メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:Metallica

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    まずはMetallica.comの発表を管理人拙訳にて。

    armada-skis-news

    バンドの4分の3はスノー・スポーツを楽しんでいることはご存知の通り。(カークは今、ウォーター・スポーツに夢中だ!)だからキミたちが山を巡るためのメタリカ・スキーのラインナップを創るために、Armadaと手を組んだことを発表することにエキサイトしているよ。プロ・スキーヤーやスノー・スポーツの写真家によって設立されたArmadaは、初めてのライダーのライダーによるメーカーで、俺たちはその独立したDIY精神に感銘を受けた。

    販売業者は今から、小売は今年9月から、Armada×メタリカのコラボとしてオールマウンテンモデルの「the Invictus 95Ti」、パウダースキー用の「JJ 2.0 powder ski」の2つが発売される。Armadaのグラフィック・チームによって創られた『Master of Puppets』のアートワークを元にしたHansのウィンドブレーカージャケット、スキーグローブも出る予定だ。

    スキー板は現在MetStoreで予約可能で、ジャケットとグローブは9月に店頭とオンラインストアで発売予定。

    より詳しい情報はArmadaSkisのサイトで。
    http://armadaskis.com/

    Metallica.com(2015-02-11)

    送料を考えたら、日本法人のこちらでの発売を待って購入した方が安いかもしれませんが、いち早く入手したい方はMetStoreからどうぞ。

    ちなみに現在MetStoreではメタリカの切手も販売されていますのでご参考まで。
    Stamp-Sheet-Pushead-HeartStamp-Sheet-4-Leaf-Clover

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    Magic Bullet Recordsの創設者ブレント・アイストーンが自身のinstagramで、ロバート・トゥルージロとリック・スミス(フロリダ出身のヘヴィロックバンド、トーチ(Torche)のドラマー)とその他のミュージシャン2人と共にレコーディング・スタジオにいる写真がアップされました。

    RobertTrujillo_with_MagicBulletRecords
    instagramより

    写真に添えられたメッセージによると、今回のプロジェクトはトニー・ホーク財団とメタリカのサポートを得ており、写っている場所はロック・バンド、ブラインド・メロンが所有しているスタジオで、ドラムキットはこれまたメルヴィンズ、ビッグ・ビジネスから借りて使用しているとのこと。

    メタリカのメンバーのサイド・プロジェクトと言えば、以前ジェイソン・ニューステッドが立ち上げたエコーブレインが思い起こされます。このサイド・プロジェクトを始めたことがジェイソン脱退のキッカケになったと言われていますが、今回は大丈夫なのか?そんな憶測や疑問に写真をアップしたブレント・アイストーンはMagic Bullet Recordsのサイト上で次のように答えています。

    ・「スーパーグループの結成」ではない。旧友と新しい友人とでチャリティー精神を念頭に一緒に音楽を作っている。(後日、適当な時期にプロジェクトの詳細を明らかにする。)

    ・メタリカの新譜制作過程の邪魔にはなっていない。(これを書いている間も彼らはHQで文字通り、リハーサルをしている。)

    ・メタリカのメンバー間でおかしなことにはなってない。

    Magic Bullet Records(2015-02-10)

    同記事によると、そもそもトニー・ホーク財団とのチャリティーのためにブラック・サバスのカバー「Symptom of the Universe」をジャム・セッションしていたところ、熱を帯びて曲の半分も行かないうちに当初の計画をやめて新しいものをアドリブで弾き始めてから今回のプロジェクトが始まったようです。

    ちなみにトニー・ホーク財団とメタリカと言えば、昨年に財団の慈善イベントにラーズとロバートが参加していました(関連記事参照)。さらに時系列さかのぼると、プロスケートボーダーであるトニー・ホークのスケートボード・アクション・ゲーム『Tony Hawk's Pro Skater HD』の中でスペシャル・キャラクターとしてジェイムズとロバートが登場するというコラボが行われていました。

    YouTubeのゲーム実況動画によると、ジェイムズは「エアギター」「ギター破壊」「メタリカ・パワースライド」、ロバートは「ヘドバン」「クラウドサーフ」という独自の技を使えるようです(笑)(※やや動画の読み込みが遅いです。)

    ジェイムズ・ヘットフィールド編


    ロバート・トゥルージロ編


    ちょっと話がズレてきましたが、今回のプロジェクトに関わっているMagic Bullet Recordsも年間売り上げの5%をトニー・ホーク財団に寄付している実績もあることから、今度も売上げの一部か全部をトニー・ホーク財団に寄付する形で一時的にグループを組んで音源を出すのではないかと推測されます。

    参考リンク
    Magic Bullet Records donates 5% of annual web sales to Tony Hawk Foundation

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    ラーズ・ウルリッヒ、ロバート・トゥルージロが慈善イベント「Stand Up For Skateparks Benefit」に参加

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    MLBもNHLもコラボしたから、次はこれだという声が高まるのは必然でした。NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のハーフタイム・ショーにメタリカを出演させて欲しいという署名の呼びかけが署名支援サイトChange.orgで行われています。

    署名を呼びかけたジェイソン・ロング氏の請願を管理人拙訳にて。

    Super_Bowl_Metallica

    30年以上にわたり、メタリカは壁を壊し、HR/HMジャンルを真正面から導いてきた。彼らは誰もが認めるヘヴィメタルのキングであり、世界中の何百万もの家庭にアートをもたらす責任がある。誰もたどり着けていない、自分たちの道を押し進め、今日までサウンドとエネルギーで誰にも止められないモンスターであり続けている。彼らの曲はNFLや全国のメジャー・スポーツのスタジアムにおけるアンセムとなっている。

    彼らはグラミー賞を何度も受賞しており、グラストンベリーからロラパルーザまで地球上のあらゆるフェスティバルのヘッドライナーを務めてきた。世界中で1億1000万以上のレコードを売上げ、直近5つのフルアルバム全て連続No.1を獲得し続けている。彼らにロックの殿堂入りに初めて票を投じた。率直に言って、このようなアメリカのロックの先駆者がスーパーボウルのハーフタイムに関わっていないということは本当にもうびっくり仰天と何の恐れもなしにぶっちゃけてしまうくらい、彼らがこれまでしていないこと、達成していないことは何もない。変えるべき時がきたのだ。

    第50回スーパーボウルは、これまでのスーパーボウルの中でも最大で、ホーム(北カリフォルニア、サンフランシスコのベイエリア)でアメリカの最大かつ最も伝説的なロック・アーティストが参加するだろう。この繋がりをムダにしてはいけない。メタリカが第50回スーパーボウルのハーフタイムショー出演者じゃなきゃダメだ。

    時は来た。本物のアメリカのメタルを支持して、甘ったらしいポップなアーティストが身を引く時が。バンド(お分かりの通り、彼らは実際に楽器を演奏するし、うまくやるだろう)をフィールドへ入れて、彼らにプラグを繋げさせて演らせる時が。我々には中身のない、フラッシュを浴びせる機械的な喝采にのせたポップな尻軽女は必要ない。必要とされているのはアンプとドラムをパワーと感情を込めて爆音で演奏されることなのだ。時は来た。

    何を欲し何が必要なのかアメリカに知らしめよう。メタリカはあなたを失望させないはずだ。私が保証する。

    Change.orgより

    25000人の署名目標に対し、すでに20000以上の署名が集まっています。
    ぜひ署名を!管理人からもお願いします!

    Ask Metallica to be the musical act for the halftime of Super Bowl 50

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    メタリカとサンフランシスコ・ジャイアンツのコラボイベント、デーゲームにつき「METALLICA DAY」に。
    メタリカ、NHLサンノゼ・シャークスとMETALLICA NIGHT開催

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    グラミー賞でノミネートされていた『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』は受賞とはならなかったメタリカですが、グラミー賞授賞式の翌日(2015年2月9日)にサンフランシスコの「Pier 48」にてサプライズ・ライヴを行いました。

    クラウドコンピューティング企業のセールスフォース・ドットコムのサプライズ・パーティーとして決行されたとのこと。当該企業のCEOであるマーク・ベニオフ氏がカークのご近所さんというキッカケで、メタリカは2011年8月31日に世界最大のクラウドコンピューティング・イベント「Dreamforce 2011」にゲストとして参加しています。そんな経緯もあって今回のサプライズにつながった模様。

    今回のセットリストはこちら。

    01. Hit the Lights
    02. Master of Puppets
    03. Welcome Home (Sanitarium)
    04. Sad But True
    05. The Unforgiven
    06. Fuel
    07. Wherever I May Roam
    08. One
    09. For Whom the Bell Tolls
    10. Battery
    11. Nothing Else Matters
    12. Enter Sandman
    - Encore -
    13. Creeping Death
    14. Seek and Destroy

    2015-02feb09-pic10

    Metallica.com(2015-02-09)

    ※CEOの名前に誤りがあったので訂正しました。

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    メタリカ、大型ゲームイベント「BlizzCon 2014」に参加決定

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    2015年5月2日(土)にサンフランシスコ・ジャイアンツとロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの交流戦で開催されるメタリカのコラボイベント。サンフランシスコ・ジャイアンツのページでイベントのフライヤーが公開されています。

    metallica_day
    MLB.comより

    前年はナイトゲームだったため「METALLICA NIGHT」でしたが、今年はデーゲームのため「METALLICA DAY」とイベント名が変わりました。

    フライヤーによると、イベント特典はメタリカ×ジャイアンツのコラボ・デザインのビーニー(ニット帽)とトレーディング・カードとのこと。前回同様、試合前には国歌演奏などの各種イベントに参加し、試合を通してもメタリカの楽曲が流される模様です。

    Keikoさん、情報提供ありがとうございます。

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    『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』の続きを。第4章4回目。(前回までのお話は関連記事にてどうぞ。)有志英訳を管理人拙訳にて。予告どおり、レコード契約の話を中心に。

    アマー島に戻ってジョニーZが結局約5万ドル支払ったレコーディングを完了する前に、レコーディングの間で、メタリカはイギリスへ渡りロンドンの伝説的なライヴハウス、マーキー・クラブで数回のショーを行った。『Ride The Lightning』のレコードという器は天文学的な金額ではなかったが、ジョニーZの予算とメタリカの野心がもはや釣り合わなくなっていたことは明らかだった。

    メタリカが4月にスウィート・サイレンス・スタジオに戻って、最後の曲をレコーディングし終えた時、メタリカはスタジオの天井部屋(家具なしの物置き部屋)にしばらく住んでいた。そこにはフレミングが持っていたメルクリン社製の鉄道模型が置いてあった。例えるなら、ラーズと彼のバンドは『Ride The Lightning』によって自分たちの列車を線路に載せたと言える。

    これまでにメタリカはスウィート・サイレンス・スタジオでいくつかの訪問を受けた。例えば、ラーズの昔からの憧れであるモーターヘッドが所属するブロンズ・レコードの重役の訪問があった。重役ジェリー・ブロンからの『Ride The Lightning』をアメリカでリリースする前にリミックスするという提案は、バンドのテイストではなかった。しかしジェリー・ブロンがお金をふりまいて、マネージメントとレコード契約の両方を提示していたため、交渉の扉を開け続けておくことが重要だった。ビジネス意識の高いラーズは契約というスタートの洗礼を熱望していたが、自分たちの音楽に関する全創作のコントロールを持つという信念をすでに固めていた。だからリミックスは行わない。そうでなければ、契約を結んでいたのだ。

    アマー島のスタジオで作曲されたため、『Ride The Lightning』にこだわる本当に正当な理由があったのだ。『Kill 'Em All』から始まった狂乱した反逆は、重量、ニュアンス、バリエーション、コントラストを増していた。『Ride The Lightning』はアコースティックのイントロでそっと美しく始まり、突然『Kill 'Em All』のどの曲よりも速いと思わせるこの上ない速度のハードコアなヘヴィ・リフと打ち鳴らされたツー・バスへと変わる。「For Whom The Bell Tolls」のような曲はヘヴィという言葉に安心感を与えた。「Creeping Death」はど真ん中の巨大なメタルサウンドにオリエンタルな雰囲気をまとっていた。そしてH.P.ラブクラフトのテーマであるプログレッシブなインストゥルメンタル長編曲「The Call of Ktulu」である。そこには「リード・ベース」を弾いたクリフの名前がクレジットされていた。

    『Ride The Lightning』のプロダクションはデビューアルバムと比べても異なっていた。ヘヴィで内容もあった。それはたくさんの内容が。『Kill 'Em All』とはずいぶん異なり、歌詞の中には情熱とアイデアが突如として現れた。電気椅子による死刑について唄った表題曲、自由へのけたたましい賛歌「Escape」、新しくより内省的で思慮深い歌詞と音調で最も異国風なパワー・バラード「Fade To Black」。この曲を多くは−女性にまで広がったリスナーでさえ−孤独と絶望に打ちひしがれた人の遺書だと解釈された。実際はボストンのチャンネル・クラブの外で起きた前述の盗難により機材が失われたことを元にしている。「Fade To Black」もデモテープの頃や『Kill 'Em All』時代からのファンをバンドの虜にした。

    メタリカは、全体として動かしがたい過激さだけでなく非常に先駆的に仕上がったヘヴィメタルアルバムを、アメリカではジョニーZのメガフォース、ヨーロッパではミュージック・フォー・ネイションズでまずリリースした。アルバムは7月27日にリリースされ、夏が終わる前には世界で85000枚も売れた。ラジオやテレビの手助けなしではあったが、アンダーグラウンドシーンの絶え間ない口コミ、ヘヴィメタル誌に載った称賛レビューと多くの熱意溢れる物語によるこの事態は、ヨーロッパとアメリカでの着実なバンドのパフォーマンスによってさらに刺激された。8月3日にメタリカがニューヨークのローズランド・ボールルームで行ったツアーについて、ラーズは約束どおり、エレクトラ・レコードのマイケル・アラゴにこっそり知らせた。

    マイケル・アラゴはその夜、ローズランド・ボールルームに一人で現れなかった。この熱狂的な若者はエレクトラ・レコードの最高経営責任者ボブ・クラスノウ、プロモーションとマーケティング部門の副代表マイケル・ボーンの分のチケットを入手していた。アラゴにとってエレクトラ・レコードでのA&Rとして初めて大きな決定がなされる大事な夜であった。しかもこの22歳の男が初めて観るメタリカのコンサートでもあった。

    わずかに年上のマイケル・ボーンは、振り乱した髪と汗まみれの身体でゴチャゴチャになった真っ只中でどうすればいいのかわからなかったし、ステージから流れるとてもハードなヘヴィメタルで大暴れしているところをどう移動すればいいのかもよくわからなかった。だが、ボーンにとって楽しむためのコンサートではなかった。仕事をしに来たのだ。そこで彼はグッズ販売ブースに行くとメタリカのTシャツがすでに売り切れとなっているのに気がついた。これは興味深い。

    (ラーズが始まって以来の「メタリカの最悪なショーのひとつ」と言っていた)ショーが終わると、ラーズはアラゴをバックステージエリアへと案内した。おそらくバックステージパスなしで(!)、汗まみれでアドレナリンがまだ脈打っている状態のバンドに向かってアラゴを押しやった。アラゴのメッセージは短く単刀直入なものだった。「明日、キミたちはウチのオフィス以外どこにも行かないでくれ!」

    クリフ・バートンがすぐにこう尋ねた。「そこにビールはたくさんあるかい?」

    「もちろん、食べ物だってある。」アラゴは断言した。

    しかし、最も重要なのはレコード会社の熱心な人間とその同僚、そして献身的なバンドとの間にケミストリーが確立したことだ。

    アラゴのオフィスはマンハッタンに位置しており、そう大きくはなかった。メタリカはすでに「Alcoholica」の称号を得ており、バンドはアラゴのオフィス内で喜んでたくさんの冷えたビールを飲み、テイクアウトの中華料理をむさぼり食べた。ビールを飲み、中華料理を食べ、『Ride The Lightning』を再生し、未来について語った。アラゴの意見は明白だった。『Ride The Lightning』は小さな独立レーベルで出すにはあまりに重要すぎるアルバムなのだと。

    メタリカはマイケル・アラゴと彼のバンドや音楽に対するアティテュードを気に入った。彼らはドアーズ、MC5、イギー・ポップ・アンド・ストゥージズのようなロック史における革新的なビッグバンドを輩出している会社として有名なエレクトラ・レコードも気に入った。最も重要だったのは、アラゴがメタリカとサインを交わし、それから数週間後にラジオ向けの曲をバンドにお願いするなんてことをしようとしなかったことだ。アラゴはメタルファンであり、メタリカの器がおさまるべき、未開のヘヴィメタル市場があるとわかっていた。そのアティテュードは『Ride The Lightning』をその年の後半に再リリースした時に、エレクトラが考案して作ったラジオ広告にも反映された。「おそらくキミはメタルを聴いたと思ってるだろう。じゃあ、とっくに本物を聴くべき時が来ている。メタリカを聴く時だ!」

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/10/

    ひとつのバンドと契約を結ぶためにCEOと副社長を連れてくる熱意たるや。メンバーと歳も変わらないことは文章でもわかりますが、当時の写真を観ると改めて驚かされます。
    lars_alago
    ラーズ・ウルリッヒとマイケル・アラゴ

    次回はマネジメント会社、Qプライムの登場です。続きはまた後日。

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    ジェイムズ・ヘットフィールドが何かの責任を負うことへの恐怖、承認欲求の怖さとその克服について、ミュージシャンの人生経験をシェアするというYouTubeアカウントRoadRecoveryのインタビューで明かしています。BLABBERMOUTH.NETさんがインタビュー動画のジェイムズのコメントを文字起こししてくれたので、管理人拙訳にてご紹介。

    jameshetfield_fear

    −責任を負うことへの怖さについて

    自分の人生全てにおいて責任を負うことが怖かった・・・自分自身で責任を負いたくなかったんだ。学校に通ってた子供の頃を思い出すよ・・・。才能ある子どものためのサマースクールがあって・・・そう、俺もおかしいなと思った。才能があったんだ・・・そうさ!(笑)それでキミにも才能があってサマースクールに行くとする。ちょっと待って!キミも才能あるな。キミはサマースクールに行く必要はない。でも才能ある子供のためにサマースクールに行く。OK。それは映画についての授業だった。小学校でね。映画に参加したんだ。こんな感じでね。「これから映画を作ってもらいます。OK、グループに入って、アイデアとやりたいことを出し合って。」それで俺は「あぁわかった。」と言って、グループに入ってそれから「これはどうする?」と全てのアイデアを出した。それからグループで「OK、じゃあこのグループを率いて、責任のある、グループのリーダーを選ぼう。」ってなって俺は尻込みしたよ。怖かったね。グループのみんなは「じゃあ、キミがリーダーだ。キミはアイデアを全部出してくれたんだから。」って言うから、俺は「No No No」ってなったよ。それですっかり・・・すっぽかしたよ。責任が怖かったからすっぽかしたんだ。失敗の恐怖かもしれない。やっていることを知らないってことが怖かったんだ。

    俺にとってそういったようなことは、折りに触れて回復している。何かの責任を負うとか、自分から立ち上がってそんな風に光を浴びさせてもらうっていう怖さとはね。

    俺には別の恐怖がある。50歳になったということだ。俺は全てを知っていると思われる。落ち着いているロールモデルであり、あらゆることを誰にでも教えると思われてしまうということだ。自分でロールモデルだと思ったら、どうするよ!?それはロールモデルじゃないんだ。もしロールモデルになろうと頑張ったら、それも違う。ありのままで、自分のベストになっているか?そこから、誰かにとってのロールモデルになるのかもしれないね。




    BLABBERMOUTH.NETより(2014-12-09)

    −承認欲求について

    自分にとって恐ろしいものだった。俺がかつて持っていて、子供の頃に学んだ生き残るテクニックとして機能していた。(でも)もうそんなことはない。新しいツールを手に入れたし、新しい希望、新しい愛、新しい自尊心がある。そして自分のことを認めてもらっている。

    自分の人生におけるもうひとつのおもしろいところだね。街で一番シャイな子供に育って、手渡されたんだよ、つまり、音楽の才能も人に認めてもらうということも・・・。俺は全人生において人から認めてもらうということを追い求めてきた。どこにいても探していた。人に喜んでもらいたい、自分のことを好きになって欲しい、とね。でも自分を好きになってもらおうと人を楽しませていると、自分が自分じゃなくなっていくんだ。それは今まで自分がやったドラッグのなかで一番すごいヤツのようだった。本当に自分を台無しにしてしまう。

    俺はじっと座って自分の話、もがき苦しみ、立ち直りの教訓を述べることができる。それを歌詞の中に入れてきた。ステージの上に立つ時は俺たちがやってること−メタリカ−だったり、俺が書いてきた歌詞だったりを好きだとシェアしてくれるみんながそこにいる。でも、承認欲求に苦しんできた時期があった。ステージに立ってこう考えるんだ。「俺はクソ野郎だ。いい気分だ、俺はキング・クソ野郎だからな。」そうしてツアーを終えて家に帰る。俺にはそういうものはなくなる。ただの自分で、ただの父親で、ただの夫だ。そこには山のようにたくさんの皿が待っている。それで「俺が誰だか知ってる?」と聞くと「えぇ私の夫よ。さっさと済ませて、お皿洗って。」とか「私のお父さんよ。学校まで車で送って。」みたいな答えが返ってくる。時おり家族から認めてもらうことが一番難しくなることもある。俺は何かをしなくちゃいけないわけじゃない。でも、ただありのまま・・・ただの自分のままでそこにいなければいけない。それが無条件の愛なんだ。




    BLABBERMOUTH.NETより(2015-02-05)


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    引き続き『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』のご紹介。第4章3回目。(前回までのお話は関連記事にてどうぞ。)有志英訳を管理人拙訳にて。今回は『Ride The Lightning』のレコーディングについての話が中心です。

    metallica-on-tour-1984

    思いつきの一時的な郊外でのアパート住まいではあったが、メタリカが2ndアルバム『Ride The Lightning』をレコーディングした時にたまたま住むこととなったブレンビュベスター地区という場所に、我々は実際に明らかな歴史的特色を見ることができる。60年代初め、ミドルクラスの郊外は活況となり、多くの家庭が郊外に移り住んだ。そのようなどこにでもある活気づいた郊外でコンクリートのビルと一戸建ての住居だけでなく、ロック史における魅惑的な展開があったのである。

    1965年、ラーズ・ウルリッヒが初めて本当に好きなバンドとなったディープ・パープルが、コペンハーゲンひいてはヨーロッパの現代ポップ・ミュージックにおける有数の拠点であるKirkebjerg通りから数キロ離れたブレンビュー・ポップ・クラブでコンサート・デビューを果たした。その当時、バンドはラウンドアバウトと呼ばれていたが、ラーズの初めてのスーパーヒーローとなったイアン・ペイス、リッチー・ブラックモアがメンバーにいたのだ。同じ場所でレッド・ツェッペリンもデビューしている。(1968年にニュー・ヤードバーズの後身として登場し、アルバム毎に段階的な進化を遂げてきたバンドとして、後にメタリカとよく比較されることになる。)メタリカの一時的な住まいの角を曲がったところにブレンビュー・ホールがあった。若きファンとしてのラーズが昔からのお気に入りであるディープ・パープルとレインボーを観てきた場所であり、アイアン・メイデンがデンマークにブレイクスルーをもたらした場所でもあった。

    だが、メタリカの創造的な進展が起きたのはアマー島だった。一部はStrandlods通りのスタジオで、また一部はメタリカのインスピレーションとなったマーシフル・フェイトや新しい若きメタルバンド、アーティレリーと共有していたスタジオ施設の向かいにあったリハーサル室で。メタリカはこの部屋を使って、アルバムのレコーディング前に曲を書き、仕上げていった(実際にそのリハーサル室で作られたバラード曲「Fade To Black」のアレンジを含む)。

    しかしながら、メタリカがリハーサル室に行っていた時、マーシフル・フェイトはツアーで離れていた。その代わり、アーティレリーがメタリカを迎えることとなったのである。彼らはその当時、ヨーロッパで最も革新的なメタルバンドのひとつであり、革新・パワー・アグレッションにおいてメタリカと多くの点で合致していた。

    メタリカがリハーサル室の前を初めて通りがかった時、トストルプ(ブレンビュベスターの西部)の今どきの少年たちはリハーサルに忙しかった。アーティレリーのリードギタリスト、マイケル・ステュッツァー・ハンセンはこう振り返る。

    「彼らは静かに座って、俺たちのジャムを最後まで聴いていた。「さぁ、続けて続けて!」彼らはそう言っていた。信じられないくらい堅実でとてもポジティヴだった。彼らは音楽に対して本当に何か感じるものがあったんだ。俺たちのものでさえね。」


    マイケルはラーズの熱意、そしてデンマークのメタルシーンに関する知識について覚えている。「彼はデンマークのヘヴィメタルバンド全てをチェックしていて、Maltese Falcon(※1)とEvil(※2)ってバンドについて詳しく語っていたよ。どんなバンドも知っているんだ。82年以来リリースしてこなかった俺たちの『We Are The Dead』のデモテープのことまでラーズは知っていたからね!ラーズは俺たちのことをサクソンをファストにしたサウンドだと思っていた。」マイケルはそう付け加えた。

    ラーズとメタリカは70年代あるいはNWOBHMのヨーロッパのメタルサウンドをとりわけ好んでいた。そして今、バンドはヨーロッパで新しきヨーロッパのヘヴィメタルバンドと共にいる。さらには、メタリカが必要であれば、リハーサル室も機材もアンプも使える準備もできている。そして、メタリカが『Ride The Lightning』をレコーディングしている間、(アルバムのために)作曲を必要としているという理由だけではなく、作曲をしばしば行っていた。

    (後にキャンセルとなった)ボストンにあるチャンネルクラブでの1月のショーの前に、バンドは盗難にあった。盗まれたものの中にはラーズのドラムキットやジェイムズが『Kill 'Em All』で使っていた特別なギターが含まれていた。その晩、マサチューセッツ州では強烈な猛吹雪に見舞われており、そんな危険を冒してまで機材は盗まれた。ジェイムズが特に気に入っていたアンプを失ったことは、バンドのレコーディングにとって残された問題となっていた。それは時間、お金、そして終わりのない労力というコストとなっていたのだ。

    「アーティレリーとアージ(アージ・ジェンセン音楽店)からさまざまなアンプを借りなければならなかったし、それらを試すのには時間がかかったよ。7つぐらい違うマーシャルアンプがそこにはあった。」フレミング・ラスムッセンはそう振り返る。彼はラーズの(新しい)ドラムをスタジオの中の広くて何もない奥の部屋に置いていた。

    「ガツンとくるサウンドを得るためにね。」フレミングはそう説明する。「ラーズはちょっと訝しんでいたけど、私はレインボーのレコードもそういう風にしていたから。」

    ガツンとくるサウンドは『Ride The Lightning』の至るところで響いていた。メタリカがクリスマス前に書き上げた最初の4曲のデモは大部分のファンの心をすぐにとらえた。そう、「Fight Fire With Fire」は『Kill 'Em All』の収録曲に速度と重さの両輪を合わせた圧倒的なスピードと重量感だ。タイトルトラックの「Ride The Lightning」もそうだ。そしてインストゥルメンタルの長編曲「When Hell Freezes Over」(後に「The Call Of Ktulu」と改題。)はミドルテンポでしっかり構築されていた。最後は、最初の4曲の中でも後にバンドの定番曲となる「Creeping Death」だ。しかし最も保守的なファンたちは恐れるべきものをそこに見た。メタリカはバラードもレコーディングしていた。「Fade To Black」である。

    ラーズは新しいメタリカがどこに行こうとしているのかハッキリ分かっていた。

    「俺はあの音楽的変化は、それ自身とても妥当だったと思ってる。計画されたものじゃない。」ラーズはその当時、新曲についてそう考えていた。(K.J.ドートン著『Metallica Unbound: The Unofficial Biography』(1993年刊行)より)

    「『Kill 'Em All』全曲ほとんどは1982年の春に作られた。俺たちが音楽的にやってることは下手くそだった。それからたくさん学んできたんだ。そして俺たちは作詞作曲、ハーモニー、その他もろもろについて、以前の2人のメンバーよりもよく知っている2人がバンドに加入した。」

    ラーズ・ウルリッヒと彼のバンド、メタリカはすぐに自分たちの音楽について、とても気にするようになった。したがってフレミングがプロデューサーだけでなくサウンド・エンジニアとして、監修する以上にバンドを手助けできたことは重要だった。

    フレミング・ラスムッセン「彼らは音楽的にどこに行きたいのか、クレイジーでハッキリとした感覚を持っていた。彼らがやったことは実に新しいものだったんだ。それまでそのジャンルでは誰もやったことはなかった。少なくとも同じだけヘヴィにはね。彼らは「音楽プロデューサー」がやってきて、コントロールされすぎるということを恐れていたんだと思う。」

    フレミングはそうではなかった。彼はすぐにグループの5番目のメンバーとなり、監修者としてよく働き、スタジオにいるメタリカの4人のエネルギーによって、よりいっそうワイルドになった。

    「スタジオの他の人が彼らの楽曲を聴くと、彼らはこれまで聴いてきた中で最悪で最も酷いノイズだと思っていた。我々はただ駆けずり回り、手をとめることはできなかった。単純にめちゃくちゃクールだと思っていたからね!(笑)「こいつはクソだな、おい!」とみんなは言ったが、「こいつは最高だ」と私は言っていたよ。」

    『Ride The Lightning』のレコーディングは、フレミングがハッキリとメタリカと出会った日から数週間を共にした日々を覚えている通り、5歳年下のラーズとの長い交遊の始まりでもあった。

    「彼は全速力で走るただの子供だった。我々が一緒にすごいことをやっていると気づくのにそれほど時間はかからなかった。効果的なリズムと言葉をみつけて、本当にただ前進したんだ。」フレミングはそう語る。彼はラーズの自己認識や壮大な野望、ラーズが実際にできることと、まだできないこと、その間をどうバランスをとっていくのかもわかったのだ。

    「彼は学ぶことに間違いなく興奮していたよ。でも他のドラマーの音を聴いて、彼らが演奏したものについてよく考えていたのも明白だった。彼はフィルインとかそういうことに関しては最高によかった。でもフィルインとそれ以外の間でテンポを保つことは・・・彼は全くうまくいってなかったね。」フレミングはそう言って忌憚なく笑う。

    「彼は「For Whom The Bell Tolls」をクリックに合わせて叩いたんだ。最初は彼にとって本当に難しかったんだよ。彼はそんなことを以前に全くやったことなかったからね。まぁあの曲は本当に難しいってこともあるけど。」フレミングはそう補足した。彼は、どうあってもラーズを使いこなすというもうひとつの素晴らしい能力も備えていたのである。フレミング・ラスムッセン自身、昔はドラマーだったのだ。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/9/

    文中に出てきたデンマークのバンドについてはこちらを参照。

    ※1:Maltese Falcon
    http://www.metal-archives.com/bands/Maltese_Falcon/1597

    ※2:Evil
    http://www.metal-archives.com/bands/Evil/5242

    さすがにデンマーク語で書かれた伝記本だけあってデンマークに関するメタリカスポットは異常に詳しく描かれています。次回はレコード契約がらみの話です。続きはいましばらくお待ちください。

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