先日、メタリカの3rdアルバム『Master Of Puppets』がアメリカ議会図書館による国家保存重要録音作品に選ばれたことをお伝えしました。これを受けて、ラーズ・ウルリッヒがアメリカ議会図書館によるインタビューで『Master Of Puppets』のことを語っていたので管理人拙訳にてご紹介。

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メタリカの3rdアルバム『Master Of Puppets』がアメリカ議会図書館による国家保存重要録音作品に追加される

−アルバム『Master Of Puppets』を制作するにあたって、その前に出していた『Ride The Lightning』とは違ったものにしたいという具体的な何かはありましたか?
俺が思うに、それらのレコードとあの頃を振り返ってみると、全てがとても本能的だったね。俺たちは本能に従い続けた。とても若くして始められたのは幸運だったと思う。最初のレコードを制作したのが俺が19歳の時で、2ndは20歳の時だからね。そして21歳の時に『Master Of Puppets』を制作したわけだ。とても衝動的だった。考えすぎたり、知的に見せようとしたりしようとは思わなかった。
1stアルバム『Kill 'Em All』との最大の違いは何かと考えると、『Master Of Puppets』を制作した時は、俺たちにはとても才能に恵まれた2人の作曲家であり演奏家(訳注:カーク・ハメット、クリフ・バートン)がバンドに加わっていたということだ。彼らは俺たちに異なる(音楽の)教育的背景や視点をもたらしてくれた。それは俺たちの幅を大きく広げた。言ってみれば、創造的な網をさらに広く投げられるようになったんだ。ちょっと違う視点で全てを見て、さらに実験的なことを試すことができた。
『Master Of Puppets』で推進していたダイナミクスとバランスをそれ以前のレコードですでに見出していたんだ。思うに、『Master Of Puppets』で、これまでと異なるメロディーをやったり、アコースティックを試したり、バラードさえも挑戦したりするのに十分なほど俺たちは心地よく感じられたんだよ。はるかに広い幅を受け入れられたんだと思う。それがあのアルバムが俺たちに与えてくれたものなんだ。
−それまでリリースされてきたアルバムよりもこのアルバムには費やす時間があったんでしょうか?
もう少し時間はあったかな。『Master Of Puppets』は俺たちが大きな大きなレーベルの支援で作った初めてのアルバムだった。でも俺たちはメチャクチャ独立心を持って自主性を持ったままだった。マネージャーたちはレコード会社にスタジオや作曲に関与しないようにしてくれた。
実際、俺たちがエレクトラを最初の場所として選んだのは、その素晴らしい自治権のためだったのさ。1980年代半ばという時代には、レコード会社がメチャクチャ保護的で口を挟んでくるものだった。俺たちはそんなことは望んでいなかったんだ。
そんなわけで、もちろんメジャーレーベルは俺たちにスタジオにいる時間を追加することを許してくれた。これが1985年の夏のことで、サンフランシスコのイースト・ベイのエリアにいたんだけど、俺たちはLAでレコーディングすることに興味を持っていたんだ。そこでエンジニアのフレミング・ラスムッセンを招待してLAに行ってスタジオを見て廻った。
でも当時、俺たちは感じたんだ・・・つまりその・・・LAはまだ音楽に関しては、工場の組立ラインみたいな考え方を持っていたってことをね。それに俺たちはLAでは、活動の中心にするには近すぎると感じていた。
それと気づいたんだ。(レーベルから)与えられた同じだけの金なら、LA以外のスタジオでもっと時間をかけられるとね。今時じゃ音楽でそんなことはあまり聴いたことないかもしれないけど、俺たちは為替レートの恩恵を受けたのさ!(笑)
−そうですね。あなた方はデンマークでレコーディングしたんですよね?
そう。アメリカとヨーロッパの間の為替レートはアルバム制作のためのスタジオでより多くの時間をかけることを可能にした。だから『Ride The Lightning』みたいに6週間でレコーディングをする代わりに、3か月か3か月半ほどのスタジオの時間を得ることができた。できたものやレコードのダイナミクスを探求する時間と自由とチャンスが与えられたんだ。
−これは純粋に訊いてみたい質問なんですが、バンドとしてどうやってスタジオにやってきたのですか?すでに曲を書き上げておくのか、それともスタジオで創り出す方がいいですか?
一般的には前者だろうね。もちろん、俺たちはこれまで35年間レコードを制作してきたわけだから、どっちも避けたりやってきたりしてきた。だいたいは曲を書いて、それからスタジオに入ってレコーディングしていた。他にもっといい言葉がないけど、そういうことをスタジオのなかで実行していた。でも時には、曲を書くのに時間がかかって、楽曲を知ろうと時間を使ったりもする。例えば『Master Of Puppets』の場合、7曲を仕上げて、それからもう1曲必要になった。そこで「The Thing That Should Not Be」を完成させたんだ。主にスタジオでね。
あの頃は、「余ってる」曲なんて俺たちにはなかった。「12曲あるから、レコードのためにベストな8曲を選ぼう」なんてことにはならなかった。俺たちは(当時あるだけの)8曲をレコーディングした。不遜な考え方があったんだと思う(笑)。俺たちは「淘汰」のプロセスを、曲の生まれるサイクルのもっと前でやっていたから、もし充分な価値がないとなれば、それはやらなかったんだよ。具体的には、『Master Of Puppets』で7つの完成した曲と「Thing That Should Not Be」を俺が言ったみたいに、スタジオで仕上げたようなことさ。
−メタリカは素晴らしいコンサートで知られています。レコーディングを行う際に「このサウンドをライヴのようにするにはどうするか?」と考えたことはありますか?
時々はやってみるよ。いざやってみると、普通はダメになっちゃうけどね!それらは2つの違った要素だし、2つの違ったプロセスなんだ。(スタジオでの)俺たちの目標はいつもベストなレコードを作るということだ。当時は特にそうだった。今よりもずっとそうだったかもしれない。
当時の『Master Of Puppets』で、俺たちはオーバーダビングをする機会を得て、スタジオでその全てができることに夢中になっていたんだ。俺たちにとって全てが新しかった。テクノロジーやスタジオで設定された全てが、とても好奇心をかきたてるものだったんだよ・・・スタジオでは絶えず新しいことが起きていた。それはあれからロックのレコードのお決まりのやり口になった。どう聴こえるのか、どういうプロダクションにするのか、楽器ごとに鮮明に音が分かれているかとかね・・・
知っての通り、イデオロギーは変わり、こういうことは弧を描いていく。今じゃそういうことは全て「ガレージバンド」がやってるし、全体のパズルのなかの小さな1ピースにすぎない。でも当時は、進化が起きていると感じて、みんながとても真剣にそれを受け取ったんだ。
今取り組んでいるレコードは、よりムードを捉えて、過剰に弄らず生身のサウンドにしようとしている。でも、(当時は)違った雰囲気だったし、心地よく感じていたよ。俺たちは多重録音といろんな装置に興奮していたんだ。
−フレミング・ラスムッセンとアルバムをプロデュースしたことで、彼はアルバム制作の過程で何をもたらしましたか?
まず第一に彼は信じられないほど素晴らしい耳を持っていた。彼は時間、チューニング、音のタイトさ、そういったもの全てのためにもたらされたような、当時の俺たちにとって前例のないほどの耳をしていたんだ。俺たちの身近な誰かでそこまで細部を聴き分けるような耳を持ったヤツなんていなかったよ!
ルーズさと楽しさと励ましだけじゃなく、細目や結果に対しての厳格さという素晴らしいバランスを俺たちにもたらしてくれたんだ。彼は俺たちがやりたいようにやらせ、プレイさせたけど、可能な限り最も強いレベルで物事を成し遂げるために俺たちを押し上げてもくれた。
プロデューサーとスタジオで起きる最大級の素晴らしいことは、信頼を持つということだ。信頼がなくちゃならない。信頼が築かれた時、アーティストとして気兼ねなくいられる。安心してその種のことを実行することができるし、心配する必要がなくなるんだ。俺たちはフレミングと一緒なら安心だとわかっていたよ。
−あなた方はまだ『Master Of Puppets』の全ての楽曲をライヴでやっていますか?
ライヴで全ての曲をやってきているよ。「Battery」は何年もオープニング曲だったし、いまだにオープニングに落ち着く時もある。頻繁にやってるね。「Master Of Puppets」は俺たちがいつもやってる4曲か5曲のうちのひとつだ。「That Thing That Should Not Be」はやるのを楽しんでいる。あれはムードを変える良い曲だね。スローテンポだから。「Sanitarium」は俺たちの素晴らしいバラードのひとつ。ドラムからしても演奏するのにお気に入りの1曲なんだ。あの曲には自由なところがたくさんあって、毎回違ったように叩いている。「Disposable Heroes」は素晴らしい。かなり激しい7分か8分の曲で・・・いつでも動けるようにしとかないと、(曲の)次に来る変化でミスしちゃうんだ。「Leper Messiah」は頻繁にはやってない。「Orion」は俺たちのお気に入りのインスト曲であり、ファンも気に入ってくれている。「Damage, Inc.」は時々はやるけど頻繁ではないかな。
本当に全8曲が俺たちのショーの一部になっている。12年、13年前に俺たちはセットリストを変えようとして、いろいろ混ぜてみたんだ。でも「Damage, Inc.」を時々入れてみたら、演奏するのが楽しくてね。俺たちの最後のツアーは、俺たちのこれまでの楽曲の中から60曲とこれらの(『Master Of Puppets』の)全8曲から演奏するだろうね。
−あなた方の全てのアルバムのなかで『Master Of Puppets』が観衆や批評家やファンにいまだに強く共鳴するのはなぜだと思いますか?
俺はたぶんそれを答えるのに適した人間じゃないよ(笑)俺は他の方向にバイアスがかかっているからね。誰かに「あなたは自分のどの子供がお気に入りですか?」と訊いているようなもんだよ。
俺は自分たちのレコード全てに密接な関係を持っている。今それらを聴くと、好きなところ、気に入っているところをみつけるし、疑問を持つところ、嫌いなところ、良さがわかってきたところをみつける・・・。俺にとって全てのレコードはタイムカプセルであり、俺たちの能力、その特定の状況、アルバムを作っていた時の役割の果たし方を写した写真でもあるんだ。
2014年に「Metallica by Request」と銘打ったツアーをやって、30日から40日の日程で世界のいろんなところを廻った。俺たちの楽曲の中から演奏する曲をファンが投票できる、そして基本的にそれがセットリストになると言ったんだ。俺たちのウェブサイトで行われて、完全に透明性を持っていた。それからトップの票数を得た楽曲を演奏した。「Master Of Puppets」はいつでもどの国でもNo.1だった。ぶっちぎりでね!何でかなんて言えないよ!
明らかにあのアルバムはアメリカ議会図書館だけでなくファンや批評家にも共鳴してきた。俺は感動したし、恐縮してしまう。俺は「誰かがこの残響音を拒むんだろうな!」と叫ばずに座ってそれを聴いていられるかわからないね(笑)
(『Master Of Puppets』には)作曲とプロダクションに惹きつけるものがあると思う。惹きつける景観、音楽的な位置が本当によく機能している。あれが(アメリカ議会図書館による国家保存重要録音作品として)並べられるのは嬉しいよ。
Library of Congress(2016-05-27)
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