メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:ボブ・ロック

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    メタリカが5thアルバム『Metallica』、通称ブラックアルバムを出してから25年が経ちました。25周年を記念して、RollingStone誌で「メタリカのブラックアルバムについて知られていない10の事実」という特集が組まれていたので管理人拙訳にてご紹介します。

    blackalbum

    1.バンドが短くシンプルな曲を書き始めた理由のひとつは、コンサート中のファンが退屈そうにしているのを観たからだ

    メタリカのメンバーは、1988年の『...And Justice For All』で出来る限りのプログレッシブなスラッシュメタルの概念を取り込んできたと自負していたと同時に、10分近くするタイトル曲のような大作で入り組んだ曲では自分たちのライヴに来る観衆の忍耐が試されるということにも気付いていた。

    リードギタリストのカーク・ハメットは1991年にRollingStone誌にこう語っている。「一般的な総意として、あの曲は死ぬほど長すぎだったってことに気付いたんだ。みんなが浮かない顔していてさ、俺は『何てこった、みんなは俺たちほど楽しんではいないようだぞ』って思ったよ。」ハメットはバンド自体も曲の複雑なアレンジに退屈になっていたことも認めた。「ある夜に「Justice」をやった後、舞台裏で俺たちのうちの誰かが『クソッ!俺たちがあのクソ曲をやるのはこれで最後だ!って言ったのを覚えているよ。」

    2.「Enter Sandman」はブラックアルバムのために書かれた最初の曲だ

    フックが効いていて不吉な感じのするハードなグルーヴを持つ「Enter Sandman」は、メタリカの新しい方向性を完璧にカプセルに閉じ込めたかのような曲だ。しかし、徐々にこの新鮮なアプローチへと移行すると言うよりかは、ハメットがシンプルでブルージーなギターのリックを弾いたことで、メタリカは最初の作曲のセッションの間にこの方向性へと飛び込んでいったのだ。そしてすぐにそのリックを鍛えぬき、彼らの最大のヒット曲となっていったのである。

    ドラマーのラーズ・ウルリッヒは2014年にこう回想している。「1990年7月の作曲過程で「Enter Sandman」は最初に思いついたものだった。『...And Justice For All』の後で10分のクソプログレッシブで12回もテンポの変わるメタリカをやるか。俺たちは曲をスリム化して単純にしたかった。あの曲を1日か2日で書き上げた。「Enter Sandman」の全てはメインリフから派生しているんだ。」

    3.ジェイムズ・ヘットフィールドが書いた「Enter Sandman」の歌詞は、もともと乳幼児の突然死について書かれたものだった


    「Enter Sandman」はブラックアルバムのために最初にバンドが書いた曲であったのにも関わらず、リズムギタリストのジェイムズ・ヘットフィールドはずいぶん後になるまで曲の歌詞を仕上げられなかった。もともとは幼児がベビーベッドで遂げる謎の死に関するものとして曲を想定していたが、バンドと彼らのマネジメントにより、プロデューサーのボブ・ロックを介して歌詞をトーンダウンしてほしいと頼まれたのだった。

    2011年にボブ・ロックはこう回想している。「最初に、音楽とリフを聴いてバンドと彼らのマネジメントにあの曲が1stシングルになると考えられていた。それから彼らはジェイムズの歌詞を聞いて、乳幼児の突然死について書かれた曲だとわかった。それは気に入られなかったわけさ・・・。」

    ボブ・ロックは続けてこう語る。「俺はジェイムズと膝を突き合わせて、彼の歌詞について話したんだ。『キミの書く歌詞は素晴らしい、でももっと良くなる。そこまであからさまでいいのか?』とね。シングルについては考えていなかった。私は彼にあの曲をもっと良くしてほしいってだけでね。より詩的かつオープンなやり方で言いたいことを言うってことを彼が学んだ過程だったんだ。彼はいくつか歌詞を書き直して、ああなった・・・(もちろん)1stシングルさ。」

    4.メタリカはボブ・ロックがそれ以前に一緒に仕事をしたバンドのファンではなかったにも関わらず、彼をプロデューサーに選んだ

    メタリカを導くためにプロデューサーのボブ・ロックを雇うことにしたバンドの決定は物議を醸すものだった。このカナダ人のプロデューサーかつエンジニアは、当時モトリー・クルーやボン・ジョヴィ、キングダム・カム、ザ・カルト、ラヴァーボーイといったスラッシュメタルの名声など欠片もないバンドとスタジオワークを行ったことでよく知られていた。しかしメタリカのメンバーは、そのようなバンドたちが彼と制作した音楽よりも、そのようなバンドたちのサウンドを彼が作り出したやり方に興味があったのだ。

    ラーズ・ウルリッヒが2007年に『Metal: The Definitive Guide』のインタビューでジャーナリストのギャリー・シャープ・ヤングに語ったところによるとこうだ。「ボブとともに良いミックスが欲しかったんだ。俺たちは低音域で大きな音を欲していた。そんな曲がボン・ジョヴィのレコードにあろうと、カルトのレコードにあろうと、メタリカのレコードにあろうと俺は気にしない。サウンドはサウンドだ。俺たちはあれが欲しかったんだ。」

    5.ブラックアルバムはメタリカが同じアルバム内で3つの異なるチューニングのギターを使った初めてのアルバムだ

    多くのHR/HMバンドがよりヘヴィなサウンドを実現するためにオルタネート・チューニングを使ってきた一方で、メタリカは1991年以前、主にギターについてはEレギュラーチューニングを用いてきた。1986年の『Master Of Puppets』収録曲「The Thing That Should Not Be」(ギターを1音半ドロップチューニングしている)と1987年の『The $5.98 EP: Garage Days Re-Revisited』の2つのカバー曲で1音ドロップチューニングという例外を除いて。『Metallica』ではアルバム収録の12曲のうち10曲はEレギュラーチューニングだが、ボブ・ロックの指図によりその他のミックスも使用した。ギターのチューニングを落とし「Sad But True」ではD、「The God That Failed」Eフラットとしている。

    ボブ・ロックは「Sad But True」についてこう語っている。「私はあの収録曲が全て1つのチューニング、Eのキーだということに気付いた。そこで私はこのことにバンドの注意を向けさせた。すると彼らはこう言ったんだ。「Eが一番低い音だったっけか?」そこで私は彼らに自分がプロデュースしてメタリカが好きでもあるモトリー・クルーの『Dr. Feelgood』ではDチューニングだったと伝えた。それからメタリカがDチューニングをしてみたら、リフが強大なものになった。この力はどんなことがあろうと止められないものだったね。」

    6.ブラックアルバムはメタリカがスタジオで一緒に“生演奏”して基本的なトラックをレコーディングした初めてのアルバムだ

    ジェイムズ・ヘットフィールドは1991年にGuitar World誌にこう語っている。「俺たちは(アルバムに)ライヴの感覚が欲しかったんだ。過去にラーズと俺はカークとジェイソン抜きでリズムパートを組み上げたり、ラーズが自分だけでクリック音を演奏していた。今回、俺は1つのバンドユニットとしてスタジオで演奏してみたかったんだ。曲に活力が加わり、バイブスを得ることができた。みんなが同じ部屋にいて、互いの姿を見ることができる。あれは大いに手助けになった。特にベースとリードギターの何点かではね。俺たちがスタジオに入る前でさえ、2か月の間でほとんどの曲を演奏する手助けにもなった。」

    7.「The Unforgiven」「Nothing Else Matters」におけるジェイムズ・ヘットフィールドのヴォーカル・パフォーマンスはクリス・アイザックに触発されたものだ

    1990年後半から1991年初めにかけて世界中で大ヒットしたクリス・アイザックの「Wicked Game」はジェイムズ・ヘットフィールドの耳をも捉えた。彼はボブ・ロックにメタリカのスピード遅めの2曲に載せるのにこのシンガーのムーディーなヴォーカルを見本とする手助けとするにはどうしたらよいか尋ねたのだ。

    ロックは2015年のクリス・ジェリコとのインタビューでこう振り返っている。「彼(ヘットフィールド)はこう言った。『ボブ、俺はこれまで本当に歌ったことはないんだ。俺はただ叫んでいただけだった。』とね。彼はクリス・アイザックのレコードを再生してさらにこう言ったんだ。『「Nothing Else Matters」と「The Unforgiven」で俺は歌いたい。どうしたらこんな風に歌えるんだ?』私はこう言ったよ。『素晴らしいヴォーカルサウンドをものにできるよ。キミのヴォーカルに代わりはいない。クリス・アイザックの声でキミが聞いているのは彼が歌うときのニュアンスなんだ。彼も代わりはいない。彼は実際にやっている。キミもやればいいんだ。我々は彼が快適でいて、素晴らしいヴォーカルサウンドを出せるようセットして、それから彼は歌った。日ごとに彼は良くなっていった。彼は歌うことが心地よくなった。そうして彼は素晴らしいシンガーとなったんだ。」

    8.バンドメンバー4人のうち3人はアルバム制作中に離婚を経験した

    ダークでブルージーなメタリカの感覚はバンドの新しい音楽的な選択の結果だけではなかった。ラーズ・ウルリッヒ、カーク・ハメット、そしてベーシストのジェイソン・ニューステッドは彼らの個人的な生活のなかでブルースを歌っていたのである。

    2001年のPlayboy誌でハメットはこう語る。「ラーズとジェイソンと俺は離婚を経験した。俺は感情的にボロボロだった。罪悪感とか失敗したという感情を取って、そういう感情を音楽に向かわせるようにしていた。肯定的な何かを得るためにね。ジェイソンとラーズもそうだった。俺はブラックアルバムがああいう風なサウンドになった理由にそれによるところが大きいと思ってるよ。」

    9.カーク・ハメットは「Nothing Else Matters」のビデオに登場しているが、彼はこの曲を実際には弾いていない

    もともとジェイムズ・ヘットフィールドによって、電話で会話している間にギターの弦をぼんやりとかき鳴らしていて見出した音楽をもとに、当時の恋人に向けたラブソングとして書かれた「Nothing Else Matters」は、メタリカにとって大きな出発点だった。ヘットフィールドが自分でカセットに録音したラフ・ヴァージョンを聴くと、ウルリッヒはメタリカの曲としてバンドでレコーディングするべきだと彼を説得した。それからヘットフィールドは曲のアコースティックのイントロとブルージーなギターソロをレコーディングし、カーク・ハメットが参加していない数少ないメタリカの曲のひとつを作り上げたのだ。

    ハメットは2012年にこう振り返っている。「俺はステージで自分が弾くあのイントロパート全部を学び直さなきゃならなかった。あの時点で俺にとってはちょっとばかり脅威だったね。(なぜならジェイムズだけがイントロをレコーディングしたため)俺たちからすればああいう風に始まる曲ではなかったから。」

    10.ジェイムズ・ヘットフィールドは「Nothing Else Matters」がメタリカファンを嘔吐させやしないかと心配していた

    1991年8月3日、メタリカはマディソン・スクエア・ガーデンでの無料リスニングパーティーで新しいアルバムを公開するという前例のない一歩を踏み出した。(ラーズ・ウルリッヒは後に「俺たちのアルバムはガーデンで俺たちが演る前にプレイされていたのさ。」とジョークを飛ばしている。)その4日前に(1stシングルとして)リリースされた「Enter Sandman」を除き、そこにいた1万人のファンは初めて『Metallica』の曲を聴いたのだ。ジェイムズ・ヘットフィールドはとりわけ「Nothing Else Matters」がどういう反応をされるか心配していた。

    1992年にK.J.ドートン著の『Metallica Unbound』のなかでヘットフィールドはこう語っている。「俺はただ「Nothing Else Matters」がかかるのを待っていた。あそこにいたみんながお互い目を合わせて吐き出しやしないか確認するためにね!(笑)仲間内の高圧的なヤツがお互いにレコードをかけて『おまえはこの曲は好き?』『いいや、おまえはこの曲好きなのか?』なんてことにならないだろうかと思っていた。」ヘットフィールドにとって幸運なことに、あの曲は好評だった。彼はこう振り返る。「みんなかなり夢中になっていた。あれにはかなり驚いたね。」

    RollingStone(2016-08-12)

    過去のインタビューの焼き直しではありますが、いろんな要素が絡み合ってブラックアルバムが出来上がったのを改めて認識させられた記事でした。

    参考までに7番目で書かれていたクリス・アイザックの「Wicked Game」はこちらから。

    Chris Isaak「Wicked Game」

    Metallica
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    MetalHammerにて、ボブ・ロックがメタリカの次回作について言及したインタビューについて掲載されていたのでご紹介。

    bobrock

    プロデューサー、ボブ・ロックはメタリカの10thアルバムは画期的なものとなるだろうと予測する。しかし、彼はまたバンドと仕事をするとは考えてない。

    彼がジェイムズ・ヘットフィールド及びそのバンドメイトと初めて共に行った仕事は1991年のブラックアルバムから。その後10年に渡り『Load』『Reload』『Garage Inc』『S&M』と続いた。最後のコラボレーションは2003年の『St.Anger』と議論を巻き起こしたドキュメンタリー映画『Some Kind Of Monster』だ。

    しかし彼は2008年の『Death Magnetic』には参加しなかった。彼は(メタリカとの仕事に)戻ることはなさそうだと考えている。

    エディー・トランクのPodcastのなかで、ロックは次のように語った。

    「どうなっているかわからない。彼らは前進し続けなきゃならないと私は思っている。『Death Magnetic』で彼らは自分たちのルーツに戻った。それは素晴らしいことだ。私は彼らが進んだところまで共に至ったが、彼らはそこから先に行かなければならない。」

    「私が思うに彼らは彼らの作品の中でも画期的なレコードを作るだろう。おそらくそういうことが起きようとしている。」

    ボブ・ロックの最も最近のコラボレーションはブラック・ベイル・ブライズ、オフスプリング、ザ・カルト、そしてポップスターのマイケル・ブーブレ、ネリー・ファータドに及ぶ。

    「メタリカとやった後は彼らのようなバンドとはたくさんやっていない。なぜって?最高だったからだよ、私と一緒にやったバンドが。」


    「名前を言うつもりはないけど、相手を信じられなかったり、メチャクチャだとわかったりすると、つらい目に遭うからね。そうやってできたレコードは、私にとってはうまくいっていないね。」

    彼はいつもメタリカを親友として思っている。「彼らとは会うよ。明後日とかね。15年も共に過ごして、何かを彼らがやってのけ、私がやってのける。そんな彼らは私の人生の大部分なんだ。」

    2015年のレディング&リーズ・フェスティバルのヘッドライナーを務めるメタリカは、次回作となるアルバムを制作中だ。しかし、完成する日は決まっていない。

    MetalHammer(2014-12-26)

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    メタリカのブラックアルバム発表20周年に関して、メンバー及び関係者のインタビューをBLABBERMOUTH.NETがざっくりまとめてくれていたのでご紹介。
    ※バンドの歴史等について書かれた前書きや後書きはガッツリ省略してます。あしからず。

    1991年の音楽的な変化について「Rolling Stone」誌でラーズ・ウルリッヒはこう語る。

    「俺たちはミュージシャンとしても、ソングライターとしても(キャリアの初期は)まだまだだと感じていた。それで俺たちは大きく変えたんだ。『Master Of Puppets』や『...And Justice For All』から自分たちの能力を証明するという方向にね。俺たちはミュージシャンとしても、ソングライターとしても有能であると証明するためにこんなマジで突飛なことをすべてやってのけたんだよ。」

    さらに8ヶ月間のアルバム制作期間について、こう付け加える。

    「(レコーディングは)早く済ませるべきだったんだ。理論的にはね。俺たちが以前やってきたように全てを完璧に得ようとするよりも。でも、メタリカは通常、そういった理論や普通やるようなことっていうのは、窓の外に追いやってしまうのさ。2倍ルーズなレコードを作るのに2倍時間がかかったんだ。」

    フロントマンであるジェイムズ・ヘットフィールドはこう語る。

    「世界のあらゆるリフを1曲にしていくジャム、そしてそれを曲として機能させるのは俺たちにとっては挑戦だった。今、俺たちはほとんどの場合、それと正反対のことをしている。それもまたさらなる挑戦なんだ。」

    このアルバムはレコーディング中、バンドと衝突したプロデューサー、ボブ・ロックとの初めてのコラボだった。ボブ・ロックは述懐する。

    「はじめの3ヶ月は難しかったね。彼らは私のことを完全に疑いの目で見ていた。楽しい、簡単なんてモンじゃないよ、レコードを作るってのは。これが終わったら、二度と一緒に働かないと彼らに話したくらいだ。彼らも私に同じようなことを感じてたよ。」

    さらにラーズ・ウルリッヒはこう語る。

    「俺たちはそれまで誰かに推し進められるなんてことは本当になかったんだ・・・。俺たちはいつも自分たちのことを『Big Bad Metallica』だって考えていた。でもボブは俺たちにこれまで聴いたこともなかった新しい言葉を教えてくれたんだ。それが『Soulful』さ。」

    BLABBERMOUTH.NETより(2011-08-22)
    最近のアルバム制作と反対のことをやってたというジェイムズの話が非常に興味深いです。

    Metallica
    METALLICA

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    メタリカのブラックアルバム発売20周年記念のトリビュートCDがMetal Hammer誌の付録に登場予定
    Metal Hammer誌のブラックアルバム発売20周年記念トリビュートアルバムを試聴。

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    ボブ・ロックによるブラック・アルバムの全曲解説。
    前回の続きから最後の4曲の解説を管理人拙訳にて。

    ■Of Wolf And Man

    正直に言おう。最初はオオカミについて詞を書くなんてバカげたことだと思っていたよ。「へぇ、すごいね。オオカミについての歌か。いったい何が言いたいんだい?ピラミッドか何かについて書いた方がいくらかマシだよ」ってな具合さ。メタルがこんな領域にまで達したとき、私は違う方向に進むこととなった。

    それから、我々がジェイムズの歌詞にのめり込んでからは、この歌がバカげてなんかいないとわかったよ。現実感があったんだ。歌詞を反映するように曲に変化を加えることについて話し合った。時間はかかったよ。完全に行き着くかどうかわからなかったけど、ちゃんとたどり着けたんじゃないかな。

    ■The God That Failed

    これはジェイムズと私のあいだにあった氷を壊してくれた曲だね。我々のあいだには緊張が走っていた。だがたくさん話し彼のことを知るにつれ、この男はなんてたくさんのものを持っているんだって気付かされたね。

    「The God That Failed」は深いよ。宗教へのただの卑劣な言動なんかじゃない。彼は非常に複雑なやり方で主題に取り組んだんだ。気持ち的には「Nothing Else Matters」と同じくらいリアルだね。

    この曲でカークと取り組んだことは面白かったね。このレコード制作のあいだもそうだったんだけどね。彼がレコード制作最後の数週間にギター・ソロをレコーディングするためにやってきたと聞いた。私はすぐにみんなと話した。「これはやろうと思っていたやり方じゃない。彼は他のみんなのように、その場で演奏させるつもりだ。」

    はじめこそ、カークはこのアプローチはやりにくそうだったけど、乗り気になって、彼が考えたガイド・ソロをプレイしたんだ。多くの場合、こういったソロを含め、彼が最初に考えていたのは前のやり方を戻して、多重録音をするときに使うものだったんだ。彼は自然にやり方を学んでいったんだね。

    ■My Friend Of Misery

    この曲はほとんどジェイソンの曲だね。彼のイントロから始まった。この曲を制作していた大部分は曲を飛躍させ、本当に成功させるために素晴らしいリフを発展させることに費やされたんだ。そしてそれは成された。リフがどんどん高まっていく。かなりうまくいったね。

    この曲は雰囲気がすべてなんだ。そして、それはとても映画のような感じだね。メタリカは自分たちの力を、むき出しのパワーを知らしめるやり方を知っている。でもこの曲では、もっと雰囲気・空気感を使っている。不吉な感じっていうのかな。そういう雰囲気が効いているね。

    ■The Struggle Within

    この曲もだよ。最初はまったく理解していなかった何かに本当に没頭してしまう自分ってのに気付かされたね。闇とそれにまつわる感情の全て・・・主題はとても捉えづらくなっているよ。

    メタリカの世界にどっぷり浸かれば浸かるほど、取り扱うにはキツく、恐ろしく、楽しめるほどやさしくはない主題こそ彼らが探求せざるえないことなんだと理解するようになったよ。

    このレコード以後、私が共に仕事したこのバンドはまるで別物だったよ。でもそれは予想できたことさ。彼らは成長したんだ。彼らは大人になったし、父親にも夫にもなった。メタリカであることは彼らにとって今でも極めて重要だ。でもブラック・アルバムを制作していたときは、彼らにとってメタリカが全てだった。私はちょうどいい時期に彼らと仕事できたんだ。

    musicrader.com(2011-08-01)

    最後の方は曲の解説というより、ブラック・アルバムの制作を振り返る感じになっていますが、これもまた興味深い話でした。
    まさにそのとき出会ったからこそできたアルバムだったと思います。

    Metallica
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    プロデューサー、ボブ・ロックによるブラック・アルバム全曲解説(その1)
    プロデューサー、ボブ・ロックによるブラック・アルバム全曲解説(その2)

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    ボブ・ロックによるブラック・アルバムの全曲解説。
    前回の続きから4曲の解説を管理人拙訳にて。
    (今回はかなり和訳苦戦。。。)

    ■Wherever I May Roam

    実際、メタリカのメンバーたちは毎日のようにリフを生み出すことができた。できたリフの半分は信じがたいほど素晴らしかったんだ。彼らと付き合いだせば、まぁ、素晴らしいリフと(ディープ・パープルの)「Smoke On The Water」のような(古典的な)リフの違いを聴き始めることになる。メタリカはこのアルバムでいくつかのリフを持ち込んだ。なかでもこの曲は上位にくるだろうと思うよ。

    我々が素晴らしいリフから始まって、そこから歌全体に通じたテーマを届ける手助けをすることが私の仕事となった。部分部分にまで心血を注がなければならなかった。他の曲でもそうだけど、「Wherever I May Roam」の決定的瞬間は歌詞が完成したときに来たね。そのとき、全てが意味を成して、ひとつとなったんだ。

    (曲のオープニングで使用された楽器)シタールは私の手柄と言いたいところだが、あれはバンドのアイデアさ。あれは曲を美しくさせると思ったね。素晴らしい曲の素晴らしい要素だよ。

    <参考>ディープ・パープル 「Smoke On The Water」


    ■Don't Tread On Me

    私にとってこれは奇妙な曲だよ。ザクザク刻むリズム、行進しているような感じ、それが肝心なところだと私は思う・・・。「Don't Tread On Me」の怒りや政治的な立場っていうものに私は最初折り合うことが難しかったな。

    この曲は、作詞作曲に関して私が学んだ、ボン・ジョヴィやラヴァーボーイと本物との違いを象徴している。メタリカは私がこれまで出くわすことのなかった深みと情熱のレベルに達したんだ。

    それは偉人たちと直接会うことで得られるものだ。たとえその偉人たちが何に関して言っているのかわからなくても、それが意味するところは話すことができる。そして、あのように曲につながっていくんだよ。

    訳注:「Don't Tread On Me」への”政治的な立場”についてはこちらをご参考にどうぞ。

    ■Through The Never

    これらの曲について話して、メタリカについて何たるかを理解することで勉強になったことを思い出すのは、何だかおかしいね。

    彼らができうる限りのベスト・バンドでいられるよう手助けしているあいだ、私は彼らを動かしてきたことに対してたくさん洞察を得ることができた。毎日、彼らと私の両方ともに新たな発見があったんだ。

    「Through The Never」に関しては、私は良い点に気付くのに時間がかかった。しかし、いったん気付けば、こいつはかなりいいぞって思ったね。激しいパンク・ロックのヴァイヴがあるのがいいね。新しい影、新しい色、あれはエキサイティングだよ!

    以前、私は彼らが影響を受けてきたものは全てメタルだと思っていた。しかし彼らと話して彼らが(自分と)別の側面を持っていたとわかって本当にハッとさせられたよ。いったん彼らがどのようなところから来たかを理解すると、曲は全てに意味を成したんだよ。

    ■Nothing Else Matters

    ジェイムズが書いたものについて代弁することはできない。でも私にとっては、彼が「Love」という言葉を使わずにラヴ・ソングを書こうとしてできたのがあの曲だ。

    面白いよ。当時、私が知っていたあの男・・・彼は愛を確かに感じることができた。しかしそんな言葉を決して言うことはできなかった。ことさらメタリカの曲では。

    これが彼の才能だよ。彼に内在する全ての悪魔、全ての怒りにも関わらず、自身のやり方で表現することができ、それ(愛)を本当に意味することができたんだ。私はメタリカのベスト・ソングのひとつだと思うね。

    音楽的に我々は大きくしたかった。だが大げさにしたくはなかった。大きさと重みを望んでいた。しかし、80年代のメタル・バンドたちがやってきた趣味の悪いパワー・バラードはやりたくなかった。我々は大きく劇的にするアレンジが成功したんだ・・・でもそれは真の意味で大きく劇的にね。

    musicrader.com(2011-08-01)

    思い出していくだけで楽しくなっちゃう仕事というのが非常にうらやましい(笑)

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    ブラック・アルバム発売20周年を記念し、プロデューサーのボブ・ロックが解説。
    プロデューサー、ボブ・ロックによるブラック・アルバム全曲解説(その1)

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    プロデューサー、ボブ・ロックによるブラック・アルバム全曲解説。
    前回の記事をご覧になっていない方はまずこちらをどうぞ。

    ブラック・アルバム発売20周年を記念し、プロデューサーのボブ・ロックが解説。

    一気に日本語訳したろ!と思ってましたがあえなく挫折ということで、まずは4曲分を管理人拙訳にてどうぞ。

    ■Enter Sandman

    私はバンドがスタジオでライヴをするよう主張したんだ。彼らはそれまでそんなことはしたことなかった。これまで出したレコードは全て各セクションでそれぞれレコーディングしていたんだ。私は彼らにこう話した。「キミたちは素晴らしいライヴ・バンドだ。そのヴァイヴは今回のアルバムにとって極めて重要だ。」とね。「Enter Sandman」では、私はジェイソンにギタリストではなく、よりベーシストとしてプレイするようお願いした。ラーズのドラムが持つ新しい奥行きを押し出し、我々は曲に強烈なグルーヴを持たせたんだ。

    はじめは、音楽とリフを鑑みてバンドと彼らのマネジメントは、あの曲を1stシングルにしようと考えたんだ。それから彼らはジェイムズの歌詞を聴いて、乳幼児突然死についての歌だと気が付いた。その点はちゃんとチェックされていなかったんだ。

    私はジェイムズと座って、彼に歌詞について話した。「キミの持っているものは素晴らしい。しかしもっと良くなる。それほど文字通りの意味である必要があるかい?」ってね。私はあのシングルについて考えていたわけじゃなかった。

    私は彼に曲を素晴らしくして欲しかっただけさ。それは過程だ。彼が自分の望むことを言いながらも、より詩的な詩を書き、やり方を広げるためのね。彼はいくつかの歌詞を書き直して、それが全て盛り込まれたんだ。それが・・・1stシングルさ。

    ■Sad But True

    彼らは私にデモを聴かせてくれた。そして私は90年代版(レッド・ツェッペリンの)「Kashmir」だと思ったと彼らに告げた。あのリフには度肝抜かれたね。私の知る限り、彼らがあれほどヘヴィで、パンチが効いて、パワフルになったことはなかった。私が言えるのは、律動的にみて、あのリフのポテンシャルは間違いなくすごいってことだね!

    私たちは編集中、落ち着かなかった。なぜなら誰もこういった手の込んだやり方で彼らに自分たちの曲をやらせてしまうなんてことはかつてなかったからね。それまでも、そして「Sad But True」が出てくるまでの6曲のなかでも。それで突然気付いたんだ。この曲を含めて全ての曲でEのキーがあるってことに。

    私はバンドの注意をこの事実に向けさせた。彼らは言ったよ。「で、Eって一番低いキーだっけ?」ってね。だから私は彼らに私がプロデュースして、メタリカも好きだったモトリー・クルーの『ドクター・フィールグッド』を聞かせたんだ。モトリーはキーをDに下げていた。メタリカはそれからキーをDに下げたんだ。そうしたら、あのリフは本当にデカくなったんだ。この力は止めようがないね。なにがあろうとも。

    <参考>レッド・ツェッペリン 「Kashmir」


    <参考>モトリー・クルー 『ドクター・フィールグッド』
    dr_feelgood

    ■Holier Than Thou

    バンドはこの曲でいまだに私をからかってくる。なぜならこの曲がシングルになる見込みのある曲として私が目を引いた最初の曲だったからだ。歌詞なしのレコードの段階から曲を選び出すときに指摘すべきことは、まず最初に、曲そのものが私に語りかける何かなんだ。この曲はとても攻撃的な方向に揺さぶり、「メタリカ」と私に語りかけ感動させたんだ。

    レコード制作に没入していくにつれ、流れが変わって他の曲が開花してきて、「Enter Sandman」みたいに重要になってきたんだ。「Holier Than Thou」って曲がある一方でね・・・。素晴らしい曲だよ。シングルにならなかったけど。

    この曲のもつエネルギーとテンポが好きだね。致命傷をグサリとやられた感じだよ。メタリカと会うたび、いつも同じことを私に言ってくるんだ。「えっ?Holier Than Thou だって?」ってね。彼らはあのこと(はじめに目をつけた曲がシングルにならなかったこと)を拭い去ってはくれないのさ。返す言葉もないよ(笑)

    ■The Unforgiven

    ジェイムズがクリス・アイザックの「Wicked Game」にとても夢中になっていた。彼はヴォーカルの豊かで温かみのある感じが大好きだったんだ。この時点でジェイムズは歌いたかったんだよ。彼はそれまでたくさん叫んできていたわけだが、そういったものとは違う方向へ行きたくなったんだ。

    過去には、ヴォーカルをいつも二重奏にして歌った。(でも)ハーモニーを歌ってはこなかった。言ってみれば、違う曲をただ同じように歌っていたんだよ。でもこの二重奏の過程では個性は生まれない。本当に。実際、個性を失う機会が多いよ。なぜなら第1ヴォーカルが持つべき深みを第2ヴォーカルが与えられることを望まれてしまうからさ。

    私はジェイムズにこう話した。私たちはキミのヴォーカルをレコーディングすべきだ。でも自分の声をヘッドフォンで聴く代わりにスピーカーで聴いて欲しいとね。この違いは驚くべきものだった。彼は(真の意味で)歌を歌った。いつもと違うやり方で自身の声を聴くことで彼の声が全く新しい次元となったんだ。大きくて、深みがあって、温かみがある。そして目を引くものとなった。

    <参考>クリス・アイザック 「Wicked Game」


    musicrader.com(2011-08-01)
    コメントの返信はまた後ほど。。

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    ブラック・アルバム発売20周年を記念し、プロデューサーのボブ・ロックが解説。

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    早いものでメタリカがブラック・アルバムを発売してから20周年。。
    よくランキングネタなどを提供してくれるmusicrader.comが20周年記念としてボブ・ロックにブラック・アルバムについてインタビューしています。
    いつもどおりの管理人拙訳にてどうぞ。

    【ブラック・アルバム全曲解説】

    「楽しい、簡単なんてモンじゃないよ、レコードを作るってのは。」

    ブロデューサーのボブ・ロックは『ブラック・アルバム』として広く知られる、メタリカのセルフタイトルとなる5thアルバムについてこう語る。

    「まぁ自分たちは笑ってたけど、コトは簡単じゃなかった。これが終わったら、二度と一緒に働かないと彼らに話したくらいだ。彼らも私に同じようなことを感じてたよ。」

    1990年の秋、ボブ・ロックがメタリカとセッションを始めた頃、バンド(ジェイムズ・ヘットフィールド(vo, g)、ラーズ・ウルリッヒ(dr)、カーク・ハメット(g)、ジェイソン・ニューステッド(b))は既に1988年の『...And Justice For All』がプラチナムを獲得し、カルト・スターから一気にアリーナクラスのヘッドライナーとなっていた。

    「彼らはあるレベルまで切り開いてきた。だが、まだメインストリームのラジオではオンエアされていなかった。彼らが私のもとに来たとき、ビッグに、大物になって飛躍する準備は整っていたんだ。たくさんの人が私がバンドを変えたと思っている。私は変えちゃいない。彼らは頭の中で既に変わっていたんだよ。私と会ったときには。」

    ただ、ボブ・ロックがグループを上昇させる企てに何の手助けもしていないというわけではない。それまでのレコーディングで欠けていた豊かで大衆的な活力を与えた。レコーディング過程でラーズのドラム演奏の取り組みに関わった。ボブ・ロックはこう語る。「ラーズがジェイムズのギターに合わせてドラムをプレイしているのに気付いたんだ。ずっと(ザ・フーの)キース・ムーンがピート・タウンゼントとプレイしたようにしてたんだ。バンドによっては最適なんだけど、全てのバンドではないんだよね。」

    「ラーズはメタリカにもっとグルーヴを望んでいた。AC/DCの『バック・イン・ブラック』はグルーヴを持ち込んだロックのレコードという点においてかなり参考となった。私は彼にあんな感じを出すために、音楽的に焦点を合わせなければならないと彼に言ったんだ。それでいくつかの曲では、バンドはラーズの方を向いてプレイしたんだ。バンドが彼の後に続いてプレイしたんだ。あれは本当に違いが出たね。」

    一方、ジェイムズ・ヘットフィールドはさらに大きな変遷を遂げていた。そのなかには意義深い影響を持つものもあった。ボブ・ロックが言うには、「彼は自分の書く歌詞でさらなる深さを求めていた。彼は歌に重要性を持たせたかった。(そこで)私たちはボブ・ディラン、ジョン・レノン、ボブ・マーリーのような優れたソングライターについて話したんだ。そして彼は自分自身のための曲は書くことができるが、さらに他人をも感化させると理解したんだと思った。彼は苦しみもがいていた。でもソングライターとして、とてつもない躍進を遂げたんだ。」

    1991年8月12日にリリースされたブラック・アルバムはすぐに芸術的偉業として称賛された。初登場1位を獲得、「Enter Sandman」「Sad But True」「The Unforgiven」「Nothing Else Matters」「Wherever I May Roam」といったラジオのオンエア・ヴァージョンを加えたシングルを生み出した。商業的には、このアルバムは巨大なものとなった。売上げは圧倒的な2200万枚、メタリカは世界的なスーパースターとして確固たる地位を築いた。

    次のページから、(それでもなお、結果としてメタリカと5つものプロジェクトを一緒に行うこととなった)ボブ・ロックがリリースから20年を迎えたブラック・アルバムを振り返り、全曲解説を行っている。「私個人としては人生最大の成果かもしれない。」彼は続けて言う。「バンドも同じことを言うと思うよ。」

    musicrader.com(2011-08-01)

    以上はプロローグのみですが、参照記事のなかではブラック・アルバムの各曲についてボブ・ロックが解説しています。ちょっと日本語訳は力尽きたので続きはここかメルマガで(苦笑)

    ジャケットを真っ黒にしたのもAC/DCの影響かしら。。

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    ブラックアルバム、1991年以降で全米No.1売上げのアルバムに。
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    う〜ん。
    嫌な予感って当たるモンですね。。

    ファンとしては待つしかなさそうです。。

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    メタリカのニュー・アルバムのリリース日に関して、
    バンドの所属レーベルの関係者が9月へと“ふたたび延期”
    になったと発言したとの報道を受け、メタリカの所属事務所の
    代表がこれに反論した。

    StereoWarning.comのこうした報道に対し、同代表は
    Pulse of Radio に“事実上リリース日が決まっていない”ため
    “延期される”といった事実はないと語り、リリースの時期に
    ついては“準備でき次第”と明かした。

    メタリカは‘06年より9枚目となるオリジナル・アルバムの制作
    をスタート。以降、新作の曲作りとレコーディングに時間を
    費やしてきた。すでにバンドとしてのキャリアも25年を超えたが、
    刺激を保ち続けることはそう難しくはないとドラマーのラーズ・
    ウルリッヒ
    はPulse of Radioに明かしている。

    「“キャリア”とか“渇望”とかって言葉は、俺は使わない。
    むしろ“お楽しみ”みたいな言葉を使うね。自ら楽しみつつ、
    自制できる状態を保っている限りは、“キャリア”と呼ばれる
    ような日々とか、ビジネスとか、そういうのは単に過去の一部で
    しかないって感じだから。今はただ楽しんでやりたいってだけ。
    あまりに仕事っぽくならければ、刺激を受けるのもそう難しくは
    ないってもんさ」

    現在、15年間に及んだボブ・ロックとのコラボに終止符を打ち、
    新たにリック・ルービンをプロデューサーに迎えて新作の
    レコーディングを行なっているメタリカ。5月後半からは
    ヨーロッパの数々のフェスに出演する予定となっている。

    2007-1-25 vibe-net
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