メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:metallica

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    元アンスラックス、ニュークリア・アソルト、S.O.D.、そして現在はブルータル・トゥルースで再び活動中のダン・リルカが最近のインタビューでメタリカについて語っていたのでご紹介します。

    dan-lilker

    (前略)

    −80年代を振り返って、クリフ・バートンが亡くなった時、あなたはクリフに似たベースの音をさせていたので、ひょっとしたらあなたがバンドに加わるのはいい選択肢かもといつも思ってました。メタリカがクリフ・バートンの後任のベーシストを試していた、あの当時にそんなことが頭をよぎることはありましたか?

    ダン・リルカ
    「あぁそうだね。俺はその頃CBGB(訳注:ニューヨーク市マンハッタン区にあるライブハウス)でハードコアの昼興行をたくさんやってた頃だったから、他の人たちもそんなことを思っていたようだった。俺のところにやってきてはウインクして言うのさ。「それでダンはメタリカに加入するのか?」ってね。でも全くお呼びはかからなかったよ。」

    「(メタリカに加入したとして)俺が持ちこたえられたかどうかなんて誰もわからない。でも、2人の男が全てのお金を儲け、他のみんなは給料を貰い、彼らは何をやりたいのかをキッチリ指示するそんなバンドさ。そしてクリフが死んでジェイソンが加入した後に出た最初のメタリカのアルバムが『…And Justice For All』さ。そこにはベースが全くなかった。」

    「俺はわからない。(メタリカに加入していたとして)俺が創造的にハッピーだったかどうかはわからないね。つまり俺がいたほとんどのバンドでは、俺がメインのソングライターだったし、音楽の方向性を指揮していた。でも、『…And Justice For All』で何が起こったのかわかる機会を得ることは決してなかった。」

    −驚きました。80年代初頭にメタリカが(ニューヨークの)クイーンズ区にやってきてアンスラックスと出会って以来、メタリカのメンバーとは親しかったのではありませんか?

    ダン・リルカ
    「あぁ。でもそれはクリフの死の約3年前のことだ。もちろん彼らはいまでも友だちやら何やらであることは間違いない。俺はずいぶん彼らとは会っていなかったんだ。その時までにSODはもう終わっていて、ほとんどニュークリア・アソルトについてのことをしていたからね。」

    −試すべき考えうるベーシストとしてあなたの名前が挙がっているものだと思っていました。

    ダン・リルカ
    「きっと他の人たちの中に自分の名前も挙がっていたかもしれないね。きっと最終候補者リストか何かに入っていたかも。でも言うまでもなく何も起きなかったってことさ。」

    1986年9月27日に起きたツアー中のバス事故によるクリフ・バートンの悲劇的な死からまもなく、メタリカは新しいベーシストとバンドを続けるという決断を下した。生き残ったメンバーは空いたポジションをさまざまな候補者で試した。リルカが説明するように、彼はその候補者のひとりではなかった。しかしオンラインのレポートによると、クリフに続く何人かの名高いベーシストを試し、結局ジェイソン・ニューステッドが選ばれた。プライマスのレス・クレイプール、テスタメントのグレッグ・クリスチャン、ニューステッドがメタリカに加わり、去ることになったバンド(フロットサム・アンド・ジェットサム)の後任者となるトロイ・グレゴリーを含む候補者の中から。

    −クリフとは友だちだったんですか?

    ダン・リルカ
    「あぁ。クリフは本当にクールなヤツだった。彼は他のヤツらよりもハッパをよく吸っていた。俺たちはそれを通じて同志になった。彼は本当に地に足の着いたヤツだった。小さな町出身だったから、本当にクールだったし、パーティー好きでほろ酔いしてたヤツだった。(バス事故について)起きたことを聞いた時はかなり押しつぶされそうなほどショックだったよ。」

    (後略)

    Songfacts(2014-11-06)

    外からメタリカがどう見られていたかの一端を垣間見るインタビューでした。

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    11月11日のアメリカの祝日「退役軍人の日」に行われる、チャリティー・イベント「The Concert For Valor」。メタリカの他、ブルース・スプリングスティーン、エミネム、デイヴ・グロールが出演することは既報どおり。さらにメタリカのinstagramアカウントでも告知がありました。

    「The Concert For Valor」のサウンドチェック。もしワシントンDCのフリー・ショーに来れないなら、HBOかtheconcertforvalor.comでアメリカ東部時間午後7:00から観られるぞ。
    TheConcertForValor
    instagram(2014-11-10)

    というわけで日本時間2014年11月12日(水)午前9:00から下記サイトでライブストリーミング配信予定。(特に地域制限の記載はないのでおそらく日本からも観られるでしょう(願望))
    http://www.theconcertforvalor.com/

    ’TallicaJapanの詳報もあわせてどうぞ。
    https://www.facebook.com/Tallica.Japan/posts/585482511580078

    管理人はそのころ大人しく仕事してまーす・・・。

    【追記】
    3曲の短編ライヴとなった模様。

    1. For Whom the Bell Tolls
    2. Master of Puppets
    3. Enter Sandman

    Metallica.com(2014-11-11)

    早くもYouTubeでアップされていました。


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    メタリカ、退役軍人向けのチャリティーイベントにブルース・スプリングスティーン、エミネム、デイヴ・グロールらと参加

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    2014年11月8日に大型ゲームイベント「BlizzCon 2014」にてメタリカが出演した模様がYouTubeでアップされました。当日の写真、セットリストと合わせてどうぞ。



    Mのロゴが印象的に配されたシンプルなステージセットですね。
    当日写された写真もロゴがバッチリ入ってました。

    blizzcon01
    instagram(2014-11-09)

    blizzcon02
    instagram(2014-11-09)

    ロバートは出演直前の動画で(笑)
    instagram.com/p/vKc8GFSSzE/

    その他の写真はこちらから。
    http://www.metallica.com/tour/nov-08-2014-anaheim.asp

    以下、セットリスト。曲順はともかく映画『スルー・ザ・ネヴァー』な選曲です。
    setlist
    instagram(2014-11-08)

    【追記】
    オフィシャル動画公開。


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    手短なニュース。2014年11月18日から30日まで開催されるロサンゼルス・オートショーにジェイムズのカスタム車「Black Pearl」が出展されるとのこと。

    jameshetfield_blackpearl

    ロサンゼルス・オートショーのサイトはこちら。
    http://laautoshow.com/

    ざっくりした自己紹介から始まるジェイムズの「Black Pearl」紹介動画はこちら。


    2014年のカスタム・オブ・ザ・イヤー賞に選ばれたこの車。後ろから見た昆虫っぽさがたまりません。

    jameshetfield_blackpearl_

    jameshetfield_blackpearl2

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    メタリカの来年夏のフェスティバル参戦が早くも発表されました。Metallica.comの発表を管理人拙訳にて。

    俺たちはハロウィンを祝福し終わったから、夏のフェスティバルを話さなきゃならない時がきたってことでいいんだよな?(!)今年、俺たちは不慣れなところで行うヨーロッパのサマー・バケーションの発表から始めるよ。ドイツとオーストリアの3つの真新しいフェスティバルに出演することに興奮している。今やヨーロッパでこの夏の伝統の一部となっているこれら3日間の祭典で、俺たちはミューズとキッスと一緒にヘッドライナーを務める。

    ■5月29日〜31日
    ドイツ・ニュルンベルグ
    Der Ring - Grune Holle Rock
    http://www.der-ring.de/

    ■5月29日〜31日
    ドイツ・ミュンヘン
    Rockavaria Festival
    http://www.rockavaria.de/

    ■6月4日〜6日
    オーストリア・ウィーン
    Rock in Vienna
    http://www.rockinvienna.at/

    チケットは明日発売で、ウィーン公演は11月6日9時、ドイツの2つの公演は10時から。ウィーン公演のチケットはTicketmaster.at、ドイツ公演のチケットはTicketmaster.deで手に入れてくれ。これらは一般入場のフェスティバルのため、MetClubの先行発売はない。

    引き続き注目していてくれ・・・俺たちは休みに入る前に、いくつかツアーの追加を携えて必ず戻ってくる!

    der-ring-grune-holle-rock

    rockavaria

    rock-in-vienna

    Metallica.com(2014-11-05)

    来年もまた夏のフェス荒らし敢行の模様。しかも今度は出演経験のないフェスのようで、今度はロックフェス制覇を目指してたりして・・・てっきりしばらく廻っていないアメリカ本国をツアーすると思ってたので最初の発表がヨーロッパというのはちょっと意外でした。

    各3日間行われる3つのフェスですが、どの日のヘッドライナーを務めるのかはまだタイムテーブルも出ていないので不明です。

    出演オファーのことを考えたら、今の時期に決まっているのはわからない話じゃないんですが、それにしても発表が早いですね。


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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』のご紹介。第3章5回目。有志英訳を管理人拙訳にて。クリフ・バートンの紹介から、メタリカにさらなる変化をもたらす2人、カーク・ハメットとジョニーZが登場します。

    - レコード契約(前編) -

    ラーズはクリスマスの19歳の誕生日を祝った。1983年2月中旬、ただの子供だった彼がようやく永久的に実家を出た。そして気が付くと自分が今、すごい集団にいたのだ。彼らは静かな通りの小さな家、具体的に言うとバークレー大学から北のエルセリートにあるカールソン大通り3132番地の新しい家を「メタリマンション(The Metallimansion)」と名づけた。(この地域はデッド・ケネディーズが先頭切った目まぐるしいイーストベイのアンダーグラウンド・パンク・シーンの本拠地でもあった。)

    彼らがリハーサルをしたこの家のガレージはカーペットと卵トレーで敷き詰められ、壁にはモーターヘッドやその他何百ものメタルバンドのポスターが飾られた。ツボルグのプレートがドアの反対側にあるリビングに置かれ、その部屋はバンドのパーティールームとなった。

    メタリマンションでは絶え間なく、リハーサル、ジャム・セッション、パーティー、飲酒、そして曲作りが行われていた。クリフ・バートンが入ったメタリカはもはや各々が自分の創造的なアイデアを持つ4人で成るバンドとなった。クリフはその基礎的な音楽のバックグラウンド、音楽理論、ハーモニーに関する知識によってバンドに大いに貢献した。

    ラーズがポテトチップスを食べながら(訳注:デンマークの)ブレンビュベスターでNWOBHMのレコードを聴いていた頃、またイギリスのパンク革命が世界中のヘッドライナーをかっさらっていた頃、16歳の学生、ベーシストのクリフ・バートン(1962年2月10日、カリフォルニア州カストロバレーにて、高速道路の建築士レイと教師であり教育者のジャンとの間に生まれる。)は音楽教師スティーヴ・ドハーティーによってクラシックからジャズまでありとあらゆる音楽スタイルを仕込まれた。寡黙だが親切で優しいクリフは高校で3つの音楽の授業に現れた時にはいつも耳を研ぎ澄ませ、予習をしっかりしてきた。そしてカストロバレー高校を1980年に卒業した。おそらく、この若き音楽フリークの最も特筆すべきことは地元の電動装置機器のレンタル店、カストロバレーレンタルズで働いていた頃の話だろう。カストロバレーレンタルでクリフは最も若い従業員で、長髪だったことから、同僚からもたくさん苦情を受けていた。彼らはクリフを怒らせることは一度もなかった。ただ笑って「いつかアイツはあの長髪でもって金儲けするだろうさ。」と答えていた。

    クリフはミュージシャンを志し、前述したバンド、トラウマに高校卒業後すぐに加入した。高校ですでにクリフはEZストリートというバンドにいた。そのバンドには(後にフェイス・ノー・モアとなる)ギタリストのジム・マーティン、(後にフェイス・ノー・モア、オジー・オズボーン・バンド、さらに再結成ブラック・サバスに参加する)ドラマー、マイク・ボーディンがいた。EZストリートはレッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、ローリング・ストーンズのカバーに加えて、自分たちが試作した曲を弾いていた。

    彼らの出会いは1978年。ジム・マーティンは音楽的にも社会的にもクリフの最も重要な知り合いのひとりだった。ドラマー、デイヴ・ドナートと共にマックスウェル・ランチと呼ばれていたサンフランシスコのダウンタウンにある空家に集まってよくジャム・セッションをしていた。3人の少年にとってその場所はビールも飲めてマリファナをキメて長い時間ジャム・セッションをできる楽しい安息の地であった。

    クリフの人生にはたくさんの音楽が存在していたが、ホラー・パンク・バンドのミスフィッツほど彼を深く感動させた音楽はなかった。クリフの腕には彼らのロゴのタトゥーが彫られていた。彼は車に乗ると自作のミスフィッツのテープを流してはいつも狂ったようにハンドルを叩いて叫んで運転中でもヘッドバンギングをしていた。もちろん彼はロック、パンク、メタルが大好きだったが、ウェザー・リポートのベーシスト、ジャコ・パストリアスも大好きだった。そして「バッハは神だ」と考えていた。(クラシックの作曲家のことであり、メタリカと同年代のスキッド・ロウのクレイジーなフロントマン(訳注:セバスチャン・バック、スペルが一緒)のことではない。)クリフは20年代から30年代にかけてホラー小説のシリーズを書いた小説家、H.P.ラブクラフトのファンでもあった。そのような文学から得たものは初期の何曲かにハッキリと見受けられる。

    人としてミュージシャンとして、クリフはまさしくラーズとジェイムズが探し求めていた人物だった。この新しいメンバー編成でメタリカは1983年3月5日と19日の2回、ストーンで凱旋公演を行った。2回目の公演はメタリカが撮影された初めてのビデオによって不朽の名声をメタリカに与えることとなった。

    しかし依然としてバンドには問題が浮上していた。デイヴ・ムステインである。彼は、公演中のギターソロ、ステージ上でのほとんどのMCを負っていた。飲酒の時においても彼はリーダーだった。もちろんバンドで飲むことはよくあることだったが、ムステインは度を越えていた。彼は他のみんなが機嫌がいい時は典型的な暴力男になった。そしてしばしばジェイムズと音楽的な意見の不一致というより個人的な理由によって争っていた。

    3月のある夜、ラーズはジェイムズとマーク・ウィテカーと話し合いをしていた。マークが持ってきたエクソダスの最新デモテープをメタリマンションでよく使っていたカセットプレーヤーに入れて。エクソダスは何回かメタリカの前座を務めており、ラーズとジェイムズは彼らのことをよく知っていた。その会話の間、ラーズの鍛え抜かれたメタルな耳が突然、エクスダスの速くてアグレッシヴなメタルのリズムにタイミングよく織り挟まれたギターソロを捉えた。彼の関心はプレーヤーの中にあるデモテープへとすぐに移っていった。ラーズとジェイムズは同意したのだ。このギタリスト、カーク・ハメットは速くてアグレッシヴなヘヴィメタルにおいて何か特別なものを持っている、こいつがメタリカでプレイすると。

    「このカーク・ハメットってヤツが何かを持っているってことは明らかだった。」ラーズはそう振り返る。「本当にクールでメロディックなギタープレイでシェンカーやUFOみたいだった。彼はとても頼りがいがあると思えた。否定的なものは何もなかった。」

    しかし、カークがラーズとジェイムズと出会い、メタリカに加入するまでには、もう数ヶ月要することになる。

    デイヴ・ムステインは何も知らなかった。しかしメタリカは間違いなく、もうひとつのメンバー交代への道を歩んでいた。

    しかし、ラーズの慎重かつ意欲的な『No Life 'Til Leather』の流通後、バンドはアンダーグラウンドのメタル・シーンでどうだったのだろうか?

    デンマーク本国のメタルレコード店で、ケン・アンソニーは若きヘヴィメタルの子分が今や「彼のバンド」メタリカにいることにニヤリと笑う。メタルショップの仕事に加え、ケン・アンソニー自身も活動的だった。ミュージシャンとしてではなかったが、若いデンマークのメタルバンド、プリティ・メイズや前述したブラッツやマーシフル・フェイトやその他のバンドのマネージャーとして。ケンは自分の担当するバンドのデモテープをレコード会社に配って、その多くを実際にレコード会社の契約までこぎつけていた。したがって彼はヘヴィメタル界の多くの知識としっかりとしたネットワークを築いていたのだ。しかし、ケンはどうやってもメタリカの将来性を持ってして自分が商業的に関与してお金をどうこうすることはできないことを知っていた。その代わり彼は当時デンマークで一番大物のヘヴィメタル・プロモーター、エリック・トムセンに連絡をした。

    「俺は彼にデンマーク人のいるアメリカのバンドでこれからビッグになるバンドがあるから気を付けないといけないよって言ったんだ。でもエリックはそれを信じなかった。」ケンはそう振り返る。

    その代わり、デモテープはニューヨーク市郊外に住む元証券仲買人の注意をひいた。彼の名前はジョニー・ザズーラ。ジョニー・ザズーラ(ジョニーZとしてよく知られている)と長年連れ添った妻マーシャはウォール街の競争に飽き飽きし、個人的に充実したもっとゆったりとした実りある人生に専念したいと思ったのだ。夫妻はニュージャージー州東ブランズウィック国道18号線のインドア・マーケットにあったレコード店で取引をした。そこで2人のベテランの音楽ファンは店の隅っこで自身の店を開くことを許可された。ジョニーZは自分でも音楽を演奏していたし、マーシャは素晴らしいレコードのコレクションを持っていた。2人とも60年代の大きなロック革命の間に青春を迎えていた。そしてドアーズ、グレイトフル・デッド、MC5のような草分け的なロックバンドやチック・コリア、ジョージ・ベンソンのようなジャズ・アーティストのファンだった。まもなくザズーラ夫妻の音楽的嗜好は変わっていき、もっとヘヴィな方向へと向かっていった。

    夫妻は棚にあった180ドル相当のLPレコードから始めた。しかし7ヵ月後には仕事で80,000ドル相当のレコードになっていた。いまや「ロック天国」として知られるようになった。誰もが全国で買えるようなメインストリームのレコードに集中する代わりに、ザズーラ夫妻はヘヴィメタル、とりわけヨーロッパのものに集中することを選んだ。ロック天国はこのようにしてすぐに音楽を買いに行く場所もない、あるいはたむろしたり情報を得たり他のファンと会う場所もない何百もの若いメタルファンからヘヴィメタル天国として知られるようになった。元証券仲買人は東海岸のヘヴィメタル文化を引っ張る成果を確立したのだ。

    反旗を翻す生々しいメタル音楽に対する夫妻の企業家精神と興味は徐々に膨らんでいき、彼らは新しい考えを思い浮かべた。まもなくジョニーZはニュージャージーからマンハッタン、ブルックリンまでのメタル・ショーの出演契約交渉担当者としても知られるようになった。ジョニーの熱意は、音楽の自己出版の可能性についてさえ話したようにメタルバンドのマネージャーさえも始めたかもしれない。

    しかしながら、レコード店は依然としてあった。最新アルバムを買いに来るファンは、居心地の良い雰囲気の中たむろしたり、ヘヴィメタルを聴いてシーンの最新情報を共有することが大好きだった。ある午後、その客のうちの一人が店にテープを携えてやってきた。おそらくそのファンはカリフォルニアまでの旅の間にテープを買ったのだろう。その音楽は目を見張るほど素晴らしいから、ザズーラのロック天国でこのテープを流さないといけないと思ったのだ。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/9/

    cliff_kirk
    クリフ・バートンとカーク・ハメット

    次々とメタリカのステップに関わる人物が登場してきて、それぞれの点がつながって線になっていく展開。次回はデイヴ解雇、カーク加入、そして『Kill 'Em All』のリリースまで。

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    少々遅くなりましたが、Metallica.comからのお知らせを管理人拙訳にて。

    2ヶ月と少し前、俺たちは作家マット・テイラーによる決定的な『Master of Puppets』本に対するキミたちの助力を求めていた。そしてキミたちは大々的に期待に応えてくれた。ありがとう!!俺たちはまた キミたちが個人的な持ち物の中から『Kill 'Em All』と『Ride The Lightning』時代の関連グッズを見つけ出して欲しいと思っている。俺たちはこれら2つのアルバムのデラックス・リマスター・バージョンを来たる2015年に準備しているからね。

    俺たちは全てを求めている!まだポケットにすっぽり入るようなサイズになるずっと前にビデオカメラをどうにかコッソリと持ち込んだりしてなかったかい?それともスナップショット用の昔のインスタマチック・カメラ?マイク付のカセット・ウォークマン?俺たちは何でも、全てを探しているんだ・・・音声、ビデオ、写真、フライヤー、チケット半券、フロアで拾ったセットリスト、どんな記念物でもいいからその当時のキミたちが持っているかもしれないものを。submissions@metclub.com までキミの話を共有して、写真、ビデオ、音声記録、その他記念物の投稿についての情報を受け取って、これらのアルバムにキミの印を刻んで欲しい。

    覚えていて欲しいのは、俺たちは全部を求めているってこと(そうキミのもの全部だ)!小さすぎるとか取るに足らないとかそんなものはない・・・キミの仲間と一緒の記録物を共有して、懐かしい思い出を俺たちと一緒に楽しんで欲しい。それを提出することで、キミは俺たちが今度のリリースでキミの歴史の一片を載せるのに使うんだと言えるのさ。(そう、弁護士が俺たちにこの部分の文章を加えろとさ!)

    Kill-'Em-All-Back

    Metallica.com(2014-10-29)

    というわけでリマスター盤発売決定に伴い、そこに収録するための当時の記念物をファンから求めているのでお持ちの方はぜひぜひ。

    そして冒頭に書かれていたリリース30周年(2016年)を記念して発売予定の『Master of Puppets』本についても、こちらで紹介するのをすっかり失念していたのでフォローしておきます。

    こちらもMetallica.comからのお知らせを管理人拙訳にて。

    今年のはじめ、俺たちは作家でありメタリカの大ファンであるマット・テイラーから連絡を受けた。彼は、1974年のマーサズ・ヴィニヤードの島が舞台のスティーヴン・スピルバーグの草分け的映画『ジョーズ』について、極めて称賛し、賞を獲得し、非常に尊敬を集めた報告を書いた人物だ。そして、俺たちが(マットが制作した)『Jaws: Memories from Martha's Vineyard』を観て、その出来栄えと押さえた範囲、細部にまで払われた注意に感動させられた。彼こそがあのアルバムのリリース30周年を祝うのを手助けする男だとわかった。熱心なオブザーバーの中には、俺たちがメタリカについての他の本のほとんどに関係してこなかったことに気付いた人もいるかもしれない。でも、マットの最初の本がめちゃくちゃクールだったから、彼と一緒にやらないといけないんだ!

    マットは俺たち全員、マネージャー、レコード会社スタッフ、当時の知人、そしてクリフのお父さんであるレイ(彼は寛大なことにクリフとの時間の一部を俺たちに与えてくれた)に広範囲なインタビューをするのに忙しかった。しかし、マットはまだ信頼するレコーダーとスキャナーがさらなる物語と写真を探していると言っている。『ジョーズ』でやったように、『Master of Puppets』の本に関するマットの計画は、草の根レベルの当時の雰囲気を反映したアマチュアのファンが撮った写真や物語に重点を置くことだ。そこで、キミたちの出番だ。1986年どうしてた?カメラをショーの1つや2つに隠し持って行かなかったかい?レコード店やバーで俺たちに出会ったかい?当時のギグに行くまで、あるいはキミと仲間との写真について可笑しな話はないかい?俺たちは全てを求めている!!切り取られてる?ぼやけてる?露出過度になってる?俺たちはそれでも持っていくよ!写真、逸話、物語、取るに足らないものなんて一切ない。俺たちは“キミ”にこの本の一部になって欲しい!

    submissions@metclub.com までキミの話を共有して、写真、ビデオ、音声記録、その他記念物の投稿についての情報を受け取って欲しい。提出するものは全部、キミ自身のコレクションじゃなければならない・・・。俺たちが使えるのはキミが撮ったスナップショットだけだ。覚えておいて欲しいのは、覚えていて欲しいのは、俺たちは全部を求めているってこと!小さすぎる、取るに足らない、そんな物語や写真なんてものはない。

    万が一、怪しいと思っている人がいるといけないので、俺たちは提出してもらったものをまとめる予定だ。2015年秋にそれを目にすることができるよう準備している。そしてここをクリックしてマットの最初の本、『Jaws: Memories From Martha’s Vineyard』をチェックしてくれ。

    damage-inc-tour-book

    Metallica.com(2014-07-31)

    来年以降の予定が発表されて、鬼笑いまくりモードです。『Master of Puppets』リリース後のツアーはメタリカの初来日でもあります。管理人は当時メタリカを知ってすらいなかったので何も協力できなくて残念ですが、日本からも何か送れる人がいるんじゃないかなぁ。

    それにしてもメキシコ公演のDVD『ライヴ・イン・メキシコ 〜栄光の一夜!』(何回書いてもこの邦題キツいな(苦笑))を観た時もちょっと思ったんですが、彼らはファンを巻き込んで一緒に楽しんじゃえみたいな企画を考えるのがうまいですね。

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    'Tallica Japanで既報の通り、メタリカがFacebookページ限定でメンバーのゾンビ顔がプリントされたTシャツとポスターが10日間限定で販売されています。※当記事を書いている現時点(2014年10月30日18:00現在)であと4日です。詳しくは記事最下段からどうぞ。(cowboybluesさん、ありがとうございます。)

    preview_metallica-preorder-bundle-01

    限定・・・と言われると弱いんだよな・・・。

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