メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:インタビュー

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    2017年10月25日にFacebookでサンフランシスコのMetallica HQから生中継されたBritishGQのインタビュー。エクソダスからメタリカに加入したことについて語っていたところが文字起こしされていたので管理人拙訳にてご紹介。

    kirk_exodus

    15歳か16歳でエクソダス(Exodus)を結成した。俺が20歳になるまでに、俺たちは人事異動を経験してきた。バンド内で俺と他のメンバーでいくつかの問題があったね。彼らは俺がやっていたのとは違うドラッグをやり始めたんだ(笑)。それが分裂を招き、メタリカに加入しないかと誘いが来て、俺はそれに飛び乗った。その時点でエクソダスでは物事がそこまでうまく運んでいなかったけど、彼らは俺が去った後に自身を立て直してうまくやり遂げたんだ。

    それに俺はメタリカのライヴを観た後に自分はおそらく彼らと一緒にやった方が良いと思っていた。実際そうだったんだ。(メタリカを)観て、とても冷静に考えていた。「彼らは本当にすごい。彼らは俺とだったらもっと良くなる。」実際そう考えていたんだ。

    それで文字通り、その2週間後にバンドに加入しないかと電話があった。それは運命みたいなものだった。友だちが「ニューヨークへ来いよ」と言っているのを聞いた時って、俺が期待していた電話や誘いとまるでほとんど変わらないものだったんだ。

    不思議な気分だったね。今振り返って見ると、自分自身の運命を果たしていて、運命を果たす意識みたいなものが本当に働いていたように感じるよ。


    UltimateGuitar(2017-11-18)

    インタビュー全編はこちらから。
    https://www.facebook.com/BritishGQ/videos/10155255212686051/

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    カーク・ハメット、エクソダス脱退・メタリカ加入の経緯について語る。

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    11月5日にニューヨークで行われたインタビューでラーズ・ウルリッヒが90年代のグランジ・ブームやマスター音源を自分たちの手に取り戻したことについて語っていました。管理人拙訳にてご紹介。

    lars_2017_

    −90年代のグランジのブームが与えたメタリカへの影響について、ストレスに感じたことはあるのか

    いいや、何よりも刺激的だったよ。メタリカで良いところって、いつも完璧に自立していると感じるところなんだ。俺たちが何かに属していると感じたことはない。だからその良いところっていうのは、何にも属していると感じたことがないってことで、他で何が起きようとも、まだ自分たちの世界のなかでちょっと何かが終わったと感じるだけ。それでそういう(周りで起きていた)ものが霧散したとき、俺たちはその一部になることはなかった。俺たちは今こうして自分たちのことをやっている。

    アリス・イン・チェインズが大好きで、最初の2枚のレコードは91年から92年のあいだ、俺のCDプレイヤーから離れることはなかったね。1992年に俺が聴いていたのはアルバム『Dirt』だけだったと思うよ。ニルヴァーナも大好きだし、サウンドガーデンの最初の数枚のアルバムは触発させるものがあった。だからそういうものに対して脅威とは
    全く感じていなかったよ。

    alice-in-chains-dirt
    Dirt


    −自立的というテーマからマスターテープの所有権についての重要性を語るラーズ

    (メタリカのマネージャー)クリフ(・バーンスタイン)とピーター(・メンチ)は最初の20年のキャリアの終わりにおいて主な報酬がマスター音源だと予見するには十分なほど賢かった。つまりマスター音源、レコーディング・テープ、レコードだ。

    自分たちのレコードの所有権を得るってことが、みんなにはちょっと奇妙に聞こえるのもわかるよ。「じゃあ前は誰が所有してたんだ?」ってね。それはレコード会社のものなんだ。レコード会社は基本的に・・・レコードを制作するためのお金を支払ってレコードの権利を所有し、そこから永遠に所有し続ける。だからピーターとクリフは言ったんだ。「よし、マスター音源を自分たちの手に取り戻そう」当時は(マスター音源を持っているアーティストは)本当に誰もいなかったんだ。(ブルース・)スプリングスティーンとか、プリンスとか、そのレベルのアーティストぐらいなものだ。でもそれが俺たちが求めようとしたものだった。

    いや驚いたことに、俺たちはマスター音源を取り戻すことができた。だからメタリカが5年だか7年前に自分たちのレコード会社となったとき、突然俺たちのビジネスモデル全体が変わったんだ。今、全てを自分たちで実行しなければならないからね。

    だから俺たちは北カリフォルニアに拠点を置いて、そこでこれまで以上に管理してくれるたくさんの人たちがいて、HQと呼んでいる傘下に素晴らしい人たちが住んでいる。それが俺たちのレコード会社であり、ツアーやマネジメントのスタッフがいる。俺たちのマネージャーのQプライムはここニューヨークに大きなオフィスを持っている。LAにもスタッフがいるよ。

    ビジネスの観点から、全てのやり方で貫かれているものがある。それはつまり「自立性」ってこと。俺たちは自由で自立的であろうとしている。メタリカにとって、そして自分たちの進む道にとって、何が正しいかってこと以外のことで意思決定をするなんてないんだ。

    BLABBERMOUTH.NET(2017-11-14)
    UltimateGuitar(2017-11-17)

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    ラーズ・ウルリッヒ「5年後には次のアルバム制作に没頭できていればいいなと思っている」

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    11月5日にニューヨークで行われたインタビューでラーズ・ウルリッヒがメタリカの5年後の未来について語っていました。管理人拙訳にてご紹介。

    larsulrichmetallicabbgunpromo2017

    −今から5年後にバンドは何をしているでしょうか?

    俺たちは突き進んでいるし、人生の時を過ごしている。(メタリカの最新アルバム)『Hardwired...To Self-Destruct』が一年前に出た。ツアーは最高だ。俺たちが自分たちのために設定したモデル(訳注:ツアー日程を連続した日付で行わない、2週間ごとに休暇を取るなどのやり方)は、俺たちが仕事をするためのモデルになっている。それを他の人やバンドとかに説明しようとすると、彼らはしばしば俺をなんというか・・・俺たちが全てのことをごくたまにしかやらないのかって目で見るんだ。2日前に(欧州ツアーの)ベルギー公演を終えた。俺たちは各地でハードに公演をこなしながら、2週間半の休暇を過ごしている。そして今、バッテリーを再充電するために数ヵ月を要するってわけ。

    これまでのツアーでも今回のツアーと同じくらいの量のギグを続けてきているけど、もっと長い期間をかけてやっているんだ。だから今から5年後、まぁ願うことなら、このレコードの残されたツアーを数年やって、それからアルバム制作を続けていくことに戻っていきたいね。

    身体に抱えた病気以外にこういうことを減速させる理由は全くない。肩、首、膝、喉、そういったもの全部が健康でいられるなら、(頭を指さして)ここだってこれまで通り精神的にも問題ない。肉体的に健康を保つことができれば、今後20年間こういうことをやり遂げることができるはずだ。だから今から5年後には次のアルバム制作に没頭できていればいいなと思っているよ。


    BLABBERMOUTH.NET(2017-11-16)

    残されたツアーにはもちろん日本も入ってくることでしょう。

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    ラーズ・ウルリッヒが語る「Worldwired Tour」の演出

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    メタリカの「WorldwiredTour」イギリス公演を観に行った伊藤政則氏がラーズ・ウルリッヒのインタビュー取材を行った模様が、TVK(神奈川テレビ)の「RockCity」にて2017年11月18日(土)に放送予定とのこと。また「Hardwired」のミュージックビデオも放送されます。放送曜日が変わってだいぶ経っていますが、土曜の23時からなのでご注意を。

    100410head
    http://www.tvk-yokohama.com/rockcity/


    「2019年」「センターステージ(ラウンドステージ)」「2Days」「さいたまスーパーアリーナ」などのワードが、すでにトークイベントで出てきているのを漏れ聞いている次第ですが、ラーズの口からどんなことが話されているのかを映像でじっくり見たいと思います。

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    『Master of Puppets』のリマスター盤発売を受けてのRollingStone誌でラーズ・ウルリッヒとカーク・ハメットのインタビュー。前回の続きです。BOXセットに収録のライヴやクリフ・バートン、ジェイソン・ニューステッドに関するエピソードが語られています。管理人拙訳にてご紹介。

    metallica-master-of-puppets-1986-newsted

    −カーク、BOXセットにはあなたのソロの草案を示すたくさんのリフ・テープがありますね。当時のリードギターのフレーズはどうやっていたのですか?

    カーク・ハメット
    当時、最初から最後までソロ全部を作るのにとても夢中になっていた。スタジオ入りする前に少なくとも80から90%は作っておきたいと思っていた。スタジオで即興はやっていなかったんだ。若かったし、自分の演奏を展開させることや何もないところから500のアイデアを書き溜める能力は持ち合わせていなかった。今ならそれができる。俺は今(当時に比べて)はるかにミュージシャンになっているからね。『Hardwired〜』では何を演奏するか分からないところから、(どうするか)90分以内に把握していた。1986年にはできなかったことだよ。「Damage, Inc.」では、俺はただ座って頭を掻きむしって唖然としながら「俺は他に何をやろうとしてるんだ?」って思ってたし。

    −BOXセットにはクリフのテープは何もありませんでした。彼はバンドに曲をどう提示していたんでしょうか?

    カーク・ハメット
    彼はボリュームがどんどん上がっていく「Damage, Inc.」のイントロを弾いていた。それから彼はそのひらめきの元となったバッハの曲を俺に弾いてみせたんだ。それで言うんだ。「同じように聴こえるか?」って。俺は「全然。疑う余地もない。完全にキミのものみたいだ。」と答えたよ。そして彼はベースで「Orion」の中間部全体を書いた後、ギターのハモるパートをベースで弾いていた。レコードではジェイムズと俺がこのハモるパートを全部弾いているけど、最初はクリフがベースで全部弾きたがっていたんだ。「Damage, Inc.」に出てくるソロみたいなものだったから、うまくはいかなかっただろうね。だから「Orion」に組み込んで、アルバムでやっているギター/ベースのアレンジを思いついた。それが実際に彼の最後の作品となってしまったんだ。

    −これにはたくさんのクールなコンサート音源がありますね。これらのショーで一番覚えていることはなんでしょう?

    ラーズ・ウルリッヒ
    『Master of Puppets』を振り返って考えてみると、オジーのツアーを振り返ることになる。俺たちは他の誰よりも長くオジーとロードを過ごした。時折、オジーがいなかった時は自分たちだけのショーをやることもあった。アラゴン・ボールルームのギグもそんななかのひとつだったと思う。

    カーク・ハメット
    アラゴン・ボールルームのショーで「Disposable Heroes」をやって、観衆がハチャメチャに狂っていたのをハッキリと覚えているよ。「Disposable Heroes」は(オジー・ツアーでの)サポートのセットリストには入れていなかった。だからあの曲がライヴでどれだけ効果的なのかを知ることができたんだ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    (BOXセットに収録されている)ハンプトン・コロシアムのショーはオジーと一緒だった。観衆は何が自分たちに起きているのかわからなかった。俺たちがやっているようなものを一度も観たことなかっただろうからね。俺たちはアメリカ中部のアリーナでことごとく「Battery」と「Master of Puppets」をやったけど、たくさんの人の表情がかなりクレイジーになっていたね。

    カーク・ハメット
    メドウランズのショーはとりわけ最高だったのを覚えているよ。あの前夜にジェイムズとクリフと俺でサムヘイン(Samhain)の人たちと一緒だったからね。彼らとツアーに出るのは本当にクールだった。イーリーとグレンがショーに出ていて、俺たちはその事実に興奮したし、本当に触発されたし、本当に良いショーをやりたいと思った。だって最高なミスフィッツ(Misfits)のグレンとサムヘインの人たちがそこにいるんだぜ。「俺たちも良いショーをやるぞ」ってね。それが俺の演奏にもインスピレーションを与えることになった。

    −ハンプトン・コロシアムのショーは、ジェイムズがスケートボードでケガをしてから、カークのギター・ローディーのジョン・マーシャルをリズムギターに迎えたものでしたが、どんなことを覚えていますか?

    カーク・ハメット
    ジョンがステージ側にいるのはあのツアーから始まったんだけど、クリフはいつも「ここから出ていけよ」って言っていた。それで面白いことにジョンはステージの後ろからショーを始めるわけなんだけど、3曲目か4曲目になるとアンプの前に立っているんだ。4回目のショーで「脇に立っていたのが、急にステージに出てくるとうまくのれないんだよ。最初の曲から出て来いよ。」って俺たちが言ったんだ。ジョン・マーシャルは俺が13歳の頃から知ってる。15歳の頃から一緒にギターを弾いていたんだ。だから彼にとって、突然オジーのツアーで俺と一緒にギターを弾くことになって頭がクラクラする出来事だったんじゃないかな。俺たちが経験してきたことはそれだけ変わったことだった。本当に頭がクラクラするようなクールなことだったよ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    ハンプトン・コロシアムのショーは、オジー・ツアーの最終日だった。オジーのライヴの後半に楽しい時間を過ごしたよ。俺たち全員がおむつを着けてギターと間抜けなズラをかぶってステージに飛び入りしたんだ。マネージャーのクリフ(・バーンスタイン)があのアルバムがゴールドディスクを獲得したと俺たちに伝えた日でもあった。あれはクレイジーだったね。しかもヘットフィールドの誕生日でもあったんだ。

    −ストックホルムで行われたクリフの最後のショーのカセットは感慨深く聴いているのではないですか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    もちろん。あれから31年が経った。一時停止しては、物思いにふけり、考え、感謝し、光栄に思う。たくさんのことをあまりの早さで突き抜けてきたから、ゆっくり考えるなんてしていなかった。時には、午前2時にあのなかのものを聴いては「わぁ」ってなっていたよ。最後の2曲を聴いたり、最後のショーで彼と写った写真を見たりした時に気持ちを落ち着かせようと曲を止めるんだ。

    −クリフとの最後のショーについてはどんなことを覚えていますか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    イギリスで3000席の映画館「Odeons」でのライヴを終えて、スカンジナビアに行ったんだ。場所はアイスホッケー会場みたいで(イギリスの会場に比べて)小さく、寒く、暗かった。違った雰囲気があったね。ストックホルムでのショーをやったら信じられないほどうまくいった。ショーがすごく良かったんで、セットリストにない追加の曲を実際にやった珍しいケースだったんだ。今でもそう多くはやっていない。それだけ良い雰囲気があったんだよ。

    カーク・ハメット
    ジェイムズが(ケガをしてから)再びギターを弾いた最初のショーだったから重要だったんだ。ジェイムズがギターのストラップを肩にかけてアンコールを演奏することができた。たしか「Blitzkrieg」か何かだったと思うんだけど、ジェイムズがギターに戻って演奏して、かなり回復しているように見えて、ジョン・マーシャルを含む5人が本当にワクワクしていたよ。あのショーは良かったとハッキリと覚えているんだ。ステージを終えて引っ込んだ時も本当に良い気分だったし、ポジティブで前向きなものだった。「いいぞ、ジェイムズが戻ってきて、以前の俺たちみたいに戻るのはそう時間はかからないだろう。」って感じさ。ショーの後はそんな雰囲気だったし、そこから事故が起きて、文字通り希望あふれる状況から深い漆黒の穴に身を落とされたように感じたよ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    あの日、俺たちはたくさんの取材を受けていた。「OK」っていうスウェーデンの流行に敏感な10代女子向け雑誌のために写真撮影もしていた。その後、バスに座ってどれだけクールだったか話していたんだ。クリフと俺は一緒にビールを飲んでいた。今となってはちょっとおぼろげだけど良い日だったよ。

    カーク・ハメット
    俺たちがバスに乗って会場を去ろうって時にファンが俺たちに向かって走り出したのを思い出すよ。クリフがこう言ったんだ。「彼らを見ろよ、まるでゾンビみたいだ!」彼はゾンビに夢中だったからね。俺たちみんな笑っちゃったよ。それから俺たちはカードゲームを始めた。そして長い長いドライブだ。そこから先は誰もが知っての通りだ。

    −BOXセットにはジェイソン・ニューステッドの最初のオーディションとギグも収録されています。ツラい時期だったかと思いますが。

    ラーズ・ウルリッヒ
    あぁ、俺たちは何が起きているのか、わけが分からなかった。自分たちができる最も賢いことは続けることだと決めたんだ。事故後の1、2週間でクリフを弔って、それから後は5分となかった。もしそこで俺たちが減速して、虚無感を抱えたり、深淵に落ち込んで抜け出せなくなったりするのが恐かったからね。だから俺は(Metal Brade Recordsの創始者)ブライアン・スレイゲルを含む何人かに電話をして「そこらでホットなベーシストは誰かいないか?」って話していた。クリフの葬式の1週間後にはオーディションをセッティングしていたよ。

    カーク・ハメット
    奇妙な感じだった。俺たちはみんな、復帰後最初のショーについてとてもナーバスになっていた。リハーサルではうまくいっていた。ジェイソンが割って入れるのかと思っていたんだ。リハーサルでは時間をかけられる。でもいったんツアーに出たり、家を離れてショーをやったりするとなったら、実力ある者、ない者かがハッキリしてしまう。マニュアルとか練習コースなんてものはない。ジェイソンはよくこなしていた。彼は本当に危機に対応してくれたんだ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    ジェイソンは信じられないくらいポジティブなエネルギーを持っていて、火の玉みたいだった。入ってくると、とても献身的で準備万端だった。しかるべきアティチュードを持ち合わせていたし、化学反応、人格、楽器への取り組み方は本当にユニークなものだった。彼はクリフから180度転換なんてできなかったし、「クリフ・ジュニア」みたいな代わりにはしたくなかった。ジェイソンはやり遂げるヤツだと直感したのを覚えているよ。

    −『Master of Puppets』の曲を書き始めた時から、ジェイソン・ニューステッドと共にしたアルバム・ツアーの終わりまで、あなた方のわずか2年間の人生、されどいろんなことが起きた時期がBOXセットには収録されています。この時期についてどう思いますか?

    カーク・ハメット
    バンドの未来についての責任が俺たちに突き付けられた。1986年9月まではバンドの将来は超バラ色に見えた。でも10月からは再び弾けるのかどうかさえわからなかった。兄弟を喪って、精神的にも感情的にもいろんなものを抱えることを強いられた。そして俺たちは大きく成長した。次のツアーでは少し成熟したからね。集中していたし、うまくやっていたとも思う。
    そして、うまくいくっていう願望から『...And Justice For All』ができた。


    −クリフ・バートンはかつて「Master of Puppets」がメタリカで好きな曲で、バンド史上最高の曲だと言っていました。バンドで一番リクエストされた曲であり、あなた方が一番弾いた曲になっています。なぜこの曲の人気が続いているのだと思いますか?

    カーク・ハメット
    あの曲で多くの素晴らしい感情を反芻している。曲の中間部は本当に独特の雰囲気がある。超ヘヴィで良いエネルギーがある。そして、たくさんの感情を持っている。「Master of Puppets」を聴いたり弾いたりすると、俺は何かが清められたように感じるんだ。最高の音楽ってそういうもんだよ。何かを得たり、感情的な何かを取り除くのを助けてくれる。「Master of Puppets」は信じられないほど精神浄化してくれる曲なんだ。みんなが前に向ける必要のある何かを自分のことにように感じて心を打つ。あの曲はそれができる。だから後になっても、さらに良く感じるんじゃないかな。

    RollingStone(2017-11-09)

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    メタリカ、『Master of Puppets』のリマスターについて語る(上)

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    長編インタビューが続いてまったく記事が追いつけていませんが、ちょっとずついきます。まずは『Master of Puppets』のリマスター盤発売を受けてのRollingStone誌でラーズ・ウルリッヒとカーク・ハメットのインタビュー。収録曲に関する裏話について語ってくれています。管理人拙訳にてご紹介。

    metallica-master-of-puppets-1986

    −BOXセットが出るにあたって一番興奮していることは何ですか?

    カーク・ハメット
    リハーサル・テープやライヴのものはクールだから興奮しているよ。通常のレベルを越えてる。

    ラーズ・ウルリッヒ
    俺はいつだってブックレットのファンで、他のビッグなBOXセットに関して言えば、どんなにちょっとしたニュアンスでも、どんなにちょっとした紙片でも、どんな歌詞でもチケットでもじっくり見てきた。だから願うことなら、ファンがこのBOXセットをよりいっそう高く評価してくれればいいね。クリフの不慮の死に立ち向かってるってことじゃ、感情的な要素を多分に含んでいるかもしれない。彼の最後のショーの音声があるし、ステージ上で俺たちが一緒に撮った最後の写真かもしれないものもある。そういうわけで、ちょっと一時停止して、あの狂気や浮き沈みやクリフを喪ったことの大きさを考えるだけじゃなく、俺たちがこうしていまだに活動していてみんなが気にかけてくれているってどれだけ幸運なんだと思うんだ。

    −BOXセットでいくつか気になるものについてお話ししましょう。ファング(Fang)の「The Money Will Roll Right In」のカヴァーのラフ・ミックスが収録されています。あれをやるに至ったのは何ででしょうか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    「The Money Will Roll Right In」はただよく演奏していた曲だったんだ。初期のカヴァー曲のほとんどは、俺たちがカヴァーバンドとして始めた時にやっていたものだった。「The Money Will Roll Right In」=「金はじきに転がり込む」って言葉のように俺たちはトントン拍子にコトが運んでいた。クリフがバンドに持ち込んだかもしれないね。それ(お金が転がり込む事態)はもうすぐそこにあったんだ。

    カーク・ハメット
    誰が「The Money Will Roll Right In」をやりだしたのか覚えてない。ラーズとジェイムズがやっていたのは知ってるけど、クリフはどうだったかな。俺自身はやってなかったってのは覚えているよ。曲自体があまりに洗練されすぎていたし磨きがかかりすぎていたからね。ファングのバージョンは本当に生々しいんだ。お昼に横になりながら8曲を1回の演奏でやったって感じに聴こえた。俺たちとなると、レコーディングの時には、なんか装飾めいて、どこかやりすぎになってしまう。パンクのシンプルさと生々しさを俺たちの誰も捉えていなかった(笑)。それがリリースされてこなかった理由だよ。俺はリリースされるとは思ってもみなかったけど、さぁここでってわけだね。

    ラーズ・ウルリッヒ
    当時、真剣にレコーディングしたんだよ。最高の音を出さなければ、デフ・レパードの最新アルバムのようなキックドラムのサウンドを出さなければってね。だから俺たちのやり方っていうのは、自分たちの曲ができてラジオでかかるまではカヴァー曲をレコーディングすることだった。自分たちの曲を試してみる代わりにカヴァーを試していたんだ。

    −あなた方が85年にリッチーズ・イン(Ruthie's Inn)でやったライヴのブートレグはかなり生々しいです。

    カーク・ハメット
    あぁ、あの頃っていうのはあのアルバム(「The Money Will Roll Right In」収録アルバム『Land Shark!』)が出回っていて、ファングが毎週末演奏していたし、俺たちはベイエリアに住んでいてしょっちゅう彼らを観ていたからね。

    −ニルヴァーナ(Nirvana)があの曲をカヴァーしたのを聴いたことはありますか?彼らは1992年のレディングで演奏しているんですが。

    カーク・ハメット
    いいや、しらないな。へぇ。彼らがファングのことを知っているなんて知らなかったよ。彼らはベイエリアで一番人気のパンクバンドってわけじゃなかったからね。それは本当に奇妙だな。

    −そのほかに収録されている面白いカヴァーと言えば、ダイアモンド・ヘッド(Diamond Head)の「The Prince」です。クリフの時代にレコーディングされているとは思いませんでした。後にジェイソン・ニューステッドと共に『...And Justice For All』で再レコーディングしていますね。なぜこのバージョンをリリースしなかったのでしょうか?

    カーク・ハメット
    あの時点であのバージョンはダイアモンド・ヘッドとのあいだでクリアされていない問題があったかもしれないと思う。あるいは俺たちがダイアモンド・ヘッドと折り合いを付けたのかもしれない。俺は知らないんだ。ビジネス面のことだ。

    ラーズ・ウルリッヒ
    プロジェクトを進めて、締め切りを迎えようとしている時、俺たちはヴォーカルを入れずに、レコードに収録する曲に時間とエネルギーを集中することに決めたんだ。

    −さらに興味深いのは、「Orion」のラフ・ミックスではイントロでシンセサイザーが使われているということです。あれはなぜなんでしょう?

    カーク・ハメット
    キーボードで始まるのはクールだと思ったんだよ。ハモンドオルガンとかB-3オルガンのサウンドをもっと使いたくて、シンセサイザーをあの箇所に使ったんだ。

    −誰が弾いていたんですか?

    カーク・ハメット
    覚えてない。スタジオにあったキーボードに関して言えば、俺たちのほとんどは1つ指のキーボード・プレイヤーだったと思うよ。

    −レコーディングされたものの多くは、アルバムでのものとかなり似通っています。あなたは曲をたくさん試していたことを覚えていますか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    いや。当時、俺たちがやっていることにイチャモンつけてくるヤツに対して、俺たちはそうは変わらないようにと、とても保護主義的だった。もし変えてしまったら、付け入られてしまうと。俺たちはレコード会社やマネジメントにそういうものを送ったことは本当に一切ない。これは失礼な意味にとってほしくないけど、その意味ではフレミング・ラスムッセンはプロデューサーだと考えていなかったんだ。彼はどちらかと言えば最高のサウンドを得て、それを大きくするエンジニアのようだった。当時の俺たちの考えでは、プロデューサーってのは、曲をいじくってラジオ向けのものにするか、大人しいものにしてしまうヤツのことだった。だから「プロデューサーなんていらねぇ」って感じだったんだ。バンドにはとても反抗的な雰囲気があった。だからアルバムに収録する最終版のデモを聴いてみると、さまざまなアレンジという点では多くはなかったけど、スタジオではいろいろ曲を装飾していたよ。ジェイムズは特にスタジオでサウンドをいじるのが好きだったし、クイーン(Queen)の曲のようなプロダクションに夢中になっていた。でもプロデューサーがやってきて、俺たちに何をすべきか伝えるってことはなかったんだ。

    −でもあなたはいつだったかラッシュ(Rush)のゲディー・リーをプロデューサーに招こうとしていませんでしたっけ?

    ラーズ・ウルリッヒ
    おぉ〜(間をおいて)彼は俺たちとそういう会話をしていたかもしれない超短いリストに載っているかもしれないな。

    −アルバムの歌詞がどのように作られていったのか覚えていますか?

    ラーズ・ウルリッヒ
    当時、ジェイムズは自分自身の世界に入って、歌詞を手書きしていた。歌詞はさまざまなことを話すところから生まれたんだ。「The Thing That Should Not Be」はH.P.ラブクラフトの神話からきているし、「Disposable Heroes」は他の誰かの戦争での単なる道具になるってことを話したことから思いついた。「Leper Messiah」は思うに、カークがデヴィッド・ボウイの曲と一緒にジミー・スワガートとジェリー・ファルエルが当時ひっきりなしにテレビでやっていたことを提案したものだ。俺たちがテレビを見ていると、歌詞のアイデアの引き金になるようなものがテレビにはたくさんあった。座って福音伝道者たちがやっているのを見るんだ。あの「私にお金を送れば、私はあなたを癒すでしょう」とかなんとかいうヤツをさ。間違いなく彼らはあの時(「Leper Messiah」を書く上で)俺たちに影響を与えたね。「Damage, Inc.」と「Battery」はファンという家族とか自分よりも大きなものに属しているっていう感覚について。「Master of Puppets」は明らかに中毒とかそういったものに関することで、俺たちの友人であるリッチー・バーチに触発されたものだ。彼は『Kill 'Em All』の裏ジャケットに「Bang that head that doesn't bang」を引用されたヤツで、ジェイムズと俺の家のソファをぶち壊し、鏡の上で朝食を刻んで(訳注:「Master of Puppets」の歌詞、"Chop your breakfast on a mirror"のこと。コカイン吸引前に鏡やガラスの上で細かくすることから生まれた麻薬を吸うことの隠語)出かけて行ったんだ。いいかい、俺たちはアイツのことを死ぬほど愛していたんだ。彼は良き友人だったから、何か意見を言おうってんじゃなくて、当時のヤツらがどうだったかについて書いたものなんだ。

    RollingStone(2017-11-09)
    Fang - The Money Will Roll Right In


    Nirvana - The Money Will Roll Right In (Live at Reading 1992)


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    『Master of Puppets』のリマスター・デラックス・ボックス・セットが日本で発売決定
    ラッシュのゲディ・リー、『Master of Puppets』のプロデュースを依頼されそうだった

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    俳優/プロデューサーのディーン・デルレーが毎週月曜日にMCを務める「Let There Be Talk」のなかで、メタリカ草創期最大の功労者のひとり、ブライアン・スレイゲルのインタビューが行われました。インタビューでは、メタリカについても触れていたので、UltimateGuitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    metallica_adam_brian
    写真左からラーズ、ネルガル(Behemoth)、ジェイムズ、ブライアン
    −メタリカを初めて目にした時

    彼らの初めてのライヴは見逃してしまったが、2回目の(サクソンと一緒に行った)ライヴで、ヘットフィールドは(ギターを弾かずに)歌っているだけだった。彼らはヘットフィールドがそんな状態でもう一回くらいギグをやったかもしれない。それから彼がギターを弾くようになり、ギターを争っていたんだ。

    面白いのは、当時の彼はメチャクチャ恥ずかしがり屋だったってことだね。はじめの頃のギグで喋っていたのは全てムステインで、ヘットフィールドは本当に一言も口をきかなかった。彼がギターをプレイし、全ての曲を書いて、それはちょっと変わったんだ。彼らがどうしてそうしたか覚えていないが、「歌っているあいだに俺にギターをよこせ」と彼がなるまで長くはかからなかったね。


    −シャイなジェイムズがフロントマンに

    シンガーがいなかったから彼が歌っただけだ。彼らがデモを録った時、ラーズがドラムをやってジェイムズが他のもの全てをやった。それで彼は事実上シンガーになったってわけだ。LAで彼らとウマが合った唯一のバンドはアーマード・セイントだったってのはよく知られた話でね。彼らは一緒にギグをやり、よくつるんでいた。それでメタリカは(アーマード・セイントのシンガーである)ジョン・ブッシュに「俺たちのバンドに加われよ!」といつも誘っていたが「いや、俺は仲間と一緒にやるよ」と返していたね。

    −メタリカの歴史の面白いところ

    私にとっては、座って2秒考えただけでいまだにクレイジーだと思うよ。ラーズと私は、彼らがロックの殿堂入りを果たした時にちょっと時間が取れたんだが、彼が私を見てこうさ。「これは一体全体どうしてこんなことが起きてるっていうんだ?」って。

    とても奇妙だったよ。私たちは以前、16歳と18歳のキッズで友人だったからね。2人とも音楽業界で長いキャリアを持つなんて誰が思っただろう?それについて考えると、とても信じられないよ。


    −メタリカの潮目の変化

    オジーの前座をするまでは、これは本物だと私のなかに記されることはなかった。着実に毎晩毎晩オジーをぶっ壊していた。「わぁこれは本当にビッグになるぞ」ってね。あれで「これは政権交代だ。このバンドはツアー後にビッグになるだろう」と私は思ったよ。レコードもよかった。本当に変わった。ラジオやMTVでのエアプレイなしにね。彼らはあの時点で超ヘヴィなバンドとしてそれをやってのけたんだよ。

    UltimateGuitar(2017-10-06)

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    2017年11月10日(国内盤11月17日)に発売される『Master Of Puppets』リマスター盤。このボックスセットに収録される、スコット・イアン(アンスラックス)が『Master Of Puppets』収録曲の「Orion」について書いたエッセーが公開されていました。管理人拙訳にてご紹介。

    ULF-MAGNUSSON_metallica1986

    これが1986年のことで、彼ら(メタリカ)が新しい地平を築いていたってことを覚えておかなきゃならない。「Master Of Puppets」「Sanitarium」のような曲を聴いた時、30年も経った今となっては彼らが何をやっていたかわかる。でも1986年には「E=mc2」(訳注:アインシュタインの特殊相対性理論から導かれた式、難解なものの例え)だったんだ。理解しえないものだったし、俺はまだ彼らの傑作「Orion」に触れてすらいない。

    マジで、あいつらベートーベンの妙薬でもみつけたのか?どうやって成長を遂げて、8分半のインスト曲を作ったんだ?「Orion」は心を打つし、まとまりがあって、エキサイティングでダイナミックだよ。メタリカは次に何をやってくるんだろうと思ってたから、俺の耳が飽きるなんてことはなかったね。


    noisey(2017-09-27)

    『Master Of Puppets』リマスター盤ボックスセットから未発表ライヴ音源「For Whom the Bell Tolls (Live at Hampton Coliseum)」も公開されています。


    ■輸入・国内盤仕様
    ・リマスター・デラックス・ボックス・セット(32,400円(税込))
     品番:UICR-9041

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    ・リマスター・デラックス(仮)(3,888円(税込))
     品番:UICR-1133/5

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