メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    タグ:アンスラックス

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    Anthraxのスコット・イアンがパーソナリティーを務めるラジオ番組「Never Meet Your Heroes」にカーク・ハメットが出演。2010年から2011年にかけて行われた「Big Four」、スラッシュメタル四天王と呼ばれる4バンド(Anthrax、Megadeth、Metallica、Slayer)の合同ツアーが近い将来行われる可能性について語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    kirk2017_1

    −「Big Four」ツアーの始まりについて

    「Big Four」って言葉はマスコミによって作られたもので、俺たちは「Big Four」「Big Four」って書かれているのをずっと見続けていた・・・それからいつか「当時みたいに、みんなオリジナルのメタルバンドで一緒にツアーしようぜ」って程度のことだったんだ。俺たちみんなでお互い一緒のツアーをしようと。それから「それじゃあ「Big Four」でやろう」と絞られてきた。それが実を結んだってことなんだ。でも明らかなことは、俺たちが考えたらすぐにコンセプトはまとまったってことだね。「そうだ、俺たちは一緒にツアーをして、俺たちの長い歴史を絶対に祝うべきなんだ」とね。

    −「Big Four」が今後開催される可能性について

    俺たちは今後の「Big Four」の日程について何もアナウンスしてはいないけれど、俺は個人的には将来またやるんじゃないかと思ってる。いつかはわからないけど、将来やるんじゃないかとね。

    俺はあのショーを祝福のようなものとして考えているんだ。お互いへの祝福、俺たちが作り上げてきた楽曲への祝福、俺たちがやってきたことを受け入れてくれた観衆に対する祝福。もうやらない手があるかい?

    BLABBERMOUTH.NET(2017-02-10)
    Megadethのデイヴ・ムステインもBIG4ツアーの再開に触れていますし、4バンドが新しいアルバムを出して、また機運が高まってきているのかもしれません。

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    big4_metallica

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    デイヴ・ムステイン、『Hardwired...To Self-Destruct』のレビューでBIG4ツアーの可能性に触れる
    アンスラックスのスコット・イアン、「Big Four」ツアーを回想

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    Metal Hammer誌のサイト、teamrock.comにて、メガデスのデイヴ・ムステインによるメタリカの『Hardwired...To Self-Destruct』のレビューが掲載。そこで2010年から2011年に行われたアンスラックス、メガデス、メタリカ、スレイヤーの4バンドによるBIG4ツアーの再開の可能性についても語っています。管理人拙訳にてご紹介します。

    mustaine_hardwired

    俺はいつもメタリカの才能を高く評価してきた。どんなバンドでも長所と短所がある。個人的には俺がこれまで聴いたことのあるものからすると、ニューアルバムは良いと思う。たくさんの人たちがカーク・ハメットとロバート・トゥルージロが作曲に関与していないことについて話しているのを聞いたよ。でもそれは時にはやむをえないことだ。2人がもっと曲を書いても気に入ったと思う。俺はインフェクシャス・グルーヴスやスイサイダル・テンデンシーズが大好きだし、カークが書いたエクソダスのラインだってずっとお気に入りだからね。でもスタジオにいたらそんなもんだよ。最高の曲が足切りラインを生む。誰もが最高のものを選びたいと思っているんだ。

    作品を批評するとなると、それは(あくまで)個人的なものだ。ある人にとってのゴミが別の人にとっては宝物だったりする。例えば、たくさんの人がリック・ルービンと彼がプロデュースしたものをとても高く評価していることは知っているし、ザ・カルトのようなバンドとやったものは本当にうまくいっていると思う。それを彼がメタルバンドとやった時に同じように置き換わるとは限らない。『Hardwired〜』は、例えば『St. Anger』とはまったく違うレコードだけど、俺にとってはかなり良く聴こえる。今回のレコードを制作するのに8年かかったことを知っているから、みんなが高く評価しているのを嬉しく思うよ。小さなコミュニティだからね、わかるだろ?

    BIG4の全てのバンドがこの1年かそこらで、素晴らしいニューアルバムをリリースしたというのは本当にクールだよ。今、大きな問題はお偉いさんが俺たち4バンドでまたBIG4のツアー日程を組むのを許可するかどうか。俺たちはたくさんの素晴らしいことが進行中で、来年はアジアとアメリカで準備しているものがある。でももしBIG4ツアーが提示されたら、俺たちはたぶんそのために日程を譲るだろう。そっちの方がもっと楽しいし、言わば別のツアーよりも優先するようなイベントだからね。ファンが同じステージで史上最高のヘヴィメタルバンド4組にありつく。そしてそれは孫の代まで伝えられるものなんだ。


    TeamRock.com(2016-12-06)

    BIG4ツアーでアジア巡ってくれてもいいんですよ!

    次々と発売されたBIG4のアルバムはこちら。

    SlayerRepentless
    Slayer『Repentless』

    2015年9月11日発売

    MegadethDystopia
    Megadeth『Dystopia』

    2016年1月22日発売

    AnthraxForAllKings
    Anthrax『For All Kings』

    2016年2月26日発売

    newalbum_artwork
    Metallica『Hardwired...To Self-Destruct』

    2016年11月18日発売

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    デイヴ・ムステイン、メタリカとの関係について語ったカーク・ハメットの発言に反応
    デイヴ・ムステイン、「BIG4追加公演はメタリカ次第」と語る。
    BIG4ニューヨーク公演レポート(メタリカ抜粋版)
    THE BIG FOURの特設サイトを作りました。
    BIG FOUR ライブDVDが2010年10月発売正式決定!
    「THE BIG 4」デラックスDVDセットの全貌が明らかに。

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    RollingStoneにてアンスラックスのスコット・イアンが忘れられないステージの思い出として「Big Four」ツアーでのステージのことを挙げて語っています。まずはRollingStoneの記事を管理人拙訳にて。

    big-four-photo

    4大スラッシュメタルバンド−メタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスが「Big Four」ツアーに乗り出してから6年が経った。しかしその思い出はいまだにスコット・イアンのなかでは鮮明だった。ローリング・ストーンの「Had to Be There」シリーズ最新作では、アンスラックスのギタリストに、昔から側でキャリアを重ねてきたミュージシャンたちと初めてステージを共にした感覚、そしてどれだけステージがずっと続いて欲しいと思っていたかを回想している。

    2010年6月16日、ワルシャワで4バンドのツアーが始まった。彼らはその公演に先んじて、メタリカが主催するディナーを共にした。「素晴らしいエネルギーだった。歴史上初めてあの部屋で俺たち全員が集い、強烈な雰囲気だったよ。」ローリングストーンにイアンはそう語る。「みんな各グループから離れてバラバラになってるのを観るのはただただ楽しかった。『見ろよ、カークとデイヴ・ムステインがハグしてるぜ。こんなことが起きるのを目にするなんて考えられなかったな』とか『ジェイムズとデイヴがみんな笑顔でいるぞ』とかいった具合にね。みんな同じ時間に同じ場所から来た、お互いのバンドを楽しんでいる17人の男たちだったんだ。」

    1週間経たずに、ハメットがイアンにメタリカはツアー4日目のブルガリアのソフィア公演で4バンド一緒に演って、それを世界中に放送するために撮影したいと考えているとメールを送った。イアンはこう回想する。「俺は『そりゃいいね。アンスラックスを代表して、答えはYesだ』と言ったよ。ダイアモンド・ヘッドの「Am I Evil?」をカバーしないかと彼らから返ってきたのはその次の日だったかな。俺たちはすでにその曲は知っていたし、練習しなきゃいけないってこともなかった。みんながバックステージでメタリカと一緒にあの曲をリハーサルした。醜態をさらさないようにね。でもみんな得意とするところだったよ。間違いなく素晴らしいものになった。」

    最終的にメタリカ、メガデス、アンスラックスの全てのメンバーはその夜に演奏することができた。それからスレイヤーのドラマー、デイヴ・ロンバードと共に。スレイヤーのケリー・キングはその演奏のあいだ放送のためにスレイヤーのライヴ映像の編集をしており、他のメンバーも参加を見送ることにした。

    それにも関わらず、イアンはあの特別な夜のことを覚えている。「あのステージに立った気分は本当に驚くほど素晴らしい気分だった。あの時の写真を見たり、DVDを観て振り返ったりしているとジェイムズと俺とムステインなんてラインナップが見ることになる。『わぁすげぇなぁ』って感じさ。ほとんど部外者としてあれを観ることができるんだ。ファンの視点からね。するとこうさ。『こりゃあすげぇクールだ』またしてもメタリカからの素晴らしいアイデアってわけさ。」

    RollingStone(2016-06-30)

    このインタビューは音声にオリジナルのアニメ動画付き。BIG4の共演をアニメで再現しています。


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    アンスラックスのスコット・イアン、改めてBIG4ツアーについて語る。
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    スコット・イアン、メタリカのデイヴ・ムステイン解雇、カーク・ハメット加入の逸話を語る。

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    記事化が遅くなりましたが(^^;)
    MTVにてBIG4ことスラッシュメタル四天王の特集がオンエアされています。

    すでに初回放送は終わってしまっているので、リピート放送の予定を転載。

    big4_mtv

    スラッシュメタル四天王と呼ばれるメタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスを特集!メンバー交代を経て、今なお現役で走り続ける彼らのミュージックビデオを怒涛のごとくオンエア!

    12/07 [月] 20:00 - 21:00 メタリカ #1
    12/08 [火] 20:00 - 21:00 メタリカ #2
    12/09 [水] 20:00 - 21:00 メガデス
    12/10 [木] 20:00 - 21:00 スレイヤー
    12/11 [金] 20:00 - 21:00 アンスラックス

    12/14 [月] 26:30 - 27:30 メタリカ #1
    12/15 [火] 26:30 - 27:30 メタリカ #2
    12/16 [水] 26:30 - 27:30 メガデス
    12/17 [木] 26:30 - 27:30 スレイヤー
    12/18 [金] 26:30 - 27:30 アンスラックス

    MTVより

    各回1時間、各アーティストのミュージックビデオが放送されます。

    sabotageさん情報提供ありがとうございます。

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    メタリカのライブ、MTVにて放送。
    MTVJAPAN.comでメタリカ動画配信いろいろ。
    MTVでメタリカのライヴを放送していた件。

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    2015年11月11日、元モーターヘッドのドラマー、フィルシー“アニマル”テイラーが亡くなりました。享年61歳。モーターヘッドのレミー・キルミスターをはじめ、オジー・オズボーンらが追悼メッセージを掲載しています。メタリカもバンド公式Facebookページで追悼メッセージを掲載しました。一部を管理人拙訳にてご紹介します。

    レミー・キルミスター(訃報をきいた直後)
    「フィルシー・・・彼はかつてアルバムで「ひるむな」と叫んだ・・・たくさんの若者にパンク/メタルのヘアスタイルをぶちあげた・・・激情と集中力でもってドラムをプレイした・・・ときにみんなを「バカヤロー」と呼ぶのが好きだった・・・。友人であり、ロマンあふれるダービシャー州の男、安らかに・・・たくさんの愛とともに・・・。」
    Philthy Animal
    facebookより

    レミー・キルミスター(前コメントの翌日)
    「ハロー、モーターヘッドのレミーだ。昨日最高の友人を亡くした現在、とても悲しく実際のところショックだ。彼を失って寂しいよ。彼の名前はフィル・テイラー、またの名はフィルシー・アニマル。彼は俺たちのキャリアのなかで二度ドラマーを務めた。今、彼が亡くなって、彼のような人間が亡くなり、ジョージ・ブッシュが生きたままだなんて本当に腹が立つ。そんな物思いにふけっていた。俺たちはまだ元気にやっている。最初はワーゼル(訳注:2011年7月に亡くなった元モーターヘッドのギタリスト)、そして今フィルシーだ。残念でならない。ロックンロール・ビジネスは人の命にとっては良くないものかもしれないな。まぁしかたがない。」
    facebookより

    エディー・クラーク(フィルシーと同時期にモーターヘッドに在籍)
    「俺の親愛なる友人であり兄弟が昨晩逝ってしまった。彼はしばらく病気だったが、それを知っていたからといってその時がついに来てしまうなんて容易に受け入れられない。フィルのことは彼が21歳のときから知っていた。彼はどえらいヤツだった。幸いなことに俺たちは一緒に素晴らしい音楽を作り、一緒に過ごしたかけがえのない思い出がたくさんたくさんある。安らかにフィル!」

    facebookより

    オジー・オズボーン
    「フィル“フィルシー・アニマル”テイラーの訃報を聞いたところだ。本当にひどい喪失だ。彼は素晴らしい友人であり、素晴らしいドラマーであり、素晴らしい男だった。彼は心から惜しまれることだろう。今日は俺にとって本当に悲しい日だ。安らかに。そしてアイツにはまだ俺にベガスで500ドルの貸しがあるんだ。」
    facebookより

    メタリカ
    「フィル“フィルシー・アニマル”テイラー安らかに。あなたは俺たちに言葉を超えた影響を与えてくれた。」
    Philthy Animal
    facebookより

    デイヴ・ムステイン
    「フィル“フィルシー・アニマル”テイラーの訃報を聞いて本当に悲しい。ご家族に哀悼の意を。フィル安らかに。」
    twitterより

    スラッシュ
    「フィル“フィルシー・アニマル”テイラーを失うなんて悲しい悲しいニュースだ。ロックンロールで最高のドラマーの一人だ。フィル安らかに。寂しくなるよ。本当に。」
    twitterより

    マイク・ポートノイ
    「フィルシー・アニマル・テイラー安らかに・・・モーターヘッドの「Overkill」は俺がこれまで練習してきたなかで最初のツー・バスの曲のひとつだった。彼に捧ぐ。」

    twitterより

    チャーリー・ベナンテ
    「大好きなドラマーの一人がもうこの世にいないと耳にしたばかりだ。フィルシー“アニマル”テイラー、多大なる影響力だった。モーターヘッドに愛を。悲しいよ。」
    twitterより

    フランク・ベロ
    「フィルシー・アニマル・テイラー安らかに・・・」
    twitterより

    ディー・スナイダー
    「とてつもない喪失だ!」
    twitterより

    ご冥福をお祈りします。

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    スレイヤーを脱退して現在はフィルム(Philm)として活動しているデイヴ・ロンバードが最近のインタビューで、1986年にメタリカがドラマー交代を考えていたという噂について答えていました。Metal Irelandで行われた、そのインタビューを管理人拙訳にて抜粋してご紹介。

    deelombardo

    俺はスレイヤーについてこれ以上議論するつもりはないよ。

    −それはちゃんとわかっています。週末に放送されたVH1の「Metal Show」を観ました。そこで全てのことが網羅されていたと思います。(そのTV番組のなかでデイヴはスレイヤーへの復帰について、「状況」が整えばありえない話ではないとほのめかしていた。)

    いいね。そう、その通りだ。もう(スレイヤーについてのことを)並び立てるようなことはない。

    −それはクールです。新たに言うべきこともないでしょう。

    ジェフ(・ハンネマン)についてもそうだし、スレイヤーについてもそうだ。全体として・・・歴史があるし、みんなが歴史について知りたいと思う、それはいいんだ。でも俺がタブーな問題を話す時には、そういったことをクローゼットにしまって片付ける必要がある。

    (中略)

    −マイク・パットンがフェイス・ノー・モアに再び関与しているなか、ファントマスについては先送りになっていたりするんでしょうか?

    俺は息を凝らして待っていることは何もないよ。マイクは(フェイス・ノー・モアとして)あちこちでショーをする可能性があるなら、明らかにその活動に占有されるからね。でも今のところ、フィルムが俺の優先事項だ。他のミュージシャンのことを待ってられない。自分がやりたいことをやりたいし、これが俺が焦点を当てていることなんだ。

    (中略)

    −今日はお話ありがとうございました。本当に感謝します。前回からすぐにMetal Irelandに戻っていただいて感謝しています。我々が立ち去る前に、よろしければ、少しだけスレイヤーの質問をしても構わないですか?

    あぁ大丈夫だよ。

    −聞こうとしていたことの多くは、週末のVH1でエディー・トランクに網羅されてしまいましたが・・・2002年にスレイヤーに復帰して、彼らはあなた不在でいくつかのアルバムをレコーディングしてきたわけですが、こういった楽曲を演奏することについてどう感じましたか?

    ノーコメント。

    −ジェフの悲劇的な死に際して、ケリーは「通常通り営業中」のような声明を出して、ハイネケン・スタイルのハンネマンのステージ幕を使っていましたが、状況を考えたら悪趣味かもしれないとは思いませんでしたか?

    俺には関わりのないことだ。俺なりの意見はあるが、俺自身のなかに留めておくよ。

    −どんなバンドにも黄金時代があり、スレイヤーにとっては(デイヴが参加した)最初の5枚だと思うのですが・・・

    そうだね、同意するよ。でも『World Painted Blood』も本当に大好きなんだ。

    −一番お気に入りのアルバムと言っていましたね。

    あぁ、ジェフが実際に参加して制作において大きな役割を果たした最後のアルバムだからね。彼はたくさんの曲に関わっていたけど、あれは本当に大好きだね。

    −アンスラックスのスコット・イアンが最近、自身の本で1986年のある時期、メタリカがクリフ・バートンの死の前にラーズ・ウルリッヒを交代させようとしていたと言っていました。この件に関して迫ったり、彼の交代についてどこか他の場所で噂されていたりしましたか?当時、あなたがスレイヤーから一度脱退した頃と時期がぴったりなのですが。

    俺にとってはこれまで聞いたことのないニュースだった。彼らがラーズを追い出そうとしていたなんて聞いたことがないよ。

    −スコット・イアンによって発表される前に出されたメタリカの伝記本にも書かれていました。少し推測が入っているかもしれませんが・・・

    当時(メタリカに加入する)そんな可能性があったかって?いいや。86年はガル(・サミュエルソン)に入れ替わってメガデスに加入しようとしていた。86年のある時期に彼ら全員に会った。でも彼らはドラッグの深みにハマっていて、俺は全くハマってなかった。彼らは皆、健康そうには見えなかった。ひどい状態に見えたんだ。

    −メガデスは現在ドラマーを探しています。多くのファンがそれを見たいと思っていますよ。でも現実的に彼らと一緒にやる可能性はあるんでしょうか?

    メガデスは独自のスタイルを持っている。俺は自分の音楽と新しいバンドに本当に忙しいんだ。俺はこれまでにこんな電話を受けてきた。「うちのバンドに入らないか?このバンドに入る気はないか?」とね。No、Noだよ。俺は誰かの雇われ人なんかにはなりたくない。俺はただ誰かから給料をもらうんじゃなく、俺がその一部となるものに取り組みたい。アーティストとして発展する役割を果たしたいんだ・・・アーティストであって雇われガンマンじゃない。俺はそういったことは充分満たされているし、そういう自由が必要なんだ。

    Metal Ireland(2015-03-16)

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    1986年、ラーズ・ウルリッヒがメタリカをクビになりかけていた?
    スコット・イアン、メタリカのデイヴ・ムステイン解雇、カーク・ハメット加入の逸話を語る。

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    元アンスラックス、ニュークリア・アソルト、S.O.D.、そして現在はブルータル・トゥルースで再び活動中のダン・リルカが最近のインタビューでメタリカについて語っていたのでご紹介します。

    dan-lilker

    (前略)

    −80年代を振り返って、クリフ・バートンが亡くなった時、あなたはクリフに似たベースの音をさせていたので、ひょっとしたらあなたがバンドに加わるのはいい選択肢かもといつも思ってました。メタリカがクリフ・バートンの後任のベーシストを試していた、あの当時にそんなことが頭をよぎることはありましたか?

    ダン・リルカ
    「あぁそうだね。俺はその頃CBGB(訳注:ニューヨーク市マンハッタン区にあるライブハウス)でハードコアの昼興行をたくさんやってた頃だったから、他の人たちもそんなことを思っていたようだった。俺のところにやってきてはウインクして言うのさ。「それでダンはメタリカに加入するのか?」ってね。でも全くお呼びはかからなかったよ。」

    「(メタリカに加入したとして)俺が持ちこたえられたかどうかなんて誰もわからない。でも、2人の男が全てのお金を儲け、他のみんなは給料を貰い、彼らは何をやりたいのかをキッチリ指示するそんなバンドさ。そしてクリフが死んでジェイソンが加入した後に出た最初のメタリカのアルバムが『…And Justice For All』さ。そこにはベースが全くなかった。」

    「俺はわからない。(メタリカに加入していたとして)俺が創造的にハッピーだったかどうかはわからないね。つまり俺がいたほとんどのバンドでは、俺がメインのソングライターだったし、音楽の方向性を指揮していた。でも、『…And Justice For All』で何が起こったのかわかる機会を得ることは決してなかった。」

    −驚きました。80年代初頭にメタリカが(ニューヨークの)クイーンズ区にやってきてアンスラックスと出会って以来、メタリカのメンバーとは親しかったのではありませんか?

    ダン・リルカ
    「あぁ。でもそれはクリフの死の約3年前のことだ。もちろん彼らはいまでも友だちやら何やらであることは間違いない。俺はずいぶん彼らとは会っていなかったんだ。その時までにSODはもう終わっていて、ほとんどニュークリア・アソルトについてのことをしていたからね。」

    −試すべき考えうるベーシストとしてあなたの名前が挙がっているものだと思っていました。

    ダン・リルカ
    「きっと他の人たちの中に自分の名前も挙がっていたかもしれないね。きっと最終候補者リストか何かに入っていたかも。でも言うまでもなく何も起きなかったってことさ。」

    1986年9月27日に起きたツアー中のバス事故によるクリフ・バートンの悲劇的な死からまもなく、メタリカは新しいベーシストとバンドを続けるという決断を下した。生き残ったメンバーは空いたポジションをさまざまな候補者で試した。リルカが説明するように、彼はその候補者のひとりではなかった。しかしオンラインのレポートによると、クリフに続く何人かの名高いベーシストを試し、結局ジェイソン・ニューステッドが選ばれた。プライマスのレス・クレイプール、テスタメントのグレッグ・クリスチャン、ニューステッドがメタリカに加わり、去ることになったバンド(フロットサム・アンド・ジェットサム)の後任者となるトロイ・グレゴリーを含む候補者の中から。

    −クリフとは友だちだったんですか?

    ダン・リルカ
    「あぁ。クリフは本当にクールなヤツだった。彼は他のヤツらよりもハッパをよく吸っていた。俺たちはそれを通じて同志になった。彼は本当に地に足の着いたヤツだった。小さな町出身だったから、本当にクールだったし、パーティー好きでほろ酔いしてたヤツだった。(バス事故について)起きたことを聞いた時はかなり押しつぶされそうなほどショックだったよ。」

    (後略)

    Songfacts(2014-11-06)

    外からメタリカがどう見られていたかの一端を垣間見るインタビューでした。

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    スコット・イアン、メタリカのデイヴ・ムステイン解雇、カーク・ハメット加入の逸話を語る。

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    ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』を、ラーズ誕生から『Kill 'Em All』のリリースまで何回かに分けてこれまで紹介してきました。先ごろ出版されたスコット・イアン(アンスラックス)の自叙伝『I’m the Man: The Story of That Guy from Anthrax』でちょうど時代的に重複する部分が抜粋公開されている記事を発見。管理人拙訳にてご紹介します。

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    Scott Ian (Photo Credit: Clay Patrick McBride)

    1980年の大晦日、俺たちは友だちのリッチー・ハーマンの家でデカいパーティーをやっていた。彼は家の1階で生活していて、親父さんがいつも留守にしてたから、彼の家で50人か60人くらいで俺の誕生日を祝っていたんだ。俺は興奮しててさ。飲んでもいたけど、もう時効だろ。俺は17歳で超高級なウォッカ、ポポフで作った大量のスクリュードライバーを飲んでた。もし使い古しのロシアの漂白剤みたいな味がしてたら、グレイグース(訳注:フランス産の最上級ウォッカ)やティトズ(訳注:テキサス産ウォッカ)と同じくトップクラスだ。俺はそれを間違いなく12杯は飲んだね。そして女の子とヤっちゃってる記憶がうっすらある。吐き気がしたんでキスをやめたんだ。食道までゲロが来ているのを感じて離れたんだけど、彼女にぶちまけちまった。それからリッチーのバスルームで吐きまくった。

    俺は階段を這いつくばって、母さんのアパートまで飛んで帰って寝て、次の日起きたらまだ吐いていた。2、3日は具合が悪かったよ。その後、長い間、酒のにおいだけで吐き気を催してた。振り返ってみると、それが良かったんだ。アンスラックスを結成していく間にそれほど多く飲まないで、活動に集中し続けることができたからね。バーに行っても、ビールを1杯2杯程度。Alcoholica(大酒飲みだったメタリカ)チームの一員じゃなかったし。メタリカを見ていると、彼らは本当に劇的に変わったよね。彼らの音楽は、ずぶずぶに酔っ払っていた時でさえも充分な強さを維持していた。デイヴ・ムステインがバンドにいた時でも、彼らは本当に「Four Horsemen」だったよ。全員が強力で全く違う個性を持っていた。ジェイムズ・ヘットフィールドは実際、壁の花(訳注:パーティーで誰にも相手にされずに独りぼっちで壁際にいる人)だった。彼は(アンスラックスのドラマー)チャーリーみたいに寡黙で、ユーモアのセンスもあったけど、ロックスター的な人格をまだ表には出していなかった。彼は人付き合いが不器用に見えたね。でもギターを抱えて、マイクに叫んでいた時は慣れたものだったよ。それが彼のあるべき場所だったんだ。ステージ上で何も喋らなくても。そういうことは全部デイヴがやっていた。

    ムステインはバンドの本当のフロントマンだった。彼がステージで全てを喋っていたし、ロックスターとしての性格を持っていた。彼はコントロールの効かない意地の悪い酔っぱらいでもあったけどね。でも鋭いユーモアのセンスがあった。ラーズも可笑しかったね。彼はいくらでも喋ることができた。彼は(バンドを)始めた時、本当に何も弾けやしなかった。ジェイムズの曲をジャムることで学んでいったのさ。そうやって良くなっていった。ラーズが他のどんなバンドにいるかなんて想像しがたいけど、メタリカのドラマーとしては彼がピッタリだったんだ。彼はバンドが始まったその日からバンドの代弁者でもあった。

    もし俺がメタリカにコイツはいないだろうって思うヤツを一人選ぶとしたら、それはクリフだろうね。アンスラックスとメタリカは、タイトなジーンズ、ハイカットのナイキシューズかコンバースのスニーカー、メタルTシャツに革のジャケット、あるいは革ジャンの上にデニムっていう格好だった。それがクリフときたら、ベルボトムにカウボーイ・ブーツ、R.E.M.のTシャツにレイナード・スキナードとミスフィッツのピンの付いたデニムジャケットなのさ。彼は間違いなく変わり者だった。でもそれが彼の流儀で、俺たちの中で一番メタルだったんだ。自分の旗を掲げ、最も才能のあるミュージシャンだったからね。もしかしたら今まで俺が会った中でも一番かもしれない。(アンスラックスのオリジナルメンバーのベーシストである)ダン・リルカよりもね。彼はベースの名手だったし、音楽とその理論をわかっていた。彼と比べたら、俺たちなんて原始人みたいなもんだ。彼はとても超然としていたけど、だからといって打ち解けないヤツじゃなかった。クールでサバサバしていた。50年代のキャラクター、ドラマ「Happy Days」に出てくるフォンジーによく似ていた。フォンジーがモリー・ハチェット(訳注:70年代から活躍するサザンロックバンド)をやった感じだね。クリフは立ってタバコを吸って、クリント・イーストウッドみたいにニヤリとして言うのさ。「最近どうだ?」ってね。

    俺たちは同じ映画、同じ本、同じテレビ番組にハマったし、同じバンド全部が好きだった。だから俺たちはすぐに友だちになった。小さい頃から俺はスキナードのファンだったけど、R.E.M.は聴いたことがなかった。俺はクリフに彼らがどんなかを訊いたんだ。彼はジョージア出身のイカしたバンドだって言ってた。それで片面に『Murmur(邦題:マーマー)』、もう片面に『Reckoning(邦題:夢の肖像)』が入ったテープを俺にくれたんだ。俺はそれを家に持ち帰って、チェックしてみた。そう、彼は正しかったよ。あの初期のR.E.M.のものはクールだったね。クリフはものすごいイカしたヤツだった。それをみんなが知ってた。彼にはそういうオーラがあった。メタリカは全員そういうものを持っていたけどね。最初は彼らの間に衝突はなかったようにみえた。全員飲み仲間だったし、バカなこともやった。でもデイヴはちょっとだけ上を行くバカだったかな。彼は本当によく飲むんだ。ひどいクソ野郎になることもあった。深夜に彼が他のバンドのリハーサル室入口に山ほどゴミを捨てやがるから、次の日バンドが現れるとゴミの山でドアが見えないなんてこともあった。彼らはメタリカしかそこで寝ていたバンドはいないってことを知ってた。だからそういう目にあったミュージシャンはみんなメタリカのドアをノックして彼らをぶん殴ってやりたいと思ってたよ。

    1983年4月9日、俺はメタリカと一緒にいた。彼らがラムーア(L'Amour)でヴァンデンバーグとザ・ロッズとライヴをする時だった。ヴァンデンバーグが真っ昼間にサウンドチェックのためにステージに立っていた。ムステインはすでに泥酔していてね。彼は会場のど真ん中に立って、ヴァンデンバーグが曲を終えた途端、おまえら最悪だ、ステージを降りろみたいなことをわめき始めたんだ。(アンスラックスとメタリカのマネージャーだった)ジョニーZが彼を引きずり出したんだよ。でも俺はそんなクソみたいなことはどれも彼をバンドから追い出すには充分だとは思わなかった。アイツは間違いなくスラッシュメタルの生みの親だよ。『Kill ’Em All』の中の多くのリフは彼が書いているし、『Ride the Lightning』の何曲かだってそうさ。デイヴ・ムステインがいなかったら、スラッシュメタルはこの世に存在しなかったかもしれない。少なくとも最初のうちは彼が原動力だったんだ。芸術的な面においてね。

    その翌日か2日後、起きて(訳注:メタリカが寝泊りしていた)ミュージック・ビルディングまで車で行ったら、クリフが外でタバコを吸っていた。
    (訳注:そしてクリフのいつもの挨拶)「最近どうだ?」
    「何もないよ。そっちは?」俺はそう答えた。他の日と同じように。
    「別に。俺たち、デイヴをクビにした。彼はサンフランシスコへ帰るグレイハウンドのバスに乗っているよ。」
    俺は笑ったね。だってクリフはいつも皮肉で痛いところ突くようなところがあったから。「そりゃ可笑しい。ほら、俺はアンプを何とかしないといけないんだ。その口調はあまり感心しないね。2階に上がらせてもらうよ。」俺がそう言うと「全然冗談なんかじゃないぜ。2階の部屋に行ってジェイムズとラーズに話してごらん。」彼はそう言ったんだ。

    2階に上がって見回しても、デイヴはどこにもいなかった。「何かあったのか?」
    「クリフが話してなかったか?」ジェイムズはそう言った。
    「あぁ、彼は嘘ついてるんだろ?違うか?」
    「いや、俺たちは今朝デイヴをクビにした。」

    俺はまだ、そんなこと出来っこない、こいつら俺を騙してるんだと思ってた。「マジで言ってるのか?」
    「大マジだ。」今度はラーズがそう答えた。
    「何てこった。おまえらこれからギグだってあるし、来月にはアルバムを作るんだろ。ジョニーZは知ってるのか?」
    「あぁ、何日か前に彼には言った。」ラーズは続けて「俺たちはジョニーが(この件について)何も言わないと約束させた。デイヴに知られたくなかった。アイツが何をするかわからなかったから。」

    彼らは軍隊の爆撃みたいな正確さで全行動を計画していた。ラムーアでのザ・ロッズとのショーがデイヴのトドメの一発になってしまった。彼らはLAまでバスの片道切符を買って、デイヴが本当に酔っ払う夜を待っていたんだ。彼らはもう長くないことを知っていた。グレイハウンドの停留所はミュージック・ビルディングのすぐ隣にあった。彼らはデイヴを起こし、まだほとんど寝ぼけているような状態でクビにしたんだ。彼は服を着て出て行ったから、服を着せる手伝いをする必要はなかった。彼らはデイヴのものを集めて、その大部分はすでにバッグに詰め込んであったけど、文字通り彼が何が起きているのか理解する前にバスに乗せたんだ。それから彼らはデイヴの機材を送る計画を立てた。

    俺はポカンと口を開けたまま何も口にできずに突っ立っていた。クリフが後ろからやってきて「そう、だから言ったろ。」と言ったんだ。

    「じゃあ、これからのショーやレコード制作はどうするんだ?」
    「サンフランシスコのバンド、エクソダスからひとりこっちに来るんだ。」ラーズが答えた。「彼は飛んできて、バンドに入る。彼はもうほとんどの曲をわかってるし、リードギターを学んでいる。」

    そうして彼はやってきた。カーク・ハメットはとんでもなく頼りになるヤツだった。あの時のメタリカとアンスラックスみんなのアティテュードはこうさ。「ファック、公園のベンチで新聞の上に寝かせてくれ。気にするものか。俺たちはレコードを作るんだ。」

    俺は19歳だった。他のみんなもだいたい同じ年齢だった。何としても曲を作る、それ以外何も気にしちゃいなかった。でもそういうライフスタイルに適応することは、カークにとって他のヤツらよりも難しいことだった。彼は確かに4人の中で一番繊細だったんだ。そういう生活へのストレスが見えることがあった。サンフランシスコに戻れば、自分が始めたばかりのバンド(訳注:エクソダス)がいる。彼には留まる場所があった。彼は汚いリハーサル室で寝泊りなんてしてこなかった。でも決して文句を言ったり怒ったりはしなかったね。彼は俺がこれまで会った中で一番いいヤツだ。彼は何があっても変わらなかった。彼ほどのお金や名声を得ても。彼はサンフランシスコから到着して俺に会った日から変わらず、かわいい子供のままさ。

    (後略)

    radio.com(2014-09-30)

    ちなみにクリフに似ていると言われていた「フォンジー」はこんな顔。
    fonzie_henry_winkler_happy_days

    うーん、微妙な気がしますがどうでしょう(^^;

    スコット・イアンがメタリカのメンバー交代を後から知るこの場面はこれらの本でも記載があります。

    cliff_indexmaju_index

    しかし、この2つの本に出てくるダン・リルカの証言より、今回のスコットの証言の方がより生々しいですね。(微妙な証言の食い違いはさておき(^^;

    こちらの自叙伝が日本語化される日は来るんでしょうか?

    scottianbookcover


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