メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:ラーズ・ウルリッヒ

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    ジェイソン・ニューステッドが2017年5月3日から7日にかけて行われた「Art Miami」主催の現代美術展、第3回「Art New York」と第2回「CONTEXT New York」に『RAWK』というタイトルの絵画作品12点を出展。50か国、150以上のギャラリー、1200人以上のアーティストが参加する国際現代美術展へのデビューを果たしたジェイソンにGuitarWorldがインタビューを行いました。アートとの関わりやメタリカについて語っています。管理人拙訳にてご紹介。

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    写真は同展示にて『ROCKERS』というシルクスクリーン作品を出展したロックフォトグラファー、ボブ・グルーエンと。

    −今年のArt New Yorkにはどのような経緯で関わるようになったのでしょうか?

    Art Miamiのオーナーと会う機会があってね。彼はメタルが大好きで、会った時に俺が手がけた絵をいくつか見せたら招待してくれたんだ。それで俺はここ数週間、アメリカのさまざまな場所を旅行してきて、過去7、8年のなかからキャンバスを持ってきた。国際展なんて初めてのことで、俺はとても興奮しているよ。

    −アートは子供の頃からいつも興味を持っていたものだったんでしょうか?

    若い頃、農村部で育って、そういう授業を受けていたよ。そこでアクリル絵の具と色を混ぜるということに出会ったんだ。それから3年ほど経って音楽に衝撃を受けて、がっつり30年もの間はその他全てのことが二の次になってしまった。

    −絵を描くことに戻ったのはいつ頃ですか?

    いったんメタリカに入って、その他のプロジェクトに取り掛かり始めると、俺はいつもいろんなことをやって、たくさんの機材の周りを動き回って自分をメチャクチャ忙しくしていた。(結局)俺は肩を痛めて手術が必要になってしまった。回復している間、俺がこれまで慣れ親しんだやり方で楽器を演奏することができなくなっていた。両手を必要に応じて使うことを練習しなくちゃならなかったんだ。俺にとって、音楽はフルタイムでやるものだった。それが出来なくなった時、俺はいつも音楽に注入していた創造的なエネルギーの全てを両手を使うことで放出し始めた。

    俺は片腕でモンタナにある牧場をやっていた。そして納屋に行って塗装する必要があると思ったんだ。そこで古いドラムヘッドとそこらにあった塗るもの−ラスト・オリウム(訳注:防錆塗料)と緑と黄色のジョンディアのトラクターをみつけた。それからスノーブラシに色を染み込ませて、塗装していたものの上に塗料をぶちまけたんだ。

    丸や顔や形をかたどるためにキャンバスにさえ触れる必要のないところまで行ってしまったんだ。それが始まりだった。それから両手の状態も良くなって、キャンバスにもっと触れ始めた。だからイカしたメタル・モンスターからキャンバスの上へとエネルギーが転移したんだ。作品を持っている人たちは、絵が音楽のように見えるというのがほぼ一致した意見だ。


    −創造的なプロセスにおいて、あなたが一番好きなところは何ですか?

    (自分の手で描かれて)出てくる生き物、色、タペストリーのイメージは、目の前にするまで自分の心の中にも存在しているとはわからなかったものなんだ。自分の中から飛び出して、他の目で見ているような感覚なんだよ。実際の意図されたものなんてのも決してない。どこから始まってどこで終わるのか決してわからないんだけど、出てくるものはいつも楽しい驚きなんだよ。

    −絵画作品に土を混ぜるというアイデアはどこから来たんですか?

    そういうことをたくさんやっていたジャン・デュビュッフェ(訳注:20世紀のフランス画家)の多くの影響を受けたんだ。(塗料を)適切な配合で砂の中に混ぜると、成形したり彫刻したりできるペーストになる。どんな色が飛び出してくるのか全く予測不可能なんだ。

    −最初に正式な芸術作品に触れたのは何でしたか?

    俺はラーズに真剣にしかるべき敬意を伝えるつもりだ。彼は国際的な教育環境にあったんで、早くから本当にクールな作品に触れてきた。彼の家に初めて行った時のことを覚えているよ。彼は子供のアートのようなゲーム部屋にそういう額縁の絵を飾っていた。実は精神的な障害を持つ大人によって描かれたアートなんだと俺に言ったんだ。俺にとってすごい新鮮で、本当に面白かったね。それで階を上ると、彼が結局売ることになったあのバスキアの絵(訳注:映画『Some Kind Of Monster』でも登場する「Profit I」)があった。ストーブの上に日用雑貨のように掛けてあったよ(笑)。本当に大きくて、あの簡潔さと複雑さが魅力的だった。ラーズを通じて俺は多くの人たちに紹介された。だからこの作品を披露することで、彼に対して最敬礼しようとしているんだ。


    −音楽について少しお話させてください。Newstedの後、あなたは音楽活動を休んで、ソーシャルメディアから離れました。そのような決断に至ったのは何だったのですか?

    もともと、自分で50歳になったら自らに何かを証明しなければならないと自問していた。だからNewstedのためにたくさんのものを結集して曲を書いた。それに没頭して楽しい時間を過ごし、たくさんのことを学んだ。いったんやってみると、俺はソーシャルメディア全体に流れる雰囲気と不誠実さに少し落胆した。そうすることになったのは、俺はいつだってプライベート・ガイ(人前に出たがらないヤツ)だったってことだ。

    でも去年はChophouse Bandでアコースティック・ベースを携えて30回、今年はフロリダで同じ衣装でさまざまな音楽仲間といくつかのショーをやった。同じ雰囲気と強さ、そしてちょっと違う感覚だね。曲を集めてギターをプレイすることは、まだ俺にとってとても重要なことなんだ。


    −あなたがメタリカと共にあった時間で、最も印象的なことは何ですか?

    その質問をされると、加入した初期の先駆的なことが思い浮かぶ。パッと思いつくのは、それまで俺たちみたいな音楽をやったことないような場所で俺たちが初めてやったということだね。1986年に日本に行った時のように、何が起こるのか知らないような人たちの頭を吹き飛ばすんだ。以前にそういう音楽を演奏したことのない国々に行って、そこの人たちに来てもらうというのは最良の方法だった。そういう壁を壊して、それ以降に起こる全てのことのための道を開いたんだ。

    GuitarWorld(2017-05-02)

    展示に参加したジェイソンのその他の写真はこちらから。
    http://www.pacificpressagency.com/galleries/20194/jason-newsted-debuts-his-artwork-at-art-new-york-

    以下、関連リンク。

    Art New York
    http://www.artnyfair.com/

    CONTEXT New York
    http://www.contextnyfair.com/home

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    なかなか更新する時間を確保できませんでしたが、ボチボチいきます。RollingStoneのインタビューにてラーズ・ウルリッヒがアルバム制作についての考えを語っています。UltimateGuitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    lars_2017

    −クラシックなロックやメタルがアルバムというフォーマットになると売れ行きが悪いがどう思うか?

    こう長いことやってると、『Master Of Puppets』がどうだったかなんて覚えちゃいない。血を流し、四肢関節に油をさしてやってきたんだ。俺が言えること、そしてみるみるそうなっているなと思うのは、俺たちがこれまで以上に忙しく、メタリカに取り巻かれてやっているってことだ。メタリカはこれまで以上にフルタイムなものになっている。

    以前は違う活動パターンでやっていたからね。曲を書いて、レコーディングして、ツアーに出る。それから1年(休暇で)姿を消すって具合に。俺たちはもはや姿を消したりしない。いつも何かをしている。フェスティバルだったり、レコード・ストア・デイだったり、リマスターだったり・・・。片足を未来に、片足を過去に置いて、未来に突進して新しい道を発見するのと、自分たちの過去に敬意を表すことの間でいつも行ったり来たりしているんだ。

    俺たちは(メタリカとしての)25年から30年の大部分、過去に背を向けてきた。同じことを繰り返すのが恐かったからね。それから最も重要なことは、リック(・ルービン)が「いいんだよ。自分たちの過去を喜び、誇りに思っていいんだ。過去をインスピレーションのために受け入れることができる。」と言ってくれたことだったんだ。

    俺たちがぶっ倒れるまで、アルバムを作り続けたいと俺は望んでいる。それが俺たちを鼓舞し、時代と繋がっていると感じることなんだ。つまり、まだ俺たちは現役だっていうね。それが俺たちにとって重要だ。他のヤツらが違うと思うならそれを尊重するよ。でも俺たちにとって、まだ言いたいことがあるって気持ちで曲を書くことは、イキイキと満ち足りた気分で自分たちのことを心地よく感じる重要な部分なんだよ。


    UltimateGuitar.com(2017-04-24)
    フル尺のインタビューはこちらから。(11:19~)
    https://cms.megaphone.fm/channel/rollingstonemusicnow?selected=PNP1107986104

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    ラーズ・ウルリッヒの公式ツイッターアカウントが始動しました。

    larsulrich_twitter
    @larsulrich

    アカウント自体は2011年から登録されていたようですが、このほどご本人認証バッジがつきました。


    やぁみんな、ついにツイッターの仲間に加わって興奮しているよ・・・


    メタリカのメンバーのツイッターアカウントとしては、カーク・ハメット(@kirkhammett)、ロバート・トゥルージロ(@roberttrujillo)に続く3人目。またこちらでもいろいろと情報発信をしてくれそうです。

    ASUKAさん情報ありがとうございます!

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    メタリカがこのほど立ち上げた慈善団体「All Within My Hands Foundation」に寄付をすると、抽選で特典が当たるキャンペーンが行われています。
    lars_donation

    以下、ラーズによる告知メッセージ。



    抽選で当たるのは、北米ツアーの各公演チケットやバックステージパス、メタリカのメンバーとのミート&グリート、ラーズのサイン入りドラムスティック、スネイクピットへの入場パスなど。

    詳細とエントリーはこちらから。受付は現地時間4月26日まで。エントリーはお早めに。
    https://www.crowdrise.com/metallica

    集められた寄付金は、各慈善団体への寄付を通じてフードバンクや音楽教育に関する援助を行うとのこと。

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    メキシコのテレビ番組のインタビューにて、ドナルド・トランプ米大統領がメキシコからの不法移民の流入を防ぐためにメキシコ国境に築こうとしている壁について、ラーズ・ウルリッヒが答えていました。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    larsulrichmetallicawall2017

    世界にどんな壁も必要だとは思わないけど、俺たちはみんなをひとつにする必要があると俺は思ってる。メタリカは世界中を旅して、音楽を通じてみんなをひとつにしようとしているんだ。だからメキシコにいようが、アジアにいようが、ヨーロッパにいようが、いろんな背景を持ったいろんな人たちと一緒になって、音楽や人生や文化、そしてこれら全ての経験を共有しようと働きかけている。だから一人のデンマーク人として意見を求められるなら、どんな壁だろうと必要とは思わないし、メタリカがこの美しい地球を旅している限りは、音楽で障壁をぶち壊すんだとますます思うよ。

    BLABBERMOUTH.NET(2017-03-06)

    テレビ番組のインタビュー動画はこちらから。


    以下、文字起こしされていなかったところのざっくり概要など。

    ・メタリカにとってメキシコが特別な場所。
    ・最も驚くべきことは35年経った今もメタリカに関心を持ってくれる人たちがいること
    ・自分たちが50代になっても若い新しいファンがメタリカのライヴに初めて来てくれることは最高
    ・今回のプロデューサー(グレッグ・フィデルマン)は初めてのアルバムプロデュースだったがいい仕事をしてくれた
    ・(メキシコでの大きな成功について)ありがとうありがとうありがとう
    ・(長く続ける力や気持ちの持ちようについて訊かれて)ローリング・ストーンズ、ニール・ヤング、ポール・マッカートニー、ボブ・デュランといった人たちがまだ現役だが、メタリカほど肉体的にキツい音楽ではない
    ・続けたい気持ちは持っているので、うまくいけばあと15〜20年、身体が持つ限りはと思っている

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    ラーズ・ウルリッヒがA.V.Clubのインタビューのなかで、前半はグラミー賞授賞式でのレディー・ガガとのコラボレーションのきっかけについて、後半はグラミー賞そのものについて語っています。管理人拙訳にてご紹介します。
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    −みんな、グラミーでのレディー・ガガとのコラボレーションについて話していますので、そこから始めましょう。RollingStone誌上で、(訳注:映画『ハングオーバー!』や『アメリカン・スナイパー』で知られる俳優)ブラッドリー・クーパーの家で二人が会って、一緒にやろうとなったという彼女の言葉を引用しています。その場で終わりがちの「今度一緒にやろう」がどのように具体化したんでしょうか?

    まぁ、間違いなくアーティストとして尊敬したり素晴らしいと思ったりする人たちがバケツいっぱいにいるわけで。俺がメタリカにいて誇りに思えることのひとつは、必ずしもたくさんのコラボレーションをやる必要はないってことなんだ。だからいざやるとなれば、それはすごい特別なものになる。俺たちはそういうものからもうちょっとえり好みしようってわけだ。グラミーに出る時は、グラミーを特別なものにしている一部にコラボレーションをやるって流れがあるわけだし。

    それでグラミーから俺たちにまた授賞式に来てライヴをやってくれないかと依頼があって、その数日後には彼らは文字通り「誰か浮かびました?」ときたもんだ。俺たちは、ジェイムズが素晴らしい女性ヴォーカルと新譜の曲を交互に歌ったらヤバイものになるんじゃないかって内輪で話していた。そしたらその(ブラッドリー・クーパー家での)ディナーでたまたま一緒になった。時おりそんなことが自然に起きる。多くの場合、追いかけない方がいつもうまい方向にいくんだ。俺たちは普通そんなこと探しに行こうなんてしない。そういうことはいつもチャンスの方からやってくるものなんだ。だからかなり特別な今回の件は自然でピュアな要素があったね。


    −一堂に会して曲を通しでやった時、とても自然だと感じましたか?

    聞いてくれ、俺はこれがうまくいくと分かっていた。要はガガは心底メタル・ウーマンなんだ。これがうまくいかないわけがないよ。彼女の中には完璧にそのDNAがある。完全に彼女にうってつけだった。うまくいかないなんてない。唯一の問題はそれがどのレベルでうまくいくかってだけだった。

    1回通しリハをやってね。彼女もジェイムズの声も出ていた。とてもうまくいって、俺たちは全員突っ立って「だろ?」って感じだった。本当にマジで別次元だったんだ。金曜日の夜に2回、いやたぶん3回はリハーサルしたと思う。準備はバッチリ。「マジかよ、俺たちココで何やってんだ?」なんてことは一切なかった。この類のことにしては想像できる限りナチュラルでオーガニックなものだったよ。最初からホームランだったんだ。

    −あなたはレディー・ガガを「まさしく5人目のバンドメンバー」で、これは一緒にやる始まりに過ぎないと語っていましたが、それは(今後)どう具現化するのでしょうか?

    誰かと72時間も一緒に過ごすと、これで終わりにしたくないっていう絆や親密さが生まれるんだ。こうなると、いつだってまた繋がるようにオープンなままでいるもんだ。そりゃあもちろん今日一緒にスタジオ入りしてたり、レコーディングか何かするために曲を書いているわけじゃない。あの週末に一緒にいたことで、関係は途切れるものじゃないし、すごく確かなものだったんだ。いつかどこかでこのコラボを再検討するのは実にしっくりくる自然なことだね。サウンドチェックを終えて、彼女は俺にこう言ったんだ。「また今度一緒に何かやりましょう。このコラボはこのまま終わらせるにはあまりに良すぎなので。」俺も「賛成だ。それが極々当然のことだよ。」と答えたよ。

    確かに俺たちはまだこのことについて膝を突き合わせて話したわけじゃない。(コラボを実現させてからまだ)48時間だぜ(笑)俺は話を聞いたり、ツアーやその他もろもろについて話したりするのに忙しかった。でもこういうことを何か再検討する機会があれば、考え得る限りピュアなものになる。だから成り行きに任せるよ。

    −メタリカはグラミー賞で面白い歴史を持っています。1989年にはベスト・ハードロック/メタル・パフォーマンス部門でジェスロ・タルに敗れ、この賞が時代遅れで見当違いだとたくさんの議論を呼び起こしました。そんな会話が昨今さらに熱を帯びて戻ってきました。特にビヨンセがアデルに敗れた時に。あなたはグラミーをどう見ているのでしょうか?今の時代に即応していると思いますか?グラミー賞が新しく進歩的なことをしているアーティストたちを受け入れていると思いますか?

    面白い質問だね。グラミー賞がオスカーのようになっているっていうニューヨークタイムズの記事があったよ。今年のオスカーを見ると(超低予算で独立系の)『Moonlight』のような映画や『Manchester By The Sea』みたいな映画がある。スポットライトのまさに中心に、たくさんの独立系の進歩的で創造的な努力があるわけ。俺はそれが本当に面白いと思ったね。だって一般的にアカデミー賞のことを考えたら、必ずしも超進歩的なところだとは考えないだろ。でもこの数年で映画の範疇が広がったから、その界隈じゃ全く異なる声があるんだから面白いと俺は思うよ。興行的な要素もあるし、独立した要素もあるし、敢えて言わせてもらえば、彼らの取り組みにはもう少し創造的なところもあるんだ。だから全てにおいて面白いコメントだと思ったんだよね。

    グラミー賞は過去には間違いなく、あからさまに保守的だった。俺たちが80年代後半にグラミー賞と関係を結び始めた頃、彼らはハードロックとメタルを(ようやく)組み入れたような年だったんだ。今やカテゴリーを広げ始めて、そこにラップも入っている。俺たちがあの場で演奏した時、見える限りは良い感じだった。彼らが震えあがっていたかは知らないけど、彼らは俺たちが演奏している間、確かに困惑していたんだ。それで(賞を勝ち取ることが)何にも増して滑稽だったジェスロ・タルに賞を与えた。自分たちの独立した台座に座って、判断の指針やら何やらを指摘していくのは、俺たちみんなにとって容易いことだと思う。でも結局はテレビ番組なんだ。テレビ番組をできるだけ多くの人たちに届けるためには、持ちつ持たれつってのがある。そして多くの人たちに届けるためには、それに関わる必要のある人たちがいるんだ。

    多くの人にとって、グラミー賞は音楽界に入った人たちの1年でたった3時間のことだ。もう少し(出演者の枠と言う意味での)ネットを広げられると主張することもできるだろう。でも同時にニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴの人たちが聞いた唯一のアーティストたちの3時間だとすると、必ずしも飛行機で廻るのを貫く必要はない。この議論にはいろんな側面があって、一つの固定的な立場を取るのは俺にとって難しいよ。彼らはネットをもうちょっと広げることができたのだろうか?もちろんできた!彼らはそういう会話をしてきたと俺は確信している。俺との間には関係なく、毎日のようにね。でも同時に彼らはみんなが見るものを確実なものにしたい。だから紙一重なんだ。俺は関わろうとする戦いを選んだ人生にどんどんなっている。3年に一度、参加することに興味があるか俺たちに尋ねるメールを送ってくれるハッピーなことは俺の手の届く範疇をはるかに超えている。俺たちはハードロックとかそういったものを代表するものだということをとても誇りに思っている。だから彼らが自分たちのようなクレイジーな人たちを見せてくれるくらいには十分広いネットを広げてくれていることに感謝しているよ。俺は両面を見ていくよ。

    −あなたがオスカーについて言及するのは面白いですね。その進歩の大部分は非常に激しい反発から来ていますから。彼らはチャンス・ザ・ラッパーのアルバムを賞の対象とするために進歩的な何かをして、実際に彼が受賞しました。純粋にデジタルが会話に入ってくる音楽の変化をどのように見ていますか?音楽を作り方、人々への届け方が変わると思いますか?

    俺たちの音楽制作過程はダイレクトに変えてはいない。曲を書く時、曲を書く。曲を書いた後に曲と一緒にやろうとしているものとは、必ずしも重なり合うとは思わない。間違いなく今日、主たる原動力は20年前、30年前と根本的に違うわけじゃないんだ。俺たちはたくさんの曲を書いてきて、今はそれを聴くことに関心のある人たちに届けたいんだ。曲を聴きたいと思う人たちに利用可能にするってことだね。10年毎に変化している部分は、それがどれだけ容易になっていくかってところなんだ。

    覚えておかなきゃいけないのは、世界的に見れば、サンフランシスコやニューヨークで起きていることがあり、ポルトガルとウルグアイではまた別のことが起きているってことだよ。チャンス・ザ・ラッパーとSpotifyとApple Musicで起きている以外のこともある。地球規模で見れば、ここでうまくいっていたものが、そこではうまくいかないかもしれないってことに気付く必要がある。それぞれ違う状況でベストを尽くさないといけない。ナマモノだからね。暴走列車みたいなもんだ。頑張ってるけど、どうなるのか正確にはわからない。そういう流れに続く準備はしなきゃならない。今から5年後にどうなってるのかわからないけど、今から5年後にはまだ親愛なる人生に夢中になっているってことはわかる。テクノロジーの最前線にいて、ファンとコミュニケーションを取る機会を得ようとしているだろうね。

    その核となるのは、ファンとのコミュニケーション方法と、聴きたいと思う人たちに音楽を届ける方法だね。それは毎日ではないにしても、少なくとも定期的に変化するものなんだ。それに対しては充分にオープンでいなきゃいけない。もしそうしなければ、その輪から人々を締め出してしまうよ。

    A.V.Club(2017-02-16)

    【追記】
    もしマイクトラブルがなかったら・・・というグラミー賞パフォーマンスのリハーサル映像が公開されました。素晴らしいの一言です・・・・
    https://metallica.com/blog/news/439228/grammy-videos-performance-and-rehearsals

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    アメリカのスポーツ/カルチャー誌「The Red Bulletin」でジェイムズ・ヘットフィールドとラーズ・ウルリッヒのインタビューが掲載されていました。管理人拙訳にてご紹介します。

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    −昨年11月にあなた方の最新アルバム『Hardwired...To Self-Destruct』が世界中のチャートでトップを飾り、6番目のNo.1アルバムとなりました。これだけ全ての成功を収めた後、あなた方はまだ何かを始めるんですか?

    ジェイムズ・ヘットフィールド
    あぁ・・・確かに!でも奇妙でとても驚くべきことだね。年を重ねるほど、No.1アルバムを手にすることは特別なことになっている。(メタリカ結成から)35年経ってまだこんなことが起きているんだ。すごいことだよ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    メタリカが、人にとって重要なレコードをまだ出すことができるっていう事実が素晴らしいよ。ハードな音楽がまだみんなにとって重要だということが素晴らしい。俺はロック・グループはマイノリティーになっているような気がするんだ。世界規模でうまくいっているバンドはとても少ないから、そのひとつになっているというのは特権だね。メタリカでいられてよかったよ。

    −『Hardwired...To Self-Destruct』はあなた方自身のレーベルBlackened Recordingsでリリースされた初めての(スタジオ)アルバムです。他と比べて今回は何が違いましたか?

    ジェイムズ
    そんなに違いはないよ。俺が言っているのは、自分たちのレーベルということで−まぁアメリカで俺たちのレーベルってだけで他の国ではまだユニバーサル(・ミュージック)なんだけど−時間をかけて締め切り無しで曲を書くことができた。誰も「ちょっと、ここまでに必要なんだけど」とは言ってこない。

    ラーズ
    (自主レーベル設立のための)契約交渉に入る時、狙いは常に過去の作品を自分たち自身の手に最終的に取り戻すことだった。自分を解放してくれる分離と原動力っていうのは素晴らしいよ。本当にやりたいことを自由にできるからね。(自主レーベルであることの)大きな違いはレコーディングじゃなくて、完成した翌日に起きることなんだ。10年、20年前には他の人たちがほとんどの仕事をやっていたのに対して、今の俺たちは自分で90%の仕事をする必要があるからね。俺たちには今やもっと大きなインフラがある。

    −あなた方はよく本音をさらけ出すバンドですが、過去の作品を振り返って「俺たちは一体何を考えていたんだ?」と今思うような時代はありませんか?

    ジェイムズ
    いくつかのアルバムで変更したいものもあるけど、それを変更できないほどの特質がある。バンドが過去の名作をほぼ同じ曲で再レコーディングして、オリジナルのアルバムに取って代わらせるのを見るとちょっとイライラするんだよね。あれは歴史の一部を消しているよ。こういうアルバムは人生のある時期の産物であって、歴史のスナップショットでもあり、バンドのストーリーの一部でもある。そう、だから『...And Justice For All』でもう少しベースを効かせていたら、『St. Anger』でスネアドラムをもう少し抑えていたらって、(言われるが)でもそういうことによってあのアルバムが俺たちの歴史の一部になっているんだ。

    metallica-james-hettfield-vocals

    −メタリカはアナログ盤が王様だった(今とは)別の時代に始まりました。あなた方は今、ドイツにレコードのプレス工場を持っています。なぜなんでしょう?

    ジェイムズ
    俺たちはアナログ盤と共に育ったし、大好きなんだ。(レコードは)体験であり、イベントだった。触れてわかるというか。レコードを手に持って、ジャケットから取り出して、針を溝に落とす。半年前に俺はLAにいたんだけど、高校の旧友を訪ねてカンザスとかそういうレコードを囲んで聴いたんだ。箱に目を通したり、台紙の臭いを嗅いだり、ライナーノーツを読んだり、温かみのある音を聴いたりするだけ。すごくどっぷり浸れるんだ。

    −あなた方は今や本質的に自分たちのボスでもあります。夢を持ったクレイジーなキッズから、ロックの大御所/ビジネスマンになったのは自然な進歩と言えますか?

    ラーズ
    俺たちはまだクレイジーな大人だと俺は思っているけど、それでも全てを理解しようとはしているよ。鏡を見て、ビジネスマンが写っているとは思わないけど、間違いなく自分たちのために働いてくれている人たちが大勢いる。少なくとも大人として振る舞わなければならない点はあるね。俺は今53歳だけど、いまだに自分のことを時おり起きていることを解決しようとしているクレイジーな子供のように感じている。だから自分たちの後ろに自分で作り上げた信頼できるチームを持つ。メタリカのようにガッチリ独立していることは、俺たちが誇りに思っている本当にクールなことだね。

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    −あなたはビジネスマンのようには見えませんが、あなた方がメタリカを始めた時からそちらの面ではラーズがとても活発だったというのも事実ですか?

    ジェイムズ
    ラーズはビジネスに精通したヤツだ。モーターヘッドを追っかけ、ダイアモンド・ヘッドを追っかけ、彼らや他のバンドたちから、彼らのやり方、彼らがどう決断を下したのか、とあるマネージャーがなぜ他のマネージャーより優れているのか、あいつは学んできた。ビジネスのことになると非常に好奇心が強い。俺?俺は仕事はしたくない!音楽をプレイしたい。自分のセラピーとキャリアを創造して1つにしたいと思う!他人から学んで自分の人生にそれを適用するのは良いことだけど、俺たちはまだ反逆者であり、リスクテイカーだ。俺たちは人生に挑戦して「自分たちが持っているこの資質で次は何をする?」という質問に直面している状態が好きなんだ。計画と準備はその一部に過ぎない。勇気、魂、そして熱情もまたかけがえのない武器だね。

    −ガラス張りのオフィスにメタリカが座って、ネクタイを斜めに締めて、電話で叫ぶのを想像するのは難しいですね。

    ジェイムズ
    ネクタイはないな。俺たちはめったにオフィスにはいない。電話で叫ぶことに関しては、やってくれる人を雇う!もっと大きなことは誰がコントロールしているのか、誰がその船を動かしているのか、誰がバンドで楽しい時間を過ごしているのかってことだと思う。かなり明白なことかもしれないけど、ラーズと俺がこのバンドをまとめた2人だ。俺たちは結成1日目からこの考えを持っていた。俺たちが運転席にいるんだけど、カークとロブはいつも俺たちと一緒に行く準備が出来ている。この乗り物でいつでも俺たちを連れて行くんだ。

    −あなた方は独立を獲得したことについてよくお話しされますが、長く成功した経歴を持つことの重要性はどうでしょうか?

    ジェイムズ
    俺たちにとっては、そう、重要だったけど他の人にとってはどうかな?わからない。俺たちがバンドを始めた頃、レーベルの契約を取るのは大きなことだった。今はそこまで大きなことだとは思わない。地下室で自分の音楽を作って、自分で(音源を)出すのは素晴らしいことだ。でもそれによってどこまでやりたいんだ?より大きなところと最終的に契約するのか?これは自分で下す必要のあるビジネス上の決定事項だ。「俺たちは何をしたいんだ?」と自問しなきゃならない。世界をツアーで廻りたいのか、それとも地元に留まるのか?自分を幸せにすることをすべきだね。

    ラーズ
    俺たちは自分たちがよそ者だといつも感じていた。それまで通りにやる必要性を感じなかったんだと思う。成功して一番よかったのは、自分たち自身の創造的な道を切り開く機会を与えてくれたことかな。主に、俺たちにとっての独立は、俺たちが決して誰からも金を取ったことがないことを意味している。つまり俺たちは誰にも何も負うことはないんだ。

    ジェイムズ
    俺たちはいつだってコントロール愛好家だ。アーティストとして、俺たちは自分たちのアートがどう表現されているかを、少なくとも何らかの形で制御する必要があると常に感じてきた。アーティストであろうと、彫刻家であろうと、自分のアートがどこにどう置かれるのかハッキリした意見をもつべきだよ。それが芸術的なビジョンの一部なんだ。

    −しかし、どんな経歴でも柔軟に対応し適応しなければならないということには同意できませんか?

    ジェイムズ
    水門が開いて、音楽が無料でインターネット上にあるということになって、俺たちは恐怖して、それについて何を考えるべきかわからなかった。でも今は間違いなく素晴らしいことだし、音楽を手に入れるのにとても便利な方法だ。それに適応することだけが唯一の生き残る道なんだ。それは人生の何においても真実だと俺は思う。

    metallica-kirk-hammett-lead-guitar

    −オンラインの無料の音楽について言及されましたが、違法ダウンロードに反対したナップスター裁判で、あなた方が代表となったやり方については後悔していますか?

    ジェイムズ
    他人が俺たちや俺について考えることは、俺には知ったこっちゃない。俺はそれが正しいことだとわかっていた。俺たちは狙われやすいターゲットだったんだ。(メタリカじゃなくとも)著名でアートに関わっている誰かがそこで撃たれるべくして撃たれるんだ。

    ラーズ
    あれはストリート・ファイトだった。メタリカとファンの間のことだ、メタリカはダウンロードに反対だっていう絵図を誰かが描いちまった。本当はそんなことじゃないのに。あれはダウンロードについてじゃない。選択についてだったんだ。もし俺の音楽を手離して無料にしたいってなったら、それは誰の選択なんだ?俺の選択か?それとも他の誰かか?あれは奇妙な夏の出来事だったね。

    −その奇妙な夏の出来事には、違法ダウンロードのために金メッキ仕立てのサメの水槽付きバーを家に備え付ける余裕がなくなったとプールで泣いているあなたが描かれたサウスパークのエピソードも含まれていますね・・・。

    ラーズ
    あれには目ん玉飛び出たね。でも俺はかなり面の皮が厚いんだ。あの夏、俺たちはたくさんのヒットが出た。あれもそのひとつだよ。

    metallica-rob-trujillo-bass

    −金メッキ仕立てのサメの水槽付きバーを備え付けることをそれから考えることはありませんでしたか?

    ジェイムズ
    俺たちは実用的な考えでね。自分たちのお金をステージセットや良い作品や映画制作につぎ込むんだ。退廃が進むことに関して、それはないよ。俺たちは互いのケツを蹴るだろうし。それはメタリカの性格には合わないな。

    −2004年のドキュメンタリー映画『Some Kind Of Monster』では、バンドが最も衰退した時期をみせ、個人的な苦闘をたくさん経験しています。あの時期、どのようにしてバンドは一緒にいられることができたのでしょう?

    ラーズ
    ジェイムズが俺たちと交流するための新しいツールと共に1年離れていたバンドから戻ってきた時、俺は最初の半年はどうなっているのかわからなかった。ああいうやり方を実行できないと思っていた。2005年と2006年の間に戻ってきたけど、しばらくはかなり綱渡り状態だった。何が起こるか確信が持てなかった。俺は「もしXXだったら」って質問はあまり好きじゃない。もし俺たちが別々になったら何が起きてたかなんて誰がわかるんだってこと。でも俺たちはこうしてここにいて、キミと話しているわけだ。メタリカが10年ほど前に分裂した世界を想像しようとするのはエネルギーの無駄だよ。

    RedBulletin(2017-02-xx)

    元の記事ではフォトセッションの様子を写した映像も掲載されていて実にメンバーが楽し気です。サウスパークの一件についての詳細は関連記事からどうぞ。

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    メタリカがナップスターを訴えてから早14年。

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    メガデスのデイヴ・ムステインがRollingStoneの「我が人生の15曲(My Life in 15 Songs)」という企画で各曲について語っています。そのなかでメタリカに関係する話もしていたので抜粋して管理人拙訳にてご紹介します。

    Megadeth_DaveMustaine

    「Ride the Lightning」

    聴けば誰が作曲者のリフかってことがわかるリフがある。俺が曲を書いた時の話をしているんじゃない。「Ride the Lightning」と「Leper Messiah」のある部分と1stアルバム(『Kill 'Em All』)のあらゆるところで、メガデスのギタープレイに似てると言える些細なものがある。楽器で出来ることがこんなにもたくさんあるんだとわかるよ。彼らはあれで素晴らしいことをやったと思う。

    俺は「Ride the Lightning」の全部を作曲したわけじゃない。ラーズがメロディックなイントロを書いて、次のパートを俺が書いた。その次のパートも俺が書いた。そのまた次のパートからはまたラーズのパートに戻ってまた俺の3つのパートに戻るって具合で当時は・・・誰が楽譜を付けていたんだろう?

    ずいぶん前に俺の曲を使う彼らのことは乗り越えた。そんなクソみたいなことに執着することもできれば、放っておくこともできる。何も変わらない。2つの素晴らしいバンドがあるんだ。俺たちは友だちだ。コトが起きちまった。クソだ。俺は1850万ドルの訴えを起こしたエレフソンを許したし、俺の曲を使った彼らについても許すことができる。(中略)彼らは凄いことをやったと思う。本当に俺は彼らを誇りに思っているよ。

    1985年に『Killing〜』アルバムを出す頃には、ふんぎりがついていた。でも俺の気持ちのなか、彼らに見せる機会のなかった俺のカタログのなかには、このことがずっとあった。俺たちはあのバンドとともにとても単純化した道を進んでいったんだ。誰が言ったかは思い出せないけど、誰かがとてもうまいことを言っていたよ。「メタリカにとってのラモーンズって、メガデスにとってのクラッシュみたい」ってね。おそらく俺が聴いたなかで一番よくできた表現のひとつだと思うよ。もうひとつの比較として「メタリカにとってのアイアン・メイデンって、メガデスにとってのレッド・ツェッペリンと同じ」ってのも見たことがある。「そいつは本当に良い見方してるな」と思ったね。俺たちはもう少し曲展開が複雑だから。



    「Mechanix」

    俺がメタリカにいた前から「Mechanix」を書いていた。メタリカに加入した時、俺たちは曲をたくさん持ち合わせてはいなかった。・・・だからキリング・ジョークやスウィート・サヴェージの曲やダイアモンド・ヘッドの曲からたくさんカヴァー曲をプレイしていた。そしてオリジナル曲もやっていた。

    歌詞は欲情したガソリンスタンドの店員について。なぜなら俺がそうだったからな。俺はハンティントン・ビーチに住んでいるティーンエイジャーで、女の子たちがビキニ水着で高い車に乗ってガソリンスタンドにやってきていた。クソッふざけてんのか?って思ったよ。フルサービスを頼まれた時には、彼女たちがビキニで座っているところで窓を拭きながら彼女たちをチェックするようになる。彼女たちは少しも嫌がっていなかったと思うね。もしそうだったら、窓を何かで覆うだろうから。大好きな車と接することができて、同じく大好きな女の子を見ながらできる仕事となれば、もうホルモン増強剤を打たれたキッズだよ。だからそれが曲になったようなものだな。

    「Mechanix」はある日、俺がクリフ・バートンと一緒にリハーサルに行った時に弾いていた曲だった。ラーズがやってきて「おぉ、じゃあ、このパートを変えようぜ」ときた。俺はクリフと車のなかでレーナード・スキナードを聴いていた。それで俺は「OK、「Sweet Home Alabama」を弾いてみよう」って思ったんだ。ラーズは絶対知らないだろうからね。そしたらアイツは「マジか、それはこれまでで一番すげぇパートだぞ」って。俺は「おいおい、マジで言ってんのか?」ってなったよ。だからはじめに「Mechanix」に「Sweet Home Alabama」が合わさったのが、今はなじみ深い「The Four Horsemen」ってわけだ。

    ジェイムズがあの曲と「Jump in the Fire」の歌詞を大きく書き直した。あの曲も書き直していたんだよ。「Mechanix」ほどじゃないけど、彼はあの曲にたくさんあった、性的な意味を暗示させるような表現が好きじゃなかったんだ。だから「jumping into a pit」って俺が言ってたところを「jump into the fire」っていうもう少しぼやかした表現に変わった。何にでも取れるようにね・・・。「pit」って言ったら、ひとつだからな。

    俺がメガデスとしてレコーディングしたバージョンの「Mechanix」は「The Four Horsemen」よりも速い。それは間違いない。あれはアイツらとやってたものとはかけ離れているんだ。その時にはすでにムカつきながら弾いていたからね。



    「In My Darkest Hour」

    クリフ(・バートン)が死んだと聞いた時に書いた曲だ。俺の友人の"メタル"マリア・フェレーロが電話で彼がバス事故に遭ったと教えてくれたんだ。俺はムキになってた。俺は「何てヤツだ、オマエは俺たちがバンドで兄弟だったとよく知ってたはずだ。彼が死んだと他の誰かに電話させなかったのか?」と、胸糞悪く取ってしまった。あの悲嘆に暮れて人がおかしなことをするってことは今は理解できるようになった。だから俺は彼女が俺に電話をしたことに対する自分の考えを改めた。でも当時の俺はとても怒っていて、一気に曲を書き上げて、出来る限りの速さで歌詞に取り組み始めた・・・。あれは本当に痛みを伴う作曲だったよ。

    クリフと最後に話したのは、たぶん俺が行っていた奇妙なショーでだったと思う。アイツらはまだ俺のことを恐れていたから、俺はバックステージパスをもらえなかった。俺はいつもアフターショーのパスをもらっていたから、臆病なヤツらだと思ったよ。俺たちはコンサートに行くたびに、俺とエレフソンはコンサートを観た後、彼らがパーティーをしているところに招待されていた。俺はパーティーには行きたくなかったけど、友だちに会いに行ってつるみたかったんだ。でも俺たちは友だちじゃないと思った。俺がクリフと最後に話したのはおそらく彼らがアメリカでやっていたショーのうちのひとつだったと思う。

    曲のなかの"Darkest Hour"は、独りぼっちだとわかった俺のことだ。歌詞は俺のミューズであるダイアナについて(笑)。「Loved to Death」の時に付き合っていたのがその女性だった。俺が作曲した「Tornado of Souls」「Trust」「This Was My Life」「99 Ways to Die」も全部彼女についての曲だ。俺はカミさんと愛情に恵まれてとても幸せだけど、俺の心の奥底に入り込んでしまっている唯一の他の人間がいるってことだな。俺たちはみんな本当に恋に落ちるっていう関係を持った誰かがいると思うんだけど、それは必ずしも続くわけじゃないんだよ。

    あの曲はたくさんの感情を呼び起こす。あれを最初にプレイしたのはクリフの両親が俺たちのショーに来た時なんだ。スタジオやリハーサルではできていたんだけど、彼らがそこにいたらやり通すことができなかった。あんな気持ちが沸き起こるとは思いもしなかったんだ。なんだこの感情は?って感じだった。曲をやっていたら突然、俺たちはコントロールが効かなくなっていたんだ・・・。クソッ、でも本当のことだよ。俺は彼にさよならを言うチャンスがなかった。彼がどこに埋葬されたかさえ知らなかったんだ。(中略)でも彼とは天国で会えるだろう。それはクールなことだ。少なくともそう信じているよ。



    「Hanger 18」

    「Hanger 18」は俺がメタリカに入る前のバンド(パニック)から持ってきた曲なんだ。「N2RHQ」と呼んでいた。別の惑星の環境についての曲で、メタリカに入って形を変えてあの曲をやろうか決めようとした時、パニックの時のように、俺はメガデスで再検討するまで待つことにした。(その頃には)「Rust in Peace ... Polaris」も完璧に仕上がっていた。当時は「Child Saint」と呼んでいた。もしアイツらに見せていたら、メタリカはたぶんレコーディングしていたんじゃないかな。

    歌詞は「エリア51」についてで、ニック(・メンザ)が書いたものだ。彼は地球外生命体を信じていた。俺は違うけどね。俺は精神的な世界があると信じている。見えるものと見えないものがあるけど、宇宙人に関しては俺は観たことがない。なのにどうやって知るって言うんだ?可能性はあるだろう。素晴らしい曲の素材を作ったなと思ったね(笑)。(中略)

    コードやコードの動きは(メタリカの「The Call of Ktulu」に)似ているけど、全く同じなんかじゃない。インターネットで4つのコードの曲を調べたら300曲だか400曲はみつけられるだろう。「The Call of Ktulu」は完璧に、100%俺の曲だった。彼らが(デモタイトルの)「When Hell Freezes Over」から変える前のあの曲は、全ての音符を俺が書いたんだ。彼らは途中に引き延ばした部分を付け加えた。あれがどこから来たのかはわからない。あれを初めて聴いた時は奇妙な感じだったよ。オーケストラみたいな転調を持ち合わせていたからね。あの部分は俺を大層感動させたもののひとつだった。「おいおい、あの部分が加わって俺の曲が本当にとてつもないものになったぞ」って思ったね。


    RollingStone(2017-01-11)

    かなり早い段階で後の名曲を書いていたのをうかがい知れます。デイヴがメタリカ在籍時に当時持っていた曲を全て披露していたら、それもメタリカの曲になってしまったのでしょうか(笑)

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