メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:コペンハーゲン

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    更新が滞ってしまいましたが、心配なニュースをひとつ。公式サイトのアナウンスを管理人拙訳にてご紹介します。

    20170205_postpone

    残念なことに土曜日になってもジェイムズの健康、特に喉の調子が改善されず、彼が一音も歌ってはならないとの医師の厳重注意の下にあることをお伝えしなければならないことを申し訳なく思います。悲しいことに明日(2/5)のロイヤル・アリーナでのショーは2017年9月2日に延期することをご報告しなければなりません。

    今週のコペンハーゲンについては、デンマークの友人たちだけでなく我々にとっても、新しいアリーナのこけら落としを祝うことを本当に楽しみにしており、ずいぶん前からカレンダーに丸をつけていた特別なイベントでした。昨日(のライヴで)お会いした皆さんには、我々が(公演を)続行するよう励ましをいただきありがとうございます・・・我々にとってかけがえのないものとなりました!我々は皆、最大限のメタリカ体験をお届けすることができず、本当に残念に思っています。これまで経験した中でも最も困難なショーのひとつでしたが、あなた方の愛とサポートで乗り越える事が出来ました。

    多くの人が我々と週末を過ごすため旅行計画を立ててくれたことは承知しています。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。9月のコペンハーゲン公演でまた来てくれることを願っています。延期後のギグでは、もちろん最高のショーとともに、あなたにとってかけがえのない何かで皆さんへの埋め合わせをするよう全力を尽くします!そして日曜日の前座に投票で選ばれたバンド、Aphyxionには9月に出られることを願っています。

    デンマークではいつもお世話になっていることに改めて感謝します。我々はまた戻ってきます!

    注記:2月5日分のチケットは、(延期後の)9月2日のショーで有効となります。

    もしデンマークにすでにお越しいただき、2月7日もしくは9日のいずれかのショーにご参加いただける場合は、非常に限られてはいますが、チケット交換のために最善を尽くすべくチケットマスター・デンマークにご連絡ください。もし予定変更された9月2日にご参加できない場合は、3月1日までにチケットの払い戻しを行ってください。連絡先(servicecenter@ticketmaster.dk)

    払い戻しについては、ご購入された取扱先でのみ適用となり、チケットマスターにあなたのクレジットカード下4桁によってチケットの所有権を確認する必要があります。チケット額面金額は返金されますが、手数料等は返金されません。

    追記;我々はジェイムズの声を日々監視しています。状況についてはこちらで更新します。

    Metallica.com(2016-02-03)

    同じくデンマークのコペンハーゲンで2月3日に行われた公演ではいつもより2曲少ない公演となっており、アップされた動画もジェイムズの声の調子がかなり悪そうです。。


    早く回復して、無事に続きの日程をこなせることを祈っています。(でも無理はしないで欲しい。。)


    【追記】
    2月7日のコペンハーゲン公演は無事に行われました。まだジェイムズの喉は完全復調ではないようですが、しっかり歌いきっています。

    Whiplash


    Anesthesia (Pulling Teeth) + Orion


    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    ジェイムズ・ヘットフィールド「年50回以上はライヴをやらない」
    ジェイムズ・ヘットフィールド、食中毒で公演キャンセル。
    ジェイムズ・ヘットフィールドの食中毒後日談。

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    ニュースが立て続けなので順番に。。まずはメタリカから来年のツアー日程の発表がありました。デンマークのコペンハーゲンにて2017年2月3日、5日にロイヤル・アリーナ(Royal Arena)にて、こけら落とし公演を行うとのこと。

    20160926_051441_7549_2445

    今回は下記追加特典が付いたVIPチケットも発売する模様。

    ・早期入場特典
    ・バンドメンバーとの交流
    ・メタリカ・ミュージアム
    ・VIPラウンジアリーナ席

    VIPチケットのさらなる詳細は後日こちらで発表とのこと。
    http://www.cidentertainment.com/events/metallica-copenhagen-2017/

    チケット販売はMetClub会員先行が現地時間9月28日朝10:00から9月30日朝9:00(日本時間9月28日17:00から9月30日16:00)もしくは売り切れまで。(Metallica.comのMetClub会員ページで後日お知らせがあります。)

    一般販売は9月30日朝10:00(日本時間9月30日17:00)からTicketMasterで開始とのこと。
    http://www.ticketmaster.dk/

    Metallica.comではツアーの予告映像も公開されています。
    https://metallica.com/blog/news/433803/worldwired-tour-travels-to-copenhagen

    今回のツアーは「WorldWired Tour」ということになりそうですね。はぁ行きたい。。

    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    メタリカ、2016年の中南米ツアーの日程発表

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    続きが気になっていた方、お待たせしました。ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』の第4章2回目です。(前回までのお話は関連記事にてどうぞ。)メタリカにとってのキーパーソン、フレミング・ラスムッセンも登場します。有志英訳を管理人拙訳にて。

    - 次のステップ -

    知っての通り、良いビジネスマンは他のみんなより先にアイデアを考え出す。ニューヨーク市にあった大きな多国籍レコード・レーベル、エレクトラ・レコードのマイケル・アラゴの場合もそうだ。この若きマネージャーは1年前に雇われ、『Kill 'Em All』は発売以来、彼のターンテーブルでかかりっぱなしだった。アラゴは真新しくてスカッとするヘッドバンギングと共にみぞおちに一撃食らわされた、この異形でとても激しいメタルに病み付きになっていた。メタリカには投資する価値がある、メタリカが「唯一の」インディペンデントなバンドであると確かに気付いていた。しかしながら、彼は思い切ってアプローチして、強力な国際レーベルのエレクトラにメタリカがサインをする準備ができているとは感じなかった。この壮大なメタルガイたちは「ありふれた一般人」に向けて演奏してはいなかったし、ましてやたいてい次のデュラン・デュランやヒューマン・リーグを探しているようなメジャー・レーベル向けでもなかった。エレクトロ・ポップのヒットは多くの若者向けであったが、高速で急進的なヘヴィメタル・ヴァージョンはそうではなかったのだ。

    しかし、マイケル・アラゴはすぐに行動に移した。1984年の初頭にラーズに連絡を取ったのだ。『Kill 'Em All』でバンドにいくらかのお金が入ってきたおかげで、(メンバーの住む)メタリマンションには電話とテレビの両方が備え付けられていた。

    「私はメタリカが大好きであるということ、そして絶対にメタリカとサインを交わさなければならないということを彼に告げた。」アラゴは回想する。(クリス・クロッカー著『The Frayed Ends Of Metal』(1993刊行)より)

    この時、ラーズは自信をより深め、バンドを集めて東海岸へ出発した。ラーズはアラゴに、バンドが次にニューヨークに行く時に連絡を取るよう約束した。すでにラーズにはある見通しがあったのだ。(実際、メタリカ出演の全ライヴで、ラーズはいつだってそのような見通しを持っていた。)メタリカはニューヨークのクラブ、ローズランドで、良き仲間であり地元ニューヨークのバンド、アンスラックスとレイヴン(メタリカが現れる前まで、アラゴが契約を考えていたもうひとつのバンドである)と共に夏のあいだに一度、出演する予定だった。

    マイケル・アラゴは、メタリカがマンハッタンでライヴを行っている時に要点をもちろん伝えるつもりだった。しかし、メタリカには別の予定が先にやって来てしまった。ヨーロッパだ。ラーズは『Kill 'Em All』時代から確固たる前進をメタリカにもたらすであろう計画を携えていた。最初に『Kill 'Em All』でヨーロッパにメタリカが創り出した喧騒を受ける形でバンドのツアーを行う。それから次のアルバムに取り掛かる。そしてまた同じようにツアーをするのだ。

    1984年2月3日、メタリカは初のヨーロッパツアーをチューリッヒから開始した。ツアーは「Seven Dates Of Hell(地獄の7日間)」と呼ばれ、メタリカは、ダークで荒々しいブリティッシュ・ブラックメタルのパイオニアであり、草創期メタリカのインスピレーションの源でもあったヴェノムとライヴを行った。最後から2番目の「地獄の日」には、オランダのズヴォレで初めてフェスティバルに出演した。このフェスティバルはオランダのヘヴィメタル誌「Aardschok」(オランダ語で地震の意)によって企画されたものだった。同雑誌記者のメタル・マイクは『No Life Til Leather』のデモが出回り始めた時には、すでにメタリカを称賛していた。Aardschokショーは特別なものとなった。それは6000人の荒ぶるヘヴィメタルファンたちが、新しいヘヴィメタルのヒーローたちと同類のバンドを褒め称え、拍手を送ったことも、もちろんあるだろう。

    ベルギーで終えた「Seven Dates Of Hell」ツアーから数日経ち、メタリカはコペンハーゲンへと飛んだ。そこで、テキパキとコトを進めるラーズはアルバム・レコーディングを行うため、適切なプロデューサーとエンジニアのいる手頃なスタジオを予約した。おそらくコペンハーゲンで安く、あるいは無料で生活することだってできたはずだ。低予算はまだメタリカにとってのキーワードだった。モチベーションも熱意も夢もビジョンもあったが、金はなかった。

    しかしコペンハーゲンでのレコーディングに対するモチベーションは、コストをかけないようにするには程遠かった。レインボーのアルバム『Difficult To Cure(邦題:アイ・サレンダー)』(1981)でベテランギタリストのリッチー・ブラックモアが前面に出るプロダクションを、ラーズは「めちゃくちゃ良い」と思っていた。そのアルバムはディープ・パープルのベーシスト、ロジャー・グローヴァーによってアマー島にあるスウィート・サイレンス・スタジオでプロデュースされている。そこではフレミング・ラスムッセンという名の男がエンジニアとして働いていた。フレミングのエンジニア、プロデューサーとしての経歴は70年代にもっと大人しいアルバムのプロダクションですでに始まっていた。Savage Rose、Pia Raug、Rasmus Lyberth、Bifrostといったアーティストとともに。それから後、The SodsとLost Kidsのデンマーク初のパンクアルバム、そして前述したブラッツの1980年のデビューアルバムも手がけていた。

    フレミングのスタジオはStrandlods通り85番地(85 Strandlodsvej)にある、コペンハーゲン中心街よりもスウェーデン南部のスコーネ地方の方がよく見える場所にあった。とある日、スタジオの電話が鳴った。知っている依頼人だろうか?ラスムッセンは電話を取った。受話器の向こうから聴こえたのは、はるばるカルフォルニアからの熱心なデンマーク人の声だった。

    「ラーズは私がアルバムを制作することに興味があるかどうか、スタジオを使うのにいくらかかるのかを尋ねるために電話をしてきた。」とフレミングは回想する。「彼らはプロダクションの手助けもできるエンジニアを探していた。私がレインボーと一緒に仕事をしたのを聞いていて、良いものだと思っていた。」「私は当時、彼らが何者なのか全く知らなかった。『Kill 'Em All』でここらの多くの人たちも知っていたとは思えなかった。少なくとも『Ride The Lightning』の前までは。メタリカはまだ本当にハードコアなメタルファンのものだったんだ。私はその一員ではなかったし、それまでもその一員になったこともなかった。」

    しかしフレミングはラーズのようにディープ・パープルの昔からのファンであり、プロのプロデューサーであり、エンジニアであった。そして仕事ができると考えた。故に彼はこの一部デンマーク人のヘヴィメタルバンドをプロデュースするというオファーを受けたのだ。

    「彼らは前払いしてきた。我々は知りもしないバンドを一ヶ月前にブッキングしたんだ。そして彼らは海を越えてやってきた。」フレミングはそう付け加えた。彼にはバンドのデモテープと『Kill 'Em All』が送られた。

    「こりゃヒドいなと思ったのを覚えているよ。」フレミングは笑みを浮かべ、新しいタバコに火をつけてそう言った。「なぜなら・・・あんなにファストだなんてわかるかい?当時あれだけファストに演奏していた人はそう多くなかった。」

    一方、コペンハーゲンの別の地域ではケン・アンソニーがメタリカとそのスピードについて正反対のことを思っていた。ラーズとメタリカはケンのスピードを必要としていたのだ。

    ケン・アンソニー「ラーズが俺に電話をかけてきてこう言ったんだ。「コペンハーゲンのホテルを予約できないか?お金を持ってないから、一番安くて安くて安いところでお願い!」俺はあちこちに電話して空きをチェックしたんだけど、結局折り返しの電話で俺はこう言ったんだ。「あのさぁ、おまえら俺のアパートに引っ越せよ!俺はおまえらがいるあいだ、街で彼女と3、4週間住むからさ。そうすればおまえらも節約できるだろ。」そしたらもちろんあいつらはとっても喜んでいたよ。空港であいつらを拾って、俺のアパートに連れてきた。そしてこうさ。「ジャーン、ここがそのアパートだ!」あいつらは一文無しだったから、あいつらのための充分な食べ物があるか確認しなくちゃならなかった。」

    ケンは、後に有名なブレンビュベスターの居住者となる4人のことを話すとニッコリ笑った。

    「他の居住者たちはこう思ったろうね。「何だってこんなところに4人の男が住むんだ!?」バンドは日中はスタジオで演奏して、夜にアパートに帰ってきた。俺は何千ものヘヴィメタルのレコードと大量のホラー映画を持ってたから、あいつらは夜毎、ヘヴィメタルを聴き、ホラー映画を観ていたよ。俺の両親も同じ建物に住んでいたんだけど、アパートの一階に夜になると騒がしい若者がいると文句を言っていたよ。だから俺は様子を観に行かなくちゃならなかった。アパートはさながら戦場のようだったよ!さすがに俺も少しイラついたけど、あいつらときたらただこう応えるだけさ。「やぁ・・・すげぇなこれ・・・ロックしようぜ、ケン!」俺もそんなロックバンド生活が楽しいと思っていた。俺たちは時々出かけて、とても楽しい時間を過ごした。でもあいつらはレコード制作に忙しかったんだ。」

    ケンはニヤリと笑って自分のアパートを取り戻した日のことを話した。「俺がアパートに戻った時、母が掃除に来るほど散らかし放題だったよ。一番可笑しかったのは、母がバスタブを掃除した時だね。メタリカの各メンバーのズラが出来るほど排水口に髪が落ちていたんだ。クレイジーだったね。あと覚えているのは、コーヒーテーブルの上に数本抜き取られた1パックのビールとメモ書きが置いてあって、そこにはこうあった。「ありがとう、大変お世話になりました!」とね。」

    このアパートはブレンビュベスターのKirkebjerg通り113番地(113 Kirkebjerg Alle)にある。(ジェイムズはバンドのリードギタリストになぞらえて、「カーク」ebjerg通りと呼んでいた。)この場所はラーズにとって、音楽の師のもとにたくさん訪れたいい思い出しかない。

    「クソ最高なケンが自分のアパートに俺たちを泊めてくれたんだ。あそこで暮らしたのは本当に楽しかった。あれより3年前にはケンのファンとしてあそこに行っていたんだからね。そして今や彼のファンとしてではなかったが、自分の世界を確立して戻ってきたのさ。」ラーズはブレンビュベスターへのバンドの短い滞在についてこう語った。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/9/

    metallicadaddy_stor
    フレミング・ラスムッセン(2007年頃)

    ちなみに現在のスウィート・サイレンス・スタジオはメタリカがレコーディングしていた当時の場所にありません。文中のStrandlods通り85番地(85 Strandlodsvej)は以前スタジオがあった場所。現在、スタジオとしては使われていませんが、建物自体は残っているようです。
    sweetsilencestudio
    GoogleMapより

    以前のスタジオのホームページも残っています。
    http://www.sweet-silence.dk/

    現在のスウィート・サイレンス・スタジオのページはこちら。
    http://fwrproduction.com/FWR_Produktion/FWR.html

    Venomとの共演を果たしたAardschokのフェスについては、実際に行った方のこちらのページが詳しいです。チケットやポスター、Tシャツの画像が拝めます。(英語表記のみ)
    http://www.livemusicandstuff.com/1984-02-11-aardschokdag.html

    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(2)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(3)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(4)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(5)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(6)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(7)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(8)
    ラーズ・ウルリッヒ、メタリカへの布石
    ラーズ・ウルリッヒ、メタリカへの布石(2)
    ラーズ・ウルリッヒ、メタリカ結成へ
    ラーズ・ウルリッヒ、メタリカ結成へ(2)
    ラーズ・ウルリッヒ、メタリカ結成へ(3)
    ラーズ・ウルリッヒ、メタリカ結成へ(4)
    ラーズ・ウルリッヒ、メタリカ結成へ(5)
    ラーズ・ウルリッヒ、メタリカ結成へ(6)
    ラーズ・ウルリッヒ、コペンハーゲンからの快進撃

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2014年10月26日(日)にコペンハーゲンにてラーズ・ウルリッヒが父親トーベン・ウルリッヒとライヴを行った模様。

    lars_torben01

    共演はコペンハーゲンが会場のWundergrund Festival 2014で実現。その他のバンドメンバーは地元デンマークのミュージシャンで、(カタカナ表記がわからないので記載そのまま)ピアニストで作曲家のSoren Kjargaard、ドラマーのClaus Boje、ベースのPeter Friis Nielsen。

    lars_torben09

    ラーズとのライヴ動画はみつけられませんでしたが、過去に撮られたトーベンさんとSoren Kjargaardの共演動画を拾ってきました。




    いやぁ前衛的ですね。ちなみにこの2人でこれまで3枚のアルバムを出しているとのこと。

    『Suddenly, Sound: 21 Songlines』 (2009)
    『Alphabet, Peaceful, Diminished: 29 Proposals From The Towers Of Babble』 (2010)
    『Meridiana: Lines Toward A Non-Local Alchemy』 (2014)

    ここで紹介してきたラーズ伝記本に何回も登場してきたトーベンさん。息子よりも多才なイメージがありますが、今も現役なんですねぇ。この感じだとラーズとの共演も『Lulu』の時みたいに即興演奏に近いものなのかしら。

    当日のその他の写真はこちらからどうぞ。
    http://gaffa.dk/galleries/gallery/56277

    BLABBERMOUTH.NETより(2014-10-28)


    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(2)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(3)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(4)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(5)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(6)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(7)
    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る(8)

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    管理人含む総勢4人で、2014年5月28日から6月3日までかけて行ってきたメタリカのツアー観戦記をようやくアップし始めましたのでご紹介。完成したのが1日目だけで、まだメタリカの公演のことすら触れられていませんがいったん公開します。

    メタリカスポットもご紹介していますので今後行かれる方の何がしかの参考になれば幸いです。写真はカールスバーグ工場で購入したカールスバーグとラーズ・ウルリッヒのコラボ瓶、通称「Larsberg」。

    015

    今後、この記事の追記で更新状況をお知らせする予定です。

    ■旅程
    http://metallica.bakufu.org/pic/europe2014.html

    ■1日目(2014年5月28日)
    http://metallica.bakufu.org/pic/denmark2014.html

    ■2日目(2014年5月29日)
    http://metallica.bakufu.org/pic/sweden2014.html

    ■3日目(2014年5月30日)
    http://metallica.bakufu.org/pic/stockholm2014.html

    ■4日目(2014年5月31日)
    http://metallica.bakufu.org/pic/norway2014.html

    ■5日目(2014年6月1日)
    http://metallica.bakufu.org/pic/oslo2014.html

    ■6日目(2014年6月2日)
    http://metallica.bakufu.org/pic/return2014.html

    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    「Kirk von Hammett's FearFestEviL」レポについて
    BIG4ニューヨーク公演レポート(メタリカ抜粋版)

    このページのトップヘ