ロバート・トゥルージロがPoscast番組「WTF With Marc Maron」のインタビューで、2003年に行われたジェイソン・ニューステッドの後任ベーシストを決めるメタリカのオーディションについて語ってくれました(このオーディションの様子は2004年公開のドキュメンタリー映画『Some Kind Of Monster』に収録)。インタビューを管理人拙訳にてご紹介。

『Some Kind Of Monster』でのオーディションのひとこまの裏でそんなことが。
ブログランキングに参加しています。
応援クリックをヨロシクお願いします
関連記事
ロバート・トゥルージロ、新譜制作における自分の役割について語る
ロバート・トゥルージロ、メタリカのメンバー評を語る
ロバート・トゥルージロ、メタリカ加入後10年のバンド内の立ち位置について語る。
アンドレアス・キッサー、ジェイムズ・ヘットフィールドのギター代役オーディションを受けたエピソードを語る
プライマスのレス・クレイプール、1986年に行われたメタリカのオーディションについて語る

「あれは俺にとって、とても現実とは思えない夢のような日だったよ。でもあんな風にギグをやったのは、とても…不慣れなことだった。本当に不慣れとしか言いようがない。俺はそこでまごついていたんだからね。俺は遅れていたんだ。当時を振り返るといつも遅れていた。」
「あのオーディションのちょっとした話をしようか。基本的にあれは2日間のオーディションだったんだ。オーディション初日、俺はじっと周りの様子をうかがっていた。(プロデューサーの)ボブ・ロックがそこにいて、(『St.Anger』の)ベースはすでにレコーディングしていた。彼がベースを弾いてね。だから俺はそこらをうろついていた。ラーズとジェイムズとカークはそんななかにいた。彼らは「まぁまぁくつろいで。ただそこらにいてくれればいいから。」っていう感じさ。だから俺は(ベイエリア)北側の大きな複合施設(訳注:Metallica HQ)のなかでうろついていた。俺は途方に暮れたような感じだった。だって俺はただそこにいるだけで、誰も俺とコミュニケーションを取ろうとはしないもんだからさ。そしたら「OK。コントロール・ルームに来てくれ」って。俺はそこに行くと、彼らは楽曲を録音していた。そしたらまたうろついてるだけさ。夜の11時をまわってラーズが…俺たち駐車場にいて、建物で最後に残っていたんだけど、ラーズがこう言った。「よし、飲みに行くぞ。寝酒に一杯やろうぜ。」だから俺は「よしきた。」って感じだったね。それで最初のバーにいって数杯カクテルを飲んで、2軒目のバーに行ってさらに数杯、それで3軒目のバーまで行った。それから結局、彼の家でさらにカクテルを飲むことになったんだ。朝5時までね。滞在しているところまで運転なんてとてもできなかった。不可能だ。そこで彼はさらに「このゲストルームに泊まっていけ。」って言うんだ。それから4時間後の朝9時には彼はルームランナーの上にいた。あの男はもう俺のことなんか知らないとばかりにさ。すっかりシラフなんだ。彼はルームランナーの上、俺はひどい頭痛さ。そしたら彼はこうさ。「よし。行くぞ。スタジオに行こう。」俺は彼の車について運転した。俺は周りの状況に気を付けることさえできなかったよ。スタジオには着いたけど。」
「これは(メタリカのメンバーたちが)セラピーみたいなものをあのフィル・トゥルとやっていた時のことだ。彼は…何と呼んでいるんだろう。人生のコーチというか、やる気を引き出す人というか、当時はバンドにとって良かったんだと思う。でも俺はそれに慣れていなかった。ここで俺はズキズキ頭痛がしていた。ジェイムズはこういったこと全てをくぐり抜けてきたんだ。もちろん今、彼は禁酒している。そんな彼のバンドのどこか近くで会ってみたいとはまず思われないような酔っ払いのメキシカン、それが俺だった。俺はテーブルに座り、最悪の頭痛を抱えて、完璧な二日酔いだった。俺は思ったよ。「ラーズが俺にこんなことするのは、俺をチェックするためだ。彼と親しくなれるかどうかを見るためなんだ」ってね。これは、成すべきテストなんだと。彼は本当にバイキングだよ。俺はバスルームに行って顔に水をかけて頬を叩いてこうさ。「おいオマエしっかりしろ、しっかりしろ。」本当は「俺にはすぐにこんなことできない。気持ち悪い。本当にできっこないよ。」って言っちゃいそうだったからね。」
「俺は最後までやり通した。ベース・テクのことは知っていたんだ。スイサイダル・テンデンシーズが、1993年にブラックアルバムで廻っていたメタリカと一緒にツアーをやった当時から。その(ベース・テクの)ザック・ハーモンは今も俺のベース・テクなんだ。俺はベースを持っていなかった。だから「ベースを取って、アンプの設定を選ぼうじゃないか。」となった。そういう風に二日酔いの状況を脱する方法としてそんなことをやってみたんだ。」
―彼が通常の状態で演奏したわけではないという事実にも関わらず、オーディションの出来はひときわよかった
「俺たちは「Battery」を演奏したんだ。あれは俺が緊張しない手助けになってくれた。映画(『Some Kind Of Monster』)で見ると、ベースをかなり強く叩きつけるように弾いているとみんな思うみたいだね。でも何のことはない、俺は脳みそが死んでたんだ。プレイができたから大丈夫だったんだ。でもヘットフィールドと意思疎通を取るとなったら、彼が俺のところにやってきて何か質問をしていたら、俺は本当にバカげた答えしか浮かばなかっただろうね。文字通り俺は上の空だったんだから。」
「『Some Kind Of Monster』を見ると、俺の人生のなかで絶対に持ったことのない茶色(訳注:映画の中では紫色)のアルマーニTシャツを自分が着ているんだ。なぜだかわかるかい?あれは俺のじゃないからだ。あれはラーズのなんだ。当時の彼の奥さん、スカイラーがあのシャツを俺にくれたんだ。俺が着ていたものはかなりファンキーでイケてなかったからね。」
BLABBERMOUTH.NETより(2016-01-03)
『Some Kind Of Monster』でのオーディションのひとこまの裏でそんなことが。
ブログランキングに参加しています。
応援クリックをヨロシクお願いします
関連記事
ロバート・トゥルージロ、新譜制作における自分の役割について語る
ロバート・トゥルージロ、メタリカのメンバー評を語る
ロバート・トゥルージロ、メタリカ加入後10年のバンド内の立ち位置について語る。
アンドレアス・キッサー、ジェイムズ・ヘットフィールドのギター代役オーディションを受けたエピソードを語る
プライマスのレス・クレイプール、1986年に行われたメタリカのオーディションについて語る
コメント
コメントする