メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:ジェイムズ・ヘットフィールド

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    ジェイムズ・ヘットフィールドが2008年に私有地への侵入を防ぐためにフェンスを設けたことをきっかけに近隣住民に問題視されていました。フェンスを設けたのが連絡通路・ハイキングコースとして利便性のある場所だっただけに通路だけでも確保できないかと近隣住民から要望が出ていたというわけです。

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    「Heavy Metal Fence」などと呼ばれていたこの問題、ジェイムズ側からの新たな土地の寄付により問題解決に前進したようです。管理人拙訳にてご紹介。

    メタリカの共同創設メンバー、ジェイムズ・ヘットフィールドは、ルーカス・バレーに所有している何百エーカーもの土地に4つの大きな家を建てる計画を提出した。

    5年前、ヘットフィールドは 彼が所有するルーカス・バレー・ロードの南側、2000年代初頭に建てられた彼のロッキングH牧場の東側の土地に27から34の家を建てるために郡に事前申請を行っていた。

    今、ヘットフィールドは新しい4つの一戸建て住宅をその土地に建てるために郡に新たな事前申請書を提出した。この計画でヘットフィールドはマリン郡のオープンスペース地区にある230エーカーの区画を寄付し、景観保護権の下、今後の開発から守られることになった。

    ヘットフィールドを含むセレブ客を抱える、サンラファエルのレッドホース・コンストラクターズ社のオーナー、デヴィッド・ワーナーはこう語る。「より広いオープンスペースの土地として牧場の維持を行う素晴らしい思いつきでした。完璧なひらめきです。ヘットフィールドの地元愛ゆえの変更ですよ。」

    このプロジェクトを監修しているワーナーいわく、ヘットフィールドは1999年に1,150エーカーの土地を購入し、2005年には彼の持つロッキングH牧場の440エーカーの土地を保全地域としてオープンスペース地区に寄付したとのこと。それから2009年にはさらに330エーカーを農業保全地域として寄付したのである。

    さらにワーナーはこう語る。「ジェイムズと奥さんのフランチェスカさんのマリン郡を素晴らしい土地として維持するための献身を何度も見ることになると思います。オープンスペース地区を他の誰よりも楽しんでいますよ。ご家族はかなりの時間を自分たちの牧場に費やしていますから。」

    2度目のオープンスペースへの寄付は、自身の土地を横切る人気のハイキングコースへとルート変更するために、ヘットフィールドが郡と交渉した際に行われた。

    ヘットフィールドが自身の牧場の土地を通ってハイキングやサイクリングをする人々の侵入を防ぐために300フィートの金属フェンスを建てた時、抗議を引き起こしてしまった。マリン郡は65万ドルかけて、テラ・リンダ/スリーピー・ホロウ分水嶺とロマアルタ・オープンスペースの間を結ぶ道を作った。

    しかしながら、ワーナーはヘットフィールドのオープンスペース地区への2度目の寄付は、郡による道を作る決定に縛られないものだと語る。この新しい提案のもと、ヘットフィールドは彼の残りの土地40エーカーに4つの家を建てる予定だ。

    この家々は10エーカーごとに5000から8000平方フィートに制限され建てられる。また家と補助的な建物は10エーカーのうち2エーカー以上を占めてはならない。残りの8エーカーずつは開発不可のプライベートなオープンスペースとして指定されることになる。

    マリン市営水道局のタンクへの既存の道は、ルーカス・バレーの新しい住宅開発につながっていくようだ。

    提案書では、ヘットフィールドの購入以前にそこで牧場を経営していたルイス・ファミリーによって建てられた2つの歴史的な家族の住居の維持も提唱している。この住居は新しい家が建つ場所の下で1万5000平方フィートの土地に建っている。

    ヘットフィールドはこれら2つの住居を修復して、この手ごろな価格の2つの住居を作るのに限定するよう提案している。郡の立案者は、区画の20%であるか、分譲地として開発されているか、手ごろな価格の住居のためになっているかという郡の中間所得者層の住居規制を満たしているかどうかが重要だと考えている。規定では手ごろな住居は市場平均と同じ数の寝室を持ち、開発地区全体に分散している必要がある。

    ルーカス・バレーの住宅所有者組合会長のマギー・マッキャンはヘットフィールドが開発計画を縮小させる決定に喜んでいると述べている。マッキャンはこう語る。

    「10エーカー毎4つの家というのは多いとは思わない。これは小さなプロジェクトね。彼がオープンスペースに寄付をしたと聞いて嬉しいわ。」


    しかしながら彼女や組合員は提案された家のサイズは「少々やりすぎ」だと考えている。マッキャンは組合員の538軒の家のほとんどは1500平方フィートから2000平方フィートくらいだと言う。彼女は疑問に思う。「なぜ8000平方フィートの家を建てるの?そんなスペース誰が必要なのかしら?」

    ルーカス・バレー不動産住宅所有者組合の理事を務めるリズ・デールはこう語る。「とても美しく環境に配慮すべき土地に対する、本当に思慮深い知的なアプローチだと思う。」

    マリン郡公園とオープンスペース地区の開発計画と買収の責任者であるカール・ソマーズはこう語る。「ルーカス・バレーのオープンスペースの最後の区画の保全見通しが立って確かに興奮している。」

    サマーズはヘットフィールドが過去に寄付した農業保全地域はマリン郡の牧場経済を維持するのに貢献していると言う。また、この地役権によってヘットフィールドが土地に牛を放牧したり、放牧のために土地を誰かに貸すことを可能にすると述べている。

    サマーズはまた、将来の土地開発から追加で240エーカーを保護することは野生生物に恩恵をもたらすであろうと語っている。

    彼は言う。「近接する大きな牧草地や放牧地を作ることは、野生生物の個体数を守るために非常に重要です。種の多くは大規模な移動できる場所を必要とするからです。」

    MercuryNews(2016-08-22)

    フェンス建設により「独り占め」していると思われた節があるようですが、今回のジェイムズ側の提案により地域貢献の意を近隣住民に汲んでもらえれば全面解決も近そうです。

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    ジェイムズ・ヘットフィールドの家が340万ドルで売りに出される。

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    2016年8月20日に行われたUSバンク・スタジアムこけら落としのミネソタ州ミネアポリス公演を前に、ジェイムズ・ヘットフィールドが地元紙のインタビューを受けていました。管理人拙訳にてご紹介します。

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    USバンク・スタジアムで行うメタリカのライヴは、リードシンガーのジェイムズ・ヘットフィールドにとってどうだったのか。「長い間、念頭にあった。俺たちはスタジアムで壊れてみて、まだ生き残れるかどうか確認するのさ。」

    ヘットフィールド(53歳)は完売となったミネソタ・バイキングスの新しいスタジアムでのコンサートを前にインタビューに答えた。メタリカは次に出すアルバム『Hardwired … To Self-Destruct』のサポートツアーを計画する一方、土曜の夜のショーはバンドにとって単発のライヴであり、今年全体を通じても発表されているたった3つのうちの1公演である。

    ここでヘットフィールドは、2016年におけるこれ以外のメタリカの生活について言わねばなるまい。

    −自分たちの音楽をリリースすることについて、メジャーレーベルで全レコーディングのキャリアを過ごしてきたが

    まだ満足いかねぇって感じだね!俺たちはようやく自分たちのマスターテープを所有し、自分たちの音楽を自分たちのやり方で出すことが出来るようになった。自分たちのレコードのプレス機も買ったよ、ドイツでね。あれはすごい。色も付けられるし、やりたいようにできる。

    −ニューアルバムの1stシングル「Hardwired」は、その他のアルバム収録曲の典型となるものか

    たしかにメタリカの典型ではあるね。でもレコード全体はそうじゃない。たくさんのパーツの1つなんだ。全編スラッシュでもないし、全編ミドルテンポのロックでもないし、全編バラードでもないし、全編インストゥルメンタルとかでもない。

    −ルー・リードとのコラボが2011年のアルバム『Lulu』となったことについて

    ルーはああいう性格だったし、どこぞのアーティストみたいに本当に不安定な人だった。だから彼は本当にひどい態度だったよ!彼は自分が考えていることを伝えることを恐れるなんてことはなかった。ある時、ラーズが言ったんだ。「これについては俺を信頼してくれ。」そしたらルーは「これについては信頼しろだって?クソくらえだ、俺は誰も信頼していない。」って言ってた。俺たちは彼を丁重に扱わないといけないんだとわかったよ。でも(最終的には)俺たちは彼の信頼を得て、彼は俺たちの信頼を得たんだ。俺は彼が俺たちとコラボしたがったということに、いまだに感動しているよ。

    −バンドがUSバンク・スタジアムでショーと、ニューアルバムの発表を同時に行うことは計画していたのか

    いいや。そうじゃない。このレコードに現実的には8年間取り組んできた。でも曲としてまとめ始めたのは2年前で、文字通り、直近2か月が全てまとまり始めた時期なんだ。レコード会社が言ったようにやらなきゃとか、マネージャーが言ったようにやらなきゃとかそういうルールはもはやない。俺たちにとってクールで楽しいか、それが最優先事項なんだ。

    −長い中断の後で大きなショーを行うことについて

    ビビるよ。「何てこった、腕が痛むぞ。歳をとったな!」なんてね。誰もがそうだろうが、俺たちみんなが集まるとそんなことについて話す。それから俺たちは言うんだ。「OK。今やあのガラクタは片付いた、ぶちのめそう。」俺は6年間ショーをやってこなかったAC/DCみたいなバンドについて話を聞いた。彼らはリハーサルをせず、ただステージに立って演る。俺たちはそんなバンドじゃない。この(ライヴという)場に戻って来る必要があるんだ。

    −バンドは最近うまくいっているのか

    個人的な生活で起きる衝突は常にあるし、それがバンドの生活に影響を与える。もしくはバンドの生活が個人的な生活に影響を与える。俺たちはたくさんの非難の中を歩んできたし、反対側に強く出ることもある。一日終える頃には、俺たちは友だちなんだ。

    −今度のツアーについて

    俺たちはこの3年間、ツアーに出て自滅するような計画は立てていない。俺たちはツアーに出るのが大好きだし、尊重している。でもツアーは自分を殺しかねない。俺たちはそれだけのことをしてきた。ツアーをよりスマートにして、自分たちができる最善の健康状態を感じながら、全てのギグの準備をしたいんだ。次から次へと(ライヴを行う)というのはやっちゃダメだね。俺たちは一度に2週間しかツアーに出ない方がいい。それが俺たちの望みだし、それぞれのショーの終わりまで自分を出し切って、良かったと感じられるようにすることなんだ。

    −そのツアーでバンドはミネアポリスに戻ってくる計画か

    あぁ。そうだね。それは計画しておこう。

    −土曜日のコンサートのために、バンドのファンの多くが全国から飛んできたことについて

    目覚ましいファン層、ファミリーだよ。俺たちは世界中でファミリーを築き上げてきた。俺たちはやりたいことをするアーティストであり、みんなは俺たちに信奉してくれているという位置にいられるのはメチャクチャ恵まれていると思う。観衆に目を向けると3世代いるのが見えるんだ。そして彼らがみんな「Master Of Puppets」をシンガロングしてくれている。俺はもう「マジか?みんなこの曲が好きなのか?」って感じさ。ずっとそんなことを考えているわけじゃないけど、いまだに驚かされるよ。

    TwinCites.com(2016-08-20)

    ジェイムズの話からすると楽曲の素材を8年前から貯め込んで、素材の取捨選択に2年、実際の楽曲制作は2か月というところでしょうか。ラーズが以前語っていたように、新譜『Hardwired…To Self-Destruct』には多様な曲が収録されることになりそうです。

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    BBCのサイトにて、1995年にイギリスのドニントン・パークで行われた「Monsters of Rock」に出演したメタリカのライヴ音源を1時間分期間限定で公開しています。

    URLはこちら。
    http://www.bbc.co.uk/programmes/b07nx3s3

    聴取可能なトラックリストはこちら。
    Breadfan
    Master Of Puppets
    Fade To Black
    Kirk's Doodle
    Nothing Else Matters
    Sad But True
    One
    Seek And Destroy
    Enter Sandman

    「Seek And Destroy」で『Load』収録曲「The Outlaw Torn」が垣間見れるなど、この時期ならではのアレンジが面白いです。9月中旬までの期間限定のためお早めにどうぞ。

    まぁYouTubeではフル動画があがっていますが・・・


    そういえばこの頃のジェイムズの髪型はこんな感じでしたね。
    james_1995

    動画ではライヴ冒頭のフェイクMC「ヘヴィメタル逝去のため、メタリカはキャンセルになりました。どうぞ行儀よく退場してください」から視聴できます。

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    NHK BS2「BSサタデーライブ 黄金の洋楽ライブ」で1997年のメタリカのライブを放送。

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    メタリカが5thアルバム『Metallica』、通称ブラックアルバムを出してから25年が経ちました。25周年を記念して、RollingStone誌で「メタリカのブラックアルバムについて知られていない10の事実」という特集が組まれていたので管理人拙訳にてご紹介します。

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    1.バンドが短くシンプルな曲を書き始めた理由のひとつは、コンサート中のファンが退屈そうにしているのを観たからだ

    メタリカのメンバーは、1988年の『...And Justice For All』で出来る限りのプログレッシブなスラッシュメタルの概念を取り込んできたと自負していたと同時に、10分近くするタイトル曲のような大作で入り組んだ曲では自分たちのライヴに来る観衆の忍耐が試されるということにも気付いていた。

    リードギタリストのカーク・ハメットは1991年にRollingStone誌にこう語っている。「一般的な総意として、あの曲は死ぬほど長すぎだったってことに気付いたんだ。みんなが浮かない顔していてさ、俺は『何てこった、みんなは俺たちほど楽しんではいないようだぞ』って思ったよ。」ハメットはバンド自体も曲の複雑なアレンジに退屈になっていたことも認めた。「ある夜に「Justice」をやった後、舞台裏で俺たちのうちの誰かが『クソッ!俺たちがあのクソ曲をやるのはこれで最後だ!って言ったのを覚えているよ。」

    2.「Enter Sandman」はブラックアルバムのために書かれた最初の曲だ

    フックが効いていて不吉な感じのするハードなグルーヴを持つ「Enter Sandman」は、メタリカの新しい方向性を完璧にカプセルに閉じ込めたかのような曲だ。しかし、徐々にこの新鮮なアプローチへと移行すると言うよりかは、ハメットがシンプルでブルージーなギターのリックを弾いたことで、メタリカは最初の作曲のセッションの間にこの方向性へと飛び込んでいったのだ。そしてすぐにそのリックを鍛えぬき、彼らの最大のヒット曲となっていったのである。

    ドラマーのラーズ・ウルリッヒは2014年にこう回想している。「1990年7月の作曲過程で「Enter Sandman」は最初に思いついたものだった。『...And Justice For All』の後で10分のクソプログレッシブで12回もテンポの変わるメタリカをやるか。俺たちは曲をスリム化して単純にしたかった。あの曲を1日か2日で書き上げた。「Enter Sandman」の全てはメインリフから派生しているんだ。」

    3.ジェイムズ・ヘットフィールドが書いた「Enter Sandman」の歌詞は、もともと乳幼児の突然死について書かれたものだった


    「Enter Sandman」はブラックアルバムのために最初にバンドが書いた曲であったのにも関わらず、リズムギタリストのジェイムズ・ヘットフィールドはずいぶん後になるまで曲の歌詞を仕上げられなかった。もともとは幼児がベビーベッドで遂げる謎の死に関するものとして曲を想定していたが、バンドと彼らのマネジメントにより、プロデューサーのボブ・ロックを介して歌詞をトーンダウンしてほしいと頼まれたのだった。

    2011年にボブ・ロックはこう回想している。「最初に、音楽とリフを聴いてバンドと彼らのマネジメントにあの曲が1stシングルになると考えられていた。それから彼らはジェイムズの歌詞を聞いて、乳幼児の突然死について書かれた曲だとわかった。それは気に入られなかったわけさ・・・。」

    ボブ・ロックは続けてこう語る。「俺はジェイムズと膝を突き合わせて、彼の歌詞について話したんだ。『キミの書く歌詞は素晴らしい、でももっと良くなる。そこまであからさまでいいのか?』とね。シングルについては考えていなかった。私は彼にあの曲をもっと良くしてほしいってだけでね。より詩的かつオープンなやり方で言いたいことを言うってことを彼が学んだ過程だったんだ。彼はいくつか歌詞を書き直して、ああなった・・・(もちろん)1stシングルさ。」

    4.メタリカはボブ・ロックがそれ以前に一緒に仕事をしたバンドのファンではなかったにも関わらず、彼をプロデューサーに選んだ

    メタリカを導くためにプロデューサーのボブ・ロックを雇うことにしたバンドの決定は物議を醸すものだった。このカナダ人のプロデューサーかつエンジニアは、当時モトリー・クルーやボン・ジョヴィ、キングダム・カム、ザ・カルト、ラヴァーボーイといったスラッシュメタルの名声など欠片もないバンドとスタジオワークを行ったことでよく知られていた。しかしメタリカのメンバーは、そのようなバンドたちが彼と制作した音楽よりも、そのようなバンドたちのサウンドを彼が作り出したやり方に興味があったのだ。

    ラーズ・ウルリッヒが2007年に『Metal: The Definitive Guide』のインタビューでジャーナリストのギャリー・シャープ・ヤングに語ったところによるとこうだ。「ボブとともに良いミックスが欲しかったんだ。俺たちは低音域で大きな音を欲していた。そんな曲がボン・ジョヴィのレコードにあろうと、カルトのレコードにあろうと、メタリカのレコードにあろうと俺は気にしない。サウンドはサウンドだ。俺たちはあれが欲しかったんだ。」

    5.ブラックアルバムはメタリカが同じアルバム内で3つの異なるチューニングのギターを使った初めてのアルバムだ

    多くのHR/HMバンドがよりヘヴィなサウンドを実現するためにオルタネート・チューニングを使ってきた一方で、メタリカは1991年以前、主にギターについてはEレギュラーチューニングを用いてきた。1986年の『Master Of Puppets』収録曲「The Thing That Should Not Be」(ギターを1音半ドロップチューニングしている)と1987年の『The $5.98 EP: Garage Days Re-Revisited』の2つのカバー曲で1音ドロップチューニングという例外を除いて。『Metallica』ではアルバム収録の12曲のうち10曲はEレギュラーチューニングだが、ボブ・ロックの指図によりその他のミックスも使用した。ギターのチューニングを落とし「Sad But True」ではD、「The God That Failed」Eフラットとしている。

    ボブ・ロックは「Sad But True」についてこう語っている。「私はあの収録曲が全て1つのチューニング、Eのキーだということに気付いた。そこで私はこのことにバンドの注意を向けさせた。すると彼らはこう言ったんだ。「Eが一番低い音だったっけか?」そこで私は彼らに自分がプロデュースしてメタリカが好きでもあるモトリー・クルーの『Dr. Feelgood』ではDチューニングだったと伝えた。それからメタリカがDチューニングをしてみたら、リフが強大なものになった。この力はどんなことがあろうと止められないものだったね。」

    6.ブラックアルバムはメタリカがスタジオで一緒に“生演奏”して基本的なトラックをレコーディングした初めてのアルバムだ

    ジェイムズ・ヘットフィールドは1991年にGuitar World誌にこう語っている。「俺たちは(アルバムに)ライヴの感覚が欲しかったんだ。過去にラーズと俺はカークとジェイソン抜きでリズムパートを組み上げたり、ラーズが自分だけでクリック音を演奏していた。今回、俺は1つのバンドユニットとしてスタジオで演奏してみたかったんだ。曲に活力が加わり、バイブスを得ることができた。みんなが同じ部屋にいて、互いの姿を見ることができる。あれは大いに手助けになった。特にベースとリードギターの何点かではね。俺たちがスタジオに入る前でさえ、2か月の間でほとんどの曲を演奏する手助けにもなった。」

    7.「The Unforgiven」「Nothing Else Matters」におけるジェイムズ・ヘットフィールドのヴォーカル・パフォーマンスはクリス・アイザックに触発されたものだ

    1990年後半から1991年初めにかけて世界中で大ヒットしたクリス・アイザックの「Wicked Game」はジェイムズ・ヘットフィールドの耳をも捉えた。彼はボブ・ロックにメタリカのスピード遅めの2曲に載せるのにこのシンガーのムーディーなヴォーカルを見本とする手助けとするにはどうしたらよいか尋ねたのだ。

    ロックは2015年のクリス・ジェリコとのインタビューでこう振り返っている。「彼(ヘットフィールド)はこう言った。『ボブ、俺はこれまで本当に歌ったことはないんだ。俺はただ叫んでいただけだった。』とね。彼はクリス・アイザックのレコードを再生してさらにこう言ったんだ。『「Nothing Else Matters」と「The Unforgiven」で俺は歌いたい。どうしたらこんな風に歌えるんだ?』私はこう言ったよ。『素晴らしいヴォーカルサウンドをものにできるよ。キミのヴォーカルに代わりはいない。クリス・アイザックの声でキミが聞いているのは彼が歌うときのニュアンスなんだ。彼も代わりはいない。彼は実際にやっている。キミもやればいいんだ。我々は彼が快適でいて、素晴らしいヴォーカルサウンドを出せるようセットして、それから彼は歌った。日ごとに彼は良くなっていった。彼は歌うことが心地よくなった。そうして彼は素晴らしいシンガーとなったんだ。」

    8.バンドメンバー4人のうち3人はアルバム制作中に離婚を経験した

    ダークでブルージーなメタリカの感覚はバンドの新しい音楽的な選択の結果だけではなかった。ラーズ・ウルリッヒ、カーク・ハメット、そしてベーシストのジェイソン・ニューステッドは彼らの個人的な生活のなかでブルースを歌っていたのである。

    2001年のPlayboy誌でハメットはこう語る。「ラーズとジェイソンと俺は離婚を経験した。俺は感情的にボロボロだった。罪悪感とか失敗したという感情を取って、そういう感情を音楽に向かわせるようにしていた。肯定的な何かを得るためにね。ジェイソンとラーズもそうだった。俺はブラックアルバムがああいう風なサウンドになった理由にそれによるところが大きいと思ってるよ。」

    9.カーク・ハメットは「Nothing Else Matters」のビデオに登場しているが、彼はこの曲を実際には弾いていない

    もともとジェイムズ・ヘットフィールドによって、電話で会話している間にギターの弦をぼんやりとかき鳴らしていて見出した音楽をもとに、当時の恋人に向けたラブソングとして書かれた「Nothing Else Matters」は、メタリカにとって大きな出発点だった。ヘットフィールドが自分でカセットに録音したラフ・ヴァージョンを聴くと、ウルリッヒはメタリカの曲としてバンドでレコーディングするべきだと彼を説得した。それからヘットフィールドは曲のアコースティックのイントロとブルージーなギターソロをレコーディングし、カーク・ハメットが参加していない数少ないメタリカの曲のひとつを作り上げたのだ。

    ハメットは2012年にこう振り返っている。「俺はステージで自分が弾くあのイントロパート全部を学び直さなきゃならなかった。あの時点で俺にとってはちょっとばかり脅威だったね。(なぜならジェイムズだけがイントロをレコーディングしたため)俺たちからすればああいう風に始まる曲ではなかったから。」

    10.ジェイムズ・ヘットフィールドは「Nothing Else Matters」がメタリカファンを嘔吐させやしないかと心配していた

    1991年8月3日、メタリカはマディソン・スクエア・ガーデンでの無料リスニングパーティーで新しいアルバムを公開するという前例のない一歩を踏み出した。(ラーズ・ウルリッヒは後に「俺たちのアルバムはガーデンで俺たちが演る前にプレイされていたのさ。」とジョークを飛ばしている。)その4日前に(1stシングルとして)リリースされた「Enter Sandman」を除き、そこにいた1万人のファンは初めて『Metallica』の曲を聴いたのだ。ジェイムズ・ヘットフィールドはとりわけ「Nothing Else Matters」がどういう反応をされるか心配していた。

    1992年にK.J.ドートン著の『Metallica Unbound』のなかでヘットフィールドはこう語っている。「俺はただ「Nothing Else Matters」がかかるのを待っていた。あそこにいたみんながお互い目を合わせて吐き出しやしないか確認するためにね!(笑)仲間内の高圧的なヤツがお互いにレコードをかけて『おまえはこの曲は好き?』『いいや、おまえはこの曲好きなのか?』なんてことにならないだろうかと思っていた。」ヘットフィールドにとって幸運なことに、あの曲は好評だった。彼はこう振り返る。「みんなかなり夢中になっていた。あれにはかなり驚いたね。」

    RollingStone(2016-08-12)

    過去のインタビューの焼き直しではありますが、いろんな要素が絡み合ってブラックアルバムが出来上がったのを改めて認識させられた記事でした。

    参考までに7番目で書かれていたクリス・アイザックの「Wicked Game」はこちらから。

    Chris Isaak「Wicked Game」

    Metallica
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    ジェイムズ・ヘットフィールドが家族と一緒にプライベートで来日していたネタを華麗にスルーしていますが、これまで何回かに分けて紹介してきた「Metal Forces」によるラーズ・ウルリッヒのインタビューの続きをどうぞ。

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    −メタリカは、未踏の地でライヴを行うこととなると、いつでももうひと踏ん張りする準備がある。2013年12月に南極公演を行ったのが典型例だ

    残っている場所はそう多くはない。何回かドバイでライヴをしたのは信じられないほど素晴らしかったよ。イラン、イラク、サウジアラビア、レバノン、シリア、クウェートのような場所からファンが駆けつけて、世界のそういう場所から3万、4万の人たちが2時間のメタリカの体験を共有する、文字通り鳥肌もんだった。会場の外ではみんな違うってことを置いといて、音楽という言葉を介して、一斉にいろんな国旗が振られているのを見るのはヤバかったよ。だからもしメタリカの公演が開催できるインフラがあって行ったことのない世界のどこかがあれば、ナノ秒でそこに行きたいね。それほどたくさんは残っていないけど、俺たちは石や岩をひっくり返して(探し回って)、行けるところがあれば、俄然乗り気で行くつもりさ。知っての通りいつでもね。


    −ミート&グリートを高額チケットで行うバンドがたくさんいるが、手っ取り早く金を稼ぐ機会にすることなく、ファンに会うことが感謝の意を示す機会としてただただ幸せだった時代を知っている世代にとっては眉をひそめることになっている。これまでのところ、メタリカはミート&グリートを無料のくじ引きシステムにしているが

    やり方というのは変わっていくものだからね。前に何度も言ってきたように、全く新しい未開の分野なんだ。今はさらにさまざまな段階があるし、さまざまなレベルのものがある。それが何十年も続いてきている。飛行機の後ろに乗りたいか、真ん中に乗りたいか、それとも前に乗りたいか?みたいなものさ。遊園地に行ったときに列に並ぶ必要のない「ファストパス」が欲しいか?全部同じことさ。今や明らかに音楽にもそういうのが浸透しているんだ。

    俺たちはしばらく新しいツアーをやっていないから、その手のこと全てを検討しているわけじゃない。そういうことは『Death Magnetic』の頃から見られるようになった。みんなが俺たちに会いたがっているなかで、全ての選択肢を検討して、俺たちはいつもメタリカとしてできるだけのことをするし、できる限り誠実でリーズナブルなものを試すだろうね。どうしていくかはわからないけど、その選択肢をちょっと見る限りは基本的にみんながやっている、もしみんながやっているというならば、明らかにそこに需要があるからだと思っている。だからといって俺がいつもやっているようにホテルや空港やその他の場所でできうる限り全ての子供、全てのレコードにサインを(今後は)しないつもりってことじゃない。でも同時に、もし最前列で座りたい、その椅子を持って帰りたい、特別なTシャツが欲しいなんて人がたくさんいるなら、俺たちはそれをできるようにすべきじゃないのか?まずは考えてみるよ。俺たちが何かにサインするには500ドルかかるなんてことをおっぱじめようって俺は言ってるんじゃないんだ。

    俺たちが正しい答えを持っているとは言っていない。でも俺たちがやることは、俺たちのためになると思う。聴いてくれ、正直なところ、35年やってきてるけど、俺たちは他のみんなのようにそういう全てをいまだに理解しようとしているんだ。レコードジャケットにサインすることに俺たちの生活がかかっているわけじゃない幸運に恵まれているという事実を祝おうじゃないか。そんなことをやる必要はないんだ。でもこのままでいて、他の人がやることを叩こうなんてするつもりはない。俺はジャッジしない。そのためにクソみたいな台座に座って何かあげようとするつもりはない。俺は俺たちのためになることしか言わないよ。

    −成功を収めた多くのバンドが経験する批判や嘲笑にも関わらず、2016年においてバンドの人気はますます力を増しているようだが

    俺たちのホームタウンは最強の都市のひとつじゃなかった。でも2月にここでスタジアムショーをやって(AT&TパークでのNHLスーパーボウル前夜祭「The Night Before」)、12秒ほどでチケットが完売した。8月にはミネアポリスで新しいフットボールスタジアム(U.S.バンク・スタジアム)のこけら落としでスタジアムショーをやることになっているけど、50,000のチケットがまた12秒ほどで完売だ。俺たちに何かしら特別な理由があるから、俺たちが行ったことのある場所よりも人気があるとまでは言わないけど、そのくらい人気があるようだ。だから(人気があるのはなぜかの問いに対する)答えが新しいレコードをしばらく出していないからかどうかもわからない(笑)。そんなものの答えはわからないけど、メタリカがかなりたくさんの人たちの人生においていまだにある種の関連性と重要な役割を持っている。でも俺はそういうことをあまり疑問に思ったり、あまり考えすぎたりしない方がいいんだと感じているよ。考えすぎちゃうとやるべき方向を変えたり、どうかするとコトを軽視したり、やってることに害を及ぼしたりするのが怖いからね。キミも含めて、そういうこと考えられる人間はマスコミに十分いるんじゃないの。

    でも、聴いてくれ、ここまで話してきたようなリイシューやニューアルバムやスタジアムでのコンサートを秒単位で完売したことやみんながまだメタリカに興味を持ってくれているなんて35年前に誰が考えていた?かなりクールなことだよね。俺たちがしてきたことをメチャクチャ誇りに思っているし、これから先もエキサイティングで面白い年がまだあると思っているよ。

    Metal Forces(2016-06)

    インタビュアーが旧知の仲なのか、いろんなことをぶっちゃけてくれたインタビュー。ミーグリの今のシステムは変えてほしくないな...

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    2016年5月25日に公開されたMetClub会報誌「So What!」の電子版で、ロバート・トゥルージロが新譜やバンドメンバーとのエピソードについて語っています。管理人拙訳にて抜粋してご紹介。

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    −言うまでもなく、スタジオで仕事が行われているわけだけど、何かここでちょっとだけプレビューしてもらってもいいかい?

    うんうん。HQ(訳注:新譜制作を行っているサンフランシスコのスタジオ、Metallica HQ)はまさに今、大忙しのメタリカ・ニューアルバム・マシーンだよ。今言えるのは、ジェイムズと俺が先週バッキング・ボーカルをやって楽しく過ごしたってことだね。たぶんこのアルバム制作サイクルの間でも一番楽しかったんじゃないかな。あれを仕事と呼んでいいのかなってくらい。あのコーラスを吐き出すことが出来たのは超楽しかった。彼は顔に大きな笑みを浮かべていたし、自分もそうだった。あんなレベルでやることなんてこれまで考えもしなかったから、あれはいつまででも覚えているだろうね。つまり、ここでいくつかのことをやったけど、彼と一緒にボーカル・ブースにいるっていうのは俺にとっては初めてのことだったんだ。かなりクールだったね。最高だよ。ベースサウンドは圧倒的だ。確実にこのバンドと俺がやってきたなかでベストなベースサウンドだと言えるよ。すでに俺にとってそのことはプラスだね。(プロデューサーを務める)グレッグ(・フィデルマン)が俺の楽器のサウンドでやってくれたことに俺は誇りに思うし、俺がやった演奏にも誇りを持っているよ。俺たちは楽しんでいる。

    (中略)

    −難解な質問をしてみるよ。ボクはラーズとジェイムズがいつも彼らの人生のためにバンドの状況を確定させているということに魅了されているんだ。彼らにとってそれは、違うエネルギーを持つためのほぼ不可欠なことになっていると思う?ハッキリさせておきたいんだけど、キミほどハードな労働倫理をもっている人は見たことないと思っているよ。特にこのバンドに関して、リハーサルに関して言えば、同じ曲を何時間もずっとやってるからね。だからこれは労働倫理についてのコメントじゃなくて、取り組み方についてのコメントとして回答して欲しいんだ。キミは(ヒッピーのようにならずとも)渓谷で見たかもしれない波とか鳥に真の美しさと重大さを見出すような人でしょう?彼らはバンドでのキミのエネルギーの「流れ」を持つことになって、ラッキーだと思うんじゃないかと。

    俺もそう思う。ジェイムズにとってそれは重要なことだ。俺のやり方のままでいること、いわば俺が幸せだってことを彼は理解しようとして敬意を払ってくれていると思う。メタリカのロバート・トゥルージロがミュージシャンとしてやっていることに幸せを感じているか、メタリカでミュージシャンとしてやっていることに幸せを感じているかということが彼にとって重要なんだと思う。でも彼は俺の音楽的)出自や俺がやってきたことに対しても敬意を払っている。彼はインフェクシャス・グルーヴスの音楽が好きなんだ。あのバンドでの俺のスタイルを気に入っている。とりわけインフェクシャス・グルーヴスでのスタイルがメタリカになくちゃならないスタイルとまでは言わないけどね。それは違う。そういうことじゃなくて、ラーズもそうなんだけど、彼はスイサイダルとかインフェクシャスについて良いものを称賛することに興味があるんだ。ひょっとしたら彼のお気に入りTOP10アルバムにスイサイダル・テンデンシーズの『The Art of Rebellion』が入ってるかもしれない。彼が俺をあのアルバムに引き戻してくれたんだ。俺はあのレコードについては忘れてしまっていてね。彼があのレコードの収録曲の1つについて話していたんだけど、俺は何について話しているかわからなかったんだ。あまりに前のことだからさ。それから彼はケント(HQのエンジニア)にスタジオのPAシステムで(その曲を)かけてもらったんだ。それから俺が聴いたらこうさ。「あぁクソッ、こりゃいいなぁ」突如、俺に記憶が甦ってきた。可笑しかったのは、1時間後にスタジオから家路まで運転していて、あの曲は俺が書いたんだと気付いたんだ。実際に自分が書いた曲だってことを認識できていなかったんだよ。

    −それは何て曲?

    「Accept My Sacrifice」。(元々は)ラーズが俺をあの曲に引き戻したんだ!

    (後略)

    Metallica.com(2016-05-25)

    ちなみにエピソードで出てきた「Accept My Sacrifice」はこちら。

    Suicidal Tendencies - Accept My Sacrifice



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    ラーズ・ウルリッヒがジーンズブランド「Citizens of Humanity」のインタビューで新譜について語ってくれました。このインタビューは同ブランドがメタリカに触発されたとする新シリーズCOH x MyTheresaでラーズの妻であるジェシカ・ミラーがモデルを務めていることから行われたもの。以下、管理人拙訳にて。

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    −どうも、ウルリッヒさん。来ていただいてとてもワクワクしています。

    ありがとう。

    −まず初めにお聞きしたいことが・・・メタリカの10枚目のアルバムは今年中に出ますか?

    そうだね。

    −どんなものになっているのか、どういうサウンドになりそうか、何か推測できるようなことを教えてもらえますか?

    まだ全体を見通せるものを俺が持っているかわからないけど、いよいよだということは言えるね。うまくいけば秋には出るし、間違いなくメタリカのサウンドだ。最後のレコード(Death Magnetic)より少しけたたましさはないかもしれない。あれはリック・ルービンが初めて俺たちの過去から触発されるよう促したものだった。俺たちがある種バックミラーで見たのはあれが初めてのことだったんだ。今回はちょっと違うものになる。リックと一緒にはやらずに、前のレコードでエンジニアをしていたグレッグ・フィデルマンがプロデュースをしている。だから同じ生産要素ではあるけれど、音は少し広げていっているよ。おそらく前のレコードよりももう少し多様なレコードになるんじゃないかな。エキサイティングだけど、まだ全体像というのはほとんど持っていないよ。

    −『Death Magnetic』が出たのが2008年で、当時と現在ではバンドの歴史のなかで最も長い間隔になっています。この活動休止によって今回のアルバムを制作していく上で違った視点を与えられたということはありませんか?間が空いたことで助けになったことはありますか?

    この6年か8年くらい「活動休止」なんて俺の見解じゃ適用できない言葉を使うなんて面白いね。メタリカはこれまでになく忙しかったよ。俺たちは今、人生において、バンドの健康を保つために不可欠な(これまでと)違ったバランスを持っている。家族と子供たちが優先だ。ツアーに出る時は、2週間ツアーに出て、2週間ごとに家に戻る。自分たちにとっての新しいモデルを見つけた。でも、おそらくオフの年でさえ、バンドの推進力を持ち続けて、自分たちを繋げ、バンドに投資するために年に24か36の公演をやっているんだ。

    家族と家庭内の責任は今の俺たちにとって重要なものになっていると思う。だから新しいモデルを持ったんだ。俺たちは絶えず何かしらをしているけど、針の先がレッドゾーンに行くまではやらない。2005年あたりからメタリカは本当に活動休止なんてことはしていないし、俺たちにとって新しいモデルが機能している。自分たちがイカれるまで110%で働くということはしない。でも、絶えず三分の二で働いている。知っての通り、レコード制作で曲を書いてレコーディングするわけだけど、俺たちは徐々にそれをやってきたんだ。いつも何かしらをやっている。それが俺たちが好きなやり方でね。そうやって俺たちは(バンドに)従事し続けているんだ。


    Lars_BodyImage

    −バンドは今や35年間共にしています。あなたは始めてから今まで、バンドやメンバーの原動力は大きく変わりましたか?

    驚いたことに順調なんだ。知っての通り、2001年とか2002年にはロードのあちこちでいくつかの衝突があった。それはあの映画(『Some Kind Of Monster』)でドキュメンタリー化されてもいるし、たくさん話してもきた。でも同業者の多くに比べたら、驚くほどうまくいっているよ。

    俺たちがバンドを始めた時、文字通り俺が17歳、ジェイムズが18歳と若かった。青二才で活気に満ちていて準備万端だった。誰かとチェックインするためにゆっくりやろうってなったり、「みんなはどうしてるの?」なんて言ったりはしなかった。全てを一緒にやっていた。プレイするのも一緒、ライヴするのも一緒、旅行するのも一緒、寝るのも一緒だ。


    それから俺たちの場合、少しの成功を得るのに十分幸運だった。突然マネージャーが座って言うのさ。「キミたちには家を買えるほどの金があるぞ」ってね。そしたら家を買うだろう。俺は数年間家具店に行ってはソファが欲しいと思っていたのを覚えているよ。それからこう自問するんだ。「ジェイムズはあのソファをどう思うだろうか?」手足を切断されたような感じがあった。座っていたら突然「畜生、俺はこんなクソみたいなことを実際にやっているのか?」となる。それはちょっとした奇妙な変遷だった。俺たちはあの数年間、互いが互いのことを考えていた。でも俺たちはそうやって十分うまいことやってきたんだ。みんな少しばかり道を外れた人生の期間を持たずに35年間はやってけなかった。だけど、誰も構想や自制心を失うことはなかったし、行方知れずになることもなかったしね。

    俺たちは常に個々のニーズよりもグループを優先する集団であることを気にかけてきた。もっと重要なのは、みんなが並んでやってきたということだ。俺たちは全員同じ時期に子供を持つことになった。俺たち4人には10人の子供がいる。特にジェイムズと俺は、同じ夏のあいだに初めての子供ができた。だからその他のことも一緒に共有することができたんだ。俺には3人の子供がいるし、ジェイムズも3人の子供ができた。同時に起きたようなものなんだ。それによってたくさんのことを共有することになって、俺たちの関係性が広がったんだ。


    −あなたはバンドのなかで最も声高なメンバーだと思いますか?おそらくあなたがバンドのメンバーのなかで最も(発言が)引用されていますが。

    何にも増して最初はそうかもしれないね。特に最初は。俺はとりわけ波乱万丈な子供時代を過ごしたわけじゃない。崩壊した家庭出身でもない。俺のオヤジはテニス選手でミュージシャンで批評家だった。オフクロはいたって普通だった。それはつまり大きな反抗もなかったってことさ。ジャズ・ミュージシャンや西ヨーロッパ文化の自由奔放な人たちの周りで育ったから、俺はいつも心地よく過ごしていたし、他の人たちがいることもいたって快適だったんだ。

    ジェイムズと俺が出会った時、彼は数年間とても荒れていた状態だった。彼の母親はちょうど亡くなっていて環境面でとても快適とは言い難いものだったんだ。だから俺たち2人が一緒にいる時は最高だった。でも俺たち2人が他のみんなでいっぱいの部屋にいる時、俺はより外交的になって、ほとんど俺が話してしまったんだ。それは特に計画したことじゃない。俺はただ話をしてしまうんだ。彼は何も言わなかったからね。だからみんなが俺たちに質問をすると、俺が「OK、じゃあ俺はコイツをいただくよ」ってなるんだ。


    俺は実務的なんでね。つまり彼はめちゃくちゃ音楽やこういったタイプのものについての才能がある。でも俺はと言えば、座って、テープをコピーして、郵便局に行ってそのテープをみんなに送っていたんだ。印刷屋に行っては俺たちの略歴をコピーしたりね・・・そんなことを何でもやってた。そんなわけで俺はマネージャーに話したり、弁護士に話したりってことを後にやるようになった。言葉を拡散させたり、言葉に関することは何でもやるようになったのさ。でもそれがいつもグループのマニフェストになってたわけじゃない。俺は本当に元からこんなで、話すことのほとんどを俺がやってしまっただけなんだ。


    −あなたはコペンハーゲンで育ちました。そこでどのように過ごしてきたんでしょうか?

    1963年に生まれて、60年代70年代はコペンハーゲンで育った。デンマークは500万人の小さい国で、彼らのほとんどはお互いをよく知っている。たくさんの音楽が周りにあった。俺の家族にはミュージシャンと俳優がいた。子供時代は文化的にとても豊かだったね。とても安全だったし、守られていたし、快適な生い立ちさ。テニスをやっていて、音楽はテニスからの逃げ場所みたいなものだった。音楽は俺の楽しみであり、テニスは真剣に取り組むものだったんだ。テニス選手になろうとしていたからね。でも俺が本当に若い頃にコンサートに行き始めた。9歳でディープ・パープルを観に行って、その翌年にはスレイドやスウィートやステイタス・クォーやユーライヤ・ヒープ、そして再びディープ・パープルを観に行った。キッスもね。知っての通りこれらのバンドは70年代後半にデンマークにやってきていたんだ。それから1980年にテニスを次の段階に進めるために両親と南カリフォルニアのニューポート・ビーチに移り住んだのさ。

    −あなたが白いショートパンツとポロシャツを着ているところを想像してしまいます。

    俺は白地に赤いストライプの入った(イタリアのブランド)セルジオ・タッキーニを着ていたよ。デンマークでは俺の年齢枠のなかで他に負けないテニス選手だと思っていたけど、南カリフォルニアにやってきたらニューポート・ビーチで最高のテニス選手の1人にもなれなかった。高校ではテニスチーム(の出場枠)にさえ入れなかった。あれは本当に参ったね。でも16歳で完全に音楽方面に飛び込んでいったのは難しい変遷ではなかった。俺はそれを文字通り2か月以内でやったんだ。日がらドラムを叩いて、一緒にバンドを始める人を探していた。

    −バンドはLAで始まりました。LAはバンドのサウンドに影響を及ぼしましたか?知っての通り、多くの人が街によってサウンドを区分けするのを好みます。特定の何かがLAにありましたか?

    いいや。むしろ逆かもしれないと言えるね。俺はふさわしい時期に間違った場所にいたと感じていたよ。80年から82年のあいだ俺が本当に夢中になった全て、全ての俺の注意はイギリスに向いていた。モーターヘッド、アイアン・メイデン、ダイアモンド・ヘッド、サクソン、タイガース・オブ・パンタンといった当時のイギリスからでてきたバンドの音楽にね。こういったいわゆるNWOBHMの一員だったバンドは本当にバンドを組むことへと触発させた。ハードロックでありながら、パンクのアティテュードと美学を持っていた。1980年、81年、82年のLAにそんなものは皆無だった。ほとんどがヘアメタルと世界のモトリー・クルーさ。失礼を承知で言わせてもらうとね。彼らはねぐらを支配していたんだ。俺たちははみ出し者でのけ者さ。どこにも属していない。俺たちがそんなバンドと一緒にショーをやると、みんなが俺たちを見てこうさ。「何だあいつら誰なんだ?ここで何してやがるんだ?」俺たちは自前のTシャツとジーンズと革ジャンを着て現れると、イギリス寄りのサウンドのダーティーなハードロックをやるんだ。LAのテーマにはまったく適合していなかったよ。

    (後略)

    Citizens of Humanity(2016-06-16)

    インタビューと写真撮影の様子はこちらの動画から。


    ちなみにジェイムズ・ヘットフィールドは先日のスタンレー・カップの際のインタビューで新譜についてこう語っています。
    俺たちは今ミキシングの最中なんだ。秋までに出して、みんなの耳に届けばいいね。すごくワクワクしているよ。長らく待たせちゃってるけど、知っての通り、これが俺たちのやっていることだ。俺たちはプレイするのが大好きなんだ。次のアルバムはまさしくそういうものになるよ。だから俺たちは興奮しているんだ。



    今年中に次のアルバムが出るかいう質問にYesと答えてくれたラーズ。そして秋までには出したいというジェイムズ。管理人はようやく「ニューアルバムは今年出るでいいんだよね?」と思えるようになりました・・・。

    【追記】
    Vogueのインタビューでラーズが語ったところによると、インタビューとジェシカ・ミラーがモデルを務めることになった経緯が逆でした。

    今回のインタビューの相手、イタリア高級紳士服ブランド「Brioni(ブリオーニ)」のクリエイティブ・ディレクターを務めるジャスティン・オシェイとラーズは意気投合。ジャスティンがブリオーニに移る前に手掛けていた「MyTheresa(マイテレサ)」のデニムコレクションはメタリカを含む80年代のハードロックバンドに触発されたものだと知ったラーズが「発売するときにウチのカミさんの写真を撮ったら面白いんじゃない?」と言ったのがきっかけになったとのこと。

    Vogueより(2016-06-15)

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    アン・ウィルソンとギターのナンシー・ウィルソンの姉妹を中心メンバーとするハート(Heart)のニューアルバム『Beautiful Broken』にジェイムズ・ヘットフィールドが参加しているとのこと。

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    『Beautiful Broken』


    ジェイムズは表題曲の「Beautiful Broken」でゲスト・ヴォーカルとして参加。この曲の予告編が公開されています。


    輸入盤発売日は2016年7月8日(国内盤は不明)。以下、トラックリスト。
    01. Beautiful Broken
    02. Two
    03. Sweet Darlin'
    04. I Jump
    05. Johnny Moon
    06. Heaven
    07. City's Burning
    08. Down on Me
    09. One Word
    10. Language of Love

    ハートと言えば、カーク・ハメットが初めて観に行ったコンサート「Day on the Green(1977年)」にも参加しており、2013年にロックの殿堂入りを果たしたベテランバンド。管理人は車のCMにも使われていたこの曲が好きです。


    【追記】
    「Beautiful Broken」のリリックビデオが公開されました。


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