まずはNMEからジェイソン・ニューステッドのインタビュー紹介を引用。

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ジェイソン・ニューステッドは8月29日シリウスXM・サテライト・ラジオの番組「エディー・トランク・ライヴ」に出演し、メタリカの新曲”Hardwired”を聴いたか尋ねられた際に次のように答えている。

「とても意地悪な質問だね。もう何回も聴いたよ。誰かが車の中で僕のためにかけてくれてね、それから家に持って帰ってまた聴いたんだ。楽曲の感じが好きだったし、激しいところが好みだったよ。素晴らしいと思う」

また、メタリカのメンバーと今でも連絡を取るのか尋ねられた際には次のように答えている。「この間の木曜日にラーズ(・ウルリッヒ)と電話したよ。彼とは2週間に一回話すんだ。彼らは新しいレコードに備えて多くの材料がそこにはあって、できる範囲で支援したいからなんでも電話してくれと言ってあって、僕らは常に連絡を取り合っているんだ。そして今は電話で話をしているだけなんだけど、長らく会ってないから実は直接会いたいと思っている。でも、今彼らはこの新しいレコードに関してかなりたくさんのやらなくてはいけないことがあるみたいだからね。僕もとても興奮しているし、そんな彼らを誇りに思うよ」

さらに、今はメタリカとは単純に友達としての付き合いなのか、それともビジネス・パートナーとしての関係なのか、もしくは何かまた一緒にやる可能性もあるのか訊かれた際には「その3つ、すべてに当てはまるね」と答えている。

NME(2016-08-30)

どういう形になるかわかりませんが、また共演という形で観てみたいところです。さらにForBassPlayerOnlyでのジェイソン・ニューステッドのインタビューを管理人拙訳にてご紹介します。先日紹介したBillboardのインタビューと同じコメントが多く散見されたので、もしかしたら同じインタビューを別媒体で書いているものかもしれません。できるだけ重複しない部分を抜粋して紹介します。

−ちょうど今年はブラックアルバムのリリース25周年ということもあって私たちはその話もしようと思ってますが、あなたがいま行っているChophouseのスタジオを初めて開いてからも25周年なんですね。

その通り。ブラックアルバムが本当にいいスタートを切って、俺はスタジオについてもアイデアを出してきて、現金がようやく入るようになってきたから、ガレージにそのスタジオの姿を設計した。それがChophouseになったんだ。みんなが2週間どこかにツアーに出る時にみんなが使える場所として、ジャムルームになるはずだった。

当時はみんなが来て盛況だったよ。エクソダスとかセパルテゥラのヤツらとか、デヴィン・タウンゼンドとか、ツアーを廻ってたヤツらが自分たちの曲を弾いていたんだ。ほとんどがベイエリアのバンドで、ビッグになったバンドもいればそうでないのもいる。でも彼らはみんなChophouseにやってきて、オフの時間に音楽をプレイしていたのは楽しかったし、アルバム制作の苦難やツアーでの時間から離れて、ただ音楽を突き詰めていたんだ。

(中略)

−ファンはヘヴィメタルの巨人のひとりがフォークやルーツミュージックのような音楽に親近感を持っているということを疑問を持たざるえないのでは?

それには深いわけがあってね。俺の母が病気になって、他のこと全ては二の次になった。次のNewstedのレコードを作ることもできたが、この時ばかりはそれはありえなかった。母に何か起きてしまったら、他のことは後回しだ。5月の最後の日に母は亡くなったが、最後の数年は母とたくさんの時間を過ごした。母はたくさんのこういった曲や音楽が好きだったんだ。だから母のために弾いたりしてね。そういう曲を集め始めた。少しの間、ヘヴィミュージックから離れて、また一呼吸おくことは重要なことだったんだ。また俺はアメリカン・ミュージックと昔のルーツミュージックについてのドキュメンタリーを何本か観た。そういった組み合わせ全てが本当に俺を触発し始めたんだ。かなりオープンマインドになって、違う視点から物を観るようになったと思う。母と長く過ごしたことで本当に価値あるものを俺に思い出させてくれたし、そういう方向性に向かわせてくれたんだ。

−実際プレイするのに大きく調整したのですか?手にアコースティックギターを持っていても、自動的にヘッドバンギングを始めてしまったなんてことはなかったですか?

(笑)まぁ、手足は動いていると思うよ。俺はアコースティックギターの弾き方を本当に学ぼうとして指が痛くなるまでプレイしていた。いつもメチャクチャだったけど、今の自分のようには集中できていなかった。俺はまだジョニー・キャッシュがやってたみたいにネックの端に指を置いてオープンコードで弾くだけなんだ。ほとんどの場合、俺は曲を漁って漁って漁って集めようとしている。

(中略)

−メタリカの曲やその他のメタルの曲をアレンジしてみようとは思わなかったのですか?

そうそう、俺の友だちはみんなそう言ってくるよ。友人いわくこうさ。「なんで(Newsted時代の)「The Crow Flies」とかそういうものをやろうとしないんだ?落ち着いて自分のものにして今使っている楽器でこの場で入れてみないか?」でもそれは俺が思っていたほど簡単じゃないんだ。テンポを遅くして弾けばできると思っていたけど、そういうものじゃなかった。本当に曲の感じが変わってしまう。だから、オリジナルでやっているのと同じくらいクールなものにしていくには時間がかかるんだ。

(中略)

−(バンドとしての)Newstedはどうなってしまったのですか?数年前は全精力を傾けていたように見えましたが。

あれについては前後を見誤ったと思っている。あまりに多くのものを一度に得ようとしていた。あまりに多くの期待がおそらく俺を参らせてしまった。やれるだけのことだけやれば、それ相応に作用する。俺はレコードもう1枚分の曲を書いていたけど、まとまっていないから(こんな曲があると)列挙したくないんだ。最後までレコーディングできていないし。みんなに披露するまでの準備ができていない。それは今は後回しになっているんだ。

−先ほど言ったように、アルバム『Metallica』にとって記念すべき年です。25年経ってどう思いますか?

俺が音楽をプレイしたいと思っている限り、つい3週間前のことのように感じるよ。俺たちがやったことに誇りを持っている。数週間前に何度かラーズと話したけど本当に素晴らしいよ。

−スタジオでの制作はどんな感じでしたか?あなたが何か知っていることは?

間違いなくやってきた集大成がそこにはあった。ヤツらが(メタリカを)始めてから10年、実際俺はフロットサムを始めた後だ。みんなは苦難続きで個々人が鍛えられていたし、どんな傷だろうがなんだろうが来たるものの準備はできていた。それからボブ・ロックがやってきた。もちろん俺たちはそういうことはやってこなかった。彼はコードのこと、パワーのこと、実際の音質について形作るために俺たちにやかましく言って聞かせていた。俺たちはその準備ができていたし、彼も俺たちのための準備ができていた。世界はあのサウンドの準備ができていたんだ。みんながコツコツ身を粉にして働いた。メタリカがいつもやっているようにね。そこから(成功の)果実を得たんだ。

(中略)

−あなたから本が出るという噂がありますが、それは本当でしょうか?

Newstedの方が活動を縮小していた頃に執筆依頼があった。彼らは前払いでもやってほしかったようだ。俺は共著者とかそういった全てについて出版社と何回か会話をしていたんだ。でもうまくいかなかった。今やりたいことはそれじゃないと気付いたんだ。いつかはそうだとしてもね。俺が落ち着いたタイミングでもっと多くの話を書けたらと思っているよ。俺はまだこれ(音楽)をやっていたい。スキルが落ちないあいだ、機能が落ちないあいだ、全てがクールなあいだはね。それが進むべき道であり、まだそこから横道にそれることのない道だということを確かめたい。

ForBassPlayerOnly(2016-08-22)

後回しになっているジェイソンの新曲についてもいつか披露される日が来ることを祈っています。

【追記】
ジェイソンが地元のラジオ局に出演した際のライヴ映像がアップされていたのでご紹介しておきます。

Bear Creek Blues (John Prine Cover)


Down To The River (Doug Seegers Cover)


Roll Me Up & Smoke Me When I Die (Willie Nelson Cover)


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