メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:インフェクシャス・グルーヴス

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    2016年5月25日に公開されたMetClub会報誌「So What!」の電子版で、ロバート・トゥルージロが新譜やバンドメンバーとのエピソードについて語っています。管理人拙訳にて抜粋してご紹介。

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    −言うまでもなく、スタジオで仕事が行われているわけだけど、何かここでちょっとだけプレビューしてもらってもいいかい?

    うんうん。HQ(訳注:新譜制作を行っているサンフランシスコのスタジオ、Metallica HQ)はまさに今、大忙しのメタリカ・ニューアルバム・マシーンだよ。今言えるのは、ジェイムズと俺が先週バッキング・ボーカルをやって楽しく過ごしたってことだね。たぶんこのアルバム制作サイクルの間でも一番楽しかったんじゃないかな。あれを仕事と呼んでいいのかなってくらい。あのコーラスを吐き出すことが出来たのは超楽しかった。彼は顔に大きな笑みを浮かべていたし、自分もそうだった。あんなレベルでやることなんてこれまで考えもしなかったから、あれはいつまででも覚えているだろうね。つまり、ここでいくつかのことをやったけど、彼と一緒にボーカル・ブースにいるっていうのは俺にとっては初めてのことだったんだ。かなりクールだったね。最高だよ。ベースサウンドは圧倒的だ。確実にこのバンドと俺がやってきたなかでベストなベースサウンドだと言えるよ。すでに俺にとってそのことはプラスだね。(プロデューサーを務める)グレッグ(・フィデルマン)が俺の楽器のサウンドでやってくれたことに俺は誇りに思うし、俺がやった演奏にも誇りを持っているよ。俺たちは楽しんでいる。

    (中略)

    −難解な質問をしてみるよ。ボクはラーズとジェイムズがいつも彼らの人生のためにバンドの状況を確定させているということに魅了されているんだ。彼らにとってそれは、違うエネルギーを持つためのほぼ不可欠なことになっていると思う?ハッキリさせておきたいんだけど、キミほどハードな労働倫理をもっている人は見たことないと思っているよ。特にこのバンドに関して、リハーサルに関して言えば、同じ曲を何時間もずっとやってるからね。だからこれは労働倫理についてのコメントじゃなくて、取り組み方についてのコメントとして回答して欲しいんだ。キミは(ヒッピーのようにならずとも)渓谷で見たかもしれない波とか鳥に真の美しさと重大さを見出すような人でしょう?彼らはバンドでのキミのエネルギーの「流れ」を持つことになって、ラッキーだと思うんじゃないかと。

    俺もそう思う。ジェイムズにとってそれは重要なことだ。俺のやり方のままでいること、いわば俺が幸せだってことを彼は理解しようとして敬意を払ってくれていると思う。メタリカのロバート・トゥルージロがミュージシャンとしてやっていることに幸せを感じているか、メタリカでミュージシャンとしてやっていることに幸せを感じているかということが彼にとって重要なんだと思う。でも彼は俺の音楽的)出自や俺がやってきたことに対しても敬意を払っている。彼はインフェクシャス・グルーヴスの音楽が好きなんだ。あのバンドでの俺のスタイルを気に入っている。とりわけインフェクシャス・グルーヴスでのスタイルがメタリカになくちゃならないスタイルとまでは言わないけどね。それは違う。そういうことじゃなくて、ラーズもそうなんだけど、彼はスイサイダルとかインフェクシャスについて良いものを称賛することに興味があるんだ。ひょっとしたら彼のお気に入りTOP10アルバムにスイサイダル・テンデンシーズの『The Art of Rebellion』が入ってるかもしれない。彼が俺をあのアルバムに引き戻してくれたんだ。俺はあのレコードについては忘れてしまっていてね。彼があのレコードの収録曲の1つについて話していたんだけど、俺は何について話しているかわからなかったんだ。あまりに前のことだからさ。それから彼はケント(HQのエンジニア)にスタジオのPAシステムで(その曲を)かけてもらったんだ。それから俺が聴いたらこうさ。「あぁクソッ、こりゃいいなぁ」突如、俺に記憶が甦ってきた。可笑しかったのは、1時間後にスタジオから家路まで運転していて、あの曲は俺が書いたんだと気付いたんだ。実際に自分が書いた曲だってことを認識できていなかったんだよ。

    −それは何て曲?

    「Accept My Sacrifice」。(元々は)ラーズが俺をあの曲に引き戻したんだ!

    (後略)

    Metallica.com(2016-05-25)

    ちなみにエピソードで出てきた「Accept My Sacrifice」はこちら。

    Suicidal Tendencies - Accept My Sacrifice



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    2014年9月6日「Warwick Open Day」で行われたロバート・トゥルージロとデイヴィッド・エレフソンとのインタビュー対談。前回の続きを管理人拙訳にてどうぞ。



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    デイヴィッド・エレフソン(以下、DE)
    ひとつ聞きたいことがあるんだけど、キミがフラメンコギターを演奏するのをネット動画でみたんだ。キミのフラメンコギターの経歴はどういうものなの?



    ロバート・トゥルージロ(以下、RT
    フラメンコは俺が赤子の頃から聴いてきた最初の音楽じゃないかな。父親がフラメンコを弾いていたからね。趣味目的だったけど、いつも弾いていたよ。彼の弾くこの手の音楽を聴いてきたんだ。彼の指のテクニックも明らかにすごかったよ。指がね。だから俺がアコースティックギターを抱えると、すぐにああいうのを弾き始めちゃうんだ。ある時に気付いたんだけど、よりベースが突き動かされている音楽の方に俺は惹きつけられているんだ。


    DE
    あれがキミのベース・テクニックに生かされているのかな?


    RT
    そう、俺のベース・テクニックにね。でもある時、もっとリズミックな楽器なんだと気付いたんだ。ベースとかドラムというのは、本当に俺にピッタリなんだ。最初ドラマーになりたかったんだけど、住んでいたアパートではドラムキットも置くことも大きな音を鳴らすのもままならなかった。アンプが効かなくなった窪んだ形のベースギターを持っている父親の友だちがいてね、でも窪んでいたからこそ、俺はそれを弾くことができたんだ。一年くらいは弾いていたよ、スケールとかを学びながらね・・・そうして今の自分がいるんだ。


    DE
    (カメラの方を向いて)下の階だな、ヤツは「Holy Wars」を指で刻んでやがる。

    RT
    俺もやったよ!あれはこれまででお気に入りのリフのひとつだね。この男に会うたびにいつもこうさ。「あんなのどうやって書いたんだ?」


    DE
    「ほら、Holy Wars弾いてくれよ!」ってね(笑)でもピックをくれよ。俺にはピックが必要なんだ。

    RT
    俺も聞きたいことがある!

    DE
    どうぞ。

    RT
    昔は南カリフォルニアから出てきたリフにいつも惹きつけられてたんだ。ヘットフィールド、ムステイン、ケリー・キング、ジェフ・ハンネマンといった具合にね。イギリスのバーミンガムに似ていた。あそこから出てきたヘヴィリフには、ブラック・サバスやプリーストとかその他いろいろいた。あの当時、俺はあの場にいなかった。ロサンゼルスで暮らしていたし、俺はキミらより少しばかり若かった。俺は数年後に(南カリフォルニアに)やってきた。あれには衝撃を受けたよ。キミらがああいう魔法のようなヘヴィネスを創りだしていた頃、南カリフォルニアのストリートのあのエネルギーは何なんだ?って。出身地から来るスピリットなのか、ストリート文化と「コンクリート・ジャングル」のなかで育ってきた経験からなのか?


    DE
    俺がどう思うかっていうとね。1983年にミネソタからLAに引っ越してきた。メガデスのようなことが何か起きないかと希望を持ってね。ダメだったらB.I.T.(音楽大学ミュージシャンズ・インスティチュートのベース科)に入ろうとしていた。どんな親も子供が行こうとしている学校を知りたがるからね。

    RT
    俺も音楽学校に行っていたよ。

    DE
    ロスに着いて、俺はデイヴ(ムステイン)の下の階のアパートの一室に引っ越してきた。それでアイツの部屋のドアをノックして「俺たちとビールを飲まないか」ってね、伝えられているところによれば・・・。アイツと腰を下ろしたら、アイツはギターを弾き始めた。それは「Megadeath」という曲だった。それは3rdアルバムに「Set The World Afire」に形を変えて収録された。でもあのリフも『Ride The Lightning』の収録曲みたいなあの「スパイダーパターン」もこういった全ての曲はずっと前にアイツが書いたものなんだ。本当にクールだったよ。パンクとメタルを取り込んだ何かだと言えるからね。俺はこの年代のグループは、サバスとプリーストのレコードで育ったと思う。でもデッド・ケネディーズ、セックス・ピストルズのレコードも持っていた。あれはスラッシュメタルを生み出したエネルギーだった。デイヴは俺たちはLAのクラブでは二度とやらないって言っていたのを覚えているよ。ところが俺はヴァン・ヘイレンみたいなバンドやこういうLAのクラブでやっていた音楽しか聴いてこなかった。引っ越してきたら、アイツはこうさ。「俺たちはこの辺りのクラブじゃ二度とやらねぇ」アイツがウイスキー・ア・ゴー・ゴーでサクソンとやったばかりだったからじゃないかな、だから彼はこう言ったんだ。「俺たちはベイエリアに行くぞ」って。そうして俺たちはベイエリアに行って根を下ろしたんだ。実際、ケリー・キングは俺たちとやったことがある。彼がやってきて、最初の数回のショーを俺たちとやったんだ。スレイヤーは彼がやりたかったこととはちょっとどっちつかずの状態だったと思う。彼はそんなことがあってすぐ、キッズが彼に近寄って言ってたよ。「おいスレイヤーに何があったんだ?」それからケリーはエクソダスのトム・ハンティングを観て、音楽がどれだけ速くできるのかってのを目にしたんだ。すぐに誰が一番速いかの争いになったよ。

    そしてファンレターが来た。(カリフォルニア州)パロアルトで俺たちのファンクラブを運営しているブライアン・ルーがこの手紙をデイヴに送ってきたんだ。おおむねアイツにスピードアップしてくれと食ってかかる内容だった。あの手紙が俺たちの方向を変えたし、たぶんメガデスやスレイヤーが先陣切った方向性の手助けになったんだよ。でしょ?このエネルギーはより強くなったんだ。(LAの)サンセット・ストリップの全てのバンドが売れ出してたからね。モトリーがレコード会社とサインしたばっかりで、WASPもサインをしようとしていた。こういうバンドたちみんなが花道に向けた放たれたんだ。彼らは俺たちがやっていたようなものじゃなかった。俺たちはその背後にいた次の波だったんだ。一番キツかったのはああいうヤツらが売れ出して、MTVに出まくって、何百万ドルも儲けて、何百万枚もレコードを売ったってことだ。するとこうなる。「俺たちの番はいつだ?」とね。そして俺たちの番もついにやってきた。


    RT
    スイサイダル・テンデンシーズも似ているよ。ファンのおかげでロサンゼルスじゃ演奏できないってとこまできたからね。


    DE
    覚えているよ。あれは凶暴だったね。


    RT
    凶暴なファンだった。だからおおむねスイサイダルはカリフォルニア/サンフランシスコでやるだいたいのショーをベイエリアでやることになったんだ。


    DE
    あとテープ・トレードね。それと雑誌がソーシャルメディアが出来る前のソーシャルメディアだった。


    RT
    そうそう。クールだったし、とても有機的だった。あの手の情熱があると、俺が思うに、競争心も沸いてくるし、「Holy Wars」とか「Reign in Blood」みたいな曲を書こうとお互いに切磋琢磨するようになる。


    DE
    まさにその通り。俺たちの曲は、キミたちはどうか知らないけど、昔は俺たちメロディーを取っておいて、ある程度まできたら、いったん脇においておく。それから持ち出してきて、付け足して付け足して付け足してみる。切り取って、カットして、スライスしてまた足して・・・。そうこうしているうちに完全な曲になる。曲だけじゃなくてヴァースやコーラスやソロについてもそうだった。こういう入り組んだ過程を経ていたよ。


    RT
    それはまさにメタリカでやっていることだよ。インフェクシャス・グルーヴスのようなバンドとは真逆だね。「リフが出来たぞ」って俺たちが集まるのはザラで、本当にドラムからマジックを捉えようとしていたんだ。セカンドテイクをやりたかったんだ。わかる?リハーサル室に入って4日間、日に4時間籠って、一日4曲出来ていたよ。週末にはアルバムになる。次にこういった曲を聴く時には、スタジオでカセットになっている。


    DE
    ほとんど復習ジャムみたいなもんだね。

    RT
    その通り、復習ジャムだよ。それからレコーディングしていくんだ。俺たちにはブルックス・ワッカーマンっていう驚異的なドラマーがいたし、ジョッシュ・フリーズってドラマーもいた。彼ら16歳くらいだったキッズたちからエネルギーをもらったし、インパクトがあったよ。それがあのバンドのやり方さ。それからマイクが歌詞をつけていく。スイサイダルはもうちょっと曲やプロセス、リフを発展させていく。それからプロデューサーが加わってくるんだ。

    DE
    スイサイダルは初めて真のメタルギターを弾いていたバンドのひとつだったよ・・・暴力とともにね。

    RT
    「暴力とともに!」(笑)暴力を加えたら、スイサイダルになるよ。でも全てはムーブメントだったのさ。スケートボーダーたちとも繋がっていた。

    DE
    そういうシーンがあったよね。帽子のつばを上げて、ボードとかそういうもの全部。あれがシーンの一部になっていた。曲や音楽についてだけじゃない。全体がライフスタイルなんだ。

    RT
    ライフスタイルだね。つまり俺はディッキーズのショートパンツを今履いてるし、今でも野球帽を持っている。俺はただのでっかい子供なんだ。50歳になろうとしているけどね・・・。

    DE
    いつ50歳になるんだい?俺は11月になるよ。(訳注:対談は2014年)

    RT
    10月で50だよ。ハッピー・バースデー、俺たち!

    DE
    若くあろうとする老いたヘヴィメタルベーシストここにありだ。俺たちは若いからね。

    RT
    異議なし。

    DE
    以上、ロバート、デイヴィッド、BassGearの「Metal on Metal」でした。

    BassGearMagより

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    ロバート・トゥルージロ擁するMASS MENTALが期間限定で再結成

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    2014年9月6日にドイツで行われた「Warwick Open Day」にマス・メンタル(Mass Mental)として参加したロバート・トゥルージロ。同じイベントに参加していたメガデスのデイヴィッド・エレフソンとのインタビュー対談の模様がBassGearMagの「Metal on Metal」という企画でYouTubeでアップされていました。



    BassGearMagでインタビューの文字起こしもされていたので管理人拙訳にてご紹介します。

    davidellefson_roberttrujillo

    デイヴィッド・エレフソン(以下、DE)
    この「Warwick Bass Camp」でマス・メンタルをやったわけだけど、あれはどうやって集まったの?

    ロバート・トゥルージロ(以下、RT)
    そう。マス・メンタルは実際はファンキーで妥協知らずの集合体で、カメルーンの驚異的なベーシスト、アルマンド・サバルレッコと組んだバンドなんだ。彼とは1993年に(楽器製造メーカーの)ディーン・マークレイの宣伝の仕事で出会った。それでサンノゼに連れて行かれたんだ。行きの飛行機ではお互い知らなかったけど、帰りの飛行機では親友だったよ。その時、ケースに入ったビールを俺たちに持ってきてくれて、絆が生まれたのさ。その後すぐに、俺たちは曲を書き始めた。今日演った曲の多くは90年代に俺たちによって書かれたものなんだ。今回が俺たちの6回目のショーだよ。Warwickのプロデューサーから俺にこの素晴らしいイベントで演奏してくれないかと依頼がきたんだ。俺は「やるよ、でもアルマンドと、このプロジェクトのシンガー、ベンジーと一緒にやりたい」と言ったんだ。楽しかったよ。基本的に俺の友だちの多くは、何年も一緒に曲をレコーディングしたり、書いたりしてきた人たちなんだ。どんな機会でも彼らとまた一緒にやれるっていうのは素晴らしいことだよ。アルマンドと俺はサウンドトラックも手がけたし、マス・メンタルとして何回かやってきたことにはアニメの曲も含まれているんだ。俺がマス・メンタルに加入した時、実際に俺がやっていた・・・

    DE
    「加入」だって!?

    RT
    失礼!俺がメタリカに加入した時、やっていたことはマス・メンタルだったんだ。

    DE
    キミがメタリカを「組んで」、マス・メンタルに「加入した」ってわけかい?(笑)

    RT
    (笑)それで、俺はオジーとも仕事ができた。素晴らしいよ、カムバックできる何かがいつもあって、それを楽しめるんだから。そういう頃合いがきて、俺たちはやったわけだし。

    DE
    キミがスラップを弾いてるのをまた観れてクールだったよ、そうじゃないかい?だって最近のキミの仕事では、あれほどたくさんはやってないだろうからさ。

    RT
    そうだね。

    DE
    1993年の俺たちが写った写真を持っているよ。メタリカ、メガデス、スイサイダル・テンデンシーズが写ってた。キミと俺たちの仲間、ジミー・デグラッソ(訳注:1992年から1995年までスイサイダル、1998年から2002年までメガデスで活動)が一緒に演っていた。キミの姿で覚えているのはステージ中を動き回ってスラップしていたところだよ、そうだろ?あれをまた観れてクールだったよ。どうやったらあんなダイナミックにやれるんだい?

    RT
    クールだね、しばらくぶりだったよ。俺の昔のバンド、インフェクシャス・グルーヴスとして4、5ヶ月前にウイスキー・ア・ゴー・ゴーで演奏したんだ。あのスピリットに自分が繋がった感じだね。楽しいし、別物だった。別のヴァイヴがあったし、グルーヴも健在だった。キミたちもああいうグルーヴを持っているよね。スレイヤーもしかり、メタリカもしかり。

    DE
    いい機会だし、よかったよ。キミがあのなかで保っているものだね。

    RT
    ジェイムズ・ブラウンしかり、グルーヴが全てなんだ。グルーヴが何にでも機能するようになると、本当にアティテュードとかエッジになっていくんだ。

    DE
    インフェクシャス・グルーヴス、またやって楽しまなきゃね。あれが初めて出てきた時、俺たちメタル野郎はみんな耳を傾けたよ。あれは本当にエクストリームだったし、度を越えてたね。

    RT
    あぁ楽しかった。本当に実験的だった。スイサイダル・テンデンシーズに加入した時、マイクと俺はベースを中心に展開する曲を書き始めたんだ。何が起こるかわからなかったけど、俺たちは本当に作られるはずのなかったアルバムを作った。エピック・レコードがマイク・ミューアのソロアルバムを出したのはクールだったね。当時としては大金じゃない7万5000ドルでアルバムを作ったんだ。アルバムは普通・・・

    DE
    何十万ドルとかかるよね・・・

    RT
    そう、大金だ。俺たちは何とかオジー・オズボーンにも参加してもらった。

    DE
    オジーとのギグで得たものって何かな?

    RT
    助けになってくれたと思うよ。「Therapy」って曲があるんだけど、オジーは気に入っていたね。



    DE
    ベーシストへの注意書き「他のミュージシャンとつるめ」

    RT
    あぁその通り。俺たちはオジーと同じデボンシャー(Devonshire)っていうスタジオでレコーディングしていたんだ。本当に素晴らしいスタジオでね。オジーがそこでレコーディングしたし、もう俺たちと一緒に演ることのできない素晴らしきベーシスト、ジャコ・パストリアスもウェザー・リポートと一緒にそこでレコーディングしたんだ。俺はアース・ウィンド&ファイアーの大ファンなんだけど、彼らもそこでレコーディングした。だからこの誉れ高き要素に入れたのは最高だったよ。

    DE
    どこで魔法が起きたんだ・・・

    RT
    それにオジーは俺たちがインフェクシャスとしてレコーディングしていたのと同時期にそこにいたんだ。あれはオジーがどうかしてた時だった。ひとつ事件を覚えているよ。当時のオジーのバンドのベーシストだったマイク・アイネズが彼女を連れてきていたんだ。彼女に良い印象を与えたかったんじゃないかな。それで彼女をデボンシャーのスタジオのなかに連れてきた。オジーは正気じゃなかった。オジーは最初に彼女にタックルをかましたのさ。彼女はカウボーイブーツを履いていたんだけど、そのブーツの上から下まで実際にかぶりついたんだ。彼女のくるぶしまでね。俺はそれを目撃した。

    DE
    そりゃあヘビに噛まれるより最悪だな。それでキミもカウボーイ・ブーツを履いてるのかな。

    RT
    その通り。俺は叫び声を聞いた。出入り口に脚が2つ伸びてて、カウボーイ・ブーツを履いてた。床にオジーの背中が見えて、次にわかったことは彼らは駐車場にいたってことだ。オジーじゃなくマイクと彼のガールフレンドがね。どうにかしようとしていたんだろうね・・・。

    DE
    こちらが彼の新しいボスねってことだろ?仕事の時は奥さんに家にいてもらうことだな。

    RT
    オジーはあの頃、いろんな人に噛み付いてたんだ。

    (続く)

    BassGearMagより

    恐るべしオジー・・・。続きはまた後日。

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    ロバート・トゥルージロがジャコ・パストリアスについて語るロング・インタビュー

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    ロバート・トゥルージロがPodcast番組「Groove - The No Treble Podcast」のインタビューでメタリカの楽曲制作について長尺で語ってくれました。BLABBERMOUTH.NETさんが文字起こししてくれたので、管理人拙訳にてご紹介。

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    −2008年の『Death Magnetic』に続くアルバムの制作過程について

    素晴らしい時間を過ごしているよ。本当に素晴らしい時間だ。実際楽しいしね。たくさんの新しいアイデア、いわばフレームワークをジャムっているよ。知っての通り、ジェイムズはメロディーを仕上げて、そのレベルでいろいろ実験している状態なんだ。でも、本当に、なんて言うか(余計なものを)削っている段階で、それから、そいつを演奏している。演奏して、自分のシステムに組み込んで、曲を自分のものにしていくんだ。

    前のアルバム(『Death Magnetic』)のための曲をまとめていた時、(プロデューサーの)リック・ルービンが昔を思い出させてくれたのはクールだったね。つまりこんな感じさ。「この新しい曲を演奏しているところを想像するんだ。人生でこれまで観たことのないような小さなバーやクラブにいるファンに自分たちはこうだと証明するんだ。」それから「立て。みんな立ってくれ。」とこうさ。「おいおい俺たちスタジオにいられるよな!?」って思ったけど、「立ってこれらの曲を演奏するんだ。パートを自分のものにするんだ。」と大体こんな感じだったね。本当に意味をなす、やる気をわき起こすようなスピーチだったと思わないかい!?結局、意味があったんだ。座って自分のパートを繰り返すのは簡単すぎるからね。だからベースを弾いていた時、俺は実際に立ち上がって身体を揺り動かしていたよ(笑)。

    結局、リフにしろ、アレンジにしろ、歌詞にしろ、曲を書くという体験全ては、ことさらメタリカでは、複雑だし、時間もかかるし、あくまで過程なんだ。インフェクシャス・グルーヴスの頃はちょっと違っていた。実際に始めたら、1日4時間、週5日(を費やし)、2つか3つのジャム・セッションや曲の形が出てくる。曲の設計図と言うべきかな。それらをカセットに録音していた。それから次に集まった時には、アルバムのスタジオ・レコーディングさ。当時のボーカル、マイク・ミュアーはそういうカセットを持ち込んで、歌詞やメロディーを仕上げて「スタジオで会おう」って感じさ。次は知っての通り、それらを演奏するんだ。ドラムは通常、2回目のテイクだった。俺たちは1回目か2回目のテイクのマジックを捕らえたいといつも思っていた。それは今、メタリカにいて起きていることとはかなり違う。でもあらゆる状況が違う。捕らえたい別のマジックがあるんだ。

    ちょうど今、俺たちは基本的にアレンジを育んでいる状況なんだ。本当に全てを育んでいる。トランジションみたいなもので・・・試せるものは全部試しているよ。そんな感じだね。思うにそれがメタリカの音楽を素晴らしく特別なものにしているんだよ。ある種の誇りだし、本当に芸術作品に取り組んでいるからね。そして正しくあらなければならない。どういう意味かって?つまり探求ってことさ。ジェイムズは常にひとつの言葉に対して、いくつかの言葉の候補を持っている。もしかしたらこの言葉はしっくりこないかな。じゃあこいつを試してみようってね。それは大量の仕事だし、時間がかかる。でも同時に重要であり、こういう方法は必要なことなんだ。その結果が、みんなが愛する、俺たちがメタリカから聴こえるものなんだ。もしこうでなかったら、それはメタリカじゃない。同じようにもし・・・例としてインフェクシャス・グルーヴスを挙げてみたわけだ。知っての通り、インフェクシャス・グルーヴスはああやってレコードを作るべきなんだよ。この自然発生的なエネルギーと2回目かそこらのテイクのマジックを捕らえるべきなんだ。でもメタリカでは、特別なゴールを達成する異なるスタイルとやり方なのさ。


    −新譜制作や関係する他の創造物制作の原動力について

    俺は幸運だよ。なぜなら、メタリカでプレイすることは本当に特別なことだし、実際にメタリカのメンバーは創造的であること、挑戦することを楽しんでいるからね。ほとんどのバンドが、歳を取り、キャリアが長くなるほど、曲を書きたいという欲求に関しては緩くなっていくのに。つまり、どれだけ多くの既知のバンドが実際に外部のソングライターとかそういう人たちと曲を書き始めているのか、(あるいは)もはや実際には自分たちの曲を書いていないのかってことに驚くよ。俺たちはそういったものとは真逆のようなものだ。たくさんの曲のアイデアやリフやベースラインとかを持っている。何年も前のジャム・セッションから生まれたおびただしい数の音楽的なアイデアがね。最も難しいのは(そういったアイデアを)削っていくことなんだ。俺たちが曲を書く時っていうのは削っていく過程のようなものなんだよ。そういうお年寄りで出来たインスピレーション溢れるグループといるということはただただ素晴らしいってことさ。わかるかい?(笑)

    −メタリカのメンバーはいまだ創造的であることを楽しんでいると言った意味について

    バンドとして、俺がそういうことを言った時、俺たちが制作した3D映画『Through The Never』が念頭にある・・・。あれは(2013年に)公開された。でも、あれは・・・いろんな意味で創造的冒険だったんだ。つまり、俺たちは物語のほとんどの部分、ステージ・プロダクション、その他多くのことについて監修した。ライヴから2年かかった。そして本当に曲を書く必要があった2年があった。つまり、たくさんのファンがニューアルバムを待ち望んでいるってことだ。今や・・・5年かそこらに違いないと思うんだ。もはや思い出すことさえ出来ない。言い換えれば、俺たちが『Death Magnetic』を制作しているあいだ、曲を作り出すことに関しては、そのツアーを終えるまでに、俺たちには5人の子どもが生まれた。(この事実は)クレイジーだし狂気じみていて可笑しいね。でも俺が思うに、俺たちをうろたえさせるようなことが、俺たちを再び創造性に向かわせるんだ。ルー・リードとのアルバム・レコーディングにしても、3D映画にしてもね・・・。創造的プロジェクト、創造的チャレンジ、そういったものは必ずしもやることになっているわけじゃない。ロックンロールの世界で、ルー・リードと共に何かやるみたいなことは、俺たちにとって、本当に特別な瞬間だった。彼はアイコンだった。特にラーズとジェイムズにとっては、本当に自分たちの箱の外に出ることだったんだ。メタリカの持つ創造的な泡のなかで、ソングライターとして、オルタナティヴのアイコン−本当はロックンロールのアイコンと言いたいところだが−と一緒に取り組むのに外に足を踏み出し、俺たち、または(自分以外の)彼らがボスではないという事実によっておそらく謙虚になった。ボスになりうるもう一人(ルー・リード)がいて、俺たちはそんな男と共作したんだ。俺たちの脱線、あるいは道から外れていくようなことは明らかに創造的チャレンジに基づいている。ツアーで・・・「By Request」や『Ride The Lightning』やブラックアルバムの完全再現、フィルモアの・・・メタリカ30周年記念でサンフランシスコのフィルモアで、ダイヤモンド・ヘッドとかダンジグとかブラック・サバスといった俺たちが過去にレコーディングした曲をやっていた他のアーティストのメンバーの何人かまたはフルメンバーを、俺たちが実際に招待して一緒に同じ曲を演った4日間のショーみたいにこれまでと違うことに挑戦したりとかね。今、誰がそんなことやる?つまり、お金は儲けてない、(むしろ)失っているんだ。でも俺たちはそういうことをやる。なぜならメタリカは挑戦を引き受けるのが大好きなのさ。そしてそういったことは通常人々を驚かせる挑戦なんだ。だから俺たちは打撃を被る。多くの人はそれを知らない。「メタリカ?あぁ金持ちロックスターだろ」と思っているのさ。でもそういったことにはお金がかかる。打撃は被るし、失ってもいる・・・俺たちが主催したフェスティバル、Orionだって儲かっちゃいない。赤字だった。でも、まぁ、結局のところ、楽しいんだよ。俺たちができるのは挑戦することだけなんだ。


    BLABBERMOUTH.NET(2015-01-09)

    バンドによる曲の制作過程の違いについての話が出てきましたが、メタリカ自体もいろんな試行錯誤を経てそういう形になったんでしょう。

    インタビュー音声はこちらからどうぞ。


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    フランスのカンヌ映画祭からアニメ部門が独立して出来たアヌシー国際アニメーション映画祭のベスト・テレビ・フィルム部門にこの夏に出品された『'Tallica Parking Lot』。『'Tallica Parking Lot』の制作を手がけたロバート・トゥルージロのインタビューが先日公開されました。BLABBERMOUTH.NETで文字起こしされていたので管理人拙訳にてご紹介。

    tallicaparkinglot

    −『'Tallica Parking Lot』について

    『'Tallica Parking Lot』は基本的に世界のどこともとれるメタリカの駐車場を中心としただいたい4分のショートアニメなんだ。

    何年も前に気づいたことなんだけど、駐車場では信じられないほどいろんなことが起きているんだ。世界のどこにいようとも、いつも面白い人たちがいるし、面白いことが起きている。これはそのことを生命を持たせて世界にシェアする素晴らしい機会だと感じたんだ。とても音楽的だし、あの中にはたくさんのエネルギーがある。ある種のバンドの歴史に関する試みがたくさんあるしね。バンドのフライヤーを中心に全てが展開するんだ。フライヤーは・・・バンドを始めたばかりの時、ショーをやってフライヤーを作っだ。普通は手描きで、それぞれのバンドの名前とショーの日付や場所その他もろもろを書き入れた。この摩訶不思議なフライヤーっていう『'Tallica Parking Lot』の魔法の絨毯を中心に展開するのさ。このフィルムの中で起きているいくつかの話は本当にあったことなんだ。それを組み合わせたんだよ。


    −『'Tallica Parking Lot』の着想について

    実際とても面白いよ。話そのものが俺が見た夢から生まれたんだ。文字通りね。朝の4時頃に目が覚めて、(夢に見た)ストーリーをすぐ書き始めたんだ。1週間は書く手が止まらなかったよ。というか、ナプキンとか書けるものになら何でも書いていた。ほとんど中毒さ。世界にずっと入り込み続けていた。でもこのアイデアは何年も前の(前述した)コンセプトと駐車場で巻き起こる何かをやろうというテーマから始まったんだ。そしてストーリーが夢に現れた。つまりそうやって進化していったんだ。それはとても特別なことだとわかるものだった。実際に何かを想像して、それが本当に夢になって現れる。それからスクリーンで生命を持つ。とってもパワフルだよ。

    俺はいつだってアニメのファンだった。子供の時、土曜の朝のアニメをたくさん観てきた。クレイアニメとそのチャンネルのファンでもあった。俺はUCLAで学期のあるひところ、アニメの勉強さえしていたんだ。そしてそれからスイサイダル・テンデンシーズのスピンオフとしてインフェクシャス・グルーヴスを始めた。インフェクシャス・グルーヴスの音楽は、いつもある種のこういったワイルドで幻想的なキャラクターのイメージを中心に展開していた。それが曲を書くときにもいつも見ていたものなんだ。イメージをね。

    『'Tallica Parking Lot』によってもたらされた、イメージに生命を持たせる機会というのは本当に特別なことだった。たくさんの俺のヒーローや友人たちに映画に出演してもらったことも本当に特別だったよ。モーターヘッドのレミーのような人とかね。レミーがどんな人か知らないかもしれないけど、彼はロックンロール・マスターのアイコン的存在なんだ。ブーツィー・コリンズ、そしてバンドメイトであるメタリカのラーズ、ジェイムズ、カークもね。とてもクールだよ。

    (メタリカの3D映画)『Through The Never』のように何かを創造する一部となる、そしてそれがスクリーンで生命を吹き込まれるのを見ること、特にそれがアニメ化となると本当に特別なことだね。


    BLABBERMOUTH.NET(2014-12-09)

    このインタビュー動画はこちらから。


    『'Tallica Parking Lot』を未見の方は隠し撮り映像が上がっていたのでお早めにご賞味ください。


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    ジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画制作に関わってきたロバート・トゥルージロ。ちょっと前の記事になりますが、Bass Magazineでジャコ・パストリアスに関するインタビューを受けていたのでご紹介。

    roberttrujillobassguitarmagcover

    知らないミュージシャンの名前もじゃんじゃん出てきて和訳に苦戦しましたが、ジャコ・パストリアスとの衝撃的な出会い、ジャコの親族との出会いやジャコの持っていたベースをコレクターから買い戻したエピソードなどロバートの人柄がにじみ出ているロング・インタビューになっています。管理人拙訳にて。

    −ヘヴィメタルファンはジャコのことが大好き、その理由を聞きたい

    ジャコは本当にインスピレーションを与えてくれるし、アイコンなんだ。ジャズのコミュニティーだけじゃなく、ハードロックやヘヴィメタルのコミュニティーの間でもね。俺は高校を卒業して、ジャズの学校に通った。結局そこでやることになったのは、世界中から来たプレーヤーたちとジャム・セッションをすることだった。そのうちの何人かはいまだに俺の人生の一部になっているよ。そんなたくさんのミュージシャンは、メタルやロックも好きなゴスペルのミュージシャンだったんだ。キャリアを伸ばしていくうちに、俺はレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーとか、マーズ・ヴォルタのホアン・アルデレッテとか、ジャコのプレイを見たことあるたくさんのミュージシャンとつるむようになった。俺は50歳になろうとしているけど、そういう人たちは俺の年齢よりも上だった。以前在籍していたバンド、スイサイダル・テンデンシーズのロッキー・ジョージと俺はジャズ・フュージョンの大ファンで、俺たちが9年生、15歳の頃、彼にジョン・マクラフリン、マハヴィシュヌ・オーケストラ、リターン・トゥ・フォーエヴァーについて話したんだ。

    −トゥルージロは影響の大きかったジャコのギグを覚えていた

    ジャコのプレイは4回観た。1979年のプレイボーイ・ジャズ・フェスティバルでも観たし、ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンドと一緒のフルスケールのバージョンの時も観た。UCLAのドロシー・チャンドラー・パビリオンでね。スケールダウンしたバージョンもデルマー・ブラウン、ケンウッド・デンナード、マイク・スターンと一緒にやったのを観たよ。ジャコに会いたくてショーの後に待ってたんだけど、マイクとだけ会ったんだ。彼は常軌を逸してた。何かをやってたのかもわからないね。

    70年代後半から80年代初頭にかけて、あれはいい時代だったよ。俺は両親にジョン・マクラフリンとか他の偉大なアーティストを観に連れて行ってもらう、そんな年齢になったばかりだった。15、16歳のあたりから俺はもっと真剣にベースに集中していくようになった。1983年に高校を卒業した時、俺は徹底してベースにのめり込んでいた。ジャコみたいに俺はルールに縛られなかった。バウ・ワウ・ワウのようなたくさんのイギリスのバンドやミック・カーン、ピノ・パラディーノ、ニック・ベッグスみたいなミュージシャンが好きだった。マーク・キングも俺に大きな影響を与えてくれた。彼は素晴らしいよ。彼はまだアメリカでは過小評価されていると思う。俺の中じゃ、彼は神だね!もちろんレミーやギーザー・バトラーの大ファンでもある。でもジャコは猫みたいだった。俺はドッグタウン・ムーブメントが巻き起こっていた、たくさんの命知らずのワイルドなスケートボーダーたちがいた南カリフォルニアのベニスビーチで育ったからね。

    ジャコは俺にとってそんなキャラクターだったんだ。彼は信じられないほどの天賦の才能があってセンスが良くて自分がやることに本当に一生懸命に取り組んだ。スケートボーダーたちもそうだったんだ。彼らは危ないこともやるし、必要とあらば激しいケンカもする。しなきゃならないとなれば、3階から後方宙返りをキメてプールに飛び込むことだってやる。何でもありさ。それが俺がジャコの好きなところのひとつだ。彼もビーチで育ったからね。彼はボディーサーフィン(訳注:サーフボードなしでサーフィン)をして育ったんだ。ほとんどいつもシャツを着ずに短パン裸足だった。俺が育ったベニスビーチでもそんなヤツらがいたんだ。

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    −どのようにしてジャコに会ったのか

    1985年、ハリウッドのメルリン・ホテルで行われるロサンゼルス・ギターショーを観に行ったんだ。今はホリデー・イン・エクスプレス・ホテルになってるけどね。そこにジャコが来るとは知らなかったんだ。各部屋が特定のギター会社に割り当てられていて、廉価版NAMMショーみたいだったね。ある部屋にいた時、本当に地震が来たと思ったんだ。窓が震えていて、床が揺れているように感じた。参ったね!隣の部屋に行った人もいた。ベースのディストーション付きアンプがフルボリュームになっていたんだ。イカしてたね。

    俺も隣の部屋に入っていったら、それはジャコだったんだ!彼はそこでギター修理の人と一緒にいた。彼がそこにいるもんだから、何も言葉が出てこなかったよ。俺は彼の正面に座ると、部屋はみるみる人で埋まっていった。俺がベースの師と仰ぐ一人、ラリー・シーモアもいた。彼はビリー・アイドルと長いあいだプレイしていた人だ。みんな同じ反応をしたから、部屋は満員状態だった。ジャコはアンプの音量を上下に繰り返して、その反響音が壁を震わせていた。彼はみんなを観て、全員をじっと見つめていた。今にも彼が「そりゃあ俺だ!」とでも言い出しそうな感じだった。彼の人生においては最高の場所ではなかったけど、彼は忘れられないファンキーなグルーヴと節を弾き始めたんだ。俺たちに何の一言も口にすることなく。

    神に誓って、彼は俺たちをその目で見つめていたんだ。俺は言葉も出なかった。みんなそうだった。それはあたかも彼が楽器を使って俺たちと話したり、全員と触れ合ったりしているかのようだった。彼がこう言ったみたいだったのさ。「俺はこの手のひらでオマエらを捕まえたぞ!クソッタレ!オマエらは噂を聞いてきたんだろう。俺がここにいる、俺がオマエらをぶっ飛ばすってな。」それから部屋に彼のガールフレンドが入ってきた。ホントにキレイな女性が両ポケットにビールを入れてやってきたんだ。2人はまさしくビーチのサーファー・カップルだった。彼女がやってきてこう言ったんだ。「さぁジャコ、行きましょう!」って。そしたら彼はベースを置いて、そこから出て行ったんだ。あれは決して忘れられないよ。

    今、ここ数年のあいだに心の中で思うんだ。「何で俺はあの時、あの人をハンバーガーか何かで外に誘わなかったんだ?」って。でも俺はショックだったんだ。それだけ強烈な瞬間だった。あの部屋にいた俺たち全員、彼の存在に感動していたんだ。彼のプレイする能力は俺たちを虜にした。直接彼に会って、彼があんなメロディックなものを奏でるのを聞けたのは信じられないことだったね。

    −どのようにしてジャコの親族と出会ったのか

    これはとびきりの話だよ!ラッセルっていうサーフ仲間でバーテンダーの友だちがいて、そいつがジャコが人生のほとんどを過ごしたフォートローダーデール(訳注:フロリダ州南東部)に住んでたんだ。数年前、ラッセルがジャコの長男ジョニー・パストリアスにドリンクを作っていると、ジョニーのクレジットカードにあった苗字に気付いたんだ。ラッセルはベニスビーチの俺の家に来て、ジャコの写真を見たり、俺がジャコの話をしたりしていたことを覚えていて、ジョニーにこう尋ねたんだ。「あなたの名前は聞き覚えがありますね?」そしたらジョニーは「ジャコ・パストリアスは俺の父親なんだ」って答えた。それは純粋に偶然の一致だった。ラッセルは俺に電話して、ジョニーもスイサイダル・テンデンシーズのファンで、俺のことも知っていることがわかったんだ。

    オジー・オズボーンのバンドに加入した最初の年、フォートローダーデールに行ってジョニーに会った。すっかり仲良くなったよ。一晩中一緒に外にいた。振り返ると、あれはフロリダ南部のパーティーの日だったのかな。とにかくそういうことさ!間違いなく素晴らしい時間だった。それでジョニーと一緒にどこかのストリップ・クラブに入って、俺がスイサイダル・テンデンシーズのロッキーに電話したんだ。「俺、ジャコの息子と一緒にいるんだよ!ほら、挨拶して!」って。ジョニーと俺は仲良くなった。それが今回の話(ジャコのドキュメンタリー映画制作)の始まりだったんだ。

    後で俺はジョニーを通じて(ジャコの娘の)メアリー・パストリアスとも会った。それで俺たちはメル友になったんだ。メアリーは本当に素晴らしいシンガーで、彼の夫エリック・ヤングはとんでもないキーボード奏者なんだ。もし彼らがフロリダに住んでいなかったら、もし彼らがロンドンかLAかニューヨークに住んでいたら、彼らがありふれた名前だったら、(そう考えると)なんて素敵なきっかけなんだって思うよ。ジャコの甥デヴィッド・パストリアスもいつもそんな感じで親友なんだ。彼らはいつもそんな感じさ(笑)

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    −どのようにしてジャコのドキュメンタリーは形になったのか

    俺がジョニーに最初に会った時、俺は彼に言ったんだ。「キミのお父さんについての映画を作らなきゃ。彼の話はホントに人を惹きつけるからね。」と。ジョニーと俺は連絡を取り続けていた。ジョニーは音声ドキュメンタリー『A Portrait Of Jaco: The Early Years』のプロデューサーをやってたボブ・ボビングっていう人とドキュメンタリー映画に向かって取り組んでいた。それは本当に大きかった。素晴らしい要素だった。

    年月は過ぎ、ジョニーはボブをメタリカのショーに連れてきた。ジョニーがボブに俺がジャコに夢中になっていたことを話していたし、彼らはジャコの関連性を理解していて他のタイプのミュージシャンをドキュメンタリーに引き入れたいとジョニーは思っていたからね。彼らはメタリカを観にやって来て、フォートローダーデールのアリーナのショーがチケット売り切れになっていることにボブは感動したみたいだった。ボブと俺は友だちになったんだ。4年前、彼は俺に制作という船に飛び乗ってくれないかと頼んできた。ジョニーと俺は数年前にこれについて話したことがあって、俺たちがこんなことになって奇妙で皮肉な運命のいたずらみたいだったね。

    2年前の夏、俺たちは初めてラフカット版を観た。俺たちはいま編集の最終段階に来ている。3人の監督がいるんだ。1人目はスティーヴン・カイヤック、彼は『Stones In Exile(邦題:ストーンズ・イン・エグザイル 〜「メイン・ストリートのならず者」の真実)』や『Scott Walker: 30 Century Man』の監督をしている。彼は1年以上、制作陣にいてインタビューのほとんどをやっている。1年半前くらいから俺たちはポール・マルシャンって人とも一緒にやっている。彼はプロジェクトの最初から編集をしてきた人物だ。それは地獄のジェットコースターみたいに大混乱しているけど、絶対に変えるつもりはないよ。

    −どのようにこの映画に関わっているのか

    かなり関わっているよ。俺はプロジェクト全部に出資している。制作会社のPassion Picturesは『Searching For Sugar Man(邦題:シュガーマン 奇跡に愛された男)』でオスカーを獲得している。『Stones In Exile』も彼らが手がけた映画だ。彼らは素晴らしいよ。この地球で後世に残る最優秀ドキュメンタリー制作会社だ。

    俺はクリエイティブな面でも関わっている、もちろん、そこにはバランスがあるけどね。とてもクリエイティブな監督が一方でいるわけだから。ポールは本当に為すことがクリエイティブだ。彼の創造力でスクリーンに命が吹き込まれているし、彼は自分を強く持っている。それからジャコの家族のこともある。俺のやることは、みんなの要望の間でバランスを取らなきゃならないってことなんだ。時にはそれが最も難しくなることもある。映画制作陣と、自分たちの父親の話に感情的に愛着を持っている家族、俺にとっては全てを意味する。おまけに俺の芸術的展望もあるしね。緊張の瞬間だってあるんだ。

    でも創造的な緊張、感情的な緊張、一番丁寧なやり方で頭突きしたかのような、そういった瞬間を味わえるのは、このプロジェクトの一番良いところだよ。もし3年前に完了させていたら、映画はあるべき姿になっていなかったと思う。今、俺たちが(制作中のまま)2014年を迎えているっていうのは、本来そうなるはずだったんだ。この映画は今年公開する必要がある。だから俺たちは11月の第3週目になるよう努力しているんだ。

    −どのようにして今年の「Record Store Day」にジャコのサウンドトラックを出したのか

    俺たちは1974年のジャコによるデモ・レコーディング『Modern American Music… Period! The Criteria Sessions』をリリースすることもできたんだ。「Record Store Day」の創始者マイケル・カーツがこのプロジェクトを受けて、公にしたのさ。

    マイケルが17歳の時、ノースカロライナでウェザー・リポートのコンサートに行ったらしい。それがジャコとウェザー・リポートの最初のツアーで、マイケルはスーパー8mmフィルムでショーを撮影したんだ。音はなかったけど、ジャコのプレイを見ることができるんだ。彼がまだ若く元気でイカしてた。マイケルはこの撮影した場面をドキュメンタリーに寄贈してくれた。それから後、彼は2008年に「Record Store Day」のアーティストとしてメタリカを引き入れる役割を果たしたんだ。彼もジャコのために同じようなことをしたくて、2014年にジョニーと俺をOmnivore Recordsとつなげてもらった。彼らとランチをして、ジョニーはCriteria Studiosでとったデモ音源について話し始めた。俺はそれについて全く知らなくてね。それはずっと長い間、所在が不明だったデモ音源でジャコの最初のソロ・レコードの準備としてレコーディングされたものだったんだ。素晴らしいよ。ああいう裏話はすごいよね。そうして俺たちは特別なレコード盤をリリースすることができたんだ。まだ聴かれていない、未開封のジャコの初期の純粋なデモ・レコーディングを、この2014年にね。さらにジャズ・チャートで2週間も2位を獲得した。俺たちが制作を続けられなかった唯一の理由は、レコード盤が品切れになってこれ以上刷れなかったからさ。それが全てを物語っていると思う!


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    −どのようにしてジャコの最も有名な楽器を救ったのか

    当時は法律的な問題があったんだ。今はもう解決したけど、ジャコの家族はこの問題についてストレスで本当に参っていた。大筋を言うと、ジャコの有名なフェンダーのジャズ・ベースが20年間行方不明だったんだけど、ニューヨーク市のコレクターの手に渡ったんだ。そのベースは盗まれたとか売られたとかいう噂だった。ジャコがドラッグや何かのために自分のベースを売ったというのは疑わしい。でも、いろんな解釈をされやすい事態だったんだ。

    俺たちの気持ちとしては、まずニューヨーク市の公園でジャコがホームレスだった時に奪われたんじゃないかと思う。それは壊されて50個ほどに分けられてしまった。俺は写真を見たけど、狂ってるね。ジャコはベースをフロリダの(ベーステクの)ケビン・カウフマンに送ったんだ。で、彼はそれを修復したのさ。ジャコはベースを取り戻して、それから奪われたんだ。そうなる前にそのベースでマイク・スターンとレコーディングを行った。それでケビンはニューヨークにやってきて、楽器は本物であると認証をした。それが問題の始まりだったんだ。家族は言うまでもなくベースを取り戻したがっていた。でも所有者はベースのことをあきらめようとはしなかったんだ。

    だから俺はベースを取り戻すお金を支援した。俺はコレクターじゃないけど、当時この状況を自分が助けることが重要なことだと思ったのさ。そうして俺たちはベースを取り戻した。俺はベースの合法的な所有者だ。でもこの楽器についてのどんな決定もジャコの家族の承認を受けなければならないようにした。彼らにとって、あのベースは家に横たわる家族のペットみたいなものなんだ。無くなった時でさえも。フェリックス・パストリアス(ジャコの息子でジュリアス・パストリアスの双子)が今は持っている。俺はあのベースを弾いたことあるけど、素晴らしいよ。とてもいい形をしていたね。


    この件については多くの誤解がある。俺はインターネットで言われているようなヤツじゃない。何もかも完全にかけ離れているよ。でも俺は間違った考えを持っていたり、俺があのベースを脅し取った(あるいは自分自身のために持っている)とか、俺がニューヨークでそれを見つけて金を払って奪い取ったと考えていた人に通りで近寄られたこともあった。そういうことでいつもジョニーとフェリックスを困らせていたよ。事態はまるっきり正反対だからね。俺は情熱からこの事態を引き受けた人間なんだ。俺は物事に情熱的になるんだ。そして俺は助けようとしたのさ。

    −ついにジャコの映画の準備も大詰め、映画についてまとめてください

    このプロジェクト全部、俺のジャコへの気持ち、そしてこのストーリーとジャコとの関連性が中心にある。ジャコの家族との関係もね。多くの人は俺がパストリアス家とつながりがあるなんて気付きもしないし理解もしていない。このプロジェクトが始まる前に彼らは俺の家に泊まったんだ。俺はジョニーとメアリーとほとんど同じくらいデヴィッドのことも知っている。俺たちが知り合ったのは彼がまだ10代の頃。デヴィッドと彼のバンドが何年も前に(スイサイダル・テンデンシーズのサイド・プロジェクトである)インフェクシャス・グルーヴスの前座を務めたんだ。

    俺たちにはたくさん歴史があるんだ。面白いよ。年上のミュージシャン、ウェイン・ショーターとアンソニー・ジャクソンみたいな人たちも出ている。彼らはメタリカや俺のことをリスペクトしてくれているんだ。俺がメタリカに加入した時、そういうプレイスタイルを学ばなきゃならなかった。俺の大好きなベーシストはジャコとアンソニー・ジャクソンだったからね。もちろんゲディー・リーとギーザー・バトラーも好きだけど。俺はメタリカの要求を満たすよう自分のスタイルを適応させなければならなかったんだ。俺の快適な範囲はいつだってインフェクシャス・グルーヴスなんだ。いつも言っているんだけど、あのバンドは完全にジャコ・パストリアスにインスパイアされたバンドだ。スレイヤーやスイサイダルと同じようにね。ジャコはインフェクシャス・グルーヴスの鍵となる要因だった。でも多くの人はそれを知らない。多くの人は俺が4回ジャコのプレイを観たことも知らない。

    この映画は素晴らしいよ。俺たちがインタビューしようと思った人の99%はインタビューした。その範囲も広いけど、とてもいいバランスになっている。ゲディー・リーからハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、スティング、ジョニ・ミッチェル、それからジャコの活動初期にコラボしたプロデューサー、ボビー・コロンビーまで出演してもらった。ソニーが映画のサウンドトラックを出す予定だ。そこには最前線で活躍するアーティストが参加している。これは俺がやってきた中で、一番満足している旅路のひとつだ。そしてキミたちのようにジャコに関心を持つ雑誌があるってことがわかって嬉しいよ。


    BassMagazine(2014-09-23)

    コレクターから取り戻したベース「Bass Of Doom」を記念したTシャツもメタリカ公式Tシャツとして売られていましたね。
    bass_of_doom

    これだけ情熱を持って制作された映画、ぜひ日本でも観たいです!(どこか配給頼む!)

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    ロバート・トゥルージロがオジー・オズボーンのもとで活動していた98年に結成されたサブプロジェクト、MASS MENTALが期間限定で復活再結成し、2014年8月26日に第1弾ライヴを行いました。

    会場は、以前にもロバートがInfectious Groovesとして出演し、メタリカにも縁深い場所、「Whiskey A Go Go」。撮影されたライヴの模様がアップされています。
















    動画の続きはこちらから。
    http://www.blabbermouth.net/news/video-metallica-bassist-robert-trujillos-mass-mental-project-plays-whisky-a-go-go/

    当日の写真などはこちらから。
    http://theconcertologist.wordpress.com/2014/08/27/mass-mental-the-whisky-a-go-go-robert-trujillo-armand-sabal-lecco-ken-schalk-benji-webbe-whit-crane-doc-coyle-c-minus-red-camel/

    サイトによると参加メンバーは以下の通り。

    Benji Webbe
    Ken Schalk
    Whitfield Crane
    Armand Sabbal-Lecco
    Robert Trujillo
    C-Minus
    Doc Coyle

    MASS MENTALは2014年9月6日、ドイツで行われる「Warwick Open Day」にも出演予定です。
    robert_warwick2014

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    2014年1月31日、ロバート・トゥルージロがインフェクシャス・グルーヴスのオリジナルメンバーとして、ライヴの殿堂「Whisky A Go Go」50周年のライヴに出演しました。

    infectious_groove

    出演メンバーはこちら。

    マイク・ミューア(vo)
    ステファン・パーキンス(dr)
    ディーン・プレザンツ(g)
    ジム・マーティン(g)
    ロバート・トゥルージロ(b)

    Orionでインフェクシャス・グルーヴスとして参加したときと同じように、アダム・シーゲルに代わり元フェイス・ノー・モアのジム・マーティンが参加している以外はオリジナル・メンバーです。

    「Whisky a Go Go」の公式動画では「Violent & Funky」、観衆からの動画として「Punk It Up」がアップされています。特に後者はロブのベースが映えまくってます。

    Violent & Funky


    Punk It Up


    infectiousgrooveswhiskyofficial_638

    BLABBERMOUTH.NETより(2014-02-02)

    メタリカではまず聴くことのできないベースの音色がこれまたたまらんです。

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