メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:モーターヘッド

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    元モーターヘッドのギタリストの“ファスト”エディ・クラークが肺炎のために2018年1月10日に亡くなりました。モーターヘッドのクラシック・ラインナップは、2015年にフィルシー“アニマル”テイラー、レミー・キルミスターが相次いで亡くなり、エディが残された一人となっていました。

    モーターヘッド脱退後はファストウェイを結成。2011年に発表した『Eat Dog Eat』が最後のアルバムとなってしまいました。この訃報に対する追悼メッセージを管理人拙訳にてご紹介。

    フィル・キャンベル(モーターヘッド)
    「ファスト・エディ・クラークが亡くなったという悲しいニュースを聞いたところだ。本当にショックで、彼の伝説的なリフは忘れられることはないだろうし、真のロックンローラーだった。安らかに、エディ」

    facebookより

    ミッキー・ディー(モーターヘッド)
    「ああ、なんてことだ。これはひどいニュースだ。スリー・アミーゴスの最後の一人だったのに。エディに会ったのはだいぶ前というわけでもなくて、調子がよさそうだったんだ。だから、完全にショックだよ。エディとはすごく仲良くやってたんだ。スコーピオンズと回っている時に、今年の夏、UKで会えるのを楽しみにしていたのに…これでレミーとフィル・テイラーはもう一度エディとジャムができるね。そして、耳をすませば、きっとみんなにも聴こえると思うよ。だから、用心しとかないとな。エディの遺族と周りの方々にお悔やみを申し上げます。」

    facebookより

    ラーズ・ウルリッヒ
    eddie

    そのリフに感謝
    そのソロに感謝
    そのアティテュードに感謝
    クールなバンドにいてくれて感謝
    同じ道を行くように触発してくれたことに感謝


    Twitterより

    カーク・ハメット
    eddie2

    「最後のエースが俺たちの元から去ってしまった。音楽を通じてファスト・エディ・クラークは生き続ける。彼の冥福を祈ります。」

    Twitterより

    カーク・ハメット
    kirk_w_eddieguitar

    ファスト・エディのギターと共に

    Twitterより

    アクセル・ローズ(ガンズ・アンド・ローゼズ)
    RIP ファスト・エディ・クラーク

    Twitterより

    スラッシュ(ガンズ・アンド・ローゼズ)
    eddie3

    RIP
    instagramより

    ダフ・マッケイガン(ガンズ・アンド・ローゼズ)
    RIP ファスト・エディ

    Twitterより

    マイク・ポートノイ
    mike_t

    ファスト・エディ・クラークの訃報を聞いて悲しいよ・・・モーターヘッドのオリジナルメンバーが天国で再結成したと考えることは非現実的か・・・これで(俺の知るところでは)今や3番目の完璧なバンドが逝ってしまった・・・時は儚い。
    #今を生きろ


    Twitterより

    チャーリー・ベナンテ(アンスラックス)
    早くからの“モーターヘッドバンガー”だから、俺にとってレミー、フィルシー、ファスト・エディがどんな存在なのか決して忘れることはない。外見、サウンド、雰囲気は俺がアーティストとなる手助けとなった。ファスト・エディよ安らかに、悲しい日だ。追伸、ファストウェイは最高だったぜ!

    Twitter
    より

    スコット・イアン(アンスラックス)
    aceofspades

    『Ace Of Spades』を買った時のことを覚えている。レコード店から家に帰って、何度も何度もレコードを再生していた。あのアルバムのジャケットを見て思ったのは、このクレイジーなメキシコ人は誰なんだってことと、どうやってこんなに速くプレイしているんだってことだけだった。安らかにエディ。モーターヘッドは永遠だ!!!

    instagramより

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    モーターヘッドのレミー・キルミスターが亡くなって丸2年となる2017年12月28日にレミーを追ったドキュメンタリー映画『極悪レミー』がシネマート新宿にて特別上映されるとのこと。チケット販売受付はすでに始まっています。

    極悪レミー_171228_aRTIST

    詳細は以下の通り。

    ■日時:12月28日(木)21:00〜上映開始(終了22:50予定)
    ※20:00 よりジャックコーク“Lemmy”飲み放題スタート
    (無くなり次第終了/ 20歳未満なし)

    ■会場:シネマート新宿 スクリーン1【新宿区3丁目13番3号 新宿文化ビル 6F】

    ■チケット料金:
    ◆モーターヘッドビール&カップセット入場券:2,000円
    (50set限定/※20歳未満の方は、ご購入できません)
    ※モーターヘッドビール&カップは当日受付にてお渡しとなります。
    ※モーターヘッドビールの単体販売はございません 。
    ◆モーターヘッドカップ付き入場券:1,600円
    ※モーターヘッドカップは当日受付にてお渡しとなります。

    【チケット販売方法 チケット販売方法 チケット販売方法 チケット販売方法 】
    劇場オンライン&劇場窓口
    http://www.cinemart-ticket.jp/shinjuku/schedule/index.php
    【販売開始日12月7日(木) 18:00〜

    極悪レミー_171228_BEER_PREVIEW極悪レミー_171228_cup

    『極悪レミー』
    ヘヴィメタル界からパンク/ハードコア界まで他に類を見ない広く熱い支持を集めるバンド、モーターヘッド。本作は“ロックンロールの帝王”の称号を欲しいままにするレミー・キルミスター(B./Vo.)【2015年12月28日他界】の半生を追ったロックドキュメンタリー映画だ。
    この世で最もロックンロールライフを体現する男の素顔に迫り、今まで知り得なかったレミーの恐るべき生態が、過去の貴重なアーカイヴ映像も含めて明かされていく。
    メタリカなど、モーターヘッドとレミーに心酔する錚々たるミュージシャンたちの大挙出演も相まって、史上稀に見る大作ロックドキュメンタリーとなった。
    (原題:Lemmy 49% motherfucker  51% son of abitch)
    2010年/アメリカ映画/約117分/HD/カラー/ビスタ/英語/デジタル上映 c 2010 Lemmy Movie LLC
    監督・製作:グレッグ・オリヴァー、ウェス・オーショスキー 提供:キングレコード/配給・宣伝:ビーズインターナショナル

    facebook www.facebook.com/lemmymoviejp twitter @movie_over_dose

    12月28日(木)【1回限定】シネマート新宿にて上映

    [『極悪レミー』上映に関するお問合せ]
    ビーズインターナショナル TEL:03-5768-3344/E-MAIL:itaki_seiji@bs-intl.com

    diskunion(2017-12-06)

    これに先がけて12月13日(水)にワーナーミュージック・ジャパンより、40年に渡るモーターヘッドの歴史の中で披露してきた数々の名カヴァー曲をまとめたカヴァー・ベスト・アルバム『アンダー・カヴァー』国内盤が発売されるとのこと。メタリカの「Whiplash」のカヴァーも収録されています。

    MH_Under_Cover_Packshot
    アンダー・カヴァー


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    モーターヘッドのレミー・キルミスター死去。メタリカから追悼メッセージ。

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    故レミー・キルミスター率いるモーターヘッドが手がけたカヴァー音源を集めたコンピレーション・カヴァー・アルバム『Under Cover』が2017年9月1日にリリースするとのこと。
    MH_Under_Cover_Packshot

    モーターヘッドが2005年にグラミー賞最優秀メタル・パフォーマンス部門を受賞したメタリカの「Whiplash」のカヴァーの他、未発表音源だったデヴィッド・ボウイの「Heroes」のカヴァーなどが収録されています。国内盤がリリースされるかは現在のところ不明。

    トラックリストはこちら。
    1. Breaking the Law (Produced by Cameron Webb) 2008
    2. God Save the Queen (Produced by Bob Kulick and Bruce Bouillet) 2000
    3. Heroes (Produced by Cameron Webb) 2015
    4. Starstruck (Produced by Cameron Webb) 2014
    5. Cat Scratch Fever (Produced by Peter Solley) 1992
    6. Jumpin’ Jack Flash (Produced by Bob Kulick and Bruce Bouillet) 2001
    7. Sympathy for the Devil (Produced by Cameron Webb) 2015
    8. Hellraiser (Produced by Billy Sherwood) 1992
    9. Rockaway Beach (Mixed by Cameron Webb) 2002
    10. Shoot ‘Em Down (Produced by Bob Kulick and Bruce Bouillet) 2001
    11. Whiplash (Produced by Bruce Bouillet and Bob Kulick) 2005
    一応、それぞれのオリジナル・アーティストは以下の通り。
    1. ジューダス・プリースト(Judas Priest)
    2. セックス・ピストルズ(Sex Pistols)
    3. デヴィッド・ボウイ(David Bowie)
    4. レインボー(Rainbow)
    5. テッド・ニュージェント(Ted Nugent)
    6. ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)
    7. ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)
    8. オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)
    9. ラモーンズ(Ramones)
    10. トゥイステッド・シスター(Twisted Sister)
    11. メタリカ(Metallica)

    モーターヘッドのメンバーは今回のリリースにあたって次のようにコメント(管理人拙訳)。
    フィル・キャンベル
    「素晴らしいボウイの曲で、彼のベストな曲の1つだ。俺たちから出てきたグレイトなものしか見れなかったから(素晴らしい曲だということが)証明されたね。レミーは結局、俺たちのヴァージョンが大好きになっちまったんだ。」

    ミッキー・ディー
    「彼(レミー)はとても誇りに思っていたよ。(アレンジで)良くなってくってだけじゃなく、楽しかったからね!こういうプロジェクトがどうあるべきか、楽しめってこった!」

    フィル・キャンベル
    「当時これらの楽曲をやっててハッピーだったけど、今もハッピーだね!」

    ミッキー・ディー
    「俺たちが大好きな曲をやって楽しんでいたことを思い出すはずだよ」

    Motorhead Official

    以下、公開された音源など。

    Whiplash


    予告動画


    Heroes


    God Save the Queen


    Sympathy For The Devil


    MH_Under_Cover_Packshot
    Under Cover



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    前回の記事に引き続き、ラーズ・ウルリッヒお気に入りのヘヴィメタル/ハードロックのアルバム15選。今回は残りのアルバム5枚についてラーズのコメントともにご紹介。

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    MOTORHEAD - "Overkill" (1979)

    モーターヘッドは1979年春に聴き始めた。俺はデンマークのコペンハーゲンにいて、地元のレコード店に行ってね。このモーターへッドってバンドからいくつか曲を聴けるかどうか尋ねて、それからフィル・テイラーのダブル・ベース・ドラムから始まる「Overkill」から聴き始めた。あんなサウンドをしたものは聴いたことがなかったよ。ぶっ飛んだね。そのままあのエネルギーが続いていくんだ。ホントかっこよかった。レミーみたいな歌い方する人を聴いたことなかったし、パンクとロックとメタルが融合していて、クレイジーだったね。そんなエネルギーに加えて、誇張された漫画のような歌詞で完璧に度を越えていた。「Overkill」から「Stay Clean」までの一貫性−「Stay Clean」は数年間ライヴ定番曲だったんだ−ZZトップの楽譜をそのままやったような「I Won't Pay Your Price」「No Class」、(メタリカが)カヴァーをした「Damage Case」や長くてディープな「Metropolis」「Limb From Limb」って曲もある。常軌を逸してるよ。モーターヘッドはロック、プログレ、ポップス、パンク、あとわからないけど、スカとか・・・何が好きだろうが関係ないバンドだよ。モーターヘッドが最高にクールだってことに同意できるはずさ。そして俺にとって、決定的なモーターヘッドのアルバムは『Overkill』なんだ。

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    RAGE AGAINST THE MACHINE - "The Battle Of Los Angeles" (1999)

    レイジ・アゲインスト・マシーンに関しては、どのレコードも俺にとっては不可欠なものだ。最初の2枚のアルバムでは、若々しくて信じられないほど敵対的なエネルギーがあったけど、曲の技巧面や俺がこのバンドを支持する全てが合理化されているという観点で言えば、このレコードは全てが最大化されて最も強力なレベルで一体となったアルバムなんだ。

    『The Battle of Los Angeles』はすこぶる本物のサウンドだ。フィルター無し。とても本能的で衝動的で腹の底からのものを感じる。それまでたくさんのハードロックのレコードはとても苦戦していた。俺たちのものも含めてね。たくさんの労力が詰まっている。一室で4人が音楽を奏でているように聴こえるし、世界に挑戦する準備万端って感じだ。あの一貫性はただただ素晴らしい。「Testify」「Calm Like a Bomb」も入ってて、最高にディープな曲「Sleep Now in the Fire」もあるし、さらにディープな「Voice of the Voiceless」も常軌を逸しているよ。ザック(・デ・ラ・ロチャ)が叫んでいる時、彼が目の前にいるかのように聴こえる。まるで自分に話しかけているようにね。最高なレコードって全部、自分に直接話しかけられたような、自分に向けられたものだというものを持っているよね。


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    SYSTEM OF A DOWN - "Toxicity" (2001)

    最初に彼らのレコードが出た時、あきらかにたくさんのアティテュードを持ち合わせていた。新しい類のサウンドで、リック(・ルービン)が手がけていた。さまざまなルーツと影響を受けた音楽だということが聴けばわかるだろう。あの時点で彼らがアルメニア人だということは知らなかったけど、これまでと違ったものを聴いているとわかる。それから2ndアルバムの『Toxicity』が出て、「Chop Suey!」を聴いたらただただ素晴らしかったね。

    MTVのラジオでヒットして、それからタイトルトラックの「Toxicity」「Aerials」その他全ての収録曲がヒットした。俺はこのレコードに興味を持ち始めて聴いた。「They're trying to build a prison ... for you and me to live in/ヤツらは刑務所を立てようとしている・・・俺とおまえを住まわせるために」おぉ!これは政治的で、イカしてて、イカれてて、エネルギーに満ちてて、信じられないほど素晴らしかった。作曲の観点から見ても巧みに作られている。俺たちがやることにとっても、かなり触発されるものがあった。曲をいかに短く要領を得たものにしているかというところは本当に気に入っている。それは俺たちには恵まれていないものだった。史上最高のレコードのひとつだね。


    ufo-strangers
    UFO - "Strangers In The Night" (1979)

    これはハードロックのライヴアルバム決定盤みたいなものだね。70年代の多くのバンドに関して言えば、俺はライヴアルバムを通じて出会ったんだ。それから遡ってスタジオ・アルバムを探していた。レーベルはジューダス・プリースト、ブルー・オイスター・カルト、UFOのようなバンドは4、5枚アルバムを出した後のとても早い段階でライヴアルバムを出すことを奨励されていた。そういったライヴアルバムは70年代半ばから後半にかけての決定的な2枚組アルバムになっていったんだ。こういったたくさんのバンドはデビューから早い段階でライヴアルバムを出すことを奨励していた。それが勢いを維持するための方法だったんだ。

    『Strangers in the Night』はUFOのライヴアルバムで、「Natural Thing」で始まって「Only You Can Rock Me」や「Doctor Doctor」といったヒット曲もいくつかある。「Love To Love」はハードロック・バラードの青写真となる曲のひとつだし、「Rock Bottom」なんかマイケル・シェンカーの7分のギターソロが聴ける。カーク・ハメットを含む多くのメタルギタリストにとって、マイケル・シェンカーは、ランディ・ローズやジミー・ペイジなんかみたいに決して外の世界にまでかなり知れ渡ったわけじゃない、賛美されていないヒーローの一人だね。でもミュージシャンや同業者にとってマイケル・シェンカーはたくさんの人たちにとって史上最高のお気に入りの一人なんだ。このアルバムにはヴァイブスがある。ライヴに来たかのようだ。もちろんこれは最高のライヴアルバムの類だよ。


    warrior-soul
    WARRIOR SOUL - "The Space Age Playboys" (1994)

    ウォリアー・ソウルはゲフィン・レコードでキャリアを始めて、俺たちと同じマネジメントだった。彼らと一緒によくショーをやっていたよ。(でも)彼らはゲフィンから契約を切られて、このレコードは94年に自主制作で出したんだ。

    再生すると「Rocket Engines」が熱狂のうちに始まる。ヘヴィでパンクでエネルギッシュなんだ。リードシンガーのコリー・クラークは次から次へと言葉を吐き出し、次から次へと姿勢を打ち出し、次から次へと印象的な歌詞を歌い上げるんだ。(収録時間の)1時間だろうが、どれだけ長かろうが勢いが弱まることは決してない。ただただ止まらないんだ。

    初期のアルバムではもう少し政治的だった。彼はアメリカ先住民とかチャーリー・マンソンとか虐げられた人たちのことを語っていた。でもこのレコードはもはやパンクみたいなものだ。パンクと、ニューヨーク・ドールズとかザ・ストゥージズみたいな少し前のニューヨークのグラムロックの奇怪な融合だった。もしこのレコードを聴いたことがないなら、すぐにでも見つけてチェックすることをオススメするよ。


    RollingStone(2017-06-22)
    MOTORHEAD - Overkill


    RAGE AGAINST THE MACHINE - Sleep Now in the Fire


    SYSTEM OF A DOWN - Chop Suey!


    UFO - Rock Bottom (Strangers In The Night)


    WARRIOR SOUL - Rocket Engines


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    ジェイムズ・ヘットフィールドがラジオ局「95.5 KLOS」でのインタビューでレミー・キルミスターについてコメントをしていました。管理人拙訳を交えてご紹介します。

    lemmymetallicamurderone

    −『Hardwired...To Self-Destruct』リリースに伴うツアーについて

    「WorldWired Tour」がいま行われている。今後数年間、どこに行くのか、どこに行き着いて、どうなるのかを予定しているところだね。だから俺たちはそれについて相当興奮しているよ。俺たちの時間を最大限活用して、その時間をツアーに注ぎ込み、最高の場所でプレイするのに、俺たちにとってどうしたら最も意味があるかをいまだに探っている。俺たちは少し変わった。知っての通り、歳を取ってもやりたいと思うことをやっているけど、それには少し時間がかかる。だから自分たちを押し殺して3年間週5回のツアーなんてことはしない。俺たちは今どうするべきかで取り組んでいる。年齢にふさわしくね(笑)そうして俺の身体は生き延びることができる。

    −まだロックの殿堂入りを果たしていないバンドについて

    殿堂入りが認められていない素晴らしいバンドはたくさんあるし、彼らが殿堂入りしようがしまいが俺の及ぶところじゃないけどね。それはただの賛辞であり、褒め言葉さ。そこにはどういう意味があるんだ?俺はわからない。でもこういったバンドのなかには、それが世界を意味してるバンドもいるかもしれないね。だとしてもだ、絶対に、不運にも亡くなったレミーのこと、マジで本当に俺にとって、モーターヘッドがあれに認めてもらうことは本当に重要だ。この地球上で、レミーとモーターヘッドよりもロックンロールを体現しているヤツはいないからね。

    −『Hardwired...To Self-Destruct』でのモーターヘッドへのトリビュート曲について

    「Murder One」っていう曲で、(レミーの)アンプの名前から来ている。彼がステージで使っていたお気に入りのアンプなんだ。あのアンプで毎晩ヤラれるのを気に入っていた。彼はまさしくそういうアイコンだったし、バンドとして俺たちにとってのインスピレーションとなっていた。モーターヘッドがいなかったら、俺たちはどうすることもできなかった。自分のアイドルであり、不死身と思っていた人が実際に亡くなってしまうとわかって、俺たちは相当打ちのめされたよ。だから彼と彼が俺たちの人生にどれだけ大きな意味を持っていたのかを認めることは大いに価値があることだと思うんだ。

    BLABBERMOUTH.NET(2016-11-08)

    ジェイムズのコメントの続きがNMEで翻訳されていたので抜粋して転載。
    死はいつも物事の視座を変えてくれるんだ。特にここ1年はね。たくさんの人が亡くなったよな、音楽界を象徴するような人たちが。でも、死は大抵真逆のことをもたらしてくれるよ。俺たちに本当に生きたい、できるだけのことを全部楽しみたいって思わせてくれるし、ファンからの叫び声、飛んでくる汗の水滴を残らず浴びたいって思わせてくれる。35年にわたって俺たちはやるべきことをすべてやってきたわけだけど、今でもそれができるってことは、めちゃくちゃ幸運だって感じてるよ

    NME(2016-11-10)

    当のレミー自身はロックの殿堂入りについてどう考えていたのかも取り上げられていたので紹介します。
    2012年、レミーはロックの殿堂の責任者とジャケットの紛失をめぐってケンカになったという。レミーいわく「彼らはプレゼンテーションをしたくて、俺のブーツ一足とベースギターと「Ace Of Spades」ツアーのジャケットを貸してくれないかと言ったんで、貸したんだ。(その後)彼らは失くしたと言ってきた。ありそうな話だ−目を見て、もう一度教えてくれって。彼らのガールフレンドの一人が着ているんだろ。」殿堂入りが名誉になるか尋ねられるとレミーはこう答えた。「何の名誉だ?ヤツらには俺が彼らに話す前にジャケットの貸しがあるだろ。」

    TeamRock(2016-11-09)

    レミーのトリビュート曲、「Murder One」のMVはこちら。


    歌詞のなかにもレミーに関するワードがちりばめられています。
    https://metallica.com/songs/44245/murder-one

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    SNSから一切手を引いて近況が全くわからなかった元メタリカのジェイソン・ニューステッドが昨年12月29日、アメリカのラジオ番組「Ozzy's Boneyard」で電話インタビューに答えていました。インタビュー前日に亡くなったモーターヘッドのレミー・キルミスターとのエピソードを語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    jasonnewstedfingers

    ―レミー・キルミスターについて

    俺はいくつか素晴らしい本物のレミー体験をしたよ。そんなに長い時間を(レミーと)過ごしたわけじゃないけど、俺たちがやった強烈なヤツは―少なくとも俺にとってだけど、ザ・レミーズをやった時だね。―メタリカが自分たちのことをそう呼んで(レミーの楽曲を演奏して)ロサンゼルスで(レミーの)50歳の誕生日(パーティー)をやったこと。俺たち全員にとって、とても特別なひと時だったと俺は思うよ。


    レミーについて何を言おうか考えていたけど、言葉が出てこないよ。みんな、楽曲や曲のタイトルやそういう意味あるものを引用していたけど、“俺が”だの“俺に”だの“俺の”とかそういうクソみたいなことを言いたくないんだ。俺は本当にそんなことしたくない。でも彼は俺たちの大きな部分を占めていた。俺が関わってきたバンド全てにおいてね。特にピックを使っているベーシストとして、彼はある意味、俺の救世主だった。なぜならみんな俺のことを指で(ベースを)弾くべきだと思っていたけど俺がやらなかったことで、俺はいつも大変な思いをしていたからね。でも彼はこれでいいんだと、俺にとってあの当時とても特別な何かがあった。それこそ彼が俺を感動させてくれたところなんだ。みんながそれぞれ(レミーと)自分たちの話を持っているが、それが俺の直接的な関係だ。それからもちろん、彼はメタリカにバンドとしてもアティテュードの点でもみんなにとって影響を与えた。でもそれが俺の個人的に感銘を受けたところなんだ。

    ―モーターヘッドの楽曲との出会い

    当時ミシガン州のカラマズーにいて、とても小さなレコード店にいくつかのバンドとかそんなものしかなかった。地元のブギーレコード店に廃盤のコーナーがあって、7枚か9枚のレコードがあった。そのうち2枚か3枚がモーターヘッドのレコードだったんだ。俺はいつもあのゴミ溜めにすぐに行ったよ。最初に手に入れたのは『The Goden Years』EPだったと思う。あれには「Stone Dead Forever」と他いくつかの曲が収録されていた。それから1stの『Motorhead』、そしてイギリスからミシガンに『Ace Of Spades』の輸入盤がすぐに出てきたんだ。あの距離感も特別だったよ。遠く離れたところにあったからね。いろんな意味で強烈だった。

    俺は世界と何かしら繋がっていると感じた。そして世界が大きいんだとね。世界は自分が思っているよりも大きいんだと気付かされた。世界は広かったと気付かさせてくれた最初のひとつだったんだ。長い距離を経てやってきたあのレコードのために追加料金を払わなきゃならなかったからね。彼らとレコードはイギリスから真っすぐやってきたってわけさ。


    ―ベーシストとしてのレミーから受けた影響

    俺はいつもリードシンガーでベースを弾くようなヤツになりたかった。俺に起きたことは、俺が指弾きをしていた最初期の頃、ずいぶん長い間指弾きができなくなるほど指にひどい怪我を負ったんだ。それでピック弾きにしなければならなくなった。それで必要に駆られて自分のスタイルを開発したんだ。でも俺はいつもギターアンプで弾いていた。それが当時使えたもの全部だったから。だから俺はギターアンプとピックでもって弾いていたんだ。そんなわけで俺のサウンドはすでにああいう(モーターヘッドのような)ものになっていたんだよ。だからあんな風に(レミーが)レコーディングしていると伝わると、そのことで…俺はちょっと得意気になってたね。彼が出現してすぐに。彼が知らぬところで何かしらの俺の後押しになってくれたんだよ。


    ―レミーとの初めての出会い

    俺が昨晩(レミー逝去の)ニュースを耳にした時、妻と話していた。本当に悲しかったし、少し取り乱していたからね。俺は彼女にメタリカに加入した最初の数か月のことを話したんだ。俺は飛び入りで入って、バンドでツアーを廻って戻った時のことだ。北カリフォルニアにほんの数日戻った。(その時ちょうど)モーターヘッドがバークレーでライブをしていたんだ。(メタリカの他のメンバーは)すでに(レミーとは)旧知で彼はメンバーを知っていた。彼はジェイムズのことをジミーとかそんな風に呼んでいて、(ジェイムズは)嫌がっていたけどね。でも俺はレミーに会えて本当に興奮していた。本当にテンションが上がっていたよ。なにしろ俺のヒーローだったからね。メンバーは「紹介するよ、紹介するよ。」って具合だった。俺たちが後ろに下がると、俺はただ口ごもってしまってね。でも俺は前に進み出て自己紹介をした。「ジェイソン・ニューステッドです。今はメタリカでベースを弾いてます。」と言ったら、彼は「オマエのことは知ってるよ、クソアマ!」ってそんな具合さ(笑)。俺はあの言葉を決して忘れないよ…永遠にね。絶対に忘れないといいな。この話を今から一万年先も気になるヤツに誰にでも話せたらいいのに。「レミーが俺のこと知ってるってよ!」ってね。俺にとってそれだけ大きな出来事だった。それが最初の、物理的なレミーとの出会いさ。彼は俺を抱きしめてくれた。40秒間彼の腕のなかさ。彼のハートのなかと言うべきかな、そんな感じだ。確かにあの瞬間、俺のハートのなかに彼がいたんだ。

    BLABBERMOUTH.NETより(2016-01-20)

    ジェイソンの熱いレミー愛を感じます。ジェイソン自身の近況も知りたいところですが、とりあえず元気そうで何よりです。

    newsted_cd
    Heavy Metal Music / NEWSTED


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    モーターヘッドのレミー・キルミスター死去。メタリカから追悼メッセージ。

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    年の暮れにとんでもない訃報が飛び込んできました。メタリカにも多大な影響を与えたモーターヘッドのフロントマン、レミー・キルミスターが2015年12月28日に癌のため、ロサンゼルスの自宅で亡くなりました。享年70歳。

    以前から体調は心配されていましたが、ついこないだ誕生パーティーを開いたばかりだっただけに衝撃もひとしおです。追悼一色となったSNSが彼の影響力の大きさ、人望の厚さを感じさせます。

    まずはモーターヘッドの公式声明を管理人拙訳にて。

    これを伝えるのは簡単なことじゃない...我々の最強にして偉大な友人レミーが侵襲性の強い癌との短い闘病の末、本日亡くなった。

    我々のショックと悲しみを表現なんてとてもできない。言葉がみつからない。後日改めてコメントする。しかし今はどうか...モーターヘッドを、ホークウィンドを、レミーの音楽を爆音でプレイしてほしい。そして一杯二杯とやってくれ。

    彼の話を分かち合ってほしい。

    自身で鮮やかに彩ったこの愛すべき素晴らしい男の人生を祝福してほしい。

    彼はまさしくそのように生きることを望んだのだ。

    イアン・“レミー”・キルミスター
    1945-2015

    負け犬として生まれ、勝つ為に生きる

    自由に哀悼の言葉、冥福の祈り、思い出を我々の公式トリビュートページに投稿してほしい。
    https://www.facebook.com/lemmykilmisterforlife

    Facebook(2015-12-28)

    レミーは病気のことを12月26日に知らされ、自宅でお気に入りのレインボーのゲームをプレイしているときに息を引き取ったとのこと。たくさんのミュージシャン、関係者が追悼の意を表していますが、ここではメタリカのコメントを管理人拙訳にてご紹介します。

    まずはメタリカの公式Facebookから。

    lemmy_met

    レミー、あなたはこのバンドが存在する主因の一つだ。我々はあなたのインスピレーションの全てに永遠に感謝する。安らかに。

    やむことない愛と敬意を。

    メタリカ

    Facebook(2015-12-28)

    続いてはロバート・トゥルージロのコメント。

    lemmy_rob

    最後の真のアウトローの1人が立ち去った。#RIPLemmy

    Facebook(2015-12-28)

    最後にカーク・ハメットのコメント。

    レミーは最高の紳士だった。

    1979年、俺が16歳だった頃に初めて「Overkill」を聴いた。それまで聴いてきたなかで一番ファストなものだと俺は思った。友達全員にモーターヘッドこそ地上最速のバンドだと力説したよ。

    彼らの写真を初めて観た時に俺は彼らには信じるに足るものがあるとわかったんだ。俺は彼らが見たままに生きているのを想像して、彼らの生きるままを見た。

    そしてその瞬間ハッキリと気付かされたのを覚えている。アウトサイダーでいても大丈夫なんだ、俺の10代の生活に反する何かに従わなければならないことに抵抗を感じても大丈夫なんだと気が付いた。この写真のなかのモーターヘッドのメンバーたちは間違いなく何事にも従ってないように見えたし、その結果として彼らが楽しんでいるように見えたし聴こえたからね。

    そうして俺はその写真やデカい音やあのアティテュードから多くを学んだ。

    レミーとファスト・エディー、そして先ごろ亡くなったフィルシー・アニマルには、1979年のあの夜からインスピレーションと刺激とひらめきを与えてくれたことに感謝しなければならない。

    そのインスピレーションはいつも自分と共にあることだろう。モーターヘッドの音楽が生き続けんことを!

    Facebook(2015-12-29)

    合掌。

    【追記】
    先ほどメタリカの公式ツイッターからジェイムズ・ヘットフィールドのコメントが発表されましたので管理人拙訳にて。

    lemmy_jh

    レミーはロックンロールそのものであり、永遠だ

    twitter(2015-12-30)

    【追記2】
    ラーズ・ウルリッヒの追悼コメントがRollingStoneに掲載されていたので管理人拙訳で紹介します。すごい長い文章になっていますが、ラーズとレミーの関係がよくわかるエピソードをたくさん共有してくれています。

    ほとんどのバンドはメタリカ同様、声高にモーターヘッドとレミー・キルミスターをインスピレーションの源として挙げている。彼の50歳の誕生日パーティーでキルミスターに仮装して「The Lemmys」として演奏したり、モーターヘッドの楽曲メドレーをレコーディングしたり、ダミ声のベーシストをステージに招いて彼の楽曲を何曲か演奏したりしたように、彼らはいつもレミーの旗印を高く掲げていた。ラーズ・ウルリッヒ ― モーターヘッドのファンクラブのアメリカ支部長であったと長く言われてきた(自身は「それは非公式な肩書として呼んでくれ」と笑って言うが) ― が10代の頃、彼らの楽曲を聴いてそのグループの楽曲の力に打ちのめされた。ここで彼はメタリカだけでなく個人的にも影響を受けたレミー・キルミスターついて振り返る。

    俺がレミーの訃報を聞いたのは、家族とのクリスマス・パーティーの終わりを自宅で迎えている時だった。昨日、モーターヘッドのマネージャーをよく知っている友人と話していた。その友人が言うには状況は芳しくなく、敬意を示すためにLAまで彼に会いに行った方がいいかもしれないとのことだった。癌はとても侵攻性が強い末期の状態で、残された時間はそう長くないだろうと。それが午後1時のことで、それから訃報が耳に入ったのが午後6時だったと思う。ひどい話だ。

    レミーはたぶん自分がバンドを組みたくなった絶対的な主要因のひとつだった。単純なことだ。1979年にモーターヘッドの音楽を紹介された。「Overkill」が出た時だ。レコード店にいたらダブルベースのイントロの「Overkill」が始まったんだ。それまでの人生で聴いたことのないものだった。その次のノリでこの曲は俺を行ったことのない場所へと連れて行ってしまった。それは本当にエキサイティングで本当に爽快だったよ。新鮮だったし、他と違うと感じた。

    その後数年の大半は彼らにかなり夢中になった。彼らを初めて観たのは1981年の春のことで、彼らはソロ・アーティストとしてブレイクしていたオジーのサポートをしていた。モーターヘッドはオープニングだった。だからこの公演は間違いなく信じられないほど高かったけど、俺にとってはモーターヘッドをようやく体験するチャンスだったんだ...。俺と友人のリッチー・バーチ ― 彼の名前は『Kill 'Em All』の裏ジャケットの「Bang That Head That Doesn't Bang」を言ったことで永遠に残ることになった ― 俺たちはカリフォルニア、サンディエゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、そしてLAのカントリークラブで行った彼ら自身のショーまで追いかけまわしていたよ。

    彼らを近くで見るチャンスをしばしば得ることができたのは驚くべきことだった。でもさらに俺たちは実際に彼らの近くまで行くことができた。彼らと会ってたむろする機会を得ることができたのさ。それはひとえにレミーだったからだし、彼が優しかったからだ。彼はオープンだったし、取っ付きやすい人だった。だからロックスターのアンチテーゼだったんだ。彼はマスクか何かの後ろに隠れるようなクソでも近寄りがたい人でもなかった。あんな人は他に存在しない。彼はあの存在感と60年代70年代の全ての偉大なロックスターのオーラを持っていたけど、同時に信じられないほど現実的で、おおらかで、取っつきやすい人だったんだ。だから俺と友人のリッチは一緒にぶらついたり、ステージ裏のバスでビールを飲んだり、たむろしたり、でまかせやら野蛮なツアー話を聞いたり、当時のロックンロール・ツアーに付きものの馬鹿げた行為の一部になったりしていた。それは俺にとって深いところまで影響を残していったんだ。当時までのロックスターはどこか別の場所から来たように思っていた。彼らは実際以上に偉大に見えたんだ。彼らは同じレベルじゃない。こっちは価値なんてない。ロバート・プラントやポール・スタンレーやエルトン・ジョン、ロッド・スチュワートと自分が関わり合うなんてことは想像もできはしなかった。

    レミーという人はそれを全て可能にした人だった。俺がそういうことを実際に体験したのはそれが初めてだった。俺とリッチは週の大半をモーターヘッドのツアーバスの後方につけて州間高速道路5号線を運転していた。彼らがトラック・ストップに寄ったら、俺たちも寄る。近づいて彼らに挨拶すべきか?近寄らないべきか?面白いことと変わったことばかりだったけど、この週の過程で俺たちはレミーを知って、超クールを頑張って演じる必要はないし、ファンのオタク気質を隠す必要もないんだってわかったんだ。彼はドアを開けて中に入れてくれた。それは当時のルールにはないことだったから、ありえないって思ったね。

    数か月後、カリフォルニアにうんざりしてヨーロッパに戻った。そこでは全ての音楽、全てのメタル、夢中になっていた全てのものが起きていた。結局イギリスで(NWOBHMバンドである)ダイアモンド・ヘッドと一緒に少しばかり過ごした。1981年夏のイギリスで最大のショーは、ポート・ヴェイル・サッカースタジアムと呼ばれる場所で行われたへヴィ・メタル・ホロコーストだった。4万人収容のスタジアムでモーターヘッドがヘッドライナーだった。彼らはアルバム『No Sleep 'til Hammersmith』でイギリスのチャートでNo.1を獲得していた。彼らはその夏最大の出来事だったんだ。

    だから俺とダイアモンド・ヘッドの一人とでポート・ヴェイルまで行って観に行こうとしたんだけど、チケットが売り切れでさ。かいつまんで言うと、そこで働いている誰かに俺たちはレミーと友だちなんだ、ツアースタッフの何人かを知っているって言ったんだ。10分以内に俺と友人はスタジアムギグのなか、バックステージにあるモーターヘッドの楽屋にいたんだ。言っておくけど、こんなことはありえないってことをわかってほしいんだ。彼らはその夏、イギリス最大のバンドだったんだから。イギリスのありとあらゆる音楽関係者がレミーがそこにいたことを知っていたし、しかもこんな鼻タレでニキビ面のデンマークからカリフォルニア経由でやってきた16歳のガキがモーターヘッドの楽屋に入る方法をみつけたんだ。本当にありえないよ。

    またひと月かふた月、イギリスとヨーロッパに滞在して、デンマークに戻った。そこでカリフォルニアまで戻るためのお金を稼いだんだ。フライトはヒースロー空港出発だったから、ロンドンで2泊した。それで俺はモーターヘッドのマネージメントを知っていた友人と一緒にチェックインしたんだ。傍から見たら、俺は、ロンドンにいてヒースロー空港からサンフランシスコへ飛び立とうとしている何にも知らない16歳だ。一日目にその友人はこう言ったんだ。「モーターヘッドがリハーサルをしている。もし彼らについて行くなら、そこまで行って彼らのうちの誰かをみつけられれば会える」とね。無責任な情報さ。

    だからリハーサルスタジオまで行った。それから30分もしないで、俺は彼らのリハーサル室で座っていたんだ。そこにはレミーと1か月前に亡くなったドラマーのフィル・テイラーと(ギタリストの)エディー・クラークがいた。そこは3人部屋で、独房みたいな大きさのところで一緒にいたんだ。ホテルの部屋だったんだけど、そこには彼らと俺だけ。彼らは次のアルバムのために曲を書いていた。俺はそこに座って彼らが曲を書くのを見ていた。「Iron Fist」と呼ばれることになる新曲について彼らが話しているのを覚えているよ。次のアルバムのタイトルトラックになる曲に取り組んでいたんだ。これがイギリスで最大のバンドだ、俺はファッキンなリハーサル室で彼らの次のレコードの曲が書かれているところに座っていたんだ。ちょっとこの出来事を見直してみよう。

    俺が言おうとしている点は、開放性と包容力があって、こんなボロボロな16歳のガキを彼らが演っていることでハイにしてくれたばかりか、この開放性でみんなを取り巻きに入れてしまうんだ。俺をやる気にさせたね。その週にカリフォルニアに戻った頃、その半年前くらいにジェイムズ・ヘットフィールドに会っていたんだ。俺たちは24時間一緒に過ごしたよ。アイツのことはスーパークールな男だと言えるけど、その交流から出てきたものはそこまでなかった。でも俺が戻って一週間後、俺はアイツに電話をして言ったんだ。「俺たちで一緒にバンドを組もう。俺、モーターヘッドとたむろしてたんだ。あとダイアモンド・ヘッドのメンバーと会えるチャンスを得た。そこで俺は感じたんだ、これは別世界の呼び出しなんだ。」って。

    だから俺が今日までバンドにいる主要因はレミーであり、メタリカが存在するのは彼のおかげと言うのは安いおべんちゃらじゃないんだ。本当のことだ。彼らが俺を招き入れて彼らがやっていたことの一部にいさせてくれた。ジェイムズと俺がバンドを組んだのもしかり、あのアティテュード、自分たちのファンと関わり合う美学、オープンで気取らないでいること、人々を招き入れたり、体験を共有したりしてきたことに影響を受けたんだ。俺たちはみんな、自分たち以上の何かに属したいと思っていた、ただのファッキンなキッズだったんだ。

    それがモーターヘッドが象徴していたことだった。ギャングの一員になったのさ。モーターヘッドのファンは、モーターヘッドバンガーと呼ばれていた。 ― モーターヘッドバンガーは彼らのファンクラブの名前だ ― そして、俺たちみんな同じものに属しているような共通のつながりがあった。自分たちよりももっと偉大な何かに属していると感じていたんだ。でもバンドとファンのあいだに距離感はないし、誰のあいだにも距離感はなかった。俺たちはみんな一緒なんだ。あれはクソ感激ものだね。あの団結が俺にバンドにいたい、あの集団の一部になりたい、あの体験を自分バージョンでやってみたいと思わせてくれた。俺たちのなかに深く染み込んだものは、レミー、そして彼から1981年のあの夏に自分の聖域に招き入れてもらってきた体験から直接来ている美学なんだ。俺は永遠に彼に恩義を感じるし、永遠に感謝するよ。

    俺が彼と初めて会った後も、俺たちは友人のままだった。それから数年以上のあいだ、モーターヘッドがツアーに出るたび、建物内で最初にいるのも最後にいるのも俺だった。俺は彼らをホテルでみつけて、結局レミーのホテルの部屋にいるのさ。彼らとたむろしていた。『Orgasmatron』の中ジャケットで悪名高いあの写真のなかで俺は基本的に自分の上に嘔吐して座ってるんだ。(最初に会ってから)数年後、レミーに会った時には興奮したよ。俺たちは同じウォッカボトルを飲んだ。間違いなくその部屋にいた人たちが経験してきたようにとはいかなかったけど、すぐに俺が飲んでいたウォッカのほとんどをなくしていたよ。俺は彼のホテルの部屋で意識を失って彼にあの写真を撮られたんだ。『Orgasmatron』で俺は永久に刻印されちまった。間違いなく名誉の印だけどね(笑)。状況がどうあれそんなことどうでもよかった。モーターヘッドのレコードの中ジャケットに俺がいるぞってね。

    その頃、メタリカはブレイクし始めていた。レミーはゴッドファーザー、親みたいなものだった。彼は完全に安心できる人だったんだ。評価されたり、分析されたり、質問されたりしたことは一切なかった。できる範囲のレベルでいつも歓迎してくれた。即座に聖域まで歓迎されたみたいだったよ。生きていると感じさせてくれたし、重要だと感じさせてくれた。自分より偉大な何かの一部になったかのように感じさせてくれるんだ。それだけ安心できたし、俺みたいなキッズにとって元気づけてくれる場所でもあった。俺たちに目的を与えてくれたからね。

    レミーの50歳の誕生日は、俺たちが行って演奏したよ。基本的にハウスバンドなんだけど、モーターヘッドの曲を6つ、レミーの格好で演ったんだ。彼の曲を演奏するのは俺たちにとってはいつだって造作もないことなんだ。俺たちは誇らしく演奏するよ。

    彼はたくさんの素晴らしい曲を書いた。まず頭に浮かんだ「Motorhead」は、まさにロックンロールの日々に戻った名刺代わりの曲だ。不滅の一節「I should be tired, but all I am is wired / Ain't felt this good for an hour.(疲れているはずなのに、気になっているのは、この1時間が良いと感じられないことだけ)」。これなんかは俺がこれまでの人生で聞いてきたなかで一番ロックンロールなことだよ。あれはおそらく至高中の至高だね。「Overkill」はダブルベースをプレイしたくなった理由そのものだ。あの曲はメタリカのサウンドを形成する上で大きな部分を占めている。「(We Are) the Road Crew」はたぶんツアー生活を描いた史上最高の歌詞を持つ曲だね。「Bomber」はこれまでで最もエネルギッシュなハードロックの曲のひとつだ。それから「Capricorn」で共感するのは俺の誕生日がレミーと2日違いだってことだね。そう、俺もやぎ座(Capricorn)なんだ。それからまだ珠玉の曲がある。B面の「Over The Top」。たしか「Bomber」のシングルのB面だったはずだ。あれは出して数年後からいまだにライブの定番曲になっていた。(こうして)お気に入り楽曲リストは永遠に続くよ。

    2週間前の70歳祝賀パーティーに俺も顔を出した。彼と10分近く座って話す機会を得られた。彼と俺の2人だけでね。ロックンロール・コミュニティへのあなたの義務は永遠に生き続けることだと彼に言ったよ。彼の誕生日パーティーはハードロック同窓会みたいなものだからね。みんながそこに集まる。レミーは、これまでで一番クールなヤツは誰かって話になったら俺たちみんなが賛同する数少ない一人だから。俺たちがみんな姿を見せる。みんな散り散りだから、彼こそが俺たちがみんな一緒に集まってハードロックを祝福し、モーターヘッドを祝福し、なじみの顔を見るための理由になっている。だから永遠に生きるのが義務だと彼に言ったんだ。もちろん彼が健康を害していたことを話すこともできただろうけど、俺たちには再確認したり、ハッキリ言葉にしたりする必要のない近しい絆があった。口にしなくなればなるほど、そこに繋がりがあるのをより深くわかるんだ。

    LAでメタリカがライヴをやる時は、いつも彼がやってきて俺たちを観ていくんだ。そしてモーターヘッドがこっちに来たら、俺たちが彼らが演るのを観に行くんだ。俺たちはおそらくこの20年のあいだに50回から100回は遭遇していたんじゃないかな。彼はやってきて俺たちとステージ上で複数回演奏したしね。深い絆だった。それはあのクレイジーな1981年の夏にさかのぼるんだ。俺はいつも感謝しているし、一緒にいられた全ての素晴らしい時間、とりわけ出会って最初の頃の思い出を大事に心にしまっておくつもりだ。俺たちは攻撃されやすく、型にはめられやすい。それは自分たちがどうしてこうなったかっていう重大な部分が、バンドとしても、人としても、直接的に彼だけでなく、これまでに影響を受けた、同じボトルを飲み、同じ物語と同じ空間を共有した残り全ての人たちのせいなのさ。彼の魂は俺たちの中で生き続けるよ。


    RollingStone(2015-12-29)

    【追記3】
    最後の最後にメタリカとレミー・キルミスターの関連動画をcowboybluesさんがまとめて再生リストにしてもらっていますのでそちらをご紹介しておきます。
    https://www.youtube.com/playlist?list=PLGppSrVhtU5U5GSGLhG0ksOf0YAFdFboQ

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    2015年12月13日、今年70歳を迎えるレミー・キルミスターの誕生パーティーがハリウッドの「Whisky A Go Go」で行われ、多くのミュージシャンが参加しました(レミーの誕生日は12月24日)。

    lemmy
    メタリカからはロバート・トゥルージロが参加。以下、主な参加者リスト。

    スラッシュ (GUNS N' ROSES)
    ダフ・マッケイガン (GUNS N' ROSES)
    マット・ソーラム (GUNS N' ROSES)
    ギルビー・クラーク (GUNS N' ROSES)
    ロバート・トゥルージロ (METALLICA)
    チャーリー・ベナンテ (ANTHRAX)
    スコット・イアン (ANTHRAX)
    ザック・ワイルド (BLACK LABEL SOCIETY)
    スティーヴ・ジョーンズ (SEX PISTOLS)
    スティーヴ・ヴァイ
    ビリー・ダフィー (THE CULT)
    クリス・ジェリコ (FOZZY)
    ダグ・ピニック (KING'S X)
    フランキー・ペリッツ (APOCALYPTICA)
    セバスチャン・バック (SKID ROW)
    ウィットフィールド・クレーン (UGLY KID JOE)
    ボブ・キューリック (MEAT LOAF, ALICE COOPER)
    ビリー・アイドル
    グレン・ダンジグ (DANZIG)

    Whiskey A Go Go
    whiskey_a_go_go_lemmy

    誕生日ケーキ
    lemmybirthdaycake

    lemmy_ab

    lemmy_rob

    「Whiskey A Go Go」のinstagramアカウントでは参加者の写真がたくさんアップされています。
    https://www.instagram.com/thewhiskyagogo/

    20年前のレミーの誕生パーティーの様子については'Tallica Japanのページでcowboybluesさんが詳しく書いてくれていますのでこちらからどうぞ。
    https://www.facebook.com/Tallica.Japan/posts/767785023349825

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