メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

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    バンクーバーのラジオ局「CFOX」のインタビューにてカーク・ハメットがジョー・サトリアーニから受けたギターレッスンについて語ってくれました。BLABBERMOUTH.NETの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。
    kirkhammettmetallicacfox2017

    −ジョー・サトリアーニのギターレッスンを受けるきっかけについて

    1981年に彼からレッスンを受けた。俺たちは前からお互いに知っていてね。カリフォルニア州のバークレーにある小さな音楽店でレッスンをしていたんだ。俺の友だちみんなが彼からレッスンを受けていて、彼らは文字通り一晩でとてつもないほどのギタリストになっていた。だから俺は彼をみつけて言ったんだよ。「俺も一晩でとてつもないほどのギタリストになりたい」ってね。それでしばらくのあいだ、約1年ほど彼からレッスンを受けたんだ。

    −ジョー・サトリアーニの最初のギターレッスンについて

    実際にはとても厳しいものだった。最初のレッスンではこうだ。「自分の課題を学べ。キミの時間を無駄にするな。俺の時間を無駄にするな。一週間で俺がキミに与えたもの全てがわかるようになる。」俺はもう「この人はマジだ。」って感じだった。でもどうなったか?俺はレッスンを受けてめった打ちだった。でもしばらくすると、俺は彼から週2回のレッスンを受けていたんだ。彼が用意した課題に対して俺は喉から手が出るほど切望するようになっていた。「さぁ来い!なるほどそういうことか!もっと学びたい!」って感じだったよ。

    ジョー・サトリアーニはいつもそういう風にプレーしていたと言わなきゃならないね。俺が初めて会って以来、彼はずっととてつもないプレイをしていたよ。誰もやったことないような、おそらくいまだに演奏されないような全ての音、全ての小節、タッピング、クレイジーなフレーズ。つまり彼はミュージシャンとして、それくらいユニークで個性的な人なんだ。


    BLABBERMOUTH.NET(2017-08-17)

    ちなみに2016年の「Classic Rock」誌のインタビューでジョー・サトリアーニは生徒としてのカーク・ハメットについて次のように語っています(管理人拙訳)。
    才能と熱意でいっぱいの子どもだったよ。カークは素晴らしい生徒だった。とても学習意欲があってね。彼の指は大きく動いていた。マイケル・シェンカーやウリ・ジョン・ロートみたいなギタリストのように素晴らしいセンスを持っていたよ。彼は間違いなく音楽の才能がある。

    BLABBERMOUTH.NET(2017-08-17)

    インタビュー全編はこちら。『Hardwired...To Self-Destruct』でやってて一番エキサイティングな曲は「Halo On Fire」であることやピーボディ・エセックス博物館で行われているカークのホラー映画ポスターコレクション展「It's Alive!」について語っています。


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    カーク・ハメットの映画ポスターコレクション展「It's Alive」プレビュー
    2017年8月、ピーボディ・エセックス博物館にてカーク・ハメット所蔵の映画ポスター展開催

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    Podcast番組「Alphabetallica」にて行われたメタリカのベーシスト、故クリフ・バートンの父親、レイ・バートンのインタビュー。Ultimate-Guitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    ray_james

    −受け取っている印税について

    私が受け取っている印税から、彼(クリフ)が通っていた高校、カストロバレー高校の音楽教育のために奨学金として寄付しています。だから奨学金を受け取った子供たちはそのことについて私に感謝している。

    クリフもおそらく自分のお金でそういうことをしていたでしょう。彼は何が何でも教育に逆らっていたわけじゃないですからね。学ぶことが大好きだったので。


    −クリフ・バートンが初めてメタリカで収入を得た時について

    あのアルバム(メタリカのデビューアルバム『Kill 'Em All』)がどんな意味を持つかなんて全く考えたことがなかった。クリフが初めて印税の小切手を受け取った時、これは大事になる可能性があると気付いたのです。

    たしか1500ドルでした。彼(クリフ)は「母さん、父さん、これが俺が初めて受け取った印税小切手だ。さぁ今夜はディナーに連れて行くよ。」と言ってね。「OK、では行こう!」と。カストロバレーのすぐそばにあるヘイワードで、彼が大好きなお寿司の店に行ったんです。それが将来大きくなるかもしれないと思った最初の出来事だったかもしれない。


    −メタリカとしてのクリフ、そして現在のメタリカについて

    ジェイムズとラーズ、そしてデイヴ・ムステインを初めて観たのは、サンフランシスコのストーンでのライヴでした。(妻の)ジャンと私はクリフが新しいバンドで演奏するのを観に行き、彼らはとてもうまく行っていた。彼らは皆、止まらないモップのような髪の毛をしていて、とても楽しませてくれる。そして素晴らしいことに、彼らはいまだに楽しませてくれます。

    私はメタリカのコンサートに行くのが大好きです。音楽は私の好きな(ジャズの)ビッグバンドではないけれども、面白い。音楽というものは楽しいものであるべきで、彼らは確かにそうですからね。

    ジェイムズはシンガーとしてもフロントマンとしても素晴らしい仕事をしている。彼はまさしく完璧な適任者です。一度、彼に高校でチアリーダーだったか訊いたことを覚えてますよ。大笑いしてましたね。彼はチアリーダーとは程遠かったと。

    いつも私を驚かせてくれました。言ってみれば、とても無口で目立たなかった子が、まず素晴らしいギタリストへと変化を遂げて、自身のヘヴィメタルの曲を歌い、群衆を巻き込むようになったのですから。

    −息子クリフ・バートンについて

    彼は格別の子どもだった。私たちにとっては一人の良い人間でしかなかったけど、彼は決して私たちに何か問題を起こすようなことはなかった。ドラッグにはハマっていなかった。ただ、ビールとアルコール類は例外でした。

    一度だけ彼が(友人でドラマーの)デヴィッド・ディドナートと酔っぱらって帰ってきてね・・・(笑)深夜2時にドアがノックされて、(クリフの母親の)ジャンが応対に出た。すると会話が聞こえてくる。ジャンが「レイ、こっちに来て!」と言うので、起きて行ってみると家のなかでデヴィッドがクリフと取っ組み合いをしていた。私たちはクリフを彼の部屋に連れて行った。彼はひどく酔っぱらっていたよ!(笑)

    とにかくジャンは全てのことを心配していた。だから私はジャンに「何回かあったことだから、後は私がやるよ。ベッドに戻りなさい。」と言ってね。クリフをベッドに座らせると、シャツを脱がせて彼が寝る準備をして。彼は18歳かそこらでした。

    私が彼のシャツを脱がせて寝させると、彼は顔に酔った笑みを浮かべて「あなたは世界で最高の父さんだ!」と(笑)アルコールでどうなってしまうのかというのは面白いものだね。

    そんな風に私が本当に素敵な父親であるかのように扱われたから、私はいつもそうあり続けた。もちろん、それは私がそうなりたい、そうしようと思っていたところですが。

    母親、父親との関係にとても好意的な子どもを持つと、子どもについて何もとやかく言えないものだよ。まさにそれがジャンと私の場合でした。

    Ultimate-Guitar.com(2017-08-09)

    インタビュー全編はこちらから。


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    クリフ・バートンの父、メタリカ加入時のクリフの様子を語る

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    Podcast番組「Alphabetallica」にて行われたメタリカのベーシスト、故クリフ・バートンの父親、レイ・バートンのインタビュー。Ultimate-Guitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    ray burton

    −メタリカ加入時のクリフの様子について

    おそらく1982年かそのくらい、83年だったかもしれない。息子は(母親の)ジャンと私のところにやってきて、「母さん、父さん、5年間サポートしてくれて本当にありがとう。」と言ったんだ。私たちはそれほどではないにしても確かに彼をサポートすることができた。すると息子は「もしうまくいかなかったら、スタジオ・ミュージシャンになろうと思うんだ」と言っていた。

    それは彼が私たちに提案したものだった。もちろん私たちは「思うようにやりなさい!外に出て試してみなさい。私たちは出来る限りオマエをサポートするつもりだ。」と言ったよ。それはかなりうまいこといった。

    クリフが生きていたら、どうだっただろうとよく考える。彼が好きだった音楽をいまだに演奏しているであろう姿がありありと目に浮かぶね。


    一度、彼にスタンダードなベース演奏について口にしたことがある。彼は「そうだね、それについては考えていたんだ。いつかはそれに取り組むよ。」と言っていた。このことは彼が音楽の演奏能力を広げようと考えることができることを私に示してくれた。

    −メタリカに加入してクリフは変わったか

    クリフはまったく変わらなかったよ。彼はとても謙虚な人間だった。彼は人気が出た時のロック・ミュージシャンがなるみたいな調子付くタイプが気に入らなかった。

    ヘヴィメタルを荒々しくプレイすることが好きなだけで、決して変わることはなかった。彼は道やレストランで高校の友だちに会ったら、椅子から立ち上がって彼らに挨拶に行くだろう。常にその点で変わったことがないんだ。いつも友だちに感謝していた。だから全く変わらなかったんだろう。

    彼はジャンとかなり頻繁に電話で話をしていた。何回か私が彼と話したことはあったが、彼女が一番彼と話していた人だったね。彼ら(メタリカ)は見事にやってのけた。サポートを得られたのは素晴らしいことだ。彼はそれをとても感謝していたよ。


    Ultimate-Guitar.com(2017-07-28)

    インタビュー全編はこちらから。



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    メタリカ、『Master Of Puppets』30周年記念フォトブック『Metallica: Back to the Front』の新たな紹介動画を公開

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    前回の続き。「Metal Hammer」2016年6月号のインタビューを管理人拙訳にてご紹介。

    metallica_earlydays

    ■No Remorse

    ラーズ
    「No Remorse」はかなり飾りつけされた曲なんだ。俺たちが最初にこの曲や「Phantom Lord」「Four Horsemen」「Seek & Destroy」を書いた時からね。でもあの曲は他の曲の制作と劇的な違いはないよ。明確なヴィジョンがあった。いったん何かがうまくいけば、うまくいった。「やべぇ、俺たちスゴイな。もう何も変える必要はない」とはいかなかったけどね。でも何かがうまくいけば、うまくいったんだ。

    全てが本能的で直情的で瞬間的なものだった。今、腰を据えてレコードを制作していて、一日とかひと月とか自分のレーダーでもって全てのものを見ていくと、別物の選択肢が重なり合ったものなんだ。過重な負担がかかって、どうしたらいいかと腰を据えて考えているとこうさ。「クソッ、カリフォルニアのエルセリートでジェイムズとデイヴ・ムステインといた時は全てが簡単に事が運んだのに。俺たちは30分のレコードを作るのに、午後の半日でやべぇ曲を書いてたじゃないか」とかいった戯言だよ。本当はそう容易くはなかった。でもそうやって曲を練っているよ。


    ■Seek & Destroy

    ラーズ
    あのメインのリフはヘットフィールドの定番のリフだね。デモ・ヴァージョンだと、「Seek & Destroy」は2つのコード、2つのヴァージョンで中間部もちょっとだった。メタリカの受けた影響について語る時に欠くことのできないバンドのひとつがマーシフル・フェイトだ。彼らには全く違う雰囲気とダイナミズム、光と影を持った長い曲があった。彼らには俺たちの曲を長くした責任があるよ。マーシフル・フェイトを聴きだして半年もする頃には、俺たちは追加の節、追加のコーラスを加えて、アレンジをもっと長くし始めた。もっと良くしようとしていたんだよ。そう思う。

    −35年後もまだその曲を演奏しているという意識はありましたか?

    ラーズ
    (笑)意識していなかった、一切ない。全くないね。俺が俺がと打ち鳴らすことなく、いつも等しく楽曲を扱っていた。「Seek & Destroy」以前の曲に俺たちはそう感じていた。あの曲以後、良い曲として扱った。俺たちがやらなかったひとつは、たくさんの曲から選ぶということだった。『Kill 'Em All』は1983年に俺たちにあったベスト10曲なんじゃない。1983年時点であった10曲なんだ。他のバンドのインタビューを読んだらこうさ。「あぁ、俺たちは20曲を書いて、レコードのために10曲を選んだ」それは俺たちのやり方じゃなかった。レコードに収録するのに十分良い曲が書けなかったらどうするんだ?『Ride The Lightning』のために残しておいた7曲なんてものはなかった。全てのシングル曲は俺たちが書いて聴けているものなんだ。

    ■Metal Militia

    ラーズ
    間違いなく「Metal Militia」みたいな曲はその後数年に渡って思い浮かべてきたものとは違った歌詞の雰囲気を持っていたね(笑)。「レザーとメタルが俺たちのユニフォーム(Leather and metal are our uniforms)」だぜ?35年後には冗談みたいなことになってるぞって教えてやりたいね。でも1980年代初頭のカリフォルニア南部でそんな皮肉は多くはなかったよ。すごいマジになりすぎた例のひとつだね。18歳でなんとかしようともがき、理解しようと努めていたんだ。HR/HMで別世界の詩的なものを書くヤツはそう多くはなかった。歌詞の主題はほとんど音楽の次の話だ。歌詞は楽曲が続くようにそこにあったってだけだったよ。

    −かなり早い段階でバンドはそういった歌詞から離れて行ったと言ってもいいでしょうか?

    ラーズ
    それが正確だと言っていいだろうね。自分たちがやっていることを理解し始めて、意図的にヘヴィメタルの決まり文句からは離れて行ったよ。剣とか魔術のイメージ、革と鋲とかそういったもの全てからね。次の一連の曲を書く時までに、恐怖とか操作とか逃れることのできない状況に陥れられたというアイデアとかいったことを取り上げ始めたんだ。

    カーク
    俺たちは曲を録り終えて、グレイハウンドのバスに乗って急いでサンフランシスコに戻ったんだ。素晴らしい気分だったね。ついにアルバムを作って、ビニール盤になって、実際にそれをつかんで、アルバムジャケットを見て、どれだけ興奮しているか帰途に着く間ずっとクリフと話したのを覚えているよ。ふと彼はこう言っていたよ。「2ndアルバムはどうなるんだろうな?3rdアルバムはどうなるんだろうな?」ってね。

    −『Ride The Lightning』が『Kill 'Em All』の1年と2日後に出されました。最近ではあのペースは恋しいですか?

    カーク
    もしやるとなったら、どうなるかわからないな。あのペースは今じゃ相当早いよ。他にもやることはたくさんあるからね。一日24時間しかないんだ。メタリカに6時間を充てて、14時間を他のことに充てる。18歳の頃より52歳になった今では他にもやらなきゃならないことがたくさんあるんだよ。

    Metal Hammer 2016年6月号より

    まだまだカークには語られていないクリフとのエピソードがありそうです。昨年、「Metal Militia」がセットリストに組まれることが増えたのは、もしかしたらリマスター盤の制作段階で改めて演ってみたいとラーズが思ったのかもしれませんね。

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    前回の続き。「Metal Hammer」2016年6月号のインタビューを管理人拙訳にてご紹介。

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    ■Jump In The Fire

    ラーズ
    あの曲は「Mechanix」みたいに元々はセックスを暗示していたんだ。でもそれはデイヴ・ムステインのものだった。彼はクールで自信家だったし、クールな髪型をしていた。俺たちが連れ立って彼のアパートに行くと、そこには女の子たちがいた。ジェイムズと俺が風変わりでちょっと不器用で剥奪されたティーンエイジャーだった頃、彼は世界の男の中の男だったんだ。

    −あなた方は曲について議論したりしましたか?

    ラーズ
    俺の記憶ではないかな。それは新たなメタリカのレコードを制作している今、俺たちが苦労しているところだ。俺たちに議論は必要ないけど、さらに良くするためにたくさんの意見があるからね。ジェイムズがリフを弾いている時にはいつも、もっと速く弾くこともできるし、ゆっくり弾くこともできる。半分の時間でも弾けるし、スラッシュメタルのスタイルでも弾ける。俺たちはそこで言うんだ。「こうしてみよう、ああしてみよう・・・ドロップDで弾いてみよう・・・俺はそこでスラッシュビートで叩いてみよう」とかね。そこで腰を据えて、こういう全ての意見を頭の中にグルグル巡らせるんだ。始めのうちはこういう選択肢を持つなんてことは覚えていないな。俺たちはただこなしたってだけだった。

    ■(Anesthesia) Pulling Teeth

    ラーズ
    Anesthesiaは、ただ「Bass Solo」と呼ばれる代わりに1曲に見せかけたベースソロだった。ギーザー・バトラーがブラック・サバスでやっていたようにね。彼は気の利いたクールなタイトルをつけたんだ。

    カーク
    彼が何者とも離れてベースソロをレコーディングしていたのを覚えているよ。彼は何もない上の階の空き部屋に行って、たった独りで、彼とアンプだけで立っていたんだ。みんながすぐ下のコントロールルームで彼の音を捉えていた一方、俺は彼を観ていた。15分か20分後、彼は音を正しくチューニングしてから俺を見てこう言ったんだ。「出て行ってくれ、これから演ろうとしているから」それから彼は一服してハイになって、かがんでビールを飲んでいた。俺は急いでそこから立ち去ったよ。

    −クリフのバンドへの音楽的な影響は何だったと思いますか?

    ラーズ
    クリフは別の音楽的背景をもっていた。彼はダイアモンド・ヘッドが誰なのか知らなかったし、タイガース・オブ・パンタンも知らなかった(訳注:いずれもメタリカに影響を及ぼしたNWOBHMのバンド)。彼は腰を据えてレーナード・スキナードやイーグルスやイエスやサイモン&ガーファンクルを聴いていた。俺はサイモン&ガーファンクルは知っていたけど、聴いたことはなかった。聴いたことがあっても、それとわかる前にスイッチを切っていただろうね。『Kill 'Em All』で彼は作曲を担ってはいなかった。彼が加入した時にはもう全ての曲は基本的にどうするか形になっていたからね。でも彼の影響と貢献は、『Ride The Lightning』の楽曲でかなり重大になっていくんだ。

    カーク
    クリフは音楽を勉強していた。彼は俺なんかより音楽的なレベルが違った。俺が理解できなかった概念があると、彼はそれを知っていて俺に説明してくれたんだ。関係調とかその他もろもろをね。

    ■Whiplash

    ラーズ
    Whiplashで俺たちはできる限り速く、理に適うように努めた。俺たちが聴いていて、「Whiplash」に影響を及ぼしたのはヴェノムだった。最初のレコード(『Welcome To Hell』(1981年))の「Angel Dust」「Live Like An Angel (Die Like A Devil)」は、大きなインスピレーションになった。彼らはモーターヘッドがやっていたようなエネルギーとスピードでもって、よりヘヴィメタルにしたんだ。モーターヘッドはもう少しパンク寄りのアティテュードだったからね。メタリカの草創期の話をする時、ヴェノムはもっとその名前を持ち出す必要があるね。

    −バンドの誰がメタリカを最高速度まで押し上げたのですか?

    ラーズ
    俺たちみんなで一緒にやったことだよ。ただ腰を据えて「俺がこうやった、アイツがああやった」っていうものじゃない。俺たちは同じビールを飲み、同じ酷い食べ物を食べ、同じ音楽を聴いた。18、19歳の頃みたいにね。俺はこれについて誰か1人が他の誰かよりも重要な位置を占めたとは思わない。俺たちはただもっとヘヴィでもっとファストで度を越したものにしようとしていただけなんだ。

    ■Phantom Lord

    ラーズ
    あきらかに俺たちがやったことは全てイギリスのサウンドを使って、2つのギターっていうイギリスで行われていたようなやり方だった。アメリカではもともと全部、1つのギターでもうちょっとルーズだった。(俺たちには)誘導灯があった。ダイアモンド・ヘッドの『Lightning To The Nations』、モーターヘッドの『Overkill』『Ace Of Spades』『No Sleep 'Til Hammersmith』・・・アイアン・メイデンの1stレコード、ジューダス・プリーストの『British Steel』、サクソンの『Wheels Of Steel』、タイガース・オブ・パンタンの『Wild Cat』・・・これらは俺たちがやってきたものに流れ込んだ青写真なんだ。

    Metal Hammer 2016年6月号より

    続きはまた後日。

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    ラーズ・ウルリッヒ、『Kill 'Em All』『Ride The Lightning』の制作秘話を語る

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    ジェイムズ・ヘットフィールド表紙の「Metal Hammer」2016年6月号にて、ラーズ・ウルリッヒとカーク・ハメットが『Kill 'Em All』レコーディング時を振り返るインタビューが掲載されていました。収録曲について語られているところを管理人の抜粋拙訳にてご紹介。

    metalhammer201606

    ■Hit The Lights

    ラーズ
    この曲について議論するつもりはないよ。『Kill 'Em All』のヴァージョンは基本的に2つの曲の融合なんだ。ヘットフィールドが序奏部分とコーラス部分をレザー・チャーム(Leather Charm)っていうバンドで彼が以前やっていたものから持ってきたんだ。もう半分は俺が以前にやっていたものを持ってきた。3つのヴァースと3つのコーラスの後、新たなリフとファッキンなジャムのアウトロでもって別次元に持っていくんだ。

    カーク
    俺がメタリカで初めて演った曲だね。バンドに入ってまだ3週間しか経ってなかった。バンドのオーディションのために4月第2週に飛んで来た。月曜に着いて、金曜日に初めてのショーを演った。週に2、3回のショーを演ったから、俺は(バンドに加入する)準備万端さ。誰も俺に違うって言わないもんだから、俺はこのバンドにいなきゃいけないんだって悟ったんだ。

    −典型的なメタリカの作曲風景はどんな感じですか?互いに座ってレノン&マッカートニーのようにイチから曲を作っていくのですか?それともみんなで違うパートを持ち寄って、うまいことくっつけていたのですか?

    ラーズ
    (笑)レノン&マッカートニーは外しておくべきだね。いやいや、間違いなく後者だよ。もっと断片的なものなんだ。ジェイムズがアイデアを持っていて、俺もアイデアを持っている。ついにはムステインもアイデアが浮かぶって具合だ。それから、そう、そういったアイデアを一緒にくっつけていき、ピッキングのアイデアを少々加えたり、ヘヴィにしたり、ファストにしたりして、エネルギーと若いパンクな熱情を注入して、このメタリカってやつが出来たんだ。

    ■The Four Horsemen

    ラーズ
    デイヴが以前のバンド、パニック(Panic)から持ってきた。ジャムだったり、大きな絵図だったり、そういうものをね。「The Four Horsemen」って曲は初期ヴァージョンは「Mechanix」と呼ばれていた。それは文字通りセックスについての曲だった。ガソリンスタンドでホースをガスタンクに突き刺すように見せかけた性交渉の歌詞だった。当時、俺にはとても意味があるようには思えなかった。でもそういったことは俺たちが距離を置きたがっていた当時のハードロックバンドで歌われていたセックスにまつわることだってことはわかっていた。ちょっと考えたら明らかだ。ウィッチファインド(Witchfynde)(訳注:NWOBHMのバンド)の1stアルバムにあんなものはないってね。

    −あなた方の作っていた音楽は当時のアメリカン・ロック、メタルに起きていた他の全てのことに対する意識的な反応だったんですか?

    ラーズ
    当時のメタリカについて話す時、「逆」って言葉を使わなきゃならない。やる気のないものをやろうとすることはそう多くない。だいたい「俺たちはあんなこと絶対に好きじゃないから、これをやろう」って具合だ。これをやりたくない、あれをやりたくない、アメリカのバンドがやってるようなことはやりたくない、こんなやり方で曲を書くなんてしたくない。(そうして)俺たち自身の音をみつけたんだ。

    −他の誰かのパートを弾いていると感じたことはありますか?

    カーク
    まぁ少しはね。演奏するには心強いと感じるに十分な楽曲が近くにあったわけだけど、他の誰かの音楽を弾いていると感じたことはある。以前弾かれていたものに張り合おうと努めていたよ。でもそう上手くはできていなかったけどね!(笑)

    ■Motorbreath

    ラーズ
    「Motorbreath」はヘットフィールドが(モーターヘッドではない)他の何かから持ってきたものだ。それを俺たちでヘヴィで速いものにしたんだ。「Motorbreath」にある「Motor」って言葉は、モーターヘッドの「Motor」とは関係していないと思う。純粋に偶然に起きたことだよ。

    −もし『Kill 'Em All』のレコーディング半ばのスタジオに我々が踏み入れることができたらどんな臭いがしましたか?

    ラーズ
    勘弁してくれよ・・・たぶん安いビール、脂っこい食べ物、汗まみれの脇、キツい臭いのタバコだよ。俺たちの安全地帯、サンフランシスコのベイエリアとは遠く離れたニューヨーク北部のロチェスターにいた。バレット・アレイ(Barrett Alley)っていう家具倉庫みたいな場所に4、5週間滞在した。金もなくて、全てが困難だった。手に入る一番安くて酷いビールを飲み、最悪のファストフードを食べ、クリフと他の何人かがタバコを吸うわけだ。俺たちはただの二十歳の鼻タレ小僧で、ぶっ倒れるまでロックするぞってだけだった。

    カーク
    俺たちはどこかに滞在することになっていたんだけど、結局他のヤツの家にやっかいになることになった。そいつはスタジオで働いているゲイリー・ゼフティング(Gary Zefting)って名前の男だった。そこに2、3週間はいたよ。俺たちは彼の家をすっかりぶっ壊しちまった。

    Metal Hammer 2016年6月号より

    家を借りていたゲイリー・ゼフティングについては、『Kill 'Em All』のライナーノーツで謝罪を入れています(笑)

    kea_linernotes

    続きはまた後日。

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    ディスカバリーチャンネルのナレーターやテレビ司会者、そして学業支援財団の創設者として知られるマイク・ロウが、本人を前にしてジェイムズ・ヘットフィールドのことをラーズ・ウルリッヒと間違えてしまったことをFacebook上で懺悔して話題を呼んでいました。懺悔エントリーを管理人拙訳にてご紹介。

    James+Hetfield+Lars+Ulrich

    地元バンドのある男

    親愛なるジェイムズへ

    すまない、私はバカみたいだ。普通、自分がバカだと感じても、その気持ちは時と共に落ち着いてしまう。でも我々が会った昨日の午前中、あなたが実際に何者かわかってから頭が真っ白になった。その後、自分をバカだと思う気持ちはずっと残り続けるどころか、明日のこの時間も自分がどれだけバカだったのか感じるであろう所までに達している。

    ホントのところ、私は通常、顔と名前の覚えは良い方なんだ。特に過去35年間、私を楽しませてくれた人たちに関しては。だいたい私が伝説的な(私が多くの曲を覚えている)バンドを観に出かけていたら、数年後に通りで見かけても、その人がリードシンガーだとわかる。でもあきらかに数杯のミモザカクテルを飲んだ暖かい土曜日の後とあっては、その能力をもはや持ち合わせていなかったんだ。テリアの雑種である私のマヌケな犬が伝説的なロックスターにただ挨拶するために攻撃をしかけようとしたのと同じく、私は一時的にバカな状態になっていたんだ。

    とにかくあなたが私の財団について優しく言葉をかけてくれたことについて感謝の意を述べたい。私はとても光栄です。それに謝りたいです。あなたをちゃんと認識していなかっただけでなく、あなたの前にいたブエノスアイレス出身のあなたのかわいい姪っ子さんも認識していなかったことに。彼女にとっては、ロックンロールの歴史における最も偉大なシンガーのひとりである自分の叔父さんが精神異常の犬を連れたどこの誰かもわからない男に自己紹介するようなところを観て、とても不思議だったに違いないんだ。特にあなたにとっては愉快なことだったことでしょう。私の脳内シナプスが悪い情報を放ち始めて、頭に浮かんだ最初の名前、ラーズ・ウルリッヒとあなたのことを呼んで埋め合わせようとした時には。

    こんなことを言っても何の足しになるかわからないが、私はメタリカがラーズ・ウルリッヒ以外の人たちでも構成されていることを知っている。でも今週初めに誰かが私にラーズが近所に住んでいると話すのを聞いていたから、メタリカのリードシンガーと話しているのだとようやくわかった時に頭に浮かんだ名前が彼の名前だったんだ。要は、私はあなたのことをラーズと呼ぶ前からあなたがラーズでないことはわかっていたんだが、とにもかくにもあなたのことをラーズと呼んでしまった。これには前述のバカさ加減と私自身の記憶を辿る遅さを思い返した次第だ。とにかく我々がまた会った時にはちゃんと誰であるかを把握している。約束するよ。

    一方で、当分の間このことは私のお気に入りのしくじった出会いとして持ちこたえることになりそうだ。そこで私が詳細を忘れないよう、記憶がハッキリしているうちに後世のために我々の会話を記しておく。

    ---------
    屋外。昼近く。たくさんのタトゥーのある黒いサングラスをかけた大柄の男が通りの向こうから、マイク・ロウがミモザを飲んでいる屋外のテーブルに向かって歩いてくる。

    タトゥーの大男:邪魔して申し訳ない。あなたはマイク・ロウですか?
    マイク・ロウ:そうです。
    タトゥーの大男:あなたのショーを楽しんでいるのをただ伝えたかったんだ。あなたのやっている熟練の仕事は本当に素晴らしいと思うよ。
    フレディ(犬):ワン!ワン!ワン!ガウ!グルルルル!ガウ!ワン!ワン!ワン!
    マイク・ロウ:フレディ、黙りなさい。悪い子だな!すいません。あなたは地元の方?
    タトゥーの大男:この辺に住んでいるよ。ソフィアはアルゼンチン出身だけど。
    フレディ(犬):ワン!ワン!ワン!ガウ!グルルルル!ガウ!
    マイク・ロウ:それはいいですね。アルゼンチンのどこに?
    ソフィア:ブエノスアイレス。
    マイク・ロウ:数年前に行ったよ。綺麗な場所だよね。
    ソフィア:うん、そうなの。
    マイク・ロウ:この辺りで何をやってるの?
    タトゥーの大男:地元のバンドで演奏をしているよ。
    マイク・ロウ:クール!地元のバンドは大好きだよ。どんな音楽を?
    タトゥーの大男:ロックンロールを。
    マイク・ロウ:素晴らしい。何と言うバンドを?
    タトゥーの大男:メタリカ。
    フレディ(犬):ワン!ワン!ワン!ガウ!グルルルル!ガウ!ウ〜
    マイク・ロウ:なんてこった、もちろん知ってるよ。あなたはラーズ・ウルリッヒか。これは失礼した。この辺りに住んでいると聞いてたんだ。会えて嬉しいよ。
    タトゥーの大男:俺の名前はジェイムズだよ。ジェイムズ・ヘットフィールド。
    ---------

    とにかくありがとうジェイムズ。挨拶してくれたり、私のトレーニングがあっという間に過ぎるような曲を書いたりしてくれて。レコードストアデイ大使になったこともとてもクールだ。ラスプーチン・ミュージックでのギグも最高だったと聞いているよ。お元気で。

    マイクより

    追伸:あなたの姪っ子さんには私があなた方のレコードは全て持っていることを保証するよ。
    追々伸:ラーズにはあなたの前には輝かしい未来があると思っていることを伝えてください。

    mikerowe
    ※訳注:ミモザカクテルを前に意気消沈するマイク・ロウ

    Facebook(2016-04-18)

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    久しぶりの更新は小ネタから。eBayでロン・マクガヴニーが所有していた高校年鑑(イヤーブック)が売りに出されていました。気付いたときには入札期限終わってしまっていましたが、まだ落札はされていないようなので、再出品されるかもしれません。
    ※卒業アルバムかと思ってましたが、年次で作成されるものだそうです。

    yearbook01

    商品説明を管理人拙訳にて。

    私はロン・マクガヴニーの高校年鑑を売りに出しました。もうご存知かもしれませんが、ロンはジェイムズ・ヘットフィールドの高校の親友でした。ロンは1982年の草創期のメタリカでベースを弾いていました。

    この本は1979年にロンとジェイムズが高校2年のときのもので、写真の通り、なかにはジェイムズによるサインとエピソードが書かれています。私は2004年にロンがこの本を売っていたときに入手しました。ロンとジェイムズが学校で作った写真撮影プロジェクトのコピーも付いています。

    この本は透明なビニールブックカバー付きで、2004年に受け取った時と同じように非常にいい状態です。感謝と幸運を。良き入札を!

    商品画像はこんな感じ。
    yearbook02

    yearbook03

    yearbook04

    ジェイムズがロンに向けて書いたメッセージを文字起こし。
    RON,
    AEROSMITH RULES!!
    ABOUT THE ONLY GROUPS WE
    BOTH LIKED ARE UFO AND
    ZEPPELIN. ACOUSTIC GUITAR
    ARE OK. BUT ELECTRIC GUITAR ARE
    BETTER. KEEP UP THE GUITARING.
    SEE YA NEXT YEAR!

    James Hetfield

    エアロスミス、UFO、ツェッペリン。当時のジェイムズの音楽的嗜好がモロに表れている非常に微笑ましいメッセージです。本来こういうものはロンが自分で持っているべきだと思うんだけど・・・

    じきに消えてしまうかもしれませんが、出品ページはこちらから。
    http://www.ebay.com/itm/Metallica-High-School-Year-Book-/191232021873?pt=LH_DefaultDomain_2&hash=item2c86511571

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