを買うために25セントを彼に与えていた。彼はその25セントをポケットに入れると、放課後に「Creepy」「Eerie」といったモンスターマガジン(こういった雑誌は本当のところ、コミック自主規制コードを回避する手段として「雑誌」として再パッケージ化されたホラーコミック本であった)、そして映画に焦点を当てた「Famous Monsters of Filmland」「The Monster Times」といった出版物を買うのである。いわゆる「モンスターキッド」として、彼は授業中に学業をする代わりにこれらのコミック本を読んでいたのだ。

    ハメットも土曜日はきまって「Creature Feature」をテレビで観ていた。ハメットが本の中で説明するには、週末、両親が飲んで奇妙な行動を取る麻薬にイカれたヒッピーたちを家に泊めていた時、彼はミッション地区23番通りの大劇場の昼興行の3回公演に逃げ込んでいた。

    「当時、サンフランシスコのミッション地区は安全な場所じゃなかった。」ハメットはそう語る。「今はそうじゃなくなってる。今じゃ完全に高級住宅地化されているし、都会派の人たちとドットコム企業で占められている。当時を振り返ると、どこにでもギャングがうろついていたし、子供は昼食代を盗んだり、単にぶん殴ったりするために外を出歩いていた。でも映画館は俺にとって安全な場所だったんだ。少なくとも週に2回は映画を観に行っていたよ。金曜日に行ってみて、土曜か日曜の昼興行にも行く。ときおりはその両方。12歳か13歳の頃までかな、俺は60年代後半から70年代初期の伝統的な映画に没頭していたんだ。ホラー映画だけじゃない、『ゴッドファーザー』とかコメディーとか『燃えよドラゴン』みたいなカンフー映画も観ていたよ。」

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    映画に焦点を当てた雑誌「The Monster Times」は1972年に「Famous Monsters of Filmland」に対抗して刊行された。(『Too Much Monster Business』より)

    放課後、彼は23番通りのサンフランシスコ・コミックブック・カンパニーで長居していた。その店は1968年にオープンした、アメリカでコミックを専門に扱う最初の店だった。

    「サンフランシスコ・コミックブック・カンパニーは俺にとってもうひとつの安全な場所だった。」ハメットは言う。「ゲイリー・アーリントンっていうコミック本の歴史において伝説的な人物がそこの経営者だったんだ。彼はアンダーグラウンドなコミックを支えていた。そこでは麻薬用品販売店でしか売っていないようなパイプとか麻薬関連の品も売っていた。俺が9歳か10歳の頃、ロバート・クラム(訳注:漫画家、アンダーグラウンド・コミックス運動の創始者の一人)がゲイリーの店に来たのを見たんだ。彼は俺がそれまでに見たなかでおそらく一番分厚いレンズのメガネをかけていたよ。」

    アーリントンはハメットにとってある種の父親となった。コミックの買い方、売り方、交換の仕方の基礎を彼に教えたのだ。「コミックを読んだり、買ったり、そういった違った経験を吸収してお店で長いこと過ごしていたよ。」ハメットは続ける。「俺がゲイリーと彼の全従業員を狂わせたんだ。小さな子供として、コミックを見つけては集めて、営利目的で彼らに売りさばくっていう俺のやり方でもってペテンにかけようとしていた。俺のコレクションはそうやって出来たんだ。おびただしい数の違う漫画家が店に立ち寄っていたのを覚えているよ。俺はそういうものに没頭していたし、コミック本に関わる人たち、つまりコレクターと仲買人と漫画家の中にいるのが本当に快適だったんだ。」

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    左側2つはオーロラ社の『大アマゾンの半魚人』塗装済みモデル。右側はもっとオリジナルの細部まで再現したモデル。(『Too Much Horror Business』より)

    (長いので後半に続く)

    Collectors Weekly(2015-10-06)

    ※訳注1:チャールズ・アトラスの広告
    筋トレの通信講座の広告。下記画像とリンク参照。
    CharlesAtlas

    世界で最も完全に発達した男になる方法
    http://namfit.com/article3/index.html


    ※訳注2:『ティングラー/背すじに潜む恐怖』
    詳しくはこちらをご参照。※ネタバレ注意
    http://homepage3.nifty.com/housei/thetingler.htm


    ※訳注3:ペッツ・ディスペンサ
    キャンディーを入れるケース。キャラクターの頭部がディスペンサとなっている。詳細はこちらから。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/PEZ

    【訂正】
    The Day of the Triffidsの邦題、『トリフィド時代』は原作小説の邦題でした。映画の邦題である『人類SOS!』に修正しました。

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    「Kirk von Hammett's FearFestEviL 2015」レポについて

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    2015年4月10日から12日にかけて行われたカーク・ハメット主催のホラーフェス「Kirk von Hammett's FearFestEviL」。先日告知したとおり、今年も行ってきました!

    昨年は旅程その他でトラブル三昧でしたが、今回は日程的にはキツかったものの快適に過ごせました。フェス自体も温かい雰囲気に包まれた素晴らしいイベントでした!こんなメンツが集うのはこのフェスならではでしょう!
    DSC_0813
    (左から)カーク・ハメット、コリィ・テイラー、スラッシュ、ジョン5、ホセ・マンジン(ラジオ・パーソナリティ)

    昨年同様、このフェスのレポは幣サイト、カーク・ハメットの部屋でご報告していきます。

    ただいまサーバー障害で更新がリアルタイムに反映されませんが、今後の進捗状況についてはこの記事の追記か管理人のツイッターにてご報告させていただきます!そしてまた積もる話は次回のメタリカナイトでお話できればと考えています。

    とりあえず更新が反映された2ページ分をご覧くださいませ。

    http://kirkhammett.suppa.jp/fearfestevil2015/winchester.html
    http://kirkhammett.suppa.jp/fearfestevil2015/merchandise.html

    【追記】
    こちらのページも更新しました。
    http://kirkhammett.suppa.jp/fearfestevil2015/costume.html
    http://kirkhammett.suppa.jp/fearfestevil2015/kirkscrypt.html

    【追記】
    こちらのページも更新しました。
    http://kirkhammett.suppa.jp/fearfestevil2015/freakshow.html
    http://kirkhammett.suppa.jp/fearfestevil2015/talksession.html

    【追記】
    こちらのページも更新しました。
    http://kirkhammett.suppa.jp/fearfestevil2015/live_day1.html
    http://kirkhammett.suppa.jp/fearfestevil2015/live_day2.html

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    カーク・ハメットのサイト、「カーク・ハメットの部屋」作りました。
    「Kirk von Hammett's FearFestEviL」レポについて

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    FearFestEvilが行われるサンノゼの地元紙でカーク・ハメットがインタビューに答えていました。カークの語る最近観たお気に入りのホラー映画、ホラー映画にハマるきっかけ、新譜の制作状況等を管理人拙訳にてご紹介。

    KirkHammett_and_KirkVonHammettsHead

    カーク・ハメットは世界有数のホラー映画メモラビリアのコレクターの一人だ。もちろん史上最大のロックバンド、ベイエリア出身のメタリカのギタリストでもある。

    サンノゼのロックバー・シアター(RockBar Theater)で土日に行われるホラー映画とメタル・ミュージックの祭典、2周年を迎える「Kirk von Hammett's FearFestEvil」で彼の二つの世界は激突する。

    カーク・ハメット(52)−史上最もヘヴィなギタリストのひとり−は両日パフォーマンスを行う。他の出演者は、容赦ない請求書付きのメシュガー、ハイ・オン・ファイア、オーキッド、グール、アグノスティック・フロント、アサダ・メサイアたちだ。

    多くの(元ガンズ・アンド・ローゼズのギタリストのスラッシュのような)有名なロッカーや、(ロブ・ゾンビ監督の傑作、『デビルズ・リジェクト マーダー・ライド・ショー2(原題:The Devil's Rejects)』に出演したビル・モーズリーのような)ホラー映画のアイコンも出演する。野外開催の「カオスのカーニバル」、カーク・ハメットのホラー映画に関する個人コレクション「Crypt Collection」の展示も行われる。

    実際にはパーティーは金曜日に始まる。カーク・ハメットはサンノゼのウィンチェスター・ミステリー・ハウスで殺人ミステリー・ディナーを主催する。しかし悲しいことに悪霊が集まるチケットは完売した。

    私(訳注:記事の著者、ジム・ハーリントン)は先ごろ、サンフランシスコ出身エル・ソブランテ育ちの彼とホラーへの情熱について話した。彼はちょうどその時、レコーディング・スタジオを出て、マリン(訳注:カリフォルニアの海岸地方)を車で移動中だった。

    −私もホラー映画の大ファンなんです。私が観るべきオススメは何かありますか?

    最近観てよかったホラー映画は『キャビン(原題:Cabin in the Woods)』(2012年公開)だね。『武器人間(原題:Frankenstein's Army)』も本当に楽しかったな。設定がすごくいいんだ。フランケンシュタイン博士が別の村に引っ越してきて、第二次世界大戦が始まる。彼は研究を続けるためにナチスに認可を受けて、おびただしい数の生物を用意するんだ。

    最近観た中で本当に気に入った他の映画だと、ホラー映画と俺は思っているんだけど、ジェイク・ジレンホール出演の『複製された男(原題:Enemy)』かな。


    −そう、ジレンホールは素晴らしい役者ですよね。

    『ドニー・ダーコ(原題:Donnie Darko)』(2001年公開のジレンホール主演映画)は俺の人生のなかでもお気に入り映画のひとつだね。あの映画は10回、20回、30回と観ても、違ったものが観える。違うものをそこから捉えることができるんだ。観るたびにね。


    −ノートを取るのでもう少しオススメを教えてください

    本当に好きなものは60年代、70年代の映画にたくさんあるんだ。今日まで趣味の悪いヤツにもかかわらず、いまだに大好きなんだ。そのなかのひとつが『怪奇!双頭人間(原題:The Incredible Two-Headed Transplant)』(1971年公開)っていう最もクソ変てこな映画なんだ。あとこれに類する(1972年公開の)『Mr.オセロマン(原題:The Thing with Two Heads )』っていう映画ね。

    −どのようにしてホラー映画にハマったのですか?

    5歳の時に最初のホラー映画を観たんだ。『トリフィド時代(原題:The Day of the Triffids)』(1951年公開)っていう映画。それからそれが好みのタイプの映画だとわかった。それで、そこから数年以内ぐらいにボブ・ウィルキンスの『Creature Features』が始まった。


    −『Creature Features』!私もそれを見て育ちましたよ。(1971年から1984年までベイエリアのテレビ局KTVUで放映されたホラー映画番組)

    俺は週末になるとあれを観ていた。TVガイドを手に入れて、ボブ・ウィルキンスが俺たちに『Creature Features』でどんな映画をみせてくれるのか確かめるんだ。

    (そこから)子供の頃はずっとコミックとモンスター・マガジン(monster magazine)を収集して、その時点で入手できたクールなモンスターのおもちゃをたくさん買ったんだ。


    −それはあるあるですね。

    音楽の良さが分かってから、俺のなかにあった他の全てのことはすっかり拭い去ってしまった。モンスター映画もコミックも。やってみたいことはレコードを聴くことだけになった。それからギターを弾き始めると、やってみたいことはギターを弾くことだけになった。そうして8、9年と過ごしていたんだ。それが俺がやった全てさ。そしてエクソダスを結成して、それからメタリカに加入した。

    メタリカからちょっとした収入を得始めるようになってからだね。1984年の『Ride The Lightning』ぐらいかな。(ホラーに)舞い戻ってきたってわけさ。今は自由に使える収入があるから、またコミックの収集も始めたんだ。子供の頃持っていたものと同じ、たくさんのおもちゃを探し求めたり、子供の頃にはとても買えなかったおもちゃを買ったりしているよ。


    −ホラーがあなたを魅了するものは何だと思いますか?

    俺はいつも物事のダークサイドに惹かれるんだ。いつもモンスターと結び付けていた。(モンスターは)文化や社会の末端にいるっていう事実と結び付けていた。はみ出し者、のけ者といった孤立した人々といつも結び付けていた。どういうわけか、ちょうどそれが俺の仲間だったんだ。

    −メタルとホラーのあいだには自然な相乗効果があるように思えます。

    ホラー映画とヘヴィメタルにはたくさんの同じ成分が入っている。権利を奪われた多くの人たちが本当にヘヴィメタルを楽しんでいる。権利を奪われた多くの人たちがホラー映画につながりを感じる。俺のFearFestEvilはホラー映画とヘヴィメタルと2つのあいだにある類似点の祭典なんだ。

    −当然ながら私はメタリカの近況を聞かずして、電話を切らせるわけにはいきません。新譜はいつになりそうですか?

    完成したら、見られるよ。俺たちには曲がある。それは保証する。俺たちは音楽に取り組んでいる。それも保証する。


    −あなたは会話の冒頭でスタジオを出たばかりだと言っていました。私はメタリカのものをやっていたと思っていましたよ。

    あぁそうだよ。プロジェクトの早い段階であって、物事は一週間のあいだに右だか左だかに大幅に変わりうるんだ。いますぐ何か言うのは難しいね。本当に何も不変じゃないから。

    San Jose Mercury News(2015-04-06)

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    カーク・ハメット、ホラー映画とFearFestEvil2015について語る
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    カーク・ハメット、FearFestEviLについて大いに語る。

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    エクソダスの新譜『Blood In, Blood Out』収録曲の「Salt The Wound」にカーク・ハメットがゲスト参加することは以前お伝えしましたが、その歌詞付き動画がNuclear Blast Recordsから公開されていました。



    ソロ部分はまさにカークの真骨頂といった具合ですぐにわかりますね。過去に在籍していたということもあってエクソダスとも息がバッチリ合っているようです。

    エクソダスはつい先ごろ、ヴォーカルのロブ・デュークスが脱退し、スティーブ・ゼトロ・スーザが復帰したばかり。日本盤は2014年10月8日発売予定。

    bloodinbloodout


    以下、トラックリスト。

    01. Black 13 (featuring Dan the Automator)
    02. Blood In Blood Out
    03. Collateral Damage
    04. Salt The Wound (featuring Kirk Hammett)
    05. Body Harvest
    06. BTK (featuring Chuck Billy)
    07. Wrapped In The Arms Of Rage
    08. My Last Nerve
    09. Numb
    10. Honor Killings
    11. Food For The Worms
    12. Protect Not Dissect (featuring Rat from THE VARUKERS/DISCHARG) ※日本国内盤のみ

    ちなみにiTunesなどのDL版のボーナストラックとしてNWOBHMの代表的バンドで、ラーズも大佐も大好きなAngel Witchの「Angel Of Death」のカバーが収録予定。(※Slayerじゃない。)

    さらに初回限定盤DVDにはサンディエゴで行われたコミコンのアフター・パーティーとして行われたFearFestEvilでのカーク・ハメットとの共演も収録されるとのこと。

    ご予約はこちらからどうぞ。

    通常日本盤
    http://amzn.to/1nXhI0U

    初回限定盤DVD付
    http://amzn.to/1qWwDf2


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    カーク・ハメット、エクソダスとFearFestEvilで再び共演、アルバムにゲスト参加も

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    続けてメタリカのメディア掲載情報をもうひとつ。

    映画『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』の一般公開日前日となる2013年11月21日に発売の「映画秘宝」2014年1月号にてカーク・ハメットのインタビューが掲載されるとのこと。

    表紙画像がアップされたら差し替え予定。
    eigahiho201401
    映画秘宝2014年1月号


    映画雑誌のインタビューということで『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』のことはもちろんですが、『ミイラ再生』『フランケンシュタインの花嫁』『死霊のはらわた』『死霊のしたたり』・・・そんな映画タイトルが列挙されるカークのホラー映画趣味の真髄が炙り出されるインタビューになったりするのかしら?それとも2月にサンフランシスコで行われるカーク・ハメット主催のホラーフェス「Kirk Von Hammett's Fear FestEvil」の告知をしてくれるのかしら?妄想が膨らみます・・・

    当該号の特集内容がまだ不明のため、分かり次第追記するかもです。

    【追記】
    メタリカの特集はカーク・ハメットが映画についていろいろ語る模様。

    カーク・ハメット降臨!傑作ライブドキュメントから伝記映画、音楽モキュメンタリー、アーティストの名演集まで厳選60本!「狂熱の音楽映画コレクション!」

    Twitter(2013-11-21)


    ちなみに「Kirk Von Hammett's Fear FestEvil」は公式サイトも立ち上がり、パネルゲストにスコット・イアン、スラッシュ、ライヴゲストとしてデス・エンジェルが出演するとのこと。
    kirkfes
    http://www.fearfestevil.com/


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    「TV Bros.」2013年11月23日号にてメタリカのインタビュー掲載予定
    「ヘドバン vol.2」にて“俺たちのMETALLICA御柱祭”特集
    BURRN!12月号にラーズ・ウルリッヒ&ロバート・トゥルージロのインタビュー掲載
    週刊SPA!でラーズ・ウルリッヒのインタビュー掲載

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    実家でユルユル過ごしておりまして、更新さぼってました!

    メタリカが主催する「Orion Music + More」で大好評だったカーク・ハメットのホラーコレクションの展示が楽しめる「Kirk's Crypt」。行列が出来るほど大盛況だったのを受けてか、単体でフェスティバルを地元サンフランシスコで開催する模様。その名も「Kirk Von Hammett's Fear FestEvil」。
    kirkhammetsfearfestival

    開催は2014年2月6日から8日の3日間で自動販売機(ガチャガチャ?)、ライヴ、「Kirk's Crypt」、サイン会、特別ゲストとの座談会などが行われる予定。

    特別ゲストとして予定されているのは、特殊メイクアーティストのグレゴリー・ニコテロ(TVシリーズ『ウォーキング・デッド』『キル・ビル vol.1,2』『スパイダーマン』)、トム・サヴィーニ(『ゾンビ(Dawn Of The Dead)』『死霊のえじき』『クリープショー』)。

    グレゴリー・ニコテロ(Wikipedia)
    トム・サヴィーニ(Wikipedia)

    ライヴが予定されているのは今のところ、サンフランシスコのロックバンド「ORCHID」のみ。
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    さらにESPからは歴代のカークのホラー映画コラボギターのブースが出展する模様です。

    すでにフェスのFacebookページからチケット申し込みが始まっていました。
    https://www.facebook.com/events/397068500422562/permalink/399731676822911/

    今後も詳細がこちらのFacebookページから発表されることでしょう。
    https://www.facebook.com/events/397068500422562/

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