メガデスのデイヴ・ムステインがRollingStoneの「我が人生の15曲(My Life in 15 Songs)」という企画で各曲について語っています。そのなかでメタリカに関係する話もしていたので抜粋して管理人拙訳にてご紹介します。

Megadeth_DaveMustaine

「Ride the Lightning」

聴けば誰が作曲者のリフかってことがわかるリフがある。俺が曲を書いた時の話をしているんじゃない。「Ride the Lightning」と「Leper Messiah」のある部分と1stアルバム(『Kill 'Em All』)のあらゆるところで、メガデスのギタープレイに似てると言える些細なものがある。楽器で出来ることがこんなにもたくさんあるんだとわかるよ。彼らはあれで素晴らしいことをやったと思う。

俺は「Ride the Lightning」の全部を作曲したわけじゃない。ラーズがメロディックなイントロを書いて、次のパートを俺が書いた。その次のパートも俺が書いた。そのまた次のパートからはまたラーズのパートに戻ってまた俺の3つのパートに戻るって具合で当時は・・・誰が楽譜を付けていたんだろう?

ずいぶん前に俺の曲を使う彼らのことは乗り越えた。そんなクソみたいなことに執着することもできれば、放っておくこともできる。何も変わらない。2つの素晴らしいバンドがあるんだ。俺たちは友だちだ。コトが起きちまった。クソだ。俺は1850万ドルの訴えを起こしたエレフソンを許したし、俺の曲を使った彼らについても許すことができる。(中略)彼らは凄いことをやったと思う。本当に俺は彼らを誇りに思っているよ。

1985年に『Killing〜』アルバムを出す頃には、ふんぎりがついていた。でも俺の気持ちのなか、彼らに見せる機会のなかった俺のカタログのなかには、このことがずっとあった。俺たちはあのバンドとともにとても単純化した道を進んでいったんだ。誰が言ったかは思い出せないけど、誰かがとてもうまいことを言っていたよ。「メタリカにとってのラモーンズって、メガデスにとってのクラッシュみたい」ってね。おそらく俺が聴いたなかで一番よくできた表現のひとつだと思うよ。もうひとつの比較として「メタリカにとってのアイアン・メイデンって、メガデスにとってのレッド・ツェッペリンと同じ」ってのも見たことがある。「そいつは本当に良い見方してるな」と思ったね。俺たちはもう少し曲展開が複雑だから。



「Mechanix」

俺がメタリカにいた前から「Mechanix」を書いていた。メタリカに加入した時、俺たちは曲をたくさん持ち合わせてはいなかった。・・・だからキリング・ジョークやスウィート・サヴェージの曲やダイアモンド・ヘッドの曲からたくさんカヴァー曲をプレイしていた。そしてオリジナル曲もやっていた。

歌詞は欲情したガソリンスタンドの店員について。なぜなら俺がそうだったからな。俺はハンティントン・ビーチに住んでいるティーンエイジャーで、女の子たちがビキニ水着で高い車に乗ってガソリンスタンドにやってきていた。クソッふざけてんのか?って思ったよ。フルサービスを頼まれた時には、彼女たちがビキニで座っているところで窓を拭きながら彼女たちをチェックするようになる。彼女たちは少しも嫌がっていなかったと思うね。もしそうだったら、窓を何かで覆うだろうから。大好きな車と接することができて、同じく大好きな女の子を見ながらできる仕事となれば、もうホルモン増強剤を打たれたキッズだよ。だからそれが曲になったようなものだな。

「Mechanix」はある日、俺がクリフ・バートンと一緒にリハーサルに行った時に弾いていた曲だった。ラーズがやってきて「おぉ、じゃあ、このパートを変えようぜ」ときた。俺はクリフと車のなかでレーナード・スキナードを聴いていた。それで俺は「OK、「Sweet Home Alabama」を弾いてみよう」って思ったんだ。ラーズは絶対知らないだろうからね。そしたらアイツは「マジか、それはこれまでで一番すげぇパートだぞ」って。俺は「おいおい、マジで言ってんのか?」ってなったよ。だからはじめに「Mechanix」に「Sweet Home Alabama」が合わさったのが、今はなじみ深い「The Four Horsemen」ってわけだ。

ジェイムズがあの曲と「Jump in the Fire」の歌詞を大きく書き直した。あの曲も書き直していたんだよ。「Mechanix」ほどじゃないけど、彼はあの曲にたくさんあった、性的な意味を暗示させるような表現が好きじゃなかったんだ。だから「jumping into a pit」って俺が言ってたところを「jump into the fire」っていうもう少しぼやかした表現に変わった。何にでも取れるようにね・・・。「pit」って言ったら、ひとつだからな。

俺がメガデスとしてレコーディングしたバージョンの「Mechanix」は「The Four Horsemen」よりも速い。それは間違いない。あれはアイツらとやってたものとはかけ離れているんだ。その時にはすでにムカつきながら弾いていたからね。



「In My Darkest Hour」

クリフ(・バートン)が死んだと聞いた時に書いた曲だ。俺の友人の"メタル"マリア・フェレーロが電話で彼がバス事故に遭ったと教えてくれたんだ。俺はムキになってた。俺は「何てヤツだ、オマエは俺たちがバンドで兄弟だったとよく知ってたはずだ。彼が死んだと他の誰かに電話させなかったのか?」と、胸糞悪く取ってしまった。あの悲嘆に暮れて人がおかしなことをするってことは今は理解できるようになった。だから俺は彼女が俺に電話をしたことに対する自分の考えを改めた。でも当時の俺はとても怒っていて、一気に曲を書き上げて、出来る限りの速さで歌詞に取り組み始めた・・・。あれは本当に痛みを伴う作曲だったよ。

クリフと最後に話したのは、たぶん俺が行っていた奇妙なショーでだったと思う。アイツらはまだ俺のことを恐れていたから、俺はバックステージパスをもらえなかった。俺はいつもアフターショーのパスをもらっていたから、臆病なヤツらだと思ったよ。俺たちはコンサートに行くたびに、俺とエレフソンはコンサートを観た後、彼らがパーティーをしているところに招待されていた。俺はパーティーには行きたくなかったけど、友だちに会いに行ってつるみたかったんだ。でも俺たちは友だちじゃないと思った。俺がクリフと最後に話したのはおそらく彼らがアメリカでやっていたショーのうちのひとつだったと思う。

曲のなかの"Darkest Hour"は、独りぼっちだとわかった俺のことだ。歌詞は俺のミューズであるダイアナについて(笑)。「Loved to Death」の時に付き合っていたのがその女性だった。俺が作曲した「Tornado of Souls」「Trust」「This Was My Life」「99 Ways to Die」も全部彼女についての曲だ。俺はカミさんと愛情に恵まれてとても幸せだけど、俺の心の奥底に入り込んでしまっている唯一の他の人間がいるってことだな。俺たちはみんな本当に恋に落ちるっていう関係を持った誰かがいると思うんだけど、それは必ずしも続くわけじゃないんだよ。

あの曲はたくさんの感情を呼び起こす。あれを最初にプレイしたのはクリフの両親が俺たちのショーに来た時なんだ。スタジオやリハーサルではできていたんだけど、彼らがそこにいたらやり通すことができなかった。あんな気持ちが沸き起こるとは思いもしなかったんだ。なんだこの感情は?って感じだった。曲をやっていたら突然、俺たちはコントロールが効かなくなっていたんだ・・・。クソッ、でも本当のことだよ。俺は彼にさよならを言うチャンスがなかった。彼がどこに埋葬されたかさえ知らなかったんだ。(中略)でも彼とは天国で会えるだろう。それはクールなことだ。少なくともそう信じているよ。



「Hanger 18」

「Hanger 18」は俺がメタリカに入る前のバンド(パニック)から持ってきた曲なんだ。「N2RHQ」と呼んでいた。別の惑星の環境についての曲で、メタリカに入って形を変えてあの曲をやろうか決めようとした時、パニックの時のように、俺はメガデスで再検討するまで待つことにした。(その頃には)「Rust in Peace ... Polaris」も完璧に仕上がっていた。当時は「Child Saint」と呼んでいた。もしアイツらに見せていたら、メタリカはたぶんレコーディングしていたんじゃないかな。

歌詞は「エリア51」についてで、ニック(・メンザ)が書いたものだ。彼は地球外生命体を信じていた。俺は違うけどね。俺は精神的な世界があると信じている。見えるものと見えないものがあるけど、宇宙人に関しては俺は観たことがない。なのにどうやって知るって言うんだ?可能性はあるだろう。素晴らしい曲の素材を作ったなと思ったね(笑)。(中略)

コードやコードの動きは(メタリカの「The Call of Ktulu」に)似ているけど、全く同じなんかじゃない。インターネットで4つのコードの曲を調べたら300曲だか400曲はみつけられるだろう。「The Call of Ktulu」は完璧に、100%俺の曲だった。彼らが(デモタイトルの)「When Hell Freezes Over」から変える前のあの曲は、全ての音符を俺が書いたんだ。彼らは途中に引き延ばした部分を付け加えた。あれがどこから来たのかはわからない。あれを初めて聴いた時は奇妙な感じだったよ。オーケストラみたいな転調を持ち合わせていたからね。あの部分は俺を大層感動させたもののひとつだった。「おいおい、あの部分が加わって俺の曲が本当にとてつもないものになったぞ」って思ったね。


RollingStone(2017-01-11)

かなり早い段階で後の名曲を書いていたのをうかがい知れます。デイヴがメタリカ在籍時に当時持っていた曲を全て披露していたら、それもメタリカの曲になってしまったのでしょうか(笑)

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