メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:ジェイソン・ニューステッド

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    『Master of Puppets』のリマスター盤発売を受けてのRollingStone誌でラーズ・ウルリッヒとカーク・ハメットのインタビュー。前回の続きです。BOXセットに収録のライヴやクリフ・バートン、ジェイソン・ニューステッドに関するエピソードが語られています。管理人拙訳にてご紹介。

    metallica-master-of-puppets-1986-newsted

    −カーク、BOXセットにはあなたのソロの草案を示すたくさんのリフ・テープがありますね。当時のリードギターのフレーズはどうやっていたのですか?

    カーク・ハメット
    当時、最初から最後までソロ全部を作るのにとても夢中になっていた。スタジオ入りする前に少なくとも80から90%は作っておきたいと思っていた。スタジオで即興はやっていなかったんだ。若かったし、自分の演奏を展開させることや何もないところから500のアイデアを書き溜める能力は持ち合わせていなかった。今ならそれができる。俺は今(当時に比べて)はるかにミュージシャンになっているからね。『Hardwired〜』では何を演奏するか分からないところから、(どうするか)90分以内に把握していた。1986年にはできなかったことだよ。「Damage, Inc.」では、俺はただ座って頭を掻きむしって唖然としながら「俺は他に何をやろうとしてるんだ?」って思ってたし。

    −BOXセットにはクリフのテープは何もありませんでした。彼はバンドに曲をどう提示していたんでしょうか?

    カーク・ハメット
    彼はボリュームがどんどん上がっていく「Damage, Inc.」のイントロを弾いていた。それから彼はそのひらめきの元となったバッハの曲を俺に弾いてみせたんだ。それで言うんだ。「同じように聴こえるか?」って。俺は「全然。疑う余地もない。完全にキミのものみたいだ。」と答えたよ。そして彼はベースで「Orion」の中間部全体を書いた後、ギターのハモるパートをベースで弾いていた。レコードではジェイムズと俺がこのハモるパートを全部弾いているけど、最初はクリフがベースで全部弾きたがっていたんだ。「Damage, Inc.」に出てくるソロみたいなものだったから、うまくはいかなかっただろうね。だから「Orion」に組み込んで、アルバムでやっているギター/ベースのアレンジを思いついた。それが実際に彼の最後の作品となってしまったんだ。

    −これにはたくさんのクールなコンサート音源がありますね。これらのショーで一番覚えていることはなんでしょう?

    ラーズ・ウルリッヒ
    『Master of Puppets』を振り返って考えてみると、オジーのツアーを振り返ることになる。俺たちは他の誰よりも長くオジーとロードを過ごした。時折、オジーがいなかった時は自分たちだけのショーをやることもあった。アラゴン・ボールルームのギグもそんななかのひとつだったと思う。

    カーク・ハメット
    アラゴン・ボールルームのショーで「Disposable Heroes」をやって、観衆がハチャメチャに狂っていたのをハッキリと覚えているよ。「Disposable Heroes」は(オジー・ツアーでの)サポートのセットリストには入れていなかった。だからあの曲がライヴでどれだけ効果的なのかを知ることができたんだ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    (BOXセットに収録されている)ハンプトン・コロシアムのショーはオジーと一緒だった。観衆は何が自分たちに起きているのかわからなかった。俺たちがやっているようなものを一度も観たことなかっただろうからね。俺たちはアメリカ中部のアリーナでことごとく「Battery」と「Master of Puppets」をやったけど、たくさんの人の表情がかなりクレイジーになっていたね。

    カーク・ハメット
    メドウランズのショーはとりわけ最高だったのを覚えているよ。あの前夜にジェイムズとクリフと俺でサムヘイン(Samhain)の人たちと一緒だったからね。彼らとツアーに出るのは本当にクールだった。イーリーとグレンがショーに出ていて、俺たちはその事実に興奮したし、本当に触発されたし、本当に良いショーをやりたいと思った。だって最高なミスフィッツ(Misfits)のグレンとサムヘインの人たちがそこにいるんだぜ。「俺たちも良いショーをやるぞ」ってね。それが俺の演奏にもインスピレーションを与えることになった。

    −ハンプトン・コロシアムのショーは、ジェイムズがスケートボードでケガをしてから、カークのギター・ローディーのジョン・マーシャルをリズムギターに迎えたものでしたが、どんなことを覚えていますか?

    カーク・ハメット
    ジョンがステージ側にいるのはあのツアーから始まったんだけど、クリフはいつも「ここから出ていけよ」って言っていた。それで面白いことにジョンはステージの後ろからショーを始めるわけなんだけど、3曲目か4曲目になるとアンプの前に立っているんだ。4回目のショーで「脇に立っていたのが、急にステージに出てくるとうまくのれないんだよ。最初の曲から出て来いよ。」って俺たちが言ったんだ。ジョン・マーシャルは俺が13歳の頃から知ってる。15歳の頃から一緒にギターを弾いていたんだ。だから彼にとって、突然オジーのツアーで俺と一緒にギターを弾くことになって頭がクラクラする出来事だったんじゃないかな。俺たちが経験してきたことはそれだけ変わったことだった。本当に頭がクラクラするようなクールなことだったよ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    ハンプトン・コロシアムのショーは、オジー・ツアーの最終日だった。オジーのライヴの後半に楽しい時間を過ごしたよ。俺たち全員がおむつを着けてギターと間抜けなズラをかぶってステージに飛び入りしたんだ。マネージャーのクリフ(・バーンスタイン)があのアルバムがゴールドディスクを獲得したと俺たちに伝えた日でもあった。あれはクレイジーだったね。しかもヘットフィールドの誕生日でもあったんだ。

    −ストックホルムで行われたクリフの最後のショーのカセットは感慨深く聴いているのではないですか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    もちろん。あれから31年が経った。一時停止しては、物思いにふけり、考え、感謝し、光栄に思う。たくさんのことをあまりの早さで突き抜けてきたから、ゆっくり考えるなんてしていなかった。時には、午前2時にあのなかのものを聴いては「わぁ」ってなっていたよ。最後の2曲を聴いたり、最後のショーで彼と写った写真を見たりした時に気持ちを落ち着かせようと曲を止めるんだ。

    −クリフとの最後のショーについてはどんなことを覚えていますか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    イギリスで3000席の映画館「Odeons」でのライヴを終えて、スカンジナビアに行ったんだ。場所はアイスホッケー会場みたいで(イギリスの会場に比べて)小さく、寒く、暗かった。違った雰囲気があったね。ストックホルムでのショーをやったら信じられないほどうまくいった。ショーがすごく良かったんで、セットリストにない追加の曲を実際にやった珍しいケースだったんだ。今でもそう多くはやっていない。それだけ良い雰囲気があったんだよ。

    カーク・ハメット
    ジェイムズが(ケガをしてから)再びギターを弾いた最初のショーだったから重要だったんだ。ジェイムズがギターのストラップを肩にかけてアンコールを演奏することができた。たしか「Blitzkrieg」か何かだったと思うんだけど、ジェイムズがギターに戻って演奏して、かなり回復しているように見えて、ジョン・マーシャルを含む5人が本当にワクワクしていたよ。あのショーは良かったとハッキリと覚えているんだ。ステージを終えて引っ込んだ時も本当に良い気分だったし、ポジティブで前向きなものだった。「いいぞ、ジェイムズが戻ってきて、以前の俺たちみたいに戻るのはそう時間はかからないだろう。」って感じさ。ショーの後はそんな雰囲気だったし、そこから事故が起きて、文字通り希望あふれる状況から深い漆黒の穴に身を落とされたように感じたよ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    あの日、俺たちはたくさんの取材を受けていた。「OK」っていうスウェーデンの流行に敏感な10代女子向け雑誌のために写真撮影もしていた。その後、バスに座ってどれだけクールだったか話していたんだ。クリフと俺は一緒にビールを飲んでいた。今となってはちょっとおぼろげだけど良い日だったよ。

    カーク・ハメット
    俺たちがバスに乗って会場を去ろうって時にファンが俺たちに向かって走り出したのを思い出すよ。クリフがこう言ったんだ。「彼らを見ろよ、まるでゾンビみたいだ!」彼はゾンビに夢中だったからね。俺たちみんな笑っちゃったよ。それから俺たちはカードゲームを始めた。そして長い長いドライブだ。そこから先は誰もが知っての通りだ。

    −BOXセットにはジェイソン・ニューステッドの最初のオーディションとギグも収録されています。ツラい時期だったかと思いますが。

    ラーズ・ウルリッヒ
    あぁ、俺たちは何が起きているのか、わけが分からなかった。自分たちができる最も賢いことは続けることだと決めたんだ。事故後の1、2週間でクリフを弔って、それから後は5分となかった。もしそこで俺たちが減速して、虚無感を抱えたり、深淵に落ち込んで抜け出せなくなったりするのが恐かったからね。だから俺は(Metal Brade Recordsの創始者)ブライアン・スレイゲルを含む何人かに電話をして「そこらでホットなベーシストは誰かいないか?」って話していた。クリフの葬式の1週間後にはオーディションをセッティングしていたよ。

    カーク・ハメット
    奇妙な感じだった。俺たちはみんな、復帰後最初のショーについてとてもナーバスになっていた。リハーサルではうまくいっていた。ジェイソンが割って入れるのかと思っていたんだ。リハーサルでは時間をかけられる。でもいったんツアーに出たり、家を離れてショーをやったりするとなったら、実力ある者、ない者かがハッキリしてしまう。マニュアルとか練習コースなんてものはない。ジェイソンはよくこなしていた。彼は本当に危機に対応してくれたんだ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    ジェイソンは信じられないくらいポジティブなエネルギーを持っていて、火の玉みたいだった。入ってくると、とても献身的で準備万端だった。しかるべきアティチュードを持ち合わせていたし、化学反応、人格、楽器への取り組み方は本当にユニークなものだった。彼はクリフから180度転換なんてできなかったし、「クリフ・ジュニア」みたいな代わりにはしたくなかった。ジェイソンはやり遂げるヤツだと直感したのを覚えているよ。

    −『Master of Puppets』の曲を書き始めた時から、ジェイソン・ニューステッドと共にしたアルバム・ツアーの終わりまで、あなた方のわずか2年間の人生、されどいろんなことが起きた時期がBOXセットには収録されています。この時期についてどう思いますか?

    カーク・ハメット
    バンドの未来についての責任が俺たちに突き付けられた。1986年9月まではバンドの将来は超バラ色に見えた。でも10月からは再び弾けるのかどうかさえわからなかった。兄弟を喪って、精神的にも感情的にもいろんなものを抱えることを強いられた。そして俺たちは大きく成長した。次のツアーでは少し成熟したからね。集中していたし、うまくやっていたとも思う。
    そして、うまくいくっていう願望から『...And Justice For All』ができた。


    −クリフ・バートンはかつて「Master of Puppets」がメタリカで好きな曲で、バンド史上最高の曲だと言っていました。バンドで一番リクエストされた曲であり、あなた方が一番弾いた曲になっています。なぜこの曲の人気が続いているのだと思いますか?

    カーク・ハメット
    あの曲で多くの素晴らしい感情を反芻している。曲の中間部は本当に独特の雰囲気がある。超ヘヴィで良いエネルギーがある。そして、たくさんの感情を持っている。「Master of Puppets」を聴いたり弾いたりすると、俺は何かが清められたように感じるんだ。最高の音楽ってそういうもんだよ。何かを得たり、感情的な何かを取り除くのを助けてくれる。「Master of Puppets」は信じられないほど精神浄化してくれる曲なんだ。みんなが前に向ける必要のある何かを自分のことにように感じて心を打つ。あの曲はそれができる。だから後になっても、さらに良く感じるんじゃないかな。

    RollingStone(2017-11-09)

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    メタリカ、『Master of Puppets』のリマスターについて語る(上)

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    メタリカを脱退してから、紆余曲折を経て絵画制作と地元でのアコースティックバンドでの活動を行っているジェイソン・ニューステッド。2017年10月19日にプエルトリコでのハリケーン被害への支援のために開催されたコンサートで「Turn The Page」を披露。


    さらにモンタナにある自宅を495万ドルで売り出したと話題になっていました。


    最近ではフロリダ州ジュピターで音楽と絵画制作を行っていることが多いというジェイソン。近況を語るロングインタビューがジュピターの地元紙に掲載されていましたので管理人拙訳にて紹介します。
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    ニューステッドは言う。「お気に入りのバンドに参加できたんだ。俺は本当にマジでラッキーだよ。世界も5回廻れた。15年間夢のような状態にいると想像してみてくれ。それが俺の経験をまとめる唯一の方法なんだ。あまりに楽しすぎたと言えば十分だろう。」

    (中略)

    広範囲にわたるワールドツアーの生活から離れたニューステッドの現在の状況は、もう少し組織立って個人的な天職を探求することを可能にしている。彼は1年を通して自分の時間をカリフォルニア、ミシガン、モンタナ、ジュピターで過ごしている。4つの場所のうち、ジュピターはジェイソンが最も長居している場所だ。必要な癒しと自分のペースで創造性の歯止めを解くことに集中できるからだと断言する。

    ニューステッドは言う。「毎年ますますここで過ごすようになっている。ロードに出て15年間、第一線のツアー生活という狂気を過ごしていたから、ここは全てのものから距離を置くための場所なんだ。自分が落ち着いてリセットする場所になっている。ほどなく一年中ここにいる自分が見えるよ。」

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    ニューステッドのフロリダとの結びつきは根深く、ジュピターよりもはるかに広がっている。11歳でミシガン州のナイルズとカラマズーで暮らしていた彼は、家族がザファーヒルズにドライブしてニューステッドの祖父母のロイドとデルマを訪ねた時に初めてフロリダ州に触れた。祖父母は当時、フロリダ州西部の街でトレーラーハウスを買っていた。数年後、ニューステッドの父、ロバートは退職後にゼファーヒルズの同じトレーラーハウスに移り住み、ロイドとデルマの面倒を見た。

    (中略)

    その後、フロリダの東海岸周辺をメタリカがツアーで廻ると、ニューステッドはオフの日には家族を訪ねた。ロイドとデルマの名前が入ったメタリカのゴールドアルバム、プラチナムアルバムを壁に飾って孫のことを誇りに思う祖父母を見ることは彼に大きな達成感をもたらした。彼は90年代の終わりに祖父母を訪ねるためにフリーウェイとフロリダズ・ターンパイクを行ったり来たりして、ジュピターの出口を頻繁に通り抜け、説明のつかない繋がりを感じていたことを思い出していた。ニューステッドは断言する。「ジュピターという場所に住むことについて、何か潜在的に夢想していたものがあったんだ。ある種の魅力がある。」

    (中略)

    しかしジュピターがどんな場所であろうとも、この伝説的アーティストは自分を見出したり見失ったりする。もっと言えば、彼はいつも創造的エンジンに燃料を供給し、残りは紙の上の全てのインク、さらに最近ではキャンパス上のペイントに向いている。ニューステッドは信条を明らかにする。「俺はここにいるってことを証明するために毎日何かをしなければならない。それは1枚のペインティング、5枚の絵画、6枚のドローイング、1つの曲、6つの曲、あるいはめちゃくちゃビールを飲んだ地元のヤツと一緒に即席のセッションをすることだったりする。俺はそれを記録しようとするんだ。俺は20歳の頃から全てを記録し、さまざまな形で行ってきた。俺はその日の記録を残すことができるようになるために、その日にしたことを(何かしらの形で)示す。もし参照したり、追体験したりする必要があれば、すぐそこにあるってわけだ。」

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    ニューステッドにとって絵画は音楽と同じ高さに達する情熱だ。2004年、ニューステッドはレコーディングセッション中に落下したベースのアンプヘッドを掴もうとして肩のケガを負った。手術が必要となり、長い回復過程が続いた。この間、ニューステッドは「内なるものを外に出す」必要があることを思い出し、さまざまな方法を試すうちに、絵を描くことに変わっていった。彼は自分の「カラフルでクレイジーな絵」が、その時点で作っていた「カラフルでクレイジーな音楽」と同じように感じている。ブラシをキャンバスにすべらすことが、ニューステッドが肩のケガを癒す時間を過ごすための単なる気晴らしではないことが分かった。その時、絵を描くことへの飢えは収まることがなかったのだ。

    彼は一見「いつもそこにある」この才能を磨き、展示会に値する数々の作品を作った後、ニューステッドは2010年5月5日、カリフォルニア州サンフランシスコで最初の個展を開いた。

    (中略)

    アートショーが行われる限り、ニューステッドのスケジュールは埋まっている。彼は昨年5月にアートニューヨークで開催された「RAWK」展で、展示作品の9割を著名かつ世間に認められた国際的なコレクターに販売し成功を収めた。短期間だが2017年12月1日から2018年2月3日までレイクワースにあるパームビーチ・カルチュアル・カウンシルのロバート・M・モンゴメリージュニアビルで彼の作品が公開される予定だ。2017年12月5日のアート・マイアミでも大きな存在感を示すことになるだろう。

    (中略)

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    ニューステッドは楽器との長きにわたる関係をよくわかっている。メタリカの前にも後にも彼の運命は常にベースギター、リズムギター、あるいはドラムによる演奏やレコーディングと関わってきた。彼の軌跡はフロットサム・アンド・ジェットサム(Flotsam and Jetsam)からメタリカ、エコーブレイン(Echobrain)からヴォイヴォド(Voivod)、ニューステッド(Newsted)からフーケアズ(WhoCares)、ロックスター・スーパーノヴァ(Rock Star Supernova)から一時的にではあるもののオジー・オズボーンやティナ・ターナーとまでコラボしている。

    今日ではニューステッドはアコースティックギターとの関係を育んでおり、ジェイソン・ニューステッド&チョップハウス・バンドとして知られる彼が結成したフォークバンドのリードヴォーカリストの役割を担っている。この名前は1992年にカリフォルニア州サンフランシスコにニューステッドが設立したレーベルから派生したもので、ニューステッドの『Heavy Metal Music』EPがレコーディングされたところだ。チョップハウス・バンドのレパートリーには、ジョニー・キャッシュ、ジョージ・ジョーンズ、トム・ウェイツ、ニール・ヤング、ボブ・ディラン、ジェイソン・イッセルといった伝説的アーティストのフォークソングのカヴァーが含まれている。

    (中略)

    ニューステッドによると、このプロジェクトは実際新たにしており、グループメンバーは絶えず流動的だ。彼らは継続的なツアースケジュールを立てていないが、これはニューステッドの外部契約に起因するところだ。ただしチョップハウス・バンドはアメリカ全土でショーを行っている。(中略)そのあいだにニューステッドはチョップハウス・バンドのセットリストに曲を加えるためだけでなく、近い将来アルバムのレコーディングできればとオリジナル曲を書き始めている。

    InJupiter(2017-10-30)
    音楽や絵画といった創作活動で得た収益の一部は各財団・慈善団体を通じて音楽・環境教育に寄付しているとのこと。

    引用記事中にも出てきたジェイソンの『RAWK』展は今後もアメリカ各地で巡回を予定しており、パームビーチでの展示を控えて冊子で特集が行われていました。
    JasonNewsted_2017_00

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    JasonNewsted_2017_02
    JasonNewsted_2017_03

    以下、ジェイソン・ニューステッドの『RAWK』展の巡回予定。
    Dec 1, 2017 - Feb 3, 2018
    Newsted exhibits his collection at the The Robert M. Montgomery, Jr. Building Main Gallery of the Cultural Council of the Palm Beaches (open to the public).

    601 Lake Avenue, Lake Worth, FL 33460

    (561) 471-2901 | www.palmbeachculture.com
    Dec 5 - 10, 2017
    Newsted’s art exhibit at Art Miami
    (see website for ticket information).

    One Herald Plaza @ NE 14TH Street, Miami, FL 33132

    1-800-376-5850 | www.artmiamifair.com
    Jan 11 - 15, 2018
    Newsted shows his art at Palm Beach Modern
    + Contemporary art fair.

    824 S Dixie Hwy @ Okeechobee Blvd, West Palm Beach, FL 33401

    (305) 517-7977 | www.artpbfair.com
    Feb 15 - 19, 2018
    Newsted exhibits his collection at Art Wynwood
    (see website for ticket information).

    One Herald Plaza @ NE 14TH Street, Miami, FL 33132

    (305) 517-7977 | www.artwynwood.com
    Feb (TBD)
    Private showing of Newsted’s art at Arcature
    Fine Art Gallery

    318 Worth Avenue, Palm Beach, FL 33480

    (561) 805-9388 | www.artnet.com/galleries/arcature-fine-art/

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    メタリカ草創期最大の功労者のひとり、ブライアン・スレイゲルが自らのレーベルMetal Bladeを興し、音楽に身を捧げた半生を綴った『For the Sake of Heaviness: The History of Metal Blade Records』を2017年8月29日に上梓。

    ForTheSakeOfHeaviness

    この著書の中でクリフ・バートン、ジェイソン・ニューステッドをメタリカ加入に繋げた逸話について語られていました。billboardの抜粋記事を管理人拙訳にてご紹介します。

    1982年の後半、私(ブライアン・スレイゲル)は『Metal Massacre II』をリリースしようと楽曲を集めていた。受け取った投稿のひとつにサンフランシスコのトラウマ(Trauma)というバンドからの3曲入りデモがあった。かなり専門的に録音されていて、彼らのマネジメントは(訳注:ハリウッドの伝説的クラブ)トルバドール(Troubadour)でショーをするためにやってきたのだと私に告げていた。そして私に彼らを見に来たらどうだと提案されたのだ。

    ショーに出かけた結果、バンドはまぁよかったが驚くべきものはなかった。ただベーシストはこの世のものとは思えないものだった。彼がいるステージ側では何かが完全に狂っているのを見る事ができた。青いデニムのベストとベルボトムを着ていて、本当に飛び抜けている。私は彼の名前がクリフ・バートンだということを掴んだ。

    クリフには大層感銘を受けてね。トラウマの「Such a Shame」を『Metal Massacre II』に収録することを承諾した。それがリリースされる少し前に、私はラーズ・ウルリッヒと出会って、彼から「新しいベーシストが必要なんだ」と聞かされたんだ。

    Trauma Such a Shame


    より多くの練習して、ミュージシャンとしての各々の能力を磨き始めてみて、メタリカのメンバーはベーシストのロン・マクガヴニーだけが進展していない唯一のメンバーだと気が付いてしまった。ロンは素晴らしい男だったし、すごくクールではあったが、ラーズは自分たちが書いていた新しい楽曲からすると、ロンは技術的観点からそこまでに達していなかったと私に話していた。そしてラーズは私に他に誰かピッタリの人物を知っているか尋ねたんだ。

    私はこう答えた。「そういえば、サンフランシスコのトラウマってバンドのベーシストは目を見張るものがあったね。彼らはまた別のショーでやって来るから、行ってチェックしてみるべきだよ。」とね。

    トラウマの次のLAのショーでラーズとジェイムズに会った。ライヴが始まって5分くらいで、ラーズは私に向かって笑みを浮かべて「あいつが俺たちの新しいベーシストになる」と言っていたよ。

    ・・・新しいバンドを見つけるための主な情報源のひとつは、Metal Bladeに所属する他のバンドたちからだった。例えば、ビッチ(Bitch)がフェニックスでショーをするために出ていて、戻ってきたら彼らがこう言うんだ。「俺たちの前座がフロットサム・アンド・ジェットサム(Flotsam and Jetsam)ってバンドだったんだけど、あいつらすごいぞ。チェックするべきだよ。」

    彼らは当時『Metal Shock』というデモテープを持っていたんだが、私はそれを聴いて恋に落ちたね。それから彼らのライヴを観るためにフェニックスに行ったんだ。彼らはビッチが言っていたようにすごかった。フェニックス滞在中にそのエリアのもうひとつのバンド、セイクレッド・ライク(Sacred Reich)を見出し、Metal Bladeの名簿にサインすることになった。

    当時、レーベルには熟練のバンドがたくさんいたけど、フロットサムのメンバーは既存のバンドよりも経験豊かなようだった。私はすぐにレコードを作るという考えについて彼らと話した。我々には提供する資金があったおかげで、アルバム『Doomsday for the Deceiver』をレコーディングして1986年7月にリリースできた。

    doomsday
    Doomsday for the Deceiver


    フロットサムのアルバムに費やした1万2000ドルはそれまでにレコードに投資した最大の予算だった。我々は彼らが素晴らしい未来の可能性を秘めていると信じていたから、本当に良いと思っていたんだ。実際、それは非常にうまくいった。

    メタリカのクリフ・バートンがその年の後半に悲劇的な死を遂げた時、私はラーズ・ウルリッヒから電話をもらった。「あぁ、ベーシストが必要なんだ」と悲しそうに言っていた。それはクリフが死んでちょうど2週間後のことだった。「誰か知ってる?」私はすでにアーマード・セイント(Armored Saint)のジョーイ・ヴェラが(メタリカ加入に)興味がないと言うのを聞くまでは彼を(メタリカのベーシストに)と考えていた。ラーズがその質問をした時、私はすぐにフロットサム・アンド・ジェットサムでプレイしていたジェイソン・ニューステッドを考え付いた。「キミのために完璧な男を私は知っている」そう彼に言ったんだ。

    同じ頃、エレクトラのA&Rでメタリカとサインをしたマイケル・アラゴがフロットサムのレコードを聴いて、本当に気に入っていた。マイケルと私は双方ともメタリカのメンバーにその楽曲を送っていたんだ。「うん、彼は面白そうだ。俺たちに繋げてくれないか?」と彼らが言ったんで「もちろん、最初に彼に話をさせてくれ。彼が(メタリカ加入に)興味を持っているか確認したい。」と答えたよ。

    私はジェイソンがメタリカの大ファンだということを知っていた。私が電話した時、彼は心底びっくりしていた。でも彼が難しい立場にあるということも言えた。フロットサム・アンド・ジェットサムは彼のバンドだった。彼が曲を書き、全てのことをこなしていた。私にとっても少々ほろ苦いものだった。素晴らしいバンド(フロットサム・アンド・ジェットサム)が素晴らしいレコードを出したばかりなのにってね。でもメタリカのメンバーたちは私の良い友人だったし、彼らにとって明らかにジェイソンは完璧にハマる人物だった。私はジェイソンにとっても、メタリカにとっても、ベストなことを望んでいたが、それを実現するためには何かを失うということもわかっていた。

    「一晩考えさせてくれ」ジェイソンはそう私に言った。翌日、彼は私に電話をして、メタリカ加入の道に進むことを私に告げた。彼はメタリカのために私が引っ張ってきた2番目のベーシストだった。しかし私は物事がどのように進む可能性があるか彼に正確に伝えた。なんと言おうが彼はまだ若く、23歳の子供だったからね。ジェイソンは本当に賢かったが、このメンバーの移行というのは彼にとって簡単なものではないということを私はわかっていた。彼は自分で全てをコントロールしていたバンドからメタリカに行ったんだ。そこでは何についてもコントロールできない。私はこう言ったのをハッキリと覚えているよ。「このバンドにはジェイムズとラーズがいるということを知っておく必要がある。キミは何も言えないだろう。キミはただのベーシストになる。キミはそれでOKとしなければならない。何も貢献できないかもしれない。バンドの方向性に関して何の介入もできないだろう。キミはステージに立ってただベースを弾くことになる。」

    彼は最初はそれでよかったが、15年後に彼がバンドを去る主な理由のひとつはわかっている。身体的にボロボロになっていた事実を除けば、自分自身の楽曲を書き、自分自身のことをすることができなかったということだ。彼は自分の運命をコントロールしたいと思っていた。でも彼が持ちえた功績とキャリアがどれだけ素晴らしいものだったか!

    ジェイソンと彼らを繋ぎ合わせたことは、私とメタリカとの正式な関係の終焉を告げることとなった。我々はいつも親しい友人のままだし、彼らはいつも彼らのキャリア面においてMetal Bladeが果たした役割について信じられないほど感謝してくれている。私がジェイムズに会うたびに、彼は「俺たちにスタートの機会を与えてくれてありがとう。もしあなたがいなければ・・・」と言ってくれるんだから。

    billboard(2017-08-21)

    今回の上梓された著書についてラーズとジェイムズは次のようなコメントを寄せています。

    ラーズ・ウルリッヒ
    Metal Bladeはハードロック界 いつもシーンの最前線に立ち、時代と共に歩み、連勝街道ひた走り、動きの中に身を置き、全ての競合相手より生き永らえた。もちろん、Metal Bladeの中心はブライアン・スレイゲルだ・・・ブライアンの情熱、信頼性、メタルに関する全てのものへの献身は尋常じゃない。
    ジェイムズ・ヘットフィールド
    ブライアンって人はいつも・・・この種の音楽にあまりにも多くのことを果たしてきたから、俺は彼に最高の敬意を持っているよ。レコード業界の浮き沈みや音楽の人気の浮き沈みを通じて、ブライアンは戦い続けて、自らが正しいと感じることを続けているんだ。

    ForTheSakeOfHeaviness
    For The Sake Of Heaviness : The History of Metal Blade Records


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    ニューヨークで行われている国際現代美術展に参加しているジェイソン・ニューステッドがLoudwireの「Wikipediaに書いていることは本当か嘘か」を質問する人気企画「Wikipedia: Fact or Fiction?」に登場。

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    メタリカ加入時のオーディションや初来日の際に起きた「ワサビの洗礼」エピソードを語ってくれました。管理人拙訳にてご紹介。

    −メタリカのオーディションで、50人以上のミュージシャンが参加する中、あなたは密かにバンドのセットリストを手に入れて、それを練習してラーズに成果を見せた。あなたが(メタリカの)あらゆる曲を知っていたことにラーズは驚いたとありますが?

    うーん。あの当時、12月にオジーと共にしていたツアーでどんなセットリストを演奏していたかを把握することは難しいことじゃない。本当に(メタリカとして)ギグをしたいと思って彼らの曲を準備しようとするなら、一緒にやろうとする曲は大事な秘密ってわけじゃないし、把握することは難しいことじゃなかった。引き金を引くと決めたなら、自身の力を発揮できるに足るだけのセットリストは準備しておくし、知っておいてしかるべきだよ。

    本当なのは(メタリカ以前に所属していた)フロットサム・アンド・ジェットサムの俺の手描きのロゴが一番上に書かれたノートに、彼らが俺の地元で最後にライヴを行った時にやった曲を順番に書いていたってことだね。ドラム越しにラーズにそのノートを手渡して、ラーズがロゴとリストを見てる時に、俺は書いてある曲なら知ってるって言ったんだよ。そしたら彼が「そりゃすげぇ、クール!」と言って、じゃあ一緒にこれとこれとこれをやろうとなった。そうして一緒に演奏して数日後に電話があったのさ。

    クリフのご両親がいらしたんだ。(ラーズの父)トーベンもいた。まだご両親とも健在で俺に非常によくしてくれた。彼らが全員来る時に俺が戻って来て、二度目にお会いした時にはハグをして欲しいと。ジャン・バートン(クリフの母)はすぐに俺を抱きしめて「あなたという存在は一人しかいない。みんなもそう。どうか無事でいて。」と言ってくれたんだ。


    −メタリカはあなたをだましてワサビの塊を食べさせて洗礼を浴びせたとありますが?

    真実に遠からずってとこかな。バンドに入って11日で日本でツアーを行った。メタリカが日本でツアーをするのがそれが初めてだった。それで俺たちは飲んで飲んで飲みまくり、パーティー、パーティーだ。それでカークがこう言うんだ。ジェイソン、これはミントアイスクリームだとね。俺は泥酔していて、アイスはすぐ溶けるだろうとか言ったんだけど、このミントはすげぇから絶対試した方がいいよって言われてね。それで俺はOKってスプーン一杯頂いたんだ。箸は使えなかったからね。口にしたら「Fuuuuuuuuuuck!!!!」
    jason_mint

    そこで座ってふと気がついて見上げたら、テーブルには知らねぇヤツがいる。みんないなくなってしまったんだ。でもテーブルは満員。ロードクルーのヤツらやその場にいた人たちが俺のいるテーブルへみんなを呼んでいたんだ。終いには気がついたらアジアの女の子や知らない人たちでテーブルが埋まっていた。知っているヤツがいないか見回したよ。支払いは俺だって。あの当時、円相場が強くてね。俺は週500ドルもらえていた。ベースを弾いてサンドイッチを食べてビールを飲むには大金だよね。ハッピーだ。そういう状況だった。彼らは俺に週500ドル渡していたんだ。でも支払い請求を見たらゼロがずーーーーっと並んでいるんだ。
    jason_bill

    俺は支払い請求を見て、こんな最悪な夕食に誰もいないのかと思った。そしたらアイツら上の方から俺の顔を見てやがったんだ(笑)当時のマネージャーのボビーが降りてきて、(大丈夫だと)俺の背中を叩いて支払いを済ませたのさ。参ったね。それがワサビストーリーの全貌だよ。

    インタビュー全編はこちらから。上記のエピソードの他にキッスのジーン・シモンズに影響を受けてギターからベースに転向した話やプロデューサー、ボブ・ロックについて語っています。


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    ジェイソン・ニューステッドが2017年5月3日から7日にかけて行われた「Art Miami」主催の現代美術展、第3回「Art New York」と第2回「CONTEXT New York」に『RAWK』というタイトルの絵画作品12点を出展。50か国、150以上のギャラリー、1200人以上のアーティストが参加する国際現代美術展へのデビューを果たしたジェイソンにGuitarWorldがインタビューを行いました。アートとの関わりやメタリカについて語っています。管理人拙訳にてご紹介。

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    写真は同展示にて『ROCKERS』というシルクスクリーン作品を出展したロックフォトグラファー、ボブ・グルーエンと。

    −今年のArt New Yorkにはどのような経緯で関わるようになったのでしょうか?

    Art Miamiのオーナーと会う機会があってね。彼はメタルが大好きで、会った時に俺が手がけた絵をいくつか見せたら招待してくれたんだ。それで俺はここ数週間、アメリカのさまざまな場所を旅行してきて、過去7、8年のなかからキャンバスを持ってきた。国際展なんて初めてのことで、俺はとても興奮しているよ。

    −アートは子供の頃からいつも興味を持っていたものだったんでしょうか?

    若い頃、農村部で育って、そういう授業を受けていたよ。そこでアクリル絵の具と色を混ぜるということに出会ったんだ。それから3年ほど経って音楽に衝撃を受けて、がっつり30年もの間はその他全てのことが二の次になってしまった。

    −絵を描くことに戻ったのはいつ頃ですか?

    いったんメタリカに入って、その他のプロジェクトに取り掛かり始めると、俺はいつもいろんなことをやって、たくさんの機材の周りを動き回って自分をメチャクチャ忙しくしていた。(結局)俺は肩を痛めて手術が必要になってしまった。回復している間、俺がこれまで慣れ親しんだやり方で楽器を演奏することができなくなっていた。両手を必要に応じて使うことを練習しなくちゃならなかったんだ。俺にとって、音楽はフルタイムでやるものだった。それが出来なくなった時、俺はいつも音楽に注入していた創造的なエネルギーの全てを両手を使うことで放出し始めた。

    俺は片腕でモンタナにある牧場をやっていた。そして納屋に行って塗装する必要があると思ったんだ。そこで古いドラムヘッドとそこらにあった塗るもの−ラスト・オリウム(訳注:防錆塗料)と緑と黄色のジョンディアのトラクターをみつけた。それからスノーブラシに色を染み込ませて、塗装していたものの上に塗料をぶちまけたんだ。

    丸や顔や形をかたどるためにキャンバスにさえ触れる必要のないところまで行ってしまったんだ。それが始まりだった。それから両手の状態も良くなって、キャンバスにもっと触れ始めた。だからイカしたメタル・モンスターからキャンバスの上へとエネルギーが転移したんだ。作品を持っている人たちは、絵が音楽のように見えるというのがほぼ一致した意見だ。


    −創造的なプロセスにおいて、あなたが一番好きなところは何ですか?

    (自分の手で描かれて)出てくる生き物、色、タペストリーのイメージは、目の前にするまで自分の心の中にも存在しているとはわからなかったものなんだ。自分の中から飛び出して、他の目で見ているような感覚なんだよ。実際の意図されたものなんてのも決してない。どこから始まってどこで終わるのか決してわからないんだけど、出てくるものはいつも楽しい驚きなんだよ。

    −絵画作品に土を混ぜるというアイデアはどこから来たんですか?

    そういうことをたくさんやっていたジャン・デュビュッフェ(訳注:20世紀のフランス画家)の多くの影響を受けたんだ。(塗料を)適切な配合で砂の中に混ぜると、成形したり彫刻したりできるペーストになる。どんな色が飛び出してくるのか全く予測不可能なんだ。

    −最初に正式な芸術作品に触れたのは何でしたか?

    俺はラーズに真剣にしかるべき敬意を伝えるつもりだ。彼は国際的な教育環境にあったんで、早くから本当にクールな作品に触れてきた。彼の家に初めて行った時のことを覚えているよ。彼は子供のアートのようなゲーム部屋にそういう額縁の絵を飾っていた。実は精神的な障害を持つ大人によって描かれたアートなんだと俺に言ったんだ。俺にとってすごい新鮮で、本当に面白かったね。それで階を上ると、彼が結局売ることになったあのバスキアの絵(訳注:映画『Some Kind Of Monster』でも登場する「Profit I」)があった。ストーブの上に日用雑貨のように掛けてあったよ(笑)。本当に大きくて、あの簡潔さと複雑さが魅力的だった。ラーズを通じて俺は多くの人たちに紹介された。だからこの作品を披露することで、彼に対して最敬礼しようとしているんだ。


    −音楽について少しお話させてください。Newstedの後、あなたは音楽活動を休んで、ソーシャルメディアから離れました。そのような決断に至ったのは何だったのですか?

    もともと、自分で50歳になったら自らに何かを証明しなければならないと自問していた。だからNewstedのためにたくさんのものを結集して曲を書いた。それに没頭して楽しい時間を過ごし、たくさんのことを学んだ。いったんやってみると、俺はソーシャルメディア全体に流れる雰囲気と不誠実さに少し落胆した。そうすることになったのは、俺はいつだってプライベート・ガイ(人前に出たがらないヤツ)だったってことだ。

    でも去年はChophouse Bandでアコースティック・ベースを携えて30回、今年はフロリダで同じ衣装でさまざまな音楽仲間といくつかのショーをやった。同じ雰囲気と強さ、そしてちょっと違う感覚だね。曲を集めてギターをプレイすることは、まだ俺にとってとても重要なことなんだ。


    −あなたがメタリカと共にあった時間で、最も印象的なことは何ですか?

    その質問をされると、加入した初期の先駆的なことが思い浮かぶ。パッと思いつくのは、それまで俺たちみたいな音楽をやったことないような場所で俺たちが初めてやったということだね。1986年に日本に行った時のように、何が起こるのか知らないような人たちの頭を吹き飛ばすんだ。以前にそういう音楽を演奏したことのない国々に行って、そこの人たちに来てもらうというのは最良の方法だった。そういう壁を壊して、それ以降に起こる全てのことのための道を開いたんだ。

    GuitarWorld(2017-05-02)

    展示に参加したジェイソンのその他の写真はこちらから。
    http://www.pacificpressagency.com/galleries/20194/jason-newsted-debuts-his-artwork-at-art-new-york-

    以下、関連リンク。

    Art New York
    http://www.artnyfair.com/

    CONTEXT New York
    http://www.contextnyfair.com/home

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    Metal InjectionのPodcastにてジェイソン・ニューステッドがインタビューを受けていました。ジェイムズ・ヘットフィールドがマイクのトラブルに見舞われたグラミー賞でのメタリカとレディー・ガガの共演について語っています。こちらもUltimateGuitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    livecast-newsted

    うん、あのパフォーマンスは観たよ。俺は彼らの兄弟として、同志を支持する観客として観たんだ。だからファンとして俺は本当に頭にきたよ・・・あの機材トラブルという無礼な扱いにはね。あれは俺には了解しがたいものだった。本当にクソだよ。でも彼らにとってチャンスを得る何かを持っているなら、賛同しようがしまいが、俺たちがとやかく言うべきことじゃない。もしレディー・ガガほどの才能に恵まれ、パワフルな誰かと一緒にやるチャンスを得たいと思えば、そうすべきだ。彼らは彼女と同じ器の持ち主なんだ。彼女は彼らと一緒にやれてラッキーだったね。

    俺たちはこのことをペチャクチャと議論できるけど、あのパフォーマンスの勝利は、機材がヘマったことでジェイムズとレディー・ガガがあの瞬間を強いられて、お互いにエネルギーを出し合い、経験豊かなスーパースター・パフォーマーとしての地位を上げられたことだね。20何回だかのリハーサルをして彼らが計画していたものより、もっとパワフルなパフォーマンスになった。彼らはあの機会を盛り上げて、互いをこれまでの自分たちよりもずっと先の地平に押しやったんだよ。素晴らしかったね・・・。あれは大きな大きな輝かしい王冠もののパフォーマンスだよ。人が何で出来ているかを示したんだ。あんなクソみたいな状況になったら、あんな逆境を与えられたら、パフォーマーの大部分は(訳注:失禁か冷や汗で)水たまりのなかにいることになっただろうね。


    UltimateGuitar.com(2017-05-02)

    フル尺のインタビューはこちらから。
    http://www.metalinjection.net/podcasts/livecast/livecast-409

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    UltimateGuitar.comにてジェイソン・ニューステッドがNEWSTEDの解散について語っていました。管理人拙訳にてご紹介します。

    jasonnewsted2017

    (自らのプロジェクト、NEWSTEDについて)良いこともあれば悪いこともあった。お金の面に関して言えば、全ての職責を負って、作曲して歌って演奏して全ての費用を払っていた。あまりにも大きな負荷だったんだ。

    良いことで言えば、ショーがとてもうまくいって、とても良く受け入れられたってことだね。ヨーロッパのショーは素晴らしいものだったし、ソニスフィアやダウンロード・フェスティバルでアイアン・メイデンのオープニング・アクトっていう良い機会にも恵まれた。あれは最高だったよ。自分ではおそらく予測できなかった敬意が表れていた。メタリカとヴォイヴォドに続くバンドの世代からリスペクトされてきた。俺たちはそんなこと知らずにみんなに教えていたんだな。

    自分の50歳の誕生日にNEWSTEDバンドをやったことで、俺にもまだ根性がある、自分の半分の年齢に人たちにショーをやって、ステージを走り回ることができると証明できた。俺にはまだそれができるとわかっていたし、自分自身に対してそれを証明しなければならなかった。俺たちがバンドを始めた時、マイク・ミューショックのような才能を持ったヤツとプレイできたことで触発されて、みんなに見てもらいたいと思ったんだ。

    ライヴをやった22ヶ国にNEWSTEDバンドを連れて行くにはとんでもないお金、数十万ドルはかかった。でも自分が学んだ教訓だとか、俺たちに示された敬意だとか、バンドの絆にはそれだけの価値があったよ。でもビジネスは今、俺が知ってたものとはずいぶん違って厳しいものだった。だから続けることができなかったんだ。


    UltimateGuitar.com(2017-04-01)

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    ジェイソン・ニューステッド、メタリカの新譜とロバート・トゥルージロのベースについて語る

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    ジェイソン・ニューステッドがUltimateGuitar.comのインタビューでメタリカの『Hardwired...To Self-Destruct』について語っていました。管理人拙訳にてご紹介します。

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    −『Hardwired...To Self-Destruct』について

    これまでの他のアルバムとはちょっと違うね。ロバート(・トゥルージロ)はとんでもなくすごいベーシストだし、相変わらず素晴らしいベーシストだ。彼のことは少なくとも25年以上知ってる。いつだって素晴らしい。俺は(ロバートが)インフェクシャス(・グルーヴス)のレコードは全部持っていたし、インフェクシャスのTシャツも着ていたんだ。落ち込むよ。彼のことはいつだって尊敬しているんだ。そんな彼があそこに入って彼らと一緒にあんなサウンドを作っただって?ごきげんよう!健闘を祈る!この最新作は、彼らがなにか元の歩みに戻ってきた気がして、ここに本質的な何かがあるんだと俺は感じるよ。

    −ニューステッド脱退後のメタリカのアルバムにおいてロバート・トゥルージロのベースによって何か変わったことがあるか

    (訳注:映画『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』『グローバル・メタル』の監督)サム・ダンのロバートへのインタビューを見たとき、彼は曲のパート(「Spit Out The Bone」のベース・パート)を引っ張り出していたね。それは4秒か7秒くらいのベースの演奏だった。ディストーションが効いてて、あのレミーのサウンドを得ようとしていて、ほとんど到達しているようだった。まぁ、俺が言えるのは、ジェイソン・サウンドはマーシャルのベース・アンプってことだね。もしピックで演奏しないなら、俺がヘヴィにスウィングしていたところだ。俺はベーシストとして指では演奏しないから、いつもクレイジーな抵抗を受けてきたんだ。スコアボードを見てくれ。

    ピックで演奏することに関して言えば、攻撃性と(ピックによる)アタックから来る音色は、指では得ることができない。同様にピックではできないけど、指ではできる箇所はたくさんある。俺はそれを称賛するよ。

    でもあのサウンドを相応しいものにするには(攻撃的なノイズで)チャン、チャン、チャン、ガンカ!ガンカ!ってアタックと細断するようなピッキングだね。それは特定のドライブを備えた特定のアンプを通じた、ベースの弦に対する特定の効果じゃないといけない。そしてそれはフェンダーではごまかせない。良いサウンドだけど、(アナウンサーのような生真面目な声で)ロック・アンド・ロールになりえるんだ。

    もし彼があの時にそうしてたら、本当にクレイジーな(ピックの)アタックになりえたと思う。これは非難じゃない、そう取らないでくれ。もし俺が変更した1つのセクションを聴いたら、どんな曲であってもそういうセクションになっただろう。俺はこう言ってただろうね。「おい、ちょっとピックを試してくれ。10秒間ピックで演奏してくれ、そうすればお望みの有効な手段を得られるよ」ってね。以上だ。じゃなきゃ、そんなに時間を費やしていないよ。

    UltimateGuitar.com(2017-03-24)
    ジェイソンがインタビュー中に言及したサム・ダンによるロバートのインタビューはこちら。


    ジェイソンのピック弾きのこだわりを知るとともに、もしかしたら『Hardwired...To Self-Destruct』収録曲を自分のベースで試し弾きしていたんじゃ・・・と思ってしまうインタビューでした。

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