メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:映画

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    ロバート・トゥルージロがプロデューサーとして関わっているジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画『Jaco』の予告映像が公開されました。



    既報の11月22日に行なわれるワールドプレミアでは、ジャコの息子であるフェリックス・パストリアス、ロバート・トゥルージロ率いるマス・メンタル、ビリー・アイドルらが出演するとのこと。
    jaco_1122


    ちなみにサウンドトラックは輸入盤が11月27日、国内盤は12月9日発売予定です。

    jacosoundtrackcd
    Jaco Original Soundtrack(輸入盤)
    Jaco Original Soundtrack(国内盤)

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    ロバート・トゥルージロのプロデュースによるジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画『Jaco』のワールドプレミア開催決定

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    ロバート・トゥルージロがプロデュースしているジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画『Jaco』が、2015年11月22日にロサンゼルスのエースホテルにてワールドプレミアを迎えるとのこと。

    jaco_movie

    当日は映画の上映後、ロバート・トゥルージロ、ジャコ・パストリアスの息子であるフェリックス・パストリアスらでライヴが行われる予定(ロブはMASS MENTALとして出演する模様)。その他ゲストが登場するかは当日までのお楽しみのようです。

    チケットはすでに発売中でVIPチケット(120ドル)はミート&グリートがつくとのこと。

    AceHotelより(2015-10-12)


    ロブによる映画紹介の動画はこちらから。



    【追記】
    映画のオリジナルサウンドトラックのトラックリストも発表されていました。ライブのゲストもこのサウンドトラック参加者からの可能性が高いかもしれません。
    01. River People – Weather Report
    02. Teen Town – Weather Report
    03. Come On Come Over – Jaco Pastorius
    04. Continuum – Jaco Pastorius
    05. Portrait Of Tracy – Jaco Pastorius
    06. The Dry Cleaner From Des Moines (live) – Joni Mitchell
    07. All American Alien Boy – Ian Hunter
    08. Liberty City – Jaco Pastorius
    09. Crisis – Jaco Pastorius
    10. Okonkole y Trompa – Jaco Pastorius
    11. Mr. Gone – Weather Report
    12. Nineteen Eighty Seven - ††† (Crosses)
    13. Longing – Mary Pastorius
    14. Shine – TechN9ne
    15. Continuum – Rodrigo y Gabriela
    16. Come On Come Over – Mass Mental (Robert Trujillo and Flea)
    Amazonでも予約受付中です。
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    Jaco Original Soundtrack


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    脆弱X症候群という発達障害を負ったメタリカの大ファン、トム・スパイサーがラーズに会おうと思い立ち、その足跡を追ったドキュメンタリー映画『Mission To Lars』が2015年9月25日に北米の指定映画館とビデオ・オン・デマンドでリリースされるとのこと。

    missiontolarsdvdcover

    2012年6月にイギリスで公開され、翌年4月には英国版ブルーレイ/DVDも発売されていますが、北米の映画館での公開は初めて。

    ラーズ・ウルリッヒは以前、NMEのインタビューでこの映画のことを次のように語っています。

    「すごい感動的だった。全部は観ていないんだ。でもラフ・カットを去年の夏に観たよ。映画のために(主人公とその妹の)トムとケイトに会ったのは、それ自体がひとつの経験になった。でも去年にあの映画を観て、映画のスタッフとまたつながったのはまた違った経験となったね。」

    「俺たちが直接関わっている作品ではないし、彼らの映画、彼らの旅路なんだけど、彼らの冒険に対して俺たちは支援しているよ。終わったとは考えたくないし、虚栄心を満たすプロジェクトみたいにはしたくない。よく知らなかった世界を示してくれるし、音楽の重要性とさまざまな人たちにとっての意味をよく伝えているね。」


    NME.comより(2012-04-20)

    この映画はエンターテイメント、(脆弱X症候群に対する)意識向上、募金集めの目的を持っており、すべての収益が(学習障害者支援の)慈善団体、Mencapに寄付されるとのこと。サウンドトラックには、ボブ・デュランやブラーが名を連ねています。詳しくはhttp://www.missiontolars.com/まで。

    ラーズ・ウルリッヒのインタビュー動画


    映画予告

    Mission To Lars Trailer from spicerandmoore on Vimeo.


    日本では公開未定です・・・。

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    「ラーズ・ウルリッヒに会いに行く」というドキュメンタリー映画『Mission to Lars』が6月にイギリスで公開

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    少し更新が遅くなりましたが、訃報です。実際に起きた少年事件について冤罪の観点で取り上げた映画『Paradise Lost』で知られ、メタリカとは『Some Kind Of Monster(邦題:メタリカ 真実の瞬間)』を撮った監督でもあるブルース・シノフスキーが2015年2月21日、糖尿病の合併症によりお亡くなりになりました。享年58歳。

    Metallica.comで追悼のコメントが発表されていましたので管理人拙訳にて。

    bruce-sinofsky-gear

    家族の大切な一員を我々は失った。賞を受賞した映画監督ブルース・シノフスキーが今朝亡くなった。

    ブルースは、ジョー・バーリンジャーと共に、俺たちの映画『Some Kind Of Monster』の設計立案者だった。スマートで、愉快で、ひたむきだったブルースは、2000年代初めに俺たちと毎日のように一緒にいて、俺たちが当時の荒波のような状況のなかを進む手助けをするのに不可欠な存在だった。常に諸手を挙げて歓迎したわけではなかったにもかかわらず、彼はメタリカの最も暗黒の時代を共にしてくれた。彼は俺たちが素に戻り、内からも外からも自分自身を再構築していくのを客観的に観察しながら、献身的な支えとなり目に見える救命ボートの役割を果たしてくれた。我々はブルースとジョーの手がけた『Brother's Keeper』(訳注:1992年公開)を称賛したが、言うまでもなくブルースとジョーが成し遂げた『Paradise Lost』三部作には圧倒された。彼らの執拗なまでの仕事ぶりと細部への配慮により、ブルースとジョーの映画は10代の少年3人の殺人罪被告人に関する司法の誤りへの注意を喚起し、刑期18年を過ぎた後に最終的に刑務所からの解放を導くのを手助けした。

    『Some Kind of Monster』の後、ブルースはサンダンス・チャンネルのシリーズ『Iconoclasts』、ヒストリー・チャンネルの『10 Days that Unexpectedly Changed America』に加え、その他多くの映画やテレビのプロジェクトという、さらに輝かしい仕事を行っていた。

    我々の思いと祈りをブルースの家族と友人と共に。ブルースを失って寂しい。深い共感と見識を持つ勇敢な男は、物語を語るために深く掘り下げるのを恐れなかった。

    安らかに、ブルース。

    Metallica.com(2015-02-21)

    精力的に活動していた人だっただけに、早すぎる訃報は残念です。
    ご冥福をお祈りします。

    以下、参考リンク。

    『Paradise Lost』※映画批評サイト
    http://subterranean.seesaa.net/article/35828265.html

    『Iconoclasts』※サンダンス・チャンネル
    http://www.sundance.tv/watch-now/iconoclasts

    『10 Days that Unexpectedly Changed America』※Wikipedia英語版
    http://en.wikipedia.org/wiki/10_Days_That_Unexpectedly_Changed_America

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    メタリカが3D映画制作に着手?

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    ラーズ・ウルリッヒがイランの若手映画監督Babak Jalaliの映画『Radio Dreams』に出演するとの報。この映画は監督自身が手がけた脚本を元にした風変わりなコメディもので、11月18日からサンフランシスコで撮影が始まったとのこと。12月8日にはラーズの出演シーンが撮影され、その様子が映画のFacebookページでアップされました。

    https://www.facebook.com/media/set/?set=a.747929265293035.1073741841.726718320747463&type=1

    ラーズの他、イランを代表するミュージシャンであるMohsen Namjooやアフガニスタンのロック・バンドのKABUL DREAMSが参加。イランのMetClubチャプター「Persian Magnetic」のメンバーで映画のプロデューサーでもあるMarjan Moghimiはこう語る。

    「我々は現在サンフランシスコで映画の序盤を撮影している。映画はMohsen Namjooが演じる放送作家のいるラジオ局にメタリカとアフガニスタン初のロックバンドのKABUL DREAMSの出演を直接会ってセッティングするって話だ。」

    映画は2015年公開予定。

    BLABBERMOUTH.NETより(2014-12-17)

    アップされた写真のなかで、ラーズがB!誌のTシャツを着てます。
    radio_dream_lars01

    以下、参考リンク。

    映画『Radio Dreams』公式Facebookページ
    https://www.facebook.com/pages/Radio-Dreams/726718320747463

    Mohsen Namjoo 公式サイト
    http://www.mohsennamjoo.com/

    Kabul Dreams 公式Facebookページ
    https://www.facebook.com/pages/Kabul-Dreams/162718785677

    Mohsen Namjoo - Shirin Shirinam


    Kabul Dreams - Sadae man


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    ラーズ・ウルリッヒ「ドラマ映画出演後、俳優としてのオファーはゼロ。」

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    ロバート・トゥルージロがプロデュースしている、ジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画『Jaco』。制作が最終段階になって予算が不足しているのか、クラウドファンディングサイトPledgeMusicにてDVDや関連グッズ等の予約購入という形で出資を求めています。このページの説明によるとDVDのリリースは2015年4月か5月になる見込みとのこと。

    jaco_original

    ロバート・トゥルージロのメッセージを管理人拙訳にて。

    やぁみんな、俺たちのプロジェクトをチェックしてくれてありがとう。ジャコはいつだって俺のヒーローで、今日まで俺がベースを弾く理由のひとつでもあるんだ。この映画は俺にとって愛と情熱のプロジェクトなんだ。この素晴らしい映画に制作に4年かかった。そしてこの映画をゴールを迎えるのにキミの助けが必要なんだ!

    俺たちの映画はジャコ・パストリアスという独学で紛れもないインパクトを音楽にもたらし、力強くダイナミックでエッジと美しさの両方を兼ね備えた声を楽器に与えるっていうエレキベースに革命をもたらした伝説的なミュージシャンについての物語だ。

    俺たちはドキュメンタリーに反映する独占インタビューをPledgeMusicと共に集めてきた。そしてジャコの友人やファンの何人かを頼ってきた。この映画を現実のものとする旅路の一部になって、協力して欲しい。

    PledgeMusic(2014-11-07)

    出資の選択肢は、ロバートのサイン付きDVDからTシャツなどの映画関連グッズの他、12月8日にロサンゼルスのグラミー・ミュージアムで行われる上映会(ロバート参加予定)、ロバートとスカイプで30分話せる権利や60分ベースのレッスンを受ける権利、メタリカ全員のサイン付きギター、いわくつきのジャコのベース「Bass of Doom」のレプリカなど多彩なラインナップです。

    詳しくはこちらからどうぞ。
    http://www.pledgemusic.com/projects/jacothefilm

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    ジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画制作に関わってきたロバート・トゥルージロ。ちょっと前の記事になりますが、Bass Magazineでジャコ・パストリアスに関するインタビューを受けていたのでご紹介。

    roberttrujillobassguitarmagcover

    知らないミュージシャンの名前もじゃんじゃん出てきて和訳に苦戦しましたが、ジャコ・パストリアスとの衝撃的な出会い、ジャコの親族との出会いやジャコの持っていたベースをコレクターから買い戻したエピソードなどロバートの人柄がにじみ出ているロング・インタビューになっています。管理人拙訳にて。

    −ヘヴィメタルファンはジャコのことが大好き、その理由を聞きたい

    ジャコは本当にインスピレーションを与えてくれるし、アイコンなんだ。ジャズのコミュニティーだけじゃなく、ハードロックやヘヴィメタルのコミュニティーの間でもね。俺は高校を卒業して、ジャズの学校に通った。結局そこでやることになったのは、世界中から来たプレーヤーたちとジャム・セッションをすることだった。そのうちの何人かはいまだに俺の人生の一部になっているよ。そんなたくさんのミュージシャンは、メタルやロックも好きなゴスペルのミュージシャンだったんだ。キャリアを伸ばしていくうちに、俺はレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーとか、マーズ・ヴォルタのホアン・アルデレッテとか、ジャコのプレイを見たことあるたくさんのミュージシャンとつるむようになった。俺は50歳になろうとしているけど、そういう人たちは俺の年齢よりも上だった。以前在籍していたバンド、スイサイダル・テンデンシーズのロッキー・ジョージと俺はジャズ・フュージョンの大ファンで、俺たちが9年生、15歳の頃、彼にジョン・マクラフリン、マハヴィシュヌ・オーケストラ、リターン・トゥ・フォーエヴァーについて話したんだ。

    −トゥルージロは影響の大きかったジャコのギグを覚えていた

    ジャコのプレイは4回観た。1979年のプレイボーイ・ジャズ・フェスティバルでも観たし、ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンドと一緒のフルスケールのバージョンの時も観た。UCLAのドロシー・チャンドラー・パビリオンでね。スケールダウンしたバージョンもデルマー・ブラウン、ケンウッド・デンナード、マイク・スターンと一緒にやったのを観たよ。ジャコに会いたくてショーの後に待ってたんだけど、マイクとだけ会ったんだ。彼は常軌を逸してた。何かをやってたのかもわからないね。

    70年代後半から80年代初頭にかけて、あれはいい時代だったよ。俺は両親にジョン・マクラフリンとか他の偉大なアーティストを観に連れて行ってもらう、そんな年齢になったばかりだった。15、16歳のあたりから俺はもっと真剣にベースに集中していくようになった。1983年に高校を卒業した時、俺は徹底してベースにのめり込んでいた。ジャコみたいに俺はルールに縛られなかった。バウ・ワウ・ワウのようなたくさんのイギリスのバンドやミック・カーン、ピノ・パラディーノ、ニック・ベッグスみたいなミュージシャンが好きだった。マーク・キングも俺に大きな影響を与えてくれた。彼は素晴らしいよ。彼はまだアメリカでは過小評価されていると思う。俺の中じゃ、彼は神だね!もちろんレミーやギーザー・バトラーの大ファンでもある。でもジャコは猫みたいだった。俺はドッグタウン・ムーブメントが巻き起こっていた、たくさんの命知らずのワイルドなスケートボーダーたちがいた南カリフォルニアのベニスビーチで育ったからね。

    ジャコは俺にとってそんなキャラクターだったんだ。彼は信じられないほどの天賦の才能があってセンスが良くて自分がやることに本当に一生懸命に取り組んだ。スケートボーダーたちもそうだったんだ。彼らは危ないこともやるし、必要とあらば激しいケンカもする。しなきゃならないとなれば、3階から後方宙返りをキメてプールに飛び込むことだってやる。何でもありさ。それが俺がジャコの好きなところのひとつだ。彼もビーチで育ったからね。彼はボディーサーフィン(訳注:サーフボードなしでサーフィン)をして育ったんだ。ほとんどいつもシャツを着ずに短パン裸足だった。俺が育ったベニスビーチでもそんなヤツらがいたんだ。

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    −どのようにしてジャコに会ったのか

    1985年、ハリウッドのメルリン・ホテルで行われるロサンゼルス・ギターショーを観に行ったんだ。今はホリデー・イン・エクスプレス・ホテルになってるけどね。そこにジャコが来るとは知らなかったんだ。各部屋が特定のギター会社に割り当てられていて、廉価版NAMMショーみたいだったね。ある部屋にいた時、本当に地震が来たと思ったんだ。窓が震えていて、床が揺れているように感じた。参ったね!隣の部屋に行った人もいた。ベースのディストーション付きアンプがフルボリュームになっていたんだ。イカしてたね。

    俺も隣の部屋に入っていったら、それはジャコだったんだ!彼はそこでギター修理の人と一緒にいた。彼がそこにいるもんだから、何も言葉が出てこなかったよ。俺は彼の正面に座ると、部屋はみるみる人で埋まっていった。俺がベースの師と仰ぐ一人、ラリー・シーモアもいた。彼はビリー・アイドルと長いあいだプレイしていた人だ。みんな同じ反応をしたから、部屋は満員状態だった。ジャコはアンプの音量を上下に繰り返して、その反響音が壁を震わせていた。彼はみんなを観て、全員をじっと見つめていた。今にも彼が「そりゃあ俺だ!」とでも言い出しそうな感じだった。彼の人生においては最高の場所ではなかったけど、彼は忘れられないファンキーなグルーヴと節を弾き始めたんだ。俺たちに何の一言も口にすることなく。

    神に誓って、彼は俺たちをその目で見つめていたんだ。俺は言葉も出なかった。みんなそうだった。それはあたかも彼が楽器を使って俺たちと話したり、全員と触れ合ったりしているかのようだった。彼がこう言ったみたいだったのさ。「俺はこの手のひらでオマエらを捕まえたぞ!クソッタレ!オマエらは噂を聞いてきたんだろう。俺がここにいる、俺がオマエらをぶっ飛ばすってな。」それから部屋に彼のガールフレンドが入ってきた。ホントにキレイな女性が両ポケットにビールを入れてやってきたんだ。2人はまさしくビーチのサーファー・カップルだった。彼女がやってきてこう言ったんだ。「さぁジャコ、行きましょう!」って。そしたら彼はベースを置いて、そこから出て行ったんだ。あれは決して忘れられないよ。

    今、ここ数年のあいだに心の中で思うんだ。「何で俺はあの時、あの人をハンバーガーか何かで外に誘わなかったんだ?」って。でも俺はショックだったんだ。それだけ強烈な瞬間だった。あの部屋にいた俺たち全員、彼の存在に感動していたんだ。彼のプレイする能力は俺たちを虜にした。直接彼に会って、彼があんなメロディックなものを奏でるのを聞けたのは信じられないことだったね。

    −どのようにしてジャコの親族と出会ったのか

    これはとびきりの話だよ!ラッセルっていうサーフ仲間でバーテンダーの友だちがいて、そいつがジャコが人生のほとんどを過ごしたフォートローダーデール(訳注:フロリダ州南東部)に住んでたんだ。数年前、ラッセルがジャコの長男ジョニー・パストリアスにドリンクを作っていると、ジョニーのクレジットカードにあった苗字に気付いたんだ。ラッセルはベニスビーチの俺の家に来て、ジャコの写真を見たり、俺がジャコの話をしたりしていたことを覚えていて、ジョニーにこう尋ねたんだ。「あなたの名前は聞き覚えがありますね?」そしたらジョニーは「ジャコ・パストリアスは俺の父親なんだ」って答えた。それは純粋に偶然の一致だった。ラッセルは俺に電話して、ジョニーもスイサイダル・テンデンシーズのファンで、俺のことも知っていることがわかったんだ。

    オジー・オズボーンのバンドに加入した最初の年、フォートローダーデールに行ってジョニーに会った。すっかり仲良くなったよ。一晩中一緒に外にいた。振り返ると、あれはフロリダ南部のパーティーの日だったのかな。とにかくそういうことさ!間違いなく素晴らしい時間だった。それでジョニーと一緒にどこかのストリップ・クラブに入って、俺がスイサイダル・テンデンシーズのロッキーに電話したんだ。「俺、ジャコの息子と一緒にいるんだよ!ほら、挨拶して!」って。ジョニーと俺は仲良くなった。それが今回の話(ジャコのドキュメンタリー映画制作)の始まりだったんだ。

    後で俺はジョニーを通じて(ジャコの娘の)メアリー・パストリアスとも会った。それで俺たちはメル友になったんだ。メアリーは本当に素晴らしいシンガーで、彼の夫エリック・ヤングはとんでもないキーボード奏者なんだ。もし彼らがフロリダに住んでいなかったら、もし彼らがロンドンかLAかニューヨークに住んでいたら、彼らがありふれた名前だったら、(そう考えると)なんて素敵なきっかけなんだって思うよ。ジャコの甥デヴィッド・パストリアスもいつもそんな感じで親友なんだ。彼らはいつもそんな感じさ(笑)

    rob_handsam02

    −どのようにしてジャコのドキュメンタリーは形になったのか

    俺がジョニーに最初に会った時、俺は彼に言ったんだ。「キミのお父さんについての映画を作らなきゃ。彼の話はホントに人を惹きつけるからね。」と。ジョニーと俺は連絡を取り続けていた。ジョニーは音声ドキュメンタリー『A Portrait Of Jaco: The Early Years』のプロデューサーをやってたボブ・ボビングっていう人とドキュメンタリー映画に向かって取り組んでいた。それは本当に大きかった。素晴らしい要素だった。

    年月は過ぎ、ジョニーはボブをメタリカのショーに連れてきた。ジョニーがボブに俺がジャコに夢中になっていたことを話していたし、彼らはジャコの関連性を理解していて他のタイプのミュージシャンをドキュメンタリーに引き入れたいとジョニーは思っていたからね。彼らはメタリカを観にやって来て、フォートローダーデールのアリーナのショーがチケット売り切れになっていることにボブは感動したみたいだった。ボブと俺は友だちになったんだ。4年前、彼は俺に制作という船に飛び乗ってくれないかと頼んできた。ジョニーと俺は数年前にこれについて話したことがあって、俺たちがこんなことになって奇妙で皮肉な運命のいたずらみたいだったね。

    2年前の夏、俺たちは初めてラフカット版を観た。俺たちはいま編集の最終段階に来ている。3人の監督がいるんだ。1人目はスティーヴン・カイヤック、彼は『Stones In Exile(邦題:ストーンズ・イン・エグザイル 〜「メイン・ストリートのならず者」の真実)』や『Scott Walker: 30 Century Man』の監督をしている。彼は1年以上、制作陣にいてインタビューのほとんどをやっている。1年半前くらいから俺たちはポール・マルシャンって人とも一緒にやっている。彼はプロジェクトの最初から編集をしてきた人物だ。それは地獄のジェットコースターみたいに大混乱しているけど、絶対に変えるつもりはないよ。

    −どのようにこの映画に関わっているのか

    かなり関わっているよ。俺はプロジェクト全部に出資している。制作会社のPassion Picturesは『Searching For Sugar Man(邦題:シュガーマン 奇跡に愛された男)』でオスカーを獲得している。『Stones In Exile』も彼らが手がけた映画だ。彼らは素晴らしいよ。この地球で後世に残る最優秀ドキュメンタリー制作会社だ。

    俺はクリエイティブな面でも関わっている、もちろん、そこにはバランスがあるけどね。とてもクリエイティブな監督が一方でいるわけだから。ポールは本当に為すことがクリエイティブだ。彼の創造力でスクリーンに命が吹き込まれているし、彼は自分を強く持っている。それからジャコの家族のこともある。俺のやることは、みんなの要望の間でバランスを取らなきゃならないってことなんだ。時にはそれが最も難しくなることもある。映画制作陣と、自分たちの父親の話に感情的に愛着を持っている家族、俺にとっては全てを意味する。おまけに俺の芸術的展望もあるしね。緊張の瞬間だってあるんだ。

    でも創造的な緊張、感情的な緊張、一番丁寧なやり方で頭突きしたかのような、そういった瞬間を味わえるのは、このプロジェクトの一番良いところだよ。もし3年前に完了させていたら、映画はあるべき姿になっていなかったと思う。今、俺たちが(制作中のまま)2014年を迎えているっていうのは、本来そうなるはずだったんだ。この映画は今年公開する必要がある。だから俺たちは11月の第3週目になるよう努力しているんだ。

    −どのようにして今年の「Record Store Day」にジャコのサウンドトラックを出したのか

    俺たちは1974年のジャコによるデモ・レコーディング『Modern American Music… Period! The Criteria Sessions』をリリースすることもできたんだ。「Record Store Day」の創始者マイケル・カーツがこのプロジェクトを受けて、公にしたのさ。

    マイケルが17歳の時、ノースカロライナでウェザー・リポートのコンサートに行ったらしい。それがジャコとウェザー・リポートの最初のツアーで、マイケルはスーパー8mmフィルムでショーを撮影したんだ。音はなかったけど、ジャコのプレイを見ることができるんだ。彼がまだ若く元気でイカしてた。マイケルはこの撮影した場面をドキュメンタリーに寄贈してくれた。それから後、彼は2008年に「Record Store Day」のアーティストとしてメタリカを引き入れる役割を果たしたんだ。彼もジャコのために同じようなことをしたくて、2014年にジョニーと俺をOmnivore Recordsとつなげてもらった。彼らとランチをして、ジョニーはCriteria Studiosでとったデモ音源について話し始めた。俺はそれについて全く知らなくてね。それはずっと長い間、所在が不明だったデモ音源でジャコの最初のソロ・レコードの準備としてレコーディングされたものだったんだ。素晴らしいよ。ああいう裏話はすごいよね。そうして俺たちは特別なレコード盤をリリースすることができたんだ。まだ聴かれていない、未開封のジャコの初期の純粋なデモ・レコーディングを、この2014年にね。さらにジャズ・チャートで2週間も2位を獲得した。俺たちが制作を続けられなかった唯一の理由は、レコード盤が品切れになってこれ以上刷れなかったからさ。それが全てを物語っていると思う!


    rob_handsam03

    −どのようにしてジャコの最も有名な楽器を救ったのか

    当時は法律的な問題があったんだ。今はもう解決したけど、ジャコの家族はこの問題についてストレスで本当に参っていた。大筋を言うと、ジャコの有名なフェンダーのジャズ・ベースが20年間行方不明だったんだけど、ニューヨーク市のコレクターの手に渡ったんだ。そのベースは盗まれたとか売られたとかいう噂だった。ジャコがドラッグや何かのために自分のベースを売ったというのは疑わしい。でも、いろんな解釈をされやすい事態だったんだ。

    俺たちの気持ちとしては、まずニューヨーク市の公園でジャコがホームレスだった時に奪われたんじゃないかと思う。それは壊されて50個ほどに分けられてしまった。俺は写真を見たけど、狂ってるね。ジャコはベースをフロリダの(ベーステクの)ケビン・カウフマンに送ったんだ。で、彼はそれを修復したのさ。ジャコはベースを取り戻して、それから奪われたんだ。そうなる前にそのベースでマイク・スターンとレコーディングを行った。それでケビンはニューヨークにやってきて、楽器は本物であると認証をした。それが問題の始まりだったんだ。家族は言うまでもなくベースを取り戻したがっていた。でも所有者はベースのことをあきらめようとはしなかったんだ。

    だから俺はベースを取り戻すお金を支援した。俺はコレクターじゃないけど、当時この状況を自分が助けることが重要なことだと思ったのさ。そうして俺たちはベースを取り戻した。俺はベースの合法的な所有者だ。でもこの楽器についてのどんな決定もジャコの家族の承認を受けなければならないようにした。彼らにとって、あのベースは家に横たわる家族のペットみたいなものなんだ。無くなった時でさえも。フェリックス・パストリアス(ジャコの息子でジュリアス・パストリアスの双子)が今は持っている。俺はあのベースを弾いたことあるけど、素晴らしいよ。とてもいい形をしていたね。


    この件については多くの誤解がある。俺はインターネットで言われているようなヤツじゃない。何もかも完全にかけ離れているよ。でも俺は間違った考えを持っていたり、俺があのベースを脅し取った(あるいは自分自身のために持っている)とか、俺がニューヨークでそれを見つけて金を払って奪い取ったと考えていた人に通りで近寄られたこともあった。そういうことでいつもジョニーとフェリックスを困らせていたよ。事態はまるっきり正反対だからね。俺は情熱からこの事態を引き受けた人間なんだ。俺は物事に情熱的になるんだ。そして俺は助けようとしたのさ。

    −ついにジャコの映画の準備も大詰め、映画についてまとめてください

    このプロジェクト全部、俺のジャコへの気持ち、そしてこのストーリーとジャコとの関連性が中心にある。ジャコの家族との関係もね。多くの人は俺がパストリアス家とつながりがあるなんて気付きもしないし理解もしていない。このプロジェクトが始まる前に彼らは俺の家に泊まったんだ。俺はジョニーとメアリーとほとんど同じくらいデヴィッドのことも知っている。俺たちが知り合ったのは彼がまだ10代の頃。デヴィッドと彼のバンドが何年も前に(スイサイダル・テンデンシーズのサイド・プロジェクトである)インフェクシャス・グルーヴスの前座を務めたんだ。

    俺たちにはたくさん歴史があるんだ。面白いよ。年上のミュージシャン、ウェイン・ショーターとアンソニー・ジャクソンみたいな人たちも出ている。彼らはメタリカや俺のことをリスペクトしてくれているんだ。俺がメタリカに加入した時、そういうプレイスタイルを学ばなきゃならなかった。俺の大好きなベーシストはジャコとアンソニー・ジャクソンだったからね。もちろんゲディー・リーとギーザー・バトラーも好きだけど。俺はメタリカの要求を満たすよう自分のスタイルを適応させなければならなかったんだ。俺の快適な範囲はいつだってインフェクシャス・グルーヴスなんだ。いつも言っているんだけど、あのバンドは完全にジャコ・パストリアスにインスパイアされたバンドだ。スレイヤーやスイサイダルと同じようにね。ジャコはインフェクシャス・グルーヴスの鍵となる要因だった。でも多くの人はそれを知らない。多くの人は俺が4回ジャコのプレイを観たことも知らない。

    この映画は素晴らしいよ。俺たちがインタビューしようと思った人の99%はインタビューした。その範囲も広いけど、とてもいいバランスになっている。ゲディー・リーからハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、スティング、ジョニ・ミッチェル、それからジャコの活動初期にコラボしたプロデューサー、ボビー・コロンビーまで出演してもらった。ソニーが映画のサウンドトラックを出す予定だ。そこには最前線で活躍するアーティストが参加している。これは俺がやってきた中で、一番満足している旅路のひとつだ。そしてキミたちのようにジャコに関心を持つ雑誌があるってことがわかって嬉しいよ。


    BassMagazine(2014-09-23)

    コレクターから取り戻したベース「Bass Of Doom」を記念したTシャツもメタリカ公式Tシャツとして売られていましたね。
    bass_of_doom

    これだけ情熱を持って制作された映画、ぜひ日本でも観たいです!(どこか配給頼む!)

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    映画『Some Kind Of Monster(邦題:メタリカ 真実の瞬間)』公開10周年を記念したブルーレイ再発を受けて、ラジオ番組でジェイムズがこの映画についてのインタビューを受けていたのでご紹介。

    berlinger_sinofsky_richman

    −生々しくて容赦なく真っ正直なこの映画はあなたにとって、まだ観るのがキツい映画では?

    ジェイムズ・ヘットフィールド
    「あぁ、そうだね。自分自身の話を聞いて、自分自身を観て、他の人が見ているものが見えるまで下がって鏡を見る。特にこの映画の監督、ジョー(バーリンジャー)とブルース(シノフスキー)は、ほとんど壁に止まったハエのようになっていった。だからカメラがそこにあるのを本当に忘れたみたいに、ありのままの自分になるんだ。そして(あの映画の)多くの時間、あの状態の自分を見ることは本当に居心地が悪い。でも、まぁ、自分の好きではない部分をたくさん学んだ。どっちが良かったか。それはいい写し鏡なんだ。あの映画に関係する誰もが自分自身について同じように感じると思うよ。」

    BLABBERMOUTH.NET(2014-10-23)

    そもそもジェイムズが改めてあの映画を観ることってあるのかな・・・。普通にファンから観ても「これ本人的に観るのキツいだろうなぁ」って思っちゃう映画ですからねぇ・・・。

    【追記】
    ブルーレイ発売に向けて新たな予告編が公開されたのでご紹介。



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