メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    カテゴリ: エピソード

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    長編インタビューが続いてまったく記事が追いつけていませんが、ちょっとずついきます。まずは『Master of Puppets』のリマスター盤発売を受けてのRollingStone誌でラーズ・ウルリッヒとカーク・ハメットのインタビュー。収録曲に関する裏話について語ってくれています。管理人拙訳にてご紹介。

    metallica-master-of-puppets-1986

    −BOXセットが出るにあたって一番興奮していることは何ですか?

    カーク・ハメット
    リハーサル・テープやライヴのものはクールだから興奮しているよ。通常のレベルを越えてる。

    ラーズ・ウルリッヒ
    俺はいつだってブックレットのファンで、他のビッグなBOXセットに関して言えば、どんなにちょっとしたニュアンスでも、どんなにちょっとした紙片でも、どんな歌詞でもチケットでもじっくり見てきた。だから願うことなら、ファンがこのBOXセットをよりいっそう高く評価してくれればいいね。クリフの不慮の死に立ち向かってるってことじゃ、感情的な要素を多分に含んでいるかもしれない。彼の最後のショーの音声があるし、ステージ上で俺たちが一緒に撮った最後の写真かもしれないものもある。そういうわけで、ちょっと一時停止して、あの狂気や浮き沈みやクリフを喪ったことの大きさを考えるだけじゃなく、俺たちがこうしていまだに活動していてみんなが気にかけてくれているってどれだけ幸運なんだと思うんだ。

    −BOXセットでいくつか気になるものについてお話ししましょう。ファング(Fang)の「The Money Will Roll Right In」のカヴァーのラフ・ミックスが収録されています。あれをやるに至ったのは何ででしょうか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    「The Money Will Roll Right In」はただよく演奏していた曲だったんだ。初期のカヴァー曲のほとんどは、俺たちがカヴァーバンドとして始めた時にやっていたものだった。「The Money Will Roll Right In」=「金はじきに転がり込む」って言葉のように俺たちはトントン拍子にコトが運んでいた。クリフがバンドに持ち込んだかもしれないね。それ(お金が転がり込む事態)はもうすぐそこにあったんだ。

    カーク・ハメット
    誰が「The Money Will Roll Right In」をやりだしたのか覚えてない。ラーズとジェイムズがやっていたのは知ってるけど、クリフはどうだったかな。俺自身はやってなかったってのは覚えているよ。曲自体があまりに洗練されすぎていたし磨きがかかりすぎていたからね。ファングのバージョンは本当に生々しいんだ。お昼に横になりながら8曲を1回の演奏でやったって感じに聴こえた。俺たちとなると、レコーディングの時には、なんか装飾めいて、どこかやりすぎになってしまう。パンクのシンプルさと生々しさを俺たちの誰も捉えていなかった(笑)。それがリリースされてこなかった理由だよ。俺はリリースされるとは思ってもみなかったけど、さぁここでってわけだね。

    ラーズ・ウルリッヒ
    当時、真剣にレコーディングしたんだよ。最高の音を出さなければ、デフ・レパードの最新アルバムのようなキックドラムのサウンドを出さなければってね。だから俺たちのやり方っていうのは、自分たちの曲ができてラジオでかかるまではカヴァー曲をレコーディングすることだった。自分たちの曲を試してみる代わりにカヴァーを試していたんだ。

    −あなた方が85年にリッチーズ・イン(Ruthie's Inn)でやったライヴのブートレグはかなり生々しいです。

    カーク・ハメット
    あぁ、あの頃っていうのはあのアルバム(「The Money Will Roll Right In」収録アルバム『Land Shark!』)が出回っていて、ファングが毎週末演奏していたし、俺たちはベイエリアに住んでいてしょっちゅう彼らを観ていたからね。

    −ニルヴァーナ(Nirvana)があの曲をカヴァーしたのを聴いたことはありますか?彼らは1992年のレディングで演奏しているんですが。

    カーク・ハメット
    いいや、しらないな。へぇ。彼らがファングのことを知っているなんて知らなかったよ。彼らはベイエリアで一番人気のパンクバンドってわけじゃなかったからね。それは本当に奇妙だな。

    −そのほかに収録されている面白いカヴァーと言えば、ダイアモンド・ヘッド(Diamond Head)の「The Prince」です。クリフの時代にレコーディングされているとは思いませんでした。後にジェイソン・ニューステッドと共に『...And Justice For All』で再レコーディングしていますね。なぜこのバージョンをリリースしなかったのでしょうか?

    カーク・ハメット
    あの時点であのバージョンはダイアモンド・ヘッドとのあいだでクリアされていない問題があったかもしれないと思う。あるいは俺たちがダイアモンド・ヘッドと折り合いを付けたのかもしれない。俺は知らないんだ。ビジネス面のことだ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    プロジェクトを進めて、締め切りを迎えようとしている時、俺たちはヴォーカルを入れずに、レコードに収録する曲に時間とエネルギーを集中することに決めたんだ。

    −さらに興味深いのは、「Orion」のラフ・ミックスではイントロでシンセサイザーが使われているということです。あれはなぜなんでしょう?

    カーク・ハメット
    キーボードで始まるのはクールだと思ったんだよ。ハモンドオルガンとかB-3オルガンのサウンドをもっと使いたくて、シンセサイザーをあの箇所に使ったんだ。

    −誰が弾いていたんですか?

    カーク・ハメット
    覚えてない。スタジオにあったキーボードに関して言えば、俺たちのほとんどは1つ指のキーボード・プレイヤーだったと思うよ。

    −レコーディングされたものの多くは、アルバムでのものとかなり似通っています。あなたは曲をたくさん試していたことを覚えていますか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    いや。当時、俺たちがやっていることにイチャモンつけてくるヤツに対して、俺たちはそうは変わらないようにと、とても保護主義的だった。もし変えてしまったら、付け入られてしまうと。俺たちはレコード会社やマネジメントにそういうものを送ったことは本当に一切ない。これは失礼な意味にとってほしくないけど、その意味ではフレミング・ラスムッセンはプロデューサーだと考えていなかったんだ。彼はどちらかと言えば最高のサウンドを得て、それを大きくするエンジニアのようだった。当時の俺たちの考えでは、プロデューサーってのは、曲をいじくってラジオ向けのものにするか、大人しいものにしてしまうヤツのことだった。だから「プロデューサーなんていらねぇ」って感じだったんだ。バンドにはとても反抗的な雰囲気があった。だからアルバムに収録する最終版のデモを聴いてみると、さまざまなアレンジという点では多くはなかったけど、スタジオではいろいろ曲を装飾していたよ。ジェイムズは特にスタジオでサウンドをいじるのが好きだったし、クイーン(Queen)の曲のようなプロダクションに夢中になっていた。でもプロデューサーがやってきて、俺たちに何をすべきか伝えるってことはなかったんだ。

    −でもあなたはいつだったかラッシュ(Rush)のゲディー・リーをプロデューサーに招こうとしていませんでしたっけ?

    ラーズ・ウルリッヒ
    おぉ〜(間をおいて)彼は俺たちとそういう会話をしていたかもしれない超短いリストに載っているかもしれないな。

    −アルバムの歌詞がどのように作られていったのか覚えていますか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    当時、ジェイムズは自分自身の世界に入って、歌詞を手書きしていた。歌詞はさまざまなことを話すところから生まれたんだ。「The Thing That Should Not Be」はH.P.ラブクラフトの神話からきているし、「Disposable Heroes」は他の誰かの戦争での単なる道具になるってことを話したことから思いついた。「Leper Messiah」は思うに、カークがデヴィッド・ボウイの曲と一緒にジミー・スワガートとジェリー・ファルエルが当時ひっきりなしにテレビでやっていたことを提案したものだ。俺たちがテレビを見ていると、歌詞のアイデアの引き金になるようなものがテレビにはたくさんあった。座って福音伝道者たちがやっているのを見るんだ。あの「私にお金を送れば、私はあなたを癒すでしょう」とかなんとかいうヤツをさ。間違いなく彼らはあの時(「Leper Messiah」を書く上で)俺たちに影響を与えたね。「Damage, Inc.」と「Battery」はファンという家族とか自分よりも大きなものに属しているっていう感覚について。「Master of Puppets」は明らかに中毒とかそういったものに関することで、俺たちの友人であるリッチー・バーチに触発されたものだ。彼は『Kill 'Em All』の裏ジャケットに「Bang that head that doesn't bang」を引用されたヤツで、ジェイムズと俺の家のソファをぶち壊し、鏡の上で朝食を刻んで(訳注:「Master of Puppets」の歌詞、"Chop your breakfast on a mirror"のこと。コカイン吸引前に鏡やガラスの上で細かくすることから生まれた麻薬を吸うことの隠語)出かけて行ったんだ。いいかい、俺たちはアイツのことを死ぬほど愛していたんだ。彼は良き友人だったから、何か意見を言おうってんじゃなくて、当時のヤツらがどうだったかについて書いたものなんだ。

    RollingStone(2017-11-09)
    Fang - The Money Will Roll Right In


    Nirvana - The Money Will Roll Right In (Live at Reading 1992)


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    Podcast「Alphabetallica」にて、メタリカと共に『Ride The Lightning』『Master Of Puppets』『...And Justice For All』と3枚のアルバムのプロデュースを行ったフレミング・ラスムッセンのインタビュー。UltimateGuitar.comの文字起こし部分を管理人拙訳にてご紹介。

    Flemming-Rasmussen-Flemming-Rasmussen

    −レコーディング過程について

    我々は最初にリズムギターでドラムを録っていた。ガイドとなるリズムギターだけでね。全部を演奏することもあったけど、ドラムを録っとくだけでそれからドラムの上にリズムギターをのせていくんだ。普通はドラム、ベース、ギター、ヴォーカルとやっていたからね。当時はそうやっていた。

    でも私は最初にリズムギターをレコーディングした。明らかにリフをベースとした音楽だったし、ベースさえもほとんど同じリフを弾いていたからね。私はジェイムズの卓越しているリフを弾く感じが欲しかったし、クリフにはそれに従って演奏して欲しかった。

    ベーシストによって解釈されるのではなく、(ジェイムズによって)リフが書かれた時の感じを得たかったからだ。だからそう、まずリズムギターをやったんだ。クリフにとってそれが本当に良かった。彼はライヴという状況に慣れていたからね。彼が演奏するトラックがほぼ完成すると、彼はたくさんいいプレイをするんだよ。彼はヒッピーみたいでルーズな男だったから、ヘッドホンが好きじゃなかった。だから大きな部屋にスピーカーを繋げて曲を大きく響かせて、アンプを一人だけの部屋に設置していた。彼は飛び跳ねながらベースを弾くんだ。あれは本当にクールだったね。


    −「Welcome Home (Sanitarium)」について

    「Sanitarium」のイントロは大好きだよ。ヘッドホンで注意深く聴けば、最初のギターはモノラルでやってる(とわかる)。実際にそうやってレコーディングしたんだ。ドラムが入ってきた時に私がスイッチをちょっとイジってステレオにしたってわけ。これは実際に私がロイ・トーマス・ベイカー(訳注:クイーンのデビュー作から5作目の『華麗なるレース』までを手がけた名プロデューサー)から学んだことなんだ。彼はそういうことをクイーンのアルバムでよくやっていた。それが本当にいい音だったので、これこそあれをやるところだと思ったんだ。モノラルで幻想的なサウンドからステレオでとてつもないサウンドになってくというわけだね(笑)

    −「For Whom the Bell Tolls」について

    「The Bells」は我々がクリック・トラックをやった最初の曲だった。タイトにしたくってね。あれはたしか私が「彼らはおそらくスピードアップするから、あれが必要だ」と言ってやり出したんだ。彼らはライヴという状況に慣れきっていたから、(アルバムをレコーディングするために)スタジオ入りした時にクリック・トラックが何なのかわかってなかった。


    UltimateGuitar(2017-08-19)

    インタビュー全編はこちらから。


    51分と長尺ながら、デンマーク人であるフレミングとラーズ・ウルリッヒがレコーディング中にデンマーク語で会話をしていたら、ジェイムズ・ヘットフィールドが何言ってるかわからん!と怒り出した話や『...And Justice For All』のレコーディングをガンズ・アンド・ローゼスの『Appetite for Destruction』を手がけたマイク・クリンクと始めたがうまくいかなかったこと等々興味深い話をいくつも披露しています。

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    ボストンのラジオ局「98.5 The Sports Hub」の番組「Toucher & Rich」で行われたカーク・ハメットへの電話インタビュー。

    「Enter Sandman」のリフの触発元を教えてくれたインタビューの後半で、80年代から90年代にかけてメタリカが他バンドに行ったいたずらについて語っていました。UltimateGuitar.comとCBS Bostonの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    kirk_plank
    −Alcoholicaと呼ばれていた頃の行状について

    俺たちがアリーナツアーを始めた頃っていうのは、全ての放蕩三昧が極みに達した時だった。オープニングアクトは音楽性で選んではいたけど、終演後の夜に外出した時にどれだけ楽しめるようなバンドかってことでも選んでいた。だからそれが基準の一つでもあったんだ。

    −「しごき」はあった?

    メタリカには、いつも「しごき」があった。(ツアーを共にした)ザ・カルトにもクイーンズライクにもメタル・チャーチにもかなり悪いことをしてしまった。それからオープニングアクトにはもう少しうまくやったんだ。俺たち全員、悪ふざけが大好きな連中だからね。いつも彼らにいたずらをしていたよ。

    −最高のいたずらは?

    1989年かそこらで、クイーンズライクが『...And Justice For All』ツアーでは彼らの最後のショーだった。彼らが大ヒット曲「Silent Lucidity」を演る時に、俺たちは男性ストリッパーたちを彼らの後ろにいるようにセッティングしたよ。

    それで彼らがあの曲を始める時に、俺たちは照明担当に後ろにいる男性ストリッパーを照らすように言っておいたんだ。俺たちがその様子を見ていると、ライトが点灯し、彼らが曲を演奏し始めて観客全員がとてもポジティブな反応だった。

    バンドは後ろで何をやってるかなんてわからなかったから「おぉこの曲はここで本当に人気があるに違いない」って思っただろうね。自分たちの後ろで、6人の男性ストリッパーが腰を振ってたなんて、彼らは知らなかったわけだから。

    あれは大笑いだったね。笑いすぎて顔に涙が流れたのを覚えているよ。


    CBS Boston(2017-09-13)
    UltimateGuitar(2017-10-02)

    Queensryche - Silent Lucidity


    こんなしっとりした曲でストリッパー踊らせる「演出」は酷すぎだよ...(^^;;

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    俳優/プロデューサーのディーン・デルレーが毎週月曜日にMCを務める「Let There Be Talk」のなかで、メタリカ草創期最大の功労者のひとり、ブライアン・スレイゲルのインタビューが行われました。インタビューでは、メタリカについても触れていたので、UltimateGuitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    metallica_adam_brian
    写真左からラーズ、ネルガル(Behemoth)、ジェイムズ、ブライアン
    −メタリカを初めて目にした時

    彼らの初めてのライヴは見逃してしまったが、2回目の(サクソンと一緒に行った)ライヴで、ヘットフィールドは(ギターを弾かずに)歌っているだけだった。彼らはヘットフィールドがそんな状態でもう一回くらいギグをやったかもしれない。それから彼がギターを弾くようになり、ギターを争っていたんだ。

    面白いのは、当時の彼はメチャクチャ恥ずかしがり屋だったってことだね。はじめの頃のギグで喋っていたのは全てムステインで、ヘットフィールドは本当に一言も口をきかなかった。彼がギターをプレイし、全ての曲を書いて、それはちょっと変わったんだ。彼らがどうしてそうしたか覚えていないが、「歌っているあいだに俺にギターをよこせ」と彼がなるまで長くはかからなかったね。


    −シャイなジェイムズがフロントマンに

    シンガーがいなかったから彼が歌っただけだ。彼らがデモを録った時、ラーズがドラムをやってジェイムズが他のもの全てをやった。それで彼は事実上シンガーになったってわけだ。LAで彼らとウマが合った唯一のバンドはアーマード・セイントだったってのはよく知られた話でね。彼らは一緒にギグをやり、よくつるんでいた。それでメタリカは(アーマード・セイントのシンガーである)ジョン・ブッシュに「俺たちのバンドに加われよ!」といつも誘っていたが「いや、俺は仲間と一緒にやるよ」と返していたね。

    −メタリカの歴史の面白いところ

    私にとっては、座って2秒考えただけでいまだにクレイジーだと思うよ。ラーズと私は、彼らがロックの殿堂入りを果たした時にちょっと時間が取れたんだが、彼が私を見てこうさ。「これは一体全体どうしてこんなことが起きてるっていうんだ?」って。

    とても奇妙だったよ。私たちは以前、16歳と18歳のキッズで友人だったからね。2人とも音楽業界で長いキャリアを持つなんて誰が思っただろう?それについて考えると、とても信じられないよ。


    −メタリカの潮目の変化

    オジーの前座をするまでは、これは本物だと私のなかに記されることはなかった。着実に毎晩毎晩オジーをぶっ壊していた。「わぁこれは本当にビッグになるぞ」ってね。あれで「これは政権交代だ。このバンドはツアー後にビッグになるだろう」と私は思ったよ。レコードもよかった。本当に変わった。ラジオやMTVでのエアプレイなしにね。彼らはあの時点で超ヘヴィなバンドとしてそれをやってのけたんだよ。

    UltimateGuitar(2017-10-06)

    インタビュー全編はこちらから。
    https://soundcloud.com/deandelray/379-brian-slagel-founder-and

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    2017年11月10日(国内盤11月17日)に発売される『Master Of Puppets』リマスター盤。このボックスセットに収録される、スコット・イアン(アンスラックス)が『Master Of Puppets』収録曲の「Orion」について書いたエッセーが公開されていました。管理人拙訳にてご紹介。

    ULF-MAGNUSSON_metallica1986

    これが1986年のことで、彼ら(メタリカ)が新しい地平を築いていたってことを覚えておかなきゃならない。「Master Of Puppets」「Sanitarium」のような曲を聴いた時、30年も経った今となっては彼らが何をやっていたかわかる。でも1986年には「E=mc2」(訳注:アインシュタインの特殊相対性理論から導かれた式、難解なものの例え)だったんだ。理解しえないものだったし、俺はまだ彼らの傑作「Orion」に触れてすらいない。

    マジで、あいつらベートーベンの妙薬でもみつけたのか?どうやって成長を遂げて、8分半のインスト曲を作ったんだ?「Orion」は心を打つし、まとまりがあって、エキサイティングでダイナミックだよ。メタリカは次に何をやってくるんだろうと思ってたから、俺の耳が飽きるなんてことはなかったね。


    noisey(2017-09-27)

    『Master Of Puppets』リマスター盤ボックスセットから未発表ライヴ音源「For Whom the Bell Tolls (Live at Hampton Coliseum)」も公開されています。


    ■輸入・国内盤仕様
    ・リマスター・デラックス・ボックス・セット(32,400円(税込))
     品番:UICR-9041

    ユニバーサルミュージック
    Amazon
    タワーレコード
    HMV
    ディスクユニオン

    ・リマスター・デラックス(仮)(3,888円(税込))
     品番:UICR-1133/5

    ユニバーサルミュージック
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    ラモーンズのマーキー・ラモーンがMCを務める「Virgin Radio」にてジェイムズ・ヘットフィールドが「Here Comes Revange」の歌詞についての着想について語っていました。UltimateGuitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    jmz_revenge

    −復讐(Revenge)についての曲があるけど、これは何に着想を得たものなのか?

    ひとりの父親として、以前のように物事や世界がどれだけねじ曲がっているかを見たりするのとは違ったものに影響を受けている。

    でも、それから子供たちがとても賢くなっていることに気付かされたよ。彼らはオープンだし、なんとかなるって感じなんだ。でも俺の父親は「世界は地獄になっちまった!」って言っていたし、彼らの父親(自分)も同じことを言っている。

    それでわかったんだ。それは一種の心理療法だってね。世の中で起きていることについてちょっと不平を言うようになる。

    で、俺たちのファンがいて、彼らの立場に身を置こうとしてみたんだ。とてもたくさんの公演に来てくれたカップルがいてね。彼らがメタリカに興味を持ったのは、若い娘さんが俺たちの大ファンで、酔っぱらった運転手によってひき殺されたからだった。

    それには衝撃を受けたよ。「どうしたら世界でポジティブなものを見出して、自分の娘とまた通じ合うことができるだろうか」それがメタリカであり、彼女が愛した音楽だったんだ。理性がポキっと折れて、冷酷になってこんなことをした奴なら誰でも攻撃をしたくなる代わりにね。

    だから俺は彼らの立場に身を置いて(考えた)、復讐は実行するのに本当に力強く素晴らしいものだと感じなければならないが、その衝動を満たすものではなかったんだ。


    UltimateGuitar.com(2017-09-25)

    インタビュー全編はこちらから。アルバムのプロダクション面や故レミー・キルミスターについても語っています。


    ジェイムズは以前、Metallica.comにてファン会報誌SoWhat!のエディター、ステファン・チラジとのインタビューで『Hardwired...To Self-Destruct』全曲の歌詞について語っており、「Here Comes Revenge」については次のように話しています。
    ステファン
    子どもが殺された悲しい物語についてたくさん読んだのかな?それにどうやって折り合いをつけることができたんだろう?

    ジェイムズ
    そうだね。モーガン・ハリントン(※)がいる。誰かを奪われた家族についてはたくさんのことがある。息子が死んだ友人もいるし、名前は挙げたくないけど、ずいぶん長い間ツアーに帯同してきているカップルがあの曲の助けになったし、俺にとってインスピレーションになったんだ。彼らの娘さんが酔っ払いの運転手にひき殺された。彼女はメタリカが大好きだったんだ。このご家族が娘さんと繋がったままでいる方法がメタリカのショーに来て彼女が楽しんでいたものを楽しむということだったんだ。そうやって繋がっているんだろう。あれには本当に驚かされた。とても強いよ。それは自分にも起きうる傷つく出来事だね。つまり人生をぶち壊し、ただ座って四六時中そのことについて考えては、何度も何度も思いを巡らすんだ。「どうしたら物事を変えられたんだろう?もしこうだったら?ああだったら?」どうしたら怒りを抑えられるだろう?どうしたら子どもの人生を奪った相手に怒らずにいられるだろうか?それは俺にとって本当の強さだと思う。俺がするであろう考え方を書いているからね。復讐が起きるのを祈って、それが答えだと考えるだろう。結局そんなことは起きないとはわかってるけどね。

    ※2009年にメタリカのライヴを観に行った後に行方不明となり、遺体となって発見されたヴァージニア工科大学の学生。事件究明のためにメタリカは有力な手がかりを申し出た者に賞金5万ドルを提供。ジェイムズは事件の手がかりを求める動画メッセージを公開した。後に別の殺人事件の容疑者が当該事件の容疑者として再逮捕され終身刑となった。

    Metallica.com(2016-11-19)

    Here Comes Revenge


    RL72 - The Making of "Here Comes Revenge"


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    ボストンのラジオ局「98.5 The Sports Hub」の番組「Toucher & Rich」で行われたカーク・ハメットへの電話インタビュー。「Enter Sandman」のリフを思いついた時のエピソードについて語っていました。BLABBERMOUTH.NETの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    kirkhammettmetallicabaltimore2017

    −「Enter Sandman」のリフを思いついた時の思い出はある?

    とても詳細にね。すごくハッキリした思い出があるよ。あれは深夜2時か3時くらいだった。俺がサウンドガーデンのアルバム『Louder Than Love』を聴いていたんだ。その頃はまだサウンドガーデンが少しアンダーグラウンドでインディーのレーベルにいた時だったね。俺はあのアルバムが大好きなんだ。サウンドガーデンの素晴らしいアルバムだよ。で、そのアルバムを聴いていたら、触発されて自分のギターを手に取ってあのリフが思いついたってわけ。

    クールなリフだった。リフがクールだってことはわかる。演奏してみてクールなリフだったら、すぐにでもノれるからね。だから、おぉこれはかなりクールだぞ、いいフィーリングでいいサウンドでいい音の組み合わせだって。

    ラーズがリフを聴いたら「最初の部分を4回繰り返してくれ」って言ってね。俺がやってみせたら「そう、それだ」ってラーズが言ったんだ。


    BLABBERMOUTH.NET(2017-09-13)

    インタビュー全編はこちらから。カークがコレクションした映画ポスター展、失くしたiPhone、Alcoholicaと呼ばれていた時期の話などをしています。
    http://boston.cbslocal.com/audio/toucher-rich/kirk-hammett-interview/



    LouderThanLove
    Louder Than Love


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    メタリカ草創期最大の功労者のひとり、ブライアン・スレイゲルが自らのレーベルMetal Bladeを興し、音楽に身を捧げた半生を綴った『For the Sake of Heaviness: The History of Metal Blade Records』を2017年8月29日に上梓。

    ForTheSakeOfHeaviness

    この著書の中でクリフ・バートン、ジェイソン・ニューステッドをメタリカ加入に繋げた逸話について語られていました。billboardの抜粋記事を管理人拙訳にてご紹介します。

    1982年の後半、私(ブライアン・スレイゲル)は『Metal Massacre II』をリリースしようと楽曲を集めていた。受け取った投稿のひとつにサンフランシスコのトラウマ(Trauma)というバンドからの3曲入りデモがあった。かなり専門的に録音されていて、彼らのマネジメントは(訳注:ハリウッドの伝説的クラブ)トルバドール(Troubadour)でショーをするためにやってきたのだと私に告げていた。そして私に彼らを見に来たらどうだと提案されたのだ。

    ショーに出かけた結果、バンドはまぁよかったが驚くべきものはなかった。ただベーシストはこの世のものとは思えないものだった。彼がいるステージ側では何かが完全に狂っているのを見る事ができた。青いデニムのベストとベルボトムを着ていて、本当に飛び抜けている。私は彼の名前がクリフ・バートンだということを掴んだ。

    クリフには大層感銘を受けてね。トラウマの「Such a Shame」を『Metal Massacre II』に収録することを承諾した。それがリリースされる少し前に、私はラーズ・ウルリッヒと出会って、彼から「新しいベーシストが必要なんだ」と聞かされたんだ。

    Trauma Such a Shame


    より多くの練習して、ミュージシャンとしての各々の能力を磨き始めてみて、メタリカのメンバーはベーシストのロン・マクガヴニーだけが進展していない唯一のメンバーだと気が付いてしまった。ロンは素晴らしい男だったし、すごくクールではあったが、ラーズは自分たちが書いていた新しい楽曲からすると、ロンは技術的観点からそこまでに達していなかったと私に話していた。そしてラーズは私に他に誰かピッタリの人物を知っているか尋ねたんだ。

    私はこう答えた。「そういえば、サンフランシスコのトラウマってバンドのベーシストは目を見張るものがあったね。彼らはまた別のショーでやって来るから、行ってチェックしてみるべきだよ。」とね。

    トラウマの次のLAのショーでラーズとジェイムズに会った。ライヴが始まって5分くらいで、ラーズは私に向かって笑みを浮かべて「あいつが俺たちの新しいベーシストになる」と言っていたよ。

    ・・・新しいバンドを見つけるための主な情報源のひとつは、Metal Bladeに所属する他のバンドたちからだった。例えば、ビッチ(Bitch)がフェニックスでショーをするために出ていて、戻ってきたら彼らがこう言うんだ。「俺たちの前座がフロットサム・アンド・ジェットサム(Flotsam and Jetsam)ってバンドだったんだけど、あいつらすごいぞ。チェックするべきだよ。」

    彼らは当時『Metal Shock』というデモテープを持っていたんだが、私はそれを聴いて恋に落ちたね。それから彼らのライヴを観るためにフェニックスに行ったんだ。彼らはビッチが言っていたようにすごかった。フェニックス滞在中にそのエリアのもうひとつのバンド、セイクレッド・ライク(Sacred Reich)を見出し、Metal Bladeの名簿にサインすることになった。

    当時、レーベルには熟練のバンドがたくさんいたけど、フロットサムのメンバーは既存のバンドよりも経験豊かなようだった。私はすぐにレコードを作るという考えについて彼らと話した。我々には提供する資金があったおかげで、アルバム『Doomsday for the Deceiver』をレコーディングして1986年7月にリリースできた。

    doomsday
    Doomsday for the Deceiver


    フロットサムのアルバムに費やした1万2000ドルはそれまでにレコードに投資した最大の予算だった。我々は彼らが素晴らしい未来の可能性を秘めていると信じていたから、本当に良いと思っていたんだ。実際、それは非常にうまくいった。

    メタリカのクリフ・バートンがその年の後半に悲劇的な死を遂げた時、私はラーズ・ウルリッヒから電話をもらった。「あぁ、ベーシストが必要なんだ」と悲しそうに言っていた。それはクリフが死んでちょうど2週間後のことだった。「誰か知ってる?」私はすでにアーマード・セイント(Armored Saint)のジョーイ・ヴェラが(メタリカ加入に)興味がないと言うのを聞くまでは彼を(メタリカのベーシストに)と考えていた。ラーズがその質問をした時、私はすぐにフロットサム・アンド・ジェットサムでプレイしていたジェイソン・ニューステッドを考え付いた。「キミのために完璧な男を私は知っている」そう彼に言ったんだ。

    同じ頃、エレクトラのA&Rでメタリカとサインをしたマイケル・アラゴがフロットサムのレコードを聴いて、本当に気に入っていた。マイケルと私は双方ともメタリカのメンバーにその楽曲を送っていたんだ。「うん、彼は面白そうだ。俺たちに繋げてくれないか?」と彼らが言ったんで「もちろん、最初に彼に話をさせてくれ。彼が(メタリカ加入に)興味を持っているか確認したい。」と答えたよ。

    私はジェイソンがメタリカの大ファンだということを知っていた。私が電話した時、彼は心底びっくりしていた。でも彼が難しい立場にあるということも言えた。フロットサム・アンド・ジェットサムは彼のバンドだった。彼が曲を書き、全てのことをこなしていた。私にとっても少々ほろ苦いものだった。素晴らしいバンド(フロットサム・アンド・ジェットサム)が素晴らしいレコードを出したばかりなのにってね。でもメタリカのメンバーたちは私の良い友人だったし、彼らにとって明らかにジェイソンは完璧にハマる人物だった。私はジェイソンにとっても、メタリカにとっても、ベストなことを望んでいたが、それを実現するためには何かを失うということもわかっていた。

    「一晩考えさせてくれ」ジェイソンはそう私に言った。翌日、彼は私に電話をして、メタリカ加入の道に進むことを私に告げた。彼はメタリカのために私が引っ張ってきた2番目のベーシストだった。しかし私は物事がどのように進む可能性があるか彼に正確に伝えた。なんと言おうが彼はまだ若く、23歳の子供だったからね。ジェイソンは本当に賢かったが、このメンバーの移行というのは彼にとって簡単なものではないということを私はわかっていた。彼は自分で全てをコントロールしていたバンドからメタリカに行ったんだ。そこでは何についてもコントロールできない。私はこう言ったのをハッキリと覚えているよ。「このバンドにはジェイムズとラーズがいるということを知っておく必要がある。キミは何も言えないだろう。キミはただのベーシストになる。キミはそれでOKとしなければならない。何も貢献できないかもしれない。バンドの方向性に関して何の介入もできないだろう。キミはステージに立ってただベースを弾くことになる。」

    彼は最初はそれでよかったが、15年後に彼がバンドを去る主な理由のひとつはわかっている。身体的にボロボロになっていた事実を除けば、自分自身の楽曲を書き、自分自身のことをすることができなかったということだ。彼は自分の運命をコントロールしたいと思っていた。でも彼が持ちえた功績とキャリアがどれだけ素晴らしいものだったか!

    ジェイソンと彼らを繋ぎ合わせたことは、私とメタリカとの正式な関係の終焉を告げることとなった。我々はいつも親しい友人のままだし、彼らはいつも彼らのキャリア面においてMetal Bladeが果たした役割について信じられないほど感謝してくれている。私がジェイムズに会うたびに、彼は「俺たちにスタートの機会を与えてくれてありがとう。もしあなたがいなければ・・・」と言ってくれるんだから。

    billboard(2017-08-21)

    今回の上梓された著書についてラーズとジェイムズは次のようなコメントを寄せています。

    ラーズ・ウルリッヒ
    Metal Bladeはハードロック界 いつもシーンの最前線に立ち、時代と共に歩み、連勝街道ひた走り、動きの中に身を置き、全ての競合相手より生き永らえた。もちろん、Metal Bladeの中心はブライアン・スレイゲルだ・・・ブライアンの情熱、信頼性、メタルに関する全てのものへの献身は尋常じゃない。
    ジェイムズ・ヘットフィールド
    ブライアンって人はいつも・・・この種の音楽にあまりにも多くのことを果たしてきたから、俺は彼に最高の敬意を持っているよ。レコード業界の浮き沈みや音楽の人気の浮き沈みを通じて、ブライアンは戦い続けて、自らが正しいと感じることを続けているんだ。

    ForTheSakeOfHeaviness
    For The Sake Of Heaviness : The History of Metal Blade Records


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