メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:Metallica

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    メタリカが出演するロラパルーザ2015がLivestreamで生中継されることとなりました。まずは中継元のRed Bull TVからのお知らせを管理人拙訳にて。

    lollapalooza-2015-livestream-lineup

    ロラパルーザ2015のLivestreamは、2015年7月31日から8月2日の巨大音楽フェス開催3日間のあいだ、ポール・マッカートニー、メタリカ、フローレンス・アンド・ザ・マシーンといった過去現在未来の音楽のスーパースターの最上ラインナップがRed Bull TVに登場する予定だ。

    ロラパルーザの3日間、中部時間午後2時から10時まで3つ以上のチャンネルでの無制限のライヴストリーム配信で、マッカートニーやメタリカを観ることのできるレアチャンスを提供する。

    元ビートルズ(のポール・マッカートニー)は、6月のファイアーフライ・ミュージック・フェスティバル以来の短いツアーを行っているが、ライヴストリーム配信は2年ぶり。メタリカのロラパルーザ・ライヴストリームへの登場は同じくらいレアな出来事になる可能性がある。メタル・レジェンドは過去数年間の限られた(されど安定した)スケジュールで、国際的なフェスティバル縦断から手を引くことなく歩んでいる。

    (後略)

    redbull.com(2015-07-27)

    こちらが配信予定URL。メタリカの出演はタイムスケジュール通りであれば、日本時間8月2日(日)の午前10:00から。
    http://lollapalooza.redbull.tv/


    メタリカのフェイスブック、ツイッターアカウントでもお知らせされています。



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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』第5章6回目。ジェイソン・ニューステッドの経歴とメタリカとしてのデビューライヴについて。有志英訳を管理人拙訳にてご紹介。

    metallica1986

    ジェイソンは当初、慎ましやかな新しい家としてリハーサルルームで「Jeppe on the Mountain」(訳注:17〜18世紀のデンマークの劇作家ルズヴィ・ホルベアによって書かれた喜劇)のように寝起きすることに満足していた。1年前、フェニックスの州立劇場でメタリカがコンサートを行った際、彼は最前列近くに立って友人とモッシュピットで暴れていた。それが今やバンドと共に日本に旅立とうとしているなんて!

    間違いなくジェイソンはただの熱心なファンではなかった。とても音楽に没頭していたし、キッチリ練習を重ねていたし、バンドを組む経験もしていた。実際に彼はフロットサム・アンド・ジェットサム(Flotsam And Jetsam)で作曲と作詞の両面で立役者となっていたのである。それは間違いなくラーズ・ウルリッヒのベストスタイルであった。ラーズもまたプロモーター、出演交渉担当者、その他もろもろの役割を務めていたのだから。

    ジェイソンが音楽や新しいバンドのためにやってきたことは、彼自身の非常に本格的な音楽との関わりによってなされてきたことだった。ジェイソン・ニューステッド(ミシガン州バトルクリーク出身1963年3月4日生まれ)はミシガン州の馬の農場で育った。その場所は音楽を演奏する上で大きな役割を果たすこととなる。ニューステッド家は音楽をよく聴き、地元の劇場でよくミュージカルを観に行く家庭だった。

    ジェイソンは学校でサックスを吹き始め、その学校でロックとも出会った。彼が初めてベースとアンプを手にしたのは13歳で、初めてレッスンを受けたのは16歳の時である。ジェイソンの兄弟も音楽を演奏していたが、そのほとんどがミシガン地域では重要な遺産と伝統であるモータウン・ミュージックだった。

    ジェイソンが10代の頃、ミシガン州カラマズーに引越してから、ヘヴィメタルが彼の耳を捕らえ始めるようになった。当時のほとんどの若者と同様、キッスに強く惹かれていった。ジェイソンの初めての「バンド」は、ただキッスをプレイする4人の若者で構成されていた。数年後、彼は気がつくとテッド・ニュージェント、AC/DC、そして当然キッスといったパーティーロックを演奏していた。バンドの名前が家で叫ばれることはなかったが、我々はこう呼んでいる。ギャングスター(Gangster)だ。

    ギャングスターのリーダー、ティム・ヘルムリンを手本として、ジェイソンはロックの楽しさを経験したいと決めた。ヘルムリンとバンを借りて出発した。この旅の最終的なゴールはロサンゼルスだったが、ジェイソンは天使とグラムロックの街へとドライブを行うことを途中でやめ、結局フェニックスに落ち着いた。

    10月下旬のことだったが、ミシガン出身のフェニックスに落ち着いた少年は頬に熱い砂漠の風を感じていた。街で何人かの若い仲間に出会うことも出来た。ジェイソンは大したお金も持っていなかったが、サンドイッチのお店で仕事をみつける。そしてすぐにドラマーのケリー・デヴィッド・スミスと共にパラドックス(Paradox)というバンドに入る。しかしそれも真剣なものではなく、そのハチャメチャにスウィングしていたグループは、新しいバンド、フロットサム・アンド・ジェットサムに見いだされた。そしてジェイソンはケリーと共にスコッツデールに移り住んだ。(フェニックスでも最も裕福な層が住み、テニスやゴルフ場で知られる。さらにアリス・クーパー、ロブ・ハルフォード、そしてあのデイヴ・ムステインといったハードロックの住人がいることでも知られている。)

    ジェイソンは、フロットサム・アンド・ジェットサムとしての活動はブライアン・スレイゲルのメタル・ブレイド・レコーズからアルバム『Doomsday for the Deceiver』(1986)をリリースして終わった。フロットサム・アンド・ジェットサムで最後のギグをハロウィンに行い、その数週間後、カリフォルニア州レセダ・カントリークラブで300人を前にバンドの忠実な友人であるメタル・チャーチというサポートバンド付きでメタリカとしてデビューしたのである。

    その夜のカントリークラブでのメタリカは緊張で張り詰めていた。もちろん、特にジェイソン・ニューステッドにとっては。実際、ジェイソンには重要かつ命運を左右するテストが残されていた。技術的にもパフォーマンスに関しても、両面伴ったライヴを行えるのかと。(必要なことは)昔から激しいバンドの崇拝者であり、ファンでさえあった楽曲のタイトなビートを保つだけではなかった。クリフ・バートンはステージ上では真の怪物であったし、ほとんどの点でクリフが優れていることをジェイソンは知っていた。彼は1年半前にフェニックスの州立劇場でのショーに行き、クリフがショーを引っ張っているのを目にしてさえいたのだ。

    クラブに詰めかけた300人のうち、ブライアン・スレイゲルも間違いなく胸のつかえを抱えていた。彼は有望なバンドのひとつのリーダーをヘッドハントしたのだ。だからこそジェイソンはわざわざより良いとされるメタリカと共にしたいと思ったのである。

    「ジェイソンは私の生涯見てきた人物のなかでも最も神経質な方だった。」スレイゲルはそう語る。「彼はおびえていた。これは彼のオーディションだった。彼はバンドにいたが、私はこれが彼が充分に足るかを知るための通過しなければならない最後のテストなんだと思った。」(K.J.ドートン著「Metallica Unbound: The Unofficial Biography」(1993年刊行)より)

    それはバンドもほぼ間違いなくわかっていた。ラーズはこの次のメタリカファンクラブ会員に向けたニュースレターのなかで、このショー全体の雰囲気について言い表していた。

    「このショーを通じた雰囲気は、俺たちみんなクソ緊張していたってこと。でもエネルギーに関しては、このギグはこれまでやってきたなかでも最も楽しいものがあったよ。」

    数日後、メタリカはアナハイムの小さなクラブ、イザベルズ(Jezabelle's)でも同じようにプレイした。このときはゲストにデンマークからフレミング・ラスムッセンが来ていた。

    「私が事故以来バンドを観たのは初めてだった。ショーはそれはそれはクールだったね。」フレミングは熱を帯びて17年後にそう振り返った。

    メタリカにはまだ熱意の余地があったが、バンドを続けていくことを余儀なくされた過程でのことである。カウンセリングもセラピーも無かったことに加えて、いつも音楽表現が付いて廻っていた。そして今度、メタリカは日本へのロードに向かう。「Damage Inc.」ツアーは再びトラックに戻り、スウェーデンの悲劇からわずか6週間。しかしこれはバンドに強制されたものではなかった。それは彼らが望んだことだったのだ。

    ピーター・メンチは9月27日早朝、サウンドエンジニアのビッグ・ミックの電話で起こされた。こう説明する。「間違いなく私はそのメッセージに愕然としたよ。コペンハーゲン行きの飛行機を取り、スウェーデンまで運転した。恐ろしいことだったが、このような状況下でどう振舞うべきか話したんだ。プレスリリースを発行し、それから新しいベーシストを探した。今振り返ると、1年間は議論しているかもしれないね。でもバスに乗っていた誰かがそうすべきと私に言ったとは思わない。サウンドエンジニアのミックでさえ、私に言ったことは我々がすぐにツアーに戻っていなかったことへの後悔だった。我々は葬儀に行って、なすべきことをした。そしてバンドをやめようとはしなかった。それが全てだ。」ピーター・メンチはそう語った。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/11/

    メタリカとしての初コンサートを迎えたジェイソンを写した写真など。

    http://eddiemalluk.photoshelter.com/gallery/METALLICA-1985-1986/G0000qc96ffJ8u0M/C0000toV.S5Y1s2k

    そして、ジェイソン加入から2回目のショーとなったアナハイムのイザベルズ(Jezabelle's)の公演もブート映像が存在しており、ほぼYouTubeで視聴可能です。音響システムのトラブルに見舞われていますが、とにかく凄まじいエネルギー量です。


    次回はメタリカ初来日の様子など。

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    メタリカからビッグなプレゼント企画。メタリカも2015年8月1日に出演する、今年のロラパルーザ。このフェスのペアVIPチケットが当たるエアギター・コンテストが開催されています。当選者はたったの1組と狭き門ですが、往復航空券やホテル、メタリカの直筆サイン付ポスター、公式グッズまで付いてくる至れり尽くせりな特典となっています。詳細はこちら。

    masteroflolla

    ■エントリー方法

    お気に入りのメタリカの曲をエアギターでキメて、Instagram上でハッシュタグ「#MasterOfLolla」をつけて動画投稿


    ■エントリー期限

    アメリカ中部標準時 7月24日(金)午後5時
    ※日本時間 7月25日(土)午前7時


    ■特典

    ・3日間のVIPパスチケット
    ・ペア往復航空券(ホテル付)
    ・ロラパルーザフェスの週末ホテル宿泊券
    ・ロラパルーザでのメタリカのライヴをステージ上で観られるアクセス権
    ・ロラパルーザ公式ポスター(メタリカの直筆サイン付)+メタリカ公式グッズ

    lollapalooza(2015-07-22)

    暇を持てあましているエアギターの鬼才出てこいや!


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    1986年、クリフ・バートンの死去後に行われた後任ベーシストのオーディションに参加したプライマスのレス・クレイプール。ポッドキャスト番組「One On One With Mitch Lafon」の電話インタビューのなかで、このオーディションについてレス・クレイプールが語っていました。TeamRockの文字起こしを元に管理人拙訳にてご紹介。

    lesclaypool

    プライマスのリーダー、レス・クレイプールは、「とてもラウドな」経験として、彼が1986年にメタリカのオーディションを受けたことを振り返った。

    すでにカーク・ハメットの友人だったベーシストの彼は、スラッシュの巨人がその年にツアー中のバス事故によるクリフ・バートンの死から活動を再開するためのトライアウトに招かれた。

    そしてドラマーのラーズ・ウルリッヒはテストに対して肯定的に見えたが、フロントマンのジェイムズ・ヘットフィールドがほどんど興味を持たなかったことを彼は認める。

    クレイプールは「One On One With Mitch Lafon」でこう語った。「とてもラウドだったことを覚えているよ。(・・・それだけ?)それが最初にふと浮かんだことだよ(笑)。こりゃあ、すげぇラウドだなって。実際、ラーズはおそらくオーディションを通じて一番熱狂していた。カークは知っていたし。でも彼ら全員、まだクリフ・バートンのことで取り乱していたよ。ジェイムズなんかは俺に対してこんな感じだった。「このクソ変人はいったい誰なんだ?」ってね。俺は全然彼らと合っていなかったんだ。俺はこの流木の塊みたいなベースを持って現れた。片方ずつ違う色のテニスシューズを履いて、金髪に染めたモヒカン頭で、スケーターパンツの出で立ちさ。だから俺は全然合ってなかったんだ、特に当時のメタリカにはね。」

    しかし、こうも付け加える。「楽しかったよ。クリフのベースをプレイするのは楽しかった。」

    元アンスラックス、アーマード・セイントのシンガー、ジョン・ブッシュは活動初期のメタリカに加入する誘いを断っていたことについて最近こう振り返っている。「俺はヘヴィメタルの様相を一変させていたかもしれない。そんなプレッシャー、俺には必要ないよ。」

    クレイプールは一線級に達しようとしていた時、同じような態度だった。彼はこう語る。「俺は多くの現実をこなすことを求められた。俺のイボやおできが全部観られるなんて世界は嫌だったんだ(笑)。ただメディアに気付かれないままでいるために言ってきたこともある。」

    (後略)

    TeamRock(2015-07-15)

    インタビュー後半では憧れのベーシストを語るなかで先日のイエスのベーシスト、クリス・スクワイアの訃報についても触れています。


    ついこないだラーズの伝記本の紹介で、ジェイソン・ニューステッドの加入にいたる話を書いたばかりなのでタイミング的にちょうどいい補足情報になりました。

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    ラーズ・ウルリッヒ、『Master Of Puppets』の完成とその後の悲劇(5)

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    ラーズ・ウルリッヒが、BBCワールドサービスの番組「The Inquiry」のインタビューで昨今の音楽ビジネスについて答えていました。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にて。

    larsulrichclassicrock

    「俺はストリーミングは音楽のためにはいいことだと思っているよ。俺が数多く目にしてきたなかでは・・・みんな何をするでもなくこうさ。「ストリーミングではあまり稼げていないよ」ってね。でもこの議論で全体として見過ごされている大きな点は、ストリーミングはあらゆる面での選択肢のひとつってことなんだ。ファンになってもらうためのひとつの選択肢。自分たちの音楽をストリーミングサービスで利用可能にすることに従事するアーティストのための選択肢。アーティストを代弁するレコード会社のための選択肢ってこと。15年前にはそんな選択肢は存在しなかったんだ。」


    「(Spotifyのようなストリーミングサービスで利用可能な楽曲を持つことは)選択肢なんだ。俺は選択肢を提示された。誰かが俺たちにEメールをよこしてこう言うのさ。「こんにちは。我々はストリーミングサービスを提供しています。このサービスに入りませんか?」もちろんアーティストとしてはみんなに聴いてもらいたいさ。」


    しかしながらラーズはストリーミングがインディーズのアーティストよりも、人気のあるアーティストの手助けになっていることを認めている。

    「おそらくストリーミングは、他より注目を浴びているアーティストにとっては利益をもたらすだろうね。そう思う。ストリーミングサービスで利用可能になっているプレイリストを聴くとなると、より注目を浴びているアーティストが(プレイリストで)特集されるだろうし。ちょうど今は、そういったものが聴かれているように思うよ。」


    ラーズは、最近のアーティストたちがメタリカのようには観衆と繋がっていない主な理由のひとつとして現代音楽の質だとみている。

    「今の俺の人生で新しい音楽があまり自分との繋がりを感じない主な理由のひとつは、繋がりを感じる素晴らしい音楽が少なくなっているからじゃないかな。つまり再生された多くのものはただの焼き回しなんだよ・・・。最先端の人たちってのがいない。ビートルズやマイルス・デイヴィスやジミ・ヘンドリックスたちが完璧に知らない未知の音楽的領域に俺たちをいざなってくれたようにね。」


    ラーズもレコード売上げ減少が、結果としてレコード会社が新たにブレイクするようなアーティストに投資する額を減らし、新進気鋭のバンドが生き残るにはより難しくなってきているという事実を嘆いている。

    「全ては原因と結果だ。音楽を購入する人が少なくなって、生み出して戻ってくるお金が減って、レコード会社は賭けに出にくくなっている。年に500枚レコードを売ろうとするんじゃなく、50枚売ろうとしている。若いアーティストに移るお金は減って減って減って減りまくってる。若手アーティストが絶滅に近づく危険がある。」


    BLABBERMOUTH.NETより(2015-07-14)

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    2015年8月28日の17:10からCS音楽チャンネル「ミュージック・エア」でメタリカのスタジオライヴが放送されるとのこと。

    james_BBC_1996

    以下、ミュージック・エアのサイトより引用。
    メタリカ:スタジオ・ライヴ

    史上最も成功を収めたヘヴィ・メタル・バンド、メタリカのスタジオ・ライヴ集をお送りします。全米初登場1位を記録した96年作品『Lord』よりシングル・カットされた「Mama Said」と「King Nothing」を含む3曲を披露!

    放映時間
    2015/08/28 17:10

    オンエア曲目リスト
    Wasting My Hate
    King Nothing
    Mama Said


    MusicAir(2015-07-15)

    曲目とスタジオライヴであることしか書かれていませんが、おそらくジェイソン・ニューステッド在籍時代である1996年11月にBBCで放映された音楽番組『Later... with Jools Holland』(邦題:ジュールズ倶楽部)と思われます。

    参考リンク
    http://www.bbc.co.uk/programmes/p005lp5f

    演奏部分はYouTubeにも上がっていますが、TVでしっかり観たい方はぜひ。

    Wasting My Hate


    King Nothing


    Mama Said


    メタ地獄さん情報ありがとうございます。

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    ジェイムズ・ヘットフィールドのインタビューをNHKが放映予定。
    MTVでメタリカのライヴを放送していた件。
    サマーソニック2013、WOWOWで放送決定

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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』第5章5回目。ジェイソン・ニューステッド加入にいたるお話。有志英訳を管理人拙訳にて。

    ラーズがつま先を負傷していたため、彼らは新しい曲のリハーサルができなかった。そこで葬儀後の数週間、ラーズはもっぱら公式お気に入りツール、電話を使うこととなった。昔なじみのヘッドバンガー友だちやクリフのメタリカ加入を手助けした男、ブライアン・スレイゲルに電話をかけていたのだ。メタリカが急速にキャリアの勢いを増しているあいだ、ブライアンは自身の情熱を傾けたプロジェクトであるメタル・ブレイド・レコーズ(Metal Blade Records)というレコードレーベルをゆっくりだが着実に進展させていた。スレイゲルは最新の有望なアメリカのメタルバンドと別の『Metal Massacre』のコンピレーション盤をこの1年前にリリースしている。そのバンドのなかにはアリゾナ州フェニックス出身のフロットサム・アンド・ジェットサム(Flotsam And Jetsam)がいた。ブライアンはこのバンドのベーシスト、ジェイソン・ニューステッドがメタリカにふさわしい男かもしれないと考えていた。

    ジェイソン自身が売り込んでいるバンドからヘッドハントすることにスレイゲルは少し悩んだが、ジェイソンがメタリカの大ファンであることを知っていたし、時宜を得たといってメタリカに接触を図ろうとするような残忍な考えはジェイソンにはおそらくなかっただろう。そして、もちろんラーズはスレイゲルの昔なじみの仲間であった。ラーズは、特にこのような状況下で彼の助けを必要としていた。

    もちろんジェイソンはスレイゲルの言葉に大喜びだった。その後すぐにラーズは電話に出て、このジェイソンという男がオーディションのためにサンフランシスコに飛んでくる日に合意した。

    ジェイソンは人生を賭けたオーディションに集中して準備した。ガレージで何時間もメタリカの全曲を練習した。車でフェニックス・スカイハーバー国際空港へ行き、飛行機で天国のようにヘヴィな目的地、メタリカのリハーサルルームに向かうまで。

    短くも集中したその期間で、40人以上の有望なベーシストたちがメタリカのオーディションを受けた。そのうち2人だけまた戻ってくるよう言われた。その1人が充分に準備を重ね、意欲充分なジェイソン・ニューステッドだった。

    この2次オーディションの後、メタリカの3人のメンバーはジェイソンをサンフランシスコ、ダウンタウンにある伝説的なビストロバー、トミーズ・ジョイント(Tommy's Joynt)に連れて行った。しばらくして、ラーズ、カーク、ジェイムズはみなトイレにたち、用を足してジェイソンについて評議した。ラーズの心はすでに決まっていた。ジェイソンは「クール」だ。だが他のメンバーはどうなのか?ジェイムズとカークは完全に同意した。ジェイソンこそがその任にふさわしいと。

    彼らがテーブルに戻ると、ラーズはジェイソンをみつめて尋ねた。「仕事が欲しいか?」わずかに緊張し不安だったジェイソンは無意識のうちに、ラーズ、カーク、ジェイムズ、そしてこの小さなバーで近くのテーブルにいた全ての客の耳をつんざくデカイ雄叫びを上げてその言葉に反応した。ジェイソン・ニューステッドはメタリカに加入した。メタリカはベーシストをみつけ、アルコホリカは新しいビール愛好家の兄弟をみつけたのだ。サンフランシスコで最も品揃え豊富な場所のひとつと認められるこの店ほど彼ら4人がいた場所としてふさわしいものはないだろう。

    トミーズ・ジョイントで長い夜を過ごしたが、新ヴァージョンのメタリカは、その翌日からライヴ・セットのリハーサルを行っていた。かの日本公演の日程はラーズ、ジェイムズ、カークにとって精神的な救いとなっていた。彼らは緊急の課題の真っ只中だったが、バンドはバートンの家族について忘れていなかった。日本へ出発する前夜に、ジェイソン・ニューステッドと来たるツアーのセットリストを弾いていたリハーサルルームをバートン夫人(訳注:クリフ・バートンの母)が訪ねてきた。トーベン・ウルリッヒもそこにいた。バンドが曲を演奏しているあいだ、トーベンは彼女をハグしていた。親として彼ら2人は、子供たちが大きく広がった世界を旅するなかで、子供たちのパフォーマンスと無事を心配することが自然と染み付いていた。トーベンが語ったように、彼とラーズの母ローンの心配は、ラーズがテニスアカデミーをあきらめて、このようにテニスのキャリアをドラムに変えたことではない。彼らの心配事は「長いリハーサルからの帰途にラーズが運転する車が溝に落ちること」のようなものだった。

    今、そのような心配事がバートン夫人にとって実際に起きた悪夢になってしまった。彼女が受けた最大の犠牲は人生二度目で(クリフが13歳の時、3歳違いの兄スコット・デヴィッドが亡くなっている)数週間前に24歳の息子を埋葬したが、彼女はこうして立ち、リハーサルルームで割れんばかりに鳴っている亡き息子とその友人の曲を聴いていた。リハーサルが終わると、バートン夫人はメンバーに歩み寄り、ジェイソンとハグをした。それによってメタリカの仕事は彼女の静かで思いやりのある祝福を受けたのだ。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/10/

    管理人は昨年、FearFestEvilで渡米した際に文中で登場するトミーズ・ジョイントを訪れることができました。夜にはいっそう目立つ外観。
    TommysJoynt

    たしかにビールの種類が豊富で、Alcoholicaにとってはこれ以上ないお店です。
    TommysJoynt_Beer

    ジェイソンがフロットサム・アンド・ジェットサムで参加した『Metal Massacre VII』はこちらから。
    metalmassacre7
    Metal Massacre VII


    01. Impulse / Heretic
    02. Sentinel Beast / Sentinel Beast
    03. I Live, You Die / Flotsam and Jetsam
    04. Rented Heat / Krank
    05. Backstabber / Mad Man
    06. Widow's Walk / Detente
    07. High 'n' Mighty / Commander
    08. In the Blood of Virgins / Juggernaut
    09. Reich of Torture / Cryptic Slaughter
    10. The Omen / Have Mercy
    11. The Awakening / Titanic
    12. Troubled Ways / Lost Horizon

    Flotsam And Jetsamは9:37から。


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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』第5章4回目。クリフが亡くなった後、バンドの継続を決断するメタリカ。有志英訳を管理人拙訳にて。

    ジェイムズとカークが酒に酔い、悲しみ、絶望、そして怒りを叫んでいた頃、ラーズは静かにショックと痛み、そして想像を絶する事態に対処しようとしていた。ゆっくりと容赦なく重苦しい時間が9月の日々を暗く覆っていくなか、ラーズは会ったばかりの女性、デビーについて考えていた。

    「クリフが死ぬ2週間前に、ロンドンのナイトクラブで彼女に出会った。彼女はいつも一緒にいたんだ。」ラーズはそう語る。「彼女は最悪であり最高だった。俺はそれまで深夜のお出かけに本当についてくるような女の子に出会ったことはなかったんだ。彼女は完全に夜型人間だったし、ルートビアやら何やらよく飲んでいた。だから彼女はえらく調子がよかった。事故の前、イギリスのツアーのあいだ、何回か俺のことを訪ねてきた。あのひどい事故が起きた後、彼女は叔父のヨルゲンと叔母のボーディルと数日間滞在していたコペンハーゲンまでやってきて、一緒にいてくれたんだ。それで俺がアメリカに戻る時、デビーに一緒に来てくれるか尋ねたんだ。なぜなら・・・彼女が必要だったからね。」

    暗闇の中の一筋の光だったのだろうか?ラーズは確かにデビーをサンフランシスコに連れて行った。近くのノース・ビーチの雰囲気漂う、サンフランシスコのストックトン・ストリートのアパートにこのカップルは移り住んだのだ。そしてジェイムズも同時期に近くに越してきた。

    ラーズ、ジェイムズ、カークが直面したような個人的な難局に、誰もが生まれつき対処できるようにはできていない。彼らは23歳の少年で、(バンドとして)始動したばかりのあいだは厳しく困難な状況ではあったが、このツアーに向けた最初のリハーサルの日から大抵は大いに楽しいものだった。バンドは芸術的に、創造的に、かつ商業的に彼らのやり方でここまでやってきた。バス事故は単純に存在そのものへの問いを投げかけられた。メタリカを続ける価値はあるのだろうか?と。

    Qプライムのパートナー、バーンスタインとメンチはそういった悲劇を伴う経験を実際に味わっていた。ピーター・メンチは1980年2月の破滅的な朝、AC/DCと働いていた。それはリード・シンガーのボン・スコットがロンドンで夜に深酒をした後、車のバックシートでアルコール中毒で死んだ時であった。また1984年の大晦日には(デフ・レパードの)ドラマー、リック・アレンが交通事故に遭い、前述の通り片腕を失うという事態も経験していた。AC/DCとデフ・レパードはすぐに再結成をし、大きな成功を収めた。そのうえ、(AC/DCの場合)続いて出したのが『Back in Black』という名盤である。Qプライムのパートナーたちの考えは、メタリカにも至急同じことをしてもらうことだった。

    クリフの葬儀の前日、ジェイムズとラーズとカークはサンフランシスコでバーンスタインとメンチに会った。このミーティングは、メタリカを続けていくべきかどうかよりも彼らがどう前に進んでいくのかについて話し合われた。この感情的で苛立たしい期間の真っ只中で、スケジュールとタイムテーブルのプログラミングにあてたラーズの焦点はバンドを助けることになる。こうしてラーズとメタリカは、忠誠心が極めて強いファンがいる、伝統的にヘヴィメタルが愛されている国、日本で初めてのツアーのブッキングを(とりやめずに)継続することにした。未来都市、東京の渋谷公会堂で初めてのコンサートまで半月もなかったが、ツアースケジュールを変えることなく、彼らは新ベーシスト問題に対する明確な期限を持つことにもなった。

    クリフ・バートンという傑物が埋葬される前日に彼の代わりについて考えるというのは皮肉に見えるかもしれない。しかし残されたメタリカの3人のメンバーにとって、「メタリカ」の話題は、単にバンドとして生き残ることだけでなく、彼ら自身の精神的健康を保つことでもあったのだ。バンドは彼らの人生そのものであり、クリフの存在も同様だ。そしてこの向こう見ずな男は同じ状況になったら一番にメンバーを励まし元気付けたことだろう。

    ラーズが直後にマスコミに説明したように。「俺はクリフのことをわかっている。バンドのメンバーの誰よりもクリフが、まず俺たちに蹴りをいれるだろうし、俺たちが手をつかねて何もしない状態でいることを彼は望まないだろう。それが彼が望んでいることだと思う。」

    ラーズは、騒々しいヘヴィメタル・トリビュートであるバンドの1stアルバムについて言及していたのかもしれない。アルバムA面の終わりには、歪んで生々しいにも関わらず、卓越したクリフ・バートンのベースソロ(Anesthesia (Pulling Teeth))が超高速曲「Whiplash」の前に収録されていた。「Whiplash」の最後の節は、初々しい83年の春、そして悲劇的な86年秋当時に、バンドがどうであったかについて説いていた。

    The show is through, the metal's gone, it's time to hit the road
    Another town, another gig, again we will explode
    Hotel rooms and motorways, life out here is raw
    But we'll never stop, we'll never quit, 'cause we're Metallica

    ショーが終わってメタルは去った 旅立つ時が来たようだ
    他の場所 他のギグで また爆発してやる
    ホテルとハイウェイの繰り返し 荒れ果てた暮らし
    でも止まらねぇ やめやしねぇ だって俺たちはメタリカだから


    クリフの葬儀は10月7日に執り行われた。まずフォーマルな葬儀が行われ、数日後に音楽の探求のために使っていた彼の愛した場所、マックスウェル・ランチで非公式な集まりが催された。クリフの遺灰が山盛りに置かれ、出席者がそれぞれ遺灰を一掴み取って、彼に言い残したことを言いながらマックスウェル・ランチに撒いた。

    クリフ・バートンの後継者を見つけるのは簡単なことではない。どんなに音楽的能力と人間力が素晴らしくとも、クリフ・バートンの後継者となるのは確かに簡単なことではなかっただろう。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/10/

    ラーズが救いを求めたデビーという存在。下世話ながらデビーとされる写真を2つ(真偽不明)。後にラーズは、このデビーと結婚することになります。

    debbie-ulrich-pictures
    Metal Injectionより

    lars-ulrich-debbie-ulrich
    cinemarxより

    次の項は後任ベーシスト、ジェイソン・ニューステッドの登場です。続きはしばらくお待ちください。

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