メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:Metallica

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    Metal Forcesによるラーズ・ウルリッヒのロングインタビュー。ここ最近話題になったラーズ発言が詰まったインタビューですが、あまりに長いので途中端折りながら何回かに分けてご紹介したいと思います。管理人拙訳にて。

    metallica-2016

    −『Kill 'Em All』『Ride The Lightning』のリマスターについて

    20年計画とかそういったものの一部とは言わないけど、間違いなくいつかは出るかもしれないってことはわかってた。メタリカでは、そのうちやりたいっていうたくさんの大局的なアイデアがある。でも、そのなかには時間がなかったり、あまりに望みが高かったりで脇に追いやられているものもある。この数年間、このアイデアはあるにはあったんだけど、今がその時だったんだ。

    知っての通り、マット・テイラーという名前の数年前に映画『ジョーズ』の素晴らしい本(『Jaws: Memories From Martha’s Vineyard』)を出した男によって、9月には『Master Of Puppets』の本(『Metallica: Back To The Front』)が出る。俺たちが数年前に彼のプロジェクトに賛同して、『Master Of Puppets』のリイシューを本と同時に出せたらかなりクールじゃないかって思ってたから、彼はおそらく俺たちに対して計画を進めることにちょっと責任を感じていたんじゃないかな。でもこういったリイシューと同時に新譜を制作するっていうのはちょっと変な感じだよ。二歩進んで二歩戻るような奇妙な矛盾があるからね。

    特に初期のレコードで一番難しいところっていうのは、俺たちの過去の大部分はたくさんの異なるレコードレーベルにあるってことさ。ジョニーZと「Megaforce Records」、「Roadrunner」、「Music For Nations」、そしてその後の『Ride The Lightning』だと「Elektra」と日本の「CBS」といった具合だ。たくさんのレーベル、たくさんの関係者がいて、俺たちは『Kill 'Em All』がそうだったみたいに姿をくらましていたマスターテープを探したんだ。俺たちはボブ・ファイファーって男を雇った。彼はこの最良の2年、俺たちのために働いてくれている。彼の仕事は世界中の保管庫の中からこういった音源を取り戻しに行くことだ。そんな保管施設では、結局間違ったボックスに当たることがたくさんあって、他のバンドの名前が書いてあるボックスから見つけたこともあった。イライラしたし難しい過程だったけど、間違いなく後のレコードになるほど、俺たちはそういうものがどこにあるかをより掌握している。自分たちのレコード会社とかでもっと簡潔になっているからね。

    最初期の音源にたくさん触れるのは確かに楽しかった。でも俺がさっき言ったように、1年半前に新譜の曲を書きレコーディングをし始めた時にこういったことを始めたもんだからちょっと奇妙な感じだったね。また一からやり直そうとするってのと先に進んで曲を書くってのと奇妙なパラドックスがあったけど、また腰を据えて1983年に自分たちがやったこと、(訳注:『Kill 'Em All』のレコーディングが行われたニューヨークの)ロチェスターで「No Remorse」をレコーディングした日に朝食で何を食べたかなんてことを理解しようとしていた。そんなわけで過去と未来のあいだの奇妙なエネルギーがあったね。

    こんな努力と旅路のなかで、途方にくれたり、ちょっと困惑したり、困難な場面がしばしばあった。全ての音源を集めようとしてきた。これは一回限りかもしれないと感じながらね。知っての通り、メタリカは深く深く深く入り込む傾向がある。俺たちはたくさんあるこの類のことでは、詳細にいたるまでやって止めるのさ。俺たちはできる限りボックスセットに収録したかったから、みつけられないこととか、簡単じゃないことを手離すというのもちょっとつらかったよ。

    でも後のレコードになるほど、俺たちはたくさんのアウトテイクを収録できる。『Kill 'Em All』収録の「Seek And Destroy」なんて4テイク目だからね。もしそこで3テイク目とか5テイク目を収録出来たらすごいだろ?でも俺たちはマスターテープを持っていないんだ。俺たちは先に踏み込むほど、とりわけ『...And Justice For All』とブラックアルバム、『Load』『Reload』となると、俺たちには貯蔵庫がある。でも俺たちはどこで線を引けばいいんだ?違うもの、違うテイク、違うギターソロ、みんなが渇望しているそういうもの全てを見つけ出すのは本当に楽しい。(1972年にオリジナル盤が出されたディープ・パープルの)『Made In Japan』のリイシューみたいにね。リッチー・ブラックモアの違ったギターソロが入っている2日目の大阪公演での「Child In Time」を聴けるんだ。我を失い、よだれが出るほど欲しいってもんだろ?だから俺たちは他のレコードで(リマスターを)やる時は、もっとそういうものが収録できるだろうね。


    −ボックスセットに収録した写真について

    自分たちのものはたくさん持っているよ。でもブックレットで一番イライラしたのは、俺たち全員、特に俺が持ってるのに、たくさんのクールな写真も含まれているんだけど、一体誰が撮った写真なんだ?ってことだ。著作権とかそういう全体的な状況に踏み入れると、妥協した状況でブックレットに収録するっていう考えは持っていなかったし、収録したいとも思わなかった。誰かに支払いをせずにごまかすようなことはしたくなかったんだ。俺はメタリカとタンク(訳注:イギリスのヘヴィメタル・バンド)がどこかでつるんでいる写真を30枚は持っているんだけど、誰が写真を撮ったのかわからなかった。だから俺たちはブックレットには入れたくなかった。あれにはガックリきたし、嫌な気分だったね。

    収録されたものは俺たちのものやコレクションだけど、知っての通り、インターネットを通じてもし共有したいものがあったら送ってほしいとファンに伝えて探りを入れたんだ。ファンや友だちの何人かからすごいクールなものをもらえたよ。


    −収録されたエッセイにメンバー自身が書いたものがないが?

    いい質問だね(笑)。えーっと、誰も俺たちに訊かなかったよ・・・いい質問だ。文字通り、その話題を持ち出したのは今回が初めてだよ。マーク・ライターとかスパイダー・ダンとか俺たちのクリエイティヴ・パートナーたちは、こういう類のことはみんなメタリカのメンバーが長々と話しているのを聞いていて、ラーズに1983年に起きたことについてもう一度話してもらうなんてことは一番させたくなかったんだと思うよ。正直なところ、それは二度とないけどね。少なくとも俺のメールボックスにはそんな依頼はなかったよ。何か書きたいかなんて頼まれもしなかったんだぜ!?

    −リイシューと言えば『No Life 'Til Leather』のCDやレコード盤や限定デラックスボックスセットを2015年夏にリリースする予定だったのでは?

    えーっと、いい質問だ。それが当初の計画だったんだ。でもそれから・・・一番丁寧に言うにはどうしたらいいかな?(少し沈黙してから)俺たちはいつも自分たちの楽観的なやり方で進み続けているし、自分たち自身が楽観的に飛び込もうとしている企てのマイナスに働く可能性や、法的な障害の可能性があるかもしれないなんてこともあまり考えないようにしてきた。でも『No Life 'Til Leather』のボックスセットや一連のリイシューを始める俺たちの目論見を妨げる法的な予期せぬ困難が待ち受けていた。そんなことでいくらか時間を費やしてしまったんだけど、その後ジェイムズと俺はこんな不愉快なことで泥沼にハマり込む価値なんかないと判断したんだ。(レコードストアデイの)祝祭になるべきであって、こんな綱引きになるはずじゃなかったからね。だから俺たちはこう考えた、何だってんだ、クソくらえ、『Kill 'Em All』(のリイシュー)を先に進めようってね。問題はもう少し複雑なんだ。深入りするような理由なんてない。ただ俺たちが予期していなかったことだったってだけさ。知っての通り、俺はいつだってコップに半分「も」入ってるって思う永遠の楽観主義者だ。だからいつになることやらだね。関係者たちのなかには、これが本当なのか見極めようとしばらく時間をおいて今戻ったばかりのもいる。だから俺たちは確かめなくちゃならないんだ。俺たちのファンや気にしてるみんなと1年か2年後に『No Life 'Til Leather』をシェアできたら素晴らしいよ。俺たちはあれについて門戸を閉ざしたわけじゃない。


    −過去のアルバムに向き合った時に再レコーディングという選択肢は検討されなかったのか?

    いいや、それは話にも挙がらなかった。創造的なプロセスには3つの異なる段階がある。レコーディング、ミキシング、そしてマスタリングだ。マスタリングは技術的、音楽的見地からもっとも絶え間なく向上しているものだ。だからみんなが自分たちのレコードをリマスターする。リミキシングは時々やっている人がいる。ZZトップは自分たちの全レコードをリミックスしたし、他のバンドで自分の作品に新たなリミックスを加えているのもいる。でも俺たちはやってこなかった。もちろん「『...And Justice For All』をリミックスしろよ」とか言う人がいつもいるけど、確かにそれは俺たちは真剣に考えてこなかった。でも再レコーディング、あれは飛び込んじゃいけない飛行禁止区域だと思っているよ。

    Metal Forces(2016-06)

    本日はこれにて・・・

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    ドイツを代表するバンド、スコーピオンズについて書かれたバイオ本『German Metal Machine: Scorpions in the '70s』に、スコーピオンズを敬愛するカーク・ハメットが序文を寄せています。この序文でカークは、レコード店でスコーピオンズと出会い、どうハマっていったのかエピソードを綴っていました。Amazon.comのプレビューで序文を全文読むことができたので管理人拙訳にてご紹介。

    かつてバークレーには「Rather Ripped Records」と呼ばれるレコード店があった。その小さなレコード店には輸入盤の棚があった。1978年に俺はそこでUFOをみつけ、イギリスやヨーロッパから出てきたおびただしい数のハードロックバンドをみつけた。「Rather Ripped Records」でカウンターの奥にいたヤツにUFOみたいなのを他に持っていないか訊いたのを覚えているよ。UFOは俺のお気に入りのバンドだからね・・・。UFOとかジューダス・プリーストみたいなヤツね。

    すると彼は2つのアルバムをかけた。そのうちのひとつがモーターヘッドの『Overkill』で、もうひとつがスコーピオンズの『Tokyo Tapes』だったんだ。彼が『Overkill』をかけると、俺はそのスピードとヘヴィネスとパンチ力、エネルギーと攻撃性にぶっ飛ばされた。俺は「すげぇ!これを買うよ!」ってなった。それから「スコーピオンズを聴こう」と言ったんだ。アルバムをつかむと、俺がそれまで観てきたツェッペリン、エアロスミス、ヴァン・ヘイレン、キッスみたいなものに比べて、アルバムジャケットが全然違ってエキゾチックだったもんだからまたぶっ飛びさ。

    そうして彼がそのレコードをかけると、神に誓って言うけど、音質や音声はあまり良くなかったんで俺はパスした。でもあのイメージと名前は俺の頭に焼き付けられた。しばらくして、マイケル・シェンカーがUFOを去ったって話が俺たちヘヴィメタルキッズのグループにも知れ渡った。それから数か月後に彼がスコーピオンズに加入したという話が耳に入った。スコーピオンズのポスターを見て確かめると、ウリ・ジョン・ロートがいない。それから『Lovedrive』が出た。俺はマイケル・シェンカーが俺のお気に入りのギタリストだってことがわかって、ただその信頼性だけでそれを買ったんだ。ルドルフ・シェンカーがあのバンドにいて、新しいマティアス・ヤプスという名前の男がいた。俺はこいつはクソやべぇぞって思ったよ。アルバムには「マイケル・シェンカーが「Lovedrive」「Coast to Coast」やその他の曲で演奏している」と小さく宣伝文句が書いてあったんだ。

    完全に大好きになった『Lovedrive』の後、俺は(さかのぼって)『Virgin Killer』とかを買っていった。1曲目の「Pictured Life」には完全にぶっ飛んだ。でもそれから(2曲目の)「Catch Your Train」でエッジが間延びした。俺はまぁまぁな曲だと思っていた。でもギターソロに差し掛かると・・・何だこれは!初めてマイケル・シェンカー、エディー・ヴァン・ヘイレン、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、エリック・クラプトンといった人たちを初めて聴いた時と同じようにギターソロに打ち抜かれたんだ。ギターの演奏にやられたよ。アルバムの残りの部分も楽曲、リフ、素晴らしいリードギターの演奏とかそういったもの全てに信じられないほどぶっ飛んだ。そしてバンドの見た目にもね。

    そこから「The Sails Of Charon」収録の『Taken by Force』を買った。まさにこれだ。「The Sails Of Charon」は俺のお気に入りの曲であり、お気に入りのウリのソロなんだ。俺自身にとって現代音楽のクライマックスだよ。それから『In Trance』『Lonesome Crow』『Fly to the Rainbow』を手に入れた。その時点から俺はスコーピオンズ、そしてウリ・ジョン・ロートの大ファンになった。スコーピオンズの、とりわけウリ・ジョン・ロートの情報を見つけられる限り探したね。でもほとんど情報がなくてね。本当に情報を見つけるのは大変だった。彼のソロアルバムが出るまでは。

    でもスコーピオンズについて俺が持っている情報は全部、アルバムカバー、中ジャケ、ライナーノーツから勉強したものを拾い集めて、全てまとめようと腐心したものだ。そしてまさにここに書かれたことが、スコーピオンズに対する俺の第一印象だったんだ。

    カーク・ハメット
    2015年10月

    Amazon.comより

    ネットがない時代の情報探しの苦労が伝わる話です。ちなみにスコーピオンズの「The Sails Of Charon」はカークがライヴでアンコール焦らしなどでちょこっと弾くことがありました。

    Scorpions - Sails Of Charon


    カークが序文を寄せたスコーピオンズの本は英語版になりますが、Kindleで購入可能です。
    german_metal_machine
    German Metal Machine: Scorpions in the '70s


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    2016年5月25日に公開されたMetClub会報誌「So What!」の電子版で、ロバート・トゥルージロが新譜やバンドメンバーとのエピソードについて語っています。管理人拙訳にて抜粋してご紹介。

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    −言うまでもなく、スタジオで仕事が行われているわけだけど、何かここでちょっとだけプレビューしてもらってもいいかい?

    うんうん。HQ(訳注:新譜制作を行っているサンフランシスコのスタジオ、Metallica HQ)はまさに今、大忙しのメタリカ・ニューアルバム・マシーンだよ。今言えるのは、ジェイムズと俺が先週バッキング・ボーカルをやって楽しく過ごしたってことだね。たぶんこのアルバム制作サイクルの間でも一番楽しかったんじゃないかな。あれを仕事と呼んでいいのかなってくらい。あのコーラスを吐き出すことが出来たのは超楽しかった。彼は顔に大きな笑みを浮かべていたし、自分もそうだった。あんなレベルでやることなんてこれまで考えもしなかったから、あれはいつまででも覚えているだろうね。つまり、ここでいくつかのことをやったけど、彼と一緒にボーカル・ブースにいるっていうのは俺にとっては初めてのことだったんだ。かなりクールだったね。最高だよ。ベースサウンドは圧倒的だ。確実にこのバンドと俺がやってきたなかでベストなベースサウンドだと言えるよ。すでに俺にとってそのことはプラスだね。(プロデューサーを務める)グレッグ(・フィデルマン)が俺の楽器のサウンドでやってくれたことに俺は誇りに思うし、俺がやった演奏にも誇りを持っているよ。俺たちは楽しんでいる。

    (中略)

    −難解な質問をしてみるよ。ボクはラーズとジェイムズがいつも彼らの人生のためにバンドの状況を確定させているということに魅了されているんだ。彼らにとってそれは、違うエネルギーを持つためのほぼ不可欠なことになっていると思う?ハッキリさせておきたいんだけど、キミほどハードな労働倫理をもっている人は見たことないと思っているよ。特にこのバンドに関して、リハーサルに関して言えば、同じ曲を何時間もずっとやってるからね。だからこれは労働倫理についてのコメントじゃなくて、取り組み方についてのコメントとして回答して欲しいんだ。キミは(ヒッピーのようにならずとも)渓谷で見たかもしれない波とか鳥に真の美しさと重大さを見出すような人でしょう?彼らはバンドでのキミのエネルギーの「流れ」を持つことになって、ラッキーだと思うんじゃないかと。

    俺もそう思う。ジェイムズにとってそれは重要なことだ。俺のやり方のままでいること、いわば俺が幸せだってことを彼は理解しようとして敬意を払ってくれていると思う。メタリカのロバート・トゥルージロがミュージシャンとしてやっていることに幸せを感じているか、メタリカでミュージシャンとしてやっていることに幸せを感じているかということが彼にとって重要なんだと思う。でも彼は俺の音楽的)出自や俺がやってきたことに対しても敬意を払っている。彼はインフェクシャス・グルーヴスの音楽が好きなんだ。あのバンドでの俺のスタイルを気に入っている。とりわけインフェクシャス・グルーヴスでのスタイルがメタリカになくちゃならないスタイルとまでは言わないけどね。それは違う。そういうことじゃなくて、ラーズもそうなんだけど、彼はスイサイダルとかインフェクシャスについて良いものを称賛することに興味があるんだ。ひょっとしたら彼のお気に入りTOP10アルバムにスイサイダル・テンデンシーズの『The Art of Rebellion』が入ってるかもしれない。彼が俺をあのアルバムに引き戻してくれたんだ。俺はあのレコードについては忘れてしまっていてね。彼があのレコードの収録曲の1つについて話していたんだけど、俺は何について話しているかわからなかったんだ。あまりに前のことだからさ。それから彼はケント(HQのエンジニア)にスタジオのPAシステムで(その曲を)かけてもらったんだ。それから俺が聴いたらこうさ。「あぁクソッ、こりゃいいなぁ」突如、俺に記憶が甦ってきた。可笑しかったのは、1時間後にスタジオから家路まで運転していて、あの曲は俺が書いたんだと気付いたんだ。実際に自分が書いた曲だってことを認識できていなかったんだよ。

    −それは何て曲?

    「Accept My Sacrifice」。(元々は)ラーズが俺をあの曲に引き戻したんだ!

    (後略)

    Metallica.com(2016-05-25)

    ちなみにエピソードで出てきた「Accept My Sacrifice」はこちら。

    Suicidal Tendencies - Accept My Sacrifice



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    こちらで取り上げるのが遅くなりましたが、まずはMetallica.comのコメントと写真を管理人拙訳にて。

    最初のクリエイティブ・キャンペーンのキックオフとして、新任クリエイティブ・ディレクターであり、ユーバー・クールスタイルのスターであるジャスティン・オシェイの指揮の元、イタリアの高級紳士服ブランド、ブリオーニの顔として招待されたことに俺たちは興奮している。

    先月、サンフランシスコの写真家、ザックリー・マイケルによって、クイーンの「Bohemian Rhapsody」に触発された白黒写真を撮ってもらった。俺たちはブリオーニの特注スーツとタキシード、そして彼らの新しいアイウェアコレクションからサングラスをここぞと見せつけている。以下の写真をチェックしてくれ。

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    Metallica.com(2016-06-29)

    映画『007』シリーズでピアース・ブロスナンが演じていたジェームス・ボンドがブリオーニのスーツを着ていましたが、まさかメタリカとコラボするとは驚きです。先日のジャスティン・オシェイによるラーズ・ウルリッヒへのインタビューからこのコラボにつながったのでしょう(関連記事参照)。

    メタリカとタキシードと言えば、『Garage Inc.』のおふざけタキシード写真を思い出してしまいますが、今回のも少々おふざけ気味です。
    garageinc_tuxedos

    ちなみにラーズがかぶっている野球帽は、ブリオーニとは全く関係なく、シンバルのメーカーとして知られるジルジャン(Zildjian)のものです。
    zildjian_cap
    https://zildjian.com/gear/black-black-stretch-fit-cap


    【追記】
    メイキング映像が公開されました。


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    ラーズ・ウルリッヒ「今度のアルバムは前よりも多様なものになる」

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    先日、メタリカの3rdアルバム『Master Of Puppets』がアメリカ議会図書館による国家保存重要録音作品に選ばれたことをお伝えしました。これを受けて、ラーズ・ウルリッヒがアメリカ議会図書館によるインタビューで『Master Of Puppets』のことを語っていたので管理人拙訳にてご紹介。

    larsulrich2016

    −アルバム『Master Of Puppets』を制作するにあたって、その前に出していた『Ride The Lightning』とは違ったものにしたいという具体的な何かはありましたか?

    俺が思うに、それらのレコードとあの頃を振り返ってみると、全てがとても本能的だったね。俺たちは本能に従い続けた。とても若くして始められたのは幸運だったと思う。最初のレコードを制作したのが俺が19歳の時で、2ndは20歳の時だからね。そして21歳の時に『Master Of Puppets』を制作したわけだ。とても衝動的だった。考えすぎたり、知的に見せようとしたりしようとは思わなかった。

    1stアルバム『Kill 'Em All』との最大の違いは何かと考えると、『Master Of Puppets』を制作した時は、俺たちにはとても才能に恵まれた2人の作曲家であり演奏家(訳注:カーク・ハメット、クリフ・バートン)がバンドに加わっていたということだ。彼らは俺たちに異なる(音楽の)教育的背景や視点をもたらしてくれた。それは俺たちの幅を大きく広げた。言ってみれば、創造的な網をさらに広く投げられるようになったんだ。ちょっと違う視点で全てを見て、さらに実験的なことを試すことができた。

    『Master Of Puppets』で推進していたダイナミクスとバランスをそれ以前のレコードですでに見出していたんだ。思うに、『Master Of Puppets』で、これまでと異なるメロディーをやったり、アコースティックを試したり、バラードさえも挑戦したりするのに十分なほど俺たちは心地よく感じられたんだよ。はるかに広い幅を受け入れられたんだと思う。それがあのアルバムが俺たちに与えてくれたものなんだ。


    −それまでリリースされてきたアルバムよりもこのアルバムには費やす時間があったんでしょうか?

    もう少し時間はあったかな。『Master Of Puppets』は俺たちが大きな大きなレーベルの支援で作った初めてのアルバムだった。でも俺たちはメチャクチャ独立心を持って自主性を持ったままだった。マネージャーたちはレコード会社にスタジオや作曲に関与しないようにしてくれた。

    実際、俺たちがエレクトラを最初の場所として選んだのは、その素晴らしい自治権のためだったのさ。1980年代半ばという時代には、レコード会社がメチャクチャ保護的で口を挟んでくるものだった。俺たちはそんなことは望んでいなかったんだ。

    そんなわけで、もちろんメジャーレーベルは俺たちにスタジオにいる時間を追加することを許してくれた。これが1985年の夏のことで、サンフランシスコのイースト・ベイのエリアにいたんだけど、俺たちはLAでレコーディングすることに興味を持っていたんだ。そこでエンジニアのフレミング・ラスムッセンを招待してLAに行ってスタジオを見て廻った。

    でも当時、俺たちは感じたんだ・・・つまりその・・・LAはまだ音楽に関しては、工場の組立ラインみたいな考え方を持っていたってことをね。それに俺たちはLAでは、活動の中心にするには近すぎると感じていた。

    それと気づいたんだ。(レーベルから)与えられた同じだけの金なら、LA以外のスタジオでもっと時間をかけられるとね。今時じゃ音楽でそんなことはあまり聴いたことないかもしれないけど、俺たちは為替レートの恩恵を受けたのさ!(笑)


    −そうですね。あなた方はデンマークでレコーディングしたんですよね?

    そう。アメリカとヨーロッパの間の為替レートはアルバム制作のためのスタジオでより多くの時間をかけることを可能にした。だから『Ride The Lightning』みたいに6週間でレコーディングをする代わりに、3か月か3か月半ほどのスタジオの時間を得ることができた。できたものやレコードのダイナミクスを探求する時間と自由とチャンスが与えられたんだ。


    −これは純粋に訊いてみたい質問なんですが、バンドとしてどうやってスタジオにやってきたのですか?すでに曲を書き上げておくのか、それともスタジオで創り出す方がいいですか?

    一般的には前者だろうね。もちろん、俺たちはこれまで35年間レコードを制作してきたわけだから、どっちも避けたりやってきたりしてきた。だいたいは曲を書いて、それからスタジオに入ってレコーディングしていた。他にもっといい言葉がないけど、そういうことをスタジオのなかで実行していた。でも時には、曲を書くのに時間がかかって、楽曲を知ろうと時間を使ったりもする。例えば『Master Of Puppets』の場合、7曲を仕上げて、それからもう1曲必要になった。そこで「The Thing That Should Not Be」を完成させたんだ。主にスタジオでね。

    あの頃は、「余ってる」曲なんて俺たちにはなかった。「12曲あるから、レコードのためにベストな8曲を選ぼう」なんてことにはならなかった。俺たちは(当時あるだけの)8曲をレコーディングした。不遜な考え方があったんだと思う(笑)。俺たちは「淘汰」のプロセスを、曲の生まれるサイクルのもっと前でやっていたから、もし充分な価値がないとなれば、それはやらなかったんだよ。具体的には、『Master Of Puppets』で7つの完成した曲と「Thing That Should Not Be」を俺が言ったみたいに、スタジオで仕上げたようなことさ。


    −メタリカは素晴らしいコンサートで知られています。レコーディングを行う際に「このサウンドをライヴのようにするにはどうするか?」と考えたことはありますか?

    時々はやってみるよ。いざやってみると、普通はダメになっちゃうけどね!それらは2つの違った要素だし、2つの違ったプロセスなんだ。(スタジオでの)俺たちの目標はいつもベストなレコードを作るということだ。当時は特にそうだった。今よりもずっとそうだったかもしれない。

    当時の『Master Of Puppets』で、俺たちはオーバーダビングをする機会を得て、スタジオでその全てができることに夢中になっていたんだ。俺たちにとって全てが新しかった。テクノロジーやスタジオで設定された全てが、とても好奇心をかきたてるものだったんだよ・・・スタジオでは絶えず新しいことが起きていた。それはあれからロックのレコードのお決まりのやり口になった。どう聴こえるのか、どういうプロダクションにするのか、楽器ごとに鮮明に音が分かれているかとかね・・・

    知っての通り、イデオロギーは変わり、こういうことは弧を描いていく。今じゃそういうことは全て「ガレージバンド」がやってるし、全体のパズルのなかの小さな1ピースにすぎない。でも当時は、進化が起きていると感じて、みんながとても真剣にそれを受け取ったんだ。

    今取り組んでいるレコードは、よりムードを捉えて、過剰に弄らず生身のサウンドにしようとしている。でも、(当時は)違った雰囲気だったし、心地よく感じていたよ。俺たちは多重録音といろんな装置に興奮していたんだ。


    −フレミング・ラスムッセンとアルバムをプロデュースしたことで、彼はアルバム制作の過程で何をもたらしましたか?

    まず第一に彼は信じられないほど素晴らしい耳を持っていた。彼は時間、チューニング、音のタイトさ、そういったもの全てのためにもたらされたような、当時の俺たちにとって前例のないほどの耳をしていたんだ。俺たちの身近な誰かでそこまで細部を聴き分けるような耳を持ったヤツなんていなかったよ!

    ルーズさと楽しさと励ましだけじゃなく、細目や結果に対しての厳格さという素晴らしいバランスを俺たちにもたらしてくれたんだ。彼は俺たちがやりたいようにやらせ、プレイさせたけど、可能な限り最も強いレベルで物事を成し遂げるために俺たちを押し上げてもくれた。

    プロデューサーとスタジオで起きる最大級の素晴らしいことは、信頼を持つということだ。信頼がなくちゃならない。信頼が築かれた時、アーティストとして気兼ねなくいられる。安心してその種のことを実行することができるし、心配する必要がなくなるんだ。俺たちはフレミングと一緒なら安心だとわかっていたよ。


    −あなた方はまだ『Master Of Puppets』の全ての楽曲をライヴでやっていますか?

    ライヴで全ての曲をやってきているよ。「Battery」は何年もオープニング曲だったし、いまだにオープニングに落ち着く時もある。頻繁にやってるね。「Master Of Puppets」は俺たちがいつもやってる4曲か5曲のうちのひとつだ。「That Thing That Should Not Be」はやるのを楽しんでいる。あれはムードを変える良い曲だね。スローテンポだから。「Sanitarium」は俺たちの素晴らしいバラードのひとつ。ドラムからしても演奏するのにお気に入りの1曲なんだ。あの曲には自由なところがたくさんあって、毎回違ったように叩いている。「Disposable Heroes」は素晴らしい。かなり激しい7分か8分の曲で・・・いつでも動けるようにしとかないと、(曲の)次に来る変化でミスしちゃうんだ。「Leper Messiah」は頻繁にはやってない。「Orion」は俺たちのお気に入りのインスト曲であり、ファンも気に入ってくれている。「Damage, Inc.」は時々はやるけど頻繁ではないかな。

    本当に全8曲が俺たちのショーの一部になっている。12年、13年前に俺たちはセットリストを変えようとして、いろいろ混ぜてみたんだ。でも「Damage, Inc.」を時々入れてみたら、演奏するのが楽しくてね。俺たちの最後のツアーは、俺たちのこれまでの楽曲の中から60曲とこれらの(『Master Of Puppets』の)全8曲から演奏するだろうね。


    −あなた方の全てのアルバムのなかで『Master Of Puppets』が観衆や批評家やファンにいまだに強く共鳴するのはなぜだと思いますか?

    俺はたぶんそれを答えるのに適した人間じゃないよ(笑)俺は他の方向にバイアスがかかっているからね。誰かに「あなたは自分のどの子供がお気に入りですか?」と訊いているようなもんだよ。

    俺は自分たちのレコード全てに密接な関係を持っている。今それらを聴くと、好きなところ、気に入っているところをみつけるし、疑問を持つところ、嫌いなところ、良さがわかってきたところをみつける・・・。俺にとって全てのレコードはタイムカプセルであり、俺たちの能力、その特定の状況、アルバムを作っていた時の役割の果たし方を写した写真でもあるんだ。

    2014年に「Metallica by Request」と銘打ったツアーをやって、30日から40日の日程で世界のいろんなところを廻った。俺たちの楽曲の中から演奏する曲をファンが投票できる、そして基本的にそれがセットリストになると言ったんだ。俺たちのウェブサイトで行われて、完全に透明性を持っていた。それからトップの票数を得た楽曲を演奏した。「Master Of Puppets」はいつでもどの国でもNo.1だった。ぶっちぎりでね!何でかなんて言えないよ!

    明らかにあのアルバムはアメリカ議会図書館だけでなくファンや批評家にも共鳴してきた。俺は感動したし、恐縮してしまう。俺は「誰かがこの残響音を拒むんだろうな!」と叫ばずに座ってそれを聴いていられるかわからないね(笑)

    (『Master Of Puppets』には)作曲とプロダクションに惹きつけるものがあると思う。惹きつける景観、音楽的な位置が本当によく機能している。あれが(アメリカ議会図書館による国家保存重要録音作品として)並べられるのは嬉しいよ。


    Library of Congress(2016-05-27)

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    メタリカの3rdアルバム『Master Of Puppets』がアメリカ議会図書館による国家保存重要録音作品に追加される

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    ラーズ・ウルリッヒがスウェーデンのラジオ局「Sveriges Radio」の「Sommar & Vinter i P1」という番組のなかでラジオDJを務めました。

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    収録は現在新譜制作真っ只中のMetallica HQのスタジオで行われ、新譜制作について番組冒頭では最終段階に入っている、番組終盤では今年中には、と語っています。
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    トラックリストを思案中。
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    番組DJの名が刻まれた証書をもってご満悦のラーズ。
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    番組プロデューサーとの一枚。
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    番組では自身の人生を振り返りながら、影響を受けた曲、節目となった曲、感動した曲として以下の曲をオンエア。
    Deep Purple / Fireball
    Gasolin' / Rabalderstrade
    The Rolling Stones / Honky Tonk Woman
    Motorhead / Overkill
    Metallica / Hit The Lights (Metal Massacre Ver.)
    U2 / Sunday Bloody Sunday
    Diamond Head / It's Electric
    Oasis / Supersonic
    Rage Against The Machine / Killing in the Name

    番組はこちらから聴くことができます。
    http://sverigesradio.se/sida/avsnitt/743224?programid=2071

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    ESPから『Master Of Puppets』リリース30周年を記念して記念モデルギターが発売されます。まずはギター画像とESPからの煽り文句を管理人拙訳にて。

    信じられないかもしれないが、メタリカ随一のアルバムのひとつと考える人々もいる『Master Of Puppets』を彼らがリリースしたのは30年前の1986年春のことだった。実際、今年の初めには、このアルバムはアメリカ議会図書館による国家保存重要録音作品に追加されるに充分なほど「文化的に、歴史的に、芸術的見地からみて重要」であるとみなされた。メタル・アルバムで唯一の栄誉を授けられたのである。『Master Of Puppets』はメタリカが初めてメジャーレーベルで出した3rdアルバムであり、表題曲だけでなく「Battery」「Welcome Home (Sanitarium)」「Damage, Inc」などが収録されていることでよく知られている。

    mop_guitar

    我々ESPはメタリカの最初の2枚のアルバムで行ったように、『Master Of Puppets』の限定版LTDを紹介できることを誇りに思っている。このギターは世界で400本限定で、注目すべき記念のギターを待っている筋金入りのメタリカファンの長蛇の列ができるのは間違いない。アルバムの象徴的なカバーアートを再現した仕上がりとなっている。我々は『Master Of Puppets』LTDギターはファン同様、ギタリストにも相当高い人気を誇る収集価値のあるものになると予想される。

    『Master Of Puppets』LTDギターは、25.5"スケールでボルトオンのメイプルネック、アルダーボディに24 XJフレット付きエボニー指板を備えている。EMG81(ネック、ブリッジ両方)のアクティブ・ピックアップセットは、TOMブリッジにストリング・スルー・ボディとなっている。指板にはメタリカのロゴが象嵌され、それぞれのギターにはメタリカのロゴ付きのESPギターケース、ESPからの証明書が添付される。

    この新限定版ギターは「Summer NAMM Show」で初お目見えとなるが、ひとつ欲しいと興味があれば今日にでもESP販売店にご連絡いただきたい。ひとたび無くなったら、永遠に無くなっているでしょう。

    ESP(2016-06-21)

    ギター用語をよくわかっていないので仕様を紹介する部分の和訳ががだいぶ怪しいですが・・・。ESPの煽り文句にもあるように、『Kill 'Em All』『Ride The Lightning』に続くアルバムジャケットアートのギター。これまでのモデルは300本限定でしたが、人気を見越して今回は400本限定となっています(価格未公表)。
    metallica_guitar_30th
    original

    ちなみに「Summer NAMM Show」は今週(2016年6月23日から25日)行われるので近いうちに紹介動画などがアップされると思われます。

    【追記】
    「Summer NAMM Show」ESPブースでの紹介動画が公開されました。


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    2014年9月からSNSや公式サイトを閉じてしまい、レミー・キルミスターの追悼コメントをラジオの電話インタビューの形で残す以外は近況がわからなかったジェイソン・ニューステッドの話題。

    去る2016年6月8日、ジェイソン・ニューステッドがメタリカ脱退後にジェイソニック(Jasonic)の名で2002年から2008年までメンバーとして活動していたヴォイヴォド(Voivod)のライヴにゲスト出演していました。参加曲はバンド名でもある「Voivod」。
    jasonnewstedvoivodjune2016

    ライヴが行われたのはサンフランシスコの「Slim's」。ジェイソンがメタリカとして1996年6月にMetClubのメンバー限定ライヴを行ったところでもあります。
    https://metallica.com/tour/10070
    https://metallica.com/tour/10071

    ファン撮影の写真や映像はこちらから。




    @gleesinが投稿した動画 -








    プロ撮影の写真も。


    なかなか音沙汰がないので心配していましたが、ステージ上の動きを見る限り元気いっぱいのようです!

    cowboybluesさん情報ありがとうございます。

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