1986年、クリフ・バートンの死後にフロットサム・ジェットサムのリーダー兼ベーシストとして活躍していたジェイソン・ニューステッドを迎え入れ、カバーEP『The 9.98 CD : Garage Days Re-Revisited 』に続き、オリジナルスタジオアルバムとして『...And Justice For All』を制作したメタリカ。

「ベースの音が聞こえない」と揶揄されることもままある『...And Justice For All』ですが、そんなアルバム制作当時を振り返ったジェイソンのインタビューを管理人拙訳にてご紹介。

jason-newsted

(前略)

−この質問で締め括りとしましょう。『...And Justice For All』を振り返って、あのアルバムにおけるあなたのパートに起きたことに対して、あなたの意見が年を経るにつれて変わってくることはありましたか?

あれはもう長いこと過ぎてしまったことだ。今となってはありのままを理解できる。あの時やあの状況を振り返ることができるようになった今、俺にとっては当惑することでも不可解なことでも何でもない。ジャスティスをレコーディングしたとき、それまで俺はフロットサムで『Doomsday for the Deceiver』の一度しかレコーディングをしてこなかった。バンドと一緒にレコーディングをし、一緒にスタジオに入り、一緒にあれやこれややってきた。ジャスティスの場合は、俺がアシスタント・エンジニアと一緒にスタジオに入った。他には誰もいない。バンドの他のメンバーも。ただスタジオ入りし、プラグを繋いで、ベストを尽くすだけだった。フロットサムのレコードで使った同じモノをプラグに繋いで、俺のパートをレコーディングし、そして自分の機器類を積んで家に帰るんだ。パートを一緒に弾いたり、サウンドがああだこうだと議論したりする相手はいなかった。「おまえのベースをレコーディングだけしておけ」それでおしまいさ。

フロットサムでベーシストでいるときには、俺はまだベースパートの弾き方がわかっていなかった。ギターのように速くベースを弾くことしか知らなかった。基本的にみんなが音の壁のように同じものを弾いていた。だから同じ数だけ、つまり俺のベースとジェイムズのギターが同じ数だけ(音を刻んだゆえに)かち合うことになってしまったんだ。もし俺が今の自分が知っていることを分かっていたら、違ったことになっていただろうね。でもあれはそのまま素晴らしいアルバムとなった。俺たちはあの時あの瞬間を捉えた。つまり、あれにはそういったもの全てが詰まっているんだ。当時あれにはムカついていたけど、それも大昔のこと。それ以来、俺が作ってきたレコードには至るところに醜いベースパートがあるのさ。


MetalExiles(2013-04)

最後は自嘲気味に話してくれたジェイソンでありました。メタリカ自体がクリフの死のショックから完全に立ち直ったわけではなく、まだ真のバンドとして形を成していなかった状態だったのかなと。。それでもあのアルバムを作れてしまうところがすごいですが。

ちなみにThe Pulse Of Radioによると、リリース25周年として同じようにジャスティスアルバムについてジェイムズ・ヘットフィールドはこのように答えています。

あの手が込んだ自分たちを見せ付けるようなアルバムでツアーをして「俺たちはクレイジーなプログレッシヴ・ミュージシャンだ。ここでどうやって弾いたかちゃんとわかってる!」って思ったね(笑)あのアルバム制作に取り組んだことは1つの挑戦だった。そういうパートをやるのは大好きだよ。

ジェイソン・ニューステッドとはあれが初めてじゃなかったが、彼がアルバムのなかで現われ、多少の音が聞こえた、本当の意味での初スタジオアルバムだった(笑)あれはまさに全てがセラピー・セッションだったんだ。


BLABBERMOUTH.NET(2013-11-08)

ドンマイ。。ジェイソン。。

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