メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    カテゴリ: 雑談

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    今年のエイプリルフールでメタリカ情報局は特に何もしなかったわけですが(苦笑)、海外のHR/HMサイトでメタリカがエイプリルフールのネタとして使われていたのでご紹介します。

    まずは英サイト「Metal Hammer」。ツイッターのアカウント名を「Babymetal Hammer」に変えてこんなツイートをしていました。
    babymetal_hammer

    午前中はこのツイートのリンク先にメタリカが氷上で『Master Of Puppets』を演るもっともらしいことをややふざけた調子で書かれていたのですが、管理人が翻訳する前にネタ明かしとしてこんな画像に切り替わっていました。

    463x720

    Metal Hammerより(2016-04-01)

    そして、米サイト「Loudwire」では、「ジェイムズ・ヘットフィールドがMetallicaをやめてYeah Yeah Yeahsに加入」というニュース記事を掲載。

    ジェイムズとの電話インタビューという形で動画がアップされていました。


    Loudwireより(2016-04-01)

    ありとあらゆるジェイムズの「Yeah」を聴くことができる動画となっています(笑)

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    カーク・ハメットがメタリカ加入オーディションに誘われた記念日
    エイプリルフールでメタリカ。

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    新年あけましておめでとうございます。

    毎度メタリカ情報局へお越しくださいましてありがとうございます。皆様からのアクセス、コメント書き込み、情報提供、「いいね!」は飽き性な管理人のモチベーションに繋がっています。変わらぬご愛顧を本年もよろしくお願いいたします!

    旧年中は、カークの2回目のFearFestEviLにも参加でき、ロシアまでメタリカの公演を観に行くことができました。’Tallica Japanのページで現場レポートはしましたが、帰国報告会が何もできていないので早いうちに何とかできればと思います。

    メタリカの予定としてはまだスーパーボウルの前夜祭「The Night Before」が決まっているだけの状況ですが、今年か来年早々には出ると言われるニューアルバムや発表されたもののまだ動きがない『Kill 'Em All』『Ride The Lightning』のリマスター盤、CDでも出すと言ってた『No Life 'Til Leather』、そして30周年を迎える『Master of Puppets』のDX盤についての続報や新たな動きについて追って行ければと思います。(メタリカ宿題残しすぎぃ!)

    最後に管理人が年賀状用に描いたメタリカ来日エピソードのお粗末漫画を晒しておきます。(ミートアライさん、ネタ提供ありがとうございます。)

    2016_jh1

    2016_jh2

    ジェイムズが似てなくて、釣り具屋にいるおじさんみたいですみません。

    2016年が皆様にとって健やかで素晴らしい年になりますように!

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    2014年、メタリカ情報局から新年のご挨拶
    2015年、メタリカ情報局から新年のご挨拶

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    開設されて投稿が666件に達したメタリカの公式instagramアカウント。
    metallica_instagram

    このアカウントで「#whiteboardwednesday」というタグ付きで水曜日に意味深な画像をアップしており、様々な憶測を呼んでいます。とりあえず2015年12月10日現在までにアップされた「#whiteboardwednesday」タグ付きの画像を並べてみます。

    _hole00_N_

    _4lines_ends

    _net01_L_

    02_U_03_L_

    04_2_05_P_

    06_Y_

    ある掲示板では、この画像に対して次のような謎解きがなされていました。

    まずアルファベットと数字だけを並び替えて

    N L P 2 U L Y

    黒い線が4本で「4」、ホワイトボードの端「Edge」の頭文字で「E」、蜘蛛の巣「Web」の頭文字で「W」として、さらに並び替えると

    N E W L P 2 4 U L Y

    次に「J」がくれば

    New LP 24 July

    つまり「次のアルバムの発売日は7月24日」だと!

    そして次の週の水曜日。果たして「J」が来るのか?メタリカのinstagramの更新を待っているとアルファベットの画像が!

















    07_K_

    Kかよ!

    ちなみに2016年7月24日は日曜日で、アルバム・シングル発売日を世界で金曜日に統一するという動きからすると初めからこの推理は違ったのかもしれません。

    アルバム・シングル発売日、世界で金曜日に統一
    http://jp.reuters.com/article/music-release-day-idJPKCN0PK0A220150710

    果たして何かの告知への布石なのか?新曲のタイトルなのか?はたまた、ただの気まぐれなのか?水曜日のメタリカのinstagramに今後も注目です。

    cowboybluesさん、情報提供ありがとうございます。

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    音楽サイト「Stick for Stones」のインタビューで元ドリーム・シアターで現在はワイナリー・ドッグスやメタル・アリージェンスで活動しているドラマー、マイク・ポートノイがラーズ・ウルリッヒのドラマーとしての評価について質問されて答えていました。管理人拙訳にてご紹介。

    mikeportnoylarsulrich

    まぁ俺はラーズのことをめちゃくちゃ尊敬しているよ。たとえドラム・コミュニティで叩かれていたとしてもね。俺にとって彼の価値というのは必ずしもドラミングにはない。だけど、彼は音楽的革命のスタートに大きく関与してきている。それにメタリカにめちゃくちゃ貢献しているじゃないか。それは作曲面だけじゃなく、ビジネスマンとしてもそうだし、彼のマーケッティング能力、音楽のアレンジ力、ステージ上でのパフォーマンスもそうだ。彼はステージ上で活気に満ちたプレイヤーなんだ。そして俺なら、240bpmで4拍子のパラディドルができるテクニカルなドラマーなんかよりもラーズ・ウルリッヒのようなドラマーのステージをみるだろうね。俺にとってはそんな(技術的な)ことは退屈なんだ。誰がそんなこと気にするんだ?

    俺はショーに行ってドラマーを見て俺をホントに笑顔にしてくれるのを楽しんでいる。だから俺は技術的な能力ではドラマーを評価しないんだ。全ての要素、担っている音楽に何をもたらしているかで評価する。ラーズがメタリカの音楽にもたらしたことは間違いなく計り知れない。彼のピッチが若干上がろうが下がろうが、あるいはドラム・フィルがずさんだろうが、あまり気にならない。そんなことは気にしちゃいないんだ。俺にとっては、技術や正確さなんかよりも優れたドラマーであることへの道はあるのさ。


    Stick for Stones(2015-10-26)

    ちなみに2008年にラーズは、DRUM!マガジンのインタビューでドラム技術についてマイク・ポートノイを引き合いに出してこう答えていました(管理人拙訳)。
    振り返ってみると、俺は最初期のレコードでは弱点を補うために過度に繕っていた。でもある時目が覚めたんだ。そんなことはどうでもいいと。約15年間、自分のことは気にしなくなった。俺はジョーイ・ジョーディソンでもなければ、マイク・ポートノイでもない。そういう彼らには敬愛と称賛しかないよ。俺が若いヤツらのを聴くと、足やら何やらで彼らがしてのけていることに圧倒されるよ。でもそれで俺が「自分を良くするために彼が足でもってやってることを学ばなきゃ」とはならない。自分は特に完璧なドラマーというわけではないよ。だけど、ジェイムズ・ヘットフィールドのリズムギターに対するドラムの役割を理解することだけは、超得意なんだ。その点では自分は世界一だって言い切れるね。まあ、俺的にはそれで十分だ!

    BLABBERMOUTH.NET(2015-10-25)

    過去のインタビューを見ても、ラーズはドラム技術の追求という観点では全く興味がなさそうです^^;

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    英雑誌「Metal Hammer」のサイトでメタリカに絡んだ音楽業界を俯瞰する記事をみつけたので管理人拙訳にてご紹介。

    −世界有数のロック・アーティストはもはやアルバムを作らない。なぜか?それはお金の問題だ−

    Metallica_Records

    伝説のトロッグス(訳注:The Troggs Tapes、映画『メジャーリーグ』のテーマ「恋はワイルドシング」のオリジナルで知られるバンド)は、スタジオ入りした破綻の間際にいるバンドが次のヒット曲を詰め込もうと奮闘することについて、知るべきこと全てを教えてくれる。「ろくでなし野郎に妖精の粉(訳注:麻薬の隠語)をちょっとふりかけないと!」何もかもうまくいかないと、ドラマーのロニー・ボンドはそうわめいていた。「クソドラマーが!」リードシンガーのレグ・プレスリーは後にこう言っている。「まったくクソ野郎だ」

    1970年に遡り、エンジニアのクライヴ・フランクスが密かにレコーディングを行っている頃は、スマッシュヒットのシングル曲やアルバムは、トロッグスのような全てのバンドの生活の糧になりえた。ヒット曲はお金を刷って、バンドが大赤字か収支トントンでツアーに出て、レコードを売るのを助ける免許証のようなものだった。完璧なビジネスではなかったが、うまくいっていた。ミレニアムの変わり目までは。だが、あの収益モデルは逆転してしまった。レコードは今やライヴチケットを売るための赤字筆頭だ。極端な例で言えば、2014年にU2が最新アルバム『Songs Of Innocence』を8億人のiTunesユーザーに配布した。しかし、彼らの財政的視点は現在行っているアリーナツアーの宣伝に向いていたのである。年齢に不相応なレザージャケットを着た4人のジェリー・マグワイア(訳注:映画『ザ・エージェント』の主人公)のごとく、U2はあなたにお金を見せてほしかっただけなのだ。

    U2のボノはアルバムを作るのにどれだけ苦痛を伴ったか大々的に語っている。(ここで読者は「それを聴かされる苦痛よりマシ」というジョークを差し込むかもしれないが)スタジオで何ヶ月あるいは何年も打ち込んだり、自己疑念を抱いてレコーディングしたものを破棄したりして、自分たちのキャリアを決定付けたアルバムのほんの一部の売上げぐらいを売るためだけにリリースするのだ。2000年には、イギリスで16億4800万ものアルバムが売られていたが、2014年には8億6800万までになった。アルバムの平均価格は、インフレを加味しなければ、10.98ポンドから7.84ポンドまで落ち込んだ。アルバム市場は数と金額の両面において地に落ちた。

    なぜトロッグスやメタリカの(2004年のドキュメンタリー映画『Some Kind Of Monster』で痛いほど詳細を明かしたような)トラウマを自らに課すのか。金銭面の条件内でアルバムをレコーディングするというのは、半年ツアーに出て100万ドルのショーという最上の結果を得られるようになれば、難しくなるというものだ。

    U2ticket
    U2の最新アルバムは、命がけで作ったがタダだ。一方、ある日のバンドのライヴは75ユーロ(約一万円)。| GettyImages

    一定の年齢に達したアーティストが長いあいだこの現実に同調している。ゼロサムゲームが繰り広げられているなか、変わったことはそんなアーティストたちが事故る前に脱出装置を使って窮地を脱することが増えてきたということだ。いずれももうアルバムは作らないとハッキリ言ったわけではないが、その兆候は始まっている。

    メタリカは2008年からアルバムを制作していないし、キッスは今世紀にどうにか2枚だけアルバムを出したといった具合だ。一方、ローリング・ストーンズはこの10年新しいアルバムは出していない。ジョー・ペリーは新しくエアロスミスのアルバムを作るという考えに公的に疑問を呈しているし、ポール・スタンレーはキッスのレコードをまた出す「必要はない」と語っている。しかしこういったバンドのツアーはスムーズに行っている。アルバム売上げとSpotifyにおける彼らの最新曲の再生回数を見れば、膨らんだ年金制度はツアーであってHMVではないことは至極明らかだ。

    メタリカが最後に出した2つのアルバム『St.Anger』と『Death Magnetic』は世界で1000万枚以上の売上げを上げた。もし彼らがスタジオ使用料、マーケティング、製造・流通コストを取り戻そうとすれば、売上げ1枚につき数ドル以上がなくなるというのも疑わしい(もっと取られているかもしれない)。窓掃除をしていた方がよっぽどマシかもしれないが、それでもブラックアルバムがアメリカのみで1600万枚もした売上げには程遠いのである。そしてキッスの最後に出した2つのアルバム『Monster』と『Sonic Boom』について考えてみると(そしてこっそり言わせてもらえれば)これらのアルバムが世界で売った数は100万枚にさえ満たないのである。

    ここにきて、ストリーミングがこういったアーティストにとっての新たな未来になると推測するかもしれない。現実は全く逆だ。前述したキッスの2つのアルバムはSpotifyで1000万回の再生を記録している。Spotifyの平均支払額は1回の再生につき0.007ドルであることに基づけば、総計7万ドル支払われる印税をメンバーで山分けすることになる(レーベル、出版社の仲介料やマネージメントに払う20%の報酬額や税を除く)。

    メタリカはストリーミングサービスのなかではいくらか善戦している(彼らは2012年に楽曲使用を許諾したSpotifyの株式を取得したと噂されている)。彼らが最後に出した2つのアルバムは4500万回以上再生されている。控除前の金額は31万5000ドルだ。ジェイムズ・ヘットフィールドが新しいタンクトップとギターの弦を買い、ラーズ・ウルリッヒが新しいヘッドバンドとシンバルを買えば、それほど多くは残らない。

    Lars_Spotify
    ラーズ・ウルリッヒ、Sotifyの記者会見にて(2012年)| GettyImages

    『Death Magnetic』のツアーが2億1700万ドルを売り上げたことと比べれば、どっちを重要視すればいいかは明らかだ。ローリング・ストーンズは2005年以来 コンピレーションアルバム『GRRR! 』の売上げを伸ばす手段として「Doom & Gloom」「One More Shot」という2つの新曲を出した。ミレニアム以降、5回のツアーに出て、全338回の公演を行い、13億ドルほどの興行収益を上げた。1公演につき380万ドル上げたことになる。アルバム無しでも彼らにはお金がついてくるのだ。

    「これが新曲です」というフレーズを単に受け入れなければならないところまで到達すると、ファンの競争が始まるピストルの合図だ。ファンたちはスタジアムやアリーナで自分たちの知っている曲に大雑把に似ているものを大好きなバンドのライヴで聴くことに喜んで大金を支払う。それを観ている時はビールのための6ポンドを支払うことにはちらつきもしないが、ほぼ間違いなくiTunesでニューアルバムを買うために6ポンドを決済しようとは思わないだろう。

    贅沢に数ヶ月も世界を廻り、ライヴを観るのに心から興奮している数十万人もの人々の前でステージに出られるようになったのに、なぜほんの一握りの人々が望み、さらに少ない数の人々が好むアルバム制作という苦しみを乗り越えようというのか?アーティストのエゴとは40年間、そのような「現実に対処すべく」望んできたものなのだ。しかし、彼らのほとんどは一夜に10万人を前に公演を行うことが、総計10万枚のアルバムを売り上げることを凌ぐことをわかっている。彼らのレコード売上げは下がり続けている一方、ライヴチケットの売上げは数も価格も上がっているのだ。バンドはしらばっくれているが、レコード売上げを見てチケット売り場の売上げと比べたら、アルバムに多くを費やすよりもはるかに賢い。

    Metal Hammer(2015-10-05)

    近年ではアルバムの発売前に先行シングルがYouTubeやSoundCloudで無料公開されるのが当たり前になってきました。プロディジーのように「もうアルバムは作らない」と宣言しているバンドすらいます。

    ザ・プロディジー「もうアルバムは作らない」

    一方、体力的な問題でツアーから離れていくバンドもあるなか、好きなバンドたちが今後どういうスタンスで音楽業界でやっていくのだろうかと考えさせられる記事でした。

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    ラーズ・ウルリッヒ「Spotifyとは現時点ではうまくいっている」

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    以前から確執があると言われていたモトリー・クルーとメタリカ。先日ブラジルで行われたロック・イン・リオでメタリカ終演直後にモトリー・クルーのドラマー、トミー・リーがツイッターでラーズ・ウルリッヒはリズムをキープできないと揶揄する画像をツイートをして、この確執に対する疑惑が再燃していました。(映画『Straight Outta Compton』のパロディとして載せたこのツイート)

    larsulrich_straight_outta_tempo
    twitter(2015-09-19)

    さらに両者の確執について書かれたBLABBERMOUTH.NETの記事を管理人拙訳にて。
    モトリー・クルーとメタリカとのあいだの確執は、ほぼ20年前の出来事に由来する(と言われている)。ラーズ・ウルリッヒが1997年1月のアメリカン・ミュージック・アワードでモトリー・クルーがテープによるパフォーマンスを行ったことを糾弾。ラーズの主張を知った後、モトリー・クルーのベーシスト、ニッキー・シックスはアメリカのネット掲示板でメタリカのドラマーへ次のような「公開書簡」を掲載した。

    「親愛なる愛しい太ってハゲたラーズへ(そのメイクアップ大好きだぜ)。そっちの知ったこっちゃない話題に対する、かつてないほどバカげた上から目線の話は、あいかわらずオマエをクソったれと思わせるね。オマエのライヴテープが再レコーディングされたものだってのを俺とトミーが知ってることをよく考えるんだな。それにオマエのドラムはプロツールで修正されたものじゃないか・・・(しかもそれをファンに「ライヴ」アルバムと呼ばせる度胸も持ってる)。自分のことを棚にあげるんじゃねぇ!!マスコミへのオマエの戯言を考えたら、俺たちは仕返しのパンチをお見舞いするのがフェアってもんだろ!!気取りやがって・・・『Load』みたいなクソアルバムを出してくれてありがとよ・・・おかげで俺たちの入り込む余地ができたってもんだぜ!!」

    BLABBERMOUTH.NETより(2015-09-29)

    そして先日、オレゴン州ポートランドの「105.9 The Brew」ラジオで(MCの)タナーに対して、2つのバンド間にある確執「疑惑」について、自分の立場について尋ねられてヴィンス・ニールはこう答えました。こちらも管理人拙訳にて。
    「おいおい、それについてはニッキーに聞かなきゃ。俺はそれを読むまで俺たちとメタリカのあいだに何かあるだなんて全然知らなかったんだから。全然わからないよ。」

    タナーは前述のトミーのツイートについてヴィンスに指摘すると、ヴィンス・ニールは声に怒気を込めながらこう付け加えた。

    「俺はそれを見て知ってるけど、こう言わせてもらうよ。そのことと俺とは何の関係もない。なぜなら俺たちとメタリカとのあいだに諍いがあるなんて俺は知らなかったんだから。」

    ヴィンスは彼のバンドが関わっていたとされる口パク疑惑を持ち出し、ラーズ・ウルリッヒの(確執のきっかけとなった)元の主張は妥当性はないと否定している。

    「ロックンロールに口パクなんてないよ。そんなことありえない。だからそんなことは話題に出すことさえバカげてる。つまりショーに出る誰もが口パクなんてないって言えるってこと。かなりダサい話さ。」

    タナーが再度、件のトミーのツイートの話を続けようとすると、ヴィンス・ニールはこうやり返した。

    「知らねぇよ。俺は関係ない。全く知らないんだ。それはニッキーとトミーのあいだのことだ。誰かが彼らに向かって何か言って、2人がそれに対して何か答えたってことだろ。俺には関係ない。俺たちと(メタリカとのあいだに)何かあったことさえ知らなかったんだ。」

    BLABBERMOUTH.NETより(2015-09-29)

    結局、このインタビューはヴィンス・ニールの不興を買ってしまい、電話インタビューは強制終了されたのでありました。電話インタビュー音声の全編はこちらから。


    ラーズ・ウルリッヒとモトリー・クルーとの諍いはメタリカとしてレコードデビューする前からあったと記憶しています。以前、某B!誌だったか、インタビューのなかでラーズはこう語っていました。
    「1982年夏のある夜のことを今でも覚えているよ。当時はモトリー・クルーが1番ホットなバンドで、俺達は無名もいいとこだった。俺はハリウッドにいたんだけど、ニッキー・シックスとトミー・リーが通りを歩いていくのが見えたんだ。俺は彼らの背中に向かって何か酷いことを怒鳴ったんだよな。そしたら、あの2人、俺を追いかけてきた。勿論、連中はデカいプラットフォーム・ブーツを履いてるから、俺に追いつけるわけがない。考えてもみろよ。あのニッキー・シックスがサンタモニカ大通りをプラットフォーム・ブーツを履いて、俺を追いかけて走ってくるんだぜ。あれはおかしかったな(笑)」

    「モトリー・クルー、ラット、スティーラー等、彼らは俺たちが忌み嫌うものすべてだった。奴らが牛耳ってたサンセットに俺たちが入り込むのは至難の業だった。凄く心細かったよ(笑)。1982年のLAでメタリカとして生きていくのは凄く寂しかったよ。」

    さらにモトリー・クルーの『Dr. Feelgood』を聴いたラーズ・ウルリッヒがブラックアルバムのプロデューサーとしてボブ・ロックを招聘した経緯があったりと因縁浅からぬ関係であることは間違いありませんが、ラーズとの諍いの張本人ではないヴィンスに聞いたのは間違いでしたね。電話を切られたMCは「こっちから頼んだインタビューじゃない。キミが頼んだインタビューじゃないか。放送に載せたいなら少しは努力してくれよ・・・。」とボヤいたそうですが(苦笑)。

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    本日9月27日はクリフ・バートンの命日。そんなクリフの死にまつわる話を含む記事をみつけました。本当に「衝撃的」かどうかは人によるかと思いますが、管理人拙訳にてご紹介。(ちょっと長いのでお時間あるときに)

    19. ジェイムズ・ヘットフィールドの初めてのバンド

    obsession_artwork

    多くの人は信じないだろうが、ジェイムズ・ヘットフィールドが参加した最初のバンドはファントム・ロード(Phantom Lord)ではなく、オブセッション(Obsession)だ。このオブセッションでヘットフィールドはメタリカのオリジナルメンバーのベーシスト、ロン・マクガヴニーと初めてのジャム・セッションを行っている。そして、シンガーのマイク・ヴェセーラが音楽的キャリアを始めたバンドとしても知られている。オブセッションは長く名高いキャリアを持ち、1982年から1989年まで活動し、2004年に再結成した。バンドは現在も活動中で2012年には最新スタジオアルバム『Order of Chaos』をリリースしている。

    18. 緑の『Ride The Lightning』

    Ride-The-Lightning

    1984年のメタリカの2ndアルバム『Ride The Lightning』は、我々ほとんどが目にしたことあるのは標準的な青だが、Bernett Recordsによってジャケットが緑色にミスプリントされたフランス盤が400枚存在する。この緑盤はコレクター垂涎の的で見つけるのは難しい。『Ride The Lightning』はプラチナ・レコードの6倍つまり600万枚以上をアメリカだけで売り上げている。

    17. メタリカが所有し、運営しているMetClub

    MetClub

    献身的なメタリカファンなら、MetClubのことは聞いたことがあるだろう。バンドは1994年に熱狂的なファンのためにクラブを立ち上げ、100%メタリカによって運営されている。MetClubではその年のTシャツを提供し、「So What!」と題された年5回発行の会報誌を発行している。それだけでなくチケットやグッズも入手できるし、メンバーとして登録していて運がよければ、バックステージパスさえもらえるチャンスがある。

    16. 「Seek and Destroy」がシングルになっていない

    Seek-and-Destroy

    1983年のメタリカのアルバム『Kill 'Em All』が驚くべき楽曲内容のアルバムだと考えていたとしたら、かなりガッカリするかもしれないが、「Seek and Destroy」は『Kill 'Em All』のなかでほぼ間違いなく最も人気のある曲のひとつだ。例えば「Phantom Lord」「Metal Militia」「The Four Horsemen」は「Seek and Destroy」よりもテクニカル面においては優れているが、実際にシングルとしてリリースされなかった。実際、『Kill 'Em All』から出されたシングルは「Jump in the Fire」「Whiplash」の2つだけだ。

    15. タロットカードがクリフ・バートンを殺した?

    Cliff-Burton

    バス事故によるベーシスト、クリフ・バートンの悲劇的な死は『Master of Puppets』のツアーをしていたメタリカと彼らのファンみんなにとって大きな損失だった。元ペンタグラム(Pentagram)のジョー・ハッセルバンダーは彼がセイラム魔女裁判(※訳注1)を引用したタロットカードを持っていたから死んだと考えていることを別の機会に語っている。クリフ・バートンは1986年9月27日にわずか24歳で亡くなった。彼の伝説は生き続けており、2011年にはRollingStone誌でオールタイム・ベストベーシストの9位に選ばれている。

    14. ブラックアルバム伝説

    The-Black-Album

    メタリカがレコーディングした9枚のアルバムのうち、セルフタイトルのアルバムはブラックアルバムとしても知られている。このアルバムはいまだに最も売り上げたアルバムと考えられており、世界で3000万枚も売り上げたサウンドスキャン時代の最も売れたアルバムである。2003年にはRolling Stone誌のオールタイム・ベストアルバム500で255位にランクイン。2012年にはヨーロッパのブラックアルバムツアーでアルバム完全再現を行った。

    13. 記録破りに一役買った『Death Magnetic』

    Death-Magnetic

    メタリカの2008年の最新アルバムのリリースによって、ビルボード200でスタジオアルバムが5連続初登場1位というアメリカのバンドでは唯一の記録を持つこととなった。メタリカは元の音楽スタイルに戻ったと数多くの批評家が語ったように多くの肯定的なレビューを受けた。『Death Magnetic』はロバート・トゥルージロが加わっての初めてのアルバムでもある。この人と言えば・・・

    12. ロバート・トゥルージロのメタリカまでの音楽的背景

    Robert-Trujillo

    メタリカのベーシスト、ロバート・トゥルージロは、まだ実際にオジー・オズボーン・バンドに籍を置いていた1998年に、マス・メンタル(Mass Mental)を結成した。マス・メンタルはライヴアルバムを1枚、スタジオアルバムを1枚リリースしている。いずれも日本だけのリリースだ。さらに彼はスイサイダル・テンデンシーズ(Suicidal Tendencies)とインフェクシャス・グルーヴス(Infectious Grooves)のメンバーでもあった。現在は、2003年からメタリカのメンバーだが、12年在籍してアルバムは1枚しか演奏していない。

    11. スパスティック・チルドレン(Spastik Children)

    Spastik-Children

    スパスティック・チルドレン(Spastik Children)というバンドのことは聞いたことがあるだろうか?考えられないかもしれないが、スパスティック・チルドレンは、ジェイムズ・ヘットフィールド、クリフ・バートン、フレッド・コットン、ジェイムズ・マクダニエルによって結成された「おふざけバンド」だ。彼らは全く練習しないので、とんでもない曲を弾くことになった。彼らの音楽はメタリカよりも粗野なパンクスタイルで、カリフォルニア北部のクラブでのみ活動していた。ジェイムズがドラマーを務め、クリフがベースを弾いた。クリフの死後、カークがこのおふざけバンドでベースを弾いていた。かつてカークはこう語っている。「スパスティック・チルドレンは飲んだり、ステージ上でバカやったりできる良い言い訳だった。」

    10. メンバーそれぞれソロ活動をやっている

    james-hetfield

    世界最大のメタルバンドのひとつであることに加えて、彼らはいくつかのサイドプロジェクトにここ何年も手を出してきた。ラーズはマーシフル・フェイト(Mercyful Fate)の「Return of the Vampire」のリメイク版(※訳注2)でドラムをレコーディングしている。ジェイムズはダンジグ(Danzig)の「Am I Demon?」と「Twist of Cain」(※訳注3)のバックボーカルを務めている。カークもまたメタリカ以外の曲をレコーディングしており、レス・クレイプールやマイク・ボーディンとレコーディングしたのはそのうちのひとつだ。また彼はデス・エンジェル(Death Angel)のためにいくつかデモをプロデュースしている。

    09. オリンピックスタジアムでの事故

    olympic-stadium

    ジェイムズ・ヘットフィールドはモントリオールのオリンピックスタジアムで行ったライヴで1992年8月8日にステージ上のパイロ事故で火傷を負った。ジェイムズはパイロテクニクスの演出中に12フィート(4メートル弱)の炎の中に踏み入れてしまい、左上半身と頭の左側に第2級、第3級の火傷を負った。その時のベーシスト、ジェイソン・ニューステッドは当時ヘットフィールドの皮膚が「悪魔の毒々モンスター(原題:The Toxic Avenger)みたいに泡立っていた」(※訳注4)と語っている。事故によってメタリカはライヴを終了することを余儀なくされた。長時間の遅延後、(ダブルヘッドライナーのもうひとつのバンド)ガンズ・アンド・ローゼズはステージに立つ準備をしたが、2つの公演のあいだでモニターが正しく配置されなかったため、ミュージシャンは音が聴こえない状況になった。アクセル・ローズも喉を痛めていると訴えたため、ガンズもセットリストを短くカットし、モントリオールの街でファンによる暴動を引き起こすことになった。

    08. グラミー賞を勝ち取った『St.Anger』

    StAnger

    メタリカのファンのなかには2003年のアルバム『St.Anger』を嫌っている人もいる。アメリカのファンたちがCD炎上パーティーを行ったように。今では『St.Anger』収録曲をメタリカがライヴで演っているのを観るのは非常に稀だ。ファンが嫌っているにも関わらず、メタリカは先行シングル「St.Anger」でグラミー賞ベスト・メタル・パフォーマンス部門を受賞した。そしてアルバム自体もアメリカでダブル・プラチナ・レコードを獲得し、世界で600万枚を売り上げた。

    07. ジェイムズ・ヘットフィールドが受けたキリスト教的家庭教育

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    フロントマンのジェイムズ・ヘットフィールドは、過度に厳格なクリスチャン・サイエンス信者の家庭で育ったことにおそらく起因する、感情的で激しい歌詞を書くことで知られている。1991年のセルフタイトルのアルバムに収録されている「The God That Failed」という曲は、母親の死にまつわる曲としてヘットフィールドの宗教的な家庭を背景に題された。強い信仰により、母親は癌のための医学的治療を拒否し、治癒する希望を信仰に託すことを選んだのだ。

    06. テニスの申し子ラーズ

    Lars-Ulrich1

    ラーズ・ウルリッヒはデンマークでの子供時代はテニスの申し子だった。プロテニスでプレイすることは彼の血筋だ。父親も祖父もプロなのだ。16歳でロサンゼルスに引っ越す前にスウェーデンのメロウなシンガー、ネナ・チェリーと友人になり、その後すぐに音楽への情熱によって、その他全てのこと、とりわけテニスが見劣りするものになってしまった。ドラムを前にする彼の技術的な才能はしばしば批判されてきたが(特にその他多くのメタルプレイヤーに比べて)地球上で最も有名なドラマーになったことは疑いようがない。

    05. カーク・ハメット vs デイヴ・ムステイン

    Dave-Mustaine

    ほとんどの人が知っているように、オリジナルメンバーのリードギタリスト、デイヴ・ムステインは1983年にメタリカを解雇された後にメガデスを結成した。結局、カーク・ハメットがムステインの代わりにメタリカに加入した。この出来事の真っ最中、ムステインは彼が書いたリフの多くが、後にカーク・ハメットによって仕上げられ、カークを有名にしたという不正が行われたと考えていた。彼はかつてカーク・ハメットに対してこう語っている。「俺の仕事を盗んだが、少なくともヤツが俺の仕事を奪う前にヤツの彼女とヤったぜ。」品を落とさないでくれ、デイヴ。

    04. メタリカの個人アシスタント

    Metallica_struggle

    今日の有名人のあいだでは個人的なアシスタントを雇っていることは珍しくない。実際、アシスタントが一人もいない有名人を見つけることは稀かもしれない。ラーズ・ウルリッヒはどこにいても個人アシスタントが付いてくる。彼女の名前はバーバラだ。彼女は基本的にパソコンの電源を入れることから、腕時計を付けることまで何でもやる・・・ロックスター生活だ!メタリカは83人のフルタイムのスタッフを雇っているというのに。『St.Anger』のレコーディングのあいだは、バンドを完全崩壊から守る心理アドバイザーまでここに含まれていた。

    03. エイブリルフールのジョーク?

    Kirk-Hammett1

    カーク・ハメットはメタリカに加入する前に、エクソダス(Exodus)のギタリストだった。彼はメタリカのオーディションについての電話を初めて受けた時、あまりにショックで友だちが残酷なエイプリルフールの冗談を言っているのだと思った。しかし数日後、彼は確認の電話をもらい、冗談なんかではないと気付いた。後は歴史が語る通りだ。2003年にはRollingStone誌のオールタイムベストギタリストに10位のキース・リチャーズ、12位のカート・コバインのあいだに滑り込み11位にランクされた。

    02. 個人の政治的意見を表にしない

    Metallica3

    何年にも渡って、多くのミュージシャンが個人の政治的意見を音楽を通じて表現してきた。しかしジェイムズ・ヘットフィールドはそのような考えに賛同しない。彼は過去にこの問題について次のように語っている。

    「自分たちの意見を熱弁する有名人がたくさんいる。そして彼らは人気者だから(その意見が他の人が語る意見よりも)正当だとみんなが思ってしまう。俺たちにとって、人は人だ。みんな自分自身の意見を持つべきなんだ。俺たちは人生の不幸な部分が何たるかを人間的要素に入れられればいいんだが。」

    01. メタリカの始まり

    metallica-young

    どんなバンドの始まりでも学ぶべき面白さがある。特にそれが自分がずっと好きなバンドであればなおさら。メタリカの始まりは、ジェイムズ・ヘットフィールドがラーズ・ウルリッヒによって(地元紙の)リサイクラーに出された広告に答えた1981年に遡る。2人はジャム・セッションのために会ったが、1年後にラーズがメタルブレイドのコンピレーションアルバム『Metal Massacre』の収録曲をレコーディングできることになってすぐに誰かと一緒にバンドを組む必要が出てきた時まで本当に何も生まれなかった。「Metallica」の名前はラーズ・ウルリッヒの友だちロン・クインターナからの提案だった。彼は「MetalMania」の名前も提案していた。

    Gendalf News(2015-09-18)

    ちなみに、この記事は元々今年3月にロシア語で書かれていた元ネタを英語で紹介しているようです(そして、こうして日本語で改めて紹介している)。bugaga(2015-03-24)

    以下、訳注など。
    ※訳注1:セイラム魔女裁判
    17世紀に実際に起きた魔女狩り裁判。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%AD%94%E5%A5%B3%E8%A3%81%E5%88%A4

    ※訳注2:「Return of the Vampire」
    マーシフル・フェイトのアルバム『In the Shadows』に収録。
    intheshadows



    ※訳注3:実際にジェイムズが参加しているのは「Twist of Cain」と「Possession」

    「Twist of Cain」


    「Possession」


    ※訳注4:
    1984年公開の映画『悪魔の毒々モンスター』。予告編はこちら。


    ちなみに「カーク・ハメット vs デイヴ・ムステイン」について、最近デイヴ・ムステインがツイッターで、ファンとこんなやりとりをしていました。

    CPbWZJaWUAAKRf4

    ファン「メタリカのロック・イン・リオ 2013。「俺が本当に好きなギタリストはデイヴ・ムステイン」(Google翻訳)」
    大佐「見ろよ!・・・トラブルを起こすのが好きなのは俺だけじゃないみたいだぜ!!(笑)」

    twitter(2015-09-21)

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      このエントリーをはてなブックマークに追加
    マネジメント会社Qプライム創業者でメタリカのマネージャーでもあるピーター・メンチが、2014年にBBCで行われたインタビューで昨今の音楽業界について語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    petermensch2014

    −レコード業界は、この30年で変わってきた

    まぁビジネスモデルは間違いなく当時は素晴らしかった。たとえ数年稼げなかったとしても、ある程度の時間とエネルギーを投資していた。成功を収めたアルバムを出せば出すほど、レコードとアルバムの販売促進をしてくれるたくさんの人がいたわけだ。今やレコード・ビジネスは契約だ。レコードとストリーミングの売上げは落ちてきているし、そこで廻っているお金は少なくなっている。だから我々がやらなければならないことは、基本的には、我々のマネジメント会社を、ほとんどレコード会社と同じようなところまで(業態を)広げるということだった。さまざまな国の独立系レコード会社と取引し、その会社たちは我々のレコードを個別に取り扱うことができる。グローバルビジネスは砕け散りつつあるね。


    −減少していくレコード売上げと、バンドをより長い期間ライヴツアーに出させることについて

    以前がそうだったように、間違いなくツアーに出なくても十分なほどレコードを売り上げてきていたし、次のレコードを作ったり、あるいはレコード制作とツアーの両方をやる十分なお金があった。おそらく90年代までなんだが、レコード売上げと同じだけツアーで稼いでいたんだ。今やレコードやストリーミングの売上げは10分の1しか稼げない。新しいレコードを出していくというビジネスの最大の問題は、ファンが誰かわからないということなんだ。ファンは何かのために実際にお金を払ってくれる人たちだ。チケットを買ったりね。もはやアルバムにお金を払わないとしても私はあまり気にしない。どうしようもないということがわかっているからね。でもチケットを買わないというのは、本当にファンではないということだ。だから私のバンドはそこまでお金を稼ごうとはしていない。33歳の時は状況を鑑みて「この通りの先のサイモンおじさんのカーディーラーに加入する時が来た」となったかもしれないが。

    −ヘヴィメタルのファンはどこに行ったのか

    音楽の黄金世代は、60年代あるいは70年代、80年代、90年代だったろう。多くの人たちがやっていることは、大好きなライヴに通い続けるということだ。たまたまわかったんだが、さまざまな(イギリスの)議員が40代、50代でもヘヴィメタルのショーにまだ行っているんだ。私は首相を(アメリカのシンガーソングライター)ジリアン・ウェルチの公演で観たことがある。彼はレコードが好きだからね。だからもし音楽好きなら、未来でも熱中していることだろう。新しいレコードを買わないということはしないだろうね。

    −今日のビジネス状況で新しいアーティストがブレイクするのは易しくなったのか難しくなったのか?

    道はより困難になった。今日、コンサートに出かけたり、持っている1曲を観るために雨のなか、グラストンベリー(フェス)でぶらついたりすることを大事には思わないかもしれない。各アルバムを個別に買えるからね。だから私の仕事は、私が販促する興味のあるバンドが、アルバムのバンドであり、生涯ファンとなるようなバンドだと納得してもらうことなんだ。

    −ハードロックの魅力と今後について

    ハードロックの魅力はシンプルだった。私はそれがまだあると思っている。その魅力を持ち続けているクオリティを持つ新しいハードロックバンドがいないことを除いてね。ハードロックは魅力があった。基本的には、ニキビ顔で両親が嫌いで女の子にも好かれず不満の募っていた平均的な15歳の男性にとってね。そして驚いたことに、自分のような人たちが他に1万人もいたというわけだ。問題は、興味深いことにハードロックでは、我々はいつだってこう頼んでいるってことだ。新しいメタリカはどこにいるんだ?頼む、そこらに25歳以下のハードロックバンドで誰かいないか、私に連絡してくれ。我々はキミたちを必要としている。

    −『This Is Spinal Tap(邦題:スパイナル・タップ)』(1984年)で描かれている音楽業界のパロディーはまっとうか

    もちろん。ハードロックバンドと住んでたわけじゃないけどね。信じて欲しいのは、オルタナティヴ・ロック・バンドはあんな感じだったよ・・・対応してたのは面白かったけど・・・当時は同じように可笑しかったね。でも違ったやり方だった。

    BLABBERMOUTH.NET(2015-07-03)

    インタビューのフル動画はこちらから。


    『スパイナル・タップ』は80年代当時の架空のバンド「スパイナル・タップ」が活躍する、バンドで起きそうないかにもなエピソードをふんだんに詰め込んだフィクション・ドキュメンタリー映画です。詳しくはWikipedia参照。

    メタリカとピーター・メンチの出会いやピーター・メンチが語る当時のヘヴィメタルの置かれていたビジネス状況については関連記事からどうぞ。

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