メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

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    前回記事の続き。バンド内でのいじめ、メタリカ初来日時のエピソードについて語っています。管理人拙訳にてどうぞ。

    2018-11-12-jason-feature

    ステファン・チラジ(So What!のエディター)
    他の3人が取り組まなければならなかった問題の深刻さをキミはわかっていた?キミが参加したとき、彼らが向き合うにはあまりにも多くのトラウマがあるっていう認識はあった?彼らがそういう状態にあったから、ある程度の間違いはあるだろうとあらかじめ受け入れていたの?あるいは「何てこった、これは俺がメタリカに加入する時から期待されていたものってわけじゃないだろ?」とキミが思うような瞬間はなかったかい?

    ジェイソン・ニューステッド
    俺は本当にそういう考えや認識、あるいは気付くまでの余裕なんてなかったよ。あのバンドに入るチャンスを得て、ベースでベストを尽くし、できうる限りのことをしようといっぱいいっぱいだった。それが全てだ。実際に全てではないけど、ほぼそれに近い状態というか…クリフの名声に沿うようにした、それは言うまでもないことだ。それはお決まりの文句とかそういうんじゃないけど、俺は彼を失望させたくなかった。彼らも失望させたくなかった。自分を失望させたくなかった。それが俺にとって重要なことだった。そういうもの全てから来るパンチをかわしているだけだった。悲しみやさまざまな反応?俺はそういうことは知るよしもなかったし、額でそいつをまともに受けるまでそういうことを認識していなかった。トーベン(ラーズ・ウルリッヒの父親)とジャン(クリフ・バートンの母親)と何回か会って、彼らは俺に少し心構えをさせようとしていた。でも誰かがそういうことを気付かせるという重要な役割を果たすなんてありえないよ。ノリに乗った勢いに乗じて、その全てのエネルギーを注ぎ、バスや飛行機や電車といったことでそういう機会を奪い続けたうえに、いまだに半端じゃない成功をおさめ続けているんだから!23か24歳の若者にとっては、信じられないくらい重荷だよ。

    ステファン
    キミがそうハッキリ言うと、本当に狂気だったんだね。

    ジェイソン
    でしょ?俺はそんなこと考えられなかったよ。ほんの一部も考えられなかった。そういうところまで、まだ成長しちゃいなかった。その時点で俺はペットを喪った経験があるだけだった。祖父母も健在だったから、そういう(クリフという仲間を喪う)ことは理解できなかったんだ。彼らにとってどれだけ重要な存在だったかはわかっていたから、一歩身を引いて、できうる限りクリフに敬意を払うようにしていた。俺にとって最も重要なことは、その存在を踏み越えないことだった。自分のできうる限りのことを最大限やっていたけど、そんなもの越えられないよ。敬意を持ち続けなくちゃならなかったし、俺が理解したってことを彼らが認識していると確認しなくちゃならなかった。そして俺はベストを尽くす。それが全てだ。子どものような驚きと強い興味と混乱、そんな状態だったよ!

    ステファン
    あの年齢のときには面白いだろうけど、これはあの時代のとてもたくさんのことをよく覚えているんだよね。時にキミが向き合ってきた「新メンバーへのいじめ」が深く刻まれた痛みを隠すことがあると。

    ジェイソン
    たしかに。

    ステファン
    実際に起きたいじめのいくつかに簡単に触れていこう。触れるべきなのは私が最も重要だと思っているひとつで(そして、おそらく非常にささいなことだけど)歯ブラシのことだったと思う。3つと1つがあったことを覚えているんだ。

    ジェイソン
    それは覚えてないなぁ!

    ステファン
    おぉそうかい。おそらくキミは見逃していたのかもしれないけど、テーブルの上に3本の歯ブラシが見えて、キミのが右だか左だか忘れたけど、(先が)ズレていたんだ。「なんかくたびれていて、ちょっと変だな」と思っていた。

    ジェイソン
    へぇ、詳しく話そうか!

    ステファン
    初めの頃のいじめで「これは変だな、でも俺はこれを乗り切って強くなる」と思ったようなことは覚えている?

    ジェイソン
    物事を解決するにしても、実際に起きていた何かは、人によってセンセーショナルにされたりとか、ちょっとした神話ができていたりとかするわけでしょ?覚えているのは、ごく初めの頃、バンドに入って最初の6日間だったか8日間だったかで、2つの重要なことが俺に起きていた。間違いなくいじめだろうと思われること。そして「内部で何が起こったのか」っていうことの残りは、彼らが対処していたことと俺たち一緒に対処していたことだった。

    でも2つのことをよく覚えている・・・来日2日目のことだ。バンドに入って8日か9日、とにかく2週間以内だった。(アンスラックスの)スコット・イアンが俺たちの泊っているホテルにやってきたんだ。俺は飛行機での旅行でクタクタだった。このホテルっていうのが超素晴らしいところでね、みんな本当に丁寧な対応で贈り物やいっぱいお土産をくれたんだよ。メタリカが日本にいったのは初めてのことだった。「ビートルズ狂騒曲」みたいなことになって、脱出するための裏口があった。いずれも経験のないことだったね。俺も彼らと一緒にそういうことを経験した。初めてのことだったけど、ああいうのはどこにもないよ。初めて(メタリカで)ライヴしたのは(ウォームアップの)アナハイムでのショーだった。その3日後には日本をツアーしていたんだからね。俺たちはみんな、同じように目を丸くして「別の惑星」に来たんだ。なんてこった!俺たち、みんなよりも背がデカいぞ!!!女の子たちはみんなパニくってた。俺たちはそれまでそんなことなかった。俺たちの誰もがね。ツアーマネージャーだって、クルーのヤツだって、ジェイムズだって、俺たちはそれまでの人生で誰もそんなことを経験したことがなかった。

    それでスコットは2日目にやって来た。俺たちはロス(・ハルフィン)とのフォトセッションをしていたんだ。日本庭園のある家とかシャッターチャンスのためにどこにでも行った。日本でタクシーに乗ると、小さいんだよね。イギリスやアメリカのタクシーとは違って小さい。俺が最初に乗って、みんなでもう一人を押し込んで、他の3人とスコットがちっちゃいタクシーに乗るには、俺が彼らの後ろに乗らなきゃならなかった。まぁそうして目的地に行って写真を撮った。それから飲みに行って、やることをやったわけだ。それは些細なことだったんだけど、彼らはテストをしていたんだ。

    ショーをやって、あらゆることをやって、日本の主要都市を5つか6つ廻って、たぶん6公演はしたんじゃないかな?それからニューヨークに行ってマンハッタンに着いた。知っての通り、ジェイムズやみんなはヤクを打っていた。1986年の話だからね?だから彼らの血中レベルはずっと、得たいが知れないよ。星3つ!マジだぜ!?ジェイムズとサムヘインの人たち(彼らはボディービルディングでムキムキだ)はハイになって、何が起きようが、朝の4時とか6時とかまでニューヨークで飲みに行っているんだ。

    そうして彼らはホテルにやってきて俺の部屋に来ると、ドアを叩き出すんだよ。俺は眠っていた。俺たちは日本をツアーしたばかりで、ずっとショーをこなしてきたもんだから、俺はあの1か月ろくに寝てなかったんだ。しまいには英語を話せるどこかでちょっと横になっていたってこと。そうしてそこに至ったわけだ。そしたら朝の4時にドアがノックされる。「役立たず野郎!」なんて言葉に俺は返答しなかった。気分の良いものじゃなかったしね。彼らは階下に降りていって、鍵をデスクから手に入れようとしていた。そりゃ鍵なんてもらえない。そしたらヤツら、ドアを蹴飛ばして部屋に入ってきたんだよ!!!

    クルミ材の装飾品があるような古いホテルだったんだけど、ドアはバラバラに壊されて部屋に散乱していた。ヤツらは部屋に入るなり、俺が寝ているマットレスごと裏返して下敷きにした。それからあらゆるもの、あらゆる椅子で俺を下敷きに埋め始めたんだよ。俺のものは8階の窓から通りに投げ捨てやがってさ。「バンドへようこそ、マザーファカー!!!」って言ってドアから出ていったんだ。

    それがあって今の俺がある。それがバンドに14年くらいいたなかで、いじめとして覚えている2つの出来事だ。どれだけ誇張されてしまったかわからないけど、それが一番覚えていること2つかな。

    ステファン
    興味深いね。これまで話してくれたことは全て記録に残しておこう。特にいじめについては誇張されてきたね、最後のはかなりのものだったけど!(続く)

    Metallica.com(2018-11-12)


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    『...And Justice For All』のリマスター盤が発売されたタイミングで、Metallica.comのSo What!にてジェイソン・ニューステッドのインタビューが掲載されていました。メチャクチャ長いインタビューなので少しずつ訳してご紹介していこうと思います。日本語が微妙なのは毎度の事なのでご容赦ください...(誤訳は遠慮なくご指摘ください)。

    2018-11-12-jason-feature

    アリゾナからやってきて、1986年晩秋にメタリカの後任ベーシストとして選ばれたトミーズ・ジョイントでの夜を経て、ジェイソン・ニューステッドがバンドに持ち込んだエネルギーを説明することはたやすくない。

    彼の目は不滅の水晶のようにどんな光も捉えて10倍にして対面する顔に放っていた。彼はとても興奮して満ち満ちていたのだ。1カ月間、振りまくったビール瓶の蓋を空けられたようなものだった。我々には、彼が受け入れて後任に就いたポジションについて、本当に理解することは同じようにたやすくないことだ。なぜならジェイソン・ニューステッドはそれまで誰かの後釜に入ることはしてこなかったが、それをやってのけたからだ。

    バンドとファンの双方が哀悼の意を表した。次のことなんか、たとえ長期的な「次」なるものがあったとしても、誰も知りはしなかった。中西部にルーツを持つ、この明るくポジティヴでエネルギッシュな青年は、ラーズ、ジェイムズ、カークの道を切り開くのを助け、メタリカがメタル界のみならず音楽ビジネス全体を制圧するのを助けたのだ。

    ステファン・チラジ(So What! エディター)
    私はメタリカのキャリアにおける重要な瞬間に直でジェイソンの重要性と影響力を見た。また苦闘と居心地の悪さを感じた時代を目撃した。何よりメタリカがいつも必要としている時に(そうでない場合でさえ)いつだって最後の力まで振り絞り、血をにじませる男を目撃していたのだ。彼のアティテュードは始めから揺るぎなく、素晴らしく強い家族のようなユニットによって強化され、彼のあらゆる義務への欲求は常に大きいままだった。

    ジェイソンと『...And Justice For All』時代について話をするにあたり、課題は我々が話すことがどれくらいあるかではなく、今後の議論のためにどのくらい余地を残すかということだった。彼のアートキャリアは昨今素晴らしい位置にあり、ジェイソンは私が覚えている限り、幸せで満ち足りたように感じていた。

    以下では、(ジェイソン加入後の)メタリカ初期の『Garage Days』や『...And Justice For All』の時代の話が中心となっている。我々は90分近く話していたが、20分のように感じていた。


    ステファン
    メタリカにキミが加入して『Master Of Puppets』(以下、MOP)のツアーを終え、『Garage Days Re-Revisited』EPの頃についてから始めてみようと思う。振り返ってみてあの頃の熱中具合はどうだった?

    ジェイソン・ニューステッド
    あれもこれも覚えているよ。そいつは壮大というか何というか・・・流れが速かったよね。まだ時流の突風のど真ん中にいた感じだった。ツアー、つまりオジー(・オズボーンと帯同したツアー)だったり、MOPのツアーだったりっていうのは、みんなにとって予期せぬことだったし、それはそれは奇妙なところに俺たちは足を踏み入れていたんだから。それが始まりだった。

    ある種の復帰だったかもしれないし、俺は必死にしがみついていたし、間違いは犯したくなかったし、できる限りベストであろうと思ったし、自分に訪れた機会に感謝をしていた。そうだろ?それが俺が覚えていることなんだ。何より俺がそこにいてできることは、音を外さないことだ。リズムを間違えずに、遅れないようにと、できる限りプロフェッショナルであろうとしていた。『...And Justice For All』(のBOXセット)に付いてきた、この本のなかの写真を見た時、そんなクレイジーな頃を思い出したよ。そういうわけで全体としてはとても楽しくて、ペースが速かったってことを覚えている。


    ステファン
    そうだね。とにかく若かりし頃にはうろたえることがあるよね。速いペースで活動するのが大好きなバンドに入る前から自分はひとかどの人物だったと言える?フロットサム・アンド・ジェットサム(ジェイソンの前の所属バンド)の時でも、こういうプロジェクトをやって、こういう曲をやるつもりだった?

    ジェイソン
    今振り返ってみると、常に自分でやっていた他のプロジェクトのリーダーになっていたというのが本当のところだと思うよ。俺と歩調を合わせるのは人にとっては難しいことだろう。それが自然なことだと思う。たぶんそれは俺の父親の気性やエネルギーから来ているんだろうね。父は主導権をとって、手綱を握って、自分の才能を使えと、ことある毎に俺に言っていたよ。

    ステファン
    キミの父親−それはキミの父親が素敵な人だったってだけじゃなく、いつもキミにとって大きな影響を及ぼしていたということを記録しておかなきゃいけないね。当時、彼をよく見かけたから覚えているよ。彼は私にとって、正直で、みんなのお手本になるような、ブルーカラーの良きアメリカ人のように思っていた。

    ジェイソン
    そう、今もまだそうさ。83歳になるけど、(ジェイソンのアコースティックバンド)チョップハウスバンドのショーにも来てくれるよ。彼は自分のやりたいようにやっているし、いまだにあの同じ猫を飼っているし、誇りを持っている。今じゃ俺たちが演奏する曲と一緒に歌えるようになったんだ。だいぶ違ったノリだけどね。そこにはクールなヴァイブがある。でも彼はまだシャンとしているよ。例えば・・・たくさんのボランティア活動とかそういうことをしている。

    ステファン
    へぇ、それは素晴らしいね。キミの兄弟たちもそうだよね。ニューステッド家は、いつも非常に支援してくれていた。私が最初の頃で覚えているのは、メンバーの両親をショーでお見掛けすることはあったけど、キミの大家族は同じようにお見掛けすることはなかった。つまり、キミの家族は最初の頃、観衆のなかにいてポジティヴなノリをしていたってことだ。「ニューステッド一族がノリノリだぞ」って知られていたんだ。あれはクールだったね。

    ジェイソン
    あぁ、メンバーはときどきこんな冗談を言っていたよ。「ジェイソンのゲストリストはどんだけいるんだ?」ってね。そんなこともあったけど、キミも知っての通り、ジェイムズは俺の母親に会ったときには、「ママ」とか「ママ・ニューステッド」とか呼んでいた。母がそうするように言ったんだ。そんなことはしょっちゅう言っていたね。みんながそんな風に母を見ていたから、そういう雰囲気があったんだ。

    ステファン
    ちょっと頭を戻してもらって・・・キミは間違いなくリーダーだったし、いつもエネルギッシュでとてもポジティヴなエネルギーをたくさん持っているという事実について話をしてきた。そしてノリのよい家族についても。そこで当時を振り返ってみて、メタリカの歴史のなかでメンバーがどのような位置から来たのかを見たとき、潜在的に大きな亀裂のあった時期で、コミュニケーションは最善ではなかったかもしれない。バンドとして一緒にいるためにキミの音楽的能力が不可欠だったということを越えて、キミがバンドにもたらしたものについてはどう思ってる?ニューステッド・ゲストリストがどれだけ膨大だったかって話も含めて、全てを話しているんだ。だってファミリーがまた別のファミリーを連れてくるかもしれないでしょ?

    ジェイソン
    わぉ、素敵なことだね。時間とともに、キミ自身も含めて、身近にいた人たちは各メンバーが果たす役割を認識することができた。どんなものだって、次のことよりは重要じゃなかった。ステージには、誰もが見て誰もが知っていた明白なものがあり、誰もが知ってるわけじゃなかったものが舞台裏にあった。

    自分の安定性だったり、家族だったり、感情的なものだったり、基礎となる全てのものは、俺たちあるいは彼らが通ってきたこれまでのことに対処する感情的なツールを持つ手助けとなっていたんだ。俺がバンドに加入して3、4ヶ月っていう間もない時期にメイク・ア・ウィッシュから依頼を受けた。俺はそういうことを引き受けるために力をいれてきたんだ。だから俺の役割のひとつはチアリーダーやヘッドバンガーになることに加えて、少なくとも集団のために感情的な負荷を引き受けるってことだったんだ。それが真実だと思う。


    ステファン
    まさしく。もし間違っていたら、訂正してね。うっすらと当時のことが思い浮かんでいるんだけど、カールソンにある2番目の家を、ラーズが『Garage Days Re-Revisited』用に持っていたのを覚えているんだ。実際のガレージを建てるプロジェクトのリーダーはほとんどキミが務めていたと記憶しているんだけど、どうだろう?

    ジェイソン
    そのとおりだよ。『Garage Days Re-Revisited』の裏ジャケには「Building master J. Newkid」とか何とかあったでしょ。間違いなく俺が全ての材料から何からを注文して、そいつらを打ち付けて、防音から何まで仕立てたし、ラーズからしたら早すぎる時間に何度も起こしに行った。あぁ確かにそうなんだ。それも全て契約の一部だったんだ。俺の爺さんは、俺が小さい頃に物を作ることを教えてくれていたんでね。俺は何をすべきかわかっていたことをやっただけなんだ。それが当時の俺たちにとって必要なことだったからね。

    ステファン
    あれは独房みたいだったけど、てきめんだったね。

    ジェイソン
    それは俺たちにとっても良かったんだよ。ずっと正直でいられた。物事はかなりいい方向に進んでいたし、彼らはちょうど本当にイカした売り出しを待つばかりだった。だから俺たちにとって「マラソン走者のトレーニング真っ只中」でいることは良いことだったんだ。(続く)

    Metallica.com(2018-11-12)


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    ご無沙汰しています、生きてます。

    久しぶりの更新が告知(しかも遅い)で誠にすみませんが・・・

    メタリカのファンクラブMetClubの日本支部第1号として始動した「'TALLICA JAPAN」が早10周年を迎えることとなりました。そこで10周年のお祝いと忘年会を兼ねて、2018年12月2日(日)に西横浜エルプエンテにてメタリカセッション忘年会を開催いたします。

    前半はメタリカセッション、後半は『...And Justice For All』のBOXセットからライヴDVDを上映する予定です。

    また、メタリカのホームグラウンド、カリフォルニアで発生した史上最悪の山火事をうけて、チャリティー販売も行います。募金500円以上で非売品ギターピック、2000円以上で非売品バックステージパス(レプリカ)や大ステッカーをプレゼントいたします(先着順)。

    charity201812

    またトリビュートバンド、ハッタリカのTシャツやバンドTシャツの古着販売を行い、売り上げの一部を寄付します。

    いずれもメタリカMetClub経由で山火事被害に対する支援金として寄付いたします。ご協力お願いいたします。

    当日のタイムスケジュールは以下の通り。
    ※当日の進行により、時間が大きく前後する可能性がございますが、あらかじめご了承ください。

    ■日時:2018年12月2日(日)

    14:00 開場
    14:30 メタリカセッション
    18:30 チャリティー販売、メタリカ周辺の近況等
    −休憩時間−
    19:30 『...And Justice For All』BOXセットDVD上映会
    21:30 終了

    ■場所:西横浜エルプエンテ
    相鉄線西横浜駅から徒歩1分
    改札を出て真っ直ぐ。道なりに階段をくだり、短い横断歩道を渡って左に向かう。
    郵便ポストの脇に入り口があります。

    ■入場料:1000円+1ドリンク(入場チャージは全額寄付)
    ※今回、食事込みではございません。休憩時間のあいだに食事をとっていただく形となります。


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    「Worldwired Tour」真っ最中のメタリカ。その合間にカーク・ハメットが電話インタビューを受けていました。管理人拙訳にてご紹介。

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    カーク・ハメットはギターヒーローである。実にシンプルだ。メタリカの伝説は35年間、感受性の強い若者を圧倒し、地平を広げてきた音楽とスタイルにある。彼の情熱と個性、華麗さや繊細さ、メロディー哲学と積極的な熱意は無数の若者に6弦楽器を手に取る動機を与えてきた。60年代後半から70年代にかけて、カリフォルニアで育ったカークにとって、彼の最初の動機付けとなった人は驚くべきものではない。

    「ジミ・ヘンドリックスのドキュメンタリー映画を最初に観た時、彼が視覚的にどんなだったか、どんな弾き方をしていたか、彼の演奏に関係しているものがどんなだったかを、実際に観て度肝を抜かれたんだ。」彼はメタリカの欧州ツアーでの短期間の休暇中に行った電話インタビューでそう回想する。「どれだけ芸術的だったんだと感銘を受けたよ。彼は完全な創造的エネルギーで、エレキギターで彼が望むものを何でも自由にしてみせることができるように見えた。自分の居場所をみつけようとしていた少年の俺にとって、とても魅力的だったんだ。“あれが俺のやりたいことだ!”って思ったよ。それから(レッド・ツェッペリンのコンサート映画である)『The Song Remains The Same』をその頃に見て、ツェッペリンの壮大なステージを見た。あの視覚的なインパクトといったら…あれで音楽はより大きなものになっていった。俺は自分の将来像を永久にヘンドリックスとツェッペリンに決めたんだ!」

    こうして触発されたカークはギターを手に取り、1979年に彼は初めてのバンドを組んだ。エクソダスだ。初期の段階から、10代のギタリストは自身の素材を生み出していた。その過程でヘヴィメタルの歴史の一部となる曲を書いていたのである。

    「1つのリフ、それから付随する2つ以上のものが浮かんできて、メンバーに見せるんだ。俺たちはすぐにそれを演奏していた。なぜなら弾くこと以外の手は何もなかったからね!」愛嬌のある鼻息を鳴らしながら彼はそう強調した。「数曲を(練習して)自分たちのものにしたら、自分たちが落ち着く音楽的基盤があるように感じた。今も俺にとっては同じことで、誰のためでもない楽曲を持っていると、良い感じでね。何かを思いついて部屋に入って、何かを携えて部屋から出てくるときはいつだって、リフやメロディーやコード進行、または何か2つの組み合わせ、そういったものから来る大きな満足感でいっぱいなんだ。とても力がみなぎる。何もないところから何かを創り出したように感じる、その価値は本当に莫大だよ。本当に。いつもみんなに言うんだ。“自分自身のものを作れ!そうだ、聴いてみよう。世界にはもっと音楽が必要だ”ってね。」

    世界は聴いていた。エクソダスが自分たちの曲をライヴで演奏し始めた時、「Die By His Hand」「Impaler」を含むカークの作曲は、爆発的な何かが醸成されていて、メタルを永遠に変えるようなサウンドを形作るのを手助けしていたことは明らかだ。エクソダスの曲は、イギリスから来た新世代のメタルに触発されたものだったが、ベイエリアの若者たちは喜んで、より速く、よりアグレッシヴにしてみせた。

    「NWOBHMは自分たちのギタースタイルを形作った。ああいうテクニックはイギリスから来たものだ。」カークは80年代初頭に最も急進的なサウンドをどのように先導したのかを説明する。「だから俺たちはエリック・クラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジを聴いて育ったようなヤツらがやっているようには聴こえなかった。俺たちはB.B.キングは聴かなかった。完璧に別のルーツから来ていたんだ。だから俺たちは際立っていたんだよ。際立っていた間口はたったの2、3年。それが世代間の違いだった。俺よりほんの2歳上のミュージシャンには、そのスタイルやギター演奏を聴きたくもなかったのがいたんだ。」

    カークの仲間たちにはこの斬新なスタイルで苦労している者もいたが、両親はもっと困惑していた。「あぁ、俺の家族はそれを嫌っていたね。」とカークは笑い、恐ろしい父親の印象について話し始めた。「“その男が叫んでいる音楽をかけるな!”って。その叫んでいる男っていうのはポール・ディアノだった!あるいはモーターヘッドをかけていたら、家じゅうのみんなを追い出したりしたっけ。友人たちに嫌な気持ちにさせられることもあった。俺がそういうものを聴いていると“おいおい、こんなものが好きなのか?”ときた。そいつらのなかにはしばらくして俺と話をしなくなったヤツもいる。当時そんなにおかしかったのか?」

    家族や友人たちの賛同を得られずにも関わらず、カークは急成長しているシーンのなかでキープレイヤーとして名をあげていた。1983年にはデイヴ・ムステインの入れ替えでメタリカに加入するという急な話を受けた。当時メタリカはアンダーグラウンドのメタル界において最もホットなバンドであり、アンダーグラウンドのメタル界で最もホットなデビューとなる『Kill 'Em All』のレコーディング前夜だった。脅威的な状況で、かろうじて20代になったばかりの男の自信と成熟によって処理されたのである。

    「すでにたくさんの素晴らしい楽曲のあるバンドに入ったから、自分を強化しないといけないと感じていた。」と認めるカーク。「でもすでに自分が書いていたリフのなかにはとてもすごいリフがあると自負していたから、その過程に自分をどう組み込んでいくかという問題だけだったんだ。でもメタリカの一番良いところは、“高校の頃に始めたバンド”よりも、このメンバーたちと一緒にいる方がピッタリくると感じたってことだね。それは俺にとってほろ苦いことだったけれども、それが現実だった。この音楽の旅路を続けたかったら、信念を貫かなくちゃいけなかった。だからメタリカに入ったんだ。0.001秒から意気投合した。同じ場所から来て、同じものを聴いて、同じ美学、同じ耳を持っていた。だからそれは自然なことだったよ。」

    ジェイムズ・ヘットフィールドのクランチギターに並行して、カーク・ハメットのブルースなリックと歌いやすいリードは、メタリカのサウンドを強力なものにしている。それは彼(の加入)が当初の計画にはなかったと考えるにはいまだに不可思議に思える。それからもちろん、カークの最も象徴的な特徴、つまり彼の愛するワウペダルがある。

    「俺にとってワウは人間の声に似ている。」彼は自分の大好きなオモチャのことをよくわかっている。「いかにも“ワウのサウンドです”っていうんじゃなく、その瞬間にどんなふうに感じてもトーンを操作できるってことなんだ。実際、自分のより深い部分とより良い繋がりを創り出している。ヘンドリックスは実際にワウペダルを使っているのを聴いた最初の人ではなかった。それはシン・リジィのブライアン・ロバートソンなんだ!『Jailbreak』の「Warriors」って曲で気づいたのが最初だった。彼は2、3の音をワウで出していて、俺は友だちに言ったんだ。“あれは何なんだ!?”彼は“あれはワウペダルだよ”ってね。“すげぇ最高!”って俺の心に刻まれたよ。」

    メタリカがメタル界で最大のバンドとみなすサウンドにおいて、彼が要となるのを手助けとなったワウペダルは彼のトレードマークとなった。何年もかけて進化し、適応し続けてきたサウンド、そして2003年の『St.Anger』では、そのカークの特質、つまりギターソロがバッサリ落とされて、かつてないほど論争の的となった。彼はその当時、強く反対し、彼の嫌悪感は落ち着くどころではなかった。

    「当時はそれが適切だったんだろうけど、振り返ってみると、あれは今もってそれほど適切ではなかったようだね!」カークはゆっくりと語った。「俺はいつだってあれに反対するだろうけど、あのアルバムの後にメッセージが帰ってきたと思う。メタリカにはソロが必要だ!ってね。みんなはそれを聴くのを楽しみにしている。だから俺にとっては奇妙な弁明だった。」

    2003年の流行りがギターソロに反対だったが、2018年の流行りはまるっきりギター反対になっているように見える。我々の会話はギブソンが破産した翌日に行っていた。昔ながらの6弦が直面している問題について訊ねると、カークは怒るというより傷ついているようだった。

    「俺はそれが何なのかわからないけど、みんながギターに違う光を見ていると思える。そしてサンプラーやその他のクソのためにその座を明け渡しているようだ。それは時代の兆しなんだろう。すべての楽器がそうであるように、流行りから外れる時はある。80年代初頭、ギターは80年代半ばに再登場した時ほど人気はなかった。俺たちはギターで実際に音楽を創る行為に熱意がある限り、そこから何が起きるか見ていく。俺にとって悲しいニュースだけど、ギブソンが勝つことを願っているよ。彼らは過去にもそうだったんだから。」

    ギターの衰退の証拠は我々の周りにあるが、まだ各ギタリストの運指に喜び取りつかれている、激しい聴衆がいる。彼らはカークがソロアルバムに取り組む日を今か今かと待っている。それについてはどうなのだろうか?

    「俺はあまりに多くの材料を持っているけど、それは明らかにメタリカのものではない。その山はますます大きくなっている。近いうちに正しいと感じる時が来たらね。」カークは考えにふけった。「俺はまだメタリカに寄与できることがたくさんあると感じている。それがもっと仕上がったら、他のことをやろうと思うかもしれない。」温めている彼のテーマ、カークはソロアルバムのLPに我々が何を期待すべきかを検討してくれた。「それはまったくメタルアルバムのようにはならないだろうね。」彼はそう認める。「スタイルはとても奇妙で広範囲なものになるだろうけど、それと同時にまとまったものになると思う。俺はもし俺たち全員がソロをやって独立した自主的な何かをやっても驚きはしないだろうね。それは健康的だし、それどころかバンドに戻る時には、もっと熱意を持って戻ってくることになるだろうし。ちょっとキャンプ旅行に行く感じがするし、いつだって家に戻って暖かいベッドに帰るのはいいもんだよ!」

    物思いにふけって、我々の会話が途絶えてきたなか、カークは自身の楽器がスピリチュアルな凄さが彼にとって何を意味するのかについて考えていた。「自分はギターをラウドにアグレッシヴに弾くために生きている」と彼は強調する。「俺にとって治療的な効果がある。魂の大きな穴を埋めてくれる。手にした最初の日からそうだったし、いまだに上達している。まだ頂点を極めたとは思ってない。発見と経験を繰り返す長い音楽の道だ。音楽的に自分は今まで一番良い場所にいて、とても幸運だと感じているよ。すぐにピークに達する人もいるけど、それだと若かった時のことをやってもやり直しはきかない。自分は続けていきたいし、現状に満足なんかせずに、いつも将来に目を向けているよ。」

    Metal Hammer(2018-09-26)


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    とりあげるのがすっかり遅れましたが、メタリカが2019年のヨーロッパツアーの2ndラウンドの日程を発表、チケット予約もすでに始まっています。日程は来年5月1日から8月25日の以下25公演。ゲストとしてスウェーデンのバンド、ゴースト(Ghost)とノルウェーのバンド、ボカッサ(Bokassa)がゲスト出演する模様。

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    1stラウンドで野外ステージ、2ndラウンドでアリーナツアーを行っている北米ツアーとは逆で、今度の欧州ツアー2ndラウンドでは野外ステージ仕様でスネイクピットも再び登場します。

    一般チケットの他にオプションのついたチケットが4種類。

    The‘Dream No More’Experience
    ・スネイクピット(ステージ最前)入場権
    ・購入者専用入口
    ・ライヴ前にメンバーとのミート&グリート
    ・プロカメラマンによるメンバー4人との撮影
    ・VIPラウンジでの食事・ドリンクチケット
    ・メモラビリア・コレクション鑑賞
    ・他Tシャツ・ポスター特典、物販優先購入権など

    The‘All Nightmare Long’Experience
    ・予約席10列目以内か、スネイクピット外側エリアの早期入場権
    ・購入者専用入口
    ・VIPラウンジでの食事・ドリンクチケット
    ・メモラビリア・コレクション鑑賞
    ・他Tシャツ・ポスター特典、物販優先購入権など

    The‘Shortest Straw’Package
    ・一階席予約か、スネイクピット外側エリアの早期入場権
    ・購入者専用入口
    ・ポスター特典、限定物販ギフト

    Wherever I May Roam Black Ticket
    ・2019年メタリカ欧州ツアーのスネイクピット外側エリアの早期入場権
    ・購入者専用入口
    ・Black Ticket用ラミネートパス

    先行予約コードがメールで送信された方はすでにMetallica.comから予約可能となっています。

    Metallica.com(2018-09-24)


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