メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:ジョン・ロード

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    これまで何度も取り上げているラーズ・ウルリッヒのディープ・パープル推し。ついにロックの殿堂入りを果たすディープ・パープルに対してRadio.comのインタビューでその偉大さを語っています。BLABBERMOUTH.NETさんが文字起こししてくれたので管理人拙訳にてご紹介。

    larsulrichdeeppurpleradio

    70年代、俺がデンマークのコペンハーゲンで育った時、ディープ・パープルは一番のロックバンドだった。当時、彼らは3大ビッグバンドだった。つまりレッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、そしてディープ・パープルだ。ディープ・パープルは、スカンジナビア半島やドイツ、その他もろもろの場所で一番のバンドだった。みんな彼らのことを他の2バンドよりも知っていたんだ。レッド・ツェッペリンは、アメリカでより評価されている傾向にあると思う。そしてブラック・サバスは間違いなく超ヘヴィだったけど、数年経つまで俺は知らなかったんだ。

    ディープ・パープルはライヴのエネルギーが信じられないほどすごいんだ。彼らは楽器の演奏で知られているけど・・・つまり彼らは本当に技術的に有能だし、毎夜、彼らがショーをやるたびに前の晩とも次の晩とも違うものなんだ。彼らはレコードでは3、4、5分の曲をライヴでは10、15、20分の曲に変えてしまうんだ。何が起きるか分かっていたことなんて一度もないよ。リードギタリストのリッチー・ブラックモア、この種の伝説的で衝動的で予測不可能なキャラクターは常にバンドを違う方向へと向かわせるし、各メンバーの間でたくさんの面白い押し引きがあったわけだ。つまり彼らはジャズの領域に入っちゃってる夜があったんだ。全く別物のようだったよ。

    ツェッペリンはもう少しブルース寄りだ。サバスもそう・・・よりヘヴィなブルースという感じだ。ディープ・パープルは違う場所から来ていた。当時は他に類を見ない技術的な能力があった。それから間違いなく「Smoke On The Water」から「Strange Kind Of Woman」「Woman From Tokyo」「Space Truckin」「Highway Star」まで一連のシングルやその他の彼らの作品は売れに売れたヒットだったよ・・・。彼らの音楽的な伝説はディープ・パープルのメンバーのあいだで生まれたレインボー、ホワイトスネイクといったすべてのバンド・・・イアン・ギランのソロバンド・・・を生み出した。つまり彼らの伝説はこの30年間で成長し続けているんだ。そして彼らは実際にいまだ現役だ・・・違うラインナップとかでね。でもディープ・パープルの系譜はいまだに世界中で広範囲に広がっているのさ。


    BLABBERMOUTH.NET(2016-04-02)
    インタビュー動画はこちらから。


    おそらくプレゼンターとして4月8日に行われるロックの殿堂入り授賞式に出席するラーズ。感慨もひとしおでしょう。本当はジョン・ロード存命中に殿堂入りしてほしかったでしょうが・・・。

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    イギリスのロック誌『Classic Rock』9月4日号にメタリカも参加するディープ・パープルの『Machine Head』のトリビュート盤が付録となるとのこと。
    その名も『Re-Machined』。

    DPcover2

    画像を見ておわかりの通り、参加アーティストもかなり豪華です。
    トラックリストは以下の通り。

    01. Smoke On The Water – Carlos Santana / Jacoby Shaddix
    02. Highway Star – Chickenfoot
    03. Maybe I’m A Leo – Glenn Hughes / Chad Smith
    04. Pictures of Home – Black Label Society
    05. Never Before – Kings of Chaos
    06. Smoke On The Water – The Flaming Lips
    07. Lazy – Jimmy Barnes with Joe Bonamassa
    08. Space Truckin’ – Iron Maiden
    09. When A Blind Man Cries – Metallica
    10. Highway Star – Steve Vai, Glen Hughes, Chad Smith, Lauchlan Doley (exclusive track)


    誌面の方もメタリカをはじめ、トリビュート盤に参加したアイアン・メイデン、チキンフット、スティーヴ・ヴァイのインタビューが掲載。
    そして、先ごろ亡くなったディープ・パープルの元メンバー、ジョン・ロードの直近のインタビューも含まれるとのこと。

    予約はこちらからどうぞ。

    Classic Rockより(2012-06-23)

    メタリカ、渋い選曲だなぁ。


    どういう経緯でこのトリビュート盤の話がまとまったのかわかりませんが、海外雑誌の付録CDはホントすごい企画が多いですね。。

    ちなみに本物の『Machine Head』のジャケはこちら。
    machinehead

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    ラーズ・ウルリッヒがMetallica.comにて、7月16日に71歳で亡くなった元ディープ・パープルのジョン・ロードに対する追悼コメントを出しました。いつもどおり誤訳御免の管理人拙訳にて。

    1973年、俺が感受性の強い9歳のときに父にコペンハーゲンまで観に連れて行ってもらって以来、ディープ・パープルは俺の人生のなかで常に絶え間なく影響を受けた最たる存在だった。他に存在するどんなバンドよりも俺にとって重要なバンドだったし、俺というものを形作る巨大なパーツだったんだ。無論、キーボード奏者のジョン・ロードの早すぎる死という今日のニュースに俺はひどく落ち込み、悲しみ、ショックを受けている。

    自分たちのヒーローや自分たちを突き動かした人のことを説明しようとするとき、「ユニーク」とか「比類なき」とか「草分け的」みたいな形容詞を使うのは軽率かもしれない。でも、他にぴったりな言葉が今はないよ。ハード・ロックの歴史のなかでジョン・ロードのようなミュージシャンは本当にいないんだから。誰もいない。以上。

    彼のように演奏をした人なんて誰もいなかった。彼のように音を聴かせた人なんて誰もいなかった。彼のように曲を書いた人なんて誰もいなかった。彼のように見えた人なんて誰もいなかった。彼よりも歯切れ良く、紳士的で、温かみのある、超クールなキーボード奏者かそれに近いものを弾いた人なんて誰もいなかった。彼がやってきたことは全て彼独自のものだった。無論、ユニークなサウンドを含めてね。彼がハモンドオルガンでやったことはどんなことでも、(例えば)聴いたことのないような場所まで押してレスリー・スピーカーで音を歪ませたり、キーボードを振り回してながら叩いたり。彼がオルガンを響かせていたとき、ジョンと野獣のあいだを行き来していた、そんなことは過去にあったどんなものとも似つかなかったし、その当時も、それからもない。ただそれだけだ。

    ディープ・パープルはもちろん、存在そのものが独自のものだった。いつも予測不能で、ときおり衝動的で、同じことの繰り返しなんて全くない、たいてい別世界のものだったんだ。幸運なことに73年から75年までのあいだにコペンハーゲンで3回も観ることができた。85年と87年に再結成したときには数え切れないほど観に行ったよ。俺たちが87年の夏、彼らとドイツで何回かギグをやったときは言うまでもなく、いつも俺に大きな影響を及ぼした経験だった。ステージ上のジョンのリフ、音色使い、テクスチャー、一段上を行ったソロ、イントロ、アウトロ、ブルースの引用、クラシックの一片など彼の頭から毎夜湧き出るものは何でも、さらには毎夜毎夜、毎曲毎曲、リッチー・ブラックモアについていっているのを観たら、彼が名人であることの証拠に他ならないんだ・・・。この地球上を歩いた最も熟達の域に達した、オ
    ジナルでユニークなハード・ロック・キーボード奏者だった。

    1992年、ブラックアルバムのツアーでミュンヘンでライヴをしたとき、ジョン・ロードとリード・シンガーのイアン・ギランがショーにやってきて、ずっとスネイク・ピットに立っていたんだよ。天国にでもいるかのようだったね。俺の人生のなかで最も重要だったバンドのメンバーの真ん前で演奏するという夢が叶ったんだ。次の日にはレコーディングに戻るということで彼らは出発しなければならなかったんで、ショーの後でサインをもらったんだけど、もう俺は歓喜を通り越しちゃってね。だって俺のヒーローがあのスネイク・ピットにいるんだぜ!!!!「見ろよ母ちゃん、最高だろ!!」って感じさ。

    ・・・73年の2月、コペンハーゲンのKB Hallen公演のときの感受性の強い9歳に戻った気分だった。

    安らかにジョン、そしていろいろありがとう。

    ラーズ


    Jon_Lord1

    Metallica.com(2012-07-16)

    リッチー・ブラックモアの大ファンであるラーズらしいコメント。
    管理人、個人的にも憧れのキーボード奏者でした。
    ご冥福をお祈りいたします。

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