「Worldwired Tour」真っ最中のメタリカ。その合間にカーク・ハメットが電話インタビューを受けていました。管理人拙訳にてご紹介。

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カーク・ハメットはギターヒーローである。実にシンプルだ。メタリカの伝説は35年間、感受性の強い若者を圧倒し、地平を広げてきた音楽とスタイルにある。彼の情熱と個性、華麗さや繊細さ、メロディー哲学と積極的な熱意は無数の若者に6弦楽器を手に取る動機を与えてきた。60年代後半から70年代にかけて、カリフォルニアで育ったカークにとって、彼の最初の動機付けとなった人は驚くべきものではない。

「ジミ・ヘンドリックスのドキュメンタリー映画を最初に観た時、彼が視覚的にどんなだったか、どんな弾き方をしていたか、彼の演奏に関係しているものがどんなだったかを、実際に観て度肝を抜かれたんだ。」彼はメタリカの欧州ツアーでの短期間の休暇中に行った電話インタビューでそう回想する。「どれだけ芸術的だったんだと感銘を受けたよ。彼は完全な創造的エネルギーで、エレキギターで彼が望むものを何でも自由にしてみせることができるように見えた。自分の居場所をみつけようとしていた少年の俺にとって、とても魅力的だったんだ。“あれが俺のやりたいことだ!”って思ったよ。それから(レッド・ツェッペリンのコンサート映画である)『The Song Remains The Same』をその頃に見て、ツェッペリンの壮大なステージを見た。あの視覚的なインパクトといったら…あれで音楽はより大きなものになっていった。俺は自分の将来像を永久にヘンドリックスとツェッペリンに決めたんだ!」

こうして触発されたカークはギターを手に取り、1979年に彼は初めてのバンドを組んだ。エクソダスだ。初期の段階から、10代のギタリストは自身の素材を生み出していた。その過程でヘヴィメタルの歴史の一部となる曲を書いていたのである。

「1つのリフ、それから付随する2つ以上のものが浮かんできて、メンバーに見せるんだ。俺たちはすぐにそれを演奏していた。なぜなら弾くこと以外の手は何もなかったからね!」愛嬌のある鼻息を鳴らしながら彼はそう強調した。「数曲を(練習して)自分たちのものにしたら、自分たちが落ち着く音楽的基盤があるように感じた。今も俺にとっては同じことで、誰のためでもない楽曲を持っていると、良い感じでね。何かを思いついて部屋に入って、何かを携えて部屋から出てくるときはいつだって、リフやメロディーやコード進行、または何か2つの組み合わせ、そういったものから来る大きな満足感でいっぱいなんだ。とても力がみなぎる。何もないところから何かを創り出したように感じる、その価値は本当に莫大だよ。本当に。いつもみんなに言うんだ。“自分自身のものを作れ!そうだ、聴いてみよう。世界にはもっと音楽が必要だ”ってね。」

世界は聴いていた。エクソダスが自分たちの曲をライヴで演奏し始めた時、「Die By His Hand」「Impaler」を含むカークの作曲は、爆発的な何かが醸成されていて、メタルを永遠に変えるようなサウンドを形作るのを手助けしていたことは明らかだ。エクソダスの曲は、イギリスから来た新世代のメタルに触発されたものだったが、ベイエリアの若者たちは喜んで、より速く、よりアグレッシヴにしてみせた。

「NWOBHMは自分たちのギタースタイルを形作った。ああいうテクニックはイギリスから来たものだ。」カークは80年代初頭に最も急進的なサウンドをどのように先導したのかを説明する。「だから俺たちはエリック・クラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジを聴いて育ったようなヤツらがやっているようには聴こえなかった。俺たちはB.B.キングは聴かなかった。完璧に別のルーツから来ていたんだ。だから俺たちは際立っていたんだよ。際立っていた間口はたったの2、3年。それが世代間の違いだった。俺よりほんの2歳上のミュージシャンには、そのスタイルやギター演奏を聴きたくもなかったのがいたんだ。」

カークの仲間たちにはこの斬新なスタイルで苦労している者もいたが、両親はもっと困惑していた。「あぁ、俺の家族はそれを嫌っていたね。」とカークは笑い、恐ろしい父親の印象について話し始めた。「“その男が叫んでいる音楽をかけるな!”って。その叫んでいる男っていうのはポール・ディアノだった!あるいはモーターヘッドをかけていたら、家じゅうのみんなを追い出したりしたっけ。友人たちに嫌な気持ちにさせられることもあった。俺がそういうものを聴いていると“おいおい、こんなものが好きなのか?”ときた。そいつらのなかにはしばらくして俺と話をしなくなったヤツもいる。当時そんなにおかしかったのか?」

家族や友人たちの賛同を得られずにも関わらず、カークは急成長しているシーンのなかでキープレイヤーとして名をあげていた。1983年にはデイヴ・ムステインの入れ替えでメタリカに加入するという急な話を受けた。当時メタリカはアンダーグラウンドのメタル界において最もホットなバンドであり、アンダーグラウンドのメタル界で最もホットなデビューとなる『Kill 'Em All』のレコーディング前夜だった。脅威的な状況で、かろうじて20代になったばかりの男の自信と成熟によって処理されたのである。

「すでにたくさんの素晴らしい楽曲のあるバンドに入ったから、自分を強化しないといけないと感じていた。」と認めるカーク。「でもすでに自分が書いていたリフのなかにはとてもすごいリフがあると自負していたから、その過程に自分をどう組み込んでいくかという問題だけだったんだ。でもメタリカの一番良いところは、“高校の頃に始めたバンド”よりも、このメンバーたちと一緒にいる方がピッタリくると感じたってことだね。それは俺にとってほろ苦いことだったけれども、それが現実だった。この音楽の旅路を続けたかったら、信念を貫かなくちゃいけなかった。だからメタリカに入ったんだ。0.001秒から意気投合した。同じ場所から来て、同じものを聴いて、同じ美学、同じ耳を持っていた。だからそれは自然なことだったよ。」

ジェイムズ・ヘットフィールドのクランチギターに並行して、カーク・ハメットのブルースなリックと歌いやすいリードは、メタリカのサウンドを強力なものにしている。それは彼(の加入)が当初の計画にはなかったと考えるにはいまだに不可思議に思える。それからもちろん、カークの最も象徴的な特徴、つまり彼の愛するワウペダルがある。

「俺にとってワウは人間の声に似ている。」彼は自分の大好きなオモチャのことをよくわかっている。「いかにも“ワウのサウンドです”っていうんじゃなく、その瞬間にどんなふうに感じてもトーンを操作できるってことなんだ。実際、自分のより深い部分とより良い繋がりを創り出している。ヘンドリックスは実際にワウペダルを使っているのを聴いた最初の人ではなかった。それはシン・リジィのブライアン・ロバートソンなんだ!『Jailbreak』の「Warriors」って曲で気づいたのが最初だった。彼は2、3の音をワウで出していて、俺は友だちに言ったんだ。“あれは何なんだ!?”彼は“あれはワウペダルだよ”ってね。“すげぇ最高!”って俺の心に刻まれたよ。」

メタリカがメタル界で最大のバンドとみなすサウンドにおいて、彼が要となるのを手助けとなったワウペダルは彼のトレードマークとなった。何年もかけて進化し、適応し続けてきたサウンド、そして2003年の『St.Anger』では、そのカークの特質、つまりギターソロがバッサリ落とされて、かつてないほど論争の的となった。彼はその当時、強く反対し、彼の嫌悪感は落ち着くどころではなかった。

「当時はそれが適切だったんだろうけど、振り返ってみると、あれは今もってそれほど適切ではなかったようだね!」カークはゆっくりと語った。「俺はいつだってあれに反対するだろうけど、あのアルバムの後にメッセージが帰ってきたと思う。メタリカにはソロが必要だ!ってね。みんなはそれを聴くのを楽しみにしている。だから俺にとっては奇妙な弁明だった。」

2003年の流行りがギターソロに反対だったが、2018年の流行りはまるっきりギター反対になっているように見える。我々の会話はギブソンが破産した翌日に行っていた。昔ながらの6弦が直面している問題について訊ねると、カークは怒るというより傷ついているようだった。

「俺はそれが何なのかわからないけど、みんながギターに違う光を見ていると思える。そしてサンプラーやその他のクソのためにその座を明け渡しているようだ。それは時代の兆しなんだろう。すべての楽器がそうであるように、流行りから外れる時はある。80年代初頭、ギターは80年代半ばに再登場した時ほど人気はなかった。俺たちはギターで実際に音楽を創る行為に熱意がある限り、そこから何が起きるか見ていく。俺にとって悲しいニュースだけど、ギブソンが勝つことを願っているよ。彼らは過去にもそうだったんだから。」

ギターの衰退の証拠は我々の周りにあるが、まだ各ギタリストの運指に喜び取りつかれている、激しい聴衆がいる。彼らはカークがソロアルバムに取り組む日を今か今かと待っている。それについてはどうなのだろうか?

「俺はあまりに多くの材料を持っているけど、それは明らかにメタリカのものではない。その山はますます大きくなっている。近いうちに正しいと感じる時が来たらね。」カークは考えにふけった。「俺はまだメタリカに寄与できることがたくさんあると感じている。それがもっと仕上がったら、他のことをやろうと思うかもしれない。」温めている彼のテーマ、カークはソロアルバムのLPに我々が何を期待すべきかを検討してくれた。「それはまったくメタルアルバムのようにはならないだろうね。」彼はそう認める。「スタイルはとても奇妙で広範囲なものになるだろうけど、それと同時にまとまったものになると思う。俺はもし俺たち全員がソロをやって独立した自主的な何かをやっても驚きはしないだろうね。それは健康的だし、それどころかバンドに戻る時には、もっと熱意を持って戻ってくることになるだろうし。ちょっとキャンプ旅行に行く感じがするし、いつだって家に戻って暖かいベッドに帰るのはいいもんだよ!」

物思いにふけって、我々の会話が途絶えてきたなか、カークは自身の楽器がスピリチュアルな凄さが彼にとって何を意味するのかについて考えていた。「自分はギターをラウドにアグレッシヴに弾くために生きている」と彼は強調する。「俺にとって治療的な効果がある。魂の大きな穴を埋めてくれる。手にした最初の日からそうだったし、いまだに上達している。まだ頂点を極めたとは思ってない。発見と経験を繰り返す長い音楽の道だ。音楽的に自分は今まで一番良い場所にいて、とても幸運だと感じているよ。すぐにピークに達する人もいるけど、それだと若かった時のことをやってもやり直しはきかない。自分は続けていきたいし、現状に満足なんかせずに、いつも将来に目を向けているよ。」

Metal Hammer(2018-09-26)