メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:キル・エム・オール

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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』のご紹介。第3章完結編。有志英訳を管理人拙訳にて。前回予告どおり、デイヴ・ムステインの解雇、カーク・ハメットのメタリカ加入、そして『Kill 'Em All』のリリースまで。

    - レコード契約(後編) -

    言い伝えによれば、ジョニーZはすぐに店を飛び出し、電話ボックスをみつけて、この明らかに(どこのレコード会社の契約)サインのないバンドを探し始めた。さらに言い伝えによると、ジョニーZはそれからメタリカに興味を示していることを昔からの仲間でありファンジン編集者のロン・クインターナに伝えたという。ロンは、メタリマンションにいたラーズとバンドにその情報を提供した。そこにはギタリスト、マイケル・シェンカーのクールなポスターはあったが、ひとつの電話もなかったのだ。すばらしいことだが、メタリカの経歴の最も重要なこの部分のあまりにドラマ仕立てにされた説明でもある。少なくともラーズ・ウルリッヒはジョニーZが自分を造作もなく見つけたと振り返る。

    「俺たちはメタリマンションで電話を持っていた。でも電話代を払っていなかった期間だったかもしれないね(笑)通常、電話を持っていた時には、俺たちまでたどり着くのはそんなに不可能なことではなかった。」ラーズはそう語り、自分の考えるレコード契約への道のりについて続けて語る。

    「ジョニーZが電話してきた時、彼は2つのことに本当に熱心になっていた。(1つは)俺たちに東海岸でコンサートをさせたがっていた。そして、俺たちに東海岸でレコードを作らせたがっていた。俺たちはちょっとした旅行の準備くらいメチャクチャできていた。さらに俺たちが興味を持ったのは、彼の働きかけでヴェノムが4月にニューヨークでライヴをすることになりそうだってことだった。俺たちはヴェノムの大ファンだったからね。その当時俺たちはテープのトレードがうまくいきだして、東海岸からのファンメールも届き始めていた。だから俺たちはそこで始まろうとしていることにもう夢中になったよ。それにジョニーZは面白そうな人だったしね。俺たちがつかんだチャンスだった。俺たちは契約も何もなかったから。」

    メタリカにはお金はなかったが、大きな野心があった。『No Life Til Leather』が好評だったことと、とりわけジョニーZが野心を植えつけてくれたおかげで。選択肢はもはや明白だった。4月1日、バンドはUホールで車を借りて、アメリカ大陸の向こう側、もっと具体的に言えば、エルセリートのメタリマンションから4,726キロ離れたクイーンズにあるミュージック・ビルディングに向かった。

    ラーズ・ウルリッヒ「ジョニーZはいくらかお金を送ってくれた。ほんの少しのお金だったけど、Uホールで車を借りて自分たちの持ち物を突っ込むには充分だった。バンの後ろはたぶん5から6フィート(訳注:1.5〜1.8メートル)くらいあったかな。そこに自分たちの機材、スーツケース、安いマットレスを入れたんだ。全然豪華じゃなかったよ。ジェイムズとデイヴが前に座って運転して、クリフとマーク・ウィテカーと俺が後ろのマットレスの上でマーシャル・アンプとか俺のドラムセットに囲まれて、横になったり寝たりしていた。俺たちが出入りできたのは、誰かが後部ドアを開けた時だけだ。運転中、12時間暗闇の中で過ごした。唯一の明かりはクリフのライターだけだったね。そんな感じでサンフランシスコからニューヨークまでちょっと刺激的でハッピーな数日があったんだ。」

    ジェイムズ、ラーズ、クリフ、マークがバンドのトラブルメーカーにうんざりする日もあった。デイヴ・ムステインは自分が運転しなければならない時でさえ、かなり酔っ払っていた。酔っていると、雪だまりにバンを突っ込んだり、マークにケンカをふっかける時さえあった。

    ラーズ「西海岸から東海岸への旅で俺たちはデイヴ・ムステインの邪悪な面を見た。彼はあまりに予測不能で、あまりに飲酒その他もろもろ羽目を外しすぎたんで、おそらくそこで俺たちが決めたんだと思う。ジョニーZに会ったその日に、たしか俺はジョニーに、バンドあるいはバンドのうちたった一人のメンバーが東海岸に戻る交通費を払ってもらわないといけないと伝えなければならなかった。俺たちはデイヴをクビにしなくちゃいけないかもと考えていたからね。」

    もうひとつの「実務上の問題」もあった。ザズーラ夫妻は既に彼らの2人の子どもと共にいくつかのバンドにスペースを占有されていた。メタリカはミュージック・ビルディングに引越し、地元ニューヨークのバンド、アンスラックスとリハーサル室を共有した。彼らとメタリカはすぐに友だちになった。アンスラックスはこの貧乏なメタルバンドをヒーター、冷蔵庫、ある時は少しの食べ物によって手助けした。ミュージック・ビルディングの地区に出回っていた麻薬はバンドにとって大きな関心を寄せるものにはならなかった。

    彼らのヘヴィメタルの野心は、明らかに低予算の宿泊施設に基づいていた。特にヘレルプとその他の世界に慣れていた若者にとっては。しかしミュージック・ビルディングの半ば哀れな生活はラーズと今や有望株の彼のバンドにとって最も差し迫った問題ではなかった。日曜の夜、ヴァンデンバーグとザ・ロッズのサポートで行われたバンドのショーの後、バンドにおけるムステインの将来はもはや論議することではなくなった。手に負えないデイヴを追い払わなければならなかったのだ。しかしそれを誰が彼に告げるのか?次の日の朝、バンドはジェイムズをその役に選んだ。ジェイムズは寝ているデイヴの肩をつつき、手厳しい言葉で起こした。「俺たちは決めたんだ・・・おまえはもうこのバンドの人間じゃない!」西に向かうグレイハウンズの始発バスが出発する2時間前だった。長い別れへの理由は何もなかった。彼らは全員先へ進んだのだ。

    ラーズはこの悲しくも必要だったエピソードについて説明する。「時おり彼はちょっと羽目を外すことがあった。(そんな状態で)彼が予測もできなかったことに直面したらどうなっちまうんだろう?ってね。それで俺たちは彼を早朝に起こして、サンフランシスコ行きのグレイハウンドのバスにできるだけ早く乗せた方がいいと決めたんだ。彼が何が起きようとしているのか完全に理解する前にね。それで彼はバンドから放り出されて、4時間のフライトの代わりにあの忌まわしいバスで3日間不機嫌に過ごさなければならなかった。でも当時、俺たちには(航空)チケットを買うお金がなかったんだ。俺はデイヴと一番仲が良かったし、おそらく彼と一番緊密な友情関係があったと思う。だから俺にとって彼にそんなことを告げるのはあまりに難しいことだと思っていた。クリフはまだ新メンバーでバンドに来て5、6週間しか経っていなかった。だから俺たちが言わなくちゃいけないことを言う資格はなかった。そうしてジェイムズが担当者として選ばれた。でも俺たちはみんなジェイムズと一緒にいたんだ。ジェイムズ一人でやることじゃないからね。」

    しかしながら、ラーズ、ジェイムズ、クリフ、そしてマークにとって悲しい状況だった。とりわけ、その経験と紛れもないギターの才能によって確かな成果をバンドに持ち込んでくれたデイヴと1年以上過ごしたラーズとジェイムズにとっては。創造性とユーモアで満たされたギャングな日々はそう多くなかった。全員マンハッタンの観光に行き、変わっていったメンバー編成のなかでも飲み続けていた物、ウォッカを飲んで酔っ払った。

    しかしメタリカは運を持っていた。タイミングが良かったのだ。バンドが優先したギタリストの選択肢、カーク・ハメットはチャンスをつかむ準備ができていた。エクソダスにいた彼の人生も悪くなかったが、メタリカと共にアルバムをレコーディングするためニューヨークに飛ぶことを考えた彼は完璧なキャリアアップを果たした。カークはデイヴが去った同じ日の夜に到着した。ミュージック・ビルディングで行われたカークのオーディションはほとんど形式的なものだった。これより数週間前にラーズとジェイムズはカークが『No Life Til Leather』デモを手にできるよう適切に手配した。彼らはカークの特質や音楽の好み、そしてギター・プレイはメタリカの相性や展望によく合っていると確信していた。そして彼らは正しかった。

    「カークは彼のギターとマーシャルのアンプと共にやってきた。デイヴを追い出した日と同じ日に彼とジャム・セッションをしたんだ。俺たちがやった最初の曲は「Seek And Destroy」だった。ソロの途中でジェイムズと俺は互いを見て同時にうなずいたよ。そうやって(オーディションが)行われたのさ。俺たちがムステインを追い出した時、カークはバンドにいなかった。彼は間違いなく最初の選択肢だったんだ。俺たちはそれがうまくいくとかなり自信を持っていたよ。でも月曜日の夜のジャム以前は彼はバンドにいなかった。そこで俺たちは互いに親指を立てて(OKサインを出して)彼にバンドに加わるか尋ねたんだ。」そうラーズは付け加えた。

    カーク・ハメットのジャム・セッションのデビューは最高だった。1週間しないうちに彼はニュージャージー州のドーバーでメタリカとしてのステージ・デビューを果たす。

    カークもメンバー編成の中でサンフランシスコ出身だ(カリフォルニア州サンフランシスコ出身1962年11月18日生まれ)。彼は悪名高いヘイトアシュベリー地区でヒッピー生活を送っている年上の親族と共に育った。そしてその期間にジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、そしてグレイトフル・デッドのような音楽のビッグネームと出会った。15歳でカークはギターを弾き始め、そこで70年代のシン・リジィ、キッス、UFOのようなハードロックバンドに自らのアイデンティティーを見つけた。後にカークはセックス・ピストルズや暴力的なパンクに夢中になった。しかし同時に名手ジョー・サトリアーニを師にもっていた。そこでカークはメロディー、テクニック、スピード、そして攻撃性のあいだの完璧な共生関係を有効に探すことができた。1981年、カークは初めてのバンド、レジェンド(Legend)を結成する。これは後にエクソダスとなった。

    ジェイムズのように、カークは離婚した家庭の生まれだ。カークの父親は飲んだくれだった。そして、しばしばカークとカークの母親を殴っていた。16歳の誕生日、彼が父親からもらったのは尻に大量に見舞われた蹴りだけだった。カークの父はその後すぐに家からいなくなった。そして母親がカークと彼の妹を育てるためにしっかり奮闘しなければならなかった。彼が10歳の時、カークは隣人に性的虐待を受けた。したがってギターを弾くことはカークにとって間違いなく癒しとなった。トラウマとなった全ての体験は彼を攻撃的で激しいヘヴィメタルの上に立つ怒りへと向かわせた。

    メタリカは最初のアルバムのための大部分の曲を『No Life Til Leather』の曲に基にして書いていた。ついにミュージック・ビルディングで、来たるべき東海岸でのバンドのギグのためにバンドの曲をたくさんリハーサルする時が来たのだ。一方、ジョニーZはレコーディングに使えるスタジオをみつけた。ジョーイ・ディマイオというジョニーZが担当するニューヨークのバンド、マノウォーのベーシストがジョージ・イーストマンのコダック社でよく知られるカナダ国境近くのニューヨーク州ロチェスターにあるスタジオを薦めてきた。そのスタジオは「ミュージック・アメリカ」と呼ばれるマンハッタンのとても(使用料の)高いスタジオ以外の地元のスタジオよりもさらにずっと安かった。ミュージック・アメリカの2階にある大きなホールはラーズのドラムの音に完璧に合っていた。なぜなら「ラーズは不明瞭なドラムの音を出していた」からだとジョニーZは彼を見ていてそう打ち明けた。

    若く熱心なメタルファンがホールでドラムを叩いている間、ジョニーZはニュージャージー州の家に戻って予算に対処するよう頼まれた。ミュージック・アメリカとそのオーナーであり、プロデューサーのポール・カーシオ(に払う金額)はニューヨーク価格からすれば安かったが、全てがそれほど安いわけではなかった。メタリカは5月末まで6週間アルバムをレコーディングした。そしてホームのロック天国で得たレコード売上げから超過金をロチェスターのアルバム制作陣に渡した。ザズーラはこのバンドに本当に一か八か賭けたのだ。しかし、アルバムのセールに関して誤算していた。タレント・スカウトやあらゆる種類のレコード会社にいるA&Rの人々との数え切れないほどのミーティングは何の実りのなく終わった。ジョニーZが身銭を切ってメタリカのアルバムを出さなければならないことが明白となったのだ。

    自身のレコード・レーベルの設立は、ジョニーZの膨大な計画においてこれまでやってこなかったところだった。だが、もはや引き返せない。彼は「この1つのアルバムのために」Megaforceを始めたのだ。ジョニーZ、そしてラーズと彼のバンドにとって幸いなことに、Megaforce Recordsは2つの善意あるディストリビューターと接触した。アメリカのRelativityとニュー・ブリティッシュ・ヘヴィメタル会社、Music For Nationsだ。この会社はニューヨークのバンド、ヴァージン・スティールのリリースでその前の年に始まったレーベルだった。しかし前者は、せっかちな若者がロチェスターでエネルギーをぶちまけた後に思いついたアルバムのタイトルに問題を抱えていた。そのタイトルは『Metal Up Your Ass』だ。

    最初は仮タイトルだったが、バンドは最終的に選んだタイトルとして、もはや本気になっていた。彼らは断固として譲らなかったが、ラーズと彼のバンド、メタリカに音楽業界の本当の状況について少し学ぶ時が来た。メッセージは明らかだった。どうあってもタイトルを『Metal Up Your Ass』することも、提案された妥協案『M.U.Y.A』やその他頼んでもないのに送りつけられた提案に乗ることもできなかった。怒ったクリフは制約を課してくるディストリビューターに対する感情を露にした。「あいつら全員殺っちまえ・・・とにかく殺っちまえ」

    それがタイトルになった。『Kill 'Em All』だ。

    『Kill 'Em All』は7月に発売された。ジェイムズ・ヘットフィールドによってデザインされたバンド・ロゴと無検閲の一節「Metal Up Your Ass」とともに。アルバムは9曲から成り(『No Life 'Til Leather』からさらに発展した6曲を含む)、クリフのソリッドなベースソロも収録されていた。リフを基調としたヘヴィメタルの速い曲が次から次へと繰り出され、使える場所があればすぐにテンポの変化や燃えるようなソロが差し込まれ、メタリカがアメリカのシーンから無視されていると感じてきたヘヴィメタルへの愛の大々的な声明を抒情詩調の領域でもって表現していた。

    全世界的にラーズとメタリカと同じ意見を持った人々がいた。2週間以内で『Kill Em All』は20,000枚近く売れた。それは独立系レーベルのリリースでは全く聞いたことのない数字だった。

    「それまで書いてきた最初の9曲をこのアルバムに使った。次のアルバムでは次にできた9曲を使う。そしてその次も・・・ってね。それがメタリカの世界征服計画なんだ。」とは、ものすごい熱意とものすごく若く陽気な、ほとんど絶え間なくメタリカについて話していそうなラーズの言だ。

    ラーズは明らかに正しかった。そのウィットに富んだ「世界征服」という言葉は。そのうち、曲やレコーディング、メディアやレコード会社とのミーティング、リハーサル、スタジオ(数ヶ月、それから数年)、家からの電話やファックス(時おり)、バンクーバーや全世界へのロードにおける、世界征服への戦いはそう容易くはなくなった。

    しかし、ラーズは全ての準備ができていた。重要な利点である疲れを知らない献身と固い決心を彼は持っていた。最も重要なのは、彼は1983年夏、ついに完全なバンドを持ったのだ。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/9/

    dave-and-kirk
    メタリカ時代のデイヴ・ムステインとエクソダス時代のカーク・ハメット

    ラーズの認識と裏腹に、カークはこの時点でハッキリと正式メンバーと言われたわけではなかったようで、しばらく自分が正式メンバーなのか助っ人なのかわからなかったそうです(苦笑)

    女手ひとつでカークを育てたお母さんとは今年(2014年)2月のFearFestEvilにいらしていてお会いすることができたのですが、非常にパワフルで可愛らしい方で「この方があのカークを生み育てたのかぁ、なるほど。」と妙に納得したのを覚えています。

    そしてデイヴ・ムステインの解雇については、スコット・イアンが自叙伝で語っているところがあるので、後日紹介します。

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    メタリカ活動初期写真集「The Club Dayz 1982-1984」届きました。

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    少々遅くなりましたが、Metallica.comからのお知らせを管理人拙訳にて。

    2ヶ月と少し前、俺たちは作家マット・テイラーによる決定的な『Master of Puppets』本に対するキミたちの助力を求めていた。そしてキミたちは大々的に期待に応えてくれた。ありがとう!!俺たちはまた キミたちが個人的な持ち物の中から『Kill 'Em All』と『Ride The Lightning』時代の関連グッズを見つけ出して欲しいと思っている。俺たちはこれら2つのアルバムのデラックス・リマスター・バージョンを来たる2015年に準備しているからね。

    俺たちは全てを求めている!まだポケットにすっぽり入るようなサイズになるずっと前にビデオカメラをどうにかコッソリと持ち込んだりしてなかったかい?それともスナップショット用の昔のインスタマチック・カメラ?マイク付のカセット・ウォークマン?俺たちは何でも、全てを探しているんだ・・・音声、ビデオ、写真、フライヤー、チケット半券、フロアで拾ったセットリスト、どんな記念物でもいいからその当時のキミたちが持っているかもしれないものを。submissions@metclub.com までキミの話を共有して、写真、ビデオ、音声記録、その他記念物の投稿についての情報を受け取って、これらのアルバムにキミの印を刻んで欲しい。

    覚えていて欲しいのは、俺たちは全部を求めているってこと(そうキミのもの全部だ)!小さすぎるとか取るに足らないとかそんなものはない・・・キミの仲間と一緒の記録物を共有して、懐かしい思い出を俺たちと一緒に楽しんで欲しい。それを提出することで、キミは俺たちが今度のリリースでキミの歴史の一片を載せるのに使うんだと言えるのさ。(そう、弁護士が俺たちにこの部分の文章を加えろとさ!)

    Kill-'Em-All-Back

    Metallica.com(2014-10-29)

    というわけでリマスター盤発売決定に伴い、そこに収録するための当時の記念物をファンから求めているのでお持ちの方はぜひぜひ。

    そして冒頭に書かれていたリリース30周年(2016年)を記念して発売予定の『Master of Puppets』本についても、こちらで紹介するのをすっかり失念していたのでフォローしておきます。

    こちらもMetallica.comからのお知らせを管理人拙訳にて。

    今年のはじめ、俺たちは作家でありメタリカの大ファンであるマット・テイラーから連絡を受けた。彼は、1974年のマーサズ・ヴィニヤードの島が舞台のスティーヴン・スピルバーグの草分け的映画『ジョーズ』について、極めて称賛し、賞を獲得し、非常に尊敬を集めた報告を書いた人物だ。そして、俺たちが(マットが制作した)『Jaws: Memories from Martha's Vineyard』を観て、その出来栄えと押さえた範囲、細部にまで払われた注意に感動させられた。彼こそがあのアルバムのリリース30周年を祝うのを手助けする男だとわかった。熱心なオブザーバーの中には、俺たちがメタリカについての他の本のほとんどに関係してこなかったことに気付いた人もいるかもしれない。でも、マットの最初の本がめちゃくちゃクールだったから、彼と一緒にやらないといけないんだ!

    マットは俺たち全員、マネージャー、レコード会社スタッフ、当時の知人、そしてクリフのお父さんであるレイ(彼は寛大なことにクリフとの時間の一部を俺たちに与えてくれた)に広範囲なインタビューをするのに忙しかった。しかし、マットはまだ信頼するレコーダーとスキャナーがさらなる物語と写真を探していると言っている。『ジョーズ』でやったように、『Master of Puppets』の本に関するマットの計画は、草の根レベルの当時の雰囲気を反映したアマチュアのファンが撮った写真や物語に重点を置くことだ。そこで、キミたちの出番だ。1986年どうしてた?カメラをショーの1つや2つに隠し持って行かなかったかい?レコード店やバーで俺たちに出会ったかい?当時のギグに行くまで、あるいはキミと仲間との写真について可笑しな話はないかい?俺たちは全てを求めている!!切り取られてる?ぼやけてる?露出過度になってる?俺たちはそれでも持っていくよ!写真、逸話、物語、取るに足らないものなんて一切ない。俺たちは“キミ”にこの本の一部になって欲しい!

    submissions@metclub.com までキミの話を共有して、写真、ビデオ、音声記録、その他記念物の投稿についての情報を受け取って欲しい。提出するものは全部、キミ自身のコレクションじゃなければならない・・・。俺たちが使えるのはキミが撮ったスナップショットだけだ。覚えておいて欲しいのは、覚えていて欲しいのは、俺たちは全部を求めているってこと!小さすぎる、取るに足らない、そんな物語や写真なんてものはない。

    万が一、怪しいと思っている人がいるといけないので、俺たちは提出してもらったものをまとめる予定だ。2015年秋にそれを目にすることができるよう準備している。そしてここをクリックしてマットの最初の本、『Jaws: Memories From Martha’s Vineyard』をチェックしてくれ。

    damage-inc-tour-book

    Metallica.com(2014-07-31)

    来年以降の予定が発表されて、鬼笑いまくりモードです。『Master of Puppets』リリース後のツアーはメタリカの初来日でもあります。管理人は当時メタリカを知ってすらいなかったので何も協力できなくて残念ですが、日本からも何か送れる人がいるんじゃないかなぁ。

    それにしてもメキシコ公演のDVD『ライヴ・イン・メキシコ 〜栄光の一夜!』(何回書いてもこの邦題キツいな(苦笑))を観た時もちょっと思ったんですが、彼らはファンを巻き込んで一緒に楽しんじゃえみたいな企画を考えるのがうまいですね。

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    TVK(テレビ神奈川)にて放送中の伊藤政則氏の番組「Rock City」にて先日のサマーソニックで来日した時に行われたラーズ・ウルリッヒのインタビューが放送されました。テレビごとカメラ撮影したキャプ画(意図せずとも変顔多め)とともに内容をご紹介。

    「Hey! Lars is here! You Watchin' Masa Ito's Rock City!」
    lars_rockcity01

    まずは日本語版の映画予告編を公開。

    伊藤政則氏の前口上。
    「さぁ!観ていただくのはですね、映画の予告編です。こちらはバンクーバーのね、ロジャース・アリーナだったかな?で、撮影したものなんですよ、はい。まぁメキシコで8回。この後カナダに入ってエドモントン、そしてバンクーバーと、なんとね、ステージの大きさ、70メートルですよ。70メートルだったらぁ!悪いけどぉ!東京ドームとかも入りません!でかすぎちゃって!はい。それくらいの巨大なステージで、ステージもこれ、メンバーの1人と、5人目のメンバーだったんだなぁ。すごいですよ。しかもこの3D映画、ボクも観ましたけどね、ホントすごいよ。はい。最大で24のカメラをね、使ったそうですよ。レッド・ツェッペリンの『The Song Remains The Same』と同じように、全然違うイメージビデオと言いますか、まぁメタリカの場合、悪夢ですけど、それと自分たちのライヴを組み合わせた、そんな映画です。メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー!」

    (放送されたのは日本語版の予告編ですが)


    以下、テレビ画像とインタビュー文字起こし。コロコロと変わるラーズの表情とともにお楽しみください。

    伊藤政則
    「体調はどうですか?日本のファンは待ち構えてますよ。」

    ラーズ・ウルリッヒ
    「日本に戻ってこられて嬉しいよ。3年ぶりかな。3年前はさいたまスーパー・アリーナでやったんだったな。」
    lars_rockcity02

    「今回は2回で、東京とあと大阪に行く。素敵だよ。でもこんなに暑い日本は初めてだな。2日前にAEROSMITHのライヴに行った友達がバカみたいに暑かったと言っていた。でも俺達は大丈夫だよ。ステージに上がって楽しむさ。」



    伊藤政則
    「こないだ『ORION + MORE』で1stアルバム完全再現やったそうですけど、やった印象どうでしたか?」

    ラーズ・ウルリッヒ
    「楽しかったよ。俺達のフェスティヴァル、2年目の『ORION FESTIVAL』をデトロイトでやったんだ。」
    lars_rockcity03

    「俺達にとってパーソナルなフェスティヴァル。ファンには出来るだけ俺達を身近に感じてもらえる様なフェスティヴァルにしたかったし、何が起こってもおかしくないものとして『ORION FESTIVAL』を確立させたかった。そこでは必ずスペシャルな事が起こるんだという事を世界中のファンが知るべきだと思ったんだ。」


    「周りの人間はいつだって何周年について話している。俺達はそういう事はあまり考えないけど、必ず誰かが「これの30周年」だの「あれの25周年」だのと言っている。そういう事をしょっちゅう耳にするんだけど、誰かが「KILL 'EM ALL」の30周年と言ったんでそれをやったら楽しいんじゃないかと思ったんだ。」
    lars_rockcity05

    「これを人に言うのは初めてだけど元々のアイディアは別のステージに俺達が登場してパンクやアンダーグラウンドのクレイジーなカヴァー曲をやるというものだった。クレイジーな曲をやろうとしたんだけどそれがあまり上手く行かなかったんで、代わりに「KILL 'EM ALL」を完全再現する事にしたんだ。楽しかったよ。」
    lars_rockcity04

    「すごく小さなステージでね。『ORION FESTIVAL』にはステージが5つあるんだけど、そのうちこれが一番小さいステージだった。だから俺がここでプレイしていると人がステージに溢れて来た。すごいカオスでクレイジーできわどかったけど楽しかったよ。」
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    「大きな所でやると全てがオーガナイズされていて、どこもかしこもセキュリティだらけといった感じだけど、あの時はアナーキーな要素があった。あれが俺達にとって最大のアナーキーだったな!だからとても楽しかったよ。(1stからの曲は)当然“Hit The Lights”や“The Four Horsemen”といった曲はよくプレイして来たけど、全曲をまたやる事が出来て楽しかった。」
    lars_rockcity07


    伊藤政則
    「改めて1stアルバムの良さみたいなものを、どういう風に感じましたか?」

    ラーズ・ウルリッヒ
    「う〜ん、いや、それはなかったな。去年の『ORION』では「RIDE THR LIGHTNING」を完全再現したけど“Escape”をやったのは初めてだった。「THE BLACK ALBUM」を完全再現した時も2〜4曲は初めてだった。「KILL 'EM ALL」からは“Hit The Lights”“The Four Horsemen”“Motorbreath”“Jump In The Fire”…確か全部やった事があったと思うんで新しい発見はなかったね。全曲やれたのは良かったけどね。」
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    「あのライトがある辺にクリフのお父さんが座っていたんだ。ロバートが“Anesthesia”で初めてクリフのベース・ソロを弾いた時にクリフのお父さんがいたなんて素敵じゃないか。ロバートは君がいる所にいて、クリフのお父さんはライトの所にいて、俺はここに座りながら「ワオ!クールだな!」と思ったね。でもそれ以外に素晴らしいサプライズは特になかった。」
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    「一番のサプライズは大勢の人がバンドを観に来てくれた事だね。1曲目でステージに座った時、俺の所からは観客が俺達の方に押し寄せて来るのが見えたんだ。俺としては怪我人が出ない様にと願っていたよ。ものすごい数の人がいたんだもの。始めた時は50人しかいなかったのが、2曲目の時には10,000人もいたんだから!あっという間に人が増えたんだ。でもそれ以外ではただひたすら楽しかったよ!午後2時にやったんで昼間だったんだ。」
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    伊藤政則
    「30年前の1stを作っているメタリカに、何か今の自分から何かアドヴァイスあげるとしたら、当時のメタリカにどんな声をかけたいですか?」

    ラーズ・ウルリッヒ
    「良い質問だ…アドヴァイスねぇ…」(しばらく考えた後)
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    「長い道のりになるから覚悟しておけよ!」
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    「今の一番の違いは…これは年のせいだと思うから、君も君もみんな同じだけど、人間年をとると世界をもっとしっかり見る様になるんだ。20〜25歳の頃はしっかり見ていない。いつだって次の事に向かっている。「ビールを飲もう」「音楽を聴こう」「女はどこだ」みたいにね。今の僕は常に全てを見ている。そして理解しようとする。周りに溶け込もうとする。でも30年前は自分の事しか考えていなかった。」
    lars_rockcity13

    「今は自分の事は一番最後に考える。まず他の人達の事を考える。「元気?」「いいインタビューだった?」「子供達はどうしてる?」「どうすればMETALLICAの為に一番良い事なのか?」といった事を考えるんであって、「どうすればラーズの為に一番良い事なのか?」なんて事は考えない。いつも子供達やMETALLICAや(婚約者の)ジェシカや父親の為に一番良い事を考えている。常に人の事を考えている。」
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    「だから30年前の自分に何か言ってあげられるとしたら「次のビールの事を考える代わりに、世界に目を向けてそこから取り込め」だね。」

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    当初30分の予定のインタビューが、延長を許され結局40〜45分のインタビューとなったそう。30周年、メタリカ、そして3D映画についてのコメントについては映画のサントラ発売に合わせて公開するとのこと。

    さすがにラーズのインタビューは尺が長いので、1回じゃ収まりきれないわけですね(笑)
    というわけで9月末頃の放送内容にも期待です。

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    届いてからちょっと経ってしまいましたが、レビューも兼ねて。

    開けてビックリ!サンプラーCDを含めてCDが3枚。
    german_01

    なぜ同じものがプラスティックケース盤と紙ジャケ盤の2つも入っているのか謎。。
    「ドイツ版メタハマの半分は優しさでできている」
    というバファリン的な結論に至りました。

    ちなみに開封前はこんな感じなのですが、緩衝材(プチプチ)なしで、紙封筒に入っているだけなのでプラスティックケースが少々割れてました。。
    german_00

    まぁ2枚入ってたから、そこは大目に見ましょう。

    肝心なのは中身ということでトリビュート盤聴いてみました。
    トラックリストはこちら。

    01. Hit The Lights / BLACK TIDE
    02. The Four Horsemen / BURDEN OF GRIEF
    03. Motorbreath (live) / RAGE
    04. Jump In The Fire / DUST BOLT (*)
    05. (Anesthesia) Pulling Teeth / EISREGEN & THE VISION BLEAK (*)
    06. Whiplash / MOTORHEAD
    07. Phantom Lord / ANTHRAX
    08. No Remorse / CANNIBAL CORPSE
    09. Seek & Destroy / PRIMAL FEAR
    10. Metal Militia / DEW-SCENTED

    (*)はMetal Hammerのみ発売の音源

    これはなかなかの良盤です。オリジナルはまさにメタリカの初期衝動が詰まった1枚ですが、このトリビュート盤では前半はその初期衝動に似たエネルギーを感じ、後半では熟達したバージョンの『Kill 'Em All』が聴けるという印象。アレンジはないではないですが、割りと基本に忠実で「ズレた」アレンジはないので、オリジナルに思い入れが強くても抵抗なく聴けそうな気がします。

    ただひとつ、思わず笑ってしまった点を告白しておきます。

    クリフ・バートンのベース・ソロ、Track5の「(Anesthesia) Pulling Teeth」の冒頭、オリジナルでは「Bass Solo... Take One」のところ、このトリビュート盤だと




    「Bass Solo... Take 2,527

    どんだけ、テイク重ねてるんだよ(笑)
    この曲だけはちょっとズレてたかも・・・

    まぁちょっとズッコけた後はちゃんとモーターヘッドが締めてくれるのでご安心を(笑)
    ぜひ一聴して欲しいトリビュート盤です。購入方法は関連記事からどうぞ。

    ※ニベアは大きさ比較のために載せており、Metal Hammerとは一切関係ありません。

    Kill_'Em_All
    Kill 'Em All


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    関連記事
    ドイツ版「Metal Hammer」の付録で『Kill 'Em All』30周年記念トリビュート盤CD発売

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    ドイツ版「Metal Hammer」の2013年2月号にてメタリカの1stアルバム『Kill 'Em All』発売から30周年を記念してトリビュート盤が付録となるとのこと。

    METAL+HAMMER-Ausgabe+02_2013
    http://www.metal-hammer.de/das-heft/aktuelle-ausgabe/article361664/februar-heft-2013-30-jahre-kill-em-all-monster-magnet-helloween-u-v-m.html

    トラックリストはこちら。

    01. Hit The Lights / BLACK TIDE
    02. The Four Horsemen / BURDEN OF GRIEF
    03. Motorbreath (live) / RAGE
    04. Jump In The Fire / DUST BOLT (*)
    05. (Anesthesia) Pulling Teeth / EISREGEN & THE VISION BLEAK (*)
    06. Whiplash / MOTORHEAD
    07. Phantom Lord / ANTHRAX
    08. No Remorse / CANNIBAL CORPSE
    09. Seek & Destroy / PRIMAL FEAR
    10. Metal Militia / DEW-SCENTED

    (*)はMetal Hammerのみ発売の音源
    注文方法は、einzelheft@metal-hammer.deへのメールという今どき珍しいスタイル。

    詳しい注文方法はAiryさんのこちらを参照してください。
    http://blog.livedoor.jp/airyfairies/archives/65577269.html

    cowboybluesさん、情報ありがとうございます。

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    関連記事
    メタリカのブラックアルバム発売20周年記念のトリビュートCDがMetal Hammer誌の付録に登場予定

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    2003年11月6日、代々木第一体育館での一幕。


    5年ぶりのメタリカ来日公演初日とあってか
    初っ端から「Battery」「Master Of Puppets」
    一気に畳み掛けるセットリストからスタート。


    もうテンション♂♂っす〜(*゚∀゚)っ


    そのときのニューアルバム『ST.ANGER』からも
    「Frantic」「St.Anger」をお披露目。


    「次はなにが来るんだ。。」と思ったそのとき、
    ジェイムズ兄貴のMCが始める。。



    「Is got the album 『KILL 'EM ALL』?」
    (アルバム『キル・エム・オール』は持ってっか?)


    「イイェェェエエエエ!!!!!」
    (当たり前だゴルァ!!)




    「Is got the CD 『KILL 'EM ALL』?」
    (『キル・エム・オール』をCDで持ってっか?)



    「イイェェェェエエエエエ!!!!!」
    (こちとらCD世代じゃゴルァ!!)




    (小さい声で)Is got the cassette 『KILL 'EM ALL』?」
    カセットで持ってるヤツは?)



    (控えめに)イェエエ!!」(昔はダビングしたもんさ。。)


     


    (さらに小さい声で)Free Download 『KILL 'EM ALL』...Huhh」
    タダでダウンロードしたヤツは?フッ(笑)



    ( ̄ー ̄)ニヤリ(一同苦笑)



    P2P技術による音楽無料配信サービスを提供していた
    ナップスターと裁判してもめてた後の来日ライブでこのMC。。


    こんなことまでネタにしてしまうなんてなんてタフなん!?
    さすがジェイムズ兄貴です。



    もちろん、



    「You wanna hear the stuff that 『KILL 'EM ALL』?」
    (『キル・エム・オール』からなんか聞きてぇか?)


    と言われたら


    「イイェェェェエエエエエ!!!!!」
    (マジかぁああ!!)


    と答えたのは言うまでもない。


    キル・エム・オール
    そんな『KILL 'EM ALL
    (キル・エム・オール)』

     

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    メタリカのデビューアルバム『KILL 'EM ALL(キル・エム・オール)』
    ですが、LPで発売された当時(1984年)は邦題がつけられてました。



    その名も『血染めの鉄槌』
    ん〜ジャケのまんまだけど、いかにもメタルっぽい(はぁと


    血染めの鉄槌


    中身の曲も一部は邦題になってました。
    どうなってたかというと・・・。


    「The Four Horsemen」→「電撃の騎士」


    そんなに強くなさそう(笑


    「Jump in the Fire」→「炎のジャンプ」


    ジャンプ世代(少年誌ね)としてはどうも
    ぶあつい漫画本が燃えているところを(以下略


    「Whiplash」→「鞭(むち)」


    まんま(爆


    「No Remorse」→「懺悔無用」


    四字熟語がクールにキマってます♪


    「Metal Militia」→「メタル軍団」


    軍団長はやっぱジェイムス兄貴っすか!


    「Seek and Destroy」→「見つけて壊せ」


    ドラゴンボール風に言うと「弾けて混ざれ」みたい(笑



    こうしてみるとレコード会社の方がメタリカは「メタル」
    であることを相当意識していたんだろうなと思いますね。



    なんかオリジナルの邦題とかつけたくなりますね。
    今度ためしになんかつけますか♪



    KILL 'EM ALL


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