ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』を、ラーズ誕生から『Kill 'Em All』のリリースまで何回かに分けてこれまで紹介してきました。先ごろ出版されたスコット・イアン(アンスラックス)の自叙伝『I’m the Man: The Story of That Guy from Anthrax』でちょうど時代的に重複する部分が抜粋公開されている記事を発見。管理人拙訳にてご紹介します。

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Scott Ian (Photo Credit: Clay Patrick McBride)

1980年の大晦日、俺たちは友だちのリッチー・ハーマンの家でデカいパーティーをやっていた。彼は家の1階で生活していて、親父さんがいつも留守にしてたから、彼の家で50人か60人くらいで俺の誕生日を祝っていたんだ。俺は興奮しててさ。飲んでもいたけど、もう時効だろ。俺は17歳で超高級なウォッカ、ポポフで作った大量のスクリュードライバーを飲んでた。もし使い古しのロシアの漂白剤みたいな味がしてたら、グレイグース(訳注:フランス産の最上級ウォッカ)やティトズ(訳注:テキサス産ウォッカ)と同じくトップクラスだ。俺はそれを間違いなく12杯は飲んだね。そして女の子とヤっちゃってる記憶がうっすらある。吐き気がしたんでキスをやめたんだ。食道までゲロが来ているのを感じて離れたんだけど、彼女にぶちまけちまった。それからリッチーのバスルームで吐きまくった。

俺は階段を這いつくばって、母さんのアパートまで飛んで帰って寝て、次の日起きたらまだ吐いていた。2、3日は具合が悪かったよ。その後、長い間、酒のにおいだけで吐き気を催してた。振り返ってみると、それが良かったんだ。アンスラックスを結成していく間にそれほど多く飲まないで、活動に集中し続けることができたからね。バーに行っても、ビールを1杯2杯程度。Alcoholica(大酒飲みだったメタリカ)チームの一員じゃなかったし。メタリカを見ていると、彼らは本当に劇的に変わったよね。彼らの音楽は、ずぶずぶに酔っ払っていた時でさえも充分な強さを維持していた。デイヴ・ムステインがバンドにいた時でも、彼らは本当に「Four Horsemen」だったよ。全員が強力で全く違う個性を持っていた。ジェイムズ・ヘットフィールドは実際、壁の花(訳注:パーティーで誰にも相手にされずに独りぼっちで壁際にいる人)だった。彼は(アンスラックスのドラマー)チャーリーみたいに寡黙で、ユーモアのセンスもあったけど、ロックスター的な人格をまだ表には出していなかった。彼は人付き合いが不器用に見えたね。でもギターを抱えて、マイクに叫んでいた時は慣れたものだったよ。それが彼のあるべき場所だったんだ。ステージ上で何も喋らなくても。そういうことは全部デイヴがやっていた。

ムステインはバンドの本当のフロントマンだった。彼がステージで全てを喋っていたし、ロックスターとしての性格を持っていた。彼はコントロールの効かない意地の悪い酔っぱらいでもあったけどね。でも鋭いユーモアのセンスがあった。ラーズも可笑しかったね。彼はいくらでも喋ることができた。彼は(バンドを)始めた時、本当に何も弾けやしなかった。ジェイムズの曲をジャムることで学んでいったのさ。そうやって良くなっていった。ラーズが他のどんなバンドにいるかなんて想像しがたいけど、メタリカのドラマーとしては彼がピッタリだったんだ。彼はバンドが始まったその日からバンドの代弁者でもあった。

もし俺がメタリカにコイツはいないだろうって思うヤツを一人選ぶとしたら、それはクリフだろうね。アンスラックスとメタリカは、タイトなジーンズ、ハイカットのナイキシューズかコンバースのスニーカー、メタルTシャツに革のジャケット、あるいは革ジャンの上にデニムっていう格好だった。それがクリフときたら、ベルボトムにカウボーイ・ブーツ、R.E.M.のTシャツにレイナード・スキナードとミスフィッツのピンの付いたデニムジャケットなのさ。彼は間違いなく変わり者だった。でもそれが彼の流儀で、俺たちの中で一番メタルだったんだ。自分の旗を掲げ、最も才能のあるミュージシャンだったからね。もしかしたら今まで俺が会った中でも一番かもしれない。(アンスラックスのオリジナルメンバーのベーシストである)ダン・リルカよりもね。彼はベースの名手だったし、音楽とその理論をわかっていた。彼と比べたら、俺たちなんて原始人みたいなもんだ。彼はとても超然としていたけど、だからといって打ち解けないヤツじゃなかった。クールでサバサバしていた。50年代のキャラクター、ドラマ「Happy Days」に出てくるフォンジーによく似ていた。フォンジーがモリー・ハチェット(訳注:70年代から活躍するサザンロックバンド)をやった感じだね。クリフは立ってタバコを吸って、クリント・イーストウッドみたいにニヤリとして言うのさ。「最近どうだ?」ってね。

俺たちは同じ映画、同じ本、同じテレビ番組にハマったし、同じバンド全部が好きだった。だから俺たちはすぐに友だちになった。小さい頃から俺はスキナードのファンだったけど、R.E.M.は聴いたことがなかった。俺はクリフに彼らがどんなかを訊いたんだ。彼はジョージア出身のイカしたバンドだって言ってた。それで片面に『Murmur(邦題:マーマー)』、もう片面に『Reckoning(邦題:夢の肖像)』が入ったテープを俺にくれたんだ。俺はそれを家に持ち帰って、チェックしてみた。そう、彼は正しかったよ。あの初期のR.E.M.のものはクールだったね。クリフはものすごいイカしたヤツだった。それをみんなが知ってた。彼にはそういうオーラがあった。メタリカは全員そういうものを持っていたけどね。最初は彼らの間に衝突はなかったようにみえた。全員飲み仲間だったし、バカなこともやった。でもデイヴはちょっとだけ上を行くバカだったかな。彼は本当によく飲むんだ。ひどいクソ野郎になることもあった。深夜に彼が他のバンドのリハーサル室入口に山ほどゴミを捨てやがるから、次の日バンドが現れるとゴミの山でドアが見えないなんてこともあった。彼らはメタリカしかそこで寝ていたバンドはいないってことを知ってた。だからそういう目にあったミュージシャンはみんなメタリカのドアをノックして彼らをぶん殴ってやりたいと思ってたよ。

1983年4月9日、俺はメタリカと一緒にいた。彼らがラムーア(L'Amour)でヴァンデンバーグとザ・ロッズとライヴをする時だった。ヴァンデンバーグが真っ昼間にサウンドチェックのためにステージに立っていた。ムステインはすでに泥酔していてね。彼は会場のど真ん中に立って、ヴァンデンバーグが曲を終えた途端、おまえら最悪だ、ステージを降りろみたいなことをわめき始めたんだ。(アンスラックスとメタリカのマネージャーだった)ジョニーZが彼を引きずり出したんだよ。でも俺はそんなクソみたいなことはどれも彼をバンドから追い出すには充分だとは思わなかった。アイツは間違いなくスラッシュメタルの生みの親だよ。『Kill ’Em All』の中の多くのリフは彼が書いているし、『Ride the Lightning』の何曲かだってそうさ。デイヴ・ムステインがいなかったら、スラッシュメタルはこの世に存在しなかったかもしれない。少なくとも最初のうちは彼が原動力だったんだ。芸術的な面においてね。

その翌日か2日後、起きて(訳注:メタリカが寝泊りしていた)ミュージック・ビルディングまで車で行ったら、クリフが外でタバコを吸っていた。
(訳注:そしてクリフのいつもの挨拶)「最近どうだ?」
「何もないよ。そっちは?」俺はそう答えた。他の日と同じように。
「別に。俺たち、デイヴをクビにした。彼はサンフランシスコへ帰るグレイハウンドのバスに乗っているよ。」
俺は笑ったね。だってクリフはいつも皮肉で痛いところ突くようなところがあったから。「そりゃ可笑しい。ほら、俺はアンプを何とかしないといけないんだ。その口調はあまり感心しないね。2階に上がらせてもらうよ。」俺がそう言うと「全然冗談なんかじゃないぜ。2階の部屋に行ってジェイムズとラーズに話してごらん。」彼はそう言ったんだ。

2階に上がって見回しても、デイヴはどこにもいなかった。「何かあったのか?」
「クリフが話してなかったか?」ジェイムズはそう言った。
「あぁ、彼は嘘ついてるんだろ?違うか?」
「いや、俺たちは今朝デイヴをクビにした。」

俺はまだ、そんなこと出来っこない、こいつら俺を騙してるんだと思ってた。「マジで言ってるのか?」
「大マジだ。」今度はラーズがそう答えた。
「何てこった。おまえらこれからギグだってあるし、来月にはアルバムを作るんだろ。ジョニーZは知ってるのか?」
「あぁ、何日か前に彼には言った。」ラーズは続けて「俺たちはジョニーが(この件について)何も言わないと約束させた。デイヴに知られたくなかった。アイツが何をするかわからなかったから。」

彼らは軍隊の爆撃みたいな正確さで全行動を計画していた。ラムーアでのザ・ロッズとのショーがデイヴのトドメの一発になってしまった。彼らはLAまでバスの片道切符を買って、デイヴが本当に酔っ払う夜を待っていたんだ。彼らはもう長くないことを知っていた。グレイハウンドの停留所はミュージック・ビルディングのすぐ隣にあった。彼らはデイヴを起こし、まだほとんど寝ぼけているような状態でクビにしたんだ。彼は服を着て出て行ったから、服を着せる手伝いをする必要はなかった。彼らはデイヴのものを集めて、その大部分はすでにバッグに詰め込んであったけど、文字通り彼が何が起きているのか理解する前にバスに乗せたんだ。それから彼らはデイヴの機材を送る計画を立てた。

俺はポカンと口を開けたまま何も口にできずに突っ立っていた。クリフが後ろからやってきて「そう、だから言ったろ。」と言ったんだ。

「じゃあ、これからのショーやレコード制作はどうするんだ?」
「サンフランシスコのバンド、エクソダスからひとりこっちに来るんだ。」ラーズが答えた。「彼は飛んできて、バンドに入る。彼はもうほとんどの曲をわかってるし、リードギターを学んでいる。」

そうして彼はやってきた。カーク・ハメットはとんでもなく頼りになるヤツだった。あの時のメタリカとアンスラックスみんなのアティテュードはこうさ。「ファック、公園のベンチで新聞の上に寝かせてくれ。気にするものか。俺たちはレコードを作るんだ。」

俺は19歳だった。他のみんなもだいたい同じ年齢だった。何としても曲を作る、それ以外何も気にしちゃいなかった。でもそういうライフスタイルに適応することは、カークにとって他のヤツらよりも難しいことだった。彼は確かに4人の中で一番繊細だったんだ。そういう生活へのストレスが見えることがあった。サンフランシスコに戻れば、自分が始めたばかりのバンド(訳注:エクソダス)がいる。彼には留まる場所があった。彼は汚いリハーサル室で寝泊りなんてしてこなかった。でも決して文句を言ったり怒ったりはしなかったね。彼は俺がこれまで会った中で一番いいヤツだ。彼は何があっても変わらなかった。彼ほどのお金や名声を得ても。彼はサンフランシスコから到着して俺に会った日から変わらず、かわいい子供のままさ。

(後略)

radio.com(2014-09-30)

ちなみにクリフに似ていると言われていた「フォンジー」はこんな顔。
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うーん、微妙な気がしますがどうでしょう(^^;

スコット・イアンがメタリカのメンバー交代を後から知るこの場面はこれらの本でも記載があります。

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しかし、この2つの本に出てくるダン・リルカの証言より、今回のスコットの証言の方がより生々しいですね。(微妙な証言の食い違いはさておき(^^;

こちらの自叙伝が日本語化される日は来るんでしょうか?

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