メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:レミー・キルミスター

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    ユニクロをはじめ、ファストファッション、各種ブランドでメタリカ他HR/HMのTシャツ等が取り上げられるなか、メタルファッションについて真正面から分析した電子書籍『メタルファッションを読み解く〜NWOBHM、LAメタル、BIG4、BABYMETALを追って〜』がAmazon、楽天Koboにて発売中とのこと。著者はへヴィ・メタル文化研究者の長谷川修平氏。

    序章ではNWOBHM、LAメタル、スラッシュメタル、以降細分化が進んでいったメタルファッションの流れや背景について分析。以後の章ではギタリスト編・バンド編に分けてアーティストの具体例を挙げて、メタルファッションについて楽曲との関連性にも触れながら分析しています。終章ではファンの服装としてのメタルファッションについても分析。メタル愛の表現、ドレスコードとしてのメタルファッションについて触れています。以下、目次を引用。

    metalfashion

    はじめに
    メタルファッションの流行と時代 

    ―ギタリスト編―
    衣装としてのギター
    スラッシュ:過去を感じさせないオールドスクール
    ザック・ワイルド:王道を行くアメリカン・ギターヒーロー
    ケリー・キング:大胆にイメチェンした野獣系ギターヒーロー
    イングヴェイ・マルムスティーン:わが道を行く俺流ギターヒーロー
    マイケル・シェンカー:喜びと悲しみの黒
    ZZ トップ ビリー・ギボンズ:テキサスのトレンドオヤジ
     
    ―バンド編―
    キッス:メイクが意味するもの
    ロブ・ハルフォード:ブラックレザーをまとったメタル司祭
    レミー・キルミスター:時代に合わせたオールドスタイルとオンリーワン
    レミー・キルミスター:ミリタリーロックンローラー
    モトリー・クルー:バッドボーイズのイメチェン術
    メタリカ:アンダーグラウンドから全米1位へ、サンフランシスコから世界へ
    パンテラ:異種交配によるニューメタルスタイル
    BABYMETAL:メタルのニュースタイル

    おわりに
    ヘッドバンガーズ、俺たちのメタルファッション

    「音楽知らなくたって着ていいじゃん、ロックT」のスローガンが論議を呼んだ昨今、改めてメタルファッションについて向き合うことのできる良書です。

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    またモーターヘッド愛好家でもある同著者がレミー・キルミスターの一周忌を過ぎて著したレミー追悼記『モーターヘッドのレミーが遺したもの〜アティチュード、サウンド、ファッション、ライフスタイル、唯一無二の生き方〜』も合わせてAmazonから発売中。

    motorhead_lemmy_legacy

    実際にレミーと親交があり、レミー自伝『レミー・キルミスター自伝 ホワイト・ライン・フィーヴァー』巻末の日本語版補章を担当した著者だけにレミー愛にあふれた一冊となっています。

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    ジェイムズ・ヘットフィールド「この地救上でレミーとモーターヘッドよりもロックンロールを体現しているヤツはいない」

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    ジェイムズ・ヘットフィールドがラジオ局「95.5 KLOS」でのインタビューでレミー・キルミスターについてコメントをしていました。管理人拙訳を交えてご紹介します。

    lemmymetallicamurderone

    −『Hardwired...To Self-Destruct』リリースに伴うツアーについて

    「WorldWired Tour」がいま行われている。今後数年間、どこに行くのか、どこに行き着いて、どうなるのかを予定しているところだね。だから俺たちはそれについて相当興奮しているよ。俺たちの時間を最大限活用して、その時間をツアーに注ぎ込み、最高の場所でプレイするのに、俺たちにとってどうしたら最も意味があるかをいまだに探っている。俺たちは少し変わった。知っての通り、歳を取ってもやりたいと思うことをやっているけど、それには少し時間がかかる。だから自分たちを押し殺して3年間週5回のツアーなんてことはしない。俺たちは今どうするべきかで取り組んでいる。年齢にふさわしくね(笑)そうして俺の身体は生き延びることができる。

    −まだロックの殿堂入りを果たしていないバンドについて

    殿堂入りが認められていない素晴らしいバンドはたくさんあるし、彼らが殿堂入りしようがしまいが俺の及ぶところじゃないけどね。それはただの賛辞であり、褒め言葉さ。そこにはどういう意味があるんだ?俺はわからない。でもこういったバンドのなかには、それが世界を意味してるバンドもいるかもしれないね。だとしてもだ、絶対に、不運にも亡くなったレミーのこと、マジで本当に俺にとって、モーターヘッドがあれに認めてもらうことは本当に重要だ。この地球上で、レミーとモーターヘッドよりもロックンロールを体現しているヤツはいないからね。

    −『Hardwired...To Self-Destruct』でのモーターヘッドへのトリビュート曲について

    「Murder One」っていう曲で、(レミーの)アンプの名前から来ている。彼がステージで使っていたお気に入りのアンプなんだ。あのアンプで毎晩ヤラれるのを気に入っていた。彼はまさしくそういうアイコンだったし、バンドとして俺たちにとってのインスピレーションとなっていた。モーターヘッドがいなかったら、俺たちはどうすることもできなかった。自分のアイドルであり、不死身と思っていた人が実際に亡くなってしまうとわかって、俺たちは相当打ちのめされたよ。だから彼と彼が俺たちの人生にどれだけ大きな意味を持っていたのかを認めることは大いに価値があることだと思うんだ。

    BLABBERMOUTH.NET(2016-11-08)

    ジェイムズのコメントの続きがNMEで翻訳されていたので抜粋して転載。
    死はいつも物事の視座を変えてくれるんだ。特にここ1年はね。たくさんの人が亡くなったよな、音楽界を象徴するような人たちが。でも、死は大抵真逆のことをもたらしてくれるよ。俺たちに本当に生きたい、できるだけのことを全部楽しみたいって思わせてくれるし、ファンからの叫び声、飛んでくる汗の水滴を残らず浴びたいって思わせてくれる。35年にわたって俺たちはやるべきことをすべてやってきたわけだけど、今でもそれができるってことは、めちゃくちゃ幸運だって感じてるよ

    NME(2016-11-10)

    当のレミー自身はロックの殿堂入りについてどう考えていたのかも取り上げられていたので紹介します。
    2012年、レミーはロックの殿堂の責任者とジャケットの紛失をめぐってケンカになったという。レミーいわく「彼らはプレゼンテーションをしたくて、俺のブーツ一足とベースギターと「Ace Of Spades」ツアーのジャケットを貸してくれないかと言ったんで、貸したんだ。(その後)彼らは失くしたと言ってきた。ありそうな話だ−目を見て、もう一度教えてくれって。彼らのガールフレンドの一人が着ているんだろ。」殿堂入りが名誉になるか尋ねられるとレミーはこう答えた。「何の名誉だ?ヤツらには俺が彼らに話す前にジャケットの貸しがあるだろ。」

    TeamRock(2016-11-09)

    レミーのトリビュート曲、「Murder One」のMVはこちら。


    歌詞のなかにもレミーに関するワードがちりばめられています。
    https://metallica.com/songs/44245/murder-one

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    映画『極悪レミー』、レミー・キルミスターの一周忌追悼上映決定
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    一周忌を迎えたモーターヘッドのレミー・キルミスター(2015年12月28日逝去)の追悼として、メタリカも出演の映画『極悪レミー』の期間限定再上映が決定しました。

    追悼極悪レミービジュアル

    上映場所は東京では新宿シネマート。レミーの誕生日の2016年12月24日(土)から2016年12月30日(金)まで1週間レイトショー上映。連日イベントも予定しているとのこと。
    http://www.cinemart.co.jp/theater/shinjuku/topics/20161031_13834.html

    大阪のシネ・リーブル梅田、名古屋の名古屋シネマテークでは、命日の2016年12月28日(水)に1日限定でレイトショー上映。いずれも最大音量での上映が予定されています。

    新宿シネマート:2016年12月24日(土)から2016年12月30日(金)
    シネ・リーブル梅田:2016年12月28日(水)
    名古屋シネマテーク:2016年12月28日(水)
    最大音量 一周忌 追悼レイトショー 

    さらに同じく2016年12月28日(水)には、『極悪レミー』 ≪限定生産・極悪追悼盤≫ブルーレイが発売。収録内容はこれまで発売されているブルーレイと変わらないものの、新たなジャケットデザイン、極悪スリーヴケース仕様の限定生産品とのこと。Amazonではすでに予約受付が開始されています。 

    極悪レミーブルーレイ
    『極悪レミー』 ≪限定生産・極悪追悼盤≫ブルーレイ

    ※画像は発売中のブルーレイで、デザインは変更となります。

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    ニューヨークのラジオ局SiriusXMで行われたリスナーから質問を受ける「Town Hall」コーナーにメタリカが出演。放送はアルバム発売日直前とのことですが、RollingStoneが主な内容をリークしてくれました。収録内容のうち最も興味深いことを10項目に分けて紹介していたので管理人拙訳にてご紹介します。

    metallica-globalcitizenfestival

    1.ロック以外のジャンルのプロデューサーを考えていた

    ヘットフィールドはこう語る。「俺たちは誰を起用するか議論した。誰か新しい人、名のあるプロデューサーを起用するのはどうか?『いろいろ探してみよう。思わぬ方向へ外れたっていいからロックを知らない人でも声をかけてみよう。』とね。」バンドは2008年の『Death Magnetic』のエンジニアを務めたグレッグ・フィデルマンを起用することを決めた。「結局、俺たちはグレッグのことを知っていたし、彼も俺たちのことをよく知っていた。それに(映画)『Through The Never』のサウンドはとてもパワフルで最高だった。彼を起用しないのは間違いだったと感じたんだ。」

    2.メタリカはリフを生み出す能力に自信を持っている

    良くない曲のアイデアを排除する方法について尋ねたところ、ウルリッヒはそれはほとんど問題にならないと説明した。「俺たちが抱える最も大きな問題は・・・曲の材料があまりに多すぎるということだよ。ジェイムズがギターを抱えるたびにリフができているんだから。ギターをチューニングしだしたらこうさ。『ちょっと待って、それ録音するから。』俺は『1月27日2時53分』ってメモ書きするんだ。」すかさずヘットフィールドが口を挟む。「ホント迷惑だよ。俺はギターのチューニングさえできないんだから。」ウルリッヒは続けてこう語る。「問題は、何が“AAA+”のリフなのか?ってことだ・・・何百もすごいリフがあるかもしれない。でも1曲に使えるのはたった20だ。ドミノ現象が起きてしまうからね。『どうやってリフからヴァースやブリッジやコーラスに行くんだ?』って。・・・でもすごいリフ?これはガレージセールの話だ。もし他のバンドが使いたかったら使ってもらおうって話だよ。俺たちはすごいリフに圧倒されているんだ。」

    3.メタリカはなぜブラックアルバムがこれほど成功を収めたかという質問をされたくない

    1991年のセルフタイトル・アルバムは全米だけで1600万枚以上を売り上げた。過去25年で他のどのレコードよりも売れている。しかし彼らはなぜここまで売れたのか考えたくないようだ。ウルリッヒは言う。「俺たちのマネージャー、クリフ(・バーンスタイン)の理論では、通過儀礼の要素があるみたいだ。13歳になったら、あれは思春期の経験のひとつなんだと。俺はこの手の話は分析されすぎないのがベストだと思うよ・・・。どういうわけか固定化されて、シンバルゴリラ(※)のおもちゃみたいにずっと続いているんだよ。」

    ※原文は「Energizer Bunny」太鼓を叩き続けるウサギ、電池のCMキャラクター

    4.メタリカファンは彼らのアイドルに近づいた時、境界がないことを知っている

    観衆のファンの1人が各メンバーが知っている最も変わった場所について尋ねると、メンバーが驚くべき回答をした。カークはこう語る。「ブラックアルバムが出た頃、俺はここ(ニューヨーク)のアップタウンの衣料品店で試着していたら、誰かが自分のところに歩み寄って来るのが視界に入ってきた。『やぁ元気かい?カーク』って声が聞こえてきた。そっちを振り返ったら、声の主はブルース・スプリングスティーンだったんだ。彼が俺の名前を知っているもんだから、本当に奇妙なことだと思ったよ。」ヘットフィールドは「彼は試着室まで入ってきたのか?」とツッコミを入れた。

    トゥルージロはスイサイダル・テンデンシーズでベースを弾いていた頃の話を共有した。歯医者に行って医者が離れた隙に歯科衛生士がファンであることがわかった。「俺が見えているのは彼の眼だけ。彼はマスクをしていたから口は見えなかったんだけど、彼が『スイサイダル、スイサイダル』とつぶやいているのが聞こえてきたよ。そいつのことを見やると、俺の口のなかに装置を突っ込んでた。彼は処置中ずっとそれだけ言ってたんだ。」ヘットフィールドは笑って、再びツッコミを入れる。「そりゃあ助けを求めていたのかもしれないな。」

    5.メタリカについての知られざること

    ウルリッヒはブラックアルバムのツアーでミュンヘンでライブを行った時の話をした。そのライブでは彼が聴いて育ったお気に入りのバンド、ディープ・パープルのメンバーがステージ正面の“スネイクピット”にいた。「バックステージで彼らと連れ立って一緒にビールを飲んで本当に興奮したよ。ステージから戻ったら、イアン・ギランのメモが置いてあった。そこにはこう書いてあった。『キミたちは素晴らしかった・・・我々の就寝時間が来てしまった。帰ってミルクとクッキーを口にすることにするよ。』あれは10時45分くらいだったな。」

    ヘットフィールドはトゥルージロのように医療関連だが、あまり愉快ではない話をした。「息子が絡んだ交通事故があって、俺は大急ぎで病院に行った。息子は病院にいて軽い手術受けていた。俺が立っていると息子を処置した看護婦がやってきて俺にこう言ったんだ。『私にサインをしてもらえませんか?』最悪の気分だったね・・・どうなるか想像できるだろう。」

    6.『Lulu』でメタリカとコラボした時にルー・リードは多くのことをジェイムズ・ヘットフィールドに教えた

    「歌詞の部分、俺が学んだのは歌詞の力だ。」彼は言う。「あれは詩だった。俺たちは彼の詩、プレイ、何だって音楽にしていった。1つの長い物語でもあり、それが全ての小さなパーツでもあった。俺にとってみんなの生活や事柄についての物語を曲にしようとすると、結局はとても安っぽくてつまらないものになってしまった。でもルーのやり方は歌詞の多くの部分で確かにダークで衝撃的だった。また俺にとって韻を踏まないことを充分理解するのは難しいことだった。彼は何かの構造を持ったり、韻を踏んだりしていなかった。何かを語っていたんだ。物語を語るというよりは歌っているという具合だ。それで俺は学んだんだ・・・言葉や歌詞にもう少し自由になることをね。言いたいことを言えと。」

    7.・・・しかしメタリカは他の誰かとまたコラボしたいとは思っていない

    あるファンがメタリカは誰かとツアーやコラボしたいかと尋ねると、メンバーはしばし沈黙。ウルリッヒは言う。「俺はこいつら(メンバー)が好きだ。俺自身はと言えば、このメンバーたちとプレイする以上の願望は持ち合わせていないんだ。」その他のメンバーも、他のミュージシャンとジャムったりするのは楽しいとしながらも、ドラマーの感情を共有していた。

    8.レミーがいなかったらメタリカはなかった

    『Hardwired...To Self-Destruct』収録曲「Murder One」はモーターヘッドのフロントマン、故レミー・キルミスターへのトリビュートソングで、歌詞には彼の曲のタイトルがたくさん使われている。バンドメンバーはレミーがメタリカに決定的な影響を与えたと語っている。ヘットフィールドはこう語る。「モーターヘッドにはメタリカが今ここでやるべきことがたくさん詰まっていた。でもレミーは父親像の一種として存在していた。彼はたくさん俺たちのことを助けてくれたよ。彼は恐れ知らずだった。一人のキャラクターであり、彼そのものだ。俺たちみんながすごい尊敬していた。彼は最期まで自分のことをやりきっていた。どんなヤツだろうと、そのことに触発されないヤツがいるか?」

    9.メタリカはたくさんの若いバンドが好きなようだ

    あるファンはヘヴィメタルの未来を担うのは誰かと尋ねた。ちょっとの沈黙の後、ヘットフィールドが冗談めかして言った。「えぇっと・・・デモテープ持ってる?」一方、ハメットは自分の好きな新しいグループについて語った。「数日前にあるバンドのビデオを見て、本当に感動したよ。名前が難しいんだよね。『Horror』って発音するんだけど字面は『Ho99o9』なんだ。」

    ヘットフィールドはこれまで触発されてきたメタルを最近それほど聴いていないと語った。「シンコペーションはどこだ?ハートはどこにいった?頭にくるよ。願わくば、誰かが俺みたいにむかついて、何かを思いついて次のクールな違うものをやっていけばいいんじゃないかな・・・違う何かを書くのに十分なくらい誰かはむかついているだろ。」

    10.・・・それにも関わらず、ロックの将来について心配している

    ハメットは言う。「次世代のアリーナ級のバンドがどこにいるんだ?誰か答えてくれないか?」トゥルージロはブラック・サバスのギーザー・バトラーと最近同じ話題について会話をしたと言う。「ロンドンからカリフォルニアに向かう飛行機のなかで偶然会ったんだ。彼はこうさ。『誰が先導するんだ?メタリカもやった。俺たちもそうしてきた。これからは誰がやるんだ?』とね。俺は『それについてはちょっと考えさせてくれ』って感じだったよ。」

    RollingStone(2016-09-27)

    レミーへのトリビュートソング「Murder One」はもちろん、その他の曲もルー・リードに影響を受けたという歌詞に注目です。

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    SNSから一切手を引いて近況が全くわからなかった元メタリカのジェイソン・ニューステッドが昨年12月29日、アメリカのラジオ番組「Ozzy's Boneyard」で電話インタビューに答えていました。インタビュー前日に亡くなったモーターヘッドのレミー・キルミスターとのエピソードを語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    jasonnewstedfingers

    ―レミー・キルミスターについて

    俺はいくつか素晴らしい本物のレミー体験をしたよ。そんなに長い時間を(レミーと)過ごしたわけじゃないけど、俺たちがやった強烈なヤツは―少なくとも俺にとってだけど、ザ・レミーズをやった時だね。―メタリカが自分たちのことをそう呼んで(レミーの楽曲を演奏して)ロサンゼルスで(レミーの)50歳の誕生日(パーティー)をやったこと。俺たち全員にとって、とても特別なひと時だったと俺は思うよ。


    レミーについて何を言おうか考えていたけど、言葉が出てこないよ。みんな、楽曲や曲のタイトルやそういう意味あるものを引用していたけど、“俺が”だの“俺に”だの“俺の”とかそういうクソみたいなことを言いたくないんだ。俺は本当にそんなことしたくない。でも彼は俺たちの大きな部分を占めていた。俺が関わってきたバンド全てにおいてね。特にピックを使っているベーシストとして、彼はある意味、俺の救世主だった。なぜならみんな俺のことを指で(ベースを)弾くべきだと思っていたけど俺がやらなかったことで、俺はいつも大変な思いをしていたからね。でも彼はこれでいいんだと、俺にとってあの当時とても特別な何かがあった。それこそ彼が俺を感動させてくれたところなんだ。みんながそれぞれ(レミーと)自分たちの話を持っているが、それが俺の直接的な関係だ。それからもちろん、彼はメタリカにバンドとしてもアティテュードの点でもみんなにとって影響を与えた。でもそれが俺の個人的に感銘を受けたところなんだ。

    ―モーターヘッドの楽曲との出会い

    当時ミシガン州のカラマズーにいて、とても小さなレコード店にいくつかのバンドとかそんなものしかなかった。地元のブギーレコード店に廃盤のコーナーがあって、7枚か9枚のレコードがあった。そのうち2枚か3枚がモーターヘッドのレコードだったんだ。俺はいつもあのゴミ溜めにすぐに行ったよ。最初に手に入れたのは『The Goden Years』EPだったと思う。あれには「Stone Dead Forever」と他いくつかの曲が収録されていた。それから1stの『Motorhead』、そしてイギリスからミシガンに『Ace Of Spades』の輸入盤がすぐに出てきたんだ。あの距離感も特別だったよ。遠く離れたところにあったからね。いろんな意味で強烈だった。

    俺は世界と何かしら繋がっていると感じた。そして世界が大きいんだとね。世界は自分が思っているよりも大きいんだと気付かされた。世界は広かったと気付かさせてくれた最初のひとつだったんだ。長い距離を経てやってきたあのレコードのために追加料金を払わなきゃならなかったからね。彼らとレコードはイギリスから真っすぐやってきたってわけさ。


    ―ベーシストとしてのレミーから受けた影響

    俺はいつもリードシンガーでベースを弾くようなヤツになりたかった。俺に起きたことは、俺が指弾きをしていた最初期の頃、ずいぶん長い間指弾きができなくなるほど指にひどい怪我を負ったんだ。それでピック弾きにしなければならなくなった。それで必要に駆られて自分のスタイルを開発したんだ。でも俺はいつもギターアンプで弾いていた。それが当時使えたもの全部だったから。だから俺はギターアンプとピックでもって弾いていたんだ。そんなわけで俺のサウンドはすでにああいう(モーターヘッドのような)ものになっていたんだよ。だからあんな風に(レミーが)レコーディングしていると伝わると、そのことで…俺はちょっと得意気になってたね。彼が出現してすぐに。彼が知らぬところで何かしらの俺の後押しになってくれたんだよ。


    ―レミーとの初めての出会い

    俺が昨晩(レミー逝去の)ニュースを耳にした時、妻と話していた。本当に悲しかったし、少し取り乱していたからね。俺は彼女にメタリカに加入した最初の数か月のことを話したんだ。俺は飛び入りで入って、バンドでツアーを廻って戻った時のことだ。北カリフォルニアにほんの数日戻った。(その時ちょうど)モーターヘッドがバークレーでライブをしていたんだ。(メタリカの他のメンバーは)すでに(レミーとは)旧知で彼はメンバーを知っていた。彼はジェイムズのことをジミーとかそんな風に呼んでいて、(ジェイムズは)嫌がっていたけどね。でも俺はレミーに会えて本当に興奮していた。本当にテンションが上がっていたよ。なにしろ俺のヒーローだったからね。メンバーは「紹介するよ、紹介するよ。」って具合だった。俺たちが後ろに下がると、俺はただ口ごもってしまってね。でも俺は前に進み出て自己紹介をした。「ジェイソン・ニューステッドです。今はメタリカでベースを弾いてます。」と言ったら、彼は「オマエのことは知ってるよ、クソアマ!」ってそんな具合さ(笑)。俺はあの言葉を決して忘れないよ…永遠にね。絶対に忘れないといいな。この話を今から一万年先も気になるヤツに誰にでも話せたらいいのに。「レミーが俺のこと知ってるってよ!」ってね。俺にとってそれだけ大きな出来事だった。それが最初の、物理的なレミーとの出会いさ。彼は俺を抱きしめてくれた。40秒間彼の腕のなかさ。彼のハートのなかと言うべきかな、そんな感じだ。確かにあの瞬間、俺のハートのなかに彼がいたんだ。

    BLABBERMOUTH.NETより(2016-01-20)

    ジェイソンの熱いレミー愛を感じます。ジェイソン自身の近況も知りたいところですが、とりあえず元気そうで何よりです。

    newsted_cd
    Heavy Metal Music / NEWSTED


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    モーターヘッドのレミー・キルミスター死去。メタリカから追悼メッセージ。

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    年の暮れにとんでもない訃報が飛び込んできました。メタリカにも多大な影響を与えたモーターヘッドのフロントマン、レミー・キルミスターが2015年12月28日に癌のため、ロサンゼルスの自宅で亡くなりました。享年70歳。

    以前から体調は心配されていましたが、ついこないだ誕生パーティーを開いたばかりだっただけに衝撃もひとしおです。追悼一色となったSNSが彼の影響力の大きさ、人望の厚さを感じさせます。

    まずはモーターヘッドの公式声明を管理人拙訳にて。

    これを伝えるのは簡単なことじゃない...我々の最強にして偉大な友人レミーが侵襲性の強い癌との短い闘病の末、本日亡くなった。

    我々のショックと悲しみを表現なんてとてもできない。言葉がみつからない。後日改めてコメントする。しかし今はどうか...モーターヘッドを、ホークウィンドを、レミーの音楽を爆音でプレイしてほしい。そして一杯二杯とやってくれ。

    彼の話を分かち合ってほしい。

    自身で鮮やかに彩ったこの愛すべき素晴らしい男の人生を祝福してほしい。

    彼はまさしくそのように生きることを望んだのだ。

    イアン・“レミー”・キルミスター
    1945-2015

    負け犬として生まれ、勝つ為に生きる

    自由に哀悼の言葉、冥福の祈り、思い出を我々の公式トリビュートページに投稿してほしい。
    https://www.facebook.com/lemmykilmisterforlife

    Facebook(2015-12-28)

    レミーは病気のことを12月26日に知らされ、自宅でお気に入りのレインボーのゲームをプレイしているときに息を引き取ったとのこと。たくさんのミュージシャン、関係者が追悼の意を表していますが、ここではメタリカのコメントを管理人拙訳にてご紹介します。

    まずはメタリカの公式Facebookから。

    lemmy_met

    レミー、あなたはこのバンドが存在する主因の一つだ。我々はあなたのインスピレーションの全てに永遠に感謝する。安らかに。

    やむことない愛と敬意を。

    メタリカ

    Facebook(2015-12-28)

    続いてはロバート・トゥルージロのコメント。

    lemmy_rob

    最後の真のアウトローの1人が立ち去った。#RIPLemmy

    Facebook(2015-12-28)

    最後にカーク・ハメットのコメント。

    レミーは最高の紳士だった。

    1979年、俺が16歳だった頃に初めて「Overkill」を聴いた。それまで聴いてきたなかで一番ファストなものだと俺は思った。友達全員にモーターヘッドこそ地上最速のバンドだと力説したよ。

    彼らの写真を初めて観た時に俺は彼らには信じるに足るものがあるとわかったんだ。俺は彼らが見たままに生きているのを想像して、彼らの生きるままを見た。

    そしてその瞬間ハッキリと気付かされたのを覚えている。アウトサイダーでいても大丈夫なんだ、俺の10代の生活に反する何かに従わなければならないことに抵抗を感じても大丈夫なんだと気が付いた。この写真のなかのモーターヘッドのメンバーたちは間違いなく何事にも従ってないように見えたし、その結果として彼らが楽しんでいるように見えたし聴こえたからね。

    そうして俺はその写真やデカい音やあのアティテュードから多くを学んだ。

    レミーとファスト・エディー、そして先ごろ亡くなったフィルシー・アニマルには、1979年のあの夜からインスピレーションと刺激とひらめきを与えてくれたことに感謝しなければならない。

    そのインスピレーションはいつも自分と共にあることだろう。モーターヘッドの音楽が生き続けんことを!

    Facebook(2015-12-29)

    合掌。

    【追記】
    先ほどメタリカの公式ツイッターからジェイムズ・ヘットフィールドのコメントが発表されましたので管理人拙訳にて。

    lemmy_jh

    レミーはロックンロールそのものであり、永遠だ

    twitter(2015-12-30)

    【追記2】
    ラーズ・ウルリッヒの追悼コメントがRollingStoneに掲載されていたので管理人拙訳で紹介します。すごい長い文章になっていますが、ラーズとレミーの関係がよくわかるエピソードをたくさん共有してくれています。

    ほとんどのバンドはメタリカ同様、声高にモーターヘッドとレミー・キルミスターをインスピレーションの源として挙げている。彼の50歳の誕生日パーティーでキルミスターに仮装して「The Lemmys」として演奏したり、モーターヘッドの楽曲メドレーをレコーディングしたり、ダミ声のベーシストをステージに招いて彼の楽曲を何曲か演奏したりしたように、彼らはいつもレミーの旗印を高く掲げていた。ラーズ・ウルリッヒ ― モーターヘッドのファンクラブのアメリカ支部長であったと長く言われてきた(自身は「それは非公式な肩書として呼んでくれ」と笑って言うが) ― が10代の頃、彼らの楽曲を聴いてそのグループの楽曲の力に打ちのめされた。ここで彼はメタリカだけでなく個人的にも影響を受けたレミー・キルミスターついて振り返る。

    俺がレミーの訃報を聞いたのは、家族とのクリスマス・パーティーの終わりを自宅で迎えている時だった。昨日、モーターヘッドのマネージャーをよく知っている友人と話していた。その友人が言うには状況は芳しくなく、敬意を示すためにLAまで彼に会いに行った方がいいかもしれないとのことだった。癌はとても侵攻性が強い末期の状態で、残された時間はそう長くないだろうと。それが午後1時のことで、それから訃報が耳に入ったのが午後6時だったと思う。ひどい話だ。

    レミーはたぶん自分がバンドを組みたくなった絶対的な主要因のひとつだった。単純なことだ。1979年にモーターヘッドの音楽を紹介された。「Overkill」が出た時だ。レコード店にいたらダブルベースのイントロの「Overkill」が始まったんだ。それまでの人生で聴いたことのないものだった。その次のノリでこの曲は俺を行ったことのない場所へと連れて行ってしまった。それは本当にエキサイティングで本当に爽快だったよ。新鮮だったし、他と違うと感じた。

    その後数年の大半は彼らにかなり夢中になった。彼らを初めて観たのは1981年の春のことで、彼らはソロ・アーティストとしてブレイクしていたオジーのサポートをしていた。モーターヘッドはオープニングだった。だからこの公演は間違いなく信じられないほど高かったけど、俺にとってはモーターヘッドをようやく体験するチャンスだったんだ...。俺と友人のリッチー・バーチ ― 彼の名前は『Kill 'Em All』の裏ジャケットの「Bang That Head That Doesn't Bang」を言ったことで永遠に残ることになった ― 俺たちはカリフォルニア、サンディエゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、そしてLAのカントリークラブで行った彼ら自身のショーまで追いかけまわしていたよ。

    彼らを近くで見るチャンスをしばしば得ることができたのは驚くべきことだった。でもさらに俺たちは実際に彼らの近くまで行くことができた。彼らと会ってたむろする機会を得ることができたのさ。それはひとえにレミーだったからだし、彼が優しかったからだ。彼はオープンだったし、取っ付きやすい人だった。だからロックスターのアンチテーゼだったんだ。彼はマスクか何かの後ろに隠れるようなクソでも近寄りがたい人でもなかった。あんな人は他に存在しない。彼はあの存在感と60年代70年代の全ての偉大なロックスターのオーラを持っていたけど、同時に信じられないほど現実的で、おおらかで、取っつきやすい人だったんだ。だから俺と友人のリッチは一緒にぶらついたり、ステージ裏のバスでビールを飲んだり、たむろしたり、でまかせやら野蛮なツアー話を聞いたり、当時のロックンロール・ツアーに付きものの馬鹿げた行為の一部になったりしていた。それは俺にとって深いところまで影響を残していったんだ。当時までのロックスターはどこか別の場所から来たように思っていた。彼らは実際以上に偉大に見えたんだ。彼らは同じレベルじゃない。こっちは価値なんてない。ロバート・プラントやポール・スタンレーやエルトン・ジョン、ロッド・スチュワートと自分が関わり合うなんてことは想像もできはしなかった。

    レミーという人はそれを全て可能にした人だった。俺がそういうことを実際に体験したのはそれが初めてだった。俺とリッチは週の大半をモーターヘッドのツアーバスの後方につけて州間高速道路5号線を運転していた。彼らがトラック・ストップに寄ったら、俺たちも寄る。近づいて彼らに挨拶すべきか?近寄らないべきか?面白いことと変わったことばかりだったけど、この週の過程で俺たちはレミーを知って、超クールを頑張って演じる必要はないし、ファンのオタク気質を隠す必要もないんだってわかったんだ。彼はドアを開けて中に入れてくれた。それは当時のルールにはないことだったから、ありえないって思ったね。

    数か月後、カリフォルニアにうんざりしてヨーロッパに戻った。そこでは全ての音楽、全てのメタル、夢中になっていた全てのものが起きていた。結局イギリスで(NWOBHMバンドである)ダイアモンド・ヘッドと一緒に少しばかり過ごした。1981年夏のイギリスで最大のショーは、ポート・ヴェイル・サッカースタジアムと呼ばれる場所で行われたへヴィ・メタル・ホロコーストだった。4万人収容のスタジアムでモーターヘッドがヘッドライナーだった。彼らはアルバム『No Sleep 'til Hammersmith』でイギリスのチャートでNo.1を獲得していた。彼らはその夏最大の出来事だったんだ。

    だから俺とダイアモンド・ヘッドの一人とでポート・ヴェイルまで行って観に行こうとしたんだけど、チケットが売り切れでさ。かいつまんで言うと、そこで働いている誰かに俺たちはレミーと友だちなんだ、ツアースタッフの何人かを知っているって言ったんだ。10分以内に俺と友人はスタジアムギグのなか、バックステージにあるモーターヘッドの楽屋にいたんだ。言っておくけど、こんなことはありえないってことをわかってほしいんだ。彼らはその夏、イギリス最大のバンドだったんだから。イギリスのありとあらゆる音楽関係者がレミーがそこにいたことを知っていたし、しかもこんな鼻タレでニキビ面のデンマークからカリフォルニア経由でやってきた16歳のガキがモーターヘッドの楽屋に入る方法をみつけたんだ。本当にありえないよ。

    またひと月かふた月、イギリスとヨーロッパに滞在して、デンマークに戻った。そこでカリフォルニアまで戻るためのお金を稼いだんだ。フライトはヒースロー空港出発だったから、ロンドンで2泊した。それで俺はモーターヘッドのマネージメントを知っていた友人と一緒にチェックインしたんだ。傍から見たら、俺は、ロンドンにいてヒースロー空港からサンフランシスコへ飛び立とうとしている何にも知らない16歳だ。一日目にその友人はこう言ったんだ。「モーターヘッドがリハーサルをしている。もし彼らについて行くなら、そこまで行って彼らのうちの誰かをみつけられれば会える」とね。無責任な情報さ。

    だからリハーサルスタジオまで行った。それから30分もしないで、俺は彼らのリハーサル室で座っていたんだ。そこにはレミーと1か月前に亡くなったドラマーのフィル・テイラーと(ギタリストの)エディー・クラークがいた。そこは3人部屋で、独房みたいな大きさのところで一緒にいたんだ。ホテルの部屋だったんだけど、そこには彼らと俺だけ。彼らは次のアルバムのために曲を書いていた。俺はそこに座って彼らが曲を書くのを見ていた。「Iron Fist」と呼ばれることになる新曲について彼らが話しているのを覚えているよ。次のアルバムのタイトルトラックになる曲に取り組んでいたんだ。これがイギリスで最大のバンドだ、俺はファッキンなリハーサル室で彼らの次のレコードの曲が書かれているところに座っていたんだ。ちょっとこの出来事を見直してみよう。

    俺が言おうとしている点は、開放性と包容力があって、こんなボロボロな16歳のガキを彼らが演っていることでハイにしてくれたばかりか、この開放性でみんなを取り巻きに入れてしまうんだ。俺をやる気にさせたね。その週にカリフォルニアに戻った頃、その半年前くらいにジェイムズ・ヘットフィールドに会っていたんだ。俺たちは24時間一緒に過ごしたよ。アイツのことはスーパークールな男だと言えるけど、その交流から出てきたものはそこまでなかった。でも俺が戻って一週間後、俺はアイツに電話をして言ったんだ。「俺たちで一緒にバンドを組もう。俺、モーターヘッドとたむろしてたんだ。あとダイアモンド・ヘッドのメンバーと会えるチャンスを得た。そこで俺は感じたんだ、これは別世界の呼び出しなんだ。」って。

    だから俺が今日までバンドにいる主要因はレミーであり、メタリカが存在するのは彼のおかげと言うのは安いおべんちゃらじゃないんだ。本当のことだ。彼らが俺を招き入れて彼らがやっていたことの一部にいさせてくれた。ジェイムズと俺がバンドを組んだのもしかり、あのアティテュード、自分たちのファンと関わり合う美学、オープンで気取らないでいること、人々を招き入れたり、体験を共有したりしてきたことに影響を受けたんだ。俺たちはみんな、自分たち以上の何かに属したいと思っていた、ただのファッキンなキッズだったんだ。

    それがモーターヘッドが象徴していたことだった。ギャングの一員になったのさ。モーターヘッドのファンは、モーターヘッドバンガーと呼ばれていた。 ― モーターヘッドバンガーは彼らのファンクラブの名前だ ― そして、俺たちみんな同じものに属しているような共通のつながりがあった。自分たちよりももっと偉大な何かに属していると感じていたんだ。でもバンドとファンのあいだに距離感はないし、誰のあいだにも距離感はなかった。俺たちはみんな一緒なんだ。あれはクソ感激ものだね。あの団結が俺にバンドにいたい、あの集団の一部になりたい、あの体験を自分バージョンでやってみたいと思わせてくれた。俺たちのなかに深く染み込んだものは、レミー、そして彼から1981年のあの夏に自分の聖域に招き入れてもらってきた体験から直接来ている美学なんだ。俺は永遠に彼に恩義を感じるし、永遠に感謝するよ。

    俺が彼と初めて会った後も、俺たちは友人のままだった。それから数年以上のあいだ、モーターヘッドがツアーに出るたび、建物内で最初にいるのも最後にいるのも俺だった。俺は彼らをホテルでみつけて、結局レミーのホテルの部屋にいるのさ。彼らとたむろしていた。『Orgasmatron』の中ジャケットで悪名高いあの写真のなかで俺は基本的に自分の上に嘔吐して座ってるんだ。(最初に会ってから)数年後、レミーに会った時には興奮したよ。俺たちは同じウォッカボトルを飲んだ。間違いなくその部屋にいた人たちが経験してきたようにとはいかなかったけど、すぐに俺が飲んでいたウォッカのほとんどをなくしていたよ。俺は彼のホテルの部屋で意識を失って彼にあの写真を撮られたんだ。『Orgasmatron』で俺は永久に刻印されちまった。間違いなく名誉の印だけどね(笑)。状況がどうあれそんなことどうでもよかった。モーターヘッドのレコードの中ジャケットに俺がいるぞってね。

    その頃、メタリカはブレイクし始めていた。レミーはゴッドファーザー、親みたいなものだった。彼は完全に安心できる人だったんだ。評価されたり、分析されたり、質問されたりしたことは一切なかった。できる範囲のレベルでいつも歓迎してくれた。即座に聖域まで歓迎されたみたいだったよ。生きていると感じさせてくれたし、重要だと感じさせてくれた。自分より偉大な何かの一部になったかのように感じさせてくれるんだ。それだけ安心できたし、俺みたいなキッズにとって元気づけてくれる場所でもあった。俺たちに目的を与えてくれたからね。

    レミーの50歳の誕生日は、俺たちが行って演奏したよ。基本的にハウスバンドなんだけど、モーターヘッドの曲を6つ、レミーの格好で演ったんだ。彼の曲を演奏するのは俺たちにとってはいつだって造作もないことなんだ。俺たちは誇らしく演奏するよ。

    彼はたくさんの素晴らしい曲を書いた。まず頭に浮かんだ「Motorhead」は、まさにロックンロールの日々に戻った名刺代わりの曲だ。不滅の一節「I should be tired, but all I am is wired / Ain't felt this good for an hour.(疲れているはずなのに、気になっているのは、この1時間が良いと感じられないことだけ)」。これなんかは俺がこれまでの人生で聞いてきたなかで一番ロックンロールなことだよ。あれはおそらく至高中の至高だね。「Overkill」はダブルベースをプレイしたくなった理由そのものだ。あの曲はメタリカのサウンドを形成する上で大きな部分を占めている。「(We Are) the Road Crew」はたぶんツアー生活を描いた史上最高の歌詞を持つ曲だね。「Bomber」はこれまでで最もエネルギッシュなハードロックの曲のひとつだ。それから「Capricorn」で共感するのは俺の誕生日がレミーと2日違いだってことだね。そう、俺もやぎ座(Capricorn)なんだ。それからまだ珠玉の曲がある。B面の「Over The Top」。たしか「Bomber」のシングルのB面だったはずだ。あれは出して数年後からいまだにライブの定番曲になっていた。(こうして)お気に入り楽曲リストは永遠に続くよ。

    2週間前の70歳祝賀パーティーに俺も顔を出した。彼と10分近く座って話す機会を得られた。彼と俺の2人だけでね。ロックンロール・コミュニティへのあなたの義務は永遠に生き続けることだと彼に言ったよ。彼の誕生日パーティーはハードロック同窓会みたいなものだからね。みんながそこに集まる。レミーは、これまでで一番クールなヤツは誰かって話になったら俺たちみんなが賛同する数少ない一人だから。俺たちがみんな姿を見せる。みんな散り散りだから、彼こそが俺たちがみんな一緒に集まってハードロックを祝福し、モーターヘッドを祝福し、なじみの顔を見るための理由になっている。だから永遠に生きるのが義務だと彼に言ったんだ。もちろん彼が健康を害していたことを話すこともできただろうけど、俺たちには再確認したり、ハッキリ言葉にしたりする必要のない近しい絆があった。口にしなくなればなるほど、そこに繋がりがあるのをより深くわかるんだ。

    LAでメタリカがライヴをやる時は、いつも彼がやってきて俺たちを観ていくんだ。そしてモーターヘッドがこっちに来たら、俺たちが彼らが演るのを観に行くんだ。俺たちはおそらくこの20年のあいだに50回から100回は遭遇していたんじゃないかな。彼はやってきて俺たちとステージ上で複数回演奏したしね。深い絆だった。それはあのクレイジーな1981年の夏にさかのぼるんだ。俺はいつも感謝しているし、一緒にいられた全ての素晴らしい時間、とりわけ出会って最初の頃の思い出を大事に心にしまっておくつもりだ。俺たちは攻撃されやすく、型にはめられやすい。それは自分たちがどうしてこうなったかっていう重大な部分が、バンドとしても、人としても、直接的に彼だけでなく、これまでに影響を受けた、同じボトルを飲み、同じ物語と同じ空間を共有した残り全ての人たちのせいなのさ。彼の魂は俺たちの中で生き続けるよ。


    RollingStone(2015-12-29)

    【追記3】
    最後の最後にメタリカとレミー・キルミスターの関連動画をcowboybluesさんがまとめて再生リストにしてもらっていますのでそちらをご紹介しておきます。
    https://www.youtube.com/playlist?list=PLGppSrVhtU5U5GSGLhG0ksOf0YAFdFboQ

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    元モーターヘッドのフィルシー“アニマル”テイラー死去、オジー、メタリカらが追悼メッセージ

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    2015年12月13日、今年70歳を迎えるレミー・キルミスターの誕生パーティーがハリウッドの「Whisky A Go Go」で行われ、多くのミュージシャンが参加しました(レミーの誕生日は12月24日)。

    lemmy
    メタリカからはロバート・トゥルージロが参加。以下、主な参加者リスト。

    スラッシュ (GUNS N' ROSES)
    ダフ・マッケイガン (GUNS N' ROSES)
    マット・ソーラム (GUNS N' ROSES)
    ギルビー・クラーク (GUNS N' ROSES)
    ロバート・トゥルージロ (METALLICA)
    チャーリー・ベナンテ (ANTHRAX)
    スコット・イアン (ANTHRAX)
    ザック・ワイルド (BLACK LABEL SOCIETY)
    スティーヴ・ジョーンズ (SEX PISTOLS)
    スティーヴ・ヴァイ
    ビリー・ダフィー (THE CULT)
    クリス・ジェリコ (FOZZY)
    ダグ・ピニック (KING'S X)
    フランキー・ペリッツ (APOCALYPTICA)
    セバスチャン・バック (SKID ROW)
    ウィットフィールド・クレーン (UGLY KID JOE)
    ボブ・キューリック (MEAT LOAF, ALICE COOPER)
    ビリー・アイドル
    グレン・ダンジグ (DANZIG)

    Whiskey A Go Go
    whiskey_a_go_go_lemmy

    誕生日ケーキ
    lemmybirthdaycake

    lemmy_ab

    lemmy_rob

    「Whiskey A Go Go」のinstagramアカウントでは参加者の写真がたくさんアップされています。
    https://www.instagram.com/thewhiskyagogo/

    20年前のレミーの誕生パーティーの様子については'Tallica Japanのページでcowboybluesさんが詳しく書いてくれていますのでこちらからどうぞ。
    https://www.facebook.com/Tallica.Japan/posts/767785023349825

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    2015年11月11日、元モーターヘッドのドラマー、フィルシー“アニマル”テイラーが亡くなりました。享年61歳。モーターヘッドのレミー・キルミスターをはじめ、オジー・オズボーンらが追悼メッセージを掲載しています。メタリカもバンド公式Facebookページで追悼メッセージを掲載しました。一部を管理人拙訳にてご紹介します。

    レミー・キルミスター(訃報をきいた直後)
    「フィルシー・・・彼はかつてアルバムで「ひるむな」と叫んだ・・・たくさんの若者にパンク/メタルのヘアスタイルをぶちあげた・・・激情と集中力でもってドラムをプレイした・・・ときにみんなを「バカヤロー」と呼ぶのが好きだった・・・。友人であり、ロマンあふれるダービシャー州の男、安らかに・・・たくさんの愛とともに・・・。」
    Philthy Animal
    facebookより

    レミー・キルミスター(前コメントの翌日)
    「ハロー、モーターヘッドのレミーだ。昨日最高の友人を亡くした現在、とても悲しく実際のところショックだ。彼を失って寂しいよ。彼の名前はフィル・テイラー、またの名はフィルシー・アニマル。彼は俺たちのキャリアのなかで二度ドラマーを務めた。今、彼が亡くなって、彼のような人間が亡くなり、ジョージ・ブッシュが生きたままだなんて本当に腹が立つ。そんな物思いにふけっていた。俺たちはまだ元気にやっている。最初はワーゼル(訳注:2011年7月に亡くなった元モーターヘッドのギタリスト)、そして今フィルシーだ。残念でならない。ロックンロール・ビジネスは人の命にとっては良くないものかもしれないな。まぁしかたがない。」
    facebookより

    エディー・クラーク(フィルシーと同時期にモーターヘッドに在籍)
    「俺の親愛なる友人であり兄弟が昨晩逝ってしまった。彼はしばらく病気だったが、それを知っていたからといってその時がついに来てしまうなんて容易に受け入れられない。フィルのことは彼が21歳のときから知っていた。彼はどえらいヤツだった。幸いなことに俺たちは一緒に素晴らしい音楽を作り、一緒に過ごしたかけがえのない思い出がたくさんたくさんある。安らかにフィル!」

    facebookより

    オジー・オズボーン
    「フィル“フィルシー・アニマル”テイラーの訃報を聞いたところだ。本当にひどい喪失だ。彼は素晴らしい友人であり、素晴らしいドラマーであり、素晴らしい男だった。彼は心から惜しまれることだろう。今日は俺にとって本当に悲しい日だ。安らかに。そしてアイツにはまだ俺にベガスで500ドルの貸しがあるんだ。」
    facebookより

    メタリカ
    「フィル“フィルシー・アニマル”テイラー安らかに。あなたは俺たちに言葉を超えた影響を与えてくれた。」
    Philthy Animal
    facebookより

    デイヴ・ムステイン
    「フィル“フィルシー・アニマル”テイラーの訃報を聞いて本当に悲しい。ご家族に哀悼の意を。フィル安らかに。」
    twitterより

    スラッシュ
    「フィル“フィルシー・アニマル”テイラーを失うなんて悲しい悲しいニュースだ。ロックンロールで最高のドラマーの一人だ。フィル安らかに。寂しくなるよ。本当に。」
    twitterより

    マイク・ポートノイ
    「フィルシー・アニマル・テイラー安らかに・・・モーターヘッドの「Overkill」は俺がこれまで練習してきたなかで最初のツー・バスの曲のひとつだった。彼に捧ぐ。」

    twitterより

    チャーリー・ベナンテ
    「大好きなドラマーの一人がもうこの世にいないと耳にしたばかりだ。フィルシー“アニマル”テイラー、多大なる影響力だった。モーターヘッドに愛を。悲しいよ。」
    twitterより

    フランク・ベロ
    「フィルシー・アニマル・テイラー安らかに・・・」
    twitterより

    ディー・スナイダー
    「とてつもない喪失だ!」
    twitterより

    ご冥福をお祈りします。

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