SuicideGirls.com上で記載されているデイヴ・ムステイン
のインタビュー記事について書こうと思っていたのですが
インタビューにいたるまでの前文がなかなかいい内容で、
そこまで訳した段階で翻訳挫折したので、とりあえず
訳せたところまで掲載します(苦笑
昔からのメタリカファンの方はよく知っている話かも
しれませんが改めて。
【ムステイン:ヘヴィメタル回顧録】
1983年4月11日はデイヴ・ムステインの
プロ生活にとって決定的な日となった。
彼は将来有望なメタルバンド、メタリカのリードギタリスト、
さらには曲作りに貢献するソングライターとして、1年半以上に
渡りメタルで生計を立てるという夢を実現させていた。
当時あまたのバンドがそう思っていたように、このバンドは
まさに特別で恐るべき才能をもった4人組で、メタルバンドが
これまで到達したことのないところまで行く可能性を持っている
と彼は思っていた。
際限のない野心を持った音楽家、ムステインの目は「未来」
を向いていた。しかし彼はあまりにも「今」をおろそかにしていた。
飲酒とドラッグの問題は、根無し草的な幼少期に端を発している
のだが、長年にわたり彼を苦しめた。そして成功が近づくほど、
彼の見境のない所業が増えていき、ついに一線を超えたのだ。
何が最後の引き金となったのか、本当のところは誰もわからない。
しかしメタリカがビジネスでニューヨークにいた4月11日の朝、
シンガーであるジェイムズ・ヘットフィールドに起こされた
ムステインは、出し抜けにホームタウンであるLA行きの
グレーハウンドバスのチケットを手渡された。
彼はさしたる警告なしにメタリカを追われたのだった。
彼はその後、ニューヨークからLAに向かうバスのなかで
地獄の4日間を過ごした。一文無しのため、同席者から
ごっそりチップをせがみ、どうして自分の夢が煙のように
消えてしまったのだろうと思いに耽っていた。しかしながら、
絶望と傷心によって彼の才能を抑えておくことはできなかった。
バス停で拾った核戦争についてのチラシを読んで、
彼はキャッチーなフレーズに気付いた。
「The arsenal of megadeath・・・」
そして彼はLAに着くまでのあいだ、マフィンの包装紙の裏に
歌詞を書きとめ始めたのだ。このとき彼は新しいミッション、
「灰燼から立ち上がり、史上最も速く激しいメタルバンドを
結成すること」を持つにいたったのだ。
27年後、メガデスはメタルバンドのパイオニアとしての評判を
得ることとなった。
ひとつは『Rust in Peace』『Countdown to Extinction』
『Youthanasia』のようなプラチナムレコードという業績であり、
ひとつはその他のメタル・ゴッドファーザーたちやメタリカと
割り勘できる(それも頻繁に)ということだ。
SuicideGirlsは、先ごろ電話でムステインと彼の新しい著書
「Mustaine: A Heavy Metal Memoir」や、年齢や成功の良さに
気付いたこと、新たに見出したキリスト教への信仰心が
これっぽっちも彼をまるくしていないことについて話した。
Ryan Stewart
SuicideGirls(2010-08-23)
ちなみに文章中にあるデイヴ・ムステインの著書は先ごろ
出されたものでまだ日本語版は出ていません。

Mustaine: A Heavy Metal Memoir
関連記事
デイヴ・ムステインがメタリカのロックの殿堂入りを祝福。
ジェイムズ・ヘットフィールド、デイヴ・ムステイン解雇やバンドのイメチェンについて語る。
デイヴ・ムステインがスラッシュ四天王ツアーの噂やメタリカのロックの殿堂入り欠席の本当の理由を語る。
デイヴ・ムステイン、メタリカを語る。
四天王、スラッシュメタルへの思いを熱く語る。
のインタビュー記事について書こうと思っていたのですが
インタビューにいたるまでの前文がなかなかいい内容で、
そこまで訳した段階で翻訳挫折したので、とりあえず
訳せたところまで掲載します(苦笑
昔からのメタリカファンの方はよく知っている話かも
しれませんが改めて。
【ムステイン:ヘヴィメタル回顧録】
1983年4月11日はデイヴ・ムステインの
プロ生活にとって決定的な日となった。
彼は将来有望なメタルバンド、メタリカのリードギタリスト、
さらには曲作りに貢献するソングライターとして、1年半以上に
渡りメタルで生計を立てるという夢を実現させていた。
当時あまたのバンドがそう思っていたように、このバンドは
まさに特別で恐るべき才能をもった4人組で、メタルバンドが
これまで到達したことのないところまで行く可能性を持っている
と彼は思っていた。
際限のない野心を持った音楽家、ムステインの目は「未来」
を向いていた。しかし彼はあまりにも「今」をおろそかにしていた。
飲酒とドラッグの問題は、根無し草的な幼少期に端を発している
のだが、長年にわたり彼を苦しめた。そして成功が近づくほど、
彼の見境のない所業が増えていき、ついに一線を超えたのだ。
何が最後の引き金となったのか、本当のところは誰もわからない。
しかしメタリカがビジネスでニューヨークにいた4月11日の朝、
シンガーであるジェイムズ・ヘットフィールドに起こされた
ムステインは、出し抜けにホームタウンであるLA行きの
グレーハウンドバスのチケットを手渡された。
彼はさしたる警告なしにメタリカを追われたのだった。
彼はその後、ニューヨークからLAに向かうバスのなかで
地獄の4日間を過ごした。一文無しのため、同席者から
ごっそりチップをせがみ、どうして自分の夢が煙のように
消えてしまったのだろうと思いに耽っていた。しかしながら、
絶望と傷心によって彼の才能を抑えておくことはできなかった。
バス停で拾った核戦争についてのチラシを読んで、
彼はキャッチーなフレーズに気付いた。
「The arsenal of megadeath・・・」
そして彼はLAに着くまでのあいだ、マフィンの包装紙の裏に
歌詞を書きとめ始めたのだ。このとき彼は新しいミッション、
「灰燼から立ち上がり、史上最も速く激しいメタルバンドを
結成すること」を持つにいたったのだ。
27年後、メガデスはメタルバンドのパイオニアとしての評判を
得ることとなった。
ひとつは『Rust in Peace』『Countdown to Extinction』
『Youthanasia』のようなプラチナムレコードという業績であり、
ひとつはその他のメタル・ゴッドファーザーたちやメタリカと
割り勘できる(それも頻繁に)ということだ。
SuicideGirlsは、先ごろ電話でムステインと彼の新しい著書
「Mustaine: A Heavy Metal Memoir」や、年齢や成功の良さに
気付いたこと、新たに見出したキリスト教への信仰心が
これっぽっちも彼をまるくしていないことについて話した。
Ryan Stewart
SuicideGirls(2010-08-23)
ちなみに文章中にあるデイヴ・ムステインの著書は先ごろ
出されたものでまだ日本語版は出ていません。

Mustaine: A Heavy Metal Memoir
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コメント
「もう一つ悪い知らせだが、バスで帰ってもらうよ。」
「……。。」
デイヴのバイタリティが伝わってきますね。そういうところはよく、見習いたいものです。
しかしそれにしても、お金をせがむほどの経済的状況であるとは、改めて驚かされますね。今昔、まだ日本では中流階級が当たり前ですが、アメリカはお金のない人は本当に、お金がないんですね。
電撃解雇ってこういうこと言うんでしょうね。。
>AssGramさん
夢中になれるものがあれば、周りの状況は
関係ないのかもしれませんね。
滞在費はレコード会社もちだったんですかね?
移動費(チケット)だけ渡されて呆然としたでしょうね。
>ももクロちゃん
もしもを言い出すとキリがないですしね。
メタリカ・メガデスそれぞれのバンドの音を
聴くことができるのも幸せなことだと思います。
うーん残念ですね。
再入荷あるんでしょうかねぇ。
もしかしたら某企画のためにまだ在庫
とってあったりして。
なるほど。家のテレビ買い替えるときに
サウンドに凝ってみようかな。。
ボーカルの修正ってあるんですか!?
なるほど。
スタジオで取り直しなんてのもあるんですね。
そこまでいくとライブ盤の体をなしていない気もしますが。。
元々大佐は声をガンガン張っていく歌い方ではないですけどね。
けっこう今のギタリスト好きなので、BIG4のDVDは
ギターの競演ばっかり凝視しちゃいそうですが。
昔、習っていたギターの講師に
首になった悔しさからMegadeath作ったと聞いていたのを思い出しました。
In My Darkest Hourのビデオを
見た時にオォ!っと思ったものです・・・
う〜ん歴史と共に
自分の老いを感じます(^_^;)
最近、ホント時が経つのが早く感じますねぇ。。
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