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メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:ホラー映画

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    既報通り(関連記事参照)、カーク・ハメット所有の映画ポスターコレクション展「It's Alive」が2017年8月12日から開催されます。これに伴い、ボストンの地元FM運営のwburによる同展覧会のプレビュー記事を管理人拙訳にてご紹介。

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    1931年の傑作映画でのフランケンシュタイン博士の有名な喜びの叫びは、今、セイラムのピーボディ・エセックス博物館(以下、PEM)での新しい展覧会にぴったりのタイトルになった。
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    「It's Alive」はメタリカのリードギタリストであり、熟練のコレクターでもあるカーク・ハメットが数十年に渡って情熱をかけて集めてきた珍しいヴィンテージのホラー映画やSF映画のポスターを展示している。

    54歳になるミュージシャンは、気味悪くも素晴らしいポスターコレクションの種は早くにまかれたと語る。「5歳の時からホラー映画というジャンルに夢中になってきた」彼はそう振り返る。それは興味の入り口となった1962年公開の地球外の植物のような生き物が乗っ取りにかかる、背筋を凍らす白黒映画『The Day of the Triffids(邦題:トリフィド時代)』と出会った時のことだった。「あの瞬間から俺は夢中になったんだ」ハメットはそう語った。

    生涯に渡るファンとなった彼は1921年の『The Cabinet of Dr. Caligari(邦題:カリガリ博士)』から1979年の『Alien(邦題:エイリアン)』まで全てを網羅するオリジナルのホラー映画やSF映画のポスターを追いかけ、買い集め、保存することに取りつかれるようになっていった。

    100以上の新品同様の掘り出し物がPEMで展示される。こういった作品はほとんど現存していないため、(その価値を)証明するのだと語る。

    「これは俺の目標なんだ。過去25年くらいはこういった多くのポスター、特に1920年代と30年代のポスターには、どれだけ美しいデザインやグラフィックがあるかを認識を高めるものだった。」彼はそう語る。
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    『Dracula(邦題:魔人ドラキュラ)』『The Mummy(邦題:ミイラ再生)』『Frankenstein(邦題:フランケンシュタイン)』は1931年から1932年の1年半のあいだに公開された。彼らはモンスターの妻子というスピンオフ作品を生み出した。40年代には『The Wolfman(邦題:狼男)』があり、「50年代には『It Conquered The World(邦題:金星人地球を征服)』みたいな不気味なSF映画が全て登場したんだ」とハメットは私に語った。

    彼のリストはまだ続く。

    ハメットは、スタイル、感情、そしてマーケティング手腕に精通しており、ヴィンテージのポスターにそれを詰め込んだ。もしこれらの作品の表現と共に時間を過ごせば、そういったものも発見することになるだろう。

    彼はこれらの作品がロマンス映画が興行収入を支配していた時代に作られたがために意味があり、ただ良質な恐怖以上のロマンチシズムと優雅さを伝えると信じている。ポスターはビジュアルを伝えるタイムカプセルのようなものだ。これらは今日我々がシネコンで観るようなものは一切ない。

    HAM-085博物館のギャラリーに入ると、まず『Frankenstein』と対面することになる。彼の巨大な赤い色の顔は6フィート(約180センチ)ものフレームという境界から半開きの眼で目線を送る。

    PEMのキュレーター、ダン・フィナモアは「It's Alive」をこう説明する。「このポスターは唯一現存するものの一例です」20世紀のハリウッド映画のためにたくさんのポスターが作られたが、ほとんどは破棄されてしまったと彼は語る。

    「これら多くのポスターはユニークなんです。その多くは非常に希少なもので、他のものには利用できないため、ほとんどの人が観たとは思えない代物なのです。」

    この1931年の『Frankenstein』のプロモーション広告は、映写室に封印されたためにたまたま生き延びた。フィナモアが語るところによると、70年代に発見されたのは、労働者たちが壁を突き壊した時だという。キュレーターによると、他のオリジナルの『Frankenstein』のポスターはこれまで発見されていない。

    海洋アートギャラリーで通常働いているフィナモアは、異世界がテーマの展覧会のための面白いキュレーターのリーダーとなっている。

    フィナモアはPEMが情熱的なエネルギーで斬新な展覧会を創り出そうとしていると説明した後、海洋コレクターがフィナモアとハメットを繋いだと言う。「(海洋コレクターの)彼が笑い始めて『あんたが会うべき人を知っているよ』と言ったんです」フィナモアはそう振り返る。

    今、フィナモアは自身が作っている展示に自身を駆り立てている。『Frankenstein』のポスターの横に立ち、モンスターの消すことのできないイメージに驚いている。

    数歩離れると、緑色でしわくちゃの、防腐処理によって乾燥しひび割れた顔の1932年公開『The Mummy』の驚愕のポスターに魅了される。「非常に抽象化された色彩が重ねられています。リトグラフの黄色・オレンジ・赤のクレヨンの色彩が彼の後ろに広がっているけれども、彼は実際には静かにしているように見えるのです。」フィナモアはそう評価する。

    キュレーターにとって、これらの展示されたアートワークは、個人的な反応を呼び起こす力を秘めており、それこそが博物館の目標だ。

    「いくつかのイメージでは、展覧会を歩いてコレクションを見ていくと、以前に観たことがあると気が付きました。しばらく自分の脳に留まっていたんです。何年か前にこれを観た時には自分の記憶には残っていなかったのに。まだ脳の中にあったんですよ。それが魅力的なものだと分かりました。間違いなく効果的な広告ではありますが、大きな影響力のあるアートでもあるのです。」フィナモアはそう語る。
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    Original_Book_Images_-413フィナモアは、展覧会の説明をつけるため、何千ものハメット所有のポスターをくまなく調べ勉強したと語る。彼はホラーやSFファンを超えて、オリジナルの『The Mummy』や『Creature from the Black Lagoon(邦題:大アマゾンの半魚人)』や『The Crawling Eye(邦題:巨大目玉の怪獣/トロレンバーグの恐怖)』を観たことのない人たちにも伝わればと期待している。

    展示は、創造的なマーケティングツールとしてのポスターの進化を追っている。また冷戦時代のあいだにうつ病の不死身のモンスターから宇宙からの侵略者まで、社会的な恐怖がそれぞれの時代の映画のスクリーン上でどう繰り広げられていたのかを探っている。

    1951年の映画『The Day the Earth Stood Still(邦題:地球の静止する日)』で出てくる空飛ぶ円盤の音がギャラリーのある箇所でループ再生されている。ハメット所有の映画小道具や衣装のサンプルが遠くの惑星や汚れた沼地へと観覧者を誘う。また壁には映画のシーンが投影される仕掛けだ。

    しかし、フィナモアはこの展示はあくまでポスターが主役だと語る。メジャーのスタジオはアーティストが描いた作品に署名をすることを許さなかったため、これらのポスターに才能を注いだ彼らはほとんど知られていない。

    キュレーターは博物館のなかで一流のデザイン、油絵、リトグラフ技術に光が差すと考えている。

    「これらの作品たちは、適切に展示され、照明を当てられている。これはポスターが元々展示されていた状況とはまったく異なります。(そのままの展示では)あまりに多くのポスターがあるので、歩いていると人々は当たり前のように受け取っていたと思う。(こういう展示の仕方をすれば)これらの作品に反応して惹き込まれずにはいられないでしょう。」

    訪問者の反応に特に興味を持っているのは、最近PEMで働き出した神経科学者のスタッフ、テディ・アッシャーだ。興味深い?彼女は博物館が脳の研究とアートの共通点について意図的に関与する方法を探るために雇われた。

    「(作品を観て)『彼らの手は汗をかくのか?吐き気を催すか?』vs『実際に怖がっているか?』2つの反応を演技システムの反映として認識している」と彼女は示唆する。「それが私の好奇心の向かうところなんです」

    ハメットは自分のコレクションに反応する独自のやり方がある。

    「映画ポスターは音楽的なインスピレーションの絶え間ない源となっている。俺のギタープレイの多くはとてもダークなんだけど、これらの映画ポスターによってその滋養をもらっているんだ。」
    とメタルギタリストは語る。

    ハメットには『The Mummy』『Frankenstein』のポスターイメージが描かれたカスタムギターのコレクションもある。それらも展覧会で展示されている。しかし、これらがミュージシャンの家にある時、ハメットは弾きながらそれらの魅惑的な顔を眺めるのが好きなのだ。
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    「It's Alive」はPEMにて8月12日から開催される。8月19日にはハメットが出席して、サイン会とパフォーマンスイベントを行う予定だ。

    wbur(2017-08-11)

    PEMと姉妹館提携をしている大田区立郷土博物館によると、常設展には日本美術展示室もある模様。
    http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/kyoudohakubutsukan_pem.html

    今回の展示図録はネット販売されていますが、北米(アメリカ、カナダ)のみ対応とのこと。
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    https://pemshop.com/products/its-alive-classic-horror-and-sci-fi-movie-posters-from-the-kirk-hammett-collection

    【追記】
    会期中、同博物館にて、カークの出したコレクション本「Too Much Horror Business」のサイン付き特別帯添付版や限定のモンスターピンが発売されるとのこと。
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    2017年8月、ピーボディ・エセックス博物館にてカーク・ハメット所蔵の映画ポスター展開催

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    アメリカ北東部マサチューセッツ州にあるピーボディ・エセックス博物館(以下、PEM)にて、カーク・ハメット所蔵のSF映画やホラー映画のポスター展が開催されるとのこと。開催期間は2017年8月12日から同年11月27日まで。PEMの公式発表を管理人拙訳にてご紹介します。

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    最高のロックバンド、メタリカの有名なギタリストとして知られるカーク・ハメットは、古いホラー映画やSF映画ポスターの熱心なコレクターでもあります。視覚的に目を引く、これらのポスターは急成長を遂げたハリウッド黄金時代の有力な歴史的事物であり、ポスターデザイン自体が芸術そのものだった頃の時代を思い起こさせます。

    展覧会では90点の作品を通じて、ハメットの収集遍歴と共に彼がこのコレクションから自身のゴシックな創造性をどのように触発されたのかを追いかけます。ポスターおよび収集価値のあるエレキギター、モンスターのマスク、彫像といったその他の記念品は、該当する映画のクリップや、ホラー映画・SF映画の進化への洞察力と呼応するものとなっています。

    PEM(2016-09-16)

    以前にサンフランシスコ国際空港で行われたコレクション展よりも規模が大きなものになりそうです。(関連記事参照)

    ちなみにこの博物館、かつて日本の大森貝塚を発見したモース博士が館長を務めていたそうで、その縁で大田区立郷土博物館が姉妹館提携されているとのこと。

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    ESPギターがカーク・ハメットのニューモデルギターLTD版の「Nosferatu」を300本限定で発売するとのこと。

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    1922年に公開された、カーク・ハメットが大好きなホラー映画『Nosferatu(邦題:吸血鬼ノスフェラトゥ)』の幻のオリジナルポスターがプリントされた特別モデル。ギターケースは墓石仕様。
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    昨年暮れにはカークの運営する「KVH Toys」からカークのサイン付きで13本限定で発売されていました(関連記事参照)。詳しい仕様についてはESPギターのページからご確認を。

    http://www.espguitars.com/products/17042-kh-nosferatu?category_id=1963398-kirk-hammett

    【追記】
    今年になってすでに発売されていました。最新ニュースではなく失礼しましたm(_ _)m
    http://www.digimart.net/search?category12Id=359&keywordAnd=nosferatu&x=0&y=0

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    前回の続き、ホラー映画関連のコレクターとしての顔を持つカーク・ハメットをインタビューした記事の後半を管理人拙訳にて。

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    家では、ハメットは友だちや従兄弟とモンスターで遊んでいた。彼のお気に入りのおもちゃはオーロラ社のモンスターモデルだった。暗闇で光る「Frightening Lightning」シリーズが出ると、彼は買い求めた。本の中でハメットは、初めて買ったのはフランケンシュタインの怪物だと語っている。彼は出来るだけ映画に近づけようと塗装を施した。次から次へとモデルを買い込み、彼が早めに寝ようとすると、光るクリーチャー・コレクションを凝視できるほどだった。しかし、彼は自分のモンスターモデルが大好きだったのと同じくらい、それらをぶち壊すことも大好きだったのである。

    「こういうことをするのは俺だけじゃないってことはわかっていたんだ。」ハメットは振り返る。「お風呂に入ろうとして、消毒用アルコールをみつけては、モンスターモデルにそいつをふりかけて、火を点けるんだ。モンスターの手にはテープで爆竹を括りつけて、火がついたら、爆発さ。火の点いた爆竹と一緒に屋根に投げ込んだり、手作りのパチンコで宙に舞わせたりしたこともあった。考えうるものは何でも、あのモンスターモデルにしでかしていたんだ。大はしゃぎさ。結果として、俺はモンスターモデルを全部ひとつずつ買っていたし、少なくとも7、8回以上は買っていた。組み立てて塗装するのも大好きだからね。キャラクターは大好きだったし、それをぶっ壊すのも大好きだった。一番のお気に入りはオペラ座の怪人だね。片腕を挙げて、手にマスクを持っているポーズなんだ。彼からマスクを取り上げて、そこに爆竹を持たせるのさ。俺たちはなるたけ破壊的になろうとしていたのさ。」

    ハメットが12歳の時、家族はサンフランシスコから20マイル離れたベイエリア、カリフォルニア州リッチモンドの隣にある小さな郊外の町、エル・ソルブランテに引っ越した。「全く突然のことで、俺は都市に住むっていう資質を持ち合わせていなかった。一番近いコミック本の店は少なくともバスで1時間半かかるバークレーにあった。だから俺のコミック本集めには大打撃だったよ。俺は模型のロケットを作ったり、音楽を聴いたりし始めた。」

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    メタリカとしてライヴに臨むハメットはユニバーサルの1930年代モンスター映画の希少なポスターを元にした4つのESPギターを弾いている。「The Mummy」ギターが一番人気だ。(サンフランシスコ国際空港ミュージアム写真提供)

    10代前半で、ハメットはレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、シン・リジィ、クリーム、ZZトップ、レイナード・スキナード、サンタナ、ブラック・サバスといったレコードを集めるのに執心の向き先を変えた。ある夏、彼は地元の映画館でジミ・ヘンドリックスのドキュメンタリーを見て、永遠に彼の人生を変えることとなった。15歳の誕生日の1ヶ月前に、初めてのギターを買い、1979年に16歳でベイエリアで急成長するスラッシュメタル・ムーブメントのなかで最も影響力のあるバンドのひとつ、エクソダスを結成した。

    メタリカがリードギタリストのデイヴ・ムステイン(その後メガデスを結成することとなった)を1983年に解雇すると、他のメンバーたちはデビューアルバム『Kill 'Em All』のレコーディングのためにバンドに加入してもらおうと20歳のハメットを誘った。本の中でハメットは、とりわけ彼と同じくらいホラー映画、ビクトリア朝のホラー作家H.P.ラヴクラフトが大好きだったメタリカのベーシスト、故クリフ・バートンと親密になったと語る。そしてバンド全員でアルバム制作中にドライブインシアターで『死霊のはらわた(原題:The Evil Dead)』を観に行った。

    「14歳から始まったんだ。俺は音楽に熱中した。ギターを弾いていない時はリハーサルに行っていた。リハーサルでもなく、ギターを弾いてもいない時はライヴをやっていた。その3つともやっていない時は旅をしていた。それはホラー映画への興味より人生の優先順位で上にあったんだ。でもまだ空き時間にはホラー映画を観に行っていたよ。あちこちでコミック本やモンスターマガジンをひっつかんでいた。16歳の時にホラー映画のファンジン「Fangoria」が出たら、読み始めていたし。音楽に深く入り込んでいった時でさえね。白が黒になるような変化じゃなかった。俺はまだこのジャンルに足を洗っていなかったんだ。でも以前ほどは多くの時間をそこに割けなくなっていたよ。」

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    これらは1943年のベラ・ルゴシ主演の『吸血鬼蘇る(原題:The Return of the Vampire)』で、太陽の光を浴びて吸血鬼の頭が溶ける前と後を現した小道具だ。(サンフランシスコ国際空港ミュージアム写真提供)

    メタリカの『Ride The Lightning』が1984年の7月にメガフォースから発売されると、バンドメンバーはわずかではありながらもアルバムの売上げから2ヶ月の一度の給与小切手を受け取るようになった。

    「たくさんのお金じゃなかったけど、またコレクションを始めるには充分だった。再びコミック本を買い求め、おもちゃを集め始めた。おもちゃショーやコミックショー、骨董見本市に行き始めるようになったよ。地元の質屋やフリーマーケットも尋ねるようになったしね。1986年頃(メタリカが『Master of Puppets』のツアー中)には、ツアーで廻っているあいだにコミック本の店、骨董屋、おもちゃ屋を探していた。あとは知っての通り、俺はすっかりまたホラーコレクターモードになったってわけ。子供の時みたいに。止められないね。1984年頃から、音楽と家族とサーフィン以外の、俺そのものなんだ。俺はホラー映画愛好家なのさ。」

    メタリカのアルバムタイトルの多く(『Kill 'Em All』『Master of Puppets』など)は偉大なホラー映画そのもののような響きだ。

    高く評価された1989年のアルバム『...And Justice For All』の収録曲「One」のミュージックビデオは、1971年の反戦映画『ジョニーは戦場へ行った(原題:Johnny Got His Gun)』を編集したものだ。そのなかで、第一次世界大戦に従軍したアメリカ兵が砲弾を受けて腕と足を切断され、目と耳と口と鼻を破壊された。痛ましく、切り分けられた歌詞は映像に結びついている。「Darkness imprisoning me / All that I see / Absolute horror / I cannot live / I cannot die / Trapped in myself / Body my holding cell」2年後、メタリカはシングル「Enter Sandman」をリリースした。子供の悪夢に関する曲だ。ハメットによって書かれた耳に残るギターリフを元に、TOP20のヒット曲となり、無限の称賛を受けた。間違いなく、ハメットのホラーと音楽への愛は深く結びついている。

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    ハメットはバジル・ゴーゴーによるオリジナル画を持っている。例えばこの「Famous Monsters of Filmland」の表紙を飾った太陽の怪物のように。(訳注:映画『太陽の怪物(原題:The Hideous Sun Demon)』)(『Too Much Horror Business』とサンフランシスコ国際空港ミュージアム写真提供)

    「俺の人生全体の視点はホラー映画が色濃く反映している。自然と自分に流れるあの感覚と、湧き出る自分を音楽へと結び付けてきたんだ。四六時中暗いものを聴いていた。俺はじっと座って楽しい曲を弾くなんてタイプじゃない。独りでいるときも子供といる時でさえもね。俺は子供たちに言うんだ。「ほら、前に聴いたことのないこのクールなブラックサバスのリフをやってみよう。」とか「ねぇこれお化け屋敷みたいな響きじゃない?」とか「ほら、これはゴジラが東京で闊歩しているみたいな音だよ」ってね。だから当然、俺はマイナーキーな感じで生きてきた。ホラー映画はマイナーキーなんだ。」

    実際に、1960年代後半に初めて登場したヘヴィメタルのジャンルの多くのバンドが、不穏なサウンドとホラー映画のイメージを楽しんできた。オジー・オズボーン率いる先駆的メタルバンド、ブラック・サバスはその名前をボリス・カーロフ出演の1963年伊仏共同制作のホラー映画から取っている。また有名なモンスター・チューン「Iron Man」を生み出した。アイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、スレイヤー、アンスラックス、メガデス、モービッド・エンジェルのようなバンドたちは皆、ホラー映画とオカルトからインスパイアを得た曲を演奏している。それはペンタグラムや溶けた骸骨、墓守、血まみれのナイフ、業火、角の生えた悪魔で彩られたアルバムジャケットに目を移しても明らかだ。『Too Much Horror Business』の中でハメットはこう語っている。「ヘヴィメタルをプレイしたり聴いたりしている人たちはホラー映画を理解できるよ。光と影の具合の全てが同じだからね。」

    こういったミュージシャンたちがTVで「Creature Feature」でB級ホラー映画を観て、おもちゃ屋でモンスターマニアを買って育ったという事実と関係しているかもしれない。しかし、1960年代のヒッピーカルチャーの燦然と輝く精神である「ラヴ&ピース&ミュージック」に対する反発の可能性も否めない。

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    映画『恐怖城(原題:White Zombie)』で使われたオリジナルのベストとジャケットを身につけたベラ・ルゴシ像と(訳注:オカルトの著作を数多く残した)アレイスター・クロウリーをおおまかになぞった悪魔崇拝の立案者についての映画『黒猫(原題:Black Cat)』の衣装を身につけたボリス・カーロフのマネキンのあいだに立つハメット。(『Too Much Horror Business』より)

    「言っておかなきゃならないのは、子供の頃にサンフランシスコに住み、サイケデリックなもの、どこでも靴を履かない長髪のヒッピーたちを見てきたってことだ。みんな裸足なんだ。狂ってるよ。理解できなかった。たとえ両親がそれを受け入れたとしても、俺自身の感性とは反していた。たぶん脊髄反射で、俺は別の方向、よりダークなものへと進んだんだろうな。俺はビートルズファンじゃないんだ。なぜかって?いつだってハッピーすぎるサウンドだからさ。彼らが気分が落ちて攻撃的になったとしても、俺がそれを聴くとまだハッピーな色彩を帯びているんだ。それは・・・ウゲッ!って感じ。」

    現在、フランケンシュタインの頭の形をしたスピーカーや子供の時には買う余裕のなかったたくさんのおもちゃのように、1960年代から70年代作られたいくつかの途轍もないほど素晴らしいモンスターのおもちゃを持っている、ハメットはそんな熱狂的ホラーファンなのだ。また彼はホラー映画のオリジナル衣装を着たベラ・ルゴシ、ボリス・カーロフの等身大フィギュアやモンスター映画で使われた頭や手を含むオリジナルの小道具を持っている。なかでも『吸血鬼蘇る(原題:The Return of the Vampire)』で吸血鬼アルマンド・テスラが太陽の光を浴びて溶けてしまう過程を描いた2つの頭部は最も魅力的なものだ。ハメットの家の壁には、バジル・ゴーゴーの描いた「Famous Monsters」の表紙イラストやジェームス・バマの描いたオーロラ社のモンスターモデルのパッケージイラストのオリジナル・アートが掛かっている。

    しかし、彼が扱うなかで最も熾烈な分野は映画ポスターの世界だ。1920年代から30年代の(劇場で使用される非売品の)オリジナルポスター映画の半シート、ワンシート(訳注:27×41インチ)、2シート、3シート、6シートサイズ、折込広告、小型ポスター、ロビーカードはとても貴重で、偽造者が高品質のインクジェットプリンターを使ってフランスの石版印刷の見た目を複製する方法を編み出したほどだ。本の中でハメットは、いかにしてオークションハウスから電話がかかってきたかという話をした。オークションハウスが言うには、彼が買った映画『フランケンシュタインの復活(原題:Son of Frankenstein)』の小型ポスターを偽物とにらんだFBIから連絡を受けたというのである。彼は犯罪科学調査のためにオークションハウスにポスターを返送しなければならなかった。

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    1922年にドイツの吸血鬼映画『吸血鬼ノスフェラトゥ(原題:Nosferatu)』が登場すると、ブラム・ストーカーの未亡人は著作権侵害で訴えた。裁判所は映画フィルムと宣伝材料を破棄するよう命じたが、この希少なポスターはすでにスペインへと出荷された後だった。(『Too Much Horror Business』より)

    1930年代のオリジナルポスターを探すとなると、多くの場合、モンスター映画華やかなりし頃のユニバーサル映画に携わった人たちに連絡することを意味する。ハメットは売買で「有名税」を課せられないようコレクター友だちの助けを借りる。つまり売り手は取引相手が有名人と知るやしばしば価格を吊り上げることがあるのだ。そんな世界にも関わらず、ハメットは自分がいるべき場所をようやくみつけたと感じていると語った。

    「映画ポスターコレクターのネットワークは全く機能してないし狂ってるよ。俺がこれまでに会った中で最高に狂ったコレクターやディーラーは、映画ポスターのコレクターとディーラーだね。こういうディーラーたちはゴールドラッシュの熱にでもやられているみたいなんだ。5本の指に入る価値のポスターを見つけると突然、金の卵でも見つけたみたいに振舞うのさ。まぁたしかに金の卵を見つけたんだろう、でも異様だよ。俺はそんなヤツらがあるポスターを入手した途端に人が変わってしまったのを見てきた。もっとポスターを買うために現金が必要だからと二重三重の抵当に入ってるコレクターもいるんだ。映画のポスターのこととなると冷酷無慈悲な人たちがいることを知っている。そういう人たちはポスターを手に入れるためには母親だって売り渡すんだ。」

    彼はこう続ける。「俺はこう思うんだ。「うわぁ俺と同じくらいトチ狂ってる人たちの集まりをついに見つけたぞ」ってね。俺は完全に映画ポスターコレクターマニアにぴったりなんだ。他のみんなと同じくらい同じ素晴らしいポスターが欲しい。結果として、こういう人たちに(自分が欲しいポスターのことを)話すことができないから、俺の友だちみたいに仲介者をやってくれる、ちょっと駆け引きのうまい人たちが必要なんだ。彼はこういった映画ポスターに付き物のすべての気質、機能不全、情熱といったものと折り合うことができるからね。」

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    1932年の『ミイラ再生』のワンシート・オリジナルポスター2つのうちのひとつは(ドルで)6桁で売られた。ハメットはいずれも持っている。(『Too Much Horror Business』より)

    『Too Much Horror Business』ではニュージーランドにいる男からメッセージを受けたこの友人の話が詳しく描かれている。その男は、1930年代の各2種類の『フランケンシュタインの花嫁(原題:The Bride of Frankenstein)』『女ドラキュラ(原題:Dracula’s Daughter)』『大鴉(原題:The Raven)』『透明光線(原題:The Invisible Ray)』の半シートポスター8枚を持っていた。映画のプリントやポスターを配給するユニバーサルポスター取引所の従業員がかつて使っていた家を改築しているあいだにポスターを見つけたのである。屋根裏部屋で断熱材として使われていたのだ。本ではダウコーニング社の繊維が導入される前には古紙が一般的な断熱材だったのだと説明する。別の希少な『成吉思汗の仮面(原題:A Mask of Fu Manchu)』の折込広告が昔の映画館のカーペットの下から発見された。その人物はこの映画館からソーダ汚れ等を除去して元の状態に戻すために600ドルを費やした。

    ハメットのコレクションのなかでとりわけ貴重なポスターは、ブラム・ストーカーの1987年の小説『ドラキュラ(原題:Dracula)』を不認可のままドイツで脚色した1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ(原題:Nosferatu)』のものだ。ストーカーの未亡人は映画会社と監督を訴えた。裁判所は彼女に有利な判決を下し、映画会社に『吸血鬼ノスフェラトゥ』の全ての宣伝材料を破棄するよう命じた。しかしハメット所有の『吸血鬼ノスフェラトゥ』のワンシートポスターは判決前にスペインに出荷されたのだ。ほんの一握りのものだけが現存していることで知られている。

    本の中で、ハメットのアシスタントは何ヶ月もかけて、大金と引換えに正確なレプリカを制作するため、1932年の映画『ミイラ再生』で使われたワンシートポスターの複製版の所有者に働きかけたことを振り返っている。後の複製とは異なり、オリジナルのワンシートポスターにはボリス・カーロフの顔の隣に「It comes to life!」と走り書きされている。メタリカのステージで、ハメットは『フランケンシュタイン』『ドラキュラ』『フランケンシュタインの花嫁』のオリジナルポスターを元にしたカスタムメイドのESPギターを使っているが、この希少な『ミイラ再生』のポスターからインスパイアされたギターはファンから最も人気がある。

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    (串刺しの心臓の入ったマティーニを手にしている)ジェームス・バマのドラキュラが運転する絵はオーロラ社のドラキュラのドラッグスター・ホットロッドモデルのパッケージイラストとして描かれた(『Too Much Horror Business』より)

    「映画ポスターの世界に長くいればいるほど、ますます(掘り出し物が)現れ続ける。『フランケンシュタイン』の6シートサイズのポスターが見られるなんて思ってもみなかったし、驚いたことに1つは現存するんだよ。今はインターネットがあるから、誰かが45年間壁に貼ってあった映画のポスターをみんなが実際に見てこう言ったりするんだ。「おぉ、それ何か知ってる?『モルグ街の殺人(原題:Murders in the Rue Morgue)』のワンシートポスターだよ。数千ドルの価値はあるかもしれない。」それでどうなるかって言うと、所有者はネットを見て数千ドル以上の価値があるってことに気がつくのさ。結局のところ、そういうことが通常は俺たちコレクターや映画ポスター収集の世界にとって助けになっているんだよ。」

    メタリカのツアーに出ていない時、ハメットはサンフランシスコで妻のラニと2人の幼い息子、エンジェル・レイとヴンツェンツォと暮らしている。もちろんハメットは『人類SOS!(原題:The Day of the Triffids)』をテレビで観た運命の日から見出したモンスターマニアの楽しみを子供たちに教えている。

    ハメットはまたこう語る。「俺は完全にこういった類のこと全てにおいて息子たちを洗脳しているよ。言っておかなきゃならないのは、身勝手な理由のためにそれをやっているってことだ。俺が死んだ後、誰かがコレクションを管理しなきゃならないからね。彼らには(コレクションを)どう扱っているか知っておいて欲しい。全てが意味のあることだから。それさえ知っておいてくれれば、俺が死んだ後で彼らが一緒にコレクションを維持していくのか、散逸してしまうか、どう決めようと構わない。」

    しかしその時が来る前に、ハメットはさらに本を出し、FearFestEvilを催し、展示会を開き、そしてモンスター博物館を作る計画を持っている。「最終的にはこういったもののために恒久的な場所を見つけて、世界中の人たちが見に来られるようにしていきたいね。」メタリカ最優先だが「俺はこれまでホラーの世界と関わってきた。そして今日までその世界を愛してきたんだ。」

    Collectors Weekly(2015-10-06)

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    ホラー映画関連のコレクターとしての顔を持つカーク・ハメットをインタビューした記事を管理人拙訳にてご紹介。インタビューとあわせてホラー映画の歴史もおさらいしている長文記事ですのでマニアックな点を覚悟してどうぞ。

    hammett_monsters_kids
    メタリカのリードギタリストと息子、エンジェル・レイとヴィンツェンツォが彼のモンスターコレクションで遊んでいるところ

    メタリカのリードギタリスト、カーク・"リッパー"・ハメットが5歳の時、腕を捻挫し静養していた。両親は彼をテレビの前に居座らせていた。バックス・バニーの漫画に出てくるマラソンといったものは完璧な気晴らしになると考えることだろう。しかし、幼いハメットが腕の痛みを忘れられたのは、大きくなった肉食の宇宙植物が人間を恐怖に陥れるという映画『人類SOS!(原題:The Day of the Triffids)』を観に行った時だけだった。そして彼は恐怖というスリルを発見したのだ。

    6歳になって『フランケンシュタイン』を父親と観た時に彼のモンスター映画に対する愛は固まった。「俺は「フランケンシュタイン」に釘付けになった。」ハメットは電話越しにこう語った。「俺にとってこの世のものでないものがいっぱいだったんだ。ジェイムズ・ホエール監督のモノクロでシュールで印象派みたいな映画の様相だったり、ジャック・ピアスの素晴らしいメイクだったり、ボリス・カーロフの信じられないほど素晴らしい演技だったり、言うまでもなくストーリーそのものだったりがね。俺はただただ心奪われた。そこから、「モンスターマガジン」とかホラーコミックとかオーロラ社のモンスターフィギュアを買い始めた。子供だったから使えるお金は多くはなかったけど、あちこちでお金を稼ごうとしてやりくりしていったんだ。」

    現在52歳のハメットは10代で音楽と恋に落ちたわけだが、それはホラー映画への強迫観念を衰えさせたわけでは決してなかった。メタリカが1980年半ばにいくらかのお金が入り始めた頃、彼はモンスターマガジン、マスク、コミック本、子供の頃のおもちゃをもっと真剣に買い集め始めた。やがて、存在が確認されている最も希少なホラー映画のポスターや映画で使われた小道具などを買い集めて、ハメットはホラーメモラビリアの分野においてトップコレクターの一人となったのである。最近では、志を同じくする愛好家と繋がることを期待して、世界に自分のコレクションを共有し始めている。

    hammett_monsters_poster_dayofthetriffids
    1962年の映画『人類SOS!』に出てくる人食い植物が子供の頃にどれだけ彼を怖がらせたのかハメットは今笑って話す。

    2012年に彼は『Too Much Horror Business』というコレクションを載せた本を出版し、翌年デトロイトで行われたメタリカ主催の2回目の「Orion Music + More」フェスティバルでホラーメモラビリアのいくつかを展示した「Kirk's Crypt」を創り上げた。「Kirk's Crypt」は、2014年に地元サンフランシスコで全3日間のホラーコンベンション「Kirk Von Hammett's FearFestEvil」を始めるきっかけとなった。毎年行われるこのイベントは双方向なディスプレイを特色としていて、ハメットのモンスターコレクションの他、カーカス、デス・エンジェル、ハメットがメタリカ以前にいたバンド、エクソダスといったメタルバンドのパフォーマンス、ゲストには現代のホラー俳優、監督、特殊メイクアーティストばかりか、古典的ホラー映画のスターであるボリス・カーロフやベラ・ルゴシの子供たちもそこに含まれていた。現在、サンフランシスコをヴァージン航空かアメリカン航空で経由する旅行者はハメットのホラーコレクションの一部をサンフランシスコ国際空港内にあるミュージアムで行われている「Classic Monsters: The Kirk Hammett Collection」の展示を第2ターミナルで目にすることができる。

    ハメットはサイケデリックな60年代のサンフランシスコ、激動の文化的背景にあった危険な隣人の住むミッション地区で育った。『Too Much Horror Business』の導入部では、ホラー映画が自分を和ませる不気味で夢のような情景という別の世界へと連れて行ってくれたのだと説明している。

    自分をのけ者として認識し、チャールズ・アトラスの広告で顔に砂を蹴り上げられるような痩せっぽちになるかもしれない(※訳注1)と恐れていた。本のなかで、音楽ジャーナリストであり共著者でもあるステファン・チラジに彼は語っている。彼はとりわけ、父親と繋がりを持ちたい誤解されたはみ出し者であるフランケンシュタインの怪物に共感を感じていた。ハメットは自身の父親との関係について「強くはなかった」からだ。彼は従兄弟の持っていた狼男のマスクを被った時、力がみなぎり、人生をコントロールし、いじめっ子に対して仕返しをする能力を感じたのである。

    「信じられないかもしれないけど、俺は完全に内向的な人間なんだ。」ハメットはこう語る。「みんなはステージ上の俺を見たり、5万人を前に顔色ひとつ変えずに出て行くのを見たりしている。でも俺はそれに慣れているというだけだ。俺の家族の歴史からして、いつもアウトサイダーみたいに感じていた。とても静かで敏感な超恥ずかしがり屋の子供だった。いろんな状況に適応すべく苦労していた。自分をモンスターのように感じていたよ。俺がスクリーンで観たモンスターが経験していたことの多くが、俺自身の生活の中でもあったんだ。」

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    1931年の『フランケンシュタイン』のフランス版のパネル。ハメットはこの怪物の「孤独と悲しみの状態」を強いられていたと書いている。

    ヘヴィメタルのアルバムジャケットをランダムに参照してみると、ハメットだけがモンスター好きなのではないことは明らかだ。のけ者と逸脱した行為の魅力は、映画の歴史を通じても連綿と続いている。サイレント映画時代には、1920年のドイツ表現主義映画『カリガリ博士(原題:The Cabinet of Dr. Caligari)』、同じく1920年のアメリカ映画『狂へる悪魔(原題:Dr. Jekyll and Mr. Hyde)』、ドラキュラにインスパイアされた1922年のドイツ表現主義映画『吸血鬼ノスフェラトゥ(原題:Nosferatu)』といった映画にみられる、荒涼としたビジュアルと誇張された顔の表情、ビクビクさせる弦楽器、大きな音を奏でるオルガンが邪悪を意味していた。

    ユニバーサルスタジオは 社会不適合者がモンスターとみなされる映画の魅惑的な可能性に気付き、1923年にロン・チェイニー主演で映画『ノートルダムのせむし男(原題:The Hunchback of Notre Dame)』を発表した。その後数十年に渡るホラーフランチャイズの初めてのモンスター映画である。2年後、ユニバーサルはチェイニーを雇い、別の冷酷で醜いのけ者を『オペラ座の怪人(原題:The Phantom of the Opera)』で具現化した。

    しかし、トーキー映画が1930年代に大流行してからユニバーサルはBIG3を公開した。1931年のベラ・ルゴシの『魔人ドラキュラ(原題:Dracula)』、1931年のボリス・カーロフの『フランケンシュタイン(原題:Frankenstein)』と1932年のカーロフ主演の『ミイラ再生(原題:The Mummy)』である。当時、喋る映像を見るという体験(実際に映画を観に行くという体験そのもの)は観客にとって目新しく、こういった映画と初歩的な特殊効果を純粋に怖がっていた。しかし、1933年には、監督たちが自分たちの作品をちょっと意識したユーモアを差し込んでいくようになる。『透明人間(原題:The Invisible Man)』や『フランケンシュタイン』の続編となった1935年の『フランケンシュタインの花嫁(原題:Bride of Frankenstein)』のように。1940年代、50年代にはユニバーサルは2つの愛すべき獣たちを公開した。ロン・チェイニー・ジュニア主演の『狼男(原題:The Wolf Man)』と『大アマゾンの半魚人(原題:Creature From the Black Lagoon)』である。

    hammett_monsters_draculagroupingSFO
    ハメット所有の1931年の『魔人ドラキュラ』関連のおもちゃコレクション。財布、キャンディーボックス、ペイント・バイ・ナンバー・キット(訳注:下絵に書かれた数字の色と同じ絵の具を塗っていくだけで上手な絵が完成するキット)、パズル、ランチボックス、オーロラ社の「Frightening Lightning」モデル、ボードゲーム、そしてオーロラ社のドラキュラのドラッグレースドライバー版。(サンフランシスコ国際空港ミュージアム写真提供)

    第二次世界大戦の直後と冷戦初期には、巨大化した放射能による突然変異体や邪悪な異星人、宇宙ロボットといったものが、核技術と宇宙開発についてのアメリカの妄想を表していた。テレビが普及し、映画館では1959年の『ティングラー/背すじに潜む恐怖(原題:The Tingler)』のようなB級ホラー映画で10代の若者が映画を見に来るように思いつく限りのプロモーション・ギミック(※訳注2)を採用した。一方、1954年の『Seduction of the Innocent』(訳注:コミック本の悪影響を説いた精神科医の著書)はパニックを引き起こし、議会の公聴会が開かれるまでに至った。『Tales From the Crypt』のようなゾッとするコミック本が若者を破滅させ、非行に走らせると信じられていたのである。出版業界の新しいコミック自主規制コードに直面して、ECコミックは1955年にホラータイトルの出版を断念した。

    1957年(ホラーフランチャイズを畳んでわずか数年後)、ユニバーサルスタジオはモンスター伝説を強化する方法を編み出した。不気味な映画をテレビ局へ「Shock Theater」というパッケージで配給したのだ。テレビ局は映画を紹介するために、LAのKABC-TVで吸血鬼にインスパイアされた古くさい衣装を着た司会者を雇うことになった。1960年代には、こういった番組が通常金曜日か土曜日の夜8時以降に放送され、「Creature Features」として知られるようになる。1958年に創刊された「Famous Monsters of Filmland」のような雑誌は、この現象の人気を増幅させた。

    その頃には、1930年代から1950年代の古典的なユニバーサルのモンスター映画は、もはや大人にとって怖がったり、動揺したりするようなものではなかった。しかし子供にとっては不気味で古くさいけど面白いハロウィンのご褒美のようなものだった。1961年、オーロラ・プラスティクス社は自分で塗装する初のモンスターモデルキットを発売した。映画『フランケンシュタイン』に基づいたこのモデルは、あまりに子供たちに人気があったため、需要を満たすべく24時間操業で製造しなくてはならなかった。1962年には、ミュージシャンで俳優のボビー・ピケットがハツラツと歌う変わった曲「Monster Mash」がビルボードチャート1位になった。すぐに店のおもちゃコーナーには、石けん、首振り人形、ボードゲーム、パズル、的あてセット、リモコン、ペッツ・ディスペンサ(訳注3)、工作キットの広い範囲で想像しうる全てのモノがモンスターで埋め尽くされた。

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    「The Horror of the Seven Seas」は希少なプラモデル製造会社だ。ハメットはこう記している。「血が飛び散る帆と肉体のない幽霊のような頭が、このおもちゃでバスタブのなかではしゃいじゃうとても良い時間になるように見えるんだ!」(『Too Much Horror Business』より)

    モンスターマニアが1960年後半に広がった頃、6歳のハメットも(その方面に)取りつかれていた。『Too Much Horror Business』で詳しく述べられているが、ミッション地区のカトリックの学校へと通いながら、彼はみんながモンスターやマッドサイエンティストに出くわすことを想像していた。毎日、ハメットの両親は牛乳とドーナツを買うために25セントを彼に与えていた。彼はその25セントをポケットに入れると、放課後に「Creepy」「Eerie」といったモンスターマガジン(こういった雑誌は本当のところ、コミック自主規制コードを回避する手段として「雑誌」として再パッケージ化されたホラーコミック本であった)、そして映画に焦点を当てた「Famous Monsters of Filmland」「The Monster Times」といった出版物を買うのである。いわゆる「モンスターキッド」として、彼は授業中に学業をする代わりにこれらのコミック本を読んでいたのだ。

    ハメットも土曜日はきまって「Creature Feature」をテレビで観ていた。ハメットが本の中で説明するには、週末、両親が飲んで奇妙な行動を取る麻薬にイカれたヒッピーたちを家に泊めていた時、彼はミッション地区23番通りの大劇場の昼興行の3回公演に逃げ込んでいた。

    「当時、サンフランシスコのミッション地区は安全な場所じゃなかった。」ハメットはそう語る。「今はそうじゃなくなってる。今じゃ完全に高級住宅地化されているし、都会派の人たちとドットコム企業で占められている。当時を振り返ると、どこにでもギャングがうろついていたし、子供は昼食代を盗んだり、単にぶん殴ったりするために外を出歩いていた。でも映画館は俺にとって安全な場所だったんだ。少なくとも週に2回は映画を観に行っていたよ。金曜日に行ってみて、土曜か日曜の昼興行にも行く。ときおりはその両方。12歳か13歳の頃までかな、俺は60年代後半から70年代初期の伝統的な映画に没頭していたんだ。ホラー映画だけじゃない、『ゴッドファーザー』とかコメディーとか『燃えよドラゴン』みたいなカンフー映画も観ていたよ。」

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    映画に焦点を当てた雑誌「The Monster Times」は1972年に「Famous Monsters of Filmland」に対抗して刊行された。(『Too Much Monster Business』より)

    放課後、彼は23番通りのサンフランシスコ・コミックブック・カンパニーで長居していた。その店は1968年にオープンした、アメリカでコミックを専門に扱う最初の店だった。

    「サンフランシスコ・コミックブック・カンパニーは俺にとってもうひとつの安全な場所だった。」ハメットは言う。「ゲイリー・アーリントンっていうコミック本の歴史において伝説的な人物がそこの経営者だったんだ。彼はアンダーグラウンドなコミックを支えていた。そこでは麻薬用品販売店でしか売っていないようなパイプとか麻薬関連の品も売っていた。俺が9歳か10歳の頃、ロバート・クラム(訳注:漫画家、アンダーグラウンド・コミックス運動の創始者の一人)がゲイリーの店に来たのを見たんだ。彼は俺がそれまでに見たなかでおそらく一番分厚いレンズのメガネをかけていたよ。」

    アーリントンはハメットにとってある種の父親となった。コミックの買い方、売り方、交換の仕方の基礎を彼に教えたのだ。「コミックを読んだり、買ったり、そういった違った経験を吸収してお店で長いこと過ごしていたよ。」ハメットは続ける。「俺がゲイリーと彼の全従業員を狂わせたんだ。小さな子供として、コミックを見つけては集めて、営利目的で彼らに売りさばくっていう俺のやり方でもってペテンにかけようとしていた。俺のコレクションはそうやって出来たんだ。おびただしい数の違う漫画家が店に立ち寄っていたのを覚えているよ。俺はそういうものに没頭していたし、コミック本に関わる人たち、つまりコレクターと仲買人と漫画家の中にいるのが本当に快適だったんだ。」

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    左側2つはオーロラ社の『大アマゾンの半魚人』塗装済みモデル。右側はもっとオリジナルの細部まで再現したモデル。(『Too Much Horror Business』より)

    (長いので後半に続く)

    Collectors Weekly(2015-10-06)

    ※訳注1:チャールズ・アトラスの広告
    筋トレの通信講座の広告。下記画像とリンク参照。
    CharlesAtlas

    世界で最も完全に発達した男になる方法
    http://namfit.com/article3/index.html


    ※訳注2:『ティングラー/背すじに潜む恐怖』
    詳しくはこちらをご参照。※ネタバレ注意
    http://homepage3.nifty.com/housei/thetingler.htm


    ※訳注3:ペッツ・ディスペンサ
    キャンディーを入れるケース。キャラクターの頭部がディスペンサとなっている。詳細はこちらから。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/PEZ

    【訂正】
    The Day of the Triffidsの邦題、『トリフィド時代』は原作小説の邦題でした。映画の邦題である『人類SOS!』に修正しました。

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    カーク・ハメット、コリィ・テイラー(スリップノット)、アリス・クーパーらが『メタルとホラーの歴史(The History Of Metal And Horror)』という名のドキュメンタリーのインタビューに答えています。この映像はHR/HMとホラーというジャンル間の長年に渡る繋がりを探るとともに、ジョナサン・デイヴィス(コーン)、ロブ・ゾンビ、ジョン5、チャーリー・ベナンテ(アンスラックス)、ドイル・ヴォルフガング・フォン・フランケンシュタイン(ミスフィッツ)らのインタビューも取り上げられているとのこと。

    historymetalhorror

    カーク・ハメットは「The Pulse Of Radio」で真剣なホラー映画愛を次のように語っています。

    「自分のことをこういったものに本当の情熱を持っていて知識が豊富なヤツだと思いたいね。ホラー映画史学者だとも思いたい。本気でそう思っているよ。本当にこういったものが大好きなんだ。」

    インタビューでは、『ヘルレイザー』の主演俳優ダグ・ブラッドレイ、伝説的な特殊メイクアーティストのトム・サヴィーニ、ロブ・ゾンビが監督を務める『デビルズ・リジェクト マーダー・ライド・ショー2』の出演俳優シド・ヘイグ、『悪魔のいけにえ(原題:The Texas Chainsaw Massacre)』で殺人鬼レザーフェイスを演じたガンナー・ハンセンといったホラー映画のアイコンたちも登場。

    ミュージシャンたちはこのジャンル、そして若い時に自分たちを怖がらせた映画について語っており、カーク・ハメットは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、コリィ・テイラーは『ジョーズ』を「トラウマ映画」として挙げています。

    このドキュメンタリーはまだ制作中で、映画制作を援助すべく2ヶ月で5万ドルを目標にクラウド・ファンディング(インターネット経由の寄付募集)キャンペーンが行われています。キャンペーンの告知映像がこちら。


    BLABBERMOUTH.NETより(2015-09-15)

    映像の終わりにもあるように映画特設サイトはこちら。
    http://www.metalhorror.com/

    寄付は10ドルから5000ドルまで額に応じた特典があります。
    詳しくは寄付募集のこちらから。
    https://www.indiegogo.com/projects/the-history-of-metal-and-horror#/story

    出演者一覧には既にカーク・ハメット主催のFearFestEvilに参加した方もちらほらいます。
    http://www.metalhorror.com/the-artists222.html

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    ドラキュラ伯爵役で知られ、近年では『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』にも存在感のある役で出演していたクリストファー・リーが2015年6月7日に93歳で亡くなりました。

    ホラー映画の大ファンでもあるカーク・ハメットがサンフランシスコ地元紙「SF Weekly」の取材でクリストファー・リーについて語っています。カークのインタビュー部分を抜粋、管理人拙訳にて。

    ChristopherLee

    「クリストファー・リーはホラー・アイコンだった。」
    ベイエリアの住民であり、クラシックホラーの有名なファンであり、メタリカのギタリストとして何百万人に愛されているカーク・ハメットはこう語る。「スター・ウォーズやロード・オブ・ザ・リングで彼が最近演じた役でさえ、説得力と威厳に満ちた存在感があると思ったよ。」

    カークはリーの最も有名な役について振り返る。「彼はスクリーン上で血が滴るのを見せた初めての吸血鬼だった。(初めて観た時である)7歳の目にとって、この光景はあまりに強烈だった。」その後何ヶ月も布団をかぶって悪夢を見たと言う。

    「クリストファー・リー、寂しくなるよ。俺にとっての真のレジェンドだし、他の何千もの人たちにとってもそうだと俺は知っている。」カークはそう語る。「伯爵よ安らかに。」

    SF Weekly(2015-06-12)

    FearFestEvilのツイッターアカウントではカーク所有のクリストファー・リーのポスター写真を掲げて追悼しています。


    最後にクリストファー・リーがラプソディー・オブ・ファイアのアルバムに参加したMVを。

    "The Bloody Verdict of Verden" Rhapsody of Fire


    ご冥福をお祈りします。


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    来週金曜日(2015年4月10日)からいよいよ開催されるカーク・ハメット主催のホラー・フェスティバル「FearFestEvil 2015」。これに伴い、フェスについてや自身のホラー映画の趣味について、カーク・ハメットのロング・インタビューが行われました。記事中のカークのQ&A部分のみ管理人拙訳にてご紹介。

    kirkvonhammett_zombie

    −あなたのコレクションがFearFestEvilで展示される予定です。もし火事になって、ひとつだけ持ち出せるとしたら、ひとつお気に入りの傑出したアイテムはありますか?

    参ったなぁ。それは難しい質問だね。1934年の映画『黒猫』でボリス・カーロフが着ていた衣装かな。あのコスチュームをひっつかむと思う。あるいはミイラの3枚もの(の映画ポスター)。でもあれは7フィート(2メートル強)で300パウンド(約140キロ)以上もあるから厳しいね。ドアの外に出るのも難しいだろうね。蝶番の外れたドアの家を出るのと同じくらいに。家が火事になったら、耐え難いものになるよ。黒猫の衣装は火事から逃れるのは比較的容易いと思うけどね。

    −(ハーマン・メルヴィルの小説)白鯨のように、あなたがまだ手に入れていないものはありますか?自分のものにしたい一番のアイテムは何ですか?

    存在しないと思われていて探している映画ポスターがいくつかあるんだ。20年代、30年代、40年代のホラー映画のポスターは超レアなんだよ。そのほとんどが第二次世界大戦のあいだに古紙回収運動で無くなってしまったんだ。古紙回収運動っていうのは紙をリサイクルして、近所に行ってはそこにいるみんなにこう言うんだ。「もし余っている紙があったら、今持ってきて」。だから、20年代、30年代、40年代のたくさんのポスターが無くなってしまった。まだみつかっていない30年代の映画ポスターがいくつかある。あるいはコピーしかみつかっていないものなんてのもある。一番俺が欲しいのはコピーしかないもので、1932年に制作されたベラ・ルゴシの映画『モルグ街の殺人』のポスターだね。もし『モルグ街の殺人』のポスターをみつけたら、ぜひ俺に教えてくれ!

    −所有しているホラー映画のポスターで、一番お気に入りのものは何ですか?

    いつも変わるけど、間違いなく大好きなのは3つ言える。一番は『フランケンシュタインの花嫁』、二番は1934年の『黒猫』、そして三番目が『死霊のはらわた』、『死霊のしたたり』、『ヘル・レイザー』、1作目の『エルム街の悪夢』、1作目の『エイリアン』のあいだでどれかなって感じだね。この三番目の地位は埋めるのが難しいね。大好きな素晴らしい現代のホラー映画がたくさんあるから。

    −あなたが惹きつけられがちなサブジャンルはありますか?

    悪魔のようなものに占有される映画、幽霊屋敷の映画、SFホラー映画のような、それ自体がジャンルになっているものが本当に大好きなんだ。『エイリアン』とか『イベント・ホライゾン』とか『スペース・バンパイア』のようなものがそうだね。かなりひどいホラー映画には弱点がある。そういう映画を観るのは知ってるなかでは俺だけ。本当にひどいホラー映画を観ているって人がみつからないのさ。

    −本当にひどいお気に入りのホラー映画は何だと思いますか?

    それならずっと喋ってられるよ。お気に入りのホラー映画は、そうだな、2つあるな。『Mr.オセロマン(原題:The Thing with Two Heads )』と『怪奇!双頭人間(原題:The Incredible Two-Headed Transplant)』(訳注:どちらも「双頭」ホラー映画)だね。両方とも70年代初頭の映画なんだ。どっちも不埒な映画で、明らかにどっちかがどっちかをコピーしているんだけど、どっちも全く違っていて、とてもひどくて最高だよ。ひとつは一人が人種差別主義者で、そいつの頭が大柄なアフリカ系アメリカ人の体に移植されるんだ。もうひとつの映画では知的障害者の体に頭を移植される。どちらも−本当に素晴らしい設定だ。言い表す言葉がないよ。

    −それ自体でいろいろ話せそうですね。私はホラー映画の曲にも興味があります。ミュージシャンとしてのあなたにとって傑出したものはありますか?

    ホラー映画のサウンドトラックでお気に入りなのは『ハンガー(原題:The Hunger)』のサウンドトラックだね。クラシックで心に響く作品で、とてもファンタスティックだ。『シャイニング』のサウンドトラックもかなり好きだよ。『死霊のしたたり』のオープニング・シーンもいいね。『サイコ』のテーマ曲に似ているんだけど、あれは狙ってやってるね。これが俺の大好きな3つのサウンドトラックだよ。

    −ひどい映画、おかしな趣味の悪い映画があるんだとあなたが言う時、もし純粋に怖がりたい人に観るべき映画を選ぶなら何を最初に持ってきますか?

    自分にとって『エクソシスト』は、これまでで一番怖い映画だね。1作目の『死霊のはらわた』も大好きだね。あれは本当に素晴らしいよ。『パラダイム(原題:Prince of Darkness)』っていう映画も本当に怖かったなぁ。何でかわからないけど。とにかく本当に怖かったんだ。

    俺はスプラッター映画の大ファンってわけじゃないんだけど、スプラッター映画の起源となった『13日の金曜日』のような映画は本当に素晴らしいと思う。『バレンタイン』っていう本当に信じられないほど良い映画もあるし、『The Ghoul (The Thing in the Attic)(訳注:邦題不明・日本未公開?)』っていう映画も本当にいい映画だよ。もし暴力的な恐怖を味わいたいなら、今言ったような映画を挙げるかな。


    俺にとっては、そんなことを考えるたびに『エクソシスト』が一番に出てくるけどね。いまだに死ぬほど怖がらせてくれるよ。少なくとも20回は観たね。ツアー中、遅くにホテルに戻って午前3時に各チャンネルをザっと見て、『エクソシスト』を観るんだ。でもホテルの自分の部屋でパニックになりたくなかったから、意図的にチャンネルを変えなきゃならなかったよ。過去3年間そんなことをやっているんだ。俺にとって最高の映画だ。

    −あなたが今後、特に興奮している公開予定のホラー映画はありますか?

    新しい『ターミネーター』はきいているものからすると本当に素晴らしい映画かもしれないね。みんなが考えていないであろう最近観たホラー映画についていくつか教えてあげよう。『ゴーン・ガール』って映画を知ってるかい?あれはホラー映画だと思うね。ちょうど最近、ジェイク・ジレンホール主演の『複製された男(原題:Enemy)』って映画を観たんだ。本当に怖かったよ。本当に怖かった理由は、とても抽象的でいまだにエンディングが一体何だったのかわかろうとしているカフカ風の作品だったからなんだ。俺にとっては、費用に見合うたくさんの価値があった。映画を観に行って、それが気に入って、何か考えさせてくれるようなことがあって、映画のことを考え続けるようなことがね。

    俺は興奮させてくれるようなホラー映画が好きで、『複製された男』は素晴らしい映画だと思うよ。あれは誰のレーダーにも引っかかってないね。ホラー雑誌やホラーサイトを見たけど、それについては大して書いていなかった。俺はたまたまみつけたんだけど、あれは観ておくべき素晴らしい映画だよ。

    −メタル界でホラー要素をステージに持ち込む最高のバンドは何だと思いますか?

    ミスフィッツだね。分かってるくせに。彼らは実際、映画をよく知ってるから、イメージがよく分かってるんだ。ただの上っ面じゃない。彼らは実際にホラー映画のファンでもあるし、俺たちは互いに電話するんだけど、お互いモンスター・キッズって呼んでるよ。ミスフィッツの連中はみんなモンスター・キッズなんだ。


    −ミスフィッツは昔のメンバーたちですか?グレン・ダンジグがフロントマンの時の・・・

    そう。70年代、80年代の編成の時だね。ジェリー・オンリー、ドイル、グレン・ダンジグ、ロボ。俺にとって完璧なホラー映画バンドだよ。

    GWARの芝居じみた感じも楽しいし、グール(Ghoul)ってバンドも楽しいね。俺は彼らが死ぬほど大好きだし、こういうバンド全部が死ぬほど好きなんだ。でもホラー映画について話していて、一番本物で説得力のあるバンドとして受け止められるのはミスフィッツなんだよ。最近もグレンとホラー映画について話したし、ドイルはFearFestEvilに来てくれたしね。


    −もうすこしFearFestEvilについて話しましょう。昨年、参加者は剥製の授業のように、興味深いホラー関連のものを現地でたくさんすることができました。今年は何に一番期待していますか?

    今年は金曜日から始まる3日間のイベントで、金曜日はウィンチェスター・ミステリー・ハウスで殺人ミステリー・ディナー(チケット完売)をやる予定なんだ。本当にエキサイティングなものになるよ。自分と何人かのスペシャルゲストも参加する。解決すべきミステリーの全シナリオを俺たちは演出するんだ。そしてさまざまなスペシャルゲストがチケットを買った参加者に手がかりを与えてくれることになっている。

    ウィンチェスター・ミステリー・ハウスのことを聞いたことがあるかわからないけど、あの家には本当に興奮しているよ。本当に不気味だし、幽霊が出そうな雰囲気が最高にクールなんだ。夕方のあいだにある手がかりを明らかにしていくスペシャルゲストを伴って降霊会が行われるんだ。だからディナーの後は連れ立って謎を解いて、ミステリーの最後には殺人者が何をやったのかがわかる大きな種明かしがあるって寸法さ。


    土曜日はFearFestEvilの音楽パートなんだ。屋外にはテーマ別のマーケットがあってたくさんのベンダーやその他もろもろが参加する。いろんなショーを行う予定で、一例としては見世物小屋とか、ゲームのカーニバルエリアとかね。俺のコレクションも展示予定だよ。これが土曜日の午後1時から始まる。午後7時頃からは夜の音楽パートさ。ハイ・オン・ファイア(High On Fire)のようなバンドがライヴをやって、どでかいモンスター・ジャムもやるつもりなんだ。ハイ・オン・ファイアのみんなと俺とコリィ・テイラー(スリップノット)、ジョン5、チャーリー・ベナンテ(アンスラックス)とかと一緒にね。楽しみだよ。


    土曜日と日曜日の予定で、コスプレ・コンテストを含むさまざまなコンテストがあるって言ったっけ?日曜日にはテーマ別のマーケット、遊園地式の乗り物、見世物小屋、本当にたくさんのクールなエンタテイメント、いくつかのコンテストがあって、夜にはメシュガー(Meshuggah)さ。このイベントのために音楽パートにより重きを置いたんだ。次のイベントではホラーに重点を置くつもりで計画している。それが俺たちがやろうとしていることなんだ。FearFestEvilは絶対に連続して同じものにはならない。いつも違って、フォーマットを変え続けるつもりだし、イベントもいつも変えていくつもりだし、必要とあらば何でも取り替えたり、使えたりできるものにしたいんだ。

    Mashable(2015-04-01)

    参考までにインタビュー中に出てきた『Psycho』のテーマと


    『死霊のしたたり』オープニングテーマ。


    確かによく似ています。

    FearFestEvil
    http://www.fearfestevil.com/

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