前回の続き。元ネタ記事があまりに長いので前編後編ではなく3部構成にしました(^^; 『Master Of Puppets』制作時のクリフ・バートンのエピソードなど、管理人拙訳にてどうぞ。
後にカーク・ハメットとクリフ・バートンがツアーバスの席をトランプで決めて生死を分けることになったことを知っているだけにポーカーの話は何とも切なく聞こえます。続きはまた後日。
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『Master Of Puppets』の残りの曲をレコーディングするため、バンドは(1985年の)12月のあいだ熱心に取り組んだ。午後7時頃からレコーディングを始めて夜通し作業を行い、午前4時から6時の間に終わらせていた。「彼らが宿泊していたホテルは無料のビュッフェ形式の朝食がついていたんだけど、彼らはそれを食べるために大体はその時間にホテルに戻っていたよ。」そうラスムッセンは回想する。
彼らは「Alcoholica」というニックネームを授かっていたが、このセッションには集中して生産的に臨んでいた。「ラーズと私はサウンドをいかにタイトにするかにほとんど執着していた。」プロデューサーはそう振り返る。「我々は正しくあろうとしていた。いつも楽曲の雰囲気について話していたよ。」
(製作開始)数週間のセッションを経て、(1985年)9月14日にドイツのメタル・ハマー・フェスティバルで一回限りのギグを行っている。そこで彼らは『Master Of Puppets』からスラッシュ反戦歌「Disposable Heroes」の試運転を行った。ウルリッヒは語る。「あの曲にはジェイムズが書いた俺のお気に入りの歌詞がある。彼は、無駄で見当違いの戦争に駆り出され、彼が生まれる前に命尽きた兵士たちを見据えていた。音楽的に、あれはメタリカの昔ながらの要素をたくさん含んでいる。高速パート、ミドルテンポの節、中間部分の内と外でそれ自身が複雑に組み上がっているたくさんの面白いプログレッシブなところ。最近じゃ、特別なショーで演るためのすげぇ曲だよ。」
『Ride The Lightning』のレコーディングからメタリカが成長を遂げた顕著な点のひとつは、ヘットフィールドの歌唱法にある。彼は準バラードの最初のパートである「Fade To Black」をフロントマンとして1984年のLPで歌っていたが、22歳になって、『Master Of Puppets』で最も落差があり、『カッコーの巣の上で』に触発された楽曲「Welcome Home (Sanitarium)」を新たに自信を持って取り組んでいた。ラスムッセンは語る。「彼は『Ride The Lightning』ではもっと叫んでいる類のボーカリストだった。すごい良くなっていたよ。彼はボーカルをやることにちょっと恐る恐るなところがまだあったけど、『Ride The Lightning』ではできなかったであろういくつかのことを我々はやったんだ。」
メタリカが過去から改善をするために行った別のやり方は、曲の複雑さにあった。「Disposable Heroes」やアルバムのオープニング曲「Battery」のように(“脅迫と暴行”を含んだ)アコースティックまで広がるエンニオ・モリコーネ風の弦の弾き方、身体を動かしてしまうスラッシュ・リフとブルージーなソロといった複雑なアレンジを誇っていた。「Damage Inc.」は、ギターのフレットを破壊するようなもうひとつのスピード曲だが、ヘットフィールドによる咆哮「Fuck it all and fucking no regrets」がかかる前に、ヨハン・セバスチャン・バッハの聖歌「来たれ 甘き死よ、来たれ 聖なる安息よ(Komm, suser Tod, komm, selge Ruh!)」のように膨らんでいくコードから始まっている。また彼らはドゥームでブラック・サバスのような「The Thing That Shold Not Be」でH.P.ラヴクラフトのホラーメタルを試し、プログレッシブで予測不可能な「Leper Messiah」で強欲なテレビ宣教師をこき下ろした。
それからヘットフィールドが薬物中毒について書きつけた「Master Of Puppets」だ。1986年にヘットフィールドはなぜこの曲を書いたのかを語っている。「サンフランシスコのパーティーに出かけたんだ。そこにはヤクを打ち込んでる病んだ中毒者がたくさんいた。俺まで気分が悪くなったよ。これは一般的には何かのドラッグについて歌ったわけじゃないけど、ドラッグによって支配されて他の逃げ道がない人たちについての曲なんだ。」つっかえつっかえ進行するオープニングのギターライン、ムーディーな中間部のソロ、芸術的なブレイクダウンにより、8分半の叙事詩はメタリカのサウンドをあっという間に神格化したのである。
「俺が気に入っている曲は「Master Of Puppets」だね。」K.J.ドートン著『Metallica Unbound』で再び取り上げられた1986年のインタビューでバートンはそう語っている。「これまでのメタリカの楽曲のなかであれがベストだと思う。」
「あの曲は時間がかかった。」ラスムッセンはそう振り返る。「たくさんの異なるパートとメロディーがあるけど、あれは一級品の曲だ。」サウンドを引き締めるために、プロデューサーはバンドに通常よりも楽器を低くチューニングするように頼んだ。そうすることでテープを早回ししても通常のチューニングに聴こえるようミキシングができた。「我々は数回デカい音で奏でて、これだと思う1回を決めていた。彼らは生で演奏しなければならなかったからね。」
その当時、タイトなサウンドを得ることがメタリカにとって重要だったため、彼らはレコーディングに適した楽器をみつけるために懸命に動いていた。ヘットフィールドとハメットは『Ride The Lightning』のレコーディング前に機材が盗まれた後、デンマークのスタジオで自分たちが使うアンプを既にみつけていた。しかし、ウルリッヒは違ったドラムサウンド、具体的にはラディックのブラック・ビューティー・スネアのサウンドをまだ求めていた。その当時、それを持っており、彼が知っていた唯一のミュージシャンがデフ・レパードのリック・アレンだった。彼はまだ、左手を失った交通事故から回復の途上にあった。「だから(ラーズが)マネージャーに電話して言ったんだ。「ねぇ、リックのドラムって今は使われてないでしょ。あれを送ってもらうことってできないかな?」とね。」ラスムッセンはそう振り返る。「次の日にはこっちにあった。彼らはそれを夜通し使っていたよ。それからあるオフの日に彼がデンマークの音楽店に行ったら、あのドラムが棚に鎮座しているのを見つけたんだ。10年はそこにあったのか、1976年の価格でね。今や彼はあれを20は持っているよ。」アレンはその年の夏に行われるイギリスのモンスターズ・オブ・ロックでカムバックを果たすこととなる。
3か月半ものセッションとなり、アメリカ生まれのメタリカのメンバーたちはホームシックになり始めていた。ハメットとバートンは特に、ウルリッヒがドラム・トラックを録り終えるまで待っている間、退屈していた。「24時間徹夜の時もあったし、コペンハーゲンまで飲みに出かけたり、時間を潰せることは何でもやったよ。」ハメットはそう語る。「1点覚えているのは、地図でビーチを発見した時のことだね。俺たちはそこに出かけて行ったんだけど、とても寒くてさ。そこは波も何にもあったもんじゃない。クリフと俺はコペンハーゲンのあの変なビーチでただ服を着込んでこう言ってた。「神様、この場所は俺たちをどうにかしちまいそうです!」ってね。」
彼らが時間をやり過ごすためにやっていたもう一つのことはポーカーだった。「クリフは本当に熱心なポーカープレイヤーだったんだ。」ラスムッセンは言う。「彼はワイルドカード使いの変人でね。デュース(ワイルドカードの2の札)と片目のジャックとスペードとクラブのキング。彼は本当にロイヤル・フラッシュを狙っていたみたいだけど、やったことはなかったと思う。彼がもし8枚のワイルドカードを持ってるとわかったら、チャンスありだね(笑)」彼らは大体において少額を賭けたポーカーをしており、プロデューサーが付け加えるには、10セント相当のデンマーク・クローネを賭けていた。
RollingStone(2016-03-02)
後にカーク・ハメットとクリフ・バートンがツアーバスの席をトランプで決めて生死を分けることになったことを知っているだけにポーカーの話は何とも切なく聞こえます。続きはまた後日。
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