2014年9月6日「Warwick Open Day」で行われたロバート・トゥルージロとデイヴィッド・エレフソンとのインタビュー対談。前回の続きを管理人拙訳にてどうぞ。
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デイヴィッド・エレフソン(以下、DE)
ひとつ聞きたいことがあるんだけど、キミがフラメンコギターを演奏するのをネット動画でみたんだ。キミのフラメンコギターの経歴はどういうものなの?
ロバート・トゥルージロ(以下、RT)
フラメンコは俺が赤子の頃から聴いてきた最初の音楽じゃないかな。父親がフラメンコを弾いていたからね。趣味目的だったけど、いつも弾いていたよ。彼の弾くこの手の音楽を聴いてきたんだ。彼の指のテクニックも明らかにすごかったよ。指がね。だから俺がアコースティックギターを抱えると、すぐにああいうのを弾き始めちゃうんだ。ある時に気付いたんだけど、よりベースが突き動かされている音楽の方に俺は惹きつけられているんだ。
DE
あれがキミのベース・テクニックに生かされているのかな?
RT
そう、俺のベース・テクニックにね。でもある時、もっとリズミックな楽器なんだと気付いたんだ。ベースとかドラムというのは、本当に俺にピッタリなんだ。最初ドラマーになりたかったんだけど、住んでいたアパートではドラムキットも置くことも大きな音を鳴らすのもままならなかった。アンプが効かなくなった窪んだ形のベースギターを持っている父親の友だちがいてね、でも窪んでいたからこそ、俺はそれを弾くことができたんだ。一年くらいは弾いていたよ、スケールとかを学びながらね・・・そうして今の自分がいるんだ。
DE
(カメラの方を向いて)下の階だな、ヤツは「Holy Wars」を指で刻んでやがる。
RT
俺もやったよ!あれはこれまででお気に入りのリフのひとつだね。この男に会うたびにいつもこうさ。「あんなのどうやって書いたんだ?」
DE
「ほら、Holy Wars弾いてくれよ!」ってね(笑)でもピックをくれよ。俺にはピックが必要なんだ。
RT
俺も聞きたいことがある!
DE
どうぞ。
RT
昔は南カリフォルニアから出てきたリフにいつも惹きつけられてたんだ。ヘットフィールド、ムステイン、ケリー・キング、ジェフ・ハンネマンといった具合にね。イギリスのバーミンガムに似ていた。あそこから出てきたヘヴィリフには、ブラック・サバスやプリーストとかその他いろいろいた。あの当時、俺はあの場にいなかった。ロサンゼルスで暮らしていたし、俺はキミらより少しばかり若かった。俺は数年後に(南カリフォルニアに)やってきた。あれには衝撃を受けたよ。キミらがああいう魔法のようなヘヴィネスを創りだしていた頃、南カリフォルニアのストリートのあのエネルギーは何なんだ?って。出身地から来るスピリットなのか、ストリート文化と「コンクリート・ジャングル」のなかで育ってきた経験からなのか?
DE
俺がどう思うかっていうとね。1983年にミネソタからLAに引っ越してきた。メガデスのようなことが何か起きないかと希望を持ってね。ダメだったらB.I.T.(音楽大学ミュージシャンズ・インスティチュートのベース科)に入ろうとしていた。どんな親も子供が行こうとしている学校を知りたがるからね。
RT
俺も音楽学校に行っていたよ。
DE
ロスに着いて、俺はデイヴ(ムステイン)の下の階のアパートの一室に引っ越してきた。それでアイツの部屋のドアをノックして「俺たちとビールを飲まないか」ってね、伝えられているところによれば・・・。アイツと腰を下ろしたら、アイツはギターを弾き始めた。それは「Megadeath」という曲だった。それは3rdアルバムに「Set The World Afire」に形を変えて収録された。でもあのリフも『Ride The Lightning』の収録曲みたいなあの「スパイダーパターン」もこういった全ての曲はずっと前にアイツが書いたものなんだ。本当にクールだったよ。パンクとメタルを取り込んだ何かだと言えるからね。俺はこの年代のグループは、サバスとプリーストのレコードで育ったと思う。でもデッド・ケネディーズ、セックス・ピストルズのレコードも持っていた。あれはスラッシュメタルを生み出したエネルギーだった。デイヴは俺たちはLAのクラブでは二度とやらないって言っていたのを覚えているよ。ところが俺はヴァン・ヘイレンみたいなバンドやこういうLAのクラブでやっていた音楽しか聴いてこなかった。引っ越してきたら、アイツはこうさ。「俺たちはこの辺りのクラブじゃ二度とやらねぇ」アイツがウイスキー・ア・ゴー・ゴーでサクソンとやったばかりだったからじゃないかな、だから彼はこう言ったんだ。「俺たちはベイエリアに行くぞ」って。そうして俺たちはベイエリアに行って根を下ろしたんだ。実際、ケリー・キングは俺たちとやったことがある。彼がやってきて、最初の数回のショーを俺たちとやったんだ。スレイヤーは彼がやりたかったこととはちょっとどっちつかずの状態だったと思う。彼はそんなことがあってすぐ、キッズが彼に近寄って言ってたよ。「おいスレイヤーに何があったんだ?」それからケリーはエクソダスのトム・ハンティングを観て、音楽がどれだけ速くできるのかってのを目にしたんだ。すぐに誰が一番速いかの争いになったよ。
そしてファンレターが来た。(カリフォルニア州)パロアルトで俺たちのファンクラブを運営しているブライアン・ルーがこの手紙をデイヴに送ってきたんだ。おおむねアイツにスピードアップしてくれと食ってかかる内容だった。あの手紙が俺たちの方向を変えたし、たぶんメガデスやスレイヤーが先陣切った方向性の手助けになったんだよ。でしょ?このエネルギーはより強くなったんだ。(LAの)サンセット・ストリップの全てのバンドが売れ出してたからね。モトリーがレコード会社とサインしたばっかりで、WASPもサインをしようとしていた。こういうバンドたちみんなが花道に向けた放たれたんだ。彼らは俺たちがやっていたようなものじゃなかった。俺たちはその背後にいた次の波だったんだ。一番キツかったのはああいうヤツらが売れ出して、MTVに出まくって、何百万ドルも儲けて、何百万枚もレコードを売ったってことだ。するとこうなる。「俺たちの番はいつだ?」とね。そして俺たちの番もついにやってきた。
RT
スイサイダル・テンデンシーズも似ているよ。ファンのおかげでロサンゼルスじゃ演奏できないってとこまできたからね。
DE
覚えているよ。あれは凶暴だったね。
RT
凶暴なファンだった。だからおおむねスイサイダルはカリフォルニア/サンフランシスコでやるだいたいのショーをベイエリアでやることになったんだ。
DE
あとテープ・トレードね。それと雑誌がソーシャルメディアが出来る前のソーシャルメディアだった。
RT
そうそう。クールだったし、とても有機的だった。あの手の情熱があると、俺が思うに、競争心も沸いてくるし、「Holy Wars」とか「Reign in Blood」みたいな曲を書こうとお互いに切磋琢磨するようになる。
DE
まさにその通り。俺たちの曲は、キミたちはどうか知らないけど、昔は俺たちメロディーを取っておいて、ある程度まできたら、いったん脇においておく。それから持ち出してきて、付け足して付け足して付け足してみる。切り取って、カットして、スライスしてまた足して・・・。そうこうしているうちに完全な曲になる。曲だけじゃなくてヴァースやコーラスやソロについてもそうだった。こういう入り組んだ過程を経ていたよ。
RT
それはまさにメタリカでやっていることだよ。インフェクシャス・グルーヴスのようなバンドとは真逆だね。「リフが出来たぞ」って俺たちが集まるのはザラで、本当にドラムからマジックを捉えようとしていたんだ。セカンドテイクをやりたかったんだ。わかる?リハーサル室に入って4日間、日に4時間籠って、一日4曲出来ていたよ。週末にはアルバムになる。次にこういった曲を聴く時には、スタジオでカセットになっている。
DE
ほとんど復習ジャムみたいなもんだね。
RT
その通り、復習ジャムだよ。それからレコーディングしていくんだ。俺たちにはブルックス・ワッカーマンっていう驚異的なドラマーがいたし、ジョッシュ・フリーズってドラマーもいた。彼ら16歳くらいだったキッズたちからエネルギーをもらったし、インパクトがあったよ。それがあのバンドのやり方さ。それからマイクが歌詞をつけていく。スイサイダルはもうちょっと曲やプロセス、リフを発展させていく。それからプロデューサーが加わってくるんだ。
DE
スイサイダルは初めて真のメタルギターを弾いていたバンドのひとつだったよ・・・暴力とともにね。
RT
「暴力とともに!」(笑)暴力を加えたら、スイサイダルになるよ。でも全てはムーブメントだったのさ。スケートボーダーたちとも繋がっていた。
DE
そういうシーンがあったよね。帽子のつばを上げて、ボードとかそういうもの全部。あれがシーンの一部になっていた。曲や音楽についてだけじゃない。全体がライフスタイルなんだ。
RT
ライフスタイルだね。つまり俺はディッキーズのショートパンツを今履いてるし、今でも野球帽を持っている。俺はただのでっかい子供なんだ。50歳になろうとしているけどね・・・。
DE
いつ50歳になるんだい?俺は11月になるよ。(訳注:対談は2014年)
RT
10月で50だよ。ハッピー・バースデー、俺たち!
DE
若くあろうとする老いたヘヴィメタルベーシストここにありだ。俺たちは若いからね。
RT
異議なし。
DE
以上、ロバート、デイヴィッド、BassGearの「Metal on Metal」でした。
BassGearMagより
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コメント
OZZY OSBOURNEの MIRACLE MAN
なんとなくリフが似てると思うのは俺だけか
リフのスピード感は違いますがどこか似ているとこありますね
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