メタリカが5thアルバム『Metallica』、通称ブラックアルバムを出してから25年が経ちました。25周年を記念して、RollingStone誌で「メタリカのブラックアルバムについて知られていない10の事実」という特集が組まれていたので管理人拙訳にてご紹介します。

過去のインタビューの焼き直しではありますが、いろんな要素が絡み合ってブラックアルバムが出来上がったのを改めて認識させられた記事でした。
参考までに7番目で書かれていたクリス・アイザックの「Wicked Game」はこちらから。
Chris Isaak「Wicked Game」

Metallica
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1.バンドが短くシンプルな曲を書き始めた理由のひとつは、コンサート中のファンが退屈そうにしているのを観たからだ
メタリカのメンバーは、1988年の『...And Justice For All』で出来る限りのプログレッシブなスラッシュメタルの概念を取り込んできたと自負していたと同時に、10分近くするタイトル曲のような大作で入り組んだ曲では自分たちのライヴに来る観衆の忍耐が試されるということにも気付いていた。
リードギタリストのカーク・ハメットは1991年にRollingStone誌にこう語っている。「一般的な総意として、あの曲は死ぬほど長すぎだったってことに気付いたんだ。みんなが浮かない顔していてさ、俺は『何てこった、みんなは俺たちほど楽しんではいないようだぞ』って思ったよ。」ハメットはバンド自体も曲の複雑なアレンジに退屈になっていたことも認めた。「ある夜に「Justice」をやった後、舞台裏で俺たちのうちの誰かが『クソッ!俺たちがあのクソ曲をやるのはこれで最後だ!』って言ったのを覚えているよ。」
2.「Enter Sandman」はブラックアルバムのために書かれた最初の曲だ
フックが効いていて不吉な感じのするハードなグルーヴを持つ「Enter Sandman」は、メタリカの新しい方向性を完璧にカプセルに閉じ込めたかのような曲だ。しかし、徐々にこの新鮮なアプローチへと移行すると言うよりかは、ハメットがシンプルでブルージーなギターのリックを弾いたことで、メタリカは最初の作曲のセッションの間にこの方向性へと飛び込んでいったのだ。そしてすぐにそのリックを鍛えぬき、彼らの最大のヒット曲となっていったのである。
ドラマーのラーズ・ウルリッヒは2014年にこう回想している。「1990年7月の作曲過程で「Enter Sandman」は最初に思いついたものだった。『...And Justice For All』の後で10分のクソプログレッシブで12回もテンポの変わるメタリカをやるか。俺たちは曲をスリム化して単純にしたかった。あの曲を1日か2日で書き上げた。「Enter Sandman」の全てはメインリフから派生しているんだ。」
3.ジェイムズ・ヘットフィールドが書いた「Enter Sandman」の歌詞は、もともと乳幼児の突然死について書かれたものだった
「Enter Sandman」はブラックアルバムのために最初にバンドが書いた曲であったのにも関わらず、リズムギタリストのジェイムズ・ヘットフィールドはずいぶん後になるまで曲の歌詞を仕上げられなかった。もともとは幼児がベビーベッドで遂げる謎の死に関するものとして曲を想定していたが、バンドと彼らのマネジメントにより、プロデューサーのボブ・ロックを介して歌詞をトーンダウンしてほしいと頼まれたのだった。
2011年にボブ・ロックはこう回想している。「最初に、音楽とリフを聴いてバンドと彼らのマネジメントにあの曲が1stシングルになると考えられていた。それから彼らはジェイムズの歌詞を聞いて、乳幼児の突然死について書かれた曲だとわかった。それは気に入られなかったわけさ・・・。」
ボブ・ロックは続けてこう語る。「俺はジェイムズと膝を突き合わせて、彼の歌詞について話したんだ。『キミの書く歌詞は素晴らしい、でももっと良くなる。そこまであからさまでいいのか?』とね。シングルについては考えていなかった。私は彼にあの曲をもっと良くしてほしいってだけでね。より詩的かつオープンなやり方で言いたいことを言うってことを彼が学んだ過程だったんだ。彼はいくつか歌詞を書き直して、ああなった・・・(もちろん)1stシングルさ。」
4.メタリカはボブ・ロックがそれ以前に一緒に仕事をしたバンドのファンではなかったにも関わらず、彼をプロデューサーに選んだ
メタリカを導くためにプロデューサーのボブ・ロックを雇うことにしたバンドの決定は物議を醸すものだった。このカナダ人のプロデューサーかつエンジニアは、当時モトリー・クルーやボン・ジョヴィ、キングダム・カム、ザ・カルト、ラヴァーボーイといったスラッシュメタルの名声など欠片もないバンドとスタジオワークを行ったことでよく知られていた。しかしメタリカのメンバーは、そのようなバンドたちが彼と制作した音楽よりも、そのようなバンドたちのサウンドを彼が作り出したやり方に興味があったのだ。
ラーズ・ウルリッヒが2007年に『Metal: The Definitive Guide』のインタビューでジャーナリストのギャリー・シャープ・ヤングに語ったところによるとこうだ。「ボブとともに良いミックスが欲しかったんだ。俺たちは低音域で大きな音を欲していた。そんな曲がボン・ジョヴィのレコードにあろうと、カルトのレコードにあろうと、メタリカのレコードにあろうと俺は気にしない。サウンドはサウンドだ。俺たちはあれが欲しかったんだ。」
5.ブラックアルバムはメタリカが同じアルバム内で3つの異なるチューニングのギターを使った初めてのアルバムだ
多くのHR/HMバンドがよりヘヴィなサウンドを実現するためにオルタネート・チューニングを使ってきた一方で、メタリカは1991年以前、主にギターについてはEレギュラーチューニングを用いてきた。1986年の『Master Of Puppets』収録曲「The Thing That Should Not Be」(ギターを1音半ドロップチューニングしている)と1987年の『The $5.98 EP: Garage Days Re-Revisited』の2つのカバー曲で1音ドロップチューニングという例外を除いて。『Metallica』ではアルバム収録の12曲のうち10曲はEレギュラーチューニングだが、ボブ・ロックの指図によりその他のミックスも使用した。ギターのチューニングを落とし「Sad But True」ではD、「The God That Failed」Eフラットとしている。
ボブ・ロックは「Sad But True」についてこう語っている。「私はあの収録曲が全て1つのチューニング、Eのキーだということに気付いた。そこで私はこのことにバンドの注意を向けさせた。すると彼らはこう言ったんだ。「Eが一番低い音だったっけか?」そこで私は彼らに自分がプロデュースしてメタリカが好きでもあるモトリー・クルーの『Dr. Feelgood』ではDチューニングだったと伝えた。それからメタリカがDチューニングをしてみたら、リフが強大なものになった。この力はどんなことがあろうと止められないものだったね。」
6.ブラックアルバムはメタリカがスタジオで一緒に“生演奏”して基本的なトラックをレコーディングした初めてのアルバムだ
ジェイムズ・ヘットフィールドは1991年にGuitar World誌にこう語っている。「俺たちは(アルバムに)ライヴの感覚が欲しかったんだ。過去にラーズと俺はカークとジェイソン抜きでリズムパートを組み上げたり、ラーズが自分だけでクリック音を演奏していた。今回、俺は1つのバンドユニットとしてスタジオで演奏してみたかったんだ。曲に活力が加わり、バイブスを得ることができた。みんなが同じ部屋にいて、互いの姿を見ることができる。あれは大いに手助けになった。特にベースとリードギターの何点かではね。俺たちがスタジオに入る前でさえ、2か月の間でほとんどの曲を演奏する手助けにもなった。」
7.「The Unforgiven」「Nothing Else Matters」におけるジェイムズ・ヘットフィールドのヴォーカル・パフォーマンスはクリス・アイザックに触発されたものだ
1990年後半から1991年初めにかけて世界中で大ヒットしたクリス・アイザックの「Wicked Game」はジェイムズ・ヘットフィールドの耳をも捉えた。彼はボブ・ロックにメタリカのスピード遅めの2曲に載せるのにこのシンガーのムーディーなヴォーカルを見本とする手助けとするにはどうしたらよいか尋ねたのだ。
ロックは2015年のクリス・ジェリコとのインタビューでこう振り返っている。「彼(ヘットフィールド)はこう言った。『ボブ、俺はこれまで本当に歌ったことはないんだ。俺はただ叫んでいただけだった。』とね。彼はクリス・アイザックのレコードを再生してさらにこう言ったんだ。『「Nothing Else Matters」と「The Unforgiven」で俺は歌いたい。どうしたらこんな風に歌えるんだ?』私はこう言ったよ。『素晴らしいヴォーカルサウンドをものにできるよ。キミのヴォーカルに代わりはいない。クリス・アイザックの声でキミが聞いているのは彼が歌うときのニュアンスなんだ。彼も代わりはいない。彼は実際にやっている。キミもやればいいんだ。』我々は彼が快適でいて、素晴らしいヴォーカルサウンドを出せるようセットして、それから彼は歌った。日ごとに彼は良くなっていった。彼は歌うことが心地よくなった。そうして彼は素晴らしいシンガーとなったんだ。」
8.バンドメンバー4人のうち3人はアルバム制作中に離婚を経験した
ダークでブルージーなメタリカの感覚はバンドの新しい音楽的な選択の結果だけではなかった。ラーズ・ウルリッヒ、カーク・ハメット、そしてベーシストのジェイソン・ニューステッドは彼らの個人的な生活のなかでブルースを歌っていたのである。
2001年のPlayboy誌でハメットはこう語る。「ラーズとジェイソンと俺は離婚を経験した。俺は感情的にボロボロだった。罪悪感とか失敗したという感情を取って、そういう感情を音楽に向かわせるようにしていた。肯定的な何かを得るためにね。ジェイソンとラーズもそうだった。俺はブラックアルバムがああいう風なサウンドになった理由にそれによるところが大きいと思ってるよ。」
9.カーク・ハメットは「Nothing Else Matters」のビデオに登場しているが、彼はこの曲を実際には弾いていない
もともとジェイムズ・ヘットフィールドによって、電話で会話している間にギターの弦をぼんやりとかき鳴らしていて見出した音楽をもとに、当時の恋人に向けたラブソングとして書かれた「Nothing Else Matters」は、メタリカにとって大きな出発点だった。ヘットフィールドが自分でカセットに録音したラフ・ヴァージョンを聴くと、ウルリッヒはメタリカの曲としてバンドでレコーディングするべきだと彼を説得した。それからヘットフィールドは曲のアコースティックのイントロとブルージーなギターソロをレコーディングし、カーク・ハメットが参加していない数少ないメタリカの曲のひとつを作り上げたのだ。
ハメットは2012年にこう振り返っている。「俺はステージで自分が弾くあのイントロパート全部を学び直さなきゃならなかった。あの時点で俺にとってはちょっとばかり脅威だったね。(なぜならジェイムズだけがイントロをレコーディングしたため)俺たちからすればああいう風に始まる曲ではなかったから。」
10.ジェイムズ・ヘットフィールドは「Nothing Else Matters」がメタリカファンを嘔吐させやしないかと心配していた
1991年8月3日、メタリカはマディソン・スクエア・ガーデンでの無料リスニングパーティーで新しいアルバムを公開するという前例のない一歩を踏み出した。(ラーズ・ウルリッヒは後に「俺たちのアルバムはガーデンで俺たちが演る前にプレイされていたのさ。」とジョークを飛ばしている。)その4日前に(1stシングルとして)リリースされた「Enter Sandman」を除き、そこにいた1万人のファンは初めて『Metallica』の曲を聴いたのだ。ジェイムズ・ヘットフィールドはとりわけ「Nothing Else Matters」がどういう反応をされるか心配していた。
1992年にK.J.ドートン著の『Metallica Unbound』のなかでヘットフィールドはこう語っている。「俺はただ「Nothing Else Matters」がかかるのを待っていた。あそこにいたみんながお互い目を合わせて吐き出しやしないか確認するためにね!(笑)仲間内の高圧的なヤツがお互いにレコードをかけて『おまえはこの曲は好き?』『いいや、おまえはこの曲好きなのか?』なんてことにならないだろうかと思っていた。」ヘットフィールドにとって幸運なことに、あの曲は好評だった。彼はこう振り返る。「みんなかなり夢中になっていた。あれにはかなり驚いたね。」
RollingStone(2016-08-12)
過去のインタビューの焼き直しではありますが、いろんな要素が絡み合ってブラックアルバムが出来上がったのを改めて認識させられた記事でした。
参考までに7番目で書かれていたクリス・アイザックの「Wicked Game」はこちらから。
Chris Isaak「Wicked Game」

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