ラモーンズの元ベースのC・J・ラモーンことクリストファー・ウォードはメタリカから2度も参加要請を受けていたことを明らかにしている。たまにクリフの後にまたはジェイソンの後に他の誰かがメタリカに入っていたらどうなっていたんだろうという妄想をすることはありますが、C・J・ラモーンはかなり現実味があった組み合わせだったのかー。
クリストファーはラモーンズのオリジナル・ベーシストのディー・ディー・ラモーンが脱退した1989年にラモーンズに加入し、96年の解散までラモーンズのC・J・ラモーンとしての役割を務め上げた。その後、2001年にメタリカのジェイムス・ヘットフィールドと衝突してベースのジェイソン・ニューステッドが脱退すると、その後任としてメタリカ加入を要請されたという。
ただ、クリストファーとしては要請されたのは光栄だったが、自身の息子がちょうど自閉症と診断されたばかりのことで、バンドに専念することができなかったため断ったのだとか。その後、メタリカは2003年に元スイサイダル・テンデンシーズのロバート・トゥルージロにベースを託すことになった。
クリストファーはグレイトサザンブレインファートにこう語っている。「メタリカには1度ならず2度加わってくれないかって声をかけられたんだよ。ジェイソンが最初にやめた時にまず声がかかったんだよね。それからしばらくして、連中も後任を探すのに手こずってて、それでまた声がかかったんだ。でも、当時は息子が自閉症だと診断されたばっかりで、息子を置いていくことだけは考えられなかったんだよ」。
さらにクリストファーは自分にオファーが来たのはメタリカのカーク・ハメットに元ラモーンズのジョニー・ラモーンが、自分が空いていると口利きしたからだとも明らかにしている。
「そもそもオーディションを受けないかっていう話になったのは、ジョーイ・ラモーンがカーク・ハメットと友達だったからなんだよね。そこでこの機会について医者にも相談して、ツアーにも家族を連れて行けるという条件だし、看護師もつけてもらえると話してみたんだよ。でも、医者は息子に必要なのは毎朝同じ場所で目を覚ますことで、それ以外の環境は息子には害になりうると説明してきたんだね。それで、俺に声をかけてもらったのは本当に光栄なことだったけど、どうしても応えられなかったんだ」
クリストファーはその時の決断を後悔はしていないが、メタリカとして活動することになっていたらさぞかし楽しかっただろうと思うと語っている。
「後悔はしていないよ。ただ、メタリカでやってたら楽しかったと思うし、ラモーンズで活動した後にメタリカじゃ人生として出来すぎだろっていうね」
RO69.jp (2011-10-04)
そういえば、メタリカはラモーンズのトリビュート盤に参加したり、『St. Anger』のシングル群にラモーンズのカバーを収録していましたね。

We're A Happy Family - A Tribute To The Ramones
『St. Anger』のシングルあれこれ
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