メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:ロバート・トゥルージロ

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    ジェイムズ・ヘットフィールドがEMGtvの最新インタビューのなかでギターサウンドや新譜制作について語りました。
    esp_james

    「実はまさに今、俺たちはレコーディングをしているんだ。1つめのギター、2つめのギター、3つめのギターがある。そしてこの3つのギタートラックのサウンドは全く違うんだ。3つとも全く違う音なんだよ。」

    BLABBERMOUTH.NETより(2015-10-12)

    もうちょっと新譜に関するヒントをちょうだい・・・。インタビュー動画はこちらから。これまでの歩みやNAMMショーの思い出、カスタムカーとギターの関連、ギターデザインの元ネタなどESPの「Truckster」「Iron Cross」「Snakebite」モデルを交えて語ってくれています。


    一方、ロバート・トゥルージロはメンフィス州のラジオ局「ROCK 103」の朝番組「Sunrise Bar & Grill」で近況を尋ねられて次のように答えています。
    「メタリカの世界で時間管理はとても重要だ。俺たちはみな家庭を持っている。もちろんそれはとても大切だ。自分たちの情熱のあるものは何でも・・・ジェイムズは、みんなも知ってるかどうかわからないけど、素晴らしいカスタムカー・ビルダーなんだ。デザインしたり、彼の友だちとか何人かでこういうプロジェクトをやったりしてるよ。彼らはアメリカ中のカスタムカー・ショーにエントリーして、賞を勝ち取った。本当に彼がやっていることは素晴らしいよ。彼はそういうレベルのちょっとしたアーティストだね。そしてカークにはFearFestEvilがある。彼はモンスターのメモラビリアやポスター、原画といった本当に素晴らしいコレクションを持っている。あれは彼にとっての情熱だし、いつだってそうなのさ。そしてついに彼はそのコレクションを持ってツアーに出た。同じテーマの本も出版しているしね。ラーズは、みんな知ってのとおり、長年に渡って断続的にアートコレクターでしょ。みんな(メタリカとは)別のやることがある。俺はと言えば、(ジャコ・パストリアスの)物語が語られることを望んでいる。実際に俺は・・・時おり誰かがジャコを映像で撮ったことがないかと探している。1996年以来、彼の息子とも知り合ったから、もう長いこと彼のことを知っているんだ。俺たちは長年に渡って友だちだし、何というか仲間なんだ。」

    BLABBERMOUTH.NETより(2015-10-08)

    インタビュー音声はこちらから。


    限られた時間のなかで一応、レコーディングは少しずつ行われている模様です。

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    カーク・ハメット「レコーディングでメンバー4人が集まるのは難しい」

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    本日9月27日はクリフ・バートンの命日。そんなクリフの死にまつわる話を含む記事をみつけました。本当に「衝撃的」かどうかは人によるかと思いますが、管理人拙訳にてご紹介。(ちょっと長いのでお時間あるときに)

    19. ジェイムズ・ヘットフィールドの初めてのバンド

    obsession_artwork

    多くの人は信じないだろうが、ジェイムズ・ヘットフィールドが参加した最初のバンドはファントム・ロード(Phantom Lord)ではなく、オブセッション(Obsession)だ。このオブセッションでヘットフィールドはメタリカのオリジナルメンバーのベーシスト、ロン・マクガヴニーと初めてのジャム・セッションを行っている。そして、シンガーのマイク・ヴェセーラが音楽的キャリアを始めたバンドとしても知られている。オブセッションは長く名高いキャリアを持ち、1982年から1989年まで活動し、2004年に再結成した。バンドは現在も活動中で2012年には最新スタジオアルバム『Order of Chaos』をリリースしている。

    18. 緑の『Ride The Lightning』

    Ride-The-Lightning

    1984年のメタリカの2ndアルバム『Ride The Lightning』は、我々ほとんどが目にしたことあるのは標準的な青だが、Bernett Recordsによってジャケットが緑色にミスプリントされたフランス盤が400枚存在する。この緑盤はコレクター垂涎の的で見つけるのは難しい。『Ride The Lightning』はプラチナ・レコードの6倍つまり600万枚以上をアメリカだけで売り上げている。

    17. メタリカが所有し、運営しているMetClub

    MetClub

    献身的なメタリカファンなら、MetClubのことは聞いたことがあるだろう。バンドは1994年に熱狂的なファンのためにクラブを立ち上げ、100%メタリカによって運営されている。MetClubではその年のTシャツを提供し、「So What!」と題された年5回発行の会報誌を発行している。それだけでなくチケットやグッズも入手できるし、メンバーとして登録していて運がよければ、バックステージパスさえもらえるチャンスがある。

    16. 「Seek and Destroy」がシングルになっていない

    Seek-and-Destroy

    1983年のメタリカのアルバム『Kill 'Em All』が驚くべき楽曲内容のアルバムだと考えていたとしたら、かなりガッカリするかもしれないが、「Seek and Destroy」は『Kill 'Em All』のなかでほぼ間違いなく最も人気のある曲のひとつだ。例えば「Phantom Lord」「Metal Militia」「The Four Horsemen」は「Seek and Destroy」よりもテクニカル面においては優れているが、実際にシングルとしてリリースされなかった。実際、『Kill 'Em All』から出されたシングルは「Jump in the Fire」「Whiplash」の2つだけだ。

    15. タロットカードがクリフ・バートンを殺した?

    Cliff-Burton

    バス事故によるベーシスト、クリフ・バートンの悲劇的な死は『Master of Puppets』のツアーをしていたメタリカと彼らのファンみんなにとって大きな損失だった。元ペンタグラム(Pentagram)のジョー・ハッセルバンダーは彼がセイラム魔女裁判(※訳注1)を引用したタロットカードを持っていたから死んだと考えていることを別の機会に語っている。クリフ・バートンは1986年9月27日にわずか24歳で亡くなった。彼の伝説は生き続けており、2011年にはRollingStone誌でオールタイム・ベストベーシストの9位に選ばれている。

    14. ブラックアルバム伝説

    The-Black-Album

    メタリカがレコーディングした9枚のアルバムのうち、セルフタイトルのアルバムはブラックアルバムとしても知られている。このアルバムはいまだに最も売り上げたアルバムと考えられており、世界で3000万枚も売り上げたサウンドスキャン時代の最も売れたアルバムである。2003年にはRolling Stone誌のオールタイム・ベストアルバム500で255位にランクイン。2012年にはヨーロッパのブラックアルバムツアーでアルバム完全再現を行った。

    13. 記録破りに一役買った『Death Magnetic』

    Death-Magnetic

    メタリカの2008年の最新アルバムのリリースによって、ビルボード200でスタジオアルバムが5連続初登場1位というアメリカのバンドでは唯一の記録を持つこととなった。メタリカは元の音楽スタイルに戻ったと数多くの批評家が語ったように多くの肯定的なレビューを受けた。『Death Magnetic』はロバート・トゥルージロが加わっての初めてのアルバムでもある。この人と言えば・・・

    12. ロバート・トゥルージロのメタリカまでの音楽的背景

    Robert-Trujillo

    メタリカのベーシスト、ロバート・トゥルージロは、まだ実際にオジー・オズボーン・バンドに籍を置いていた1998年に、マス・メンタル(Mass Mental)を結成した。マス・メンタルはライヴアルバムを1枚、スタジオアルバムを1枚リリースしている。いずれも日本だけのリリースだ。さらに彼はスイサイダル・テンデンシーズ(Suicidal Tendencies)とインフェクシャス・グルーヴス(Infectious Grooves)のメンバーでもあった。現在は、2003年からメタリカのメンバーだが、12年在籍してアルバムは1枚しか演奏していない。

    11. スパスティック・チルドレン(Spastik Children)

    Spastik-Children

    スパスティック・チルドレン(Spastik Children)というバンドのことは聞いたことがあるだろうか?考えられないかもしれないが、スパスティック・チルドレンは、ジェイムズ・ヘットフィールド、クリフ・バートン、フレッド・コットン、ジェイムズ・マクダニエルによって結成された「おふざけバンド」だ。彼らは全く練習しないので、とんでもない曲を弾くことになった。彼らの音楽はメタリカよりも粗野なパンクスタイルで、カリフォルニア北部のクラブでのみ活動していた。ジェイムズがドラマーを務め、クリフがベースを弾いた。クリフの死後、カークがこのおふざけバンドでベースを弾いていた。かつてカークはこう語っている。「スパスティック・チルドレンは飲んだり、ステージ上でバカやったりできる良い言い訳だった。」

    10. メンバーそれぞれソロ活動をやっている

    james-hetfield

    世界最大のメタルバンドのひとつであることに加えて、彼らはいくつかのサイドプロジェクトにここ何年も手を出してきた。ラーズはマーシフル・フェイト(Mercyful Fate)の「Return of the Vampire」のリメイク版(※訳注2)でドラムをレコーディングしている。ジェイムズはダンジグ(Danzig)の「Am I Demon?」と「Twist of Cain」(※訳注3)のバックボーカルを務めている。カークもまたメタリカ以外の曲をレコーディングしており、レス・クレイプールやマイク・ボーディンとレコーディングしたのはそのうちのひとつだ。また彼はデス・エンジェル(Death Angel)のためにいくつかデモをプロデュースしている。

    09. オリンピックスタジアムでの事故

    olympic-stadium

    ジェイムズ・ヘットフィールドはモントリオールのオリンピックスタジアムで行ったライヴで1992年8月8日にステージ上のパイロ事故で火傷を負った。ジェイムズはパイロテクニクスの演出中に12フィート(4メートル弱)の炎の中に踏み入れてしまい、左上半身と頭の左側に第2級、第3級の火傷を負った。その時のベーシスト、ジェイソン・ニューステッドは当時ヘットフィールドの皮膚が「悪魔の毒々モンスター(原題:The Toxic Avenger)みたいに泡立っていた」(※訳注4)と語っている。事故によってメタリカはライヴを終了することを余儀なくされた。長時間の遅延後、(ダブルヘッドライナーのもうひとつのバンド)ガンズ・アンド・ローゼズはステージに立つ準備をしたが、2つの公演のあいだでモニターが正しく配置されなかったため、ミュージシャンは音が聴こえない状況になった。アクセル・ローズも喉を痛めていると訴えたため、ガンズもセットリストを短くカットし、モントリオールの街でファンによる暴動を引き起こすことになった。

    08. グラミー賞を勝ち取った『St.Anger』

    StAnger

    メタリカのファンのなかには2003年のアルバム『St.Anger』を嫌っている人もいる。アメリカのファンたちがCD炎上パーティーを行ったように。今では『St.Anger』収録曲をメタリカがライヴで演っているのを観るのは非常に稀だ。ファンが嫌っているにも関わらず、メタリカは先行シングル「St.Anger」でグラミー賞ベスト・メタル・パフォーマンス部門を受賞した。そしてアルバム自体もアメリカでダブル・プラチナ・レコードを獲得し、世界で600万枚を売り上げた。

    07. ジェイムズ・ヘットフィールドが受けたキリスト教的家庭教育

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    フロントマンのジェイムズ・ヘットフィールドは、過度に厳格なクリスチャン・サイエンス信者の家庭で育ったことにおそらく起因する、感情的で激しい歌詞を書くことで知られている。1991年のセルフタイトルのアルバムに収録されている「The God That Failed」という曲は、母親の死にまつわる曲としてヘットフィールドの宗教的な家庭を背景に題された。強い信仰により、母親は癌のための医学的治療を拒否し、治癒する希望を信仰に託すことを選んだのだ。

    06. テニスの申し子ラーズ

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    ラーズ・ウルリッヒはデンマークでの子供時代はテニスの申し子だった。プロテニスでプレイすることは彼の血筋だ。父親も祖父もプロなのだ。16歳でロサンゼルスに引っ越す前にスウェーデンのメロウなシンガー、ネナ・チェリーと友人になり、その後すぐに音楽への情熱によって、その他全てのこと、とりわけテニスが見劣りするものになってしまった。ドラムを前にする彼の技術的な才能はしばしば批判されてきたが(特にその他多くのメタルプレイヤーに比べて)地球上で最も有名なドラマーになったことは疑いようがない。

    05. カーク・ハメット vs デイヴ・ムステイン

    Dave-Mustaine

    ほとんどの人が知っているように、オリジナルメンバーのリードギタリスト、デイヴ・ムステインは1983年にメタリカを解雇された後にメガデスを結成した。結局、カーク・ハメットがムステインの代わりにメタリカに加入した。この出来事の真っ最中、ムステインは彼が書いたリフの多くが、後にカーク・ハメットによって仕上げられ、カークを有名にしたという不正が行われたと考えていた。彼はかつてカーク・ハメットに対してこう語っている。「俺の仕事を盗んだが、少なくともヤツが俺の仕事を奪う前にヤツの彼女とヤったぜ。」品を落とさないでくれ、デイヴ。

    04. メタリカの個人アシスタント

    Metallica_struggle

    今日の有名人のあいだでは個人的なアシスタントを雇っていることは珍しくない。実際、アシスタントが一人もいない有名人を見つけることは稀かもしれない。ラーズ・ウルリッヒはどこにいても個人アシスタントが付いてくる。彼女の名前はバーバラだ。彼女は基本的にパソコンの電源を入れることから、腕時計を付けることまで何でもやる・・・ロックスター生活だ!メタリカは83人のフルタイムのスタッフを雇っているというのに。『St.Anger』のレコーディングのあいだは、バンドを完全崩壊から守る心理アドバイザーまでここに含まれていた。

    03. エイブリルフールのジョーク?

    Kirk-Hammett1

    カーク・ハメットはメタリカに加入する前に、エクソダス(Exodus)のギタリストだった。彼はメタリカのオーディションについての電話を初めて受けた時、あまりにショックで友だちが残酷なエイプリルフールの冗談を言っているのだと思った。しかし数日後、彼は確認の電話をもらい、冗談なんかではないと気付いた。後は歴史が語る通りだ。2003年にはRollingStone誌のオールタイムベストギタリストに10位のキース・リチャーズ、12位のカート・コバインのあいだに滑り込み11位にランクされた。

    02. 個人の政治的意見を表にしない

    Metallica3

    何年にも渡って、多くのミュージシャンが個人の政治的意見を音楽を通じて表現してきた。しかしジェイムズ・ヘットフィールドはそのような考えに賛同しない。彼は過去にこの問題について次のように語っている。

    「自分たちの意見を熱弁する有名人がたくさんいる。そして彼らは人気者だから(その意見が他の人が語る意見よりも)正当だとみんなが思ってしまう。俺たちにとって、人は人だ。みんな自分自身の意見を持つべきなんだ。俺たちは人生の不幸な部分が何たるかを人間的要素に入れられればいいんだが。」

    01. メタリカの始まり

    metallica-young

    どんなバンドの始まりでも学ぶべき面白さがある。特にそれが自分がずっと好きなバンドであればなおさら。メタリカの始まりは、ジェイムズ・ヘットフィールドがラーズ・ウルリッヒによって(地元紙の)リサイクラーに出された広告に答えた1981年に遡る。2人はジャム・セッションのために会ったが、1年後にラーズがメタルブレイドのコンピレーションアルバム『Metal Massacre』の収録曲をレコーディングできることになってすぐに誰かと一緒にバンドを組む必要が出てきた時まで本当に何も生まれなかった。「Metallica」の名前はラーズ・ウルリッヒの友だちロン・クインターナからの提案だった。彼は「MetalMania」の名前も提案していた。

    Gendalf News(2015-09-18)

    ちなみに、この記事は元々今年3月にロシア語で書かれていた元ネタを英語で紹介しているようです(そして、こうして日本語で改めて紹介している)。bugaga(2015-03-24)

    以下、訳注など。
    ※訳注1:セイラム魔女裁判
    17世紀に実際に起きた魔女狩り裁判。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%AD%94%E5%A5%B3%E8%A3%81%E5%88%A4

    ※訳注2:「Return of the Vampire」
    マーシフル・フェイトのアルバム『In the Shadows』に収録。
    intheshadows



    ※訳注3:実際にジェイムズが参加しているのは「Twist of Cain」と「Possession」

    「Twist of Cain」


    「Possession」


    ※訳注4:
    1984年公開の映画『悪魔の毒々モンスター』。予告編はこちら。


    ちなみに「カーク・ハメット vs デイヴ・ムステイン」について、最近デイヴ・ムステインがツイッターで、ファンとこんなやりとりをしていました。

    CPbWZJaWUAAKRf4

    ファン「メタリカのロック・イン・リオ 2013。「俺が本当に好きなギタリストはデイヴ・ムステイン」(Google翻訳)」
    大佐「見ろよ!・・・トラブルを起こすのが好きなのは俺だけじゃないみたいだぜ!!(笑)」

    twitter(2015-09-21)

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    更新ご無沙汰しています。まずはBARKSでも報じられているこの話題。

    先日のロラパルーザの舞台裏でカリフォルニアのラジオ局「107.7 The Bone」のインタビューを受けたロバート・トゥルージロ。彼がステージ上で見せる「カニ歩き」は、オジー・オズボーンがきっかけであることを語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にて。

    rob_crabwalk

    「あれはオジーがきっかけなんだ。ツアーで・・・あれは初日か2日目だったかな・・・彼と共演した2回目のショーだったと思う。ラスベガスでね、覚えているよ・・・。俺たちは(ブラック・サバスの)「Sweet Leaf」を弾いていて、彼はみんなに(ステージ上で)うるさく付きまとっていたんだ。良い意味でね。いろんなやり方で俺たちを挑発していたんだ。ステージの動きとかそういうことでね。だから俺はこの変てこな相撲みたいな動きをし始めたのさ・・・。それをみんなは「カニ歩き(crab walk)」って呼び出した。そんな感じだったのさ・・・。俺がオジーに振ってみせたら、彼も一緒にやってくれて、笑っちゃったよ。すごく面白かったね。それ以来、俺たちはやってるんだ・・・。でももう一緒ではないけどね。彼もまだやっているといいなぁ。やってるかは知らないけど。」

    「オジーと共演するなんて夢が叶ったようなもんだよ。俺たちはみんなブラック・サバスで育った。隠すまでもないことだ。メタリカのメンバーも、俺がこれまで加入していたどんなバンドのどんなメンバーでも、あるいは俺が一緒にやってきたどんなヤツでもそうさ。俺はいまだにブラック・サバスの曲を弾く。MASS MENTALの仲間ともジャムった。「War Pigs」だろ・・・「Fairies Wear Boots」だろ・・・俺たちは大好きなんだよ。今日までね。だからサバスはいつだって最高の音楽なんだ。グルーヴがあって、ファンキーで、ヘヴィで、(曲の展開に)たくさんの変化があるからね。ファストにもなれるし、最高のスローでパワフルなリフもある。メロディーも本当に重要だ。美しいよ。だから彼との共演は夢の実現なんだ。俺は80年代はじめにパーティーバンドに入っていた。そこでサバスやオジーの曲をラッシュやヴァン・ヘイレンとかそういう類の曲と同じだけ演っていたよ。だから彼と共演することは、もう一度言うけど、「えぇ!マジで!?」って感じだったのさ。そしてそれがあの時に笑っちゃった理由のひとつなんだ。俺が「カニ歩き」をしていて、オジーを見たら、現実とは思えなかった・・・俺にとっては神様みたいな、触れてはならない存在だったんだ。そんな彼が「カニ歩き」をしているんだからね。」


    BLABBERMOUTH.NETより(2015-08-03)

    インタビュー動画はこちらから。


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    ロバート・トゥルージロの新たなプロジェクトの詳細が明らかに
    ロバート・トゥルージロ、デイヴィッド・エレフソンの対談インタビュー前編
    ロバート・トゥルージロ、デイヴィッド・エレフソンの対談インタビュー後編

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    とりあげるのが少し遅れましたが、ロバート・トゥルージロのサイドプロジェクトの続報。2015年2月にinstagramで画像がアップされたロバート・トゥルージロのサイドプロジェクトについて取り上げました。(関連記事参照)

    trujillo_project

    このプロジェクトの中心的存在で、写真のアップ主でもあるMagic Bullet Recordsの創設者ブレント・アイストーンによるコメントがNoiseyのインタビューで掲載されました。管理人拙訳にて抜粋してご紹介。

    これはトニー・ホーク財団を通じたプロジェクトなんだ。俺とロバート・トゥルージロ(Metallica)とリック・スミス(Torche)、グラハム・スカラ(元Darkest Hour、Iron Reagan)、そしてConverge、Doomridersのネイト・ニュートン。俺たちはレコード制作をしている。数曲収録してデジタル版とビニール盤で出すつもりだよ。収益金は全てトニー・ホーク財団に寄付される予定なんだ。俺たちはみんなスケートボードが大好きで、低所得地域に無料のスケート・パークを作る、このチャリティーに信念を持っている。プロジェクト名もリリース日も決まってないけど、これができたら全ての収益は公共のスケート・パークに使うつもりだ。俺たちは新しいものを作りたがる、何か上限を設定するようなことはしない動きの速いミュージシャンなんだ。雰囲気のある、ちょっと変わった、ハードコアとは違うレコードになるかもしれないし、俺たちが一緒にやれると思っていなかった人たちと一緒にやるバンドになるかもしれない。

    Noisey(2015-07-24)

    というわけでプロジェクトの参加者とプロジェクトの意図まで判明しました。リリース日やプロジェクト名が発表され次第、続報を伝えられればと思います。

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    2014年9月6日「Warwick Open Day」で行われたロバート・トゥルージロとデイヴィッド・エレフソンとのインタビュー対談。前回の続きを管理人拙訳にてどうぞ。



    robert-trujillo-david-ellefson

    デイヴィッド・エレフソン(以下、DE)
    ひとつ聞きたいことがあるんだけど、キミがフラメンコギターを演奏するのをネット動画でみたんだ。キミのフラメンコギターの経歴はどういうものなの?



    ロバート・トゥルージロ(以下、RT
    フラメンコは俺が赤子の頃から聴いてきた最初の音楽じゃないかな。父親がフラメンコを弾いていたからね。趣味目的だったけど、いつも弾いていたよ。彼の弾くこの手の音楽を聴いてきたんだ。彼の指のテクニックも明らかにすごかったよ。指がね。だから俺がアコースティックギターを抱えると、すぐにああいうのを弾き始めちゃうんだ。ある時に気付いたんだけど、よりベースが突き動かされている音楽の方に俺は惹きつけられているんだ。


    DE
    あれがキミのベース・テクニックに生かされているのかな?


    RT
    そう、俺のベース・テクニックにね。でもある時、もっとリズミックな楽器なんだと気付いたんだ。ベースとかドラムというのは、本当に俺にピッタリなんだ。最初ドラマーになりたかったんだけど、住んでいたアパートではドラムキットも置くことも大きな音を鳴らすのもままならなかった。アンプが効かなくなった窪んだ形のベースギターを持っている父親の友だちがいてね、でも窪んでいたからこそ、俺はそれを弾くことができたんだ。一年くらいは弾いていたよ、スケールとかを学びながらね・・・そうして今の自分がいるんだ。


    DE
    (カメラの方を向いて)下の階だな、ヤツは「Holy Wars」を指で刻んでやがる。

    RT
    俺もやったよ!あれはこれまででお気に入りのリフのひとつだね。この男に会うたびにいつもこうさ。「あんなのどうやって書いたんだ?」


    DE
    「ほら、Holy Wars弾いてくれよ!」ってね(笑)でもピックをくれよ。俺にはピックが必要なんだ。

    RT
    俺も聞きたいことがある!

    DE
    どうぞ。

    RT
    昔は南カリフォルニアから出てきたリフにいつも惹きつけられてたんだ。ヘットフィールド、ムステイン、ケリー・キング、ジェフ・ハンネマンといった具合にね。イギリスのバーミンガムに似ていた。あそこから出てきたヘヴィリフには、ブラック・サバスやプリーストとかその他いろいろいた。あの当時、俺はあの場にいなかった。ロサンゼルスで暮らしていたし、俺はキミらより少しばかり若かった。俺は数年後に(南カリフォルニアに)やってきた。あれには衝撃を受けたよ。キミらがああいう魔法のようなヘヴィネスを創りだしていた頃、南カリフォルニアのストリートのあのエネルギーは何なんだ?って。出身地から来るスピリットなのか、ストリート文化と「コンクリート・ジャングル」のなかで育ってきた経験からなのか?


    DE
    俺がどう思うかっていうとね。1983年にミネソタからLAに引っ越してきた。メガデスのようなことが何か起きないかと希望を持ってね。ダメだったらB.I.T.(音楽大学ミュージシャンズ・インスティチュートのベース科)に入ろうとしていた。どんな親も子供が行こうとしている学校を知りたがるからね。

    RT
    俺も音楽学校に行っていたよ。

    DE
    ロスに着いて、俺はデイヴ(ムステイン)の下の階のアパートの一室に引っ越してきた。それでアイツの部屋のドアをノックして「俺たちとビールを飲まないか」ってね、伝えられているところによれば・・・。アイツと腰を下ろしたら、アイツはギターを弾き始めた。それは「Megadeath」という曲だった。それは3rdアルバムに「Set The World Afire」に形を変えて収録された。でもあのリフも『Ride The Lightning』の収録曲みたいなあの「スパイダーパターン」もこういった全ての曲はずっと前にアイツが書いたものなんだ。本当にクールだったよ。パンクとメタルを取り込んだ何かだと言えるからね。俺はこの年代のグループは、サバスとプリーストのレコードで育ったと思う。でもデッド・ケネディーズ、セックス・ピストルズのレコードも持っていた。あれはスラッシュメタルを生み出したエネルギーだった。デイヴは俺たちはLAのクラブでは二度とやらないって言っていたのを覚えているよ。ところが俺はヴァン・ヘイレンみたいなバンドやこういうLAのクラブでやっていた音楽しか聴いてこなかった。引っ越してきたら、アイツはこうさ。「俺たちはこの辺りのクラブじゃ二度とやらねぇ」アイツがウイスキー・ア・ゴー・ゴーでサクソンとやったばかりだったからじゃないかな、だから彼はこう言ったんだ。「俺たちはベイエリアに行くぞ」って。そうして俺たちはベイエリアに行って根を下ろしたんだ。実際、ケリー・キングは俺たちとやったことがある。彼がやってきて、最初の数回のショーを俺たちとやったんだ。スレイヤーは彼がやりたかったこととはちょっとどっちつかずの状態だったと思う。彼はそんなことがあってすぐ、キッズが彼に近寄って言ってたよ。「おいスレイヤーに何があったんだ?」それからケリーはエクソダスのトム・ハンティングを観て、音楽がどれだけ速くできるのかってのを目にしたんだ。すぐに誰が一番速いかの争いになったよ。

    そしてファンレターが来た。(カリフォルニア州)パロアルトで俺たちのファンクラブを運営しているブライアン・ルーがこの手紙をデイヴに送ってきたんだ。おおむねアイツにスピードアップしてくれと食ってかかる内容だった。あの手紙が俺たちの方向を変えたし、たぶんメガデスやスレイヤーが先陣切った方向性の手助けになったんだよ。でしょ?このエネルギーはより強くなったんだ。(LAの)サンセット・ストリップの全てのバンドが売れ出してたからね。モトリーがレコード会社とサインしたばっかりで、WASPもサインをしようとしていた。こういうバンドたちみんなが花道に向けた放たれたんだ。彼らは俺たちがやっていたようなものじゃなかった。俺たちはその背後にいた次の波だったんだ。一番キツかったのはああいうヤツらが売れ出して、MTVに出まくって、何百万ドルも儲けて、何百万枚もレコードを売ったってことだ。するとこうなる。「俺たちの番はいつだ?」とね。そして俺たちの番もついにやってきた。


    RT
    スイサイダル・テンデンシーズも似ているよ。ファンのおかげでロサンゼルスじゃ演奏できないってとこまできたからね。


    DE
    覚えているよ。あれは凶暴だったね。


    RT
    凶暴なファンだった。だからおおむねスイサイダルはカリフォルニア/サンフランシスコでやるだいたいのショーをベイエリアでやることになったんだ。


    DE
    あとテープ・トレードね。それと雑誌がソーシャルメディアが出来る前のソーシャルメディアだった。


    RT
    そうそう。クールだったし、とても有機的だった。あの手の情熱があると、俺が思うに、競争心も沸いてくるし、「Holy Wars」とか「Reign in Blood」みたいな曲を書こうとお互いに切磋琢磨するようになる。


    DE
    まさにその通り。俺たちの曲は、キミたちはどうか知らないけど、昔は俺たちメロディーを取っておいて、ある程度まできたら、いったん脇においておく。それから持ち出してきて、付け足して付け足して付け足してみる。切り取って、カットして、スライスしてまた足して・・・。そうこうしているうちに完全な曲になる。曲だけじゃなくてヴァースやコーラスやソロについてもそうだった。こういう入り組んだ過程を経ていたよ。


    RT
    それはまさにメタリカでやっていることだよ。インフェクシャス・グルーヴスのようなバンドとは真逆だね。「リフが出来たぞ」って俺たちが集まるのはザラで、本当にドラムからマジックを捉えようとしていたんだ。セカンドテイクをやりたかったんだ。わかる?リハーサル室に入って4日間、日に4時間籠って、一日4曲出来ていたよ。週末にはアルバムになる。次にこういった曲を聴く時には、スタジオでカセットになっている。


    DE
    ほとんど復習ジャムみたいなもんだね。

    RT
    その通り、復習ジャムだよ。それからレコーディングしていくんだ。俺たちにはブルックス・ワッカーマンっていう驚異的なドラマーがいたし、ジョッシュ・フリーズってドラマーもいた。彼ら16歳くらいだったキッズたちからエネルギーをもらったし、インパクトがあったよ。それがあのバンドのやり方さ。それからマイクが歌詞をつけていく。スイサイダルはもうちょっと曲やプロセス、リフを発展させていく。それからプロデューサーが加わってくるんだ。

    DE
    スイサイダルは初めて真のメタルギターを弾いていたバンドのひとつだったよ・・・暴力とともにね。

    RT
    「暴力とともに!」(笑)暴力を加えたら、スイサイダルになるよ。でも全てはムーブメントだったのさ。スケートボーダーたちとも繋がっていた。

    DE
    そういうシーンがあったよね。帽子のつばを上げて、ボードとかそういうもの全部。あれがシーンの一部になっていた。曲や音楽についてだけじゃない。全体がライフスタイルなんだ。

    RT
    ライフスタイルだね。つまり俺はディッキーズのショートパンツを今履いてるし、今でも野球帽を持っている。俺はただのでっかい子供なんだ。50歳になろうとしているけどね・・・。

    DE
    いつ50歳になるんだい?俺は11月になるよ。(訳注:対談は2014年)

    RT
    10月で50だよ。ハッピー・バースデー、俺たち!

    DE
    若くあろうとする老いたヘヴィメタルベーシストここにありだ。俺たちは若いからね。

    RT
    異議なし。

    DE
    以上、ロバート、デイヴィッド、BassGearの「Metal on Metal」でした。

    BassGearMagより

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    2014年9月6日にドイツで行われた「Warwick Open Day」にマス・メンタル(Mass Mental)として参加したロバート・トゥルージロ。同じイベントに参加していたメガデスのデイヴィッド・エレフソンとのインタビュー対談の模様がBassGearMagの「Metal on Metal」という企画でYouTubeでアップされていました。



    BassGearMagでインタビューの文字起こしもされていたので管理人拙訳にてご紹介します。

    davidellefson_roberttrujillo

    デイヴィッド・エレフソン(以下、DE)
    この「Warwick Bass Camp」でマス・メンタルをやったわけだけど、あれはどうやって集まったの?

    ロバート・トゥルージロ(以下、RT)
    そう。マス・メンタルは実際はファンキーで妥協知らずの集合体で、カメルーンの驚異的なベーシスト、アルマンド・サバルレッコと組んだバンドなんだ。彼とは1993年に(楽器製造メーカーの)ディーン・マークレイの宣伝の仕事で出会った。それでサンノゼに連れて行かれたんだ。行きの飛行機ではお互い知らなかったけど、帰りの飛行機では親友だったよ。その時、ケースに入ったビールを俺たちに持ってきてくれて、絆が生まれたのさ。その後すぐに、俺たちは曲を書き始めた。今日演った曲の多くは90年代に俺たちによって書かれたものなんだ。今回が俺たちの6回目のショーだよ。Warwickのプロデューサーから俺にこの素晴らしいイベントで演奏してくれないかと依頼がきたんだ。俺は「やるよ、でもアルマンドと、このプロジェクトのシンガー、ベンジーと一緒にやりたい」と言ったんだ。楽しかったよ。基本的に俺の友だちの多くは、何年も一緒に曲をレコーディングしたり、書いたりしてきた人たちなんだ。どんな機会でも彼らとまた一緒にやれるっていうのは素晴らしいことだよ。アルマンドと俺はサウンドトラックも手がけたし、マス・メンタルとして何回かやってきたことにはアニメの曲も含まれているんだ。俺がマス・メンタルに加入した時、実際に俺がやっていた・・・

    DE
    「加入」だって!?

    RT
    失礼!俺がメタリカに加入した時、やっていたことはマス・メンタルだったんだ。

    DE
    キミがメタリカを「組んで」、マス・メンタルに「加入した」ってわけかい?(笑)

    RT
    (笑)それで、俺はオジーとも仕事ができた。素晴らしいよ、カムバックできる何かがいつもあって、それを楽しめるんだから。そういう頃合いがきて、俺たちはやったわけだし。

    DE
    キミがスラップを弾いてるのをまた観れてクールだったよ、そうじゃないかい?だって最近のキミの仕事では、あれほどたくさんはやってないだろうからさ。

    RT
    そうだね。

    DE
    1993年の俺たちが写った写真を持っているよ。メタリカ、メガデス、スイサイダル・テンデンシーズが写ってた。キミと俺たちの仲間、ジミー・デグラッソ(訳注:1992年から1995年までスイサイダル、1998年から2002年までメガデスで活動)が一緒に演っていた。キミの姿で覚えているのはステージ中を動き回ってスラップしていたところだよ、そうだろ?あれをまた観れてクールだったよ。どうやったらあんなダイナミックにやれるんだい?

    RT
    クールだね、しばらくぶりだったよ。俺の昔のバンド、インフェクシャス・グルーヴスとして4、5ヶ月前にウイスキー・ア・ゴー・ゴーで演奏したんだ。あのスピリットに自分が繋がった感じだね。楽しいし、別物だった。別のヴァイヴがあったし、グルーヴも健在だった。キミたちもああいうグルーヴを持っているよね。スレイヤーもしかり、メタリカもしかり。

    DE
    いい機会だし、よかったよ。キミがあのなかで保っているものだね。

    RT
    ジェイムズ・ブラウンしかり、グルーヴが全てなんだ。グルーヴが何にでも機能するようになると、本当にアティテュードとかエッジになっていくんだ。

    DE
    インフェクシャス・グルーヴス、またやって楽しまなきゃね。あれが初めて出てきた時、俺たちメタル野郎はみんな耳を傾けたよ。あれは本当にエクストリームだったし、度を越えてたね。

    RT
    あぁ楽しかった。本当に実験的だった。スイサイダル・テンデンシーズに加入した時、マイクと俺はベースを中心に展開する曲を書き始めたんだ。何が起こるかわからなかったけど、俺たちは本当に作られるはずのなかったアルバムを作った。エピック・レコードがマイク・ミューアのソロアルバムを出したのはクールだったね。当時としては大金じゃない7万5000ドルでアルバムを作ったんだ。アルバムは普通・・・

    DE
    何十万ドルとかかるよね・・・

    RT
    そう、大金だ。俺たちは何とかオジー・オズボーンにも参加してもらった。

    DE
    オジーとのギグで得たものって何かな?

    RT
    助けになってくれたと思うよ。「Therapy」って曲があるんだけど、オジーは気に入っていたね。



    DE
    ベーシストへの注意書き「他のミュージシャンとつるめ」

    RT
    あぁその通り。俺たちはオジーと同じデボンシャー(Devonshire)っていうスタジオでレコーディングしていたんだ。本当に素晴らしいスタジオでね。オジーがそこでレコーディングしたし、もう俺たちと一緒に演ることのできない素晴らしきベーシスト、ジャコ・パストリアスもウェザー・リポートと一緒にそこでレコーディングしたんだ。俺はアース・ウィンド&ファイアーの大ファンなんだけど、彼らもそこでレコーディングした。だからこの誉れ高き要素に入れたのは最高だったよ。

    DE
    どこで魔法が起きたんだ・・・

    RT
    それにオジーは俺たちがインフェクシャスとしてレコーディングしていたのと同時期にそこにいたんだ。あれはオジーがどうかしてた時だった。ひとつ事件を覚えているよ。当時のオジーのバンドのベーシストだったマイク・アイネズが彼女を連れてきていたんだ。彼女に良い印象を与えたかったんじゃないかな。それで彼女をデボンシャーのスタジオのなかに連れてきた。オジーは正気じゃなかった。オジーは最初に彼女にタックルをかましたのさ。彼女はカウボーイブーツを履いていたんだけど、そのブーツの上から下まで実際にかぶりついたんだ。彼女のくるぶしまでね。俺はそれを目撃した。

    DE
    そりゃあヘビに噛まれるより最悪だな。それでキミもカウボーイ・ブーツを履いてるのかな。

    RT
    その通り。俺は叫び声を聞いた。出入り口に脚が2つ伸びてて、カウボーイ・ブーツを履いてた。床にオジーの背中が見えて、次にわかったことは彼らは駐車場にいたってことだ。オジーじゃなくマイクと彼のガールフレンドがね。どうにかしようとしていたんだろうね・・・。

    DE
    こちらが彼の新しいボスねってことだろ?仕事の時は奥さんに家にいてもらうことだな。

    RT
    オジーはあの頃、いろんな人に噛み付いてたんだ。

    (続く)

    BassGearMagより

    恐るべしオジー・・・。続きはまた後日。

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    更新ちょいご無沙汰です。まずは小ネタを。

    オジー・オズボーンとその妻シャロンがパーソナリティを務めるラジオ番組『Ozzy's Boneyard』のなかで“究極のギターゴッド”特集を組み、メタリカについて語りました。

    シャロンは番組でメタリカの「Battery」を流す前に次のように語っています。(以下、管理人拙訳)

    sharonosbournelarsulrich

    「私たちは彼らの親のような気持ちよ。彼らが若いときから知っているし、成長して、それぞれ家族を持つのを見てきた。特にロバートはね・・・彼はオズボーン・ファミリーの一員よ。ロバート・トゥルージロがメタリカに加入してから、私たちはより絆が深まったの。ファミリー、彼らはファミリーよ。わかるでしょ。メタリカのことはすごく尊敬しているの。個人的にも彼ら全員、一人一人のことが大好きよ。」「ラーズはちょっとビッグマウスなのよ。彼には時おりビンタが必要ね。でも私たちは彼らのことが大好きなの。」


    2008年、ラーズはオジーについて次のように語っていました。

    「1986年、オジーはツアーに俺たちを(前座として)連れて行ってもらって、ここアメリカで初めてのブレイクをもたらしてくれた。だからプレイしようとか集まろうと電話をもらったらいつだって、もちろん俺たちの答えは「ファックイエー!いつどこでやるのか教えてくれれば、そこに行く」ってもんだ。」

    ロバートはオジーのバンドを離れメタリカに加入したことについてMTVのインタビューで次のように語っています。

    「俺はこの仕事(メタリカ加入)のオファーを受けて有頂天だった。でも同時に心の奥底にオジーとシャロンへの気持ちもとても強く存在していた。彼らは俺にとってこの数年とても重要な人たちだったからね。とても尊敬しているし、俺の人生を変えてくれた。ロサンゼルスに行くとすぐにシャロンに呼ばれて、俺たちは夜遅くに会ったんだ。とても感情的だった。それから3、4日後にオジーは俺を呼んで、(メタリカ加入を)賛成してくれて、とても前向きだったんだ。彼は「俺のもとでよくやってくれた。祝福しているよ。おまえに怒ってなんかいないんだ、ロブ。これまでよくやってくれた。おまえは今まで演ってきたなかで最高のベーシストの一人だ」とね。」

    BLABBERMOUTH.NETより(2015-05-25)

    BIG4のうち、メタリカ以外の3バンドが参加することになった今年のラウドパーク。その後に行われるオズフェスト・ジャパンに向けての秋波を送っていると思うのは思い過ごしでしょうか。(もうヘッドライナー決まってるし、ないか・・・)

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    xgames_james

    まずはMetallica.comの発表を管理人拙訳にて。
    俺たちはESPNでまた友人たちと一緒にチームを組むことになって興奮している。テキサス州オースティンのサーキット・オブ・ジ・アメリカズで6月6日、Xゲームズの新たなスーパーステージにヘッドライナーを務めることになった。BMX、スケートボード、MotoX、ラリーカー・レースなどを含むエクストリーム・スポーツの世界のリーダーが出場する最初のアクション・スポーツの20周年を迎えるイベント、「X Games」に参加するのは俺たちにとって初めてのことだ。このような素晴らしいアスリートたちが何をやってくれるのか、観るのが待ち切れない!

    チケットと全ての詳細についてはこちらから。

    夏のツアーにもうひとつ加わったショーを行うオースティンで会おう!



    Metallica.com(2015-05-11)

    「X Games」コラボ参加と連動してRollingStoneで、このMetallicaHQで行われた世界的スケートボーダー、トニー・ホークとメタリカの対談記事が掲載されていたので一部を管理人拙訳にてご紹介。

    ジェイムズ・ヘットフィールド
    「メタリカで育った人たちがスケートを続けたいと思ったり、彼らのやってるクールなことをやりたいと思ったりするってことだよ。」

    「最高だね!俺たちの音楽が世界中でみんなをインスパイアするのを目の当たりにできる。願わくば、これからも自分たちの音楽がみんなをインスパイアするのをみたい。」

    「かなり盛り上がっているよ。こういうことになって興奮しているし、「X Games」はしばらく続いてきたんだから、そろそろいいよな!音楽がキミたちに何かする時がきたんだ。アスリートたちは言うまでなく素晴らしいし、音楽が説明のつかない別の場所まで連れて行くんだ。」

    ロバート・トゥルージロ
    「スケーターやサーファーたちはメタリカの音楽と本当に常に繋がっていると思う。俺のスタイル・演奏の仕方、つまり重心を低くするのは、スケートでもサーフィン、スノーボードでだってやることだし。俺にとってそれは自然なことなんだ。ファンはどこにいても素晴らしいよ。」

    「こういう人たちとは繋がりがある。同じようなエネルギーがあるね。こういうイベントでハードロック、メタル、パンクロックがよく流れているのを目にするし。そういう音楽のスタイルを追いかけている仲間っていうのはスポーツでまだいるんだ。彼らはそういう音楽を聴いている。彼らにとっては重要なものなんだ。彼らの血脈の一部になっている。俺は興奮するよ。俺が楽しんでいることのひとつが音楽を聴くことであり、スケートを観ることだから。この2つの世界が同時に一緒になるのを観るなんてね。」

    RollingStone(2015-05-11)

    トニー・ホークとメタリカは以前から交流があり(関連記事参照)、この「X games」参加につながったのでしょうか。着々とスポーツイベントを制覇しつつありますね・・・。

    【追記】
    X Gamesの公式サイトではメタリカをザックリ振り返る画像が拝めます。
    http://xgames.espn.go.com/xgames/

    as_xg_metallicaRIDE_2048


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