メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:Metallica

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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』第5章4回目。クリフが亡くなった後、バンドの継続を決断するメタリカ。有志英訳を管理人拙訳にて。

    ジェイムズとカークが酒に酔い、悲しみ、絶望、そして怒りを叫んでいた頃、ラーズは静かにショックと痛み、そして想像を絶する事態に対処しようとしていた。ゆっくりと容赦なく重苦しい時間が9月の日々を暗く覆っていくなか、ラーズは会ったばかりの女性、デビーについて考えていた。

    「クリフが死ぬ2週間前に、ロンドンのナイトクラブで彼女に出会った。彼女はいつも一緒にいたんだ。」ラーズはそう語る。「彼女は最悪であり最高だった。俺はそれまで深夜のお出かけに本当についてくるような女の子に出会ったことはなかったんだ。彼女は完全に夜型人間だったし、ルートビアやら何やらよく飲んでいた。だから彼女はえらく調子がよかった。事故の前、イギリスのツアーのあいだ、何回か俺のことを訪ねてきた。あのひどい事故が起きた後、彼女は叔父のヨルゲンと叔母のボーディルと数日間滞在していたコペンハーゲンまでやってきて、一緒にいてくれたんだ。それで俺がアメリカに戻る時、デビーに一緒に来てくれるか尋ねたんだ。なぜなら・・・彼女が必要だったからね。」

    暗闇の中の一筋の光だったのだろうか?ラーズは確かにデビーをサンフランシスコに連れて行った。近くのノース・ビーチの雰囲気漂う、サンフランシスコのストックトン・ストリートのアパートにこのカップルは移り住んだのだ。そしてジェイムズも同時期に近くに越してきた。

    ラーズ、ジェイムズ、カークが直面したような個人的な難局に、誰もが生まれつき対処できるようにはできていない。彼らは23歳の少年で、(バンドとして)始動したばかりのあいだは厳しく困難な状況ではあったが、このツアーに向けた最初のリハーサルの日から大抵は大いに楽しいものだった。バンドは芸術的に、創造的に、かつ商業的に彼らのやり方でここまでやってきた。バス事故は単純に存在そのものへの問いを投げかけられた。メタリカを続ける価値はあるのだろうか?と。

    Qプライムのパートナー、バーンスタインとメンチはそういった悲劇を伴う経験を実際に味わっていた。ピーター・メンチは1980年2月の破滅的な朝、AC/DCと働いていた。それはリード・シンガーのボン・スコットがロンドンで夜に深酒をした後、車のバックシートでアルコール中毒で死んだ時であった。また1984年の大晦日には(デフ・レパードの)ドラマー、リック・アレンが交通事故に遭い、前述の通り片腕を失うという事態も経験していた。AC/DCとデフ・レパードはすぐに再結成をし、大きな成功を収めた。そのうえ、(AC/DCの場合)続いて出したのが『Back in Black』という名盤である。Qプライムのパートナーたちの考えは、メタリカにも至急同じことをしてもらうことだった。

    クリフの葬儀の前日、ジェイムズとラーズとカークはサンフランシスコでバーンスタインとメンチに会った。このミーティングは、メタリカを続けていくべきかどうかよりも彼らがどう前に進んでいくのかについて話し合われた。この感情的で苛立たしい期間の真っ只中で、スケジュールとタイムテーブルのプログラミングにあてたラーズの焦点はバンドを助けることになる。こうしてラーズとメタリカは、忠誠心が極めて強いファンがいる、伝統的にヘヴィメタルが愛されている国、日本で初めてのツアーのブッキングを(とりやめずに)継続することにした。未来都市、東京の渋谷公会堂で初めてのコンサートまで半月もなかったが、ツアースケジュールを変えることなく、彼らは新ベーシスト問題に対する明確な期限を持つことにもなった。

    クリフ・バートンという傑物が埋葬される前日に彼の代わりについて考えるというのは皮肉に見えるかもしれない。しかし残されたメタリカの3人のメンバーにとって、「メタリカ」の話題は、単にバンドとして生き残ることだけでなく、彼ら自身の精神的健康を保つことでもあったのだ。バンドは彼らの人生そのものであり、クリフの存在も同様だ。そしてこの向こう見ずな男は同じ状況になったら一番にメンバーを励まし元気付けたことだろう。

    ラーズが直後にマスコミに説明したように。「俺はクリフのことをわかっている。バンドのメンバーの誰よりもクリフが、まず俺たちに蹴りをいれるだろうし、俺たちが手をつかねて何もしない状態でいることを彼は望まないだろう。それが彼が望んでいることだと思う。」

    ラーズは、騒々しいヘヴィメタル・トリビュートであるバンドの1stアルバムについて言及していたのかもしれない。アルバムA面の終わりには、歪んで生々しいにも関わらず、卓越したクリフ・バートンのベースソロ(Anesthesia (Pulling Teeth))が超高速曲「Whiplash」の前に収録されていた。「Whiplash」の最後の節は、初々しい83年の春、そして悲劇的な86年秋当時に、バンドがどうであったかについて説いていた。

    The show is through, the metal's gone, it's time to hit the road
    Another town, another gig, again we will explode
    Hotel rooms and motorways, life out here is raw
    But we'll never stop, we'll never quit, 'cause we're Metallica

    ショーが終わってメタルは去った 旅立つ時が来たようだ
    他の場所 他のギグで また爆発してやる
    ホテルとハイウェイの繰り返し 荒れ果てた暮らし
    でも止まらねぇ やめやしねぇ だって俺たちはメタリカだから


    クリフの葬儀は10月7日に執り行われた。まずフォーマルな葬儀が行われ、数日後に音楽の探求のために使っていた彼の愛した場所、マックスウェル・ランチで非公式な集まりが催された。クリフの遺灰が山盛りに置かれ、出席者がそれぞれ遺灰を一掴み取って、彼に言い残したことを言いながらマックスウェル・ランチに撒いた。

    クリフ・バートンの後継者を見つけるのは簡単なことではない。どんなに音楽的能力と人間力が素晴らしくとも、クリフ・バートンの後継者となるのは確かに簡単なことではなかっただろう。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/10/

    ラーズが救いを求めたデビーという存在。下世話ながらデビーとされる写真を2つ(真偽不明)。後にラーズは、このデビーと結婚することになります。

    debbie-ulrich-pictures
    Metal Injectionより

    lars-ulrich-debbie-ulrich
    cinemarxより

    次の項は後任ベーシスト、ジェイソン・ニューステッドの登場です。続きはしばらくお待ちください。

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    ラーズ・ウルリッヒの原点を巡る
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    ラーズ・ウルリッヒ、コペンハーゲンからの快進撃
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    ラーズ・ウルリッヒ、『Master Of Puppets』の完成とその後の悲劇
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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』第5章3回目。メタリカの歴史に触れるならば、避けて通れないあの事故について。有志英訳をさらに管理人拙訳にて。

    歴史的にヘヴィな日曜日となったDyrskuepladsen(ロスキレ・フェスティバルの会場地)まで話を戻そう。ロスキレ・フェスティバルのコンサートはいろいろな意味で境界線を超えた。フェスティバルの歴史、そして背景を考慮しても。しかし、それでもここデンマークの大衆にメタリカの実質的なブレイクはなかった。メタリカはまだロスキレ・フェスティバルのメインステージのような巨大なシーンのなかでは、あまりに騒々しくあまりに異様だったのだ。だがメタリカのパフォーマンスは、ヘヴィメタルへのプログレッシヴなアプローチを大きく発展させた、間違いなく絶対不可欠な表明だった。このコンサートとメタリカの存在感自体が、新たなスピードメタル文化の勝利となったのだ。

    そしてこの勝利は続いていった。ショーというショーがこの年の残りを埋めていき、もちろん若いデーン(訳注:ロスキレ・フェスの観衆のひとりと思われる)はバンドの次のデンマーク訪問についてすでに知っていた。彼はロスキレ・フェスのことから話すことにした。「9月27日に(デンマークの)サガで会おう。」半分は熱狂的、半分は大口を開けて呆然としていた、信頼のおけるDyrskuepladsenの観衆に向かってラーズは叫んだ。そこにはライヴ前のサウンドチェックの時間からメタリカを観ることのできた、昔からのファンもいた。

    実際、メタリカはデンマーク再訪問への道のりはすでに順調であったし、このサガのコンサートもすぐに完売することとなった。メタリカはアメリカでのオジーとの「Damage Inc.」ツアーを終わらせて、それからイギリスでツアーを行わなければならなかった。しかし、オジーのツアーが8月3日のヴァージニア公演で終わろうとする1週間前に、インディアナ州エバンズビルのメスカー円形劇場(The Mesker Amphitheatre)で、ジェイムズはバックステージでは欠かせないスケートボードでふざけて遊んでいたところ、ボードから滑り落ちた。彼は腕を負傷し、残りの3人のメンバーは15,000人の期待に満ちたメタルファンの前でステージに歩み出て、その夜のショーは行えないことを発表しなければならなかった。

    「あれは俺がステージ前に飲まなきゃやってられなかった初めての出来事だった。」ラーズはそう語った。彼が話し出すとすぐに、3人のメンバーたちは強烈なブーイングと罵声の悲しき受け手となっていた。

    逆に言えば、観衆の反応は良い兆候でもあった。メタリカが、ヘッドライナーの大御所オジーを観るために支払った価格の重要なパートであり、呼び物であったことが明らかにそこに表れていたのだ。しかし最も重要なのは、バンドとQプライムが今やとても緊急の問題を抱えていたということだ。メタリカはアメリカにおけるメタルの大観衆のあいだで大きな飛躍を遂げようとしていた。オジーとのツアーはもう残り数週間しかなかった。その直後には半月のヨーロッパツアーが彼らを待っていた。その後には初来日公演があった。

    リズムギタリスト無しのメタリカのステージ?不可能だ!

    オジーはこう叫んだ。「レッツゴー、ファッキン、クレイジーーーーーーーー!エバンズビル!!」その声の限りの絶叫はメスカー円形劇場のステージ、メタリカ、そして病院から戻り包帯で巻かれたジェイムズ・ヘットフィールド、そして横に座っていたバンドのギターテクで以前のツアー仲間だったメタル・チャーチのジョン・マーシャルにも聴こえた。ジョンはステージ経験もあり、メタリカの曲も知っており、すでにツアー全日程にブッキングされていた。そう、ジョンは第5のメンバー、そしてリズム・ギタリストとして参加する準備はできていたのだ。

    バンドの次の公演となったナッシュビル、テネシーを乗り切るため、ジョンは集中して車の中で『Master Of Puppets』を聴いていた。ジェイムズの泊まっていたハイアット・リージェンシー・ホテルの部屋でも、メタリカとのコンサート・デビュー前に最後の手がかりを掴もうとしていた。

    「でも俺はジェイムズのようには弾けなかったよ。違って聴こえるんだ。ローディーとして、俺は一日に4、5時間も練習できなかった。ギターをチューニングして、5分演奏するんだ。」ジョン・マーシャルは後にこう説明している。(K.J.ドートン著「Metallica Unbound: The Unofficial Biography」(1993年刊行)より)

    メタリカ活動初期のメンバー変遷のなかでジェイムズが(ギターを弾かずに)歌うのみだった5人編成はあったが、ナッシュビルのショーでは完全に別問題の話だった。バンドの観客はもはや2桁ではない。5桁なのだ。ジョンはもちろん緊張していたが、この束の間のラインナップ変更はこんな自体を予期できなかったであろうラーズにとって最も困難だったかもしれない。メタリカがブレイクを果たすツアー最後の前夜と紛らわしいほど似ていた。彼は5人編成を続けていくことをとても心配していた。数回のコンサートを経てようやく実際にこれでいけるとわかったのだ。

    ヘレルプの時計がラーズの頭のなかでチクタクいっていたが、オジーのツアーは計画通りに恐れていた失敗をすることなく終えることができた。ラーズが練っていたメタリカの計画の中、運命の待ち伏せは回避されてきた。また、医者はジェイムズの腕が9月10日に(ウェールズの)カーディフから始まるメタリカのヨーロッパツアーには間に合うよう治癒すると考えていた。全てが順調に調整されたツアースケジュールに従うことができた。

    オジーとの最後のコンサート後、ラーズとバンドは5週間の素晴らしい休暇を楽しみにしていたはずだった。ジェイムズの事故はさておき、メタリカにとっては素晴らしい春であり、クールな夏だった。今や国際的な少年は、待ち受けるツアーに責任を持ち、残りの夏を最高の思い出の地、イギリスで楽しもうとしていた。

    ツアー開始前にラーズとジェイムズとマーク・ウィテカーはメタリマンションを発ち、8月初旬にラーズはマネージャーのピーター・メンチの家を仮の宿として一ヶ月過ごした。

    「あぁ彼は私と一緒に住んでいたんだ。」ピーター・メンチはそう振り返る。「彼はイギリスにやって来て、一緒にうろついていた。つまり彼が起きたら一緒に出かけていたんだ。彼は朝4時に完璧に酔っ払って家にやってきた。私は毎日気にかけながら仕事をしていたよ。私はバンドのマネージャーだからね。」メンチはニューヨーク仕立ての皮肉を交えてそう付け加えた。

    ラーズは残りの夏のあいだ、ロンドンのナイトライフを楽しんでいた。しかし、キッチリと描いていた彼の計画の道筋は狂ってしまった。ヨーロッパツアーの日程が近づくと、12日間のツアーのうち最初の10日はジェイムズがギターを弾くことができないことが明らかとなった。幸いなことに適切な緊急策として、ジョン・マーシャルがメタリカのステージセットの大きな十字架の近くを控えめに陣取って、ウェールズとイングランドに渡る「Damage Inc.」ツアーは継続された。

    ジョンにとって、ローディーに加えてギタリストという役割が倍増したことで実入りの良い仕事となったが、彼は同時に糖尿病と戦っていた。それは定期的なインスリン注射が必要であることを意味していた。彼はボロボロに燃え尽きており、「Damage Inc.」ツアーの最後のコンサートが日本で行われたらすぐに11月で全ての仕事をやめようと決めていた。

    ツアーがヨーロッパ大陸まで至ると、ジョンとメタリカにとって良いニュースができた。ジェイムズ・ヘットフィールドは3ヶ月ぶりにギターの演奏を再開し、9月26日の金曜夜に行われたストックホルムのソルナ・ホールのステージにバンドが立った時にはモチベーションは最高だった。

    「あぁ、ジェイムズがリズムギターを再開した最初のショーだったんだ。あれは本当にクールだったね。」ラーズはそう話す。

    メタリカの列車は再びレールの上に戻った。ロスキレ南部の、あの記念すべき日曜夜に約束したように、9月27日の土曜夜にサガでプッキングされていたのだ。ラーズと元に戻ったラインナップは(サガ公演翌日の)日曜夜にコペンハーゲンに行くことを考えて幸せ一杯だった。日曜日はハンブルグに向かう前に一日オフだったのである。

    ツアーバスはストックホルム北部のソルナから深夜に運転されていた。それはジェイムズがいつもの寝台で寝なかった例外を除けばいつも通りだった。彼はいつもクリフの隣の二段ベッドの上で寝ていたが、このルートではドラッグ(の煙?)を避けるために他の場所に移動していたのだ。

    イギリス人の運転手が車の制御を失ったのは、ユングビューの小さな町に差し掛かった朝6時頃のことだった。ラーズがこのエピソードで覚えていることは次の通りだった。

    「俺は寝ていたんだ。それからもう眠れなかったよ!バスは停まっていて、横転していた。寝ていた時に何が起きたのか本当のところはわからない。でも俺は古き良きハリウッド映画みたいにバスが爆発する前に逃げなきゃって思ったんだ!だから俺は現場から森に向かって駆け出していったんだ。あの忌々しいバスから遠く離れて無事止まって振り返るまで走って走って走りまくった。何の爆発もなかった!だからバスに戻っていったんだ。そして他の人たちと落ち合った。1人、2人、3人、4人、5人とね。1人はちょっと足を引きずっていたし、もう1人はあちこちに痣ができていた。でも大きなケガとかそういうのはなかった。奇妙に思った唯一のことは、もちろん、俺たちの中にクリフがいなかったことだ。それから救急車が来て、病院まで運ばれて診察された。俺はかかとつま先の3分の2が損傷していると言われたよ。俺が覚えているのは、ジェイムズと俺が診察室のベンチに座っていると、スウェーデン人の医師がやってきてこう言ったんだ。「キミたちの友だちのひとりは助からなかった!」俺は彼が「キミたちの友だちのひとり」と言ったことを奇妙に思っていた。クリフはただの「ひとりの友だち」以上の存在だったから。医者がクリフ・バートンが死んだと告げると、ジェイムズと俺は互いを見合わせた。俺たちは本当に理解できなかったんだ。スウェーデンで第二位の病院で座ってそんな言葉を聞くなんてことはとても不思議だったんだ。ゆっくりと夜が明け始めていた・・・俺たちはそこでクリフを見てはいなかった。」

    「それから叔父のヨルゲンがコペンハーゲンからやってきて、俺を車に乗せていった。ピーター・メンチはロンドンからやってきた。彼が実際にクリフの身元確認をしたんだ。俺がユングビューを出た頃、ジェイムズとカークは飲みに出て行き、あの忌々しい道の近辺を歩き、わめき叫び、正気を失い、泣いていたのを覚えているよ。でも俺は家族のいる安定した環境であるコペンハーゲンへと向かう途中だった。」


    クリフはバスの窓を突き抜け、倒れたバスの下敷きになり即死だった。8時になる頃には、サンフランシスコ、ニューヨーク、ロンドン、そしてコペンハーゲンといった世界中の電話が鳴り始めた。同じ悲劇と気の遠くなるような「クリフ・バートン死去」というメッセージを添えて。

    英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/10/

    不運とよぶにはあまりにむごい事故でした。次項ではクリフの事故からいかにしてラーズ、そしてメタリカが再び歩み出したのかが描かれます。続きはしばらくお待ちください。

    クリフの訃報を伝えるRollingStoneの記事
    cliffobit_RS_300

    バス事故を伝える各写真。
    cliff_case

    管理人らが2014年にクリフ最期の地に建てられたクリフ・バートンの記念碑を訪れた探訪記はこちらから。
    http://metallica.bakufu.org/pic/sweden2014.html

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    マネジメント会社Qプライム創業者でメタリカのマネージャーでもあるピーター・メンチが、2014年にBBCで行われたインタビューで昨今の音楽業界について語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    petermensch2014

    −レコード業界は、この30年で変わってきた

    まぁビジネスモデルは間違いなく当時は素晴らしかった。たとえ数年稼げなかったとしても、ある程度の時間とエネルギーを投資していた。成功を収めたアルバムを出せば出すほど、レコードとアルバムの販売促進をしてくれるたくさんの人がいたわけだ。今やレコード・ビジネスは契約だ。レコードとストリーミングの売上げは落ちてきているし、そこで廻っているお金は少なくなっている。だから我々がやらなければならないことは、基本的には、我々のマネジメント会社を、ほとんどレコード会社と同じようなところまで(業態を)広げるということだった。さまざまな国の独立系レコード会社と取引し、その会社たちは我々のレコードを個別に取り扱うことができる。グローバルビジネスは砕け散りつつあるね。


    −減少していくレコード売上げと、バンドをより長い期間ライヴツアーに出させることについて

    以前がそうだったように、間違いなくツアーに出なくても十分なほどレコードを売り上げてきていたし、次のレコードを作ったり、あるいはレコード制作とツアーの両方をやる十分なお金があった。おそらく90年代までなんだが、レコード売上げと同じだけツアーで稼いでいたんだ。今やレコードやストリーミングの売上げは10分の1しか稼げない。新しいレコードを出していくというビジネスの最大の問題は、ファンが誰かわからないということなんだ。ファンは何かのために実際にお金を払ってくれる人たちだ。チケットを買ったりね。もはやアルバムにお金を払わないとしても私はあまり気にしない。どうしようもないということがわかっているからね。でもチケットを買わないというのは、本当にファンではないということだ。だから私のバンドはそこまでお金を稼ごうとはしていない。33歳の時は状況を鑑みて「この通りの先のサイモンおじさんのカーディーラーに加入する時が来た」となったかもしれないが。

    −ヘヴィメタルのファンはどこに行ったのか

    音楽の黄金世代は、60年代あるいは70年代、80年代、90年代だったろう。多くの人たちがやっていることは、大好きなライヴに通い続けるということだ。たまたまわかったんだが、さまざまな(イギリスの)議員が40代、50代でもヘヴィメタルのショーにまだ行っているんだ。私は首相を(アメリカのシンガーソングライター)ジリアン・ウェルチの公演で観たことがある。彼はレコードが好きだからね。だからもし音楽好きなら、未来でも熱中していることだろう。新しいレコードを買わないということはしないだろうね。

    −今日のビジネス状況で新しいアーティストがブレイクするのは易しくなったのか難しくなったのか?

    道はより困難になった。今日、コンサートに出かけたり、持っている1曲を観るために雨のなか、グラストンベリー(フェス)でぶらついたりすることを大事には思わないかもしれない。各アルバムを個別に買えるからね。だから私の仕事は、私が販促する興味のあるバンドが、アルバムのバンドであり、生涯ファンとなるようなバンドだと納得してもらうことなんだ。

    −ハードロックの魅力と今後について

    ハードロックの魅力はシンプルだった。私はそれがまだあると思っている。その魅力を持ち続けているクオリティを持つ新しいハードロックバンドがいないことを除いてね。ハードロックは魅力があった。基本的には、ニキビ顔で両親が嫌いで女の子にも好かれず不満の募っていた平均的な15歳の男性にとってね。そして驚いたことに、自分のような人たちが他に1万人もいたというわけだ。問題は、興味深いことにハードロックでは、我々はいつだってこう頼んでいるってことだ。新しいメタリカはどこにいるんだ?頼む、そこらに25歳以下のハードロックバンドで誰かいないか、私に連絡してくれ。我々はキミたちを必要としている。

    −『This Is Spinal Tap(邦題:スパイナル・タップ)』(1984年)で描かれている音楽業界のパロディーはまっとうか

    もちろん。ハードロックバンドと住んでたわけじゃないけどね。信じて欲しいのは、オルタナティヴ・ロック・バンドはあんな感じだったよ・・・対応してたのは面白かったけど・・・当時は同じように可笑しかったね。でも違ったやり方だった。

    BLABBERMOUTH.NET(2015-07-03)

    インタビューのフル動画はこちらから。


    『スパイナル・タップ』は80年代当時の架空のバンド「スパイナル・タップ」が活躍する、バンドで起きそうないかにもなエピソードをふんだんに詰め込んだフィクション・ドキュメンタリー映画です。詳しくはWikipedia参照。

    メタリカとピーター・メンチの出会いやピーター・メンチが語る当時のヘヴィメタルの置かれていたビジネス状況については関連記事からどうぞ。

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    自身のホラー趣味をFearFestEvilへと昇華させたカーク・ハメット。今度は、2015年7月8日から7月12日に行われる「Comic-Con Internatinal(以下、コミコン)」に参加予定とのこと。

    コミコンといえば、2013年にはメタリカで『Metallica Through Never』の予告編公開とシークレットライヴを敢行、2014年にはカークのサイン会、アフターパーティーではロバート・トゥルージロやマーク・オセグエダ(デス・エンジェル)らとライヴを行いました。

    2013年のコミコンでのライヴとリハーサル動画


    今年は2014年と同じくカークが手がけるKVH Toysで出される新たなフィギュアのプロモーションとのこと。フィギュアのラインナップは以下の通り。
    Hammett-Figures
    Tomb Mummy Green(上段左) ※100個限定
    Tomb Mummy Metallic Green(上段右) ※50個限定
    Bad Brains Green(下段左) ※100個限定
    Bad Brains Metallic Green(下段右) ※50個限定

    全て9インチのやや大型のフィギュアです。カークは、Nuclear Blast/Stern Pinball/KVH Toys/SRの販売ブースで2015年7月11日の13:30から15:30にフィギュア購入者限定のサイン会を行うとのこと。

    BLABBERMOUTH.NETより(2015-06-29)

    ちなみに色違いのフィギュアは今年のFearFestEvilで発売され、この記事を書いている現在、KVH Toysのサイトでもまだ購入可能です。※各150個限定
    KVH4025KVH4024

    http://kvhtoys.com/

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    世界最大の広告祭であるカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルに参加したラーズ・ウルリッヒ。パネルディスカッション後にBillboardにてインタビュー取材を受けました。管理人拙訳にてご紹介。

    larsulrichcanneslions2015

    ラーズ・ウルリッヒの最近お気に入りのフレーズ。

    「Win-Win?いいよね。」51歳のメタリカのドラマーはカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルにて「音楽とブランド:文化速度の動き」と題されたパネルディスカッションでそう語った。

    ウルリッヒは、パネリストのMACプレゼンツの代表、マーシー・アレンやCitiの国際エンターテイメント部門の副代表を務めるジェニファー・ブライトハウプトが働いているようなマーケットについてより頻繁に言及するのを敬遠している傾向がある。だがそれはウルリッヒがブランドの進むべき方向について無縁であるという意味ではない。ここ3年間で、バンドはSpotifyと初めてストリーミングの契約を結んだり、(7大陸全てで実際にライヴを行った初めてのバンドにさせた)南極コンサートのためにCoke Zeroと組んだり、自らのブランドに3Dコンサート映画『Metallica: Through The Never』を取り込んだり、2008年の『Death Magnetic』に続く、大変期待されている次のアルバムの潜在的なパートナーについて議論の扉をオープンにしたりしている。

    Billboardは、いかにしてメタリカの遺産を享受し、ダニエル・デイ=ルイスのようなプロジェクトの合間の長期リフレッシュ休暇を避け、ナップスター後の音楽業界のなかで、ストリーミングのパートナーと協調していくのか尋ねた。

    − Billboard
    メタリカはもうすぐ結成35年になります。まだそういった節目に注意を払ったりしますか?

    − ラーズ・ウルリッヒ
    30周年が数年前だったか、3・4年前だったかだね。俺はよくわからなくなってきたよ。俺たちみたいにバンドを長くやっていると、何にだって記念日があるんだ。2011年に俺たちは30周年をファンクラブのためにサンフランシスコで1週間分のコンサートで祝った。でも注意しなきゃならない。昔の栄誉や過去やってきた事柄のために旗を振り続けているようじゃダメだ。将来を検討するのと過去を祝う適切なバランスを見つけるのは難しい。最近のロック界じゃ俺たちが長年に渡ってやってきた同じだけ、ほぼ何にでもお祝いを探すことができる。だからこの類のことを過剰に行うことは敬遠しているんだ。

    − Billboard
    カンヌライオンズのステージで、ブランドと共に働くことについてこれまで回答にしてきた「そんなのクソくらえだ」とは言いませんでした。考え方はいかにして変わったのでしょうか?

    − ラーズ・ウルリッヒ
    俺たちは今や間違いなくオープンになった。でも微妙だね。よりデカイ戦略だのマニフェストだのそういったものを満たそうとして、積極的にブランドを追いかけるようなことを俺は言わないだろうし。みんな俺が冗談言っていると思ってるけど、エンターテイメント業界のタウンページで俺たちが利用可能だと言えば、どう接触すればいいかはわかるわけだ。みんな俺たちをみつけられる。だから俺たちにやって欲しいことがあれば、マネージャーやレコード会社を通じて簡単に俺たちにアクセスできるわけ。岩場の下で、ダニエル・デイ=ルイスのように10年も隠遁して靴やら何やら作ったりして生きていくようなことはしない。俺たちは主に3つのタイプの試みに従事している。新しいレコードのリリースやら人々に届けたい何かについて俺たちに伝えられる時にやっている主なツアー、節目、新譜だ。これら3つのタイプの関係性を確保するためにより積極的な役割に身を置くことができるんだ。6年、いや7年間かもしれないが俺たちはそれだけ新しいレコードを出していない。数年前は映画をやった。俺たちはすぐに評価をしてこう言うんだ。「足りないのは何だ?」とね。大きく足りないところがなく、俺たちがやめられるとわかっていたら「よし、もし次の2年間で南極に行けなかったら、俺たちの使命は失敗だな」なんてことは言ってなかっただろうね。


    − Billboard
    あなたはナップスターとデジタル著作権の侵害について声を上げて反対していました。そして周知の通り、2006年になってiTunesと他のデジタス配信サービスに楽曲を提供しました。しかし、アーティストたちがTidal、Spotify、そして今、Apple Musicと提携を進めていくなか、あなたはデジタル音楽の展望にどう臨んでいるのですか?

    − ラーズ・ウルリッヒ
    人生においてあらゆることに「YES」と答える必要は必ずしもない。明らかにアップルの場合は、他のものより大きいブランドであり大きい会社だ。とてもスマートな人たちが運営している。だから俺たちは何も頭を悩ますようなことはなかった。個人的にも37個のアップル製品を持っている。それは俺だけで、家族の分を数に入れずにね。だから俺にとってかなり扱いやすいものなんだ。ダニエル・エクとSpotifyとの関係は数年間続いている。その関係はとても実りがあったよ。彼はとてもスマートガイで俺たちの楽曲を取得した。俺たちは一番スマートな人たちと提携しようとしているんだ。そういう人たちが運営する会社にについては多くのことを伝えられるよ。ダニエルについては、音楽にとても情熱的だったから、彼と一緒で心強かったね。エディー・キューやアップルで音楽に携わってる人たちについてもそうだ。彼らはアーティストたちや楽曲などにとても情熱的なんだ。だから安心する関係にいると感じる。その他の企業では少し慎重に取り扱うかもしれない。俺たちは自分たちの身を真っ只中に置こうとする。俺たちは最初の矢尻の先端である必要は必ずしもない。同時に難しすぎてキツいことは好きじゃないんだ。俺たちは波に漂って海岸に着くのさ。

    Billboard(2015-06-22)

    ラーズが引き合いに出していた、衝撃的な長期リフレッシュ休暇を取った俳優ダニエル・デイ=ルイスについてはこちらをどうぞ。
    http://matome.naver.jp/odai/2136514892122653201

    The Pulse Of Radioで行われた別のインタビューでは、バンド結成35周年(2016年)で何かアニバーサリーを行う予定はないと明言したとのこと。

    順番が前後しますが、Billboardのインタビュー前に行われたパネルディスカッションでのラーズの発言もBLABBERMOUTH.NETさんが抜粋文字起こししてくれたので、こちらも管理人拙訳でご紹介。

    −20ものブランドからのコマーシャルの提示からひとつを受ける

    ただ座って、たくさんのオプションが提示される。20あるうちの1つにYESって言うことなんだ。

    タイミングもあるし、誰のブランドかってのもあるし、何をオファーしてきているのかってのもある。わかりやすく言えば、一緒にベッドを共にしたいかどうか?ほとんどの場合、NOでしょ。


    −セルアウトと思われるようなスポンサー契約を断ってきた

    俺はよくやってきたと思うよ。夜はよく寝て、俺たちは無傷の信頼性を保ってきたと思う。でも20年前とは違う状況にある。適応していかなきゃいけない。

    −広告主についてどう思うか

    広告宣伝で彼らの仕事をこなしている素晴らしい人がたくさんいると思うよ。彼らの情熱だし、人生における天職だよね。広告主を考慮したマニフェストみたいなものを持っているのかどうかは分からないけど。俺はこう思うんだ・・・。間違いなく、メタリカに関して言えば・・・音楽を作る時には、創造的なプロセスがあるわけだけど、それは本当に人間的要素だと思うんだ。創造的な何かをする時のように。そして誰かと共有したい人間的要素でエキサイトする何かをする時のように。金を欲しがる必要もない、目立とうとする必要もない・・・そこにあるのは基本的な、ほとんど子どもみたいなことなんだ・・・。子どもが絵を描く時、部屋にいる他の人に描いたものをただ見せたいと思うようなものだよ。だから創造的な人たちは創造的な努力を惜しまないし、ただ共有したいと思うし、それは広告主が入ってくるところとは全く違うレベルなんだ。「ブランド」とか「広告」とかそういう言葉をここ数日聞いて、週の残りも聞き続けるとなると、そういったものは一般的な言葉ではあるんだけど、間違いなくみんなに自分たちのものを届けたいと思うね。

    BLABBERMOUTH.NET(2015-06-25)

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    2014年9月6日「Warwick Open Day」で行われたロバート・トゥルージロとデイヴィッド・エレフソンとのインタビュー対談。前回の続きを管理人拙訳にてどうぞ。



    robert-trujillo-david-ellefson

    デイヴィッド・エレフソン(以下、DE)
    ひとつ聞きたいことがあるんだけど、キミがフラメンコギターを演奏するのをネット動画でみたんだ。キミのフラメンコギターの経歴はどういうものなの?



    ロバート・トゥルージロ(以下、RT
    フラメンコは俺が赤子の頃から聴いてきた最初の音楽じゃないかな。父親がフラメンコを弾いていたからね。趣味目的だったけど、いつも弾いていたよ。彼の弾くこの手の音楽を聴いてきたんだ。彼の指のテクニックも明らかにすごかったよ。指がね。だから俺がアコースティックギターを抱えると、すぐにああいうのを弾き始めちゃうんだ。ある時に気付いたんだけど、よりベースが突き動かされている音楽の方に俺は惹きつけられているんだ。


    DE
    あれがキミのベース・テクニックに生かされているのかな?


    RT
    そう、俺のベース・テクニックにね。でもある時、もっとリズミックな楽器なんだと気付いたんだ。ベースとかドラムというのは、本当に俺にピッタリなんだ。最初ドラマーになりたかったんだけど、住んでいたアパートではドラムキットも置くことも大きな音を鳴らすのもままならなかった。アンプが効かなくなった窪んだ形のベースギターを持っている父親の友だちがいてね、でも窪んでいたからこそ、俺はそれを弾くことができたんだ。一年くらいは弾いていたよ、スケールとかを学びながらね・・・そうして今の自分がいるんだ。


    DE
    (カメラの方を向いて)下の階だな、ヤツは「Holy Wars」を指で刻んでやがる。

    RT
    俺もやったよ!あれはこれまででお気に入りのリフのひとつだね。この男に会うたびにいつもこうさ。「あんなのどうやって書いたんだ?」


    DE
    「ほら、Holy Wars弾いてくれよ!」ってね(笑)でもピックをくれよ。俺にはピックが必要なんだ。

    RT
    俺も聞きたいことがある!

    DE
    どうぞ。

    RT
    昔は南カリフォルニアから出てきたリフにいつも惹きつけられてたんだ。ヘットフィールド、ムステイン、ケリー・キング、ジェフ・ハンネマンといった具合にね。イギリスのバーミンガムに似ていた。あそこから出てきたヘヴィリフには、ブラック・サバスやプリーストとかその他いろいろいた。あの当時、俺はあの場にいなかった。ロサンゼルスで暮らしていたし、俺はキミらより少しばかり若かった。俺は数年後に(南カリフォルニアに)やってきた。あれには衝撃を受けたよ。キミらがああいう魔法のようなヘヴィネスを創りだしていた頃、南カリフォルニアのストリートのあのエネルギーは何なんだ?って。出身地から来るスピリットなのか、ストリート文化と「コンクリート・ジャングル」のなかで育ってきた経験からなのか?


    DE
    俺がどう思うかっていうとね。1983年にミネソタからLAに引っ越してきた。メガデスのようなことが何か起きないかと希望を持ってね。ダメだったらB.I.T.(音楽大学ミュージシャンズ・インスティチュートのベース科)に入ろうとしていた。どんな親も子供が行こうとしている学校を知りたがるからね。

    RT
    俺も音楽学校に行っていたよ。

    DE
    ロスに着いて、俺はデイヴ(ムステイン)の下の階のアパートの一室に引っ越してきた。それでアイツの部屋のドアをノックして「俺たちとビールを飲まないか」ってね、伝えられているところによれば・・・。アイツと腰を下ろしたら、アイツはギターを弾き始めた。それは「Megadeath」という曲だった。それは3rdアルバムに「Set The World Afire」に形を変えて収録された。でもあのリフも『Ride The Lightning』の収録曲みたいなあの「スパイダーパターン」もこういった全ての曲はずっと前にアイツが書いたものなんだ。本当にクールだったよ。パンクとメタルを取り込んだ何かだと言えるからね。俺はこの年代のグループは、サバスとプリーストのレコードで育ったと思う。でもデッド・ケネディーズ、セックス・ピストルズのレコードも持っていた。あれはスラッシュメタルを生み出したエネルギーだった。デイヴは俺たちはLAのクラブでは二度とやらないって言っていたのを覚えているよ。ところが俺はヴァン・ヘイレンみたいなバンドやこういうLAのクラブでやっていた音楽しか聴いてこなかった。引っ越してきたら、アイツはこうさ。「俺たちはこの辺りのクラブじゃ二度とやらねぇ」アイツがウイスキー・ア・ゴー・ゴーでサクソンとやったばかりだったからじゃないかな、だから彼はこう言ったんだ。「俺たちはベイエリアに行くぞ」って。そうして俺たちはベイエリアに行って根を下ろしたんだ。実際、ケリー・キングは俺たちとやったことがある。彼がやってきて、最初の数回のショーを俺たちとやったんだ。スレイヤーは彼がやりたかったこととはちょっとどっちつかずの状態だったと思う。彼はそんなことがあってすぐ、キッズが彼に近寄って言ってたよ。「おいスレイヤーに何があったんだ?」それからケリーはエクソダスのトム・ハンティングを観て、音楽がどれだけ速くできるのかってのを目にしたんだ。すぐに誰が一番速いかの争いになったよ。

    そしてファンレターが来た。(カリフォルニア州)パロアルトで俺たちのファンクラブを運営しているブライアン・ルーがこの手紙をデイヴに送ってきたんだ。おおむねアイツにスピードアップしてくれと食ってかかる内容だった。あの手紙が俺たちの方向を変えたし、たぶんメガデスやスレイヤーが先陣切った方向性の手助けになったんだよ。でしょ?このエネルギーはより強くなったんだ。(LAの)サンセット・ストリップの全てのバンドが売れ出してたからね。モトリーがレコード会社とサインしたばっかりで、WASPもサインをしようとしていた。こういうバンドたちみんなが花道に向けた放たれたんだ。彼らは俺たちがやっていたようなものじゃなかった。俺たちはその背後にいた次の波だったんだ。一番キツかったのはああいうヤツらが売れ出して、MTVに出まくって、何百万ドルも儲けて、何百万枚もレコードを売ったってことだ。するとこうなる。「俺たちの番はいつだ?」とね。そして俺たちの番もついにやってきた。


    RT
    スイサイダル・テンデンシーズも似ているよ。ファンのおかげでロサンゼルスじゃ演奏できないってとこまできたからね。


    DE
    覚えているよ。あれは凶暴だったね。


    RT
    凶暴なファンだった。だからおおむねスイサイダルはカリフォルニア/サンフランシスコでやるだいたいのショーをベイエリアでやることになったんだ。


    DE
    あとテープ・トレードね。それと雑誌がソーシャルメディアが出来る前のソーシャルメディアだった。


    RT
    そうそう。クールだったし、とても有機的だった。あの手の情熱があると、俺が思うに、競争心も沸いてくるし、「Holy Wars」とか「Reign in Blood」みたいな曲を書こうとお互いに切磋琢磨するようになる。


    DE
    まさにその通り。俺たちの曲は、キミたちはどうか知らないけど、昔は俺たちメロディーを取っておいて、ある程度まできたら、いったん脇においておく。それから持ち出してきて、付け足して付け足して付け足してみる。切り取って、カットして、スライスしてまた足して・・・。そうこうしているうちに完全な曲になる。曲だけじゃなくてヴァースやコーラスやソロについてもそうだった。こういう入り組んだ過程を経ていたよ。


    RT
    それはまさにメタリカでやっていることだよ。インフェクシャス・グルーヴスのようなバンドとは真逆だね。「リフが出来たぞ」って俺たちが集まるのはザラで、本当にドラムからマジックを捉えようとしていたんだ。セカンドテイクをやりたかったんだ。わかる?リハーサル室に入って4日間、日に4時間籠って、一日4曲出来ていたよ。週末にはアルバムになる。次にこういった曲を聴く時には、スタジオでカセットになっている。


    DE
    ほとんど復習ジャムみたいなもんだね。

    RT
    その通り、復習ジャムだよ。それからレコーディングしていくんだ。俺たちにはブルックス・ワッカーマンっていう驚異的なドラマーがいたし、ジョッシュ・フリーズってドラマーもいた。彼ら16歳くらいだったキッズたちからエネルギーをもらったし、インパクトがあったよ。それがあのバンドのやり方さ。それからマイクが歌詞をつけていく。スイサイダルはもうちょっと曲やプロセス、リフを発展させていく。それからプロデューサーが加わってくるんだ。

    DE
    スイサイダルは初めて真のメタルギターを弾いていたバンドのひとつだったよ・・・暴力とともにね。

    RT
    「暴力とともに!」(笑)暴力を加えたら、スイサイダルになるよ。でも全てはムーブメントだったのさ。スケートボーダーたちとも繋がっていた。

    DE
    そういうシーンがあったよね。帽子のつばを上げて、ボードとかそういうもの全部。あれがシーンの一部になっていた。曲や音楽についてだけじゃない。全体がライフスタイルなんだ。

    RT
    ライフスタイルだね。つまり俺はディッキーズのショートパンツを今履いてるし、今でも野球帽を持っている。俺はただのでっかい子供なんだ。50歳になろうとしているけどね・・・。

    DE
    いつ50歳になるんだい?俺は11月になるよ。(訳注:対談は2014年)

    RT
    10月で50だよ。ハッピー・バースデー、俺たち!

    DE
    若くあろうとする老いたヘヴィメタルベーシストここにありだ。俺たちは若いからね。

    RT
    異議なし。

    DE
    以上、ロバート、デイヴィッド、BassGearの「Metal on Metal」でした。

    BassGearMagより

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    2014年9月6日にドイツで行われた「Warwick Open Day」にマス・メンタル(Mass Mental)として参加したロバート・トゥルージロ。同じイベントに参加していたメガデスのデイヴィッド・エレフソンとのインタビュー対談の模様がBassGearMagの「Metal on Metal」という企画でYouTubeでアップされていました。



    BassGearMagでインタビューの文字起こしもされていたので管理人拙訳にてご紹介します。

    davidellefson_roberttrujillo

    デイヴィッド・エレフソン(以下、DE)
    この「Warwick Bass Camp」でマス・メンタルをやったわけだけど、あれはどうやって集まったの?

    ロバート・トゥルージロ(以下、RT)
    そう。マス・メンタルは実際はファンキーで妥協知らずの集合体で、カメルーンの驚異的なベーシスト、アルマンド・サバルレッコと組んだバンドなんだ。彼とは1993年に(楽器製造メーカーの)ディーン・マークレイの宣伝の仕事で出会った。それでサンノゼに連れて行かれたんだ。行きの飛行機ではお互い知らなかったけど、帰りの飛行機では親友だったよ。その時、ケースに入ったビールを俺たちに持ってきてくれて、絆が生まれたのさ。その後すぐに、俺たちは曲を書き始めた。今日演った曲の多くは90年代に俺たちによって書かれたものなんだ。今回が俺たちの6回目のショーだよ。Warwickのプロデューサーから俺にこの素晴らしいイベントで演奏してくれないかと依頼がきたんだ。俺は「やるよ、でもアルマンドと、このプロジェクトのシンガー、ベンジーと一緒にやりたい」と言ったんだ。楽しかったよ。基本的に俺の友だちの多くは、何年も一緒に曲をレコーディングしたり、書いたりしてきた人たちなんだ。どんな機会でも彼らとまた一緒にやれるっていうのは素晴らしいことだよ。アルマンドと俺はサウンドトラックも手がけたし、マス・メンタルとして何回かやってきたことにはアニメの曲も含まれているんだ。俺がマス・メンタルに加入した時、実際に俺がやっていた・・・

    DE
    「加入」だって!?

    RT
    失礼!俺がメタリカに加入した時、やっていたことはマス・メンタルだったんだ。

    DE
    キミがメタリカを「組んで」、マス・メンタルに「加入した」ってわけかい?(笑)

    RT
    (笑)それで、俺はオジーとも仕事ができた。素晴らしいよ、カムバックできる何かがいつもあって、それを楽しめるんだから。そういう頃合いがきて、俺たちはやったわけだし。

    DE
    キミがスラップを弾いてるのをまた観れてクールだったよ、そうじゃないかい?だって最近のキミの仕事では、あれほどたくさんはやってないだろうからさ。

    RT
    そうだね。

    DE
    1993年の俺たちが写った写真を持っているよ。メタリカ、メガデス、スイサイダル・テンデンシーズが写ってた。キミと俺たちの仲間、ジミー・デグラッソ(訳注:1992年から1995年までスイサイダル、1998年から2002年までメガデスで活動)が一緒に演っていた。キミの姿で覚えているのはステージ中を動き回ってスラップしていたところだよ、そうだろ?あれをまた観れてクールだったよ。どうやったらあんなダイナミックにやれるんだい?

    RT
    クールだね、しばらくぶりだったよ。俺の昔のバンド、インフェクシャス・グルーヴスとして4、5ヶ月前にウイスキー・ア・ゴー・ゴーで演奏したんだ。あのスピリットに自分が繋がった感じだね。楽しいし、別物だった。別のヴァイヴがあったし、グルーヴも健在だった。キミたちもああいうグルーヴを持っているよね。スレイヤーもしかり、メタリカもしかり。

    DE
    いい機会だし、よかったよ。キミがあのなかで保っているものだね。

    RT
    ジェイムズ・ブラウンしかり、グルーヴが全てなんだ。グルーヴが何にでも機能するようになると、本当にアティテュードとかエッジになっていくんだ。

    DE
    インフェクシャス・グルーヴス、またやって楽しまなきゃね。あれが初めて出てきた時、俺たちメタル野郎はみんな耳を傾けたよ。あれは本当にエクストリームだったし、度を越えてたね。

    RT
    あぁ楽しかった。本当に実験的だった。スイサイダル・テンデンシーズに加入した時、マイクと俺はベースを中心に展開する曲を書き始めたんだ。何が起こるかわからなかったけど、俺たちは本当に作られるはずのなかったアルバムを作った。エピック・レコードがマイク・ミューアのソロアルバムを出したのはクールだったね。当時としては大金じゃない7万5000ドルでアルバムを作ったんだ。アルバムは普通・・・

    DE
    何十万ドルとかかるよね・・・

    RT
    そう、大金だ。俺たちは何とかオジー・オズボーンにも参加してもらった。

    DE
    オジーとのギグで得たものって何かな?

    RT
    助けになってくれたと思うよ。「Therapy」って曲があるんだけど、オジーは気に入っていたね。



    DE
    ベーシストへの注意書き「他のミュージシャンとつるめ」

    RT
    あぁその通り。俺たちはオジーと同じデボンシャー(Devonshire)っていうスタジオでレコーディングしていたんだ。本当に素晴らしいスタジオでね。オジーがそこでレコーディングしたし、もう俺たちと一緒に演ることのできない素晴らしきベーシスト、ジャコ・パストリアスもウェザー・リポートと一緒にそこでレコーディングしたんだ。俺はアース・ウィンド&ファイアーの大ファンなんだけど、彼らもそこでレコーディングした。だからこの誉れ高き要素に入れたのは最高だったよ。

    DE
    どこで魔法が起きたんだ・・・

    RT
    それにオジーは俺たちがインフェクシャスとしてレコーディングしていたのと同時期にそこにいたんだ。あれはオジーがどうかしてた時だった。ひとつ事件を覚えているよ。当時のオジーのバンドのベーシストだったマイク・アイネズが彼女を連れてきていたんだ。彼女に良い印象を与えたかったんじゃないかな。それで彼女をデボンシャーのスタジオのなかに連れてきた。オジーは正気じゃなかった。オジーは最初に彼女にタックルをかましたのさ。彼女はカウボーイブーツを履いていたんだけど、そのブーツの上から下まで実際にかぶりついたんだ。彼女のくるぶしまでね。俺はそれを目撃した。

    DE
    そりゃあヘビに噛まれるより最悪だな。それでキミもカウボーイ・ブーツを履いてるのかな。

    RT
    その通り。俺は叫び声を聞いた。出入り口に脚が2つ伸びてて、カウボーイ・ブーツを履いてた。床にオジーの背中が見えて、次にわかったことは彼らは駐車場にいたってことだ。オジーじゃなくマイクと彼のガールフレンドがね。どうにかしようとしていたんだろうね・・・。

    DE
    こちらが彼の新しいボスねってことだろ?仕事の時は奥さんに家にいてもらうことだな。

    RT
    オジーはあの頃、いろんな人に噛み付いてたんだ。

    (続く)

    BassGearMagより

    恐るべしオジー・・・。続きはまた後日。

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    2015年6月22日、メタリカがiTunesで専用のマスタリングを行った「Mastered For iTunes」を新たにリリースしました。各アルバムの単品版の他、下記19タイトル全部盛りの「The Metallica Collection」も配信されています。

    banner
    Kill 'Em All
    Ride The Lightning
    Master Of Puppets
    ...And Justice For All
    Metallica
    Load
    Reload
    Garage Inc. (Disc 1)
    Garage Inc. (Disc 2)
    S&M (Disc 1)
    S&M (Disc 2)
    I Dissapear (from M:I-2 Soundtrack)
    St.Anger
    Some Kind of Monster (Soundtrack)
    Death Magnetic
    Beyond Magnetic
    Live Shit: Binge & Purge
    Metallica Through The Never (Soundtrack)
    Lords of Summer (First Pass Version)

    音源はBlackened Recordingsが所有するオリジナル・マスター音源からマスタリングされたとのことで、今後のCDリマスター盤への布石になるのかもしれません。

    管理人はPC絶不調につき、まだ未購入ですが(この記事もPCを保冷剤で冷やしながら書いてます(苦笑))、'Tallica Japanでもお世話になっているcowboybluesさんから気になっていた2点についてレポートをしてくださいました。

    ひとつは『Death Magnetic』の音割れ問題。CDでは音量レベルを上げた影響か特に高音域で音割れが発生していましたが、今回の音源では音量的には少し小さくなったもののCDより聴きやすくなっているとのこと。

    もうひとつは『...And Justice For All』のジェイソンのベースが聴こえない問題。こちらは今までと同じようにほとんど聴こえないとのこと。さすがにリミックスを行わない限り、これは変わらないでしょう。

    価格帯もこれまでより安くなっているとのことなので、まだお求めになっていない方はぜひ。


    このアップルとメタリカの蜜月ぶりをラーズ・ウルリッヒがフランスのカンヌで行われているカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルで語っていますので、そちらも合わせて紹介しておきます。管理人拙訳にて。

    Lars_Canne

    −フランス・カンヌから−

    アップルはポップシンガーのテイラー・スウィフトには足蹴にされたかもしれないが、ヘヴィメタルの巨人、メタリカからはハグだけだった。

    今日、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルでのインタビューでメタリカのドラマー、ラーズ・ウルリッヒは彼とバンドメイトたちは、「Apple Music」とよばれるアップルの新しいストリーミングサービスの立ち上げに興奮していると語った。

    ウルリッヒは、先行のストリーミングサービスであるSpotifyとの関係にバンドはとても満足していると語る。そして、Spotifyはティム・クック、エディー・キューといったアップル社幹部だけでなく、今や「Apple Music」を任されている音楽界の大御所、ジミー・アイオヴィンとも長きに渡る関係を築いてきたことにも言及した。

    「エキサイティングなことになるだろうね。」ウルリッヒは語る。「俺たちは彼らから俺たちがやったことをみんなに届けるアクセス権を与えてもらった。俺は彼らと一緒で安心だよ。」

    アップルの駆け出しの音楽ストリーミングサービスは、3ヶ月の無料試用期間中にアーティストへ報酬を支払おうとしなかったアップルに対して怒ったスウィフトのタイムリーな抗議によって今週不評を被った。アップルは抗議に屈服し、数時間後にプランを反転させ(無料試用期間中の支払いを行うことにし)た。

    しかしウルリッヒはメタリカがSpotifyのような無料ストリーミングサービスで快適だと述べている。これらの企業は、広告で支援されている無料のサービスはより収益性の高い月額サービスに向けての最初の一歩としてストリーミングサービスを世の人々に導入させるのに一役買っていると主張している。

    メタリカの場合、ウルリッヒは、バンドがより多くの人にその音楽を聴いてもらえるひとつの機会となって欲しいと語った。

    「それは最終的には世の中で音楽をどう取得していくかについてのことなんだ。」彼はそう語っている。

    VentureBeat(2015-06-22)

    新譜の話はなかなか聞こえてきませんが、今年は『Kill 'Em All』『Ride The Lightning』のリマスター盤を出し、『No Life 'Til Leather』のCD盤も今夏に出すとのことなので、自前レーベルBlackened Recordingsの仕事が何かと増えそうです。

    ちなみにアップルとテイラー・スウィフトの一件の詳細はこちらからどうぞ。
    http://www.gizmodo.jp/2015/06/apple_music3.html

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