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今回は、昨年からご紹介してきたラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』の続きを。ようやく第4章に入りました。(前回までのお話は関連記事にてどうぞ。)有志英訳を管理人拙訳にて。
まだ第4章の前置き感が否めない内容ですが、続きではメジャー・レーベルとの契約や『Ride The Lightning』の制作についての話が出てきます。続きはいましばらくお待ちください・・・。
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今回は、昨年からご紹介してきたラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』の続きを。ようやく第4章に入りました。(前回までのお話は関連記事にてどうぞ。)有志英訳を管理人拙訳にて。
1983年の晩夏から秋にかけて、メタリカはジョニーZの手がけるメタルバンドのひとつ、レイヴンと初めてのツアー「Kill 'Em All for One」を行った。予算は低く、1日1人当たり約5ドルの安ホテルに4人同じ部屋に入れられた。稀にたった100人しか現れなかったオクラホマで14,000席のアリーナが用意されたように余分にブッキングされた場所もあったが。ツアーは彼らのホームであるベイエリアの3つのコンサートで終えた。ツアーバスに『No Life 'Til Frisco』(「Hit The Lights」の歌詞やモーターヘッドの1981年の伝説的アルバムのタイトル『No Sleep 'Til Hammersmith』のもじり)とペイントされたツアーバスがバンドを奮起させた。
「Kill Em All for One」ツアーの生活はメタリカの4人が夢見た生活であった。ツアーの真っ只中にいるということが、どんなに刺激的であるかがわかったのだ。ファンの家の棚にある『Kill Em All』によって、これまでよりも新しくソリッドなヘヴィ・メタルのムーブメントが高まっていた。ファンの小集団はメタリカをショーからショーへとアメリカ中を追いかけた。それからパーティー、酒、マリファナ、そしてバンドが大好きで淫らな若いレディーたちとお酒や一夜を共にしたりした。4人のバンドメンバーはホテルのベッドや酒、あるいは女性を分かち合うことを気にすることはなかった。
最初のビールはショーの前の昼過ぎには開けられていた。メタリカは酔っ払っていたが、決してそんな姿を互いにステージには持ち込まなかった。1983年当時の他のバンドでは、これほどショーの前や真っ最中のビール何杯かで大きな違いが生まれるようなことのない、ヘヴィメタルで最もタイトでテクニカルなオーケストラにはなりえなかった。さらにセットリストは『Kill Em All』収録の悪魔のような曲のバリエーション、そしてセルジオ・レオーネ監督のウェスタンの名作『続・夕陽のガンマン』のために書かれたエンニオ・モリコーネの曲「The Ecstasy of Gold」という不変のイントロがテープで流されることによっていろんな対処が可能となった。
メタリカは若く、騒々しく、エネルギーに満ちていた。恍惚の幸せな今を楽しむ怒涛のツアーで新しく激しい生活を送った。そんななかでもすでに、最初のアルバムとツアーでラーズはメタリカのビジネスマンとみなされていた。ビジネスマンには宣伝と広報、つまりマスコミ報道とファンとの永続的な関係が必要だった。バンドが始まった最初の日から、ラーズは最も熱狂的なファンとしての経験、メタルや自身のバンドであるメタリカへの初期衝動をプロジェクトに持ち込んできた。
ラーズはメタリカの天性のスポークスマンだった。ファンからファンへ言葉を広げる時には話しぶりが特に重要だ。ラーズのモーターのような口は自由自在に走り回り、どのファンジンの記者も読者に届けるには充分すぎるほどの話を聞くことができた。アンダーグラウンド・シーンにおいてラーズの話したいという単純な欲望は、常に新しいサブカルチャーから始まる新しいバンドへの無関心という沈黙の壁をぶち壊す強烈な一撃となった。彼はアンダーグラウンドからどうにか全注目を浴びることができたのだ。俺たちにはラーズ・ウルリッヒとメタリカがいると。
ラーズは魅力的かつ真っ直ぐに自身と自分のバンドについて熱心に話した。彼にも素晴らしい経歴があった。ラーズはステージ上にいる他の全てのバンドと同じくヘヴィメタルの大ファンであったが、メタリカは全メタル・シーンに火をつけ、音楽やバンドの美学に関するこれまでの基準や限界を変えようとしていたのだ。
80年代中頃の新しいヘヴィメタルバンドがうねる大海のなかで、もしメタリカが新手の瞬間的な大波以上の存在となれば、ビジネスはうまくいくとラーズはわかっていた。この時、メタリカのビジネスは契約とジョニーZのブレイクさせる能力の下で行われていた。((訳注:ジリ貧だったため)「枯れ井戸」がメタリカや彼が手がけたその他のバンドから呼ばれていたジョニーZのあだ名だった。)独立系の販路を含め、アルバムの売上げも充分よかった。そしてメタリカの「Metal Up Your Ass」Tシャツ(限りなく美しい、便器から(訳注:剣が握られた)突き上げられた拳のデザイン)はファンのあいだで既にカルト的なアイテムとなっていた。しかし、多くのお金がプロモーションのツアーとアルバムのレコーディングに使われてしまったため、『Kill 'Em All』はメタリカやジョニーZと彼のクレイズド・マネージメントにとってすぐに金の卵とはならなかった。もちろん、この段階のバンドにとっては上々だったが、世界征服の遂行は言うまでもなく、さらなる拡大すらとてもポジティヴにとはいかなかった。
ラーズ・ウルリッヒは完全にそれに気付いていた。
英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/9/
まだ第4章の前置き感が否めない内容ですが、続きではメジャー・レーベルとの契約や『Ride The Lightning』の制作についての話が出てきます。続きはいましばらくお待ちください・・・。
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コメント
すいません、もうしばらくおまちください(^^;)
そういえば、たしか、便器からナイフ〜のTシャツ、持っていましたが着なくなったので売ってしまいました。勿体ないことしたな。
続きが楽しみです。
ジェームズはシャイだってどっかで聞いたけどほんとかな
主張の強いデザインなので普段着るには気合いが入りすぎそうです(笑)
続きはいましばらくおまちください。
>もけもけさん
2人に会った人の話だとサインを書くとき、ラーズはデカデカとジェイムズは何度言っても小さく書いていたとのことです。なんか性格出ているなぁと(笑)
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