以前から確執があると言われていたモトリー・クルーとメタリカ。先日ブラジルで行われたロック・イン・リオでメタリカ終演直後にモトリー・クルーのドラマー、トミー・リーがツイッターでラーズ・ウルリッヒはリズムをキープできないと揶揄する画像をツイートをして、この確執に対する疑惑が再燃していました。(映画『Straight Outta Compton』のパロディとして載せたこのツイート)

larsulrich_straight_outta_tempo
twitter(2015-09-19)

さらに両者の確執について書かれたBLABBERMOUTH.NETの記事を管理人拙訳にて。
モトリー・クルーとメタリカとのあいだの確執は、ほぼ20年前の出来事に由来する(と言われている)。ラーズ・ウルリッヒが1997年1月のアメリカン・ミュージック・アワードでモトリー・クルーがテープによるパフォーマンスを行ったことを糾弾。ラーズの主張を知った後、モトリー・クルーのベーシスト、ニッキー・シックスはアメリカのネット掲示板でメタリカのドラマーへ次のような「公開書簡」を掲載した。

「親愛なる愛しい太ってハゲたラーズへ(そのメイクアップ大好きだぜ)。そっちの知ったこっちゃない話題に対する、かつてないほどバカげた上から目線の話は、あいかわらずオマエをクソったれと思わせるね。オマエのライヴテープが再レコーディングされたものだってのを俺とトミーが知ってることをよく考えるんだな。それにオマエのドラムはプロツールで修正されたものじゃないか・・・(しかもそれをファンに「ライヴ」アルバムと呼ばせる度胸も持ってる)。自分のことを棚にあげるんじゃねぇ!!マスコミへのオマエの戯言を考えたら、俺たちは仕返しのパンチをお見舞いするのがフェアってもんだろ!!気取りやがって・・・『Load』みたいなクソアルバムを出してくれてありがとよ・・・おかげで俺たちの入り込む余地ができたってもんだぜ!!」

BLABBERMOUTH.NETより(2015-09-29)

そして先日、オレゴン州ポートランドの「105.9 The Brew」ラジオで(MCの)タナーに対して、2つのバンド間にある確執「疑惑」について、自分の立場について尋ねられてヴィンス・ニールはこう答えました。こちらも管理人拙訳にて。
「おいおい、それについてはニッキーに聞かなきゃ。俺はそれを読むまで俺たちとメタリカのあいだに何かあるだなんて全然知らなかったんだから。全然わからないよ。」

タナーは前述のトミーのツイートについてヴィンスに指摘すると、ヴィンス・ニールは声に怒気を込めながらこう付け加えた。

「俺はそれを見て知ってるけど、こう言わせてもらうよ。そのことと俺とは何の関係もない。なぜなら俺たちとメタリカとのあいだに諍いがあるなんて俺は知らなかったんだから。」

ヴィンスは彼のバンドが関わっていたとされる口パク疑惑を持ち出し、ラーズ・ウルリッヒの(確執のきっかけとなった)元の主張は妥当性はないと否定している。

「ロックンロールに口パクなんてないよ。そんなことありえない。だからそんなことは話題に出すことさえバカげてる。つまりショーに出る誰もが口パクなんてないって言えるってこと。かなりダサい話さ。」

タナーが再度、件のトミーのツイートの話を続けようとすると、ヴィンス・ニールはこうやり返した。

「知らねぇよ。俺は関係ない。全く知らないんだ。それはニッキーとトミーのあいだのことだ。誰かが彼らに向かって何か言って、2人がそれに対して何か答えたってことだろ。俺には関係ない。俺たちと(メタリカとのあいだに)何かあったことさえ知らなかったんだ。」

BLABBERMOUTH.NETより(2015-09-29)

結局、このインタビューはヴィンス・ニールの不興を買ってしまい、電話インタビューは強制終了されたのでありました。電話インタビュー音声の全編はこちらから。


ラーズ・ウルリッヒとモトリー・クルーとの諍いはメタリカとしてレコードデビューする前からあったと記憶しています。以前、某B!誌だったか、インタビューのなかでラーズはこう語っていました。
「1982年夏のある夜のことを今でも覚えているよ。当時はモトリー・クルーが1番ホットなバンドで、俺達は無名もいいとこだった。俺はハリウッドにいたんだけど、ニッキー・シックスとトミー・リーが通りを歩いていくのが見えたんだ。俺は彼らの背中に向かって何か酷いことを怒鳴ったんだよな。そしたら、あの2人、俺を追いかけてきた。勿論、連中はデカいプラットフォーム・ブーツを履いてるから、俺に追いつけるわけがない。考えてもみろよ。あのニッキー・シックスがサンタモニカ大通りをプラットフォーム・ブーツを履いて、俺を追いかけて走ってくるんだぜ。あれはおかしかったな(笑)」

「モトリー・クルー、ラット、スティーラー等、彼らは俺たちが忌み嫌うものすべてだった。奴らが牛耳ってたサンセットに俺たちが入り込むのは至難の業だった。凄く心細かったよ(笑)。1982年のLAでメタリカとして生きていくのは凄く寂しかったよ。」

さらにモトリー・クルーの『Dr. Feelgood』を聴いたラーズ・ウルリッヒがブラックアルバムのプロデューサーとしてボブ・ロックを招聘した経緯があったりと因縁浅からぬ関係であることは間違いありませんが、ラーズとの諍いの張本人ではないヴィンスに聞いたのは間違いでしたね。電話を切られたMCは「こっちから頼んだインタビューじゃない。キミが頼んだインタビューじゃないか。放送に載せたいなら少しは努力してくれよ・・・。」とボヤいたそうですが(苦笑)。

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