リリース25周年を迎えたメタリカの5thアルバム『Metallica』ことブラックアルバムについて、ジェイソン・ニューステッドがBillboardのインタビューに答えてくれました。管理人拙訳にてご紹介。

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ジェイソン・ニューステッドは、最近新しく始めたアコースティック指向のChophouse Band、そして非常勤のデュオWould & Stealで忙しくしている。しかし世界中の誰かと同じく、かつてのメタリカのベーシストがブラックアルバムとして知られるセルフタイトルのアルバムが今週25周年となったことに何か感じたことは間違いない。

ニューステッドはこう語る。「あぁ、俺の家のガレージには昔のメタリカのポスターとかキッズが作ったバナーとかそういったものがいろいろあるよ。先日、ちょうど家に帰って、見やるとあのアルバムのポスターがあって91年8月12日と書いてあった。俺は『何てこった・・・』って感じさ。妻に『あれから25年だって』って言ったら、妻も『あらまぁ・・・』って具合だった。でもそれは3週間前だったかもしれない。それが俺があの音楽について思ったことさ。」

『Metallica』は故クリフ・バートンの後任として1986年に加入してからニューステッドにとって2枚目のアルバムだった。知っての通り、アメリカだけで1600万枚を売り上げグループの世界的な躍進につながった。一方で、ニューステッドのアルバム制作に関する思い出は、長ったらしい技巧を凝らした前作『...And Justice For All』よりも、ずっとダイレクトで集中的なアルバムにスタジオで新しい創造的なチャレンジをしたということだった。

ニューステッドは回想する。「みんな、苦境を味わい傷を乗り越えて自分たちを鍛え上げて、俺たちみんなよりでっかくて、俺たちの誰よりもすごいものを創り上げるために、来たるべき準備はできていた。それはレーベルや(マネジメントの)Qプライムみたいに俺たちと一緒に仕事をしたみんなそうさ。ボブ・ロックがやってきて、キーのこととか物事のパワーだとか実際の音質について良くしようと俺たちをまとめてくれた。俺たちは彼への準備は万端だったし、彼も俺たちへの準備は万端だった。世界はあのサウンドの準備ができていたってわけさ。俺たちは座って「こんな風にしよう」なんて言わなかった。いや、でも俺たちは少しの間だけ俺たちを制御できる、俺たちを抑えられる誰かを引き入れたんだと俺は思う。みんな身を粉にして懸命に取り組んだ。メタリカはいつもそうだったけどね。そうして堰を切ったようにそこから(成功の)果実を得たんだ。俺は本当に自分たちがやったことに誇りを持っているよ。」

ニューステッドが『Metallica』で好きな曲は「Sad But True」だ。「だってあの重さ、6弦ベースにあの大きな大きな重低音だからね。」彼はそう語る。しかし「My Friend Of Misery」にも格別な誇りを持っている。「あれはベースそのものだった。曲のイントロから。あの当時あのバンド内であれをやるのはそう簡単なことじゃない。あれで彼らはお辞儀してこうさ。『それでいこう、じゃあお前の曲を入れよう』ってね。あれを考え出したヤツになった。チームの一員であることとは対照的に、あの1分ばかりを自分のものにできた。それが本当の成果だったんだ。」

『Metallica』の期間でニューステッドが持つもうひとつの素晴らしい思い出は、あのアルバムによってバンドは世界的な領域が開かれたということだった。彼は言う。「あれは最大の仕事だった。俺たちはあまりに長い間、あのレコードに懸命に取り組んできた。俺たちがやったことがとても強力だったように、世界中であの音楽が聴かれるようになった。「Nothing Else Matters」なんかは35か国で同じ週にNo.1だった。突然、アメリカのメタルバンドがキッズの前でプレイするなんて考えもしなかったような国からお呼びがかかるんだ。それで俺たちに電話をかけて『ちょうど今、メチャクチャ人気があるから、大金を儲けることができるんだ』とね。そうして俺たちはたくさんの場所で初めて訪れたヘヴィメタルバンドとして先鞭をつけていった。それが一番覚えていることだね。」

『Metallica』が受け入れられている一方で、ニューステッドは新しいアコースティック・プロジェクトとして西海岸で行う5回の公演を含んだ、9月にアメリカを廻る計画に邁進している。彼が今住んでいる北カリフォルニア州、出身のミシガン州、モンタナ州、フロリダ州の4つのChophouseのスタジオからミュージシャンたちを伴い、フォークやカントリーだけでなくもっと現代的なものをアコースティックにアレンジしたレパートリーを弾く。アコースティックへの方向性は、ニューステッドがミュージシャン仲間とカリフォルニアのChophouseで行ったプライベートなショー、そしてアメリカのルーツ・ミュージックとそのミュージシャンに関するドキュメンタリー、今年初めに亡くなったミシガン州バトルクリークに住む病気療養中の母親のために弾いた曲に触発されたものだった。

ニューステッドは語る。「それはもう20年、25年弾いてきたものなんだ。そういった曲を集めてきたし、今は以前よりもっと公共の場でそういうのを出している。少しヘヴィミュージックから離れて、もう一度息を吸って、こういう素晴らしい曲で何かするってことが重要なんだ。楽しいってことがキーだ。楽しい、楽しい、楽しい。つまらない仕事はもういらない。そういうものはもはや俺に必要ない。」ニューステッドはChophouse BandあるいはWould & Stealでレコーディングを行う計画はまだないが、彼はグループのためのオリジナル曲を書いている。今のところ、口づてあるいはソーシャルメディアによって音楽が拡散されることを幸せに思っている。そして彼はメタリカの曲を演奏することになるかもしれない。

「(NEWSTED時代の曲)「As the Crow Flies」とかそういったものもやってきている。思っていたよりも簡単じゃないね。ただテンポを遅くするだけじゃダメなんだ。ちゃんと(アコースティックに合うように)曲の感じを変えなきゃならない。そういうことをするなら、同じようにクールにやりたいからね。」

ニューステッドは回顧録の執筆依頼が来ていることを明かしたが、将来的には(執筆する可能性は)除外しないものの、今は依頼を留め置いている状態だ。2012年から2014年まで活動していたヘヴィメタルバンド、Newstedについても同様で、EPやアルバム、ライヴを含めて永久に終了するとは考えていない。

ニューステッドはこう語る。「俺は一度に多くのものを取ろうとしていた。それだけのことができれば、うまくいくことはできる。レコード1枚分の曲は書いていたけど、まとまっていないから列挙はしたくない。最後までレコーディングしていないし。みんなのための準備ができていないんだ。それは今、後回しになっているよ。」

Billboard.com(2016-08-12)

ジェイソン自身の言葉で知りたかったところがBillboardにかなりまとめられてしまってはいますが、ジェイソンの現在がおおよそわかるインタビューでした。

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