メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:Metallica

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    クリフ・バートンが愛用していた指輪を手がけていた「Crazy Pigs Designs」がクリフ・バートンが実際に身に付けていたウルフのリングの再現モデルを50個限定で販売するとのこと。以下、「Crazy Pigs Designs」のfacebookページの告知を管理人拙訳にて。(文中の「私」はおそらく「Crazy Pigs Designs」のジュエリー・デザイナーを務めるアーマンド・セラ氏)

    私が(メタリカのベーシスト)クリフ・バートンと最後に話したのは、1986年も終わりに向かおうとしている時だった。クリフとバンドがロンドンに滞在中、ある日の午後にクリフといつものように会った。彼は私が手がけたウルフのリングをほとんどの時間、身に付けていた。散々使い込んで傷が出来始めていた。

    クリフは私が付けていた新しいスカルリングを見つけると、私に試しに付けてみていいか尋ねた。クリフはウルフのリングを外し、私は自分の新しいスカルリングを手渡した。

    そして彼はこう言った。「交換だ。」私はただ笑った。するとクリフはまたこう主張したのだ。「真っ当な交換だろ?」私は彼の厚かましさを楽しんだが、私にとってクリフはもはやただの客ではなかった。私たちは友人となったのだ。だから私は最終的にOKと答えてリングを交換した。

    とても悲しいことに、そのわずか数日後に酷いニュースを聞くことになった。クリフが亡くなった。

    クリフのウルフのリングは今日まで、彼が自分の指から外したあの日から全く変わらない状態のまま、私の手元にある。私の最も大切なクリフの形見だ。

    それ以来、多くのメタリカのファンは、クリフが個人的に喜んで付けていたウルフのリングを見たがってきた。

    私はいつもみせてきた。多くの関心があるにも関わらず、ウルフのリングはクリフを慮って「非売品」としていた。しかし、次善の策として厳密に50個限定で販売することにした。

    限定版リングはクリフ・バートンのリングの完全な複製となっている。実際のクリフのリングから高品質な金型を作ることで出来上がった。それから全て銀で鋳造し、オリジナルと同じように傷を残している。私たちは慎重に(クリフが)ツアーをしてきた年月を複製するために「ツアー傷」仕上げを再現している。

    crazypigs02crazypigs01

    facebook(2015-09-02)

    クリフの人柄が出ているエピソードですね。発売日も価格も今のところ不明ですが、この指輪を欲しいクリフファンの方は続報要チェックです。(すぐに売り切れ必至でしょう・・・)
    https://www.facebook.com/CrazyPigDesings/
    http://crazypigdesigns.com/ja/

    【追記】
    オンラインストアから購入可能となりました!価格は475ユーロ。価格はポンド表記でした。失礼しました!送料15ポンド含めて総額490ポンドです(およそ9万円)。値段がそれなりにするのでまだ買える模様^^;
    limited-edition-cliff-burton-wolf-ring
    http://crazypigdesigns.com/ja/12-online-store-new

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    海外のフェス中継事情は直前まで地域制限があるかわからないのでいつもヤキモキしていますが、18日から始まった「Rock in Rio 2015」は初日からアメリカ版フェス公式サイトにて生中継されていました。
    http://rockinrio.com/usa/

    こちらは配信元のサイト。
    http://livexlive.com/
    http://on.aol.com/video/rock-in-rio-2015-519084752

    rockinriobrazil2015

    メタリカの出演は現地時間2015年9月19日の深夜0:15から(日本時間では20日昼11:15から)を予定しています。ちなみにメタリカの前にメインステージに出演するのはモトリー・クルー。こちらは現地時間22:30から(日本時間20日朝9:30から)予定。

    【追記】
    上記表記の日本時間はサマータイムを加味したものですが、初日の配信はサマータイムではなかったようです。初日同様であれば、メタリカ出演予定は日本時間20日昼12:15からです。
    【追記ココまで】


    【追記2】
    初日配信終了後に2日目公演のタイムテーブルが改めて発表。
    day2
    アメリカ西部東部時間(ET)で表記されているので日本時間はサマータイム加味して、やはり20日12:15のようです。

    メタ地獄さん改めて情報ありがとうございます。
    【追記2ココまで】


    タイムテーブルについてはこちらから。
    http://rockinrio.com/rio/en/line-up/

    一応、配信ページも貼り付けておきます。


    メタ地獄さん、情報提供ありがとうございます!

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    メタリカ、30周年を迎える本家ロック・イン・リオ2015に参加決定

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    去る2015年5月9日にラジオ局「KOMP 92.3 FM」のCarlotaという番組で行われたカーク・ハメットのインタビュー動画が先ごろYouTubeにアップされました。このインタビューのなかで、カーク・ハメットがアルバムの制作状況について次のように語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にて。

    kirk201505

    「俺たちは毎日そこに向かって、取り組んでいるところさ。今は実際にいくつかレコーディングしようと準備している。まだ初期の段階だよ。知ってのとおり、アルバムに入るかもしれないし、入らないかもしれない。全ての音源について話し合って、前に進めるために何が最善の方法かを把握しようと試しているっていうレコーディングのうちのひとつだね。そしてまさに今、俺たちはそういうところにいるってわけ。」


    また多忙なスケジュールにも触れてこのように語っています。

    「うん、(予定が)とってもたくさんあるんだ。誰もこの問題で選びようのある選択肢を持ってない。俺たちにも生活があるって事実を考えるとやらなくちゃならないことがたくさんある。俺たちには家族がいるし、バンドもあるし、人生にはそれ以外のことだってある。俺たち4人が一堂に会すようスケジュールを立てるのは難しいことなんだ。部屋に一緒にいたくないってわけじゃないよ。集まって一緒に音楽をプレイしたいんだ。俺たちをそうさせなくする他の要因があるんだ。俺たちはベストを尽くしている。俺たちは同じ時に同じ場所にいられるようなスケジュールを立てるべく努めているよ。」

    その後、番組では『Ride The Lightning』のリリースから30年以上経ったことを言及するとカークはこう回想しています。

    「俺たちはスタートを切った時、俺たちの誰もが(アルバムが)店でどうなるかわからなかった。つまり、俺たちはその日その日暮らしていた。当時のたくさんの若いミュージシャンがそうだったようにね。俺たちは瞬間瞬間を生きる、その日暮らしの身だったんだ。ミュージシャンとして最初にスタートして、音楽の活動だけで食っていこうとした時だからね。でも30年以上こういうことをやってきたと言えることは驚くべきことだよ。」

    さらにこう続けました。

    「俺の一番大好きなバンド、UFOを初めて聴いた時のことを思い出すよ。彼らの楽曲を初めて聴いたことをね。俺は15歳で実家のリビングで座っていた。友だちがこのアルバムを持ってきてこう言ったのさ。「ちょっと、このアルバムを聴いてくれよ」俺たちがそのレコードをかけると、ギターを演奏するという考え方全て、俺が演奏したい音楽の種類を完全に変えてしまったんだ。だから、特に自分に大きな感情的なインパクトを与えるような時、それから振り返ってみて自分がその時どこで何をしていて何を感じたのかハッキリとしたイメージを持つ時、それがいかにパワフルかってことを俺は理解しているよ。それはとってもパワフルなものだし、自分にそれが起きた時のことはよく覚えているんだ。」

    BLABBERMOUTH.NETより(2015-09-05)

    インタビュー動画はこちらから。


    インタビューを受けた5月から少し時間が経っているので、話している状況から少しは進行しているのでしょうか?

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    2011年当時、8歳から10歳のメンバーからなる「The Mini Band」による「Enter Sandman」のカバーが話題となりました。


    この動画を観て喜んだメタリカは「The Mini Band」にメッセージビデオを送ります。


    この出来事はBBCで特集が組まれ、メタリカのメッセージがバンドに伝えられる瞬間が放送されました。


    そして4年経った今年、「The Mini Band」はBBCに出演。スタジオでレディング・フェスティバルへの出演が伝えられます。動画はその後のフェス公演とメタリカとのMeet & Greetの様子まで。


    こちらは「The Mini Band」のレディング・フェス出演の様子。リハーサルから本公演まで全て撮影されています。「Enter Sandman」のカバーは9:40から。


    彼らの地元の新聞でも大々的に報じられている様子。
    jpg--thatcham_s_mini_band_meet_heavy_metal_giants_metallica
    newburytoday(2015-09-04)

    2011年なんてついこのあいだと思っていましたが、「The Mini Band」のメンバーの成長ぶりに月日の長さを感じます。12歳から14歳となった彼らですが、話題になってからもバンドを続けてオリジナル曲も作り、ついに大きな舞台で出演を果たすという微笑ましいエピソードでした。

    cowboybluesさん、情報提供ありがとうございました。

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    New York Daily Newsにてキース・リチャーズがメタリカについて言及していたのでご紹介。NME JAPANが翻訳してくれていたので引用します。

    keith-richards

    ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは、ヘヴィ・メタル・バンドを「冗談」、ラップのファンは「音痴」であると最新のインタヴューで語っている。

    ソロ・アルバムのリリースに先がけて、キース・リチャーズが『ニューヨーク・デイリー・ニューズ』紙に語ったところによれば、「メタリカやブラック・サバスを好きな人が何百万人もいるんだね。自分にとってはものすごい冗談としか思えなかったけどね」

    そして、ヒップホップについてもキース・リチャーズは次のように続けている。「ラップねえ。あんなに多くの言葉を使って少しのことしか語らない。ラップの面白いところは、世の中にはたくさんの音痴がいるんだということが分かったことだよ」

    「必要なのはドラム・ビートだけで、その上で誰かが叫んでいればいいんだろう。音程がわからない人のための巨大なマーケットがあるということだね」

    NME(2015-09-04)

    このインタビューを読んで、リリー・フランキーさんが先日テレビ番組でこんなことを言っていたのを思い出した管理人でした。

    「音楽の歴史とかを見てもスタンダードになり得てる人は一番最初は絶対アナーキストとして現れている。スタンダードとして現れた人は一瞬にしていなくなる。ビートルズ、チャック・ベリー、ピストルズだって最初は「何だあれ?」と言われながらスタンダードになっていく。」

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    更新ご無沙汰しています。
    取りこぼしたネタを取り上げていきます。

    まずはジェイムズ・ヘットフィールドがゾンビ役に挑戦したこの話題から。

    jmz_blackops

    人気シューティングゲームの『Call of Duty』シリーズの最新作、『Call of Duty: Black Ops III』でゾンビ役になれるオーディション・キャンペーンのプロモーションビデオにジェイムズが出演しています。このオーディションの勝者は2015年11月6日に発売されるゲームでゾンビとして出演できるとのこと。プロモではジェイムズの他、アヴェンジド・セブンフォールドのM.シャドウズ、NBA選手のロイ・ヒバート、コメディアンのジャスティン・エザリックらが出演しています。



    『Call of Duty』といえばメタリカは過去に退役軍人向けチャリティーでコラボしたことのあるゲーム(関連記事参照)。ジェイムズもやりこんでいたりするのでしょうか?

    ジェイムズはプロモ内で「ゾンビ・コミュニティは大きいんだ。「All Nightmare Long」は見たことない?」といった発言をしているようです。(間違ってたらすいません)

    というわけでゾンビが出演する『Death Magnetic』収録曲「All Nightmare Long」もどうぞ。



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    元メガデスで、現在は同じく元メガデスのクリス・ブロデリックとともにアクト・オブ・ディファイアンス(Act of Defiance)として活動しているショーン・ドローヴァーがPodcast番組「Metal Brainiac」のインタビューでナップスター騒動や今の音楽ビジネスについて語っていました。そのなかでラーズ・ウルリッヒについても言及していたのでご紹介します。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にて。

    shawn-drover

    −ツアーに出るレベルに達する余裕のない若いバンドに起きていることについて

    それは究極の質問じゃないの?結局のところ、どうすればまた買ってくれて、バンドをサポートしてくれる人を捕まえられるのか?6万4000ドルの質問だね。その答えは、現時点では誰も持っていないよ。自分のコンピュータに保存できずに最後に燃えちまう音楽を出す新しいフォーマットを思いつくかい?誰かが自分のコンピュータでファイル共有を始めるやり方がわかってから可能となった。

    それで、90年代後半のナップスター騒動でラーズは特定の人たちの餌食になってしまった。彼らはラーズのことをどれも大げさだと考えていた。彼は間違いなく正しかった。100%正しかったんだ。誰もそれを主張することができない。でも結局、売上高の減少で証明された。毎年の売上げを見てごらん。1995年から今までの売上げ、1985年から今までの売上げをね。


    −CDの売上げ減少は、現代のインターネット世代が無料で音楽を得ることに慣れたからか

    子供の視点になってみよう。「ボクたちはいつもタダで手に入れられるよ。なんで払わなきゃならないの?」わかった。彼らのなかには本当に何をしているのかということをよく考えずにしている人がいる。他は悪質な方法でそんなことをやっているんだ。「あいつらなんてクソ食らえだ!俺は楽しいから、盗んでやるんだ」とか単に嫌なヤツになってね。でも音楽店でCDを盗みに行くヤツを見つけたって、いつだってそういう輩はいるんだ・・・。もはや盗むことの出来ないのはコンサートに行くこと、コンサートという体験を得ることだけだ。もちろんみんなそれを撮影してYouTubeにアップする。でも間違いなく同じじゃない。1981年のヴァン・ヘイレンの古いビデオを観ることは、YouTubeで観るにはクールなことだ。でも俺のように、そこにキミがいた場合を除いてだ。まったく違う体験なんだよ。見当もつかないだろうけど。

    BLABBERMOUTH.NETより(2015-08-30)

    インタビューの音源はこちらから。



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    メタリカがナップスターを訴えてから早14年。

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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』第5章8回目。『Master of Puppets』リリース後のラーズの母国デンマークの反応など。

    アメリカに戻り、メタリカ初の中規模クラスのアリーナ会場でヘッドライナーを務めるツアーが始まった。彼らの友人であるメタル・チャーチがサポートバンドとして参加し、4000〜6000人収容のマイナー・ホッケー・ホールを一杯にした。アイスホッケーの試合での楽屋部屋をバンドは最大限使ったが、インディアナであったようなジェイムズのスケートボード事故は二度と起きなかった。このツアーはとても寒い冬のアメリカで行われたことから「永遠の暗黒ツアー(the Eternal Blackness Tour)」と名付けられた。

    新年を迎えても冬は厳しい寒さを衰えさせることはなかった。メタリカが凍てつく冬のコペンハーゲンを訪れた時、日中の気温はマイナス20度から25度だった。幸いなことにメタリカのメンバーたち(の滞在する場所)はスウィート・サイレンス・スタジオの屋根裏部屋から快適なホテルの部屋と暖房の効いたリハーサル・ルームへと改善されていた。彼らはおよそ4ヶ月前に悲劇的に中断されたヨーロッパ・ツアー再開のためにそこに集まって練習を重ねていた。

    バンドは新しい編成で初めてデンマーク/ヨーロッパ向けの記者会見を行うことにした。メディアは特に手配されていなかった。出席したマスコミはバンドの宿泊するホテルの大きなエリアに集まり、バンドと何の関係のない人々がそこに座っていった。3月の『Master of Puppets』のリリースから、デンマークのメディアのメタリカに対する関心がわずかに増していたことが明らかとなった。

    『Master of Puppets』は、デンマークではバルビュー(Valby)郊外のSkelmosevej沿いに慎ましやかにある独立系レーベルのメドレー・レコード(Medley Records)からリリースされた。デンマークのポップ・デュオ、レイド・バック(Laid Back)が海外でヒットしてから、メドレー・レコードは海外のレコード会社のライセンスを取得することにしたのだ。小さな会社の共同プロモーション、そしてミック・クリステンセンは、1985年にデンマークにおけるミュージック・フォー・ネイションズの全ての商品をメドレー・レコードで行う出版権を確保していた。そのときミックはメタリカのことは知らなかった。しかし、すぐに(メタリカのことを)「当時支配的だった80年代のヘヴィ・ポップが好きな人たちに対する反発と攻撃的な声明」と考えるようになった。

    「メタリカはストリート・ネームだったんだ。」ミック・クリステンセンはそう語る。「彼らはヘヴィー・シーンで異常なまでに高い信頼性を持っていた。でも、一歩その環境から出ると誰も彼らのことは知らなかったんだ。彼らのファンはとても忠実だ。私たちがメタリカのピクチャー・ディスクとかそういったものを出すと、お客さんたちがいつもすぐにお店に現れた。『Master of Puppets』のための我々のマーケティングは、フライヤー、ポスター、そしてメタル・ファンジンへの広告といった街頭キャンペーンに基づいていた。加えてRock Uglenと(ラーズにさまざまなヘヴィメタルを教えた)ケン・アンソニーのいたHMVみたいな専門店がメタリカの宣伝をしてくれたんだ。彼らはさながらバンドの特命大使のようだったよ。」クリステンセンはそう思った。

    「当時の新聞やラジオでは難しかった。でもバンドの「ビデオなんて作りたくはない」っていうアティテュードが、彼らをこの時点であるべき姿よりももっと見えにくいものにしていたんだ。ラーズは『Master of Puppets』のプロモーションでSkelmosevejの私たちのオフィスに数回やってきた。彼がここに来て2日目のことを覚えているよ。彼はデンマークのマスコミにほとんど話せなかったんだ。1日のあいだにたった3つのインタビューしか受けなかったんだから!たとえすべき仕事があまりなくとも、彼はここに来てよかったよ。でも彼はそうは考えてはいなかったようだ。彼は家にいるのが最高だと考えていた。家族と会い、街にビールを飲みに出かける。ラーズはとても誠実で地に足の着いたヤツだよ。彼は音楽のためなら何でもするハッピーボーイさ。ロスキレ・フェスティバル後に(HR/HM以外の)他のメディアが来るようになった。ロスキレのショーが全てを変えたんだ。」クリステンセンはそう付け加えた。

    晩秋、再びメタリカのチケットには大きな需要があった。1987年1月8日の新年のショーは(デンマークの)サガではブッキングされなかったが、ほぼ2倍の収容を誇るファルコナー劇場(Falconer Theatre)で行われた。その翌日、メタリカはオルステブロ・ホール(Holstebro Hall)でもブッキングされた。そして両公演とも売り切れとなったのである。

    ファルコナーでは「Whiplash」の前に切り込むジェイソンのベースソロが山場のひとつとなった。オルステブロではラーズ自身が「当時俺たちが演った最もクールなショーのひとつ」と呼ぶライヴそのものが特徴的なものとなった。すなわち、サポートバンドのメタル・チャーチがステージに現れてから、メタリカのアンコール曲「Damage Inc.」「Fight Fire With Fire」まで、ユトランド半島出身のメタリカファンが作り出した激しい雰囲気を経験し、群集がすでに戻ったこの場所でメタリカを観たり聴いたりする経験そのものだ。

    ラーズとバンドにとっての勝利だけでなく、何年も孤独にメタリカの良さをレポートしてきたデンマークのアンダーグラウンドなヘヴィメタルの勝利でもあった。

    1987年2月13日、メタリカは「Damage Inc.」ツアーをスウェーデンのヨーテボリ公演で終えた。その公演では昔からのインスピレーションの源であり、仲間であるキング・ダイアモンドと、彼と同じ名前の新しいバンドと共にジャム・セッションを行った。

    ラーズとメタリカはこのようにして、よろめきながら創造的な頂点に達し、キャリアにおけるたくさんの山場を経験した一方、友人であり同志でありベーシストでありいろいろな意味でジェイムズ、ラーズ、カーク(そして実際ジェイソン)にとって音楽的なメンターであったクリフ・バートンを失う痛みによって青年たちの夢が完璧に奈落の底へ突き落とされるという相反する両極端な出来事を経験した時代を終えたのだ。

    そしてこれら全て、1年未満に起きたことだったのである。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/11/

    文中に出てきたデンマークのHR/HM専門店「Rock Uglen」。まだ現役でデンマークに存在しており、今でもデンマークでは聖地のような扱いのお店のようです。Facebookページはこちら。
    https://www.facebook.com/rockuglen

    そしてこちらがデンマーク公演の後で行われた当時のドイツ公演のポスター。
    metallica-grugahalle

    この画像は当時の公演のサポートをつとめていたメタル・チャーチのメモラビリアを集めた下記のページから拝借させていただきました。87年当時のメタリカのサインも見れる貴重なサイトです。
    http://www.metallipromo.com/mchurch.html

    これにてこの章は完結。次は最終章で、英訳元が完結しているかもまだわかっていないですが、この伝記シリーズも残りあと2回になります。このペースで何とか今年中には終わらせたいところですが、いましばらくお待ちください。

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