『...And Justice For All』のリマスター盤が発売されたタイミングで、Metallica.comのSo What!にてジェイソン・ニューステッドのインタビューが掲載されていました。メチャクチャ長いインタビューなので少しずつ訳してご紹介していこうと思います。日本語が微妙なのは毎度の事なのでご容赦ください...(誤訳は遠慮なくご指摘ください)。

2018-11-12-jason-feature

アリゾナからやってきて、1986年晩秋にメタリカの後任ベーシストとして選ばれたトミーズ・ジョイントでの夜を経て、ジェイソン・ニューステッドがバンドに持ち込んだエネルギーを説明することはたやすくない。

彼の目は不滅の水晶のようにどんな光も捉えて10倍にして対面する顔に放っていた。彼はとても興奮して満ち満ちていたのだ。1カ月間、振りまくったビール瓶の蓋を空けられたようなものだった。我々には、彼が受け入れて後任に就いたポジションについて、本当に理解することは同じようにたやすくないことだ。なぜならジェイソン・ニューステッドはそれまで誰かの後釜に入ることはしてこなかったが、それをやってのけたからだ。

バンドとファンの双方が哀悼の意を表した。次のことなんか、たとえ長期的な「次」なるものがあったとしても、誰も知りはしなかった。中西部にルーツを持つ、この明るくポジティヴでエネルギッシュな青年は、ラーズ、ジェイムズ、カークの道を切り開くのを助け、メタリカがメタル界のみならず音楽ビジネス全体を制圧するのを助けたのだ。

ステファン・チラジ(So What! エディター)
私はメタリカのキャリアにおける重要な瞬間に直でジェイソンの重要性と影響力を見た。また苦闘と居心地の悪さを感じた時代を目撃した。何よりメタリカがいつも必要としている時に(そうでない場合でさえ)いつだって最後の力まで振り絞り、血をにじませる男を目撃していたのだ。彼のアティテュードは始めから揺るぎなく、素晴らしく強い家族のようなユニットによって強化され、彼のあらゆる義務への欲求は常に大きいままだった。

ジェイソンと『...And Justice For All』時代について話をするにあたり、課題は我々が話すことがどれくらいあるかではなく、今後の議論のためにどのくらい余地を残すかということだった。彼のアートキャリアは昨今素晴らしい位置にあり、ジェイソンは私が覚えている限り、幸せで満ち足りたように感じていた。

以下では、(ジェイソン加入後の)メタリカ初期の『Garage Days』や『...And Justice For All』の時代の話が中心となっている。我々は90分近く話していたが、20分のように感じていた。


ステファン
メタリカにキミが加入して『Master Of Puppets』(以下、MOP)のツアーを終え、『Garage Days Re-Revisited』EPの頃についてから始めてみようと思う。振り返ってみてあの頃の熱中具合はどうだった?

ジェイソン・ニューステッド
あれもこれも覚えているよ。そいつは壮大というか何というか・・・流れが速かったよね。まだ時流の突風のど真ん中にいた感じだった。ツアー、つまりオジー(・オズボーンと帯同したツアー)だったり、MOPのツアーだったりっていうのは、みんなにとって予期せぬことだったし、それはそれは奇妙なところに俺たちは足を踏み入れていたんだから。それが始まりだった。

ある種の復帰だったかもしれないし、俺は必死にしがみついていたし、間違いは犯したくなかったし、できる限りベストであろうと思ったし、自分に訪れた機会に感謝をしていた。そうだろ?それが俺が覚えていることなんだ。何より俺がそこにいてできることは、音を外さないことだ。リズムを間違えずに、遅れないようにと、できる限りプロフェッショナルであろうとしていた。『...And Justice For All』(のBOXセット)に付いてきた、この本のなかの写真を見た時、そんなクレイジーな頃を思い出したよ。そういうわけで全体としてはとても楽しくて、ペースが速かったってことを覚えている。


ステファン
そうだね。とにかく若かりし頃にはうろたえることがあるよね。速いペースで活動するのが大好きなバンドに入る前から自分はひとかどの人物だったと言える?フロットサム・アンド・ジェットサム(ジェイソンの前の所属バンド)の時でも、こういうプロジェクトをやって、こういう曲をやるつもりだった?

ジェイソン
今振り返ってみると、常に自分でやっていた他のプロジェクトのリーダーになっていたというのが本当のところだと思うよ。俺と歩調を合わせるのは人にとっては難しいことだろう。それが自然なことだと思う。たぶんそれは俺の父親の気性やエネルギーから来ているんだろうね。父は主導権をとって、手綱を握って、自分の才能を使えと、ことある毎に俺に言っていたよ。

ステファン
キミの父親−それはキミの父親が素敵な人だったってだけじゃなく、いつもキミにとって大きな影響を及ぼしていたということを記録しておかなきゃいけないね。当時、彼をよく見かけたから覚えているよ。彼は私にとって、正直で、みんなのお手本になるような、ブルーカラーの良きアメリカ人のように思っていた。

ジェイソン
そう、今もまだそうさ。83歳になるけど、(ジェイソンのアコースティックバンド)チョップハウスバンドのショーにも来てくれるよ。彼は自分のやりたいようにやっているし、いまだにあの同じ猫を飼っているし、誇りを持っている。今じゃ俺たちが演奏する曲と一緒に歌えるようになったんだ。だいぶ違ったノリだけどね。そこにはクールなヴァイブがある。でも彼はまだシャンとしているよ。例えば・・・たくさんのボランティア活動とかそういうことをしている。

ステファン
へぇ、それは素晴らしいね。キミの兄弟たちもそうだよね。ニューステッド家は、いつも非常に支援してくれていた。私が最初の頃で覚えているのは、メンバーの両親をショーでお見掛けすることはあったけど、キミの大家族は同じようにお見掛けすることはなかった。つまり、キミの家族は最初の頃、観衆のなかにいてポジティヴなノリをしていたってことだ。「ニューステッド一族がノリノリだぞ」って知られていたんだ。あれはクールだったね。

ジェイソン
あぁ、メンバーはときどきこんな冗談を言っていたよ。「ジェイソンのゲストリストはどんだけいるんだ?」ってね。そんなこともあったけど、キミも知っての通り、ジェイムズは俺の母親に会ったときには、「ママ」とか「ママ・ニューステッド」とか呼んでいた。母がそうするように言ったんだ。そんなことはしょっちゅう言っていたね。みんながそんな風に母を見ていたから、そういう雰囲気があったんだ。

ステファン
ちょっと頭を戻してもらって・・・キミは間違いなくリーダーだったし、いつもエネルギッシュでとてもポジティヴなエネルギーをたくさん持っているという事実について話をしてきた。そしてノリのよい家族についても。そこで当時を振り返ってみて、メタリカの歴史のなかでメンバーがどのような位置から来たのかを見たとき、潜在的に大きな亀裂のあった時期で、コミュニケーションは最善ではなかったかもしれない。バンドとして一緒にいるためにキミの音楽的能力が不可欠だったということを越えて、キミがバンドにもたらしたものについてはどう思ってる?ニューステッド・ゲストリストがどれだけ膨大だったかって話も含めて、全てを話しているんだ。だってファミリーがまた別のファミリーを連れてくるかもしれないでしょ?

ジェイソン
わぉ、素敵なことだね。時間とともに、キミ自身も含めて、身近にいた人たちは各メンバーが果たす役割を認識することができた。どんなものだって、次のことよりは重要じゃなかった。ステージには、誰もが見て誰もが知っていた明白なものがあり、誰もが知ってるわけじゃなかったものが舞台裏にあった。

自分の安定性だったり、家族だったり、感情的なものだったり、基礎となる全てのものは、俺たちあるいは彼らが通ってきたこれまでのことに対処する感情的なツールを持つ手助けとなっていたんだ。俺がバンドに加入して3、4ヶ月っていう間もない時期にメイク・ア・ウィッシュから依頼を受けた。俺はそういうことを引き受けるために力をいれてきたんだ。だから俺の役割のひとつはチアリーダーやヘッドバンガーになることに加えて、少なくとも集団のために感情的な負荷を引き受けるってことだったんだ。それが真実だと思う。


ステファン
まさしく。もし間違っていたら、訂正してね。うっすらと当時のことが思い浮かんでいるんだけど、カールソンにある2番目の家を、ラーズが『Garage Days Re-Revisited』用に持っていたのを覚えているんだ。実際のガレージを建てるプロジェクトのリーダーはほとんどキミが務めていたと記憶しているんだけど、どうだろう?

ジェイソン
そのとおりだよ。『Garage Days Re-Revisited』の裏ジャケには「Building master J. Newkid」とか何とかあったでしょ。間違いなく俺が全ての材料から何からを注文して、そいつらを打ち付けて、防音から何まで仕立てたし、ラーズからしたら早すぎる時間に何度も起こしに行った。あぁ確かにそうなんだ。それも全て契約の一部だったんだ。俺の爺さんは、俺が小さい頃に物を作ることを教えてくれていたんでね。俺は何をすべきかわかっていたことをやっただけなんだ。それが当時の俺たちにとって必要なことだったからね。

ステファン
あれは独房みたいだったけど、てきめんだったね。

ジェイソン
それは俺たちにとっても良かったんだよ。ずっと正直でいられた。物事はかなりいい方向に進んでいたし、彼らはちょうど本当にイカした売り出しを待つばかりだった。だから俺たちにとって「マラソン走者のトレーニング真っ只中」でいることは良いことだったんだ。(続く)

Metallica.com(2018-11-12)