ニュージャージー州オールド・ブリッジのヘッドバンガーの一団で、草創期のメタリカに多大な貢献をした「Old Bridge Militia」。2014年に、彼らは恵まれない子供たちへの音楽的教育を支援する団体「Old Bridge Militia Foundation」を結成しました。そんな彼らとメタリカの交流についてインタビューで語られています。管理人拙訳にてご紹介。

メタリカの草創期を助けた「Old Bridge Militia」

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ロックの殿堂入りバンドが「Old Bridge Militia Foundation」へ帰ってきた。

大金持ちになったロックスターが戻ってくることはそう頻繁にはないが、自分たちのキャリアのスタートを助けてくれた「Old Bridge Militia」と呼ばれたヘッドバンギングのはみ出し者たちのことをメタリカは忘れていないようだ。

さまざまな危険によって多くの友人を失ったこのはみ出し者たちは大人になって、貧しい子供たちに楽器や音楽レッスンを支援する慈善団体「Old Bridge Militia Foundation」を結成した。財団は2014年に結成され、メタリカは自分たちの稲妻状のロゴデザインを採用することを許可した。またバンドは募金抽選用アイテムとしてジェイムズヘットフィールドが「永遠の感謝、永遠の兄弟、永遠の絆(Forever Grateful, Forever Brothers, Forever Connected.)」とサインをしたドラムヘッドなどいくつかの記念品を寄付した。財団はそのドラムヘッドを額に入れ、イベントの時に飾っている。

(中略)

「Old Bridge Militia」のリーダーであり財団創設者の“メタル”ジョー・キメンティと“ロッキン”レイ・ディルは、メタリカの最初のレーベルのメガフォース・レコードのオーナーであるジョン&マーシャ・ザズーラの助けとなった友人だった。彼らはメタリカ無しで財団は実現しなかったと言う。彼らは最近、メタリカの『Kill 'Em All』と『Ride The Lightning』のリイシューのために写真と話を提供してバンドのマネジメントを助け、その恩に報いた。

これはキメンティとディルの「Old Bridge Militia」とその財団についての話である。

−「Old Bridge Militia」はどのようにメタリカ草創期の助けとなったのですか?

ジョー
ジョニーZがファーミングデールの俺の家にカセットテープ、彼らがカリフォルニアでレコーディングしたデモテープを持ってきた。俺たちは盛大なパーティーをやっていた。みんな、そのテープに恋に落ちたね。いかにすごかったかって話を彼にしたんだ。

それから数週間後、彼らが現れた。彼らはオールド・ブリッジのイングリッシュタウン・ロードにあったレイの家にまずやってきた。ただ俺たちと会ってつるむためにね。彼らはデイヴ・ムステインと一緒だった。彼を追い出す前だったんだ。一晩中つるんだり、頻繁にパーティーやったり、ジョニーが持ってきて俺たちが気に入ったものからあらゆる音楽をかけたりしていたよ。


レイ
ジェイムズはいたるところで吐いていたよ。

−彼らは19歳くらい?

レイ
彼らとは3、4年はよくつるんでいた。ジェイムズはとても静かな男だった。ムステインはワイルドな男。ラーズは何でもかんでもやるヤツだった。そしてクリフ・バートンはオールド・ブリッジのヤツだったのかもしれないな。彼はイーグルスやレーナード・スキナードが好きだったよ。

ジョー
それはこれまで書かれてこなかった話だね。ニュージャージーに来てもらうためにジョニーZとメタリカのあいだでなされた会話だ。


レイ
ジョニーは81年の12月に店(Rock‘n’Roll Heaven)を開いた。彼はアルバムを注文して俺たちに家に持ち帰って試聴するようにくれるんだ。もし俺が気に入らなかったら、そのレコードを返していた。だから俺はホットなヤツを彼に教えていたんだ。

俺たちはClub 516でDJをよくやっていた。カバーバンドもやっているヤツもいた。でもメタリカかスレイヤーが街にいる時は俺たちは連れ立って行くんだ。アンスラックスを見にね。


ジョー
「Old Bridge Militia」の玄関はメタリカ歓迎、スレイヤー歓迎ってわけさ。

−メタリカはあなた方の助けなしにあのアルバムを作ったでしょうか?

レイ
あぁ、そりゃあ彼らは作っただろうね。

ジョー
ヤツらを止めるものなんて何もなかったよ。ジョニーがいなくても作っただろう。彼らはあれを作る運命だったんだ。あのカセットテープを聴けば特別な何かがあるってことを語れただろうし、彼らは違う何かがある、何だろうが知ったこっちゃない、ファンのようないで立ちっていうのを語れたと思う。彼らは俺たちみたいだったんだ。とんでもないものを思いついてプレイできるってこと以外はね。

レイ
彼らはかわいい坊やなんかじゃなかった。彼らは問題を抱えた人たちに対処する曲を書いていた。一丁前の男たちのバンドだったんだ。それまで俺たちはショーに行っていた。ラットが登場した時やモトリー・クルーとかそういったものにね。あれは要は女の子と髪型についてだけだった。俺とジョーはクラブシーンに大いにのめり込んだ。メインイベントになったニューブランズウィック(訳注:ニュージャージー州中北部の市)のレッド・フォックス(The Red Fox)、(ニューブランズウィックの北に位置する街、ピスカタウェイの)ザフィーズ(Zaffy's)、(ニューブランズウィックの南に位置する街、ジェイムズバーグの)エメッツ・イン(Emmett's Inn)とかね。でも彼らはみんなかわいい坊やたちだった。ホワイト・タイガー(訳注:アメリカのグラムメタルバンド)みたいにね。

それからあいつら(メタリカ)に会うわけだ。彼らは自分たちと似ていたし、みんなに共感していた。世代全体に共感していたんだ。キッズの多くは怒っていて、あの音楽を自分たちのことのように感じたんだよ。

俺はモトリー・クルーのポスターを壁に貼っていた。居間はレコード店みたいにセッティングしていた。アルバムやジョニーが俺にくれたポスターがそこらじゅうにあった。俺がモトリー・クルーの1stアルバムのポスターを壁に貼っていたら、ジェイムズがこう言ったんだ。「これは何だ?」俺はなんてこった、彼はモトリー・クルーが誰だなんて言ってるぞって思ってた。そしたら彼はこうさ。「(格好だけの)ポーザー」ってね。


ジョー
彼らは1983年の4月にやってきた。1984年2月にヨーロッパのツアーをするまで行ったり来たりしていたんだ。彼らは俺の家のソファで「Fade To Black」を書いたんだぜ。ちょうど彼らの楽器が盗まれた時だ。あいつらがUホール(レンタルカー)で木曜の午後にボストンに行った。金曜日の午前3時に俺に電話があった。ジョニーZからだった。彼が言うにはボストンでUホールが盗まれたんだと。数時間探したけど中にあったギターをみつけられなかった。猛吹雪だったからね。3、4時間探して何も残っちゃいなかった。機材もなし、ドラムもなし。でもギターを1本ずつみつけることができた。

(家で)彼らは「Fight Fire with Fire」「Trapped Under Ice」「Fade To Black」に取り組んでいた。でも俺たちは「Fight Fire with Fire」「Trapped Under Ice」のことは知らなかった。(雑誌の)Guitar Worldにそんなことが載っていてわかったんだ。それとメタリカがハワード・スターン・ショーに出演した時、ジェイムズは「Fade To Black」は“メタル”ジョーのソファで書いたのを覚えていると話していた。スターンはこうさ。「“メタル”ジョーって誰だい?」そしたらジェイムズは「“メタル”ジョーが誰か知らねぇってのかい?あの悪名高い“メタル”ジョーだよ、俺たちは彼の家でつるんでいたんだ。マネージャーが俺たちを家から追い出した時にね。」そのマネージャーがジョニーだった。でも俺たちはこの曲についての話を30年経つまで知らなかったんだ。

「Fade To Black」にまつわることは彼らのものが盗まれた時のことだ。彼らは初めてのヨーロッパツアーに出るためにあの家を去って行った。俺とレイは互いに各100ドルかき集めてメタリカに渡したよ。それが彼らに残っていたものだった。3本のギターと200ドルで彼らはヨーロッパツアーに出たのさ。


レイ
俺たちがロックの殿堂に着いた時、ラーズがやってきたんで俺はこう言ったんだ。「おまえら、あの金を置いてく時を忘れないでくれよ」彼はこうさ。「あぁそうだった」そうしてポケットから財布を取ろうとしていた。俺は言ってやったよ。「そのことはもういいよ、気にすんな」ってね。彼は両手を挙げていたよ。

−彼らは「Old Bridge Militia」のために「Metal Militia」を書いたのですか?

ジョー
いいや。あれは俺たちと会う前にすでに書かれていた。俺たちは「Old Bridge Militia」を名乗っていなかったし。彼らが83年に俺たちのことをそう名付けたんだ。それは『Kill 'Em All』で俺たちに感謝を述べた時だね。でももしあの歌詞を聴いていたら、あれは俺たちのことだってなるよ。「彼らはただあの言葉を広めたかった」のさ。それが俺たちのやったことだ。でもカリフォルニア以外にあまりに多くの人たちのために書かれたものだとも言えるね。

−ムステインはオールド・ブリッジで追い出されたのですか?

レイ
いいや、彼は(ニューヨーク市の)クイーンズ区で追い出されたのさ。彼らは2回ライヴをやった。1回は(スタテンアイランドの)パラマウント・シアター、もう1回はラムーア(L'Amour)だ。ラムーアの後の夜に彼らは俺の家に滞在していた。次の日、彼らはクイーンズ区のリハーサル室に戻って行ったんだ。そして水曜日までに彼は消えて行ってしまった。次の金曜日には、彼らはドーバーのショースペースですでにプレイしていたからね。それがカークの最初のショーだ。

−ニュージャージーがメタリカ草創期のキャリアのなかでこれだけ多くの役割を果たしているというのは驚くべきことですね。

ジョー
彼らは9号線(Route 9)沿いのローラースケートリンク、スケートウェイ9でプレイしていた。今は(マルボロにある)ニューヨーク・スポーツ・クラブというジムになっている。

ニュージャージー州で彼らが最初にプレイした場所は、俺の寝室でデイヴ・ムステインと一緒だった。ギターが1本しかなかったから、ジェイムズはプレイできなかった。ジェイムズはそれについてかなりイラついていたよ。だから彼はただ床に座っていた。家でラーズが全てのスティックを折って、そこらじゅう出血するまでプレイしていたよ。ホントの話だ。完全に限度を超えていたね。

あの家についての驚きの話だ。デイヴ・ムステインは2階で、カーク・ハメットは地下でプレイしていた。同じ家でだ。誰が他の場所にしてくれなんて言えるんだい?あのデイヴ・ムステインが2階の寝室でプレイしていて、カーク・ハメットが地下室にいるんだぜ?

スレイヤーもそこにいた。スレイヤーが立ち寄った時、俺たちは彼らとジョニーの店で会っていた。彼らは店に来ていたんだ。(あの家に)彼らが泊まる場所はもうなかったからね。


レイ
ジョーは言ってたよ。「聞いてくれ、メタリカがちょうどいなくなった。俺の家に泊まれるぞ」そうすると彼らは「マジで?」って言っていた。ジョーが彼らに住所を教えていた。俺たちは彼らが現れるとは考えたこともなかった。数時間後には彼らがやってきた。ジョーは裏庭で何人かをスカウトしていたね。

彼らはカラスを撃ち殺していた。トム・アラヤがカマロとかUホールを運転していた。鳥がすぐそこに留まる。そうすると「ニュージャージーへようこそ」ってこうさ。

BIG4の各バンド、メタリカ、メガデス、アンスラックス、そしてスレイヤーがある時期に俺の家にいたのさ。


−ロックの殿堂入りを2009年に果たしたメタリカに招待された時はどうでしたか?

ジョー
QプライムのトニーDが俺にクリフ・バーンスタインがこう言っていたと話してくれた。「初めに彼らを丁重に扱ってくれたキミたちを(今度はこちらが)丁重に扱わないとね。」と。トニーDは「俺はキミと“ロッキン”レイは、メタリカが(ロックの殿堂入り式典に呼ぶ人物として)我々にみつけて欲しいと望んだ最初の2人なんだと伝えたかったんだ。」と言っていたよ。

レイ
(ロックの殿堂入り式典で)ジミー・ペイジとジョー・ペリーがやって来て、俺たちと握手したんだ。彼らは前の晩に盛大なパーティーを開いた。ジョーとラーズはパーティーに最後までいたね。彼らはひどく酔っぱらっていたから、ラーズを引きずり出す誰かを探さなきゃならなかったんだ。

次の日、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、ロン・ウッド、レッチリのヤツ、それからメタリカのメンバー全員が一緒にリハーサルをしていた。ラーズが歩いて来てこう言ったんだ。「俺は感動はしちゃいないよ。リッチー・ブラックモアはどこにいるってんだ。」彼はディープ・パープルの大ファンだからね。

2009年以来、彼らは最高だったね。彼らは2年前にカナダの大きなフェスティバルで、俺と俺の友人たちをステージ上に招待してくれた。それに俺たちが募金抽選に使うシャツ全部にサインをしてくれたんだよ。


−何が財団結成のきっかけになったんでしょうか?

レイ
ドラッグがたくさんあって、メタリカのローディーをしていた“ブルドーザー”ボブみたいに俺たちはたくさんのヤツを喪った。俺はシーンから離れた。ジョーは(1989年に)俺の妹と結婚した。そして俺は教会に携わり、彼も教会に携わるようになった。俺たちは精神的にキリストとつながったと俺は感じている。主がこうするように俺たちを導いたんだ。

やはりこれまで行ってきたあの狂気を背景に何か良いものを残そうと思ったんだ。それが今俺たちがやっていることだ。

ニューブランズウィック出身のアーティストでメタリカとも仕事をしたことのあるアーティスト、スキグノ(Squigno)と一緒に取り組んでいる。彼は俺たちが最初に呼びかけた人なんだ。彼はやってきて「OK、MilitiaからキミたちのMとAを取ろう。そしてメタリカにできるかどうか確かめよう。」とね。俺たちはメタリカと連絡をして、Qプライムとこれについての契約を交わすために会わなければならなかった。俺たちは恵まれない子供たちや自閉症の子供たちのために音楽レッスンや楽器を提供するためのお金を得るために(ロゴを使った)シャツや帽子を売るつもりだったからね。

主は俺たちに良くしてくれたよ。俺たちがやっていることをするために俺たちをここに遣わしたんだ。


Aquarian Weekly(2016-05-11)

「Old Bridge Militia」についてはこちらのインタビューも合わせてどうぞ。
80年代メタル・シーンは、お・も・て・な・し・の心にあり

5月14日には財団でチャリティーイベントを行う模様。

「Old Bridge Militia Foundation」
http://www.oldbridgemilitia.com/

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