メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:ロバート・トゥルージロ

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    RollingStoneのインタビューでロバート・トゥルージロがジャコ・パストリアスやメタリカの新譜について語ってくれました。管理人拙訳にてご紹介。

    rob_8

    メタリカのロバート・トゥルージロは、ファンキーな即興演奏で知られるジャズの名手、故ジャコ・パストリアスの人生についてのドキュメンタリーを見たいといつも思っていた。そして、初めてジャコの息子ジョニーに出会った時、自分でそれを作ってしまおうと急き立てられるほど強く思ったのだ。約20年後、トゥルージロが共同プロデュースを行った『Jaco: A Documentary Film』は、4月に初開催される「Asbury Park Music in Film Festival」で上映が企画され、映画祭を巡回し始める。

    「これは教育ビデオなんかじゃない。もっと深い、物語なんだ。」

    ジャズ・フュージョンの巨大グループであるウェザー・リポート、ジョニ・ミッチェル、イアン・ハンターのアルバム、そして自身も同じくらい多く出したソロ作品における独創的な演奏で70年代半ばにロックとジャズの境界線の橋渡しをした伝説のベーシストを持ち上げたフィルム・クロニクル。躁鬱病が彼の後半生のキャリアにどう影響を及ぼしたかにも触れている。

    しかし、内容のほとんどは、このベーシストが1987年にクラブの用心棒から殴られて脳出血により35歳で亡くなる前に、多くのミュージシャンにどれだけ影響を与えたかの証左となっている。

    過去5年間に渡って制作されてきた、このドキュメンタリーではジャコを尊敬してやまない多くの人々が出演。そこにはフリー、スティング、ゲディー・リー、ブーツィー・コリンズ、そして彼とジャムを共にしたジミー・ペイジ、元ガンズ・アンド・ローゼズのドラマー、マット・ソーラムも含まれている。

    何より、トゥルージロは人々がパストリアスにどれだけの情熱を持っているのか観て欲しいと願っている。「これはとても特別な映画なんだ。」メタリカのベーシストはこう語る。「彼の物語をシェアすることは重要だと思っているよ。」

    −いつジャコ・パストリアスがあなたの人生を変えましたか?

    1979年にサンタモニカ市公会堂で彼が演奏したのを観たんだ。本当に自分の世界が変わったよ。それ以前まで最前線でメロディックな楽器として弾かれているベースを観たことがなかった。ギタリストのいないウェザ・リポートで演奏していた。あのなかではジャコが一番ヒッピーだった。彼のステージでの存在感は本当にパワフルだったよ。ほとんど彼のショーと言っていいくらいさ。みんな、彼を観にやってきたんだ。ヴェニス・ビーチからたくさんのスケーター仲間、サーファー、ジャズ・プレーヤー、メタラーやジョン・ベルーシ(訳注:ブルース・ブラザーズで知られる俳優)までいた。そんなたくさんの人たちが彼をチェックしに来ているように見えたね。

    −なぜジャコの演奏は特別なのでしょうか?

    ジャコは信じられないくらいファンキーなんだけど、本当にヘヴィでもあるんだ。彼のサウンドには多くのエッジとうなりがあった。俺は彼がいまだにユニークなサウンドを持っているってことが大好きなんだよ。そして彼のダイナミックな存在感が楽器を通じて感じられるところがね。でも同時に彼はメロディックで、たくさんのプレイヤー、ことさらベーシストにとってはとても貴重な存在なんだ。

    俺にとって特別だったのは、ライヴの体験とジョニ・ミッチェルとイアン・ハンターと一緒にやっている音源を見つけたことかな。もちろん彼のセカンドアルバム(訳注:『ワード・オブ・マウス』)もね。「Teen Town」のような曲のようにドラムとベースだけで本当にアグレッシヴなこともできる。実際、あの曲では彼はドラムも叩いているんだ。クレイジーだね。「Portrait of Tracy」ではハーモニーで曲を構成している。ハーモニー・コードを?ベースでだって?
    それまでに誰がそんなものを聴いたことがあるかい?

    −ジャコを初めて聴くのに一番いい出発点は何だと思いますか?

    「Come On, Come Over」を聴くといいよ。ファンキーなプレイヤーとしてジャコのスタイルに通じるのが重要だと思うからね。楽器の上で動く彼の指はさながらパーカッションのようだった。それはとてもユニークなサウンドで、だからレッチリのフリーやゲディー・リーや俺が彼に魅力を感じるんだ。彼のテクニックは本当に特別なんだよ。あれはみんなが聴くべき、頭をぶったたかれるようなファンク・ダンス・ナンバーなんだ。それからテクニックとか彼の革新者としての能力を知りたいと思ったら「Portrait of Tracy」を聴くといい。俺にとって、あれはベースである点を除けばエディ・ヴァン・ヘイレンがやった「Eruption」みたいなものなんだ。ウェザー・リポートの「Havona」もいい曲だね。もしロック好きならイアン・ハンターの「All-American Alien Boy」がある。最後に挙げた曲は誰もがこれまで聴いたなかで最高のベースソロになるかもしれない。


    −なぜベーシストは、ギタリストのように名手として認められることが難しいのでしょうか?

    昔から、ベーシストの役割というのはシンプルでソリッドなものを維持していくだけだったから、実際に視覚的なものを含めた大きな存在感をもたらすプレイヤーと出会えた時というのは本当に特別なことなんだよ。メタリカのクリフ・バートンなんて重大事件さ。彼はその楽器を手にとって、ヘヴィメタルに違う何かをもたらした。俺はそれが革新的だと思う。俺にとってそれは特別なものなんだ。

    俺は90年代にインフェクシャス・グルーヴスっていうバンドを組んだ。その音楽は本当にミクスチャーのスタイルで、パンクロック、スカといったものをやっていたけど、それからそこでたくさんのファンクをやり出した。ファンクはジェイムズ・ブラウンから始まったけど、ジャコ・パストリアスからでもあるんだ。俺はインフェクシャス・グルーヴスのなかでメインの作曲をやっていたけど、ジャコに本当に重大な影響を受けていた。そしてこうしてみんなをモッシュさせるようなクレイジーな曲を書いているんだ。結局、俺は全部彼から出来ている。もちろん他の大きな影響として明らかに(ブラック・サバスの)ギーザー・バトラーがいるわけだけどね。ギーザー・バトラーとジャコ・パストリアスのあいだなのは間違いない。


    −ジャコに会ったことはありますか?

    彼にちゃんと会ったことはないんだ。でも彼に遭遇したことはある。1985年にハリウッドで行われたギター・ショーでね。そこではホテルの各部屋にフェンダーとかギブソンとかアンプの会社とかスポンサーになっている音楽関連会社が入っていたんだ。そこのある部屋にいたら突然、壁や窓を震わすほどの馬鹿でかい刺激的な音が聴こえてきた。みんなこうさ。「一体何なんだこれは?」

    その部屋に行ってみると、ジャコがベースを弾いていたんだ。それだけでクレイジーだったね。俺は数フィート離れて彼の真正面に座った。数分のうちに部屋は人でいっぱいになった。彼はそこにいた俺たち全員の目を観たんだ。それが挨拶代わりみたいなものだった。彼は笑いもせず、何も言わずに真剣な目でこちらを観て「そうだ。俺はここにいる。よく聴け。俺はまだおまえらをぶちのめせる。」と言われているように見えた。俺にとってはとても強烈な瞬間だったよ。


    −ジャコの訃報を知った時、あなたはどこで何をしてましたか?

    訃報を知った時、俺はスタジオにいた。俺のベーシストの友だちの多くはジャコに敬意を表して実際に黒い装いをしていた。もう1回言うけど、こういう人たちはジャズ・ミュージシャンじゃなかった。本当にベースに夢中になっている人たちだった。俺たちベーシストはジャコの身に起きたことに絆と心からの悲しみを覚えたんだ。特に80年代にジャコについてのたくさんの悲しい物語やうまくやっていけてなかったことを聞くに及んでね。(ギター・ショーで)彼を観たとき、そんなにすごいことはやっていなかった。彼はちょっと謎を秘めてそこにいたんだ。

    −あなたはこの映画に多くの時間を投入してきたようですね。

    もう5年になるよ。たくさんお金がかかった。多くの人は「へぇ、あんたは金持ちロック・スターだね。」って思うだろう。俺たちはこの映画を作るために実際に資金を調達しなきゃならなかった。ポケット・マネーで約80万ドルも費やしたよ。俺はいつも言っているんだ。「あぁ確かに俺はメタリカの一員だ。でも俺はブラック・アルバムの時にはいなかった。」ってね。ロバート・トゥルージロについて間違った考えを持って欲しくないんだ。でも情熱が俺を動かした。この映画はそれを表しているよ。自分が感化された影響をシェアしたいと思ったのさ。普通の人は、5年間かけて俺がジャコ・パストリアスのためにしてきた冒険のように、ドキュメンタリーにそれだけ多くの情熱と時間をかけることを理解できないだろうね。監督のポール・マルシャンはジャコの映画を終わらせるために他の映画を断ったんだ。

    −新しいメタリカのアルバムはどうなっていますか?

    俺たちは楽曲に取り組んで、楽しい時間を過ごしている。生産的であることを楽しんでいるよ。

    −その楽曲はどんな感じですか?

    メタリカみたいに聴こえるね(笑)

    −『Death Magnetic』の延長線上のようなものに感じますか?

    それはまだ何とも言えないな。本当にどのアルバムにも関連付けられないんだ。メタリカはどのアルバムもそれぞれが独自にユニークになっていると俺は思う。俺たちがやっていることは特別でそれ自体がユニークなんだけど、いまだにヘヴィであり続けている。リスナーとしての俺にとって、メタリカと共にする旅路っていうのは、必要とされる特定のエッジがあるんだよね。メタリカに加入する前、スイサイダル・テンデンシーズにいた時、俺はツアーのために『Ride The Lightning』を練習したもんだった。小道をジョギングするようなものは一切なかった。「Fight Fire with Fire」みたいに。俺が言えるのは俺たちはヘヴィなものをやっているってこと。でも、もう一度言うけど、どのアルバムも独自の経験がある。だから俺たちはどうなるのかもう少し様子をみる必要があるだろうね。

    RollingStone(2015-04-02)

    ちなみに『Jaco: A Documentary Film』が公開される「Asbury Park Music in Film Festival」は、場所こそ全然離れていますがカーク・ハメット主催のFearFestEvilと日程的にモロかぶり(2015年4月10日-12日)。おそらく新譜制作の合間の休日の期間を充てているのでしょう。

    最後にインタビュー中にロブがオススメしていたジャコ・パストリアス参加の曲を。

    Come On, Come Over


    Portrait of Tracy


    Havona


    All-American Alien Boy



    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします

    関連記事
    ロバート・トゥルージロがジャコ・パストリアスについて語るロング・インタビュー
    ロバート・トゥルージロ制作のジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画『Jaco』DVDが2015年春リリース予定
    ロバート・トゥルージロ、制作中のメタリカの新譜について「全ての青写真を描いているところ」
    ロバート・トゥルージロ、メタリカの楽曲制作について語る。
    ロバート・トゥルージロ、サイド・プロジェクト始動?

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    Magic Bullet Recordsの創設者ブレント・アイストーンが自身のinstagramで、ロバート・トゥルージロとリック・スミス(フロリダ出身のヘヴィロックバンド、トーチ(Torche)のドラマー)とその他のミュージシャン2人と共にレコーディング・スタジオにいる写真がアップされました。

    RobertTrujillo_with_MagicBulletRecords
    instagramより

    写真に添えられたメッセージによると、今回のプロジェクトはトニー・ホーク財団とメタリカのサポートを得ており、写っている場所はロック・バンド、ブラインド・メロンが所有しているスタジオで、ドラムキットはこれまたメルヴィンズ、ビッグ・ビジネスから借りて使用しているとのこと。

    メタリカのメンバーのサイド・プロジェクトと言えば、以前ジェイソン・ニューステッドが立ち上げたエコーブレインが思い起こされます。このサイド・プロジェクトを始めたことがジェイソン脱退のキッカケになったと言われていますが、今回は大丈夫なのか?そんな憶測や疑問に写真をアップしたブレント・アイストーンはMagic Bullet Recordsのサイト上で次のように答えています。

    ・「スーパーグループの結成」ではない。旧友と新しい友人とでチャリティー精神を念頭に一緒に音楽を作っている。(後日、適当な時期にプロジェクトの詳細を明らかにする。)

    ・メタリカの新譜制作過程の邪魔にはなっていない。(これを書いている間も彼らはHQで文字通り、リハーサルをしている。)

    ・メタリカのメンバー間でおかしなことにはなってない。

    Magic Bullet Records(2015-02-10)

    同記事によると、そもそもトニー・ホーク財団とのチャリティーのためにブラック・サバスのカバー「Symptom of the Universe」をジャム・セッションしていたところ、熱を帯びて曲の半分も行かないうちに当初の計画をやめて新しいものをアドリブで弾き始めてから今回のプロジェクトが始まったようです。

    ちなみにトニー・ホーク財団とメタリカと言えば、昨年に財団の慈善イベントにラーズとロバートが参加していました(関連記事参照)。さらに時系列さかのぼると、プロスケートボーダーであるトニー・ホークのスケートボード・アクション・ゲーム『Tony Hawk's Pro Skater HD』の中でスペシャル・キャラクターとしてジェイムズとロバートが登場するというコラボが行われていました。

    YouTubeのゲーム実況動画によると、ジェイムズは「エアギター」「ギター破壊」「メタリカ・パワースライド」、ロバートは「ヘドバン」「クラウドサーフ」という独自の技を使えるようです(笑)(※やや動画の読み込みが遅いです。)

    ジェイムズ・ヘットフィールド編


    ロバート・トゥルージロ編


    ちょっと話がズレてきましたが、今回のプロジェクトに関わっているMagic Bullet Recordsも年間売り上げの5%をトニー・ホーク財団に寄付している実績もあることから、今度も売上げの一部か全部をトニー・ホーク財団に寄付する形で一時的にグループを組んで音源を出すのではないかと推測されます。

    参考リンク
    Magic Bullet Records donates 5% of annual web sales to Tony Hawk Foundation

    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    ラーズ・ウルリッヒ、ロバート・トゥルージロが慈善イベント「Stand Up For Skateparks Benefit」に参加

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    既報どおり、2015年1月21日にNHLのサンノゼ・シャークスとコラボしたMETALLICA NIGHT(MetalliSharks Night?)が行われました。

    まずはパックドロップ(始球式)の写真。
    Metallica_Sharks01

    選手入場では映画『ジョーズ』のテーマからの「Seek And Destroy」。生演奏ではなさそうですが確認できず。

    ※当日の動画ではありませんでした。失礼しました。

    試合前にはサンノゼ・シャークスのマスコット、シャーキーと戯れる場面も。
    Metallica_Sharks02

    Metallica_Sharks03

    その他の写真やジェイムズがMCで盛り上げる短編動画はメタリカのinstagramアカウントからどうぞ。
    http://instagram.com/metallica/

    この写真では「Nice outfit, Kirk!」とカーク・ハメットが着ぐるみに入っているかのようなコメント付きでしたが、このイベントに、なぜかカークは不在だった模様。どうしたんでしょうね・・・。
    Metallica_Sharks04

    そして、サンノゼ・シャークスのYouTubeチャンネルにてメタリカのインタビュー動画が連続アップされています。プレイリストはこちらから。
    https://www.youtube.com/playlist?list=PL4KQTO6gRJyA2ANGKDujrUFt-y3t6pEpT

    cowboybluesさん、ありがとうございます!

    さらに地元ニュース番組映像。(15秒CM後の再生)


    一部が文字起こしされていたので管理人拙訳にて。

    −水曜の夜、メタリカのメンバーたちは最大のライバル、ロサンゼルス・キングスを迎え撃つサンノゼ・シャークスの本拠地シャーク・タンクに特別ゲストとして出演。キングスは昨年、たしかにスタンレー・カップを勝ち取ったかもしれませんが、シャークスにはヘヴィメタルの味方がいます。メタリカはサンノゼ・シャークスの試合に初めて現れました。

    ジェイムズ
    「地元に居続ける。俺たちがこのエリアの大黒柱だと考えられているっていう事実は嬉しい。そして言うまでもなくシャークスもそうなんだ。だから一緒になることは筋が通っているんだよ。」

    −バンドメンバーはシャーキーから個人の名前をあしらったユニフォームを手渡されました。バンドは1980年代からベイエリアに拠点をおき、(シャークスの)長年のファンだと言うことです。実際、シャークスの試合前に選手が入場する曲はメタリカのヒットソング「Seek and Destroy」が使われています。

    ロバート
    「素晴らしい光栄なことだよ。あの曲にはチーム全体を燃えさせる、そんなエネルギーがある。」

    −メタリカがサンフランシスコ・ジャイアンツのホームゲームでチームを応援した後、ユニークな相互関係が生まれました。サンフランシスコから来たジェフ・タッカーさんはその試合も観に行ったとのこと。「本当にノスタルジックな夜だったよ。彼らのことは見逃せないね。」

    −夕方の早い時間、ファンは午後3時という早い時間から列を成していました。大ファンのマックス・ウィリアムさんはストックトン(カリフォルニア州内陸部)から車でやって来ました。「メタリカをただ観られるのは素晴らしいことだよ。いつだって彼らがライブをするのを観ていたいね。こんな近くで観られるチャンスを逃すわけにはいかないよ。」

    KTVU(2015-01-21)

    今回のイベントで使われているこのデザインで「SF Giants Skull T-Shirt」に続いて「SJ Sharks Skull T-Shirt」も発売されそうです。
    squindo-sharks

    イベント予告で使われた、こちらのデザインのグッズも発売されるのかちょっと気になっています。
    MetalliSharks

    ちなみに試合結果は4-2でシャークスの勝利。めでたしめでたし。
    Sharks_Win

    ※一部、NHLとNFLを混同した表記がありましたので訂正しました。

    【追記】
    シャークスのYouTubeアカウントで舞台裏動画がアップされました。


    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    メタリカ、NHLのサンノゼ・シャークスとのMETALLICA NIGHTを2015年に開催
    メタリカ×サンフランシスコ・ジャイアンツのMETALLICA NIGHTが2015年も開催決定
    メタリカ、サンフランシスコ・ジャイアンツのホーム球場でアメリカ国歌披露

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    ロバート・トゥルージロがPodcast番組「Groove - The No Treble Podcast」のインタビューでメタリカの楽曲制作について長尺で語ってくれました。BLABBERMOUTH.NETさんが文字起こししてくれたので、管理人拙訳にてご紹介。

    Robert_Trujillo_N

    −2008年の『Death Magnetic』に続くアルバムの制作過程について

    素晴らしい時間を過ごしているよ。本当に素晴らしい時間だ。実際楽しいしね。たくさんの新しいアイデア、いわばフレームワークをジャムっているよ。知っての通り、ジェイムズはメロディーを仕上げて、そのレベルでいろいろ実験している状態なんだ。でも、本当に、なんて言うか(余計なものを)削っている段階で、それから、そいつを演奏している。演奏して、自分のシステムに組み込んで、曲を自分のものにしていくんだ。

    前のアルバム(『Death Magnetic』)のための曲をまとめていた時、(プロデューサーの)リック・ルービンが昔を思い出させてくれたのはクールだったね。つまりこんな感じさ。「この新しい曲を演奏しているところを想像するんだ。人生でこれまで観たことのないような小さなバーやクラブにいるファンに自分たちはこうだと証明するんだ。」それから「立て。みんな立ってくれ。」とこうさ。「おいおい俺たちスタジオにいられるよな!?」って思ったけど、「立ってこれらの曲を演奏するんだ。パートを自分のものにするんだ。」と大体こんな感じだったね。本当に意味をなす、やる気をわき起こすようなスピーチだったと思わないかい!?結局、意味があったんだ。座って自分のパートを繰り返すのは簡単すぎるからね。だからベースを弾いていた時、俺は実際に立ち上がって身体を揺り動かしていたよ(笑)。

    結局、リフにしろ、アレンジにしろ、歌詞にしろ、曲を書くという体験全ては、ことさらメタリカでは、複雑だし、時間もかかるし、あくまで過程なんだ。インフェクシャス・グルーヴスの頃はちょっと違っていた。実際に始めたら、1日4時間、週5日(を費やし)、2つか3つのジャム・セッションや曲の形が出てくる。曲の設計図と言うべきかな。それらをカセットに録音していた。それから次に集まった時には、アルバムのスタジオ・レコーディングさ。当時のボーカル、マイク・ミュアーはそういうカセットを持ち込んで、歌詞やメロディーを仕上げて「スタジオで会おう」って感じさ。次は知っての通り、それらを演奏するんだ。ドラムは通常、2回目のテイクだった。俺たちは1回目か2回目のテイクのマジックを捕らえたいといつも思っていた。それは今、メタリカにいて起きていることとはかなり違う。でもあらゆる状況が違う。捕らえたい別のマジックがあるんだ。

    ちょうど今、俺たちは基本的にアレンジを育んでいる状況なんだ。本当に全てを育んでいる。トランジションみたいなもので・・・試せるものは全部試しているよ。そんな感じだね。思うにそれがメタリカの音楽を素晴らしく特別なものにしているんだよ。ある種の誇りだし、本当に芸術作品に取り組んでいるからね。そして正しくあらなければならない。どういう意味かって?つまり探求ってことさ。ジェイムズは常にひとつの言葉に対して、いくつかの言葉の候補を持っている。もしかしたらこの言葉はしっくりこないかな。じゃあこいつを試してみようってね。それは大量の仕事だし、時間がかかる。でも同時に重要であり、こういう方法は必要なことなんだ。その結果が、みんなが愛する、俺たちがメタリカから聴こえるものなんだ。もしこうでなかったら、それはメタリカじゃない。同じようにもし・・・例としてインフェクシャス・グルーヴスを挙げてみたわけだ。知っての通り、インフェクシャス・グルーヴスはああやってレコードを作るべきなんだよ。この自然発生的なエネルギーと2回目かそこらのテイクのマジックを捕らえるべきなんだ。でもメタリカでは、特別なゴールを達成する異なるスタイルとやり方なのさ。


    −新譜制作や関係する他の創造物制作の原動力について

    俺は幸運だよ。なぜなら、メタリカでプレイすることは本当に特別なことだし、実際にメタリカのメンバーは創造的であること、挑戦することを楽しんでいるからね。ほとんどのバンドが、歳を取り、キャリアが長くなるほど、曲を書きたいという欲求に関しては緩くなっていくのに。つまり、どれだけ多くの既知のバンドが実際に外部のソングライターとかそういう人たちと曲を書き始めているのか、(あるいは)もはや実際には自分たちの曲を書いていないのかってことに驚くよ。俺たちはそういったものとは真逆のようなものだ。たくさんの曲のアイデアやリフやベースラインとかを持っている。何年も前のジャム・セッションから生まれたおびただしい数の音楽的なアイデアがね。最も難しいのは(そういったアイデアを)削っていくことなんだ。俺たちが曲を書く時っていうのは削っていく過程のようなものなんだよ。そういうお年寄りで出来たインスピレーション溢れるグループといるということはただただ素晴らしいってことさ。わかるかい?(笑)

    −メタリカのメンバーはいまだ創造的であることを楽しんでいると言った意味について

    バンドとして、俺がそういうことを言った時、俺たちが制作した3D映画『Through The Never』が念頭にある・・・。あれは(2013年に)公開された。でも、あれは・・・いろんな意味で創造的冒険だったんだ。つまり、俺たちは物語のほとんどの部分、ステージ・プロダクション、その他多くのことについて監修した。ライヴから2年かかった。そして本当に曲を書く必要があった2年があった。つまり、たくさんのファンがニューアルバムを待ち望んでいるってことだ。今や・・・5年かそこらに違いないと思うんだ。もはや思い出すことさえ出来ない。言い換えれば、俺たちが『Death Magnetic』を制作しているあいだ、曲を作り出すことに関しては、そのツアーを終えるまでに、俺たちには5人の子どもが生まれた。(この事実は)クレイジーだし狂気じみていて可笑しいね。でも俺が思うに、俺たちをうろたえさせるようなことが、俺たちを再び創造性に向かわせるんだ。ルー・リードとのアルバム・レコーディングにしても、3D映画にしてもね・・・。創造的プロジェクト、創造的チャレンジ、そういったものは必ずしもやることになっているわけじゃない。ロックンロールの世界で、ルー・リードと共に何かやるみたいなことは、俺たちにとって、本当に特別な瞬間だった。彼はアイコンだった。特にラーズとジェイムズにとっては、本当に自分たちの箱の外に出ることだったんだ。メタリカの持つ創造的な泡のなかで、ソングライターとして、オルタナティヴのアイコン−本当はロックンロールのアイコンと言いたいところだが−と一緒に取り組むのに外に足を踏み出し、俺たち、または(自分以外の)彼らがボスではないという事実によっておそらく謙虚になった。ボスになりうるもう一人(ルー・リード)がいて、俺たちはそんな男と共作したんだ。俺たちの脱線、あるいは道から外れていくようなことは明らかに創造的チャレンジに基づいている。ツアーで・・・「By Request」や『Ride The Lightning』やブラックアルバムの完全再現、フィルモアの・・・メタリカ30周年記念でサンフランシスコのフィルモアで、ダイヤモンド・ヘッドとかダンジグとかブラック・サバスといった俺たちが過去にレコーディングした曲をやっていた他のアーティストのメンバーの何人かまたはフルメンバーを、俺たちが実際に招待して一緒に同じ曲を演った4日間のショーみたいにこれまでと違うことに挑戦したりとかね。今、誰がそんなことやる?つまり、お金は儲けてない、(むしろ)失っているんだ。でも俺たちはそういうことをやる。なぜならメタリカは挑戦を引き受けるのが大好きなのさ。そしてそういったことは通常人々を驚かせる挑戦なんだ。だから俺たちは打撃を被る。多くの人はそれを知らない。「メタリカ?あぁ金持ちロックスターだろ」と思っているのさ。でもそういったことにはお金がかかる。打撃は被るし、失ってもいる・・・俺たちが主催したフェスティバル、Orionだって儲かっちゃいない。赤字だった。でも、まぁ、結局のところ、楽しいんだよ。俺たちができるのは挑戦することだけなんだ。


    BLABBERMOUTH.NET(2015-01-09)

    バンドによる曲の制作過程の違いについての話が出てきましたが、メタリカ自体もいろんな試行錯誤を経てそういう形になったんでしょう。

    インタビュー音声はこちらからどうぞ。


    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    ロバート・トゥルージロ、制作中のメタリカの新譜について「全ての青写真を描いているところ」
    ロバート・トゥルージロ、自身が手がけたショートアニメ『'Tallica Parking Lot』について語る
    ロバート・トゥルージロがジャコ・パストリアスについて語るロング・インタビュー

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    ロバート・トゥルージロが「Rock Cellar Magazine」のロング・インタビューのなかで制作中の新譜についてコメントしました。管理人拙訳にて。

    approved-rob-photo

    (前略)

    −どのメタリカの曲がライヴで演るのに最も楽しいですか?

    その時の雰囲気によるよ。いつも演ってて楽しいのは「the Call of Ktulu」と「Orion」だね。両方ともインスト曲なんだけど・・・これらの曲は演っていると、クリフ・バートンの存在をいつも感じている。インスト曲かどうかに関係なく、それはクリフへの特別なオマージュなんだ。「Disposable Heroes」みたいな曲は、いつセットリストに入っても・・・最高潮にノっていく。「Fight Fire with Fire」は大好きだね。アップテンポで演奏するお気に入りの曲のひとつだよ。

    −メタリカはいまだにベスト・ライヴ・バンドのひとつです。お会いできて嬉しいです。そして、2015年も忙しくされているであろうことを楽しみにしています。

    バンドにいて気付いたことのひとつにラーズ、ジェイムズ、そしてカークはプレーヤーとして本当に音楽を作ること、演奏をすることを楽しんでいるってことがある。彼らが楽器を手にすると、いろんな意味で再びティーンエイジャーになるんだ。

    即席のジャム、キング・ダイアモンド、マーシフル・フェイト、ダイアモンド・ヘッドあるいはブラック・サバス。楽器を手にすると、彼らの血管中にいつもこの興奮がたぎる。そしてそこからオリジナルのアイデアも持ち込まれるんだ。


    −あなたたちが取り組んでいる新しい音楽について話すことはできますか?今のところどんな感じなんでしょうか?

    俺たちはちょうど今、全ての青写真を描いているところだよ。たくさんのアイデア、たくさんの曲の集まりがあるから、それなりのプロセスを経なければならないんだ。個人的には俺たちがジャムることができてきたことに本当にエキサイトしている。どうなるか予想するのは好きじゃないけど、こう考えたい。少なくとも俺にとって、楽器で何かしら起きていることは本当にハッピーだってこと。

    この旅路がどう続いていくのか見ようじゃないか。メタリカの曲を書くことは旅路であり、プロセスであり、それは時間がかかることなんだ。でもそれは特別なことなんだよ。メタリカは曲やアレンジを育てていくのが好きなのさ。


    Rock Cellar Magazine(2014-12-08)

    いつアルバムを出せるようになるかはまだまだ本人たちもよくわかっていないようです。

    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    ラーズ・ウルリッヒ「メタリカの次のアルバムを出すのに2014年というのはちょっと楽観的。2015年が現実的。」
    メタリカが『Death Magnetic』に続く制作中のスタジオ・アルバムについてコメント。
    ジェイムズ・ヘットフィールド「メタリカのアルバム制作はメタリカ時間でやっている」
    ラーズ・ウルリッヒ「新譜制作は4イニング目まできた」

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    フランスのカンヌ映画祭からアニメ部門が独立して出来たアヌシー国際アニメーション映画祭のベスト・テレビ・フィルム部門にこの夏に出品された『'Tallica Parking Lot』。『'Tallica Parking Lot』の制作を手がけたロバート・トゥルージロのインタビューが先日公開されました。BLABBERMOUTH.NETで文字起こしされていたので管理人拙訳にてご紹介。

    tallicaparkinglot

    −『'Tallica Parking Lot』について

    『'Tallica Parking Lot』は基本的に世界のどこともとれるメタリカの駐車場を中心としただいたい4分のショートアニメなんだ。

    何年も前に気づいたことなんだけど、駐車場では信じられないほどいろんなことが起きているんだ。世界のどこにいようとも、いつも面白い人たちがいるし、面白いことが起きている。これはそのことを生命を持たせて世界にシェアする素晴らしい機会だと感じたんだ。とても音楽的だし、あの中にはたくさんのエネルギーがある。ある種のバンドの歴史に関する試みがたくさんあるしね。バンドのフライヤーを中心に全てが展開するんだ。フライヤーは・・・バンドを始めたばかりの時、ショーをやってフライヤーを作っだ。普通は手描きで、それぞれのバンドの名前とショーの日付や場所その他もろもろを書き入れた。この摩訶不思議なフライヤーっていう『'Tallica Parking Lot』の魔法の絨毯を中心に展開するのさ。このフィルムの中で起きているいくつかの話は本当にあったことなんだ。それを組み合わせたんだよ。


    −『'Tallica Parking Lot』の着想について

    実際とても面白いよ。話そのものが俺が見た夢から生まれたんだ。文字通りね。朝の4時頃に目が覚めて、(夢に見た)ストーリーをすぐ書き始めたんだ。1週間は書く手が止まらなかったよ。というか、ナプキンとか書けるものになら何でも書いていた。ほとんど中毒さ。世界にずっと入り込み続けていた。でもこのアイデアは何年も前の(前述した)コンセプトと駐車場で巻き起こる何かをやろうというテーマから始まったんだ。そしてストーリーが夢に現れた。つまりそうやって進化していったんだ。それはとても特別なことだとわかるものだった。実際に何かを想像して、それが本当に夢になって現れる。それからスクリーンで生命を持つ。とってもパワフルだよ。

    俺はいつだってアニメのファンだった。子供の時、土曜の朝のアニメをたくさん観てきた。クレイアニメとそのチャンネルのファンでもあった。俺はUCLAで学期のあるひところ、アニメの勉強さえしていたんだ。そしてそれからスイサイダル・テンデンシーズのスピンオフとしてインフェクシャス・グルーヴスを始めた。インフェクシャス・グルーヴスの音楽は、いつもある種のこういったワイルドで幻想的なキャラクターのイメージを中心に展開していた。それが曲を書くときにもいつも見ていたものなんだ。イメージをね。

    『'Tallica Parking Lot』によってもたらされた、イメージに生命を持たせる機会というのは本当に特別なことだった。たくさんの俺のヒーローや友人たちに映画に出演してもらったことも本当に特別だったよ。モーターヘッドのレミーのような人とかね。レミーがどんな人か知らないかもしれないけど、彼はロックンロール・マスターのアイコン的存在なんだ。ブーツィー・コリンズ、そしてバンドメイトであるメタリカのラーズ、ジェイムズ、カークもね。とてもクールだよ。

    (メタリカの3D映画)『Through The Never』のように何かを創造する一部となる、そしてそれがスクリーンで生命を吹き込まれるのを見ること、特にそれがアニメ化となると本当に特別なことだね。


    BLABBERMOUTH.NET(2014-12-09)

    このインタビュー動画はこちらから。


    『'Tallica Parking Lot』を未見の方はこちらをご覧ください。


    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    ロバート・トゥルージロが手がけたショートアニメ『'Tallica Parking Lot』がネット流出
    メタリカ、『'Tallica Parking Lot』公開、カーク・ハメットのゾンビフィギュアも限定発売

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    ロバート・トゥルージロがプロデュースしている、ジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画『Jaco』。制作が最終段階になって予算が不足しているのか、クラウドファンディングサイトPledgeMusicにてDVDや関連グッズ等の予約購入という形で出資を求めています。このページの説明によるとDVDのリリースは2015年4月か5月になる見込みとのこと。

    jaco_original

    ロバート・トゥルージロのメッセージを管理人拙訳にて。

    やぁみんな、俺たちのプロジェクトをチェックしてくれてありがとう。ジャコはいつだって俺のヒーローで、今日まで俺がベースを弾く理由のひとつでもあるんだ。この映画は俺にとって愛と情熱のプロジェクトなんだ。この素晴らしい映画に制作に4年かかった。そしてこの映画をゴールを迎えるのにキミの助けが必要なんだ!

    俺たちの映画はジャコ・パストリアスという独学で紛れもないインパクトを音楽にもたらし、力強くダイナミックでエッジと美しさの両方を兼ね備えた声を楽器に与えるっていうエレキベースに革命をもたらした伝説的なミュージシャンについての物語だ。

    俺たちはドキュメンタリーに反映する独占インタビューをPledgeMusicと共に集めてきた。そしてジャコの友人やファンの何人かを頼ってきた。この映画を現実のものとする旅路の一部になって、協力して欲しい。

    PledgeMusic(2014-11-07)

    出資の選択肢は、ロバートのサイン付きDVDからTシャツなどの映画関連グッズの他、12月8日にロサンゼルスのグラミー・ミュージアムで行われる上映会(ロバート参加予定)、ロバートとスカイプで30分話せる権利や60分ベースのレッスンを受ける権利、メタリカ全員のサイン付きギター、いわくつきのジャコのベース「Bass of Doom」のレプリカなど多彩なラインナップです。

    詳しくはこちらからどうぞ。
    http://www.pledgemusic.com/projects/jacothefilm

    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    ロバート・トゥルージロがジャコ・パストリアスについて語るロング・インタビュー
    ロバート・トゥルージロ、マイルス・デイヴィスの伝記映画への出資を呼びかける

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    ジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画制作に関わってきたロバート・トゥルージロ。ちょっと前の記事になりますが、Bass Magazineでジャコ・パストリアスに関するインタビューを受けていたのでご紹介。

    roberttrujillobassguitarmagcover

    知らないミュージシャンの名前もじゃんじゃん出てきて和訳に苦戦しましたが、ジャコ・パストリアスとの衝撃的な出会い、ジャコの親族との出会いやジャコの持っていたベースをコレクターから買い戻したエピソードなどロバートの人柄がにじみ出ているロング・インタビューになっています。管理人拙訳にて。

    −ヘヴィメタルファンはジャコのことが大好き、その理由を聞きたい

    ジャコは本当にインスピレーションを与えてくれるし、アイコンなんだ。ジャズのコミュニティーだけじゃなく、ハードロックやヘヴィメタルのコミュニティーの間でもね。俺は高校を卒業して、ジャズの学校に通った。結局そこでやることになったのは、世界中から来たプレーヤーたちとジャム・セッションをすることだった。そのうちの何人かはいまだに俺の人生の一部になっているよ。そんなたくさんのミュージシャンは、メタルやロックも好きなゴスペルのミュージシャンだったんだ。キャリアを伸ばしていくうちに、俺はレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーとか、マーズ・ヴォルタのホアン・アルデレッテとか、ジャコのプレイを見たことあるたくさんのミュージシャンとつるむようになった。俺は50歳になろうとしているけど、そういう人たちは俺の年齢よりも上だった。以前在籍していたバンド、スイサイダル・テンデンシーズのロッキー・ジョージと俺はジャズ・フュージョンの大ファンで、俺たちが9年生、15歳の頃、彼にジョン・マクラフリン、マハヴィシュヌ・オーケストラ、リターン・トゥ・フォーエヴァーについて話したんだ。

    −トゥルージロは影響の大きかったジャコのギグを覚えていた

    ジャコのプレイは4回観た。1979年のプレイボーイ・ジャズ・フェスティバルでも観たし、ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンドと一緒のフルスケールのバージョンの時も観た。UCLAのドロシー・チャンドラー・パビリオンでね。スケールダウンしたバージョンもデルマー・ブラウン、ケンウッド・デンナード、マイク・スターンと一緒にやったのを観たよ。ジャコに会いたくてショーの後に待ってたんだけど、マイクとだけ会ったんだ。彼は常軌を逸してた。何かをやってたのかもわからないね。

    70年代後半から80年代初頭にかけて、あれはいい時代だったよ。俺は両親にジョン・マクラフリンとか他の偉大なアーティストを観に連れて行ってもらう、そんな年齢になったばかりだった。15、16歳のあたりから俺はもっと真剣にベースに集中していくようになった。1983年に高校を卒業した時、俺は徹底してベースにのめり込んでいた。ジャコみたいに俺はルールに縛られなかった。バウ・ワウ・ワウのようなたくさんのイギリスのバンドやミック・カーン、ピノ・パラディーノ、ニック・ベッグスみたいなミュージシャンが好きだった。マーク・キングも俺に大きな影響を与えてくれた。彼は素晴らしいよ。彼はまだアメリカでは過小評価されていると思う。俺の中じゃ、彼は神だね!もちろんレミーやギーザー・バトラーの大ファンでもある。でもジャコは猫みたいだった。俺はドッグタウン・ムーブメントが巻き起こっていた、たくさんの命知らずのワイルドなスケートボーダーたちがいた南カリフォルニアのベニスビーチで育ったからね。

    ジャコは俺にとってそんなキャラクターだったんだ。彼は信じられないほどの天賦の才能があってセンスが良くて自分がやることに本当に一生懸命に取り組んだ。スケートボーダーたちもそうだったんだ。彼らは危ないこともやるし、必要とあらば激しいケンカもする。しなきゃならないとなれば、3階から後方宙返りをキメてプールに飛び込むことだってやる。何でもありさ。それが俺がジャコの好きなところのひとつだ。彼もビーチで育ったからね。彼はボディーサーフィン(訳注:サーフボードなしでサーフィン)をして育ったんだ。ほとんどいつもシャツを着ずに短パン裸足だった。俺が育ったベニスビーチでもそんなヤツらがいたんだ。

    rob_handsam01

    −どのようにしてジャコに会ったのか

    1985年、ハリウッドのメルリン・ホテルで行われるロサンゼルス・ギターショーを観に行ったんだ。今はホリデー・イン・エクスプレス・ホテルになってるけどね。そこにジャコが来るとは知らなかったんだ。各部屋が特定のギター会社に割り当てられていて、廉価版NAMMショーみたいだったね。ある部屋にいた時、本当に地震が来たと思ったんだ。窓が震えていて、床が揺れているように感じた。参ったね!隣の部屋に行った人もいた。ベースのディストーション付きアンプがフルボリュームになっていたんだ。イカしてたね。

    俺も隣の部屋に入っていったら、それはジャコだったんだ!彼はそこでギター修理の人と一緒にいた。彼がそこにいるもんだから、何も言葉が出てこなかったよ。俺は彼の正面に座ると、部屋はみるみる人で埋まっていった。俺がベースの師と仰ぐ一人、ラリー・シーモアもいた。彼はビリー・アイドルと長いあいだプレイしていた人だ。みんな同じ反応をしたから、部屋は満員状態だった。ジャコはアンプの音量を上下に繰り返して、その反響音が壁を震わせていた。彼はみんなを観て、全員をじっと見つめていた。今にも彼が「そりゃあ俺だ!」とでも言い出しそうな感じだった。彼の人生においては最高の場所ではなかったけど、彼は忘れられないファンキーなグルーヴと節を弾き始めたんだ。俺たちに何の一言も口にすることなく。

    神に誓って、彼は俺たちをその目で見つめていたんだ。俺は言葉も出なかった。みんなそうだった。それはあたかも彼が楽器を使って俺たちと話したり、全員と触れ合ったりしているかのようだった。彼がこう言ったみたいだったのさ。「俺はこの手のひらでオマエらを捕まえたぞ!クソッタレ!オマエらは噂を聞いてきたんだろう。俺がここにいる、俺がオマエらをぶっ飛ばすってな。」それから部屋に彼のガールフレンドが入ってきた。ホントにキレイな女性が両ポケットにビールを入れてやってきたんだ。2人はまさしくビーチのサーファー・カップルだった。彼女がやってきてこう言ったんだ。「さぁジャコ、行きましょう!」って。そしたら彼はベースを置いて、そこから出て行ったんだ。あれは決して忘れられないよ。

    今、ここ数年のあいだに心の中で思うんだ。「何で俺はあの時、あの人をハンバーガーか何かで外に誘わなかったんだ?」って。でも俺はショックだったんだ。それだけ強烈な瞬間だった。あの部屋にいた俺たち全員、彼の存在に感動していたんだ。彼のプレイする能力は俺たちを虜にした。直接彼に会って、彼があんなメロディックなものを奏でるのを聞けたのは信じられないことだったね。

    −どのようにしてジャコの親族と出会ったのか

    これはとびきりの話だよ!ラッセルっていうサーフ仲間でバーテンダーの友だちがいて、そいつがジャコが人生のほとんどを過ごしたフォートローダーデール(訳注:フロリダ州南東部)に住んでたんだ。数年前、ラッセルがジャコの長男ジョニー・パストリアスにドリンクを作っていると、ジョニーのクレジットカードにあった苗字に気付いたんだ。ラッセルはベニスビーチの俺の家に来て、ジャコの写真を見たり、俺がジャコの話をしたりしていたことを覚えていて、ジョニーにこう尋ねたんだ。「あなたの名前は聞き覚えがありますね?」そしたらジョニーは「ジャコ・パストリアスは俺の父親なんだ」って答えた。それは純粋に偶然の一致だった。ラッセルは俺に電話して、ジョニーもスイサイダル・テンデンシーズのファンで、俺のことも知っていることがわかったんだ。

    オジー・オズボーンのバンドに加入した最初の年、フォートローダーデールに行ってジョニーに会った。すっかり仲良くなったよ。一晩中一緒に外にいた。振り返ると、あれはフロリダ南部のパーティーの日だったのかな。とにかくそういうことさ!間違いなく素晴らしい時間だった。それでジョニーと一緒にどこかのストリップ・クラブに入って、俺がスイサイダル・テンデンシーズのロッキーに電話したんだ。「俺、ジャコの息子と一緒にいるんだよ!ほら、挨拶して!」って。ジョニーと俺は仲良くなった。それが今回の話(ジャコのドキュメンタリー映画制作)の始まりだったんだ。

    後で俺はジョニーを通じて(ジャコの娘の)メアリー・パストリアスとも会った。それで俺たちはメル友になったんだ。メアリーは本当に素晴らしいシンガーで、彼の夫エリック・ヤングはとんでもないキーボード奏者なんだ。もし彼らがフロリダに住んでいなかったら、もし彼らがロンドンかLAかニューヨークに住んでいたら、彼らがありふれた名前だったら、(そう考えると)なんて素敵なきっかけなんだって思うよ。ジャコの甥デヴィッド・パストリアスもいつもそんな感じで親友なんだ。彼らはいつもそんな感じさ(笑)

    rob_handsam02

    −どのようにしてジャコのドキュメンタリーは形になったのか

    俺がジョニーに最初に会った時、俺は彼に言ったんだ。「キミのお父さんについての映画を作らなきゃ。彼の話はホントに人を惹きつけるからね。」と。ジョニーと俺は連絡を取り続けていた。ジョニーは音声ドキュメンタリー『A Portrait Of Jaco: The Early Years』のプロデューサーをやってたボブ・ボビングっていう人とドキュメンタリー映画に向かって取り組んでいた。それは本当に大きかった。素晴らしい要素だった。

    年月は過ぎ、ジョニーはボブをメタリカのショーに連れてきた。ジョニーがボブに俺がジャコに夢中になっていたことを話していたし、彼らはジャコの関連性を理解していて他のタイプのミュージシャンをドキュメンタリーに引き入れたいとジョニーは思っていたからね。彼らはメタリカを観にやって来て、フォートローダーデールのアリーナのショーがチケット売り切れになっていることにボブは感動したみたいだった。ボブと俺は友だちになったんだ。4年前、彼は俺に制作という船に飛び乗ってくれないかと頼んできた。ジョニーと俺は数年前にこれについて話したことがあって、俺たちがこんなことになって奇妙で皮肉な運命のいたずらみたいだったね。

    2年前の夏、俺たちは初めてラフカット版を観た。俺たちはいま編集の最終段階に来ている。3人の監督がいるんだ。1人目はスティーヴン・カイヤック、彼は『Stones In Exile(邦題:ストーンズ・イン・エグザイル 〜「メイン・ストリートのならず者」の真実)』や『Scott Walker: 30 Century Man』の監督をしている。彼は1年以上、制作陣にいてインタビューのほとんどをやっている。1年半前くらいから俺たちはポール・マルシャンって人とも一緒にやっている。彼はプロジェクトの最初から編集をしてきた人物だ。それは地獄のジェットコースターみたいに大混乱しているけど、絶対に変えるつもりはないよ。

    −どのようにこの映画に関わっているのか

    かなり関わっているよ。俺はプロジェクト全部に出資している。制作会社のPassion Picturesは『Searching For Sugar Man(邦題:シュガーマン 奇跡に愛された男)』でオスカーを獲得している。『Stones In Exile』も彼らが手がけた映画だ。彼らは素晴らしいよ。この地球で後世に残る最優秀ドキュメンタリー制作会社だ。

    俺はクリエイティブな面でも関わっている、もちろん、そこにはバランスがあるけどね。とてもクリエイティブな監督が一方でいるわけだから。ポールは本当に為すことがクリエイティブだ。彼の創造力でスクリーンに命が吹き込まれているし、彼は自分を強く持っている。それからジャコの家族のこともある。俺のやることは、みんなの要望の間でバランスを取らなきゃならないってことなんだ。時にはそれが最も難しくなることもある。映画制作陣と、自分たちの父親の話に感情的に愛着を持っている家族、俺にとっては全てを意味する。おまけに俺の芸術的展望もあるしね。緊張の瞬間だってあるんだ。

    でも創造的な緊張、感情的な緊張、一番丁寧なやり方で頭突きしたかのような、そういった瞬間を味わえるのは、このプロジェクトの一番良いところだよ。もし3年前に完了させていたら、映画はあるべき姿になっていなかったと思う。今、俺たちが(制作中のまま)2014年を迎えているっていうのは、本来そうなるはずだったんだ。この映画は今年公開する必要がある。だから俺たちは11月の第3週目になるよう努力しているんだ。

    −どのようにして今年の「Record Store Day」にジャコのサウンドトラックを出したのか

    俺たちは1974年のジャコによるデモ・レコーディング『Modern American Music… Period! The Criteria Sessions』をリリースすることもできたんだ。「Record Store Day」の創始者マイケル・カーツがこのプロジェクトを受けて、公にしたのさ。

    マイケルが17歳の時、ノースカロライナでウェザー・リポートのコンサートに行ったらしい。それがジャコとウェザー・リポートの最初のツアーで、マイケルはスーパー8mmフィルムでショーを撮影したんだ。音はなかったけど、ジャコのプレイを見ることができるんだ。彼がまだ若く元気でイカしてた。マイケルはこの撮影した場面をドキュメンタリーに寄贈してくれた。それから後、彼は2008年に「Record Store Day」のアーティストとしてメタリカを引き入れる役割を果たしたんだ。彼もジャコのために同じようなことをしたくて、2014年にジョニーと俺をOmnivore Recordsとつなげてもらった。彼らとランチをして、ジョニーはCriteria Studiosでとったデモ音源について話し始めた。俺はそれについて全く知らなくてね。それはずっと長い間、所在が不明だったデモ音源でジャコの最初のソロ・レコードの準備としてレコーディングされたものだったんだ。素晴らしいよ。ああいう裏話はすごいよね。そうして俺たちは特別なレコード盤をリリースすることができたんだ。まだ聴かれていない、未開封のジャコの初期の純粋なデモ・レコーディングを、この2014年にね。さらにジャズ・チャートで2週間も2位を獲得した。俺たちが制作を続けられなかった唯一の理由は、レコード盤が品切れになってこれ以上刷れなかったからさ。それが全てを物語っていると思う!


    rob_handsam03

    −どのようにしてジャコの最も有名な楽器を救ったのか

    当時は法律的な問題があったんだ。今はもう解決したけど、ジャコの家族はこの問題についてストレスで本当に参っていた。大筋を言うと、ジャコの有名なフェンダーのジャズ・ベースが20年間行方不明だったんだけど、ニューヨーク市のコレクターの手に渡ったんだ。そのベースは盗まれたとか売られたとかいう噂だった。ジャコがドラッグや何かのために自分のベースを売ったというのは疑わしい。でも、いろんな解釈をされやすい事態だったんだ。

    俺たちの気持ちとしては、まずニューヨーク市の公園でジャコがホームレスだった時に奪われたんじゃないかと思う。それは壊されて50個ほどに分けられてしまった。俺は写真を見たけど、狂ってるね。ジャコはベースをフロリダの(ベーステクの)ケビン・カウフマンに送ったんだ。で、彼はそれを修復したのさ。ジャコはベースを取り戻して、それから奪われたんだ。そうなる前にそのベースでマイク・スターンとレコーディングを行った。それでケビンはニューヨークにやってきて、楽器は本物であると認証をした。それが問題の始まりだったんだ。家族は言うまでもなくベースを取り戻したがっていた。でも所有者はベースのことをあきらめようとはしなかったんだ。

    だから俺はベースを取り戻すお金を支援した。俺はコレクターじゃないけど、当時この状況を自分が助けることが重要なことだと思ったのさ。そうして俺たちはベースを取り戻した。俺はベースの合法的な所有者だ。でもこの楽器についてのどんな決定もジャコの家族の承認を受けなければならないようにした。彼らにとって、あのベースは家に横たわる家族のペットみたいなものなんだ。無くなった時でさえも。フェリックス・パストリアス(ジャコの息子でジュリアス・パストリアスの双子)が今は持っている。俺はあのベースを弾いたことあるけど、素晴らしいよ。とてもいい形をしていたね。


    この件については多くの誤解がある。俺はインターネットで言われているようなヤツじゃない。何もかも完全にかけ離れているよ。でも俺は間違った考えを持っていたり、俺があのベースを脅し取った(あるいは自分自身のために持っている)とか、俺がニューヨークでそれを見つけて金を払って奪い取ったと考えていた人に通りで近寄られたこともあった。そういうことでいつもジョニーとフェリックスを困らせていたよ。事態はまるっきり正反対だからね。俺は情熱からこの事態を引き受けた人間なんだ。俺は物事に情熱的になるんだ。そして俺は助けようとしたのさ。

    −ついにジャコの映画の準備も大詰め、映画についてまとめてください

    このプロジェクト全部、俺のジャコへの気持ち、そしてこのストーリーとジャコとの関連性が中心にある。ジャコの家族との関係もね。多くの人は俺がパストリアス家とつながりがあるなんて気付きもしないし理解もしていない。このプロジェクトが始まる前に彼らは俺の家に泊まったんだ。俺はジョニーとメアリーとほとんど同じくらいデヴィッドのことも知っている。俺たちが知り合ったのは彼がまだ10代の頃。デヴィッドと彼のバンドが何年も前に(スイサイダル・テンデンシーズのサイド・プロジェクトである)インフェクシャス・グルーヴスの前座を務めたんだ。

    俺たちにはたくさん歴史があるんだ。面白いよ。年上のミュージシャン、ウェイン・ショーターとアンソニー・ジャクソンみたいな人たちも出ている。彼らはメタリカや俺のことをリスペクトしてくれているんだ。俺がメタリカに加入した時、そういうプレイスタイルを学ばなきゃならなかった。俺の大好きなベーシストはジャコとアンソニー・ジャクソンだったからね。もちろんゲディー・リーとギーザー・バトラーも好きだけど。俺はメタリカの要求を満たすよう自分のスタイルを適応させなければならなかったんだ。俺の快適な範囲はいつだってインフェクシャス・グルーヴスなんだ。いつも言っているんだけど、あのバンドは完全にジャコ・パストリアスにインスパイアされたバンドだ。スレイヤーやスイサイダルと同じようにね。ジャコはインフェクシャス・グルーヴスの鍵となる要因だった。でも多くの人はそれを知らない。多くの人は俺が4回ジャコのプレイを観たことも知らない。

    この映画は素晴らしいよ。俺たちがインタビューしようと思った人の99%はインタビューした。その範囲も広いけど、とてもいいバランスになっている。ゲディー・リーからハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、スティング、ジョニ・ミッチェル、それからジャコの活動初期にコラボしたプロデューサー、ボビー・コロンビーまで出演してもらった。ソニーが映画のサウンドトラックを出す予定だ。そこには最前線で活躍するアーティストが参加している。これは俺がやってきた中で、一番満足している旅路のひとつだ。そしてキミたちのようにジャコに関心を持つ雑誌があるってことがわかって嬉しいよ。


    BassMagazine(2014-09-23)

    コレクターから取り戻したベース「Bass Of Doom」を記念したTシャツもメタリカ公式Tシャツとして売られていましたね。
    bass_of_doom

    これだけ情熱を持って制作された映画、ぜひ日本でも観たいです!(どこか配給頼む!)

    ブログランキングに参加しています。
    応援クリックをヨロシクお願いします。

    関連記事
    「Lords of Summer」限定12インチ盤2014年11月28日発売
    ロバート・トゥルージロ、自身の音楽的ルーツについて語る
    ロバート・トゥルージロ、マイルス・デイヴィスの伝記映画への出資を呼びかける

    このページのトップヘ