ステファン・チラジ(So What!のエディター)
そこでまた質問。ジャスティスのツアーのどこかで揺れるトラスの梁によってキミは文字通りあやうく首を切り落とされそうになっていたのを覚えているんだ。ダン(・ニコレイコ、ボックスセットのキュレーター)はシアトルのショーとビデオ撮影について尋ねた。私は、混乱した記憶の中で、この2つが同時に起こったんだ。正確かどうかはわからない。だからこういった質問をするんだ。※参考(1:15:46~)
ジェイソン・ニューステッド
そう。彼らが「...And Justice for All」でドリス像を少し破壊した時、壊れたか転倒したかどうだかで、少しずつ壊されて・・・曲の終わりで、火花が散って残りの部分が倒れていったんだよね?それからカーク側のステージ上にあったトラスが、ラーズのドラムセットの真上で揺れるんだよね?1つのショーだった。-そんなに多くのショーじゃなく、6公演か何かだった-ほとんどクソみたいなコトが俺を襲った。ジョン・ブロデリック(照明デザイナー)とスタッフたちがやらかしたんだ。彼らがドレッシング・ルームに戻ってきた。「オマエら大丈夫か?あんなことしないでくれよ。クソッ、オマエ、クソッ。心臓が飛び出るかと思ったぞ。」キミはわかるだろう、ああいう感情を。兄弟のようなんだ。
それ以降、俺は意図的にあえてそうしていたよ。それをなじって、梁が降りてくることを知りながら、位置を変えて、寸前でひょいと頭を引っ込める。だから人はあれを演出としてみるだろう。しばらくしてクルーはちょっと古株になったけど、誰かはそれを一度見ただけっていうコメントをするだろう。たまにジョンは「当時のあれは(降りてきたトラス梁がジェイソンに)ムチャクチャ近すぎだろう」って言うだろう。でも彼が見ていたところとは違っていたんだ。俺は自分でやっていたことはわかっていたよ。そうさ、あれはわざとやっていたんだ。
ステファン
シアトル公演かもしれないと思ってたけど、そうでもないんだね。
ジェイソン
彼らがかつてパイロの配置図に照明を置いていた時のことは覚えてる?アリーナ周辺のハッキリ目立つ場所はたくさんあるよね?たとえ立て続けに30の同じ公演があったとしても、彼らは炎が出る装置がどこに置かれるか示すだろう。しばらくしたら、彼らは俺の首を切り落としてるイメージを回路図に加え始めたんだ!俺の頭が転がってやがんの、それから彼らはその建造物を置いていたね。
ステファン
シアトルのショーとビデオ撮影についてはどう?
ジェイソン
えぇっと、あれは俺たちが数台以上のカメラにマジになり始めた初めてのことだった。知っての通り、巨大ビジョンとかそういった類のものは今や当たり前になった。当時はそうではなかった。もしヴァン・ヘイレンみたいな当時もっと大きなバンドに参加していたんなら、少しはスクリーンに映ることもあったかもしれないけど、そういうバンド以外はカメラなんて関係なかった。俺たちの世界にカメラが入り始めた頃だったんだ。言ってみれば、俺たちはあれ以前に公式でそういうことをしたことがなかった。だから勝手が違ったよ。
あれは俺たち全員が目立つためにやるんだ。本当にハードにこなして、練習して、そして誇示した。それだけ誇示しようってなったら、さらにそれが顕微鏡並みの(微細なものも映す)カメラでやるってなったら、俺たちはいつでも大丈夫なように(いつもと)違った風に構えてしまう。オーディオにもビデオにもその他全てにも記録されることがわかっている場合、いつも以上に失敗したくないって思うだろう。余計なものはカットしたいし、いつも以上の良いものなら消したくない。たしかに自分のパフォーマンスに違う要素が追加されることはあるね。
ステファン
89年の(カリフォルニア州の)ショアラインでのショーは伝説だよ。(同郷の)フェイス・ノー・モアが一緒に出演していたし、間違いなくナンバー1だよ。これは特にアフター・ショーのパーティーが朝の5:00まで会場で行われていたってことで私が覚えているショーのひとつなんだ!ショアラインでのあの特別なギグについては覚えてる?
ジェイソン
あれは凱旋公演だったね。俺たちがメタリカとしてホームに戻るたびに凱旋公演だった。毎回さまざまな方法で注意を払うよ。ニューステッド家のこともしかり、もしデンマークに行ったら、それはラーズ(が主役)のショーだ。こういう凱旋公演になる特定の場所はいつもある。そういうのはチェックするね。そういう場所では何かが起きるっていう期待があるし。だからベイエリアの凱旋公演は一番大きな印をつけることになる。だって(一か所ではなく)集合的な印になるからね。ショアラインは本当に真剣だったよ。俺たちはそれ以前にこれほど大きくホームグラウンドに錦を飾るなんてなかったからね。ベイエリアの誰もが、世界のヘヴィメタル大使としてだけでなく、ベイエリア出身のヘヴィメタル大使だってところに本当に個人的な誇りとしてくれたんだ。だから誰もが兄弟愛と家族的な誇りを持っていた。あの会場は特別だった、凄まじかったし、最初からライヴに来ていた人たちは(誇らしげに)胸を張っていた。最高だったよ。
ステファン
「One」のビデオ撮影は、私が思うに、間違いなくバンドのキャリアのなかでも影響の大きかった瞬間だったし、これについてのキミの思い出に興味があるなぁ。あれはショートムービーのようだった。ダイナミックな作品だったけど、あれについては何か覚えてる?
ジェイソン
間違いなくその世界に足を踏み入れることは俺たち全員にとって新しいことだった。複雑な感情があったね。「俺たちは本物のコアな集まりなんだぞ、そんなことやらない。俺たちはみんなのためにライヴをするんだ。そんな類のことに心配なんてするつもりはない。そういうことで競うようなエネルギーを費やすことはないよ。もしそうなら稼ごうぜ」ってね。これについても同じやり方だった。俺たちはMTVで起きている安っぽいクソの次に登場したいのか?でも何とかして、そこで扱われた方法や誠実さや信頼性のおかげで、それは俺たちのことをやっているだけだった。つまり俺たちがいつもやってきたやり方だったんだ。白黒にしてもね。
カットは何も加工してない。(ビデオのなかでは)ふだん通りで、ステージ上で着ているものをまだ着ていた。そういうこと全てが俺たちがのし上がるのにとても重要だったんだ。多くの人たちにとっての俺たちの魅力ってことでとても重要だったのは、Tシャツにジーンズっていう雰囲気を保ちながらも、「One」のビデオでほんの数秒のあいだにヘッドバンギングしてスラッシュするっていうことがあったことだよ。あれでスパークした。俺たちみんなアンガス(・ヤング)がやってるのを見たことはあったけど、俺が「スナップ」と呼んだ代物じゃなかった。首をスナップさせ、髪をスナップさせ、ベース弦をピックでスナップさせる。ラーズと連動してスナップする。それで「スナップ」をあの昔の(長い)髪で、白黒で初めてさらされたわけだ。それがキミがヘッドバンギングについて話していたこととか・・・全ての始まりみたいなもんだった。そのせいで首に多くの問題が生まれてしまったけどね!
ステファン
素晴らしいおしゃべりだったよ。(最後に)もうひとつ質問があるんだ。キミが覚えていることで我々が触れていなくて、注目して欲しいことってあるかな?
ジェイソン
うーん・・・何度か触れてきたことだと思うけど、今振り返って、分析する時間を持てた。ジェイムズ、カーク、そしてラーズが自分たちのなかに抱えていた実際の苦悩とか挑戦。鍛錬して、成功者として今日の彼らになったこと。素晴らしいことだ。彼らはその場所をみつけ、その場所にたどり着き、その場所にとどまった。そんなことをやったヤツなんていないよ。
俺がバンドに入った時に彼らが経験したこと、彼らが必要としていた以上に何年も何年も何年もかかって(乗り越え)、彼らはバンドの名前、バンドのパワー、バンドの誇り、バンドをサポートしてくれた何千人もの人たちのために鍛錬し続けてきた。それに30年以上に渡って給料を与え続けているんだ。わかる?信じられないことだよ。彼はそういったことをやり通したんだ。戦い続けてね。俺たちは悪魔がやってくるのを見たこともあった。時にはふざけたことが近づいてきたこともあった。でもそんなことで彼らは破滅しなかった。それどころかそんなことが彼らをより強くしたんだ。-それを理解した結果- 彼らは史上最も世界的にイカしたメタルバンドなんだ。
Metallica.com(2018-11-12)
ジェイソン・ニューステッド
あぁ、(ジャスティスアルバムで)バスドラムの低音域を劇的に失くしていたから、ブラックアルバムが出たとき、ベースはメチャクチャでかいものになった。「Enter Sandman」の始まりの部分は毎週フットボールスタジアムでみんなに刻まれている。俺たちはジェイムズのリズムギターの下に入るベースの周波数を知っている本当のプロデューサーを手に入れたんだ(ブラックアルバムのプロデューサー、ボブ・ロックのこと)。これについて科学的な見地を得たいなら、全てはそこに行き着く。みんなミックスやバンドに入った新しい男について話をしたいんだよ。「こういうミキシングだとほにゃらら」ってことでどうにかしてたんだね。それが当時のみんなの頭ン中にあったことで、みんなに強いられたんだ。そういう風にして曲はラーズのとこの地下室で創られた。
「Blackened」以外の曲に実際のところ低音は存在しない。それが実際に起きたことだ。それは今は完璧なんだ。そのために他のレコードではベースが大きくなった。それがまさしくバンドが登りつめるために本来起こるはずのことだったんだ。
ステファン・チラジ(So What!のエディター)
素晴らしい見解だよ。キミが当惑していると言ったとしても、著しくうなだれているところを見たことがあるとは言えない。ライヴでは最後の一滴まで力を注いでいた。「OK、自分でできたかもしれないとわかっているってことよりも、ライヴでもっと多くのことを注いで、自分の存在感をさらに高めて、この集団にもっと多くのことをもたらそう」と思ったのかな?
ジェイソン
たしかにそうだね。それがいつもの俺のやり方だ。この会話を始めた役目に戻ろう。俺がバンドで果たした役割、俺はステージマンだ。もし他のメンバーが疲れていたり、休憩を取りたいとなったら、ジェイソンをステージに置けとね。ヘッドバンギングして、髪を振り乱し、メチャクチャに汗をかくだろう。さぁ撮ってみろ、写真を撮ろうとしている100%の時間を使って。それは自分のためになったものだ。みんなに対して、そして現実世界における自分自身に証明しなければならなかった。本当に重要なのはそれだけだ。リベンジを期してやっていたのか、力量を埋め合わせるためだったのか自分じゃわからない。それが関係があるとは思ってないな。
ステファン
素晴らしいよ。これまで我々が議論してきたことと比べると、どちらかといえば陳腐に思える質問があるんだけど、アンダーグラウンドのカルチャー革命のために聞かなきゃならない。ジェイソン、剃刀セットを頭の両脇に持っていって巨大なたてがみの一方を剃ることにしたのはいつが初めてだったんだい?ジェイムズが(髪型を)コピーして、私も、そして大勢の人がコピーしていたことに気づいたでしょ。ヘヴィなものに夢中なみんながあの髪型をコピーして、どこからともなくそうなったと思うんだよ。だからキミに聞かなきゃならないと・・・
ジェイソン
・・・そりゃあ俺のトンデモ伝説だね!ハッハッハッ!
ステファン
キミに聞かなきゃならないんだ。1つは、何がキミをそうさせたのか?2つめは初めて(その髪型に)した時のことを覚えている?「すげぇ、こいつはクールだ」って思った?
ジェイソン
昔を振り返ってみようか!もしGoogleで調べてみると・・・Googleのニューステッドは今こうだ、この髪型。この髪型として出てくる。「メタリカのベーシスト」として思い浮かぶんじゃない。このファッキンな髪型を思い浮かべる!だからそれでいいよ!80年代後半、サンフランシスコのスラッシュメタルシーンでヴァイオレンスっていう、後に(脱退したロブ・フリンによって)マシーン・ヘッドにもなったバンドにまでさかのぼる。
ステファン
そうそう、私はよくヴァイオレンスについて書いていたよ。
ジェイソン
彼らはベイエリアのバンドのなかでも俺のお気に入りだったんだ。本当に尊敬していた。彼らは無茶苦茶タフだった。俺たちが巨大な場所でライヴをやっていた時、彼らはまだクラブで公演をしていたけど、彼らを観に行ったり、応援したりしたよ。彼らのことが大好きなんだ。それでベーシストのディーン・デルが片側だけ髪を剃った。キ〇ガイみたいに(髪を)回転させていたんだ。俺はメチャクチャやべぇって思ったね。だから家に帰ってその翌日の夜に剃ったんだ。ステージに出たら、それが流行った。それが終わりの始まりだった。
ステファン
OK、ここでいくつか質問をしよう。モンスターズ・オブ・ロックのツアーのプレ・ショーとなるロサンゼルスのトルバドールでの公演について。
ジェイソン
あのクラブのことは覚えている。「Frayed Ends of Sanity」って名前で出演したんだ。クラブで汗やら何やらな状態の人たちのためにアルバムから新曲をやるってことで、俺は興奮していた。1曲以上ジャスティスの曲を、会場にいるたった数百人の人たちと近くで歌うようになったのは初めてだった。無茶苦茶ラウドだったね。
ステファン
それからロンドンのハマースミス(Hammersmith)での3夜公演。
ジェイソン
これは歴史を振り返らなくっちゃ。モーターヘッドの存在によって、あそこに行くのはとっても大きなことだったんだ。俺のベースソロの時間が来たら(モーターヘッドの曲を)絶対に絶対にやりたいと思ってたね。モーターヘッドのアルバム(『No Sleep ‘Til Hammersmith』)は、俺がベースをピックで弾いたりうならせたりするのを習得するのにとても大きな役割を果たしていたんだから。かなり重たいベースを持っていたから、あの公演のあいだにヘッドバンギングをして、脊椎骨を痛めてしまった。あれは俺が首を痛めた最初だった。俺は本当に痛んでいた。アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソンは「そんなことを自分に課す必要はないよ、なんでそんなことを自分にやろうとするんだ、兄弟?」って言ったよ。俺は「それが俺のしていることだ!」って感じだった。俺は「おい、オマエの頭をバンギングしてやる」ってタイプじゃない。起きるべくして起きたこと。俺は曲になり、モンスターになり、そうして起きたことだ。ジョガーやランナーが走るために足を動かさなければならないようにね。それと同じようなことだった。
ステファンこれは言っておかなきゃらないんだけど、誰もキミのような角度で頭をぶん回すことなんてできなかったよ。キミの首には、背骨の先と胸と肩まわりにかけて球関節をもっているんじゃないかって具合だった。※参考ジェイソン
そりゃいいね。ダンサーの膝と同じように、職業上伴う大きな危険みたいもんだった。俺たちが今(チョップハウスバンドで)演奏している音楽は、これまでやってきたほど激しくはないから、はるかに(身体上)良いってことは言っておこう。この頃はベースよりギターを弾いているから、もちろんあの頃ほど危険ではないよ。ステファンさて、次は3つの単語、ロング・ビーチ・アリーナ。
ジェイソン
あれも危険だったね。あそこでは中二階でサークルピットがあったのを覚えている。そこは中央の柵が(移動可能な)歩行エリアだった。一番上の柵じゃなくて、アリーナ席から次のコンクリートの区切りまでの真ん中の柵をね。それで歩行エリアがそういう席の正面、アリーナの周りはずっとサークルピットだったんだ。ステファンうわぁ。ジェイソン席についた人たち全員の正面でそこいらじゅうでそんなことになっている。それがそこからの眺めなんだ。何人かの人たちはケガをしていた。人を助けるために一度か二度、ライヴを止めなくちゃならなかったはずだよ。ステファンそれはクレイジーだね。次はデラウェア州ニューアークの小さい会場、ストーン・バルーン。ジェイソン
それがあったね!ストーン・バルーンは、俺たちにとっての冒険で、ジャスティスツアーでもほとんどラーズが主導したものだった。俺たちはどれだけ長くかかろうとも北米50州全てを廻ろうとしていた。それはまだ達成してなかったけど、実際にやったバンドもわずかだった。だから俺たちはこの、どんなにデラウェア州の平日水曜の夜であろうと、どうにか物流的に処理できる唯一の場所に行ったんだ。そこは俺たちのライヴが可能な州で唯一の場所だった。機材を動かすのに十分なアンペアがあったんだ。
あれは無料のイベントだっかもしれない。30時間かそれくらい前に告知したんだ。そこで公演をするってね。5:00か6:00になる頃には、クラブの周りの道路を封鎖しなくちゃならなかった。何千人もの人が通りの外にあふれていたから。物を壊したりとかそういうことはないけど、ちょっと手に負えない状況で、収容人数800人ってせいでなぜ入れないんだとなっていたよ!マーシャルアンプはおかしくなった!覚えているのは、本当に汗だくで、パンクロックな雰囲気があって、俺たち全員のめりこんで、全員の目を見ることができたんだ!あれはそれまで起こってきた出来事のなかでも、俺がそのまんま思い出すことができる本当に唯一の時間のうちの1つだったね。
MTVみたいなことで「メタリカと一緒にあのクラブでライブをしよう」ってことは何回かやったけど、それは全て宣伝されていたものだったし、かなり統制が取れていたよ。でもこれ(デラウェア州の出来事)は荒々しかったし、昔のまんまというか、血と汗でボロボロって感じだった。
ステファン
100 Clubと比べたらどうだい?
ジェイソン
いや。100 Clubのショーに匹敵するものはないけど、同じ分野で近いものと言えるだろうね。(続く)Metallica.com(2018-11-12)
ステファン・チラジ(So What!のエディター)
じゃあ、ワン・オン・ワンのスタジオに話題を移そう。マイク・クリンクと行った最初の仕事とかもろもろ、どんな思い出があるか聞いてみようと思うんだけど。
ジェイソン・ニューステッド
ハッキリしているのは、ジャスティスアルバムでの俺の関与はとても限られていたってことだ。ベースのレコーディングとリハーサルのためにスタジオに行った日があったし、もちろんロサンゼルスのワン・オン・ワンにいる写真とかそういう活動のために行ったってのもあるけど、俺が覚えているのは自分はまだ小さなアパートに住んでいたってことなんだ。
古いトラックにフェンダーとかを積んでいた。おんぼろトラックでね。フロットサムのアルバムのレコーディングで使っていた、同じアンプ/ヘッド、同じ楽器を積んで自分でロサンゼルスまで運転していた。早朝には着いて、バンドが借りただか何だかと思われるアパートがあったんだ。どういうわけだか俺は鍵を持っていた。
着いたはいいけど、そこはメチャクチャだった。ジェイムズは立ち去ったんだと思う。そこには誰もいなかった。誰も掃除も何もしてない!だから俺がそこに行ったら、椅子か何かで眠り込んだ。そしたら朝の7:00に誰かがドアをノックして叫んでいるんだ。「オマエは誰だ?ここで何してるんだ?オマエに交代したって言うのか!?」その人が何について話しているのかわからなかったよ!それでとにかくベースを持って、次の日にはスタジオ入りしたんだ。
マイク・クリンクについてはほんのわずかだけ覚えている。彼はガンズ・アンド・ローゼズのアルバムとかを手がけた人だった。俺たちは「フレミング(・ラスムッセン)を呼ばないのか?コイツは何をするんだ?」「彼は『Appetite for Destruction』を作ったんだ。だから彼を呼んだらなんちゃらかんちゃら」とか、政治的なことやら何やらとかで、なかなか事態が進まなかった。俺は「俺たちはこれをレコーディングするだけでいいのか?俺は自分のものを練習してきた。ここまで運転してきた。没にすることもできれば、曲を提案することもできる。没にしちゃ、曲を提案する。没にしちゃ、曲を提案する。」って感じだった。「何日も曲に費やす」とかそういうことじゃなかった。これは「クソなものをクソ弾きする」ってことだ。それがフロットサムとかで俺が知っていたことの全てだった。限られた環境で、スタジオを買う余裕もない。6時間でアルバムを完成させる必要があった。集中して、自分のパートをプレイするんだ。
ステファン
それはとても興味深いね。ジェイソン
それまで知っていたことはそれだけだったんだ。『Garage Days Re-Revisited』でも同じだよ。彼らは曲を演奏し、俺はベースを弾く。1曲目からポンッポンッポンッポンッと5曲だ。夕飯をとるために家に帰る。それでおしまい。なにも(ジャスティスアルバムの曲が)ちらつくものはなかった。だから俺は自分でわかっている同じアンプ、同じベース、同じものでプレイした。レコーディングして終わり。それを6日でやった。それで(ロサンゼルスから)北の方に帰るんだ。ロサンゼルスには1週間ほど行ったことになる。やれることは何でもした。それからツアーが始まった。アルバムに一体何が起きたのか、数か月後には出た。それがジャスティスアルバムで俺が関与したことだ。
ステファン
興味深いよ、それは私にその時間枠について2つの特別な思い出を思い起こさせるね。私は第一にツアー、つまり物事がとんでもないことになるモンスターズ・オブ・ロックについて始めよう。私はメチャクチャ圧倒されたのを覚えているんだ。ハッキリと覚えているのは、タンパにいた時にサミー・ヘイガーがキミたちの方へやってきてこう言った。「やぁ、キミらはやってくれたな!」って。楽し気にね!彼は(ヴァン・ヘイレンを)辞めさせられたにもかかわらず、非常に寛大だったようにね。あの時、これは本当の話だ、これはとんでもない出来事だって思ったことを覚えているよ。なので、まず最初にあのツアーについてと、ラーズとジェイムズがアルバムをミックスするためにずっとその場を離れていたのをどう感じていたのか少し話してもらえるかな。キミはあの過程に関与したくてウズウズしていたのか、それとも「(ミックスに参加するのは)俺の性分じゃない、俺の領域じゃない、俺はここでこのバンドをロックンロール史上最高のライヴバンドとして確立する手助けをするんだ」と理解していたのかな。ジェイソン
俺が(ミックスに立ち会うためにその場に)行くかどうか選べなかったよ。選択肢にすらなかった。ツアーの真っ只中で、その合間をぬって行っていた。ツアーはたった2つのセットだったからね。木曜。金曜、土曜だけ、それでもうまくいった。その合間の日で、どっちかが先に進めて、俺たちはホテルに滞在していたんだ。彼らがウッドストックまで登りつめて、あれをミキシングしている時にね。
ラーズはまだお祭り気分とはいかなかった。ジェイムズもだ。カークと俺は、何でもやった。二度、目を閉じて起きたら別のショーがあるように思えた。バンド全員がリムジンで旅行をして、何らかの理由であの2人にアルバムをミックスさせようとしていたことに対して実際問題、選択肢はなかったよ。俺たちもミキシングをやるなんて議題にさえ上らなかった。どちらにしても考慮にさえ入っていなかった。質問のもう一方に答えようか。そう、今回は俺たちが何をしていたのかをみんなに伝えることだけだった!俺たちの目の前には大群衆。一日のなかで俺たちのエネルギーがピークを迎えた時にプレイした。会場に行ってマザーファッカーなものを見せることになる。とにかくみんなが俺たちのためにその場にいたんだ。そこにいた群衆の3分の1か、2分の1かは俺たちを観るためにそこにいたんだ。彼らはそこで何が起きているのか、今後何が起きるのかを聞いていたからね。言っておきたいのは、30年だか何年だかのミュージシャンとしての自分のキャリアにおいて最もエキサイティングな月間のトップ3に入るってこと。俺にとっては特別な時間だった。それとガンズ・アンド・ローゼズとのこと(1992年のツアー)、それらは俺たちにとって最大の学習体験だったし、最も誇り高い勝利の瞬間でもあった。モンスターズ・オブ・ロックのこと、俺たちは2番目に名前があった。(出演するバンド)みんなはたとえどんなもんであろうと俺たちの後を追うのは怖かっただろうね。まさにそんな感じだったんだ。俺たちはそういうのをなぎ倒していった。まったく邪悪なもんだよ。全てがまだ速かった。300人規模の巨大な3、4、5のサークルピットがサッカー場のいたるところにできているんだ。邪悪だねぇ、ホント邪悪。手が付けられない。それに防弾チョッキね。あれは俺が経験してきたなかでも最も目を見張る、そして最も心を開かせるものだったよ。まさに心を打つものだったから。俺はようやく少し休んだ。バンドメンバーとしてのリズムをつかんでいた。あの当時、俺たちは約30か国で勝利を収めていた。夜のトリを務める自分たちのヒーローたちと、一緒にアメリカでやるチャンスが待っていた。スコーピオンズだって?マジで言ってんのか??(スコーピオンズの)『Tokyo Tapes(邦題:蠍団爆発!! スコーピオンズ・ライヴ)』とかがなかったら、俺はたぶんロックを好きにすらなってないよ。ステファン
クールだね。それから私はその時代の第2の思い出がある。キミはこれを覚えているかもしれないけど、ルー(・マーティン、旧友であり、元フェイス・ノー・モアのギタリスト、ジム・マーティンの兄弟)と私がデトロイトのシルバードーム(私にとってこの場所で観たライヴは私のライヴ経験のなかでもメタリカを除いて最も素晴らしい経験のひとつになっている)に行った時のこと。それは私が今まであのレコード(ジャスティスアルバム)を初めて聴いた時でもあった。たしかキミの宿泊しているホテルの部屋にいたんだ。キミは大型のラジカセを部屋に置いていた。テープを入れて再生すると、(私は)技術的に洗練された耳ではないかもしれないけど、スピーカーから出てきた音にただ反応しただけだった。私たちは「おぉこれはかなり良いね、これはすごいよ。ヘヴィじゃないか」という感じだった。それからキミが立ち止まって「何か聞こえたか?」って言ってたのを覚えているんだ。私は「何を言っているんだ?もちろん聞こえたよ!」って言うと、キミはこう言ったんだよ。「ここにはベースなんかない。ベースが聞こえたか??」って。私たちは笑い始めた。なんだか奇妙で心地悪い笑いだった。私はどうすればいいか本当にわからなかったよ。キミは積極的に怒っていたわけじゃなかった。でも控えめに言ってもキミはちょっと驚いていたよ。ジェイソン
当時、俺はかなり混乱していた。その5日前に俺たちが出したレコード、『Garage Days Re-Revisited』のベースはメチャクチャでかい。だから俺は「OK、これが俺たちがやろうとしていることなんだな、よし、俺はキミらに任せたよ」って感じだった。メタルバンドだし、重さが必要なはずだ。俺はそんなことを思っていた。プレミックスやキミが知っているようなテストや時間をかけての決定について俺は何もやっていなかった。そのどれも起きなかった。何かを聞いたり「それはそうすべきだ」とか言ったり、何か意見を言ったりする機会はなかった。「これが完成品です」それだけだった。だからあるメタリカファンと同じように、俺は「メタルバンドのようには聴こえないな」と思う。ガレージバンドのようなんだ。それはガレージ・ミュージックになった。ザ・ホワイト・ストライプスとかそういうデトロイトのガレージ・ミュージック。今になって思えば、ジャスティスアルバムは、ギターとドラムのガレージサウンドの扇動者であり開拓者でもあった。
キミも知っての通り、最初の2年間は、腹も立っていたし、それがみんなに届いた時には、そう、聞いてあまり誇りに思えなかったとかいろいろな思いはあった。でも今、俺たちは(リリースから)30年を迎えて、みんながいまだにあれについて話している・・・それは完璧だと思うんだ。クソ完璧じゃないかってね。もしそういうことをやっていなかったら、みんなそこまで高らかに話してはいないだろう。これが結果だろ?素晴らしいじゃないか。「キミらはグラミー賞を逃した」(1989年に『...And Justice For All』はジェスロ・タルの『Crest Of A Knave』に敗れ、ベスト・ハードロック/メタル・パフォーマンス部門のグラミー賞を逃した)といまだにみんなが話をしているようなもんだよ。もし俺たちが勝ち取っていたら、誰もそれについて気にしたり、それについて何か言ったりしないだろう。でもみんなは今日も明日もそれについて話している。来週だってジャスティスアルバムの「あのこと」について話している。もしそういうミックスじゃなかったら、別のアルバムになっていた。あのガレージサウンドのおかげで伝説になったんだよ。ステファンそれは、素晴らしい見解だね。私はあれがガレージサウンドだっていう事実について考えたことさえなかったよ。つまり、このレコードに対して付随する言葉として聞いたことがなかった。でもその通りだね。(続く)Metallica.com(2018-11-12)
ステファン・チラジ(So What!のエディター)
可能であれば、みんなをその場に連れて行って欲しい。つまり、覚えていることを教えて欲しいな。最初に曲を書き始めたときのこと、ジェイムズのようにやっていることが明らかに巨大で特殊なセンスを持つ誰かとジャムったときのことをさ。
それはどうだった?文字通り、できれば読者をその場のソファに座らせる感じで。「すげぇ、俺はコイツと一緒に曲を書いている」とか。どんな感じなの?どういう感覚が伴うんだろう?
ジェイソン・ニューステッド
最初の行は「言うだけなら金はかからない」ものであるべきだと思う。リフや楽曲のなすままに話をさせる。彼はそれを聞くつもりなんてない、ただのおしゃべりだよ。たわごとを弾いてみるんだ。もし(リフの出来が)よかったら、そういう反応だし、よくなかったら、そういう反応なんだろう。その意味で、彼(ジェイムズ)は口数が少ない男なんだ。ただビジネスに取り掛かる。それがスタートだ。そういう感じかな。みんなにとってのクールなイメージがある。
それで俺たちは俺のアパートのひとつ余った部屋に集まっていた。俺は自分の小さなスタジオに小さな4トラックとちっぽけなテーブルを用意して、1986年の「Damage, Inc」ツアーのポスターを貼った。俺や彼が角に座るには十分な部屋だった。
俺はツアー用じゃないベースで、あれこれ考えたものを何でも弾いていた。俺があのリフを弾きまくって、彼がそれに沿って弾いた。そしたら俺は「録音」ボタンを押し、それがリフを書き始めようとしていたあのアルバムのオープニングトラックになったんだ。
俺はフロットサムで曲を書くことを超えた考え方を持っていなかった。ベースパートを書く。何かの曲のイントロ、序奏、コーラス、ソロ、ベースラインなどなど。俺は作曲するということを十分に知っていたけど、当時の彼らの力量は、俺がフロットサムのメンバーたちと一緒にやったことの一歩先を行くとんでもないものだった。
彼らはすでに「Fade To Black」と「Orion」をやっていたから、いくつかのアイデアを収めたデモテープを彼らに渡すより、むしろわざわざ手こずるようなものを、彼らの目の前で演奏する力量に達する方法を理解しようとしていた。彼らと面と向かって演奏することはいつだってかなり威圧的なものだったんだ。でもいったん彼らからOKが出たら、それをもっと速くもっと激しく弾いていたかった。それはまるで最高の相棒の承認みたいなもんをもらいたいっていう子どものようだったね。
彼らがすでに制作してきたアルバムでとても多くの尊敬を集めていた。彼は日本で俺のものを実際に初めてテストしたヤツだった。何ヶ月もの後、バカげたいじめ、飲酒、お楽しみ、彼と俺はいつもつながっていた。ラーズと俺はそういったこと(エネルギー)で、ジェイムズと俺はこういったこと(リフや作曲)で仲間になったんだ。
俺たちはとてもよく似ている。トラックと銃がつきものの田舎の子どものように、間違いなくそういうヴァイヴが結ばれていた。生々しいメタルなもの、ヘヴィなものを弾きたいっていうこともね。俺たちはそういうことで結束していた。だから彼のOKサインを得ることは俺にとって本当に重要なことだったんだ。OKサインをもらえばもらうほど、俺のリフは増えていく。彼の良い曲をサポートしようとしていた。それは本当に俺がいつも言ってきたことだ。俺が出来うる最高にクールな材料を書いて、彼がすでにまとめている曲をサポートしようってね。ステファンこのバンドのなかでキミが明らかに緊密な関係を持っていたのはカークだったよね。二人は誇りをもって音楽へのこだわりを持っていたし、音楽を愛し、「ハッパ」仲間でもあったようだね。一方で他の二人とは「仕事に行く」感じなのかな?
ジェイソン
たしかにさまざまな場面で分かれる同志の固まりがあったかな。俺がいた時の4人のメンバーのなかで、おそらく誰にとっても一番明白なのは「レノン=マッカートニー」だね。知っての通り、ソングライターであり、バンドのリーダーだ。彼らはそれをやったんだ。カークと俺は「じゃない方」だね。俺たちはステージ上で自分たちのことをやりとりして、相互に作用して、弱いつながりなんてなくて、4人合わさった力というのは俺たち個々人を上回るものなんだ。それによって俺たちは成功したんだよ。でも俺たちのあいだには違うものもあった。
俺がジェイムズについて説明していたように、俺たちはホットロッドで結びつきを持っていた。ラーズと俺は混じりっ気なしのエネルギーとかお互いへの理解とか推進力への感謝とかでつながっていた。彼は俺が今までにないものを持っていたし、俺は彼が持っていないものを持っていた。そういう尊敬とか憧れとか驚嘆すべきものはあっても、いつもお互いに深く掘り下げていて、いざとなれば互いに協力的だったからね。互いにかばい合っていた。俺たち全員そうなんだ。でもラーズと俺は、それぞれ違う時にお互いを本当にかばい合っていたと思うよ。そしてカークと俺は、そう、俺たちはホテルの部屋で夜2時までセッションし合うような仲だった。カークは心の広いヤツだよ。彼はそういうステキなヤツなんだ。彼はとっても気まぐれで傷つきやすい。だから俺のことに気を配っていたし、俺は彼のことに気を配っていたんだ。
ステファン
1つだか2つだか深夜のホテルのセッションから、ジャスティスアルバムに入ったリフはあった?キミたち二人のあいだでのジャムセッションで誕生したものは、あのレコードに入ったのかな・・・それとも実際にはそういうことにはならなかった?
ジェイソン
俺たちは全部録音していたから可能だったと思うんだ。そのうちのいくつかを提案することは可能だった。(実際どうだったかは)特に覚えていないんだよね。アルバムの何かになったリフっていうのを今すぐ挙げることはできないんだけど、たぶんそういった(録音された)ものを聞き直せば、時間とともに後に何かになった種を拾えるかもしれないね。
でも励まし合いについては、間違いなくあった。たとえドブロギターのスライドがファストなメタルには奇妙だろうが、考え付いたら俺たちはいつも励みにしていたんだ。(続く)Metallica.com(2018-11-12)
ステファン・チラジ(So What!のエディター)
加入して最初の頃のポジティヴな動きについて焦点を当ててみようか。興味をそそられることはたくさんあったんだけど、私がまさしくと思うのは、ラーズのエネルギーがあの当時、メタリカを続けていくことにどれだけ不可欠なものだったかってことなんだ。彼無しでは続けられなかったし、今ここにこうしていないかもしれない。そしてキミがとても手助けとなるたくさんのエネルギーを携えてやってきた。キミとラーズのペアが前に進ませ、当時のジェイムズとカークを再び元気づけたと思うんだ。
ジェイソン・ニューステッド
たしかに。えぇっと、最後の質問から話の腰を折るようだけど、どこか排他的なクラブにキミが調べられなくちゃならないときっていうのは、クラブはキミをカットするか確認するために吟味されているわけ。もし6人しかメンバーがいないクラブがあったら、俺なら足を踏み入れるし、そうしなくちゃ。まだ嗅ぎ分けられている最中だってことを誰もが知っている。だからラーズがこれだと自分のなかで感じた時点で、バンドに俺を入れようとしていたのは彼一人のようだった。
彼は俺がバンドに入るように推し進めた一人だったし、クリフの事故とかがあってどんなに難しかろうとも俺を支えたいと思っていたし、あの状況では彼の満ち満ちたやる気によって支柱的存在だった。一番のバンドになりたいっていう願望だ。彼らがやってのけたこと、達成してきたことは全て、彼ができると本当にマジで信じていたことだったんだ。それに加えて、彼の先を見る目や実践して得た知見、受けてきた教育、地理的知識、彼が父親との旅行から得たもの、俺たちが持っていなかったあらゆるものを彼は持っていた。その類のリーダーシップは当時必要不可欠だったね。だから俺が入ったのは、燃料とか輸血のような類のものだったかもしれないけど、世界を股にかけたバンドに欠かせないものは何かわかっちゃいなかった。やれるってチャンスのところでやっただけだった。そういうことを理解することはできなかっただろうね。俺は生の燃料で彼がその燃料を燃やすエンジンを持っていた。そうして俺たちは推し進めた。そういうことじゃないかな。
ステファン
それは素晴らしい視点だね。
ジェイソン
推進力だよ。
ステファン
いや素晴らしい視点だ。話を先に進めよう。あのエネルギーが最高潮だった最初の頃に重要となったショーについて思い出すんだよね。1987年8月にロンドンの100Clubでやった公演では、キミが気を失ったんだよ。あそこでは(熱気で)100度はあったことを覚えてる。キミの創造的思考が「アルバムを作れるだけの曲はあるんじゃないか?」というところまでは行ったのかな?87年頃、何か創造的な思考を持ってたり、曲を書き始めていたりしたのか覚えてる?
ジェイソン
俺はアルバムサイクル、ツアーサイクル、そういったもの全てについて、まだ少しも理解できていないんだと思う。成り行きにまかせていた。彼らが「リハーサルのためにいろ、何か用意しよう、アイデアを出して」と言うだろうとね。俺はいつもこれまでやってきたどのバンドでも曲を書いていたし、リフを作っていたから、テープは持っていたし、実際にベースパートをテープに残したり、リフをアレンジしたりしていたよ。
ステファン、キミが言ってたことでハッキリさせておきたいのは、最初の頃に100Clubでメタリカがライヴをした時、どのバンドメンバーも気絶なんてしてないと思う。確実に俺はそんなことになってない。少なくともあの会場にいた1%は俺のタイプだったけどね。そんな神話がどこから来たのかわからないけど(そんなことはなかったと)ハッキリさせたい。だってそんなバカげたことでも、みんなが俺たちのことを真実じゃないもので思い出させるってことになるからね。俺はこういうバカなことについて誰かに喋ったりしないから、俺が話すときにはハッキリさせたいと思うんだ。
ステファン
いいね。公正だよ。私は確かに誤って記憶していたんだね。
ジェイソン
俺たちが「Am I Evil?」だかダイアモンド・ヘッドの曲だかを演奏する直前にブライアン・テトラーがやってきて、彼がギターを抱えてくるあいだみんなが一息入れて、俺たちは全員座った。もしその当時の写真を見たら、俺とジェイムズが隣同士で座っているはずだよ。それがあのギグに関するメタリカの真実の物語ってわけだ。俺たちはそこでがんばっていた。それは誰もが知っていることだ。
ステファン
なるほど。レコードの話をしよう。キミが自分の家で書いた最初の頃のリフについて考えてみて、ワン・オン・ワン(スタジオ)での最初のセッションになっていったことについて話してみない?
ジェイソン
それじゃあ・・・加入初期の頃を振り返ると、あの当時は数ヵ月ツアーに行って、その合間に数週間の休暇があった。87年から88年頃の話だ。俺たちはまだシングルルームを持っていただけで、ラーズはカールソンの家があったけど、俺たちは皆半径5マイル(約8キロ)以内にいたんだ。俺はジェイムズの猫の餌を取りに行って世話をしたり、彼が俺の猫の世話をしたりしていた。それが俺たちの姿だった。俺は当時、付き合いの長い料理上手な彼女がいて、メンバーを夕食に招待したりしていた。ソファでちょっとジャムったり、いくつかのアイデアをあちこちで録音していたりした。だから俺の頭の中ではその時点でメタリカとの曲作りに入っていたんだ。ジェイムズと俺は膝を突き合わせて、面白いものを叩いてみたり、そこから何でもジャムってみたりしていた。当時はとても速いペースで物事を進めていたんだ。フロットサムから抜けてすぐに「d-d-d」っていうかなり簡単なモノを書いた。
ある日の午後、俺たちはジャムっていて、俺は4トラックのレコーダーを持っていた。俺が「Blackened」のリフを弾くと、ジェイムズが「それは何だ?」ときた。俺は何回か弾いてみせて、何度も繰り返した。彼はそのリフを拾って拾って対抗するパートを弾いてみせた。それが”モノ”になったわけさ。彼はあれを使わなきゃって言ったんだ。だからそれが俺の最初の励みであり激励になった。「そのリフを使って、もう少し曲を書かないか?」それが俺がバンドの作曲者として受け入れられるスイッチが入った時だったんだよ。自分のリフのいくつかを曲に入れる機会があるかもしれないっていうね。フロットサムの頃にマイク・ギルバートと俺が最初にやったことの後、俺たちは今までにどれだけの曲を考え出してきたか。俺が言ってることわかるよね?だからそれが始まりだったんだ。
ステファン
それが入口だったんだね。
ジェイソン
あぁ。
ステファン
それは悪い入口ではないね。(続く)Metallica.com(2018-11-12)
ステファン・チラジ(So What!のエディター)
他の3人が取り組まなければならなかった問題の深刻さをキミはわかっていた?キミが参加したとき、彼らが向き合うにはあまりにも多くのトラウマがあるっていう認識はあった?彼らがそういう状態にあったから、ある程度の間違いはあるだろうとあらかじめ受け入れていたの?あるいは「何てこった、これは俺がメタリカに加入する時から期待されていたものってわけじゃないだろ?」とキミが思うような瞬間はなかったかい?
ジェイソン・ニューステッド
俺は本当にそういう考えや認識、あるいは気付くまでの余裕なんてなかったよ。あのバンドに入るチャンスを得て、ベースでベストを尽くし、できうる限りのことをしようといっぱいいっぱいだった。それが全てだ。実際に全てではないけど、ほぼそれに近い状態というか…クリフの名声に沿うようにした、それは言うまでもないことだ。それはお決まりの文句とかそういうんじゃないけど、俺は彼を失望させたくなかった。彼らも失望させたくなかった。自分を失望させたくなかった。それが俺にとって重要なことだった。そういうもの全てから来るパンチをかわしているだけだった。悲しみやさまざまな反応?俺はそういうことは知るよしもなかったし、額でそいつをまともに受けるまでそういうことを認識していなかった。トーベン(ラーズ・ウルリッヒの父親)とジャン(クリフ・バートンの母親)と何回か会って、彼らは俺に少し心構えをさせようとしていた。でも誰かがそういうことを気付かせるという重要な役割を果たすなんてありえないよ。ノリに乗った勢いに乗じて、その全てのエネルギーを注ぎ、バスや飛行機や電車といったことでそういう機会を奪い続けたうえに、いまだに半端じゃない成功をおさめ続けているんだから!23か24歳の若者にとっては、信じられないくらい重荷だよ。
ステファン
キミがそうハッキリ言うと、本当に狂気だったんだね。
ジェイソン
でしょ?俺はそんなこと考えられなかったよ。ほんの一部も考えられなかった。そういうところまで、まだ成長しちゃいなかった。その時点で俺はペットを喪った経験があるだけだった。祖父母も健在だったから、そういう(クリフという仲間を喪う)ことは理解できなかったんだ。彼らにとってどれだけ重要な存在だったかはわかっていたから、一歩身を引いて、できうる限りクリフに敬意を払うようにしていた。俺にとって最も重要なことは、その存在を踏み越えないことだった。自分のできうる限りのことを最大限やっていたけど、そんなもの越えられないよ。敬意を持ち続けなくちゃならなかったし、俺が理解したってことを彼らが認識していると確認しなくちゃならなかった。そして俺はベストを尽くす。それが全てだ。子どものような驚きと強い興味と混乱、そんな状態だったよ!
ステファン
あの年齢のときには面白いだろうけど、これはあの時代のとてもたくさんのことをよく覚えているんだよね。時にキミが向き合ってきた「新メンバーへのいじめ」が深く刻まれた痛みを隠すことがあると。
ジェイソン
たしかに。
ステファン
実際に起きたいじめのいくつかに簡単に触れていこう。触れるべきなのは私が最も重要だと思っているひとつで(そして、おそらく非常にささいなことだけど)歯ブラシのことだったと思う。3つと1つがあったことを覚えているんだ。
ジェイソン
それは覚えてないなぁ!
ステファン
おぉそうかい。おそらくキミは見逃していたのかもしれないけど、テーブルの上に3本の歯ブラシが見えて、キミのが右だか左だか忘れたけど、(先が)ズレていたんだ。「なんかくたびれていて、ちょっと変だな」と思っていた。
ジェイソン
へぇ、詳しく話そうか!
ステファン
初めの頃のいじめで「これは変だな、でも俺はこれを乗り切って強くなる」と思ったようなことは覚えている?
ジェイソン
物事を解決するにしても、実際に起きていた何かは、人によってセンセーショナルにされたりとか、ちょっとした神話ができていたりとかするわけでしょ?覚えているのは、ごく初めの頃、バンドに入って最初の6日間だったか8日間だったかで、2つの重要なことが俺に起きていた。間違いなくいじめだろうと思われること。そして「内部で何が起こったのか」っていうことの残りは、彼らが対処していたことと俺たち一緒に対処していたことだった。
でも2つのことをよく覚えている・・・来日2日目のことだ。バンドに入って8日か9日、とにかく2週間以内だった。(アンスラックスの)スコット・イアンが俺たちの泊っているホテルにやってきたんだ。俺は飛行機での旅行でクタクタだった。このホテルっていうのが超素晴らしいところでね、みんな本当に丁寧な対応で贈り物やいっぱいお土産をくれたんだよ。メタリカが日本にいったのは初めてのことだった。「ビートルズ狂騒曲」みたいなことになって、脱出するための裏口があった。いずれも経験のないことだったね。俺も彼らと一緒にそういうことを経験した。初めてのことだったけど、ああいうのはどこにもないよ。初めて(メタリカで)ライヴしたのは(ウォームアップの)アナハイムでのショーだった。その3日後には日本をツアーしていたんだからね。俺たちはみんな、同じように目を丸くして「別の惑星」に来たんだ。なんてこった!俺たち、みんなよりも背がデカいぞ!!!女の子たちはみんなパニくってた。俺たちはそれまでそんなことなかった。俺たちの誰もがね。ツアーマネージャーだって、クルーのヤツだって、ジェイムズだって、俺たちはそれまでの人生で誰もそんなことを経験したことがなかった。
それでスコットは2日目にやって来た。俺たちはロス(・ハルフィン)とのフォトセッションをしていたんだ。日本庭園のある家とかシャッターチャンスのためにどこにでも行った。日本でタクシーに乗ると、小さいんだよね。イギリスやアメリカのタクシーとは違って小さい。俺が最初に乗って、みんなでもう一人を押し込んで、他の3人とスコットがちっちゃいタクシーに乗るには、俺が彼らの後ろに乗らなきゃならなかった。まぁそうして目的地に行って写真を撮った。それから飲みに行って、やることをやったわけだ。それは些細なことだったんだけど、彼らはテストをしていたんだ。
ショーをやって、あらゆることをやって、日本の主要都市を5つか6つ廻って、たぶん6公演はしたんじゃないかな?それからニューヨークに行ってマンハッタンに着いた。知っての通り、ジェイムズやみんなはヤクを打っていた。1986年の話だからね?だから彼らの血中レベルはずっと、得たいが知れないよ。星3つ!マジだぜ!?ジェイムズとサムヘインの人たち(彼らはボディービルディングでムキムキだ)はハイになって、何が起きようが、朝の4時とか6時とかまでニューヨークで飲みに行っているんだ。
そうして彼らはホテルにやってきて俺の部屋に来ると、ドアを叩き出すんだよ。俺は眠っていた。俺たちは日本をツアーしたばかりで、ずっとショーをこなしてきたもんだから、俺はあの1か月ろくに寝てなかったんだ。しまいには英語を話せるどこかでちょっと横になっていたってこと。そうしてそこに至ったわけだ。そしたら朝の4時にドアがノックされる。「役立たず野郎!」なんて言葉に俺は返答しなかった。気分の良いものじゃなかったしね。彼らは階下に降りていって、鍵をデスクから手に入れようとしていた。そりゃ鍵なんてもらえない。そしたらヤツら、ドアを蹴飛ばして部屋に入ってきたんだよ!!!
クルミ材の装飾品があるような古いホテルだったんだけど、ドアはバラバラに壊されて部屋に散乱していた。ヤツらは部屋に入るなり、俺が寝ているマットレスごと裏返して下敷きにした。それからあらゆるもの、あらゆる椅子で俺を下敷きに埋め始めたんだよ。俺のものは8階の窓から通りに投げ捨てやがってさ。「バンドへようこそ、マザーファカー!!!」って言ってドアから出ていったんだ。
それがあって今の俺がある。それがバンドに14年くらいいたなかで、いじめとして覚えている2つの出来事だ。どれだけ誇張されてしまったかわからないけど、それが一番覚えていること2つかな。
ステファン
興味深いね。これまで話してくれたことは全て記録に残しておこう。特にいじめについては誇張されてきたね、最後のはかなりのものだったけど!(続く)Metallica.com(2018-11-12)
アリゾナからやってきて、1986年晩秋にメタリカの後任ベーシストとして選ばれたトミーズ・ジョイントでの夜を経て、ジェイソン・ニューステッドがバンドに持ち込んだエネルギーを説明することはたやすくない。
彼の目は不滅の水晶のようにどんな光も捉えて10倍にして対面する顔に放っていた。彼はとても興奮して満ち満ちていたのだ。1カ月間、振りまくったビール瓶の蓋を空けられたようなものだった。我々には、彼が受け入れて後任に就いたポジションについて、本当に理解することは同じようにたやすくないことだ。なぜならジェイソン・ニューステッドはそれまで誰かの後釜に入ることはしてこなかったが、それをやってのけたからだ。
バンドとファンの双方が哀悼の意を表した。次のことなんか、たとえ長期的な「次」なるものがあったとしても、誰も知りはしなかった。中西部にルーツを持つ、この明るくポジティヴでエネルギッシュな青年は、ラーズ、ジェイムズ、カークの道を切り開くのを助け、メタリカがメタル界のみならず音楽ビジネス全体を制圧するのを助けたのだ。
ステファン・チラジ(So What! エディター)
私はメタリカのキャリアにおける重要な瞬間に直でジェイソンの重要性と影響力を見た。また苦闘と居心地の悪さを感じた時代を目撃した。何よりメタリカがいつも必要としている時に(そうでない場合でさえ)いつだって最後の力まで振り絞り、血をにじませる男を目撃していたのだ。彼のアティテュードは始めから揺るぎなく、素晴らしく強い家族のようなユニットによって強化され、彼のあらゆる義務への欲求は常に大きいままだった。
ジェイソンと『...And Justice For All』時代について話をするにあたり、課題は我々が話すことがどれくらいあるかではなく、今後の議論のためにどのくらい余地を残すかということだった。彼のアートキャリアは昨今素晴らしい位置にあり、ジェイソンは私が覚えている限り、幸せで満ち足りたように感じていた。
以下では、(ジェイソン加入後の)メタリカ初期の『Garage Days』や『...And Justice For All』の時代の話が中心となっている。我々は90分近く話していたが、20分のように感じていた。
ステファン
メタリカにキミが加入して『Master Of Puppets』(以下、MOP)のツアーを終え、『Garage Days Re-Revisited』EPの頃についてから始めてみようと思う。振り返ってみてあの頃の熱中具合はどうだった?
ジェイソン・ニューステッド
あれもこれも覚えているよ。そいつは壮大というか何というか・・・流れが速かったよね。まだ時流の突風のど真ん中にいた感じだった。ツアー、つまりオジー(・オズボーンと帯同したツアー)だったり、MOPのツアーだったりっていうのは、みんなにとって予期せぬことだったし、それはそれは奇妙なところに俺たちは足を踏み入れていたんだから。それが始まりだった。
ある種の復帰だったかもしれないし、俺は必死にしがみついていたし、間違いは犯したくなかったし、できる限りベストであろうと思ったし、自分に訪れた機会に感謝をしていた。そうだろ?それが俺が覚えていることなんだ。何より俺がそこにいてできることは、音を外さないことだ。リズムを間違えずに、遅れないようにと、できる限りプロフェッショナルであろうとしていた。『...And Justice For All』(のBOXセット)に付いてきた、この本のなかの写真を見た時、そんなクレイジーな頃を思い出したよ。そういうわけで全体としてはとても楽しくて、ペースが速かったってことを覚えている。
ステファン
そうだね。とにかく若かりし頃にはうろたえることがあるよね。速いペースで活動するのが大好きなバンドに入る前から自分はひとかどの人物だったと言える?フロットサム・アンド・ジェットサム(ジェイソンの前の所属バンド)の時でも、こういうプロジェクトをやって、こういう曲をやるつもりだった?
ジェイソン
今振り返ってみると、常に自分でやっていた他のプロジェクトのリーダーになっていたというのが本当のところだと思うよ。俺と歩調を合わせるのは人にとっては難しいことだろう。それが自然なことだと思う。たぶんそれは俺の父親の気性やエネルギーから来ているんだろうね。父は主導権をとって、手綱を握って、自分の才能を使えと、ことある毎に俺に言っていたよ。
ステファン
キミの父親-それはキミの父親が素敵な人だったってだけじゃなく、いつもキミにとって大きな影響を及ぼしていたということを記録しておかなきゃいけないね。当時、彼をよく見かけたから覚えているよ。彼は私にとって、正直で、みんなのお手本になるような、ブルーカラーの良きアメリカ人のように思っていた。
ジェイソン
そう、今もまだそうさ。83歳になるけど、(ジェイソンのアコースティックバンド)チョップハウスバンドのショーにも来てくれるよ。彼は自分のやりたいようにやっているし、いまだにあの同じ猫を飼っているし、誇りを持っている。今じゃ俺たちが演奏する曲と一緒に歌えるようになったんだ。だいぶ違ったノリだけどね。そこにはクールなヴァイブがある。でも彼はまだシャンとしているよ。例えば・・・たくさんのボランティア活動とかそういうことをしている。
ステファン
へぇ、それは素晴らしいね。キミの兄弟たちもそうだよね。ニューステッド家は、いつも非常に支援してくれていた。私が最初の頃で覚えているのは、メンバーの両親をショーでお見掛けすることはあったけど、キミの大家族は同じようにお見掛けすることはなかった。つまり、キミの家族は最初の頃、観衆のなかにいてポジティヴなノリをしていたってことだ。「ニューステッド一族がノリノリだぞ」って知られていたんだ。あれはクールだったね。
ジェイソン
あぁ、メンバーはときどきこんな冗談を言っていたよ。「ジェイソンのゲストリストはどんだけいるんだ?」ってね。そんなこともあったけど、キミも知っての通り、ジェイムズは俺の母親に会ったときには、「ママ」とか「ママ・ニューステッド」とか呼んでいた。母がそうするように言ったんだ。そんなことはしょっちゅう言っていたね。みんながそんな風に母を見ていたから、そういう雰囲気があったんだ。
ステファン
ちょっと頭を戻してもらって・・・キミは間違いなくリーダーだったし、いつもエネルギッシュでとてもポジティヴなエネルギーをたくさん持っているという事実について話をしてきた。そしてノリのよい家族についても。そこで当時を振り返ってみて、メタリカの歴史のなかでメンバーがどのような位置から来たのかを見たとき、潜在的に大きな亀裂のあった時期で、コミュニケーションは最善ではなかったかもしれない。バンドとして一緒にいるためにキミの音楽的能力が不可欠だったということを越えて、キミがバンドにもたらしたものについてはどう思ってる?ニューステッド・ゲストリストがどれだけ膨大だったかって話も含めて、全てを話しているんだ。だってファミリーがまた別のファミリーを連れてくるかもしれないでしょ?
ジェイソン
わぉ、素敵なことだね。時間とともに、キミ自身も含めて、身近にいた人たちは各メンバーが果たす役割を認識することができた。どんなものだって、次のことよりは重要じゃなかった。ステージには、誰もが見て誰もが知っていた明白なものがあり、誰もが知ってるわけじゃなかったものが舞台裏にあった。
自分の安定性だったり、家族だったり、感情的なものだったり、基礎となる全てのものは、俺たちあるいは彼らが通ってきたこれまでのことに対処する感情的なツールを持つ手助けとなっていたんだ。俺がバンドに加入して3、4ヶ月っていう間もない時期にメイク・ア・ウィッシュから依頼を受けた。俺はそういうことを引き受けるために力をいれてきたんだ。だから俺の役割のひとつはチアリーダーやヘッドバンガーになることに加えて、少なくとも集団のために感情的な負荷を引き受けるってことだったんだ。それが真実だと思う。
ステファン
まさしく。もし間違っていたら、訂正してね。うっすらと当時のことが思い浮かんでいるんだけど、カールソンにある2番目の家を、ラーズが『Garage Days Re-Revisited』用に持っていたのを覚えているんだ。実際のガレージを建てるプロジェクトのリーダーはほとんどキミが務めていたと記憶しているんだけど、どうだろう?
ジェイソン
そのとおりだよ。『Garage Days Re-Revisited』の裏ジャケには「Building master J. Newkid」とか何とかあったでしょ。間違いなく俺が全ての材料から何からを注文して、そいつらを打ち付けて、防音から何まで仕立てたし、ラーズからしたら早すぎる時間に何度も起こしに行った。あぁ確かにそうなんだ。それも全て契約の一部だったんだ。俺の爺さんは、俺が小さい頃に物を作ることを教えてくれていたんでね。俺は何をすべきかわかっていたことをやっただけなんだ。それが当時の俺たちにとって必要なことだったからね。
ステファン
あれは独房みたいだったけど、てきめんだったね。
ジェイソン
それは俺たちにとっても良かったんだよ。ずっと正直でいられた。物事はかなりいい方向に進んでいたし、彼らはちょうど本当にイカした売り出しを待つばかりだった。だから俺たちにとって「マラソン走者のトレーニング真っ只中」でいることは良いことだったんだ。(続く)
Metallica.com(2018-11-12)
■日時:2018年12月2日(日)
14:00 開場
14:30 メタリカセッション
18:30 チャリティー販売、メタリカ周辺の近況等
-休憩時間-
19:30 『...And Justice For All』BOXセットDVD上映会
21:30 終了
■場所:西横浜エルプエンテ相鉄線西横浜駅から徒歩1分
改札を出て真っ直ぐ。道なりに階段をくだり、短い横断歩道を渡って左に向かう。
郵便ポストの脇に入り口があります。■入場料:1000円+1ドリンク(入場チャージは全額寄付)※今回、食事込みではございません。休憩時間のあいだに食事をとっていただく形となります。
カーク・ハメットはギターヒーローである。実にシンプルだ。メタリカの伝説は35年間、感受性の強い若者を圧倒し、地平を広げてきた音楽とスタイルにある。彼の情熱と個性、華麗さや繊細さ、メロディー哲学と積極的な熱意は無数の若者に6弦楽器を手に取る動機を与えてきた。60年代後半から70年代にかけて、カリフォルニアで育ったカークにとって、彼の最初の動機付けとなった人は驚くべきものではない。
「ジミ・ヘンドリックスのドキュメンタリー映画を最初に観た時、彼が視覚的にどんなだったか、どんな弾き方をしていたか、彼の演奏に関係しているものがどんなだったかを、実際に観て度肝を抜かれたんだ。」彼はメタリカの欧州ツアーでの短期間の休暇中に行った電話インタビューでそう回想する。「どれだけ芸術的だったんだと感銘を受けたよ。彼は完全な創造的エネルギーで、エレキギターで彼が望むものを何でも自由にしてみせることができるように見えた。自分の居場所をみつけようとしていた少年の俺にとって、とても魅力的だったんだ。“あれが俺のやりたいことだ!”って思ったよ。それから(レッド・ツェッペリンのコンサート映画である)『The Song Remains The Same』をその頃に見て、ツェッペリンの壮大なステージを見た。あの視覚的なインパクトといったら…あれで音楽はより大きなものになっていった。俺は自分の将来像を永久にヘンドリックスとツェッペリンに決めたんだ!」
こうして触発されたカークはギターを手に取り、1979年に彼は初めてのバンドを組んだ。エクソダスだ。初期の段階から、10代のギタリストは自身の素材を生み出していた。その過程でヘヴィメタルの歴史の一部となる曲を書いていたのである。
「1つのリフ、それから付随する2つ以上のものが浮かんできて、メンバーに見せるんだ。俺たちはすぐにそれを演奏していた。なぜなら弾くこと以外の手は何もなかったからね!」愛嬌のある鼻息を鳴らしながら彼はそう強調した。「数曲を(練習して)自分たちのものにしたら、自分たちが落ち着く音楽的基盤があるように感じた。今も俺にとっては同じことで、誰のためでもない楽曲を持っていると、良い感じでね。何かを思いついて部屋に入って、何かを携えて部屋から出てくるときはいつだって、リフやメロディーやコード進行、または何か2つの組み合わせ、そういったものから来る大きな満足感でいっぱいなんだ。とても力がみなぎる。何もないところから何かを創り出したように感じる、その価値は本当に莫大だよ。本当に。いつもみんなに言うんだ。“自分自身のものを作れ!そうだ、聴いてみよう。世界にはもっと音楽が必要だ”ってね。」
世界は聴いていた。エクソダスが自分たちの曲をライヴで演奏し始めた時、「Die By His Hand」「Impaler」を含むカークの作曲は、爆発的な何かが醸成されていて、メタルを永遠に変えるようなサウンドを形作るのを手助けしていたことは明らかだ。エクソダスの曲は、イギリスから来た新世代のメタルに触発されたものだったが、ベイエリアの若者たちは喜んで、より速く、よりアグレッシヴにしてみせた。
「NWOBHMは自分たちのギタースタイルを形作った。ああいうテクニックはイギリスから来たものだ。」カークは80年代初頭に最も急進的なサウンドをどのように先導したのかを説明する。「だから俺たちはエリック・クラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジを聴いて育ったようなヤツらがやっているようには聴こえなかった。俺たちはB.B.キングは聴かなかった。完璧に別のルーツから来ていたんだ。だから俺たちは際立っていたんだよ。際立っていた間口はたったの2、3年。それが世代間の違いだった。俺よりほんの2歳上のミュージシャンには、そのスタイルやギター演奏を聴きたくもなかったのがいたんだ。」
カークの仲間たちにはこの斬新なスタイルで苦労している者もいたが、両親はもっと困惑していた。「あぁ、俺の家族はそれを嫌っていたね。」とカークは笑い、恐ろしい父親の印象について話し始めた。「“その男が叫んでいる音楽をかけるな!”って。その叫んでいる男っていうのはポール・ディアノだった!あるいはモーターヘッドをかけていたら、家じゅうのみんなを追い出したりしたっけ。友人たちに嫌な気持ちにさせられることもあった。俺がそういうものを聴いていると“おいおい、こんなものが好きなのか?”ときた。そいつらのなかにはしばらくして俺と話をしなくなったヤツもいる。当時そんなにおかしかったのか?」
家族や友人たちの賛同を得られずにも関わらず、カークは急成長しているシーンのなかでキープレイヤーとして名をあげていた。1983年にはデイヴ・ムステインの入れ替えでメタリカに加入するという急な話を受けた。当時メタリカはアンダーグラウンドのメタル界において最もホットなバンドであり、アンダーグラウンドのメタル界で最もホットなデビューとなる『Kill 'Em All』のレコーディング前夜だった。脅威的な状況で、かろうじて20代になったばかりの男の自信と成熟によって処理されたのである。
「すでにたくさんの素晴らしい楽曲のあるバンドに入ったから、自分を強化しないといけないと感じていた。」と認めるカーク。「でもすでに自分が書いていたリフのなかにはとてもすごいリフがあると自負していたから、その過程に自分をどう組み込んでいくかという問題だけだったんだ。でもメタリカの一番良いところは、“高校の頃に始めたバンド”よりも、このメンバーたちと一緒にいる方がピッタリくると感じたってことだね。それは俺にとってほろ苦いことだったけれども、それが現実だった。この音楽の旅路を続けたかったら、信念を貫かなくちゃいけなかった。だからメタリカに入ったんだ。0.001秒から意気投合した。同じ場所から来て、同じものを聴いて、同じ美学、同じ耳を持っていた。だからそれは自然なことだったよ。」
ジェイムズ・ヘットフィールドのクランチギターに並行して、カーク・ハメットのブルースなリックと歌いやすいリードは、メタリカのサウンドを強力なものにしている。それは彼(の加入)が当初の計画にはなかったと考えるにはいまだに不可思議に思える。それからもちろん、カークの最も象徴的な特徴、つまり彼の愛するワウペダルがある。
「俺にとってワウは人間の声に似ている。」彼は自分の大好きなオモチャのことをよくわかっている。「いかにも“ワウのサウンドです”っていうんじゃなく、その瞬間にどんなふうに感じてもトーンを操作できるってことなんだ。実際、自分のより深い部分とより良い繋がりを創り出している。ヘンドリックスは実際にワウペダルを使っているのを聴いた最初の人ではなかった。それはシン・リジィのブライアン・ロバートソンなんだ!『Jailbreak』の「Warriors」って曲で気づいたのが最初だった。彼は2、3の音をワウで出していて、俺は友だちに言ったんだ。“あれは何なんだ!?”彼は“あれはワウペダルだよ”ってね。“すげぇ最高!”って俺の心に刻まれたよ。」
メタリカがメタル界で最大のバンドとみなすサウンドにおいて、彼が要となるのを手助けとなったワウペダルは彼のトレードマークとなった。何年もかけて進化し、適応し続けてきたサウンド、そして2003年の『St.Anger』では、そのカークの特質、つまりギターソロがバッサリ落とされて、かつてないほど論争の的となった。彼はその当時、強く反対し、彼の嫌悪感は落ち着くどころではなかった。
「当時はそれが適切だったんだろうけど、振り返ってみると、あれは今もってそれほど適切ではなかったようだね!」カークはゆっくりと語った。「俺はいつだってあれに反対するだろうけど、あのアルバムの後にメッセージが帰ってきたと思う。メタリカにはソロが必要だ!ってね。みんなはそれを聴くのを楽しみにしている。だから俺にとっては奇妙な弁明だった。」
2003年の流行りがギターソロに反対だったが、2018年の流行りはまるっきりギター反対になっているように見える。我々の会話はギブソンが破産した翌日に行っていた。昔ながらの6弦が直面している問題について訊ねると、カークは怒るというより傷ついているようだった。
「俺はそれが何なのかわからないけど、みんながギターに違う光を見ていると思える。そしてサンプラーやその他のクソのためにその座を明け渡しているようだ。それは時代の兆しなんだろう。すべての楽器がそうであるように、流行りから外れる時はある。80年代初頭、ギターは80年代半ばに再登場した時ほど人気はなかった。俺たちはギターで実際に音楽を創る行為に熱意がある限り、そこから何が起きるか見ていく。俺にとって悲しいニュースだけど、ギブソンが勝つことを願っているよ。彼らは過去にもそうだったんだから。」
ギターの衰退の証拠は我々の周りにあるが、まだ各ギタリストの運指に喜び取りつかれている、激しい聴衆がいる。彼らはカークがソロアルバムに取り組む日を今か今かと待っている。それについてはどうなのだろうか?
「俺はあまりに多くの材料を持っているけど、それは明らかにメタリカのものではない。その山はますます大きくなっている。近いうちに正しいと感じる時が来たらね。」カークは考えにふけった。「俺はまだメタリカに寄与できることがたくさんあると感じている。それがもっと仕上がったら、他のことをやろうと思うかもしれない。」温めている彼のテーマ、カークはソロアルバムのLPに我々が何を期待すべきかを検討してくれた。「それはまったくメタルアルバムのようにはならないだろうね。」彼はそう認める。「スタイルはとても奇妙で広範囲なものになるだろうけど、それと同時にまとまったものになると思う。俺はもし俺たち全員がソロをやって独立した自主的な何かをやっても驚きはしないだろうね。それは健康的だし、それどころかバンドに戻る時には、もっと熱意を持って戻ってくることになるだろうし。ちょっとキャンプ旅行に行く感じがするし、いつだって家に戻って暖かいベッドに帰るのはいいもんだよ!」
物思いにふけって、我々の会話が途絶えてきたなか、カークは自身の楽器がスピリチュアルな凄さが彼にとって何を意味するのかについて考えていた。「自分はギターをラウドにアグレッシヴに弾くために生きている」と彼は強調する。「俺にとって治療的な効果がある。魂の大きな穴を埋めてくれる。手にした最初の日からそうだったし、いまだに上達している。まだ頂点を極めたとは思ってない。発見と経験を繰り返す長い音楽の道だ。音楽的に自分は今まで一番良い場所にいて、とても幸運だと感じているよ。すぐにピークに達する人もいるけど、それだと若かった時のことをやってもやり直しはきかない。自分は続けていきたいし、現状に満足なんかせずに、いつも将来に目を向けているよ。」Metal Hammer(2018-09-26)
ラーズ・ウルリッヒはメタリカの評判については心得ている。「当時のメタリカは「Alcoholica」って感じで俺たちの飲酒の習慣についてはいろんなことがあった。でも白いラベルのビールだとかウォッカ以外のものを飲むだけの金はなかった。『...And Justice For All』やブラックアルバムを制作するためにLAに行って、ウイスキーやジャックダニエルに触れるまではね。ウイスキーは、俺たちが次の段階に進んだものだった。」
今、バンドが飲酒の習慣を劇的に減らしていった後にウイスキー事業に参入している。約1年半前、彼らは「Sweet Amber Distilling Co.」(訳注:Sweet Amberはもちろん『St.Anger』収録曲のタイトル。distillingは蒸留を意味する。)を立ち上げ、北米のバーボン、ライ・ウイスキー、ウイスキーのブレンドを黒いブランデー樽で仕上げた「Blackened」を最初にリリースした。ドラマー(ラーズ)によると、商品販売の延長として「聴衆とつながる」新しい方法を見つけるため、ウイスキー事業に参入すると決めたとのこと。
彼らの主な懸念とは?ウイスキーは「お年寄りの飲み物」だった。「自分が本当に若かった頃には、違う世代のものだと感じていた。」とウルリッヒは語る。「21、22歳の誰かが親父や爺ちゃんの飲み物じゃないと感じたら、それが「Blackened」だと思っているよ。」かつてWhistlePig(ホイッスルピッグ)で蒸留と化学の専門家を務め、Maker's Mark(メーカーズマーク)で働いていたデイヴ・ピッカーレルと組んで、ウイスキーを「メタリカ化」するのに一役買った。
ウルリッヒは語る。「誰かと一緒にウイスキーを作って、メタリカのラベルをペタッと貼るビジネスに出たいなんて思ってなかったよ。俺たちは目の前でファンを見ることができるってことが重要だと感じていた。「これは最初から始まっていたことだ。少なくとも、良かれ悪かれ、メタリカが感知していることかどうかだ。」」
ボブ・ディランからハンソンまで、自分たちのブランドのアルコールに踏み出したことで、メタリカはBlackenedで自分たちの印をつける独自の方法を見つけ出した。ウイスキーの熟成工程のスピードを上げるために他の蒸留所が、ピッカーレルが語るところの「樽をハッピーにさせる」音波を使用するなか、Sweet Amberは、樽を振動させることによって香りを高めるために「Black Noise」と呼ばれる低周波を使うという特許申請中の熟成工程を開発した。もちろん(使うのは)メタリカの楽曲だ。
ロバート・トゥルージロはRollingStone誌にこう語った。「俺はいつも最初は懐疑的なんだ。それから何であろうと勉強して試してみる。そういうプロセスを経なければならない。5ヵ月くらい前に、このプロセスを経て納得したんだ。」彼はこのプロセスを「マッシュ・ピット」と呼ぶ。「音と振動に何らかの形で混ざった分子構造があるから」だ。
特許出願中のため、ピッカーレルはプロセスの説明には消極的だ。しかし彼はブランデー樽には多くの化合物が含まれる木材が使われていることを明らかにした。「表面近くは木のカラメルだから、樽を燃やすと焦げができて焦げたすぐ裏を赤い層と呼んでいるんだ。」と彼は語る。「それは木の糖質がカラメル化するのに十分なほど熱くなるけど、燃えるほどにはならない場所なんだ。焦げた下にはカラメルがたくさんあるので、私がやっているのは、木のカラメルをさらに引き出すこと。木の間膜が壊れると、バニラのような味と香りの6つの化合物が形成される。そのうちの1つは実際のバニラなんだ。ウイスキーと(使用している樽の)木材との相互作用を音の振動によって高めることができれば、ウイスキーが木材からさらなる美味しさを引き出すことができる。」最終的に、飲み物に深いカラメルの音色を与えていると彼は言う。
彼はそれを証明しようともしている。「ウイスキーの色にインパクトを与えているという色彩比較データを提示することができる。特許を取ったらすぐに科学的なデータを公開するよ。」と彼は語る。
ピッカーレルは陸軍士官学校に通っていた頃、この工程にインスピレーションを得た。彼は学校の教会の受付係になり、オルガン奏者のデイヴィス博士と親しくなった。長年に渡ってそこにいたオルガン奏者は楽器に増築を加えて、今や23000以上のパイプを有するものになっていた。ある日、デイヴィス博士がピッカーレルにプライベートコンサートを開き、バッハのトッカータとフーガニ短調(オペラ座の怪人を思い浮かべてみよう)を弾いて、楽器のフルパワーを実演してみせた。最も低い音を弾いた時、16ヘルツで振動したことをピッカーレルは思い出した。「振動を数えることはほぼできるだろう。腸が揺すられるんだ。」とてもパワフルで、デイヴィス博士があまり長く演奏しすぎると建物が傷つくことになるだろうと言っていたのを思い出していた。
「ただ魅了されたよ」と彼は言う。「だからこのプロジェクトに参加したとき、自分は「今、これで遊ぶ時が来た」って言ったんだ。」バンドがライヴで使用するサウンドシステムの機材を創っていたメイヤーサウンド(Meyer Sound)と協力して、トゥルージロがギターケース(あるいは彼が呼んでいるように棺)になぞらえた巨大な超低音域用スピーカーに取り組んでいることをピッカーレルは知っていた。
これらの機材で、4人のメンバーが作成したプレイリストに基づいて、メタリカの楽曲から超低周波を樽に向かって再生するのだ。「クリーンで鮮明なリズムがこの(熟成)工程を手助けしているけど、低周波音で樽を響かせるだけでその効果が得られると確信している。でも、これによって響かせることでより一層大きな効果をもたらすよ。」
ウルリッヒはこう話す。「俺たちは超低周波での超低音についてのことを話しているんだ。路上で誰かの隣で運転している時に、車から超最高な重低音が出てくるのを、聞くというより感じることができるでしょ?可聴周波数以下の音が実際に空気と分子を動かすからなんだ。」
最初のプレイリストにはバンドの各メンバーが選んだ曲が含まれていた。ファンはバッチ番号を参照して、プレイリストを聴くことができる。ウルリッヒの選曲は「Sad But True」「One」「The Outlaw Torn」「Broken, Beat and Scarred」が含まれていた。彼は言う。「完全に衝動的なものだね。この選曲には何の理論だった体系もない。俺はいつも「Broken, Beat and Scarred」は他の曲よりも下に評価されていたけど、ウイスキー用語で使って、違った熟成をしてきたと感じている。ライヴで「Sad But True」をやるのが好きだ。好きな曲のひとつだし、「One」もそのひとつ(「One」)だし、「The Outlaw Torn」もそうさ。」
オジー・オズボーンのバンドでベースを務めていた時に「Whiskey Warlord(ウイスキー将軍)」というあだ名をつけられたトゥルージロが選んだのは、自身がメタリカに加入する前の曲で「Frayed Ends of Sanity」「Fight Fire With Fire」「Orion」「Disposable Heroes」だった。「自分は「Disposable Heroes」みたいなベース主導のものを選ぶ傾向があった。鼓動があるからね。」と彼は語る。「鼓動とビートの周りを分子が動いていると想像しているよ。ドラムとグルーヴのことを考え、美しさとダイナミクスを考え、それをアートワークのように考えている。それはまさにひねくれたやり方での俺なんだ。」
ピッカーレルはうまくいったやり方に満足している。彼の味覚によれば、ブランデーの仕上げのためのドライフルーツの覚書とともに「豊潤でコクのあるウイスキー」だと言う。最近はモルトウイスキー団体に試飲のウイスキーを持ち込んで「スコッチウイスキーの雑誌から出てきたようなお年を召した紳士」から親指を立てて賛同を得た。その人は香りを嗅ぎ、色をよく見て、味わった。「彼は厳しい人のように見えた」とピッカーレルは言う。「彼はそれを噛んで味わい、空気を含ませ、それが終わると、私を見てこう言ったんだ。「正直言って、私はかなり驚いている。これは本当に美味しい。」OK、ダメじゃないと言っていたわけだけど、私はこの方が、その容貌のように私に苦々しい顔を私に向けると予想していた。反応は上々だよ。」
バンドからRollingStone誌に送られたサンプルは軽い口当たりと甘い味がしており、ダブルベースの「One」の刺激に揺さぶられると考えると驚くほどなめらかだった。後味もあまり残らない。「この味を説明するのに「earthy(気取らない)」という言葉を使いたいね。」とトゥルージロは言う。「ちょっとした刺激がきて、少しなめらかで、よりバランスが取れているところが好きなんだ。」
まだ(競合他社には)音響的に広まっておらず、「ペプシチャレンジ(飲み比べや比較広告で他社との優位性をアピールする戦略)」を行っていないウルリッヒも賛同する。「味は軽くて、自己主張が強い。とても現代的なんだ。そう、温かみがあってね。大きな氷を入れて少し冷やしたのが好きだね。」
「少しずつチビチビと飲むんだ。」と彼は言う。それはかつて「Alcoholica」として知られたバンドのドラマーとはほど遠いコメントのように聞こえる。「とても飲みやすいよ。」
RollingStone(2018-09-16)
LP 1 & 2: ...And Justice for All (Remastered)
SIDE ONE
1. Blackened
2. ...And Justice for All
SIDE TWO
1. Eye of the Beholder
2. One
SIDE THREE
1. The Shortest Straw
2. Harvester of Sorrow
3. The Frayed Ends of Sanity
SIDE FOUR
1. To Live Is to Die
2. Dyers Eve
Remastered by Reuben Cohen at Lurssen Mastering, Los Angeles, CA
Vinyl lacquers by Chris Bellman at Bernie Grundman Mastering, Hollywood, CA
LP 3: "One" 10" Picture Disc
SIDE ONE
1. One
SIDE TWO
1. Seek & Destroy (Live at Reunion Arena, Dallas, TX – February 5th, 1989)
Artwork by Pushead
Remastered by Reuben Cohen at Lurssen Mastering, Los Angeles, CA
LP 4, 5 & 6: Seattle ‘89
SIDE ONE
1. The Ecstasy of Gold
2. Blackened (Live)
3. For Whom the Bell Tolls (Live)
4. Welcome Home (Sanitarium) (Live)
SIDE TWO
1. Harvester of Sorrow (Live)
2. The Four Horsemen (Live)
3. The Thing That Should Not Be (Live)
SIDE THREE
1. Bass Solo (Live)
2. Master of Puppets (Live)
3. Fade to Black (Live)
SIDE FOUR
1. Seek & Destroy (Live)
2. ...And Justice for All (Live)
3. One (Live)
SIDE FIVE
1. Creeping Death (Live)
2. Guitar Solo (Live)
3. Battery (Live)
SIDE SIX
1. Encore Jam (Live)
2. Last Caress (Live)
3. Am I Evil? (Live)
4. Whiplash (Live)
5. Breadfan (Live)
Recorded live on August 29th and August 30th, 1989 at Seattle Coliseum in Seattle, WA
Mixed by Greg Fidelman
Mastered by Reuben Cohen at Lurssen Mastering, Los Angeles, CA
Vinyl lacquers by Chris Bellman at Bernie Grundman Mastering, Hollywood, CA
CD 1: ...And Justice for All (Remastered)
1. Blackened
2. ...And Justice for All
3. Eye of the Beholder
4. One
5. The Shortest Straw
6. Harvester of Sorrow
7. The Frayed Ends of Sanity
8. To Live Is to Die
9. Dyers Eve
CD 2: Interviews
1. KSDT Interview with Jason
2. Circus Magazine Interview with James
3. KNAC Report from LA Monsters of Rock
4. KHDX Interview with Kirk
5. Metal Forces Magazine Interview with Lars
CD 3 & 4: Riffs, Jams & Demos
Disc One
1. Blackened (1987, From James’ Riff Tapes)
2. Blackened (1987, From James’ Riff Tapes II)
3. …And Justice for All (1987, From James’ Riff Tapes)
4. …And Justice for All (1988, From James’ Riff Tapes)
5. Eye of the Beholder (1987, From James’ Riff Tapes)
6. Eye of the Beholder (1987, From James’ Riff Tapes II)
7. One (1987, From James’ Riff Tapes)
8. The Shortest Straw (1986, From James’ Riff Tapes)
9. The Shortest Straw (1986, from James’ Riff Tapes II)
10. Harvester of Sorrow (1987, From James’ Riff Tapes)
11. The Frayed Ends of Sanity (1987, From James’ Riff Tapes)
12. To Live Is to Die (1986, From James’ Riff Tapes)
13. To Live Is to Die (1988, From James’ Riff Tapes)
14. Dyers Eve (1986, From James’ Riff Tapes)
15. Dyers Eve (1987, From James’ Riff Tapes)
16. Blackened (October 1987, Writing in Progress)
17. …And Justice for All (October 1987, Writing in Progress)
18. …And Justice for All (October 1987, Writing in Progress II)
19. One (October 1987, Writing in Progress)
20. The Shortest Straw (October 1987, Writing in Progress)
21. …And Justice for All (November 1987, Writing in Progress)
22. The Frayed Ends of Sanity (November 1987, Writing in Progress)
23. One (November 1987, Writing in Progress)
24. Dyers Eve (November 1987, Writing in Progress)
25. Eye of the Beholder (November 1987, Writing in Progress)
26. To Live Is to Die (November 1987, Writing in Progress)
27. The Shortest Straw (December 1987, Writing in Progress)
28. Harvester of Sorrow (December 1987, Writing in Progress)
Disc Two
1. Blackened (November 1987 Demo)
2. …And Justice for All (November 1987 Demo)
3. Eye of the Beholder (November 1987 Demo)
4. One (November 1987 Demo)
5. The Frayed Ends of Sanity (November 1987 Demo)
6. Eye of the Beholder (January 1988 Demo)
7. The Shortest Straw (January 1988 Demo)
8. Harvester of Sorrow (January 1988 Demo)
9. Dyers Eve (January 1988 Demo)
10. To Live Is to Die (January 1988 Demo)
CD 5: Rough Mixes from the Vault
1. Blackened (Work in Progress Rough Mix)
2. …And Justice for All (Work in Progress Rough Mix)
3. Eye of the Beholder (Work in Progress Rough Mix)
4. One (Work in Progress Rough Mix)
5. The Shortest Straw (Work in Progress Rough Mix)
6. Harvester of Sorrow (Work in Progress Rough Mix)
7. The Frayed Ends of Sanity (Work in Progress Rough Mix)
8. To Live Is to Die (Acoustic Intro) (Work in Progress Rough Mix)
9. To Live Is to Die (Work in Progress Rough Mix)
10. Dyers Eve (Work in Progress Rough Mix)
11. Breadfan (Work in Progress Rough Mix)
12. The Prince (Work in Progress Rough Mix)
CD 6 & 7: Live at the Troubadour, West Hollywood, CA - May 24th, 1988 + B-Sides
Disc One
1. Creeping Death (Live)
2. For Whom the Bell Tolls (Live)
3. Welcome Home (Sanitarium) (Live)
4. The Four Horsemen (Live)
5. Whiplash (Live)
6. Fade to Black (Live)
7. Seek & Destroy (Live)
8. Master of Puppets (Live)
9. Encore Jam (Live)
10. Last Caress (Live)
11. Am I Evil? (Live)
12. Battery (Live)
Disc Two
1. Encore Jam #2 (Live)
2. Harvester of Sorrow (Live)
3. Leper Messiah (Live)
4. Blitzkrieg (Live)
B-Sides
5. Breadfan (Remastered)
6. The Prince (Remastered)
7. For Whom the Bell Tolls (Live) *
8. Welcome Home (Sanitarium) (Live) *
9. Seek & Destroy (Live) *
10. Creeping Death (Live) *
11. Harvester of Sorrow (Live) **
12. One (Live) **
13. Breadfan (Live) ***
14. Last Caress (Live) ***
* Recorded live at Reunion Arena, Dallas, TX on February 5th, 1989
** Recorded live at Seattle Coliseum, Seattle, WA on August 29th, 1989
*** Recorded live at Seattle Coliseum, Seattle, WA on August 30th, 1989
CD 8 & 9: Live at the Hammersmith Odeon, London, England - October 10th, 1988 + Radio Edits
Disc One
1. Welcome Home (Sanitarium) (Live)
2. The Four Horsemen (Live)
3. Harvester of Sorrow (Live)
4. Eye of the Beholder (Live)
5. Bass Solo (Live)
6. Master of Puppets (Live)
7. Damage, Inc. (Live)
8. One (Live)
9. Seek & Destroy (Live)
10. …And Justice for All (Live)
*Note: there is a tape cut on this track
Disc Two
1. Encore Jam (Live)
2. Creeping Death (Live)
3. Fade to Black (Live)
4. Guitar Solo (Live)
5. Battery (Live)
6. Encore Jam #2 (Live)
7. Last Caress (Live)
8. Am I Evil? (Live)
9. Whiplash (Live)
Radio Edits
10. Eye of the Beholder (Radio Edit)
11. One (Radio Edit)
12. ...And Justice for All (Radio Edit)
CD 10 & 11: Live at Long Beach Arena, Long Beach, CA - December 7, 1988 + More
Disc One
1. Blackened (Live)
*Note: there is a tape cut on this track
2. For Whom the Bell Tolls (Live)
3. Welcome Home (Sanitarium) (Live)
4. Leper Messiah (Live)
5. Harvester of Sorrow (Live)
6. Eye of the Beholder (Live)
7. Bass Solo (Live)
8. Master of Puppets (Live)
9. One (Live)
10. Seek & Destroy (Live)
Disc Two
1. …And Justice for All (Live)
2. Encore Jam (Live)
3. Creeping Death (Live)
4. Fade to Black (Live)
5. Guitar Solo (Live)
6. Battery (Live)
Live at UIC Pavilion, Chicago, IL - November 18th, 1988
7. Last Caress (Live)
8. Am I Evil? (Live)
9. Whiplash (Live)
DVD 1: ...And Camcorder for All & "One"
...And Camcorders for All
Featuring previously unreleased footage shot on Lars' camcorder
1. Intro
2. Barcelona
3. Leiden
4. San Francisco
5. San Antonio
6. Dallas
7. Philadelphia
8. Buffalo
9. Auckland
10. Osaka
11. Hoffman Estates
12. Richfield
13. Thornville
14. Greenville
15. Atlanta
16. Biloxi
17. Concord
18. Irvine (Night #2)
19. Irvine (Night #3)
20. Sao Paulo (Night #1)
21. Sao Paulo (Night #2)
"One"
1. 2 of One Introduction with Lars
2. One
3. One (Jammin’ Version)
4. One (Live at the 31st Annual GRAMMYR Awards)
"One" B-Roll
Previously Unreleased
1. Intro
2. Band
3. Lars
4. Kirk
5. James
6. Jason
7. More Band
DVD 2: Live at Shoreline Amphitheatre, Mountain View, CA - September 15th, 1989
Previously Unreleased
1. The Ecstasy of Gold
2. Blackened
3. For Whom the Bell Tolls
4. Welcome Home (Sanitarium)
5. Harvester of Sorrow
6. The Four Horsemen
7. The Thing That Should Not Be
8. Bass Solo
9. Master of Puppets
10. Fade to Black
11. Seek & Destroy
12. …And Justice for All
13. One
14. Creeping Death
15. Guitar Solo
16. Battery
17. Encore Jam
18. Last Caress
19. Am I Evil?
20. Damage, Inc.
21. Blitzkrieg
22. Breadfan
DVD 3: Live at the Stone Balloon, Newark, DE - August 7th, 1989
Previously Unreleased Fan-Shot Footage
1. Backstage Shit
2. The Ecstasy of Gold
3. Creeping Death
4. For Whom the Bell Tolls
5. Welcome Home (Sanitarium)
6. The Four Horsemen
7. Harvester of Sorrow
8. Phantom Lord
9. Bass Solo
10. Master of Puppets
11. Fade to Black
12. No Remorse
13. Seek & Destroy
14. Last Caress
15. Am I Evil?
16. Motorbreath
17. Hit the Lights
18. Blitzkrieg
19. Damage, Inc.
20. Breadfan
DVD 4: Justice On Wheels, Masa Ito Interviews, Raw Live Footage
Justice On Wheels - A MuchMusic Documentary
1. Intro
2. The Road Crew
3. The Fans
4. The Band
5. The Video
Masa Ito Interviews
Previously Unreleased
1. Lars
2. James
3. Jason
4. Kirk
Raw Live Footage (Live at JFK Stadium, Philadelphia, PA – June 11th, 1988)
Previously Unreleased
1. Whiplash
2. Fade to Black
3. Seek & Destroy
Raw Live Footage (Live at RPI Field House, Troy, NY – March 15th, 1989)
Previously Unreleased
1. Master of Puppets
2. One
Raw Live Footage (Live at Copps Coliseum, Hamilton, Ontario – April 8th, 1989)
Previously Unreleased
1. Master of Puppets
2. One3. Seek & DestroyMetallica.com(2018-09-06)
— Metallica (@Metallica) 2018年8月31日
元メタリカのベーシスト、ジェイソン・ニューステッドは、グループと共にした初のフルレングスアルバム『...And Justice All』が出た時にどう感じたか語った。「それはそれは悪い噂のなかにいた。最終ミックスを聴いてとてもガッカリしたよ。俺は基本的に遮断したよ、みんなのいう戯言のようなものはね。」
30周年を迎えるアルバムはメタリカの最高傑作の1つだ。収録曲は長く、政治的委任について含みを持たせた声明(タイトルトラックや「Eye of the Beholder」)、戦争の残虐行為(シングル「One」)、そして苦しい家庭生活とのマズい関係(「Dyers Eve」「Harvester of Sorrow」)を歌う。
楽曲は特に複雑で、巧みに構成された動きと、通常のロックンロールで頭を振るようなビートの枠外の難しい拍子は、カリフォルニア出身の20代半ばの男たちにとってかなりの成果だ。リリースから楽曲の多くはセットリストの定番となり、8回のプラチナム認定を受け、バンドにとって2番目の売れ行きをあげたレコードとなっている。RollingStone誌のメタルアルバムのランキングでも高く評価されており、「One」にいたっては胸を高鳴らすマシンガンのようなドラムとトラウマを帯びた歌詞で、コーンからアコースティック・フラメンコ・デュオのロドリゴ・イ・ガブリエラにまでカヴァーされた。メタリカを一気にメインストリームに押し上げたレコードだが、過去30年間引きずっている欠点がある。それは実質ベースギターがないということだ。
「俺はあのレコードをどれだけ悲しんで、いまだにどれだけ対処しているのか説明なんてできないよ」とニューステッドは語っていた。
しかし、誰に聞いても、彼がアルバムのために録音したものは素晴らしいものだった。完成したLPでは聴こえなかったが。ジャスティスアルバムの共同プロデューサーであるフレミング・ラスムッセンはRollingStone誌で2016年にこう語っている。「ジェイソンは最高のベーシストの1人だよ。ジェイソンとアシスタント・エンジニアのトビー・ライトを含めて、私はおそらく世界で唯一の人間なんだ。ベーストラックがのった『...And Justice For All』を聴いた者としてね。あれはメチャクチャ素晴らしかった。」
では一体何が起きたのか?
偶像化されているベーシスト、クリフ・バートンがバス事故で1986年9月に亡くなった後、メタリカはすぐに前に押し進んだ。ドラマーのラーズ・ウルリッヒはこう語った。「俺たちができる最善のことは続けることだと決めたんだ。事故後に1、2週間はクリフを弔うために使った。その後はそういう(弔う)ことは5分もなかった。なぜなら俺たちは減速したら、虚無感に陥ったり、自分自身を引き上げることすらできないほど深みにハマってしまうことを恐れていたからね。」
彼らはバートンの葬式の一週間後に、オーディションをやることを提案するために、友人であり、メタルブレードレコードの創設者、ブライアン・スレイゲルに連絡をした。彼らは最終的に、スレイゲルの推薦したなかの1人、ニューステッドに最も感銘を受けた。彼は、フェニックスにいたメタルバンド、フロットサム・アンド・ジェットサムでプレイしていて、メタリカに魅了されて彼らの楽曲「Fade To Black」と同名の曲を書いていた。
ウルリッヒはこう回想する。「ジェイソンはとても有用なポジティヴなエネルギーを持っていて、まるで火の玉のようだった。加入してからとても献身的で準備万端だったしね。正しい立ち居振る舞いで、ケミストリーもあったし、性格や楽器へのアプローチはとてもユニークだった。彼はクリフとは180度以上違ったかもしれない。だから「クリフ・ジュニア」みたいな代わりをしていたのとは違うんだ。」
『Master of Puppets』のツアーを終えて、ギタリストのカーク・ハメットは、ツアーで予想だにしなかった音楽的にハッキリとした感覚に目覚めたことを回想した。「ジェイソンは困難に対してうまく対処していたよ。俺たちは大きく成長した。次のツアーまでに俺たちはもう少し成熟する。集中していたし、演奏もうまくいっていた。そしてもっとうまく弾きたいって願望のなかで(1988年の)『...And Justice For All』ができたってわけ。」
しかし彼らはスタジオに入る前に、モヤモヤを振り払おうといくつかのカヴァー曲を録音することに決めた。それが1987年の『The $5.98 E.P.: Garage Days Re-Revisited』となった。彼らは(メタリカとして)初めてのレコーディングとなるニューステッドを「Master J. Newkid」とクレジットして、ベースギターが関わらないブレイクがあるダイアモンド・ヘッドの「Helpless」、低い音でうごめくようなホロコーストの「The Small Hours」といった彼が目立たないような曲を選んだ。彼らはセルフプロデュース(クレジットには「not very produced」と記載)して、『Master of Puppets』の共同プロデューサー、ラスムッセンと共に『...And Justice For All』のレコーディングを行う数ヵ月前にあたる1987年の夏にリリースしたのだ。
ニューステッドが唯一作曲者としてクレジットされた曲は「Blackened」だけだった。Guitar World誌のインタビューで彼はこう回想する。「俺が(メインリフとなる)ベースを書いたんだ。俺はこのリフをかき鳴らしていた。それから(ジェイムズ・ヘットフィールドが)一緒に弾き始めて、あの時まさにあの曲ができ始めたんだ…。彼が「おい、あのリフはアルバムの始めを飾るのに十分良いリフじゃないか。あれには勝ったと感じさせるものがあった。俺は彼をすごく尊敬しているし、今もそうだからね。」その他はヘットフィールドとウルリッヒとハメットによる曲とバートンが残した音楽との混合でインスト曲に近い「To Live Is To Die」だ。そんなわけでベース音が、刻むようなリフとパンチの効いたリズムによって発せられるアルバムだった。
ニューステッドは、アルバムの重低音の欠如を、彼の演奏スタイルと一般的なバカ正直さで形作った。彼はエンジニアと共にフロットサム・アンド・ジェットサムの時と同じ機材を使って自分のベースを録音し、その後は二度と聴くことなく家に帰った。『...And Justice For All』のタブ譜で音符の表記をみれば、ヘットフィールドが各曲で演奏しているものに非常によく似ている。「フロットサムにいる時、俺はベースパートの弾き方についてまだわかっていなかった。ギターのように速くベースを弾くことはわかっていたけど、基本的に音の壁のようにみんな同じように弾いていたんだ。だから同じ数だけ、つまり俺のベースとジェイムズのギターが同じ数だけ(音を刻んだゆえに)かち合うことになってしまったんだ。もし俺が今の自分が知っていることを分かっていたら、違ったことになっていただろうね。(中略)当時あれにはムカついていたけど、それも大昔のこと。それ以来、俺が作ってきたレコードには至るところに醜いベースパートがあるのさ。」
バンドのギタリストは、特にジャスティスの後、1991年に「Sad But True」「Enter Sandman」といったヒット曲を含むブラックアルバムを出した後で、長年に渡るインタビューのなかでその話を繰り返している。彼らはあのアルバムを、プロデューサーのボブ・ロックと共に作った時、ウルリッヒのイヤーモニターに彼(ジェイソン)の演奏を送って、ニューステッドが呼ぶところの「実際のリズムセクション」を創り出すことができた。「今回は大きなドラムとギターの下で俺のサウンドを支えるプロデューサーを迎え入れることが出来たのは幸運だった」とニューステッドは1991年に語っている。
2008年にヘットフィールドはこう説明している。「ベースが(ジャスティスアルバムで)不明瞭なのは2つの理由がある。まず、ジェイソンが俺のリズムギターを(同じように弾くことで)倍増させようとしていたから、ギターがどこで始まってベースがどこで終わってるのかわかりにくかった。同様にジャスティスでの俺のトーンは低音と高音が拾われていて、中音域がほとんどなかった。俺のギターサウンドが低い音域を食っちまった。ジェイソンと俺はいつも同じスペースをミックスでぶつけ合っていたんだ。」1991年、フロントマンはプロデューサーのボブ・ロックをブラックアルバムにおけるリズムセクションを整理したと評価している。「ボブは本当にギターとベースが一緒に働くようにローエンドを編成して引き出すのを助けてくれた。」と彼は言う。同じインタビューのなかで、ヘットフィールドはメタリカのプロダクションに関するウルリッヒのインプットについてこんな冗談を飛ばしている。「彼(ラーズ)はギターサウンドにちょっかいを出したんじゃない、ベースギターにちょっかいを出したのさ」
ヘットフィールドもウルリッヒもジャスティスのミックス過程のあいだに実際何が起きたのかは確かにしていないが、異なるソースからの物語は全てにおいてかなり一貫している。2015年のインタビューで、ミキシング・エンジニアのスティーヴ・トンプソンは、回想したことについて熱く説明をしている。彼のゴールは「『Master of Puppets』を吹き飛ばすようなもの」だった。しかしメンバーたちが「ベース無しでもっとガレージ感のあるサウンド」を望んでいることに気づいた。彼はまずウリリッヒのドラムのEQ(パラメーターのイコライザー)を彼の耳が喜ぶように調整し、ヘットフィールドもそれに賛同した。しかしウルリッヒはトンプソンの嫌うような形でさらに変更を加えた。それからこのエンジニアはドラマーがベースに注意を向けたと語る。
「彼は「ベースギターはどうだい?」とこうさ。私は「あぁすごいパートだよ。彼はよくやっている。」と答えた。すると彼はこう言うんだ。「ミキシングで出来る限り、聴こえないくらいベースを小さくして欲しいんだ。」私は言ったよ、「冗談だろ?」って。彼は「いいや、小さくしてくれ」と言っていた。私があのレベルまで音を下げると彼は「もう5db落としてみようか。」と言ったんだ。私は振り返って、ヘットフィールドを見て言ったんだ。「彼は正気かい?」あれにはぶっ飛んだね。」
バンド加入時にバンドがジェイソンのことを無慈悲に悩ませていたというニューステッドの発言に基づき、2008年にアルバムのベース音を下げたのかという質問に対して、ウルリッヒは意図的ではないと語っている。「ジャスティスは最初から最後まで「ジェイムズとラーズのショー」だった。でも「コイツむかつくからベースを消そう」なんてならなかったよ。「俺たちがミキシングしている。だから自分たちの背中を叩いてリズムギターとドラムを上げてみよう」って方だね。でも基本的にはベースが消えるまで他の全てのことを変え続けていたんだ。」
2016年にはラスムッセンがこう語っている。「彼らの判断だ。それは確かだ。ベース音を下げると言ったのはラーズとジェイムズだった。私は彼らに訊ねたから、その事実を知っている。」
ブラックアルバムではそれが変わった。1996年にヘットフィールドがグループの制作プロセスについてこう語っている。「過去にはラーズと俺がみんなに足かせをしていた。今回はスタジオに入ってジェイソンがスラップベースのパートをレコーディングしているのを聴いたら、俺たちは「何だいそりゃ?OK、10数えて曲のなかに入れてみよう」ってなる…俺はジェイソンが自分が書いたものの多くがレコードに入らないことにどれだけ不満を持っていたのか何年もわかってはいたんだ。(中略)彼はみんなが聴くことを望んでいる。」
創造的なインプットをめぐって、ニューステッドはサイドプロジェクトのエコーブレインでアルバムをリリースしてヘットフィールドと衝突した時、つまり2001年まではバンドに留まっていた。この騒動はドキュメンタリー『Some Kind Of Monster』でも取り上げられ、最終的にニューステッドは、2003年の『St.Anger』のレコーディングでスタジオ入りしたボブ・ロックに置き換えられ、その後にオジー・オズボーンのベーシスト、ロバート・トゥルージロによって永続的に置き換えられた。後知恵にはなるが、彼はジャスティスがなぜああなったのか新しい視点を得た。
「心理的にも無意識的にも潜在的にも、彼らは「ジェイソンはクリフのようにプレイしない。奏法は同じじゃない。彼はジェイムズのそれのようにピックでチャンカチャンカとスピードメタルを弾いている。素晴らしい音楽的な背景ではない。同じにはならないだろうしチャガチャガと聞こえるところまで戻ろう」というところがあったに違いない。また、1988年に名声を味わい始めた…個人の自我はどんどん膨らんでいった。」
ベースの欠如は過去30年間に渡り、メタリカのファンとの係争した点であった。録音ソフトがこれまでより安価になっていたことで、自分たちの手によって『...And Justice For All』からジェイソンの貢献がより聴こえる形でリミックスを試みるファンも現れた。最初に登場したのは2015年の『...And Justice for Jason』だ。YouTubeユーザー、「Josh10177」によってアップロードされた。どう作られたのかは説明がなかったが、アルバムの音からイコライザーを使っている。他のリミックスはもっと独創的だ。ひとつは「James Mason」という名のユーザーが2017年にアップロードしたものは、楽器の音を分離させ、アナログレコードをサンプリングしてベースの音を強くしている。ハッキリとそう言っているわけではないが、いくつかの曲のベーストラックは『Guitar Hero: Metallica』のミックスから分離させたベーストラックを使用している可能性がある(クリフ・バートンが弾いたかのようにレコーディングされたと思われるリミックスもある)。
2013年にニューステッドはこう語っている。「ミシガン州ポンティアックで、この子がやってきて私に『...And Justice For Jason』をくれたんだ。彼はジャスティスのベーストラックをリミックスしていた。何年もの間、そういう話は聞いていたが、本当に注意を払ってはいなかった。彼が「ねぇ、これはあなたのためのものです。こうなるべきだったんです。」ときたんで俺は「OK、出たものがあるべき姿であり、世界で記録を残したものなんだ。でもクールだね。ベースはあるのかい?素晴らしいよ、ありがとう。感謝するよ。」と言ったんだ。」
ヘットフィールドとウルリッヒは出たものが出すべき音であり、だからそのままであるべきというニューステッドの主張に同意する。過去数年のあいだ、メタリカは過去のアルバムをリマスタリングして再リリースした。そのうちの最新のものである『Master of Puppets』は昨年発売された。ラスムッセンはファンは「代替バージョン」を期待すべきだが、ジャスティスのリミックスバージョンは期待すべきでないと語っている。
ヘットフィールドはこう語る。「こういったレコードは人生のある時間の産物だし、歴史のスナップショットであり、俺たちの物語の一部なんだ。OK、だから『...And Justice For All』はローエンドを使ったし、『St.Anger』はスネアドラムを少ししか使用しなかったが、それらのレコードは歴史の一部になっている。」
トンプソンもバンドがリミックスする「欲はない」ことを確認している。2018年にはこう語っている。「彼らはそのままを維持したいんだ。リマスタリングするかもしれないし、そういうこともあるかもしれないが、できるマスタリングはあまりにも多い。真実を伝えるなら、私はそれらのオリジナルのマルチトラックが確保されているかわからないんだ。」
彼らがそのままを維持したいとする事実にも関わらず、バンドは進んでそうしたジャスティスアルバムの最終的な結果に後悔を表明している。ハメットはこう語った。「俺たちは『...And Justice For All』を良くするためにレコーディングできたらなと思う。当時は面白いコンセプトのように聴こえたんだ。でもあのアルバムは今や俺にとって良くは聴こえない。曲は大好きだけど、その音はファンキーだ。悪い意味でのファンキーであって、グルーヴィーなファンキーじゃない。」
ニューステッドはこう語る。「俺たちは全てのシリンダーを稼働させて、あんなことが起きてしまった。俺はそれにただ突き進んで巻き込まれていっただけだ。(中略)もし今、彼らにそのことについて訊ねたら、今は彼らには時間があり、父親でもある。知っての通り、人生は成熟し、彼らはそうするだろう。キミの眼前で、あれは正しかったと言うだろうね。」
2009年、トンプソンはロックの殿堂入りの式典でラーズの隣に座って、ニューステッドの言ったシナリオに似た体験をしていた。彼にとって一周して元に戻ったような体験だった。回想するところによるとこうだ。「「ねぇ、ジャスティスのベース、あれは一体何が起きたんだい?」ラーズは実際にそう俺に尋ねてきたんだ。私はすぐそこで彼をぶん殴ってやりたかったよ。残念だった。私は、あのベースのためにコテンパンに叩かれた一人だったからね。」RollingStone(2018-08-25)
-もしもしラーズ、あなたは今、生まれ育ったコペンハーゲンにいますね。ホームにいると感じてますか?
まぁ、ホームはこことサンフランシスコと半分ずつに分かれていると言っていいだろうね。サンフランシスコは住んでいる場所で、子供たちが学校に通っている場所だ。でもデンマークは俺が生まれ育ち、俺のルーツがある場所なんだ。
-あなたはデンマーク人の気質を持ってる?それともカリフォルニアがそういう気質をぶち壊したりしました?
デンマーク人として、民族に属しているように感じる。アメリカに来た時、みんなが我が身のためにいるように感じた。みんなが他の誰よりも先に進もうとしていた。デンマークでは、他の人よりビッグになろうとか勝ろうとは決して考えない。他のヤツよりずっと先に行こうとすると、ほとんどの場合、ひんしゅくを買う。俺はいつもその感覚を共にすることに愛着を持ってきた。だからそこにあるのは、酢漬けの魚、ロースト玉ねぎ、ホットドッグにかける変わったソースへの愛ってわけ。
-ジェイムズ・ヘットフィールドにニシンを無理強いしたことはありますか?
無理強いが適切な言葉かわからない。俺たちは実際、ここで『Ride The Lightning』『Master Of Puppets』と2枚のレコードを制作した。だからデンマークで俺たちは長年に渡ってかなりの時間を過ごしてきた。ヨーロッパを廻る時は、コペンハーゲンを基点にしている。バンドはここを快適に感じているからね。メンバーはデンマークのペースが好きなんだ。それでまぁ、俺たちは誰も見てない時に酢漬けの魚をコッソリ入れるんだよ。絶対にね。
-“ラーズ・ウルリッヒおすすめ”のコペンハーゲンで絶対にやらなきゃいけないことって何かあります?
1つかい!?鹿公園(Deer Park)を自転車で廻るのはおすすめだね。市の中心部から10分~15分ってところの、おそらく地球上で最も美しい場所だよ。俺たちがここにいる時はいつも自転車を借りて公園内を巡って鹿と戯れるんだ。
-了解。家のなかではどんな風にくつろいでいますか?
妻のジェス(ジェシカ・ミラー)と俺は、キャンドル、花瓶、小さなカーペット、小物といったデンマークのものをたくさん置いている。でもくつろぎ(hygge)っていうのはモノから感じるだけじゃない。心の状態なんだ。家に人を歓迎して、おしゃべりして、グラスワインを持って、キャンドルを灯して、ゲームをしたり、毛布に包まったり、外で座って、とりとめもない話をたくさんする。アメリカでは今とても流行っているよ。友だちから「Hygge Nightに来て」って誘われる。ニューヨーク・タイムズで記事にもなった。多少失ってるかもしれないけど、俺が覚えている限りは、ここの生活構造のなかにいるよ。俺の中に染み付いてるんだ。
-メタリカとして37年間バンドをやってきて、「ロックスター」の典型はどう変わりました?
遊び呆けるってのは60年代、70年代、80年代でやってきたものと同じレベルにはならない。若い人たちは、はるかに賢明だよ。俺たちは両親だったり、社会だったりに反抗していた。若い世代には反抗するものはない。
-その結果として、ロックは苦境に立たされていると?
俺はいつもロックンロールにおける危険な要素に感謝してきた。でも結局のところ、今日の若者は地球市民になったから、世界はより良い場所になっている。若い人たちは、この惑星を正しい方向に歩み続けなければならないってことをもっと意識している。俺たちは次の世代として、より調和した若々しさがあった方がいいってこと。トンだ馬鹿みたいにふるまうのは時代遅れのように思うよ。
-あなたはアートコレクターでもあります。「こりゃ一体何だい!?ラーズ!」と尋ねざるをえないものは家にありますか?
主に画家として活動している親しい友人は、ゴミから像を彫り出しているよ。「Hyde Park London Summer 2006」と呼ばれる17つぐらいの彫刻で制作を終えるだろう。そのいくつかは俺の家にある。缶、ビン、チリ紙、キャンディーの包み紙がみられるよ。3から5フィート(約1~1.5メートル)くらいあって、ロボットの要素があって、生き物や異星人のように見えるんだ。
-バンドTシャツは今、大きなトレンドになっています。ハイストリートファッションがヘヴィメタルの図柄で占められることであなたを悩ますことはありますか?
俺はそんなに意見はないよ。多ければ多いほど喜ばしい。俺はあんな風に高価じゃないけどね。もし5分かけてクールだと思って俺たちのTシャツを着たいと思うなら、俺は誰かにそんなことするなとは言わないよ。もしハイストリートファッションの店がメタリカのTシャツを販売することを決めたなら、誰かが曲をチェックしたり、ショーを見に来たり、彼ら自身が何かしら自由になれるかもしれない。それは全て、俺にとって良いことだ。
-最後に、私は良い曲がかかっているといつでも机をドラム代わりに叩いてしまうのが得意なんですが、アリーナでドラムを叩くまでの次のステップは何でしょうか?
へぇ、膝は叩いてる?それとも太もも?太ももを叩くところから、そのままスタジアムへ直行だぜ。
Shortlist(2018-08-16)
ステファン
次のツアーはアメリカのいわゆる「B市場」に戻ってくる。この用語が意味するところが変だと思われるかわからないけど、多くのバンドが最早やって来ないようなアメリカの小さな町だよね?少なく見積もっても20年は行ってないところに、ツアー日程の少なくとも半分は占めていると言っていいよね?
ラーズ
そう白黒ハッキリはしてないけど、30のスタジアムを廻る。(テキサス州)ウィチタフォールズのスタジアムでもやるけど、あそこはスタジアムでやるのに十分な人がいないことは間違いない。だからアリーナでやる2ndツアーでは、別の言い方ができると思う。アメリカのアリーナツアーをやった場所だってこと。『Death Magnetic』の時にたくさんの場所でやった。(ノースダコタ州)グランドフォークスとか…
カーク
(サウススダコタ州)スーフォールズとかね。
ラーズ
そのなかには「ルーティング」と呼ばれるものと繋がりの深いものがある。そういう意味では単に「ここで公演をやって、次の30公演をやる」とやってるわけじゃない。AからBに移動しなきゃならないなら、ここからあそことか行かなけりゃならない。でもアメリカは広いところだ。アメリカのたくさんの最高な場所にクールなファンがたくさんいて、しばらくのあいだ行ってないとなったら、再び行ってこの体験をしてもらうのは楽しいものになるだろう。
ステファン
スーフォールズに戻るエネルギーは足りてる?小さな町、小さな都市だと、アメリカの典型的なスタジアムの観衆というよりも「外国人の観衆」みたいなもうちょっと多くのエネルギーがいるのかな?
ラーズ
俺にとって、こういう場所に行くたびに2倍になる。「あぁヘルシンキに戻ってきた」と思うと同時に、ある意味全く別々の視点で見ることになるんだ。「あぁここは5年前に気温40度のなか「Frayed Ends of Sanity」をやったところだな!」とか「ここは『Load』ツアーで来た時に48時間暗闇だった場所だ」とかを思い起こさせる。わかる?だから両方だ。ここにやってくる。別のホテルに泊まる。太陽が輝いている。「ここに前来たっけ?」となる。過去の点と点が結びつくようなことを経験するんだ。だから(ケンタッキー州)ルイビルでステージに立つことを、「2018年のルイビルはどうだ?あのエネルギーはどうだ?」ってなるのを楽しみにしているよ。それは俺にとって最高なことだし、このバンドでやってきて37年経っても、リフレッシュボタンを押し続けているように感じる。いつも新しいことのように感じるんだ。「同じ街に戻ってきて、同じ曲をやって、同じステージをやって、俺たちがここにやってきて以来、同じ年月を経た同じ観衆がいる」なんてことはない。初めてこういうことを体験する、俺たちを観たことのない人たちがいる。人生で初めて「Seek and Destroy」を聴くんだ。どういうことかわかる?37年経ってもそんなことが起きえるってことなんだ。本当に最高なことだよ。
ステファン
キミたちの公演を観る人たちを年齢や時代に当てはめるのは難しいね。
カーク
マジで?こういうことを体験する時に基準を見つけるのは難しいってこと?
ステファン
必ずしもそういうことを意味するんじゃなくて。私が言ったのは、このバンドがほんの数年しか活動できなかった、あるいは何年も活動してきたとしても、37年も活動してきたバンドには見えないってこと。これまでの遺産の演目という荷物を背負ってない。遺産の演目ではあるんだけど、そうではないというか。
ジェイムズ
荷物はないけど、体験はある。うん。ほとんどの場合、とても新鮮ということに同意するよ。年間50公演しかしてないということは、もしファンなら旅行しているよ!以前行った回数よりもさらにもう少し旅をするだろうね。もし俺たちを観たかったら。
ステファン
まぁそうなるかな。
ジェイムズ
まぁでも前にこんなことを言われたよ。「ねぇ!何で今回のツアーでは(コロラド州)デンバーに来ないの?」ってね。(過去にデンバーの)マイル・ハイ・スタジアムでやったことはあった。「でも今回のツアーで!」うん、まぁ俺たちは屋内でやる。代わりに(隣のユタ州)ソルトレイクでやるから、もしまた(今回のツアーで)観たかったらそっちに行くことになる。
ステファン
もう1つツアーに関する質問を。来年が「WorldWired」ツアーの最後の年になるのかな?それとも2020年?
ラーズ
ある時点で終わりがあるのは間違いない。見極めなきゃならない。(今回のツアーでまだ行ってない)日本もある。オーストラリアもある。ニュージーランドもある。メタリカと長い間クールな関係を築いている他の地域もある。だから静観して把握しなきゃならない。でも俺にとって一番重要なことは、さっき話したことに戻るけど、メンテナンスについてだ。俺たちは日本に行かなきゃならないし、オーストラリアに行かなきゃならないし、あっちにもこっちにも行かなきゃならない。それはいいことだ。限界を越えない範囲でやる限りはね。俺には2019年か2020年かいつになるのかはわからない。俺にとって、今の俺たちは管理できるバランスのとれたやり方でやっていく。Metallica.com(2018-07-05)
ステファン
ロブとカーク(のパート)は発展していったよね、つまりちょっとしたジャムからセッションになり(訳注:原文ではnoodleからdoodleになったとある)、今や1つのモノになっている。そうでしょ?
ラーズ
デュエットだよ。
ステファン
ショーのポイントになっている。
ラーズ
(ロブとカークの方を向いて)この(休暇中の)夏に2人がロードに出て、全ての国でそんなことをやるかもしれないね…
ロブ
それはないな!
ラーズ
計画するなら協力するよ。
カーク
家族がそんなことをするのを望んでいるとは思わないね。
ステファン
ショーにもたらしたことは何かを話してよ。
ジェイムズ
そこに自分がいないってのが最高だね!このバンドの他の誰かがアイデアを思いついて、そうなっているっていうのがさ。実を結んだけど、(こういうことは)有機的に起こっているんだ。ステージ上のラップみたいにね(ラップ:ジェイムズは曲のあいだのMCのことを言っている(So What!編集部))。「そのラップはあれよりも良かった」「あれはうまくいったけど、あれはちょっとね」なんて言っているかもしれない。でも俺が言うことを信頼してくれていると思うし、実際に起きている。何が言いたいのかと考える。うまくいくときもあれば、いかないときもある。より心地いいときもあれば、長くなったり、短くなったりするかもしれない。でも俺も話好きになっている。俺が思うに、(カークとロブの)セクションも同じじゃないかな。本当にクールなものを思いついたね。
本当にうまくいくこともあれば、そうじゃないときもある。当たったり、外したりだけど、それをやっているという事実はそのリスクにも共感しているんだ。「地球最大のメタルバンド」なんてのが、a-haの曲でおふざけしてたり、俺が小さな子どもに向かって「やぁ」なんて言ったりすること、人間的側面と崇敬される側面を見せていることでみんなに共感されていると思う。結局のところ、良いニュースはそこを離れてもまた戻ってくる。(良し悪しを)評価する人を持とうとしてしまうけど、そんな人はそこにはいない。そんな人は楽しい瞬間を体感していない。だから俺は毎晩何が起きるのか見ることは、とてもエキサイティングだとわかったんだ。素晴らしくなる保証はどこにもない。
ラーズ
でも今やみんなが実際に楽しみにしているというのも本当にクールなことだよ。以前は冗談で言ってたし、誰を軽視することもなく言えることなんだけど、ドラムソロ、ベースソロ、ギターソロってのは間違いなくトイレ休憩(の時間)だった。あるいは「Tシャツ売り場に行こう」とかね。今やみんながそれについて話している。俺たちがミート&グリートをやるとさ…「今夜のロブとカークは何をやるの?」って。
カーク
そう、いろんな予想があるよ。
ラーズ
「来週は何が起きるの?」って。今やこういう他のことがそれ自身の命を宿している。それが本当にクールなんだ。俺にとってそれがショーの期待の一部であるっていう事実は素晴らしいことだと思う。
ジェイムズ
しかも俺たちは休めるしね!
ロバート
まぁ自分にとっては、成長・学習っていうコンセプトやこの歳で今ツアーが出来ていることにいつも感謝しているよ。リスクを冒して、ハンガリーとかプタペスト出身のバンドやバルセロナ出身のペレットと呼ばれているカタルーニャのルンバのアーティストについて学べることも楽しめている。本当にいい感じだ。自分が気づかなかった曲のなかにも興味をそそるものがあるってことに気づかされた。加えて言葉のこともある。ドイツ語で歌うよう練習するのは本当に興味深い。俺の義母はドイツ人だから彼女の助けを借りたり、妻のクロエに訊いたりしている。そういう面白いことがあるね。だから全てがかなりの冒険になったわけだけど、ジェイムズの言うようにそれはリスクでもある。「Halo On Fire」を弾いてるあいだにちょっとビビったりするよ。「あと2分後にはチェコ語でこの歌を歌わないといけないな」なんて考えちゃってさ。それで深呼吸するってわけ…。
ラーズ
俺なんかは「あと2分で引っ込んでお休みだ」って感じだね。彼が訳の分からないことをするぞ!!!って。
ジェイムズ
チェコ語で歌わ「なければならない」。これはやる必要はない。自分でやりたがってるわけだから。
ロバート
でもやりたいんだ。なぜだかわかる?
カーク
彼は今日フィンランド語で歌うよ。
ロバート
そう。いいかい、これは俺が本当に信じてやってることなんだ。
ジェイムズ
今夜で歌うのは終わりかな???(訳注:インタビュー当日はヨーロッパ公演最終日)
ロバート
実際、そうだね。
カーク
今夜でね。
ロバート
すぐにでも言いたいのは、俺にとって、ベストを尽くしているってことだよ。あと、普通に感じているのは、そこにいる人たちが何が起きているかをわかっているってことなんだ。そう頻繁じゃないけど、どういうわけかわからない時っていうのはある。俺の言ってることわかるよね?だから仕事の倫理は強くなくちゃならない。この2公演は本当に頑張っているよ。カークと一緒に、この挑戦がさらに良い方向になるよう挑戦して仲間意識を持つことを楽しみにしているよ。特にヨーロッパでは、みんなは少なくとも何を体験することになるのかわからない状態で来て、突然「あぁこれか!」ってなるんだ。
先日も俺はここにいるみんなに言ったんだ。「俺たちa-haの曲をやるつもりなんだ。最初はブーイングがくるだろうね。覚悟しといて。それからそれが大好きになるはずさ」まぁ、よかったのはブーイングはなかったってことだ。どういうことかわかる?俺はそれがわからなかった。俺は自分自身の最悪の批評家なんだ。もし俺がそこで(本来のメロディを弾かずに)激しく弦を連打してたら、何よりも自分にダメ出ししてただろうね。だから少なくとも100%捧げることがわかっていれば、誰が何を言おうと気にしない。「ベストを尽くした。それを誇りに思う。」とね。
ジェイムズ
そう、それがまさにメタリカだ。それがメタリカなんだ。
ロバート
イチかバチかやってみて、(結果は)それはそれだ。
ジェイムズ
わかってると思うけど、ロブから、マイクの近くにいても恐れを感じる。
ロバート
そうだよ。
ジェイムズ
彼は加入した頃から…俺が歌の助けを望んでいていたことを彼は知っていた。もっと安心できるようにとヴォーカルレッスンを受けていたよ。今や俺がやりたいとも思わないことをやっている。チェコ語で歌っているんだから!!
ロバート
外国語でっていうのはクレイジーだね。でも全てが楽しいし、新鮮だし、こうなるはずじゃなかったんだ。有機的に起きていて、素晴らしいよ。
カーク
何かクールなことをやりたいってだけで完璧な成果になったね。ある時点でロブと俺は膝を突き合わせて、俺に訊ねたんだ。「それぞれ別々の日に、こういう曲をやりたくない?」俺はそれを見て「いいじゃん」となった。俺はすぐに何かを学んで、それをうまいことやり遂げるって挑戦は好きなんだ。俺にとってクールなことだった。さまざまなスタイルを学ぶ挑戦も好きだしね。そういうもののなかにはチェコの「Jožin z bažin」みたいに超ローカルなものもあった。
ラーズ
…地元のクールな曲でちょっとしたツアーでもやるか?最初に地元のクールな曲を選んで、それから日取りをブッキングしよう。
ジェイムズ
ヨーロッパで本当に素晴らしいのは、スポーツ、サッカーチームみたいに、そういう曲をとても誇りに思っているってことだね。何か愛国心があるというか。
ステファン
アンセムがあるよね。
ジェイムズ
スポーツ、言語、曲。「これは俺たちにとっての歴史的な曲だ」っていうね。だからアメリカやオーストラリアとかに行くときにも挑戦するよ。国自体がもっと広大だからね。どうやったら地元の誇りに触れられる?
カーク
そのことについて昨日話していたんだ。次のツアーの最初の3、4ヶ月は実際やってみたんだ。1か所に複数のアーティストがいる場合に自分たちができることについてアイデアや提案をしながらね。マッシュアップとかメドレーとか、どうやったらうまくいくか話していたんだ。
ロバート
…これを時間内に収めながら、1分だったり1分半でこれ、1分半であれをやるって感じだね。とても面白いものになるよ。だってアメリカじゃ、多種多様な都市にいると複雑になるからね。
カーク
そうそう、デトロイトとかシカゴとかね。
ロバート
まさしく。ミシガンなら一般的に、すでにたくさんの人たちがいるでしょ?つまり、とても多くの可能性があるってことなんだ。少なくとも2018年にはそれをちゃんとマッピングして、先を見ながら、本当にクールなものになるよう、どんな挑戦になるかがわかるだろうね。
カーク
アメリカには「地元愛」がある。俺が「地元愛」と言えば、このバンドとこの街、このバンドとこの州であり、この町のことだね、一緒にやってきたことがたくさんある。
ロバート
(サウスダコタ州)スーフォールズとか(ノースダコタ州)グランドフォークスみたいに、クールなものがあってそれを見つけた時なんて「うぉぉぉ!こりゃいいね!」ってなるんだ。全てサプライズになる。
ステファン
そうなると訊かなきゃならないのは、こういう風に発展して行った時に、ラーズとジェイムズに「ねぇ今夜はこの曲をやろうと思うんだ」とか何とか伝えていると思うんだよね。ラーズとジェイムズにとって、信じがたい曲とかピンとこない曲を出されたら、どれほど耐えがたいものなのかな?何も言わずにいることはどれほど難しいものなのかな?
ラーズ
さっきジェイムズが言っていたように、俺たちはそこに関知していない。
ジェイムズ
俺は信頼しているよ。俺が2人は紹介する時はね。「ハロー!俺たちは大きなクソロックバンドだが、本当にバカになることだろう…さぁ一緒に!」ってね。そういう単純なことだよ。もしそれをやらなかったら、機会を逃すことになる。どうぞやってくれ。
ステファン
正直言って、それはこのバンドの成長の大きな証だと思う。
ラーズ
俺は関与しないよ。信頼してるし、気になったり、興味をそそる時はあるけど、関与はしない。俺はそれを判断したりはしないんだ。
カーク
不可避な要素の1つは、ロブと俺が「Poppy」とか「Off kilter」の曲をやると決めたら、それは俺たちというフィルターを通したものだってこと。だから99%違うサウンドになる運命なんだ。
ジェイムズ
超ポップだったり、超パンクだったり、俺たちのジャンル外のものをやる方がよっぽど簡単だよ。人があまりジャッジしないからはるかにやりやすい。「わぁ、あれは面白かったな!」ってなるからね。
カーク
不意をつかれるからね。
ジェイムズ
地元のロックとかメタルのような別の同年代のバンドをやろうとするくらいなら、自分たちの枠外から出た方がいいだろう。
ロバート
こんなことこれまでやったことないだろう?こないだアメリカから知人がメールをくれたんだけど、そこには「こりゃあ、すごくイイね!」って書いてあった。「…キミらのやってることは最高だわ」ってメッセージをアメリカからたくさんもらっている。この友人は(フランク・)ザッパがこういうことをやっていたと言ってた。俺は「そりゃすごい。ザッパは最高だ。ザッパは歌ったりしたの?ハンガリー語とかチェコ語で?」と言ったら「いいや、それは彼もやってないよ」って。だからこれまで誰もやってないんだ。特に俺たちがやっているようなことをバンドでっていうのはね。
ステファン
最後の話題に進む前にもう少し質問を。1人ずつ、これまでやったなかでお気に入りのカバー曲は何かな?
ラーズ
マンチェスターで(オアシスのカバー)「Don’t Look Back in Anger」をやったのは、感情を揺さぶられて最高だったな。
カーク
あれは最高だった!
ラーズ
あの時点で起きていたこと(訳注:アリアナ・グランデのマンチェスター公演終演後の自爆テロ)があったから、違う次元で心打たれたよ。
カーク
あぁ本当にそうだね。
ラーズ
あの曲が持つ歴史と最近マンチェスターで起きたことがその理由だろうね。
カーク
より大きなものを意味していたり、関係していたりという点では、あれは俺たちがやったなかで一番感情を揺さぶられる時間だったよ。
ジェイムズ
そこにはカップルがいたんだ。つまり、観衆が束の間の一時をどこにいるのか忘れて、だからメタリカのショーに参加しているんだけど、何が起きたのかを忘れたがっていた。そんななかで、彼らは自分たちがいる場所に、彼らが知っているあの曲に敬意を払うんだ。大声で歌っている時はいつだって、最高だ!そこには繋がりがある!ロブが地元の言葉で歌おうが歌うまいが、そのメロディーによって、観衆はそれを理解して大声で歌ってくれる。あれは最高の気分だよ。
ステファン
クールだね。Metallica.com(2018-07-05)
ステファン・チラジ
しばらくのあいだ、バンドはツアー最初の夏休み。今夏は活動しないことにワクワクしてる?代わりにやろうとしていたことをしたいと思ってる?
ジェイムズ・ヘットフィールド
まぁ走り出した電車に飛びついてる感じだね。俺は家に帰って、息子の誕生日だ。彼は卒業して、俺たちは引っ越した。サマーキャンプに行く子どもたちもいる。そりゃもうたくさんのことが起きていて、楽しい旅行も計画している。息子の卒業記念に、家族でボートを借りてどこかに行こうと夢中になっているね。
ステファン
そこまで「オフ」っていうわけでもなさそうだね。
ジェイムズ
まぁ知っての通り、俺にとって「オフ」っていうのは飛行機に乗っていないことだ。俺にとってはそういうことなんだ。俺がどこかにドライブに行こうが、家でじっとしてようが、飛行機旅行はあるからね。
ステファン
クール。この夏、ラーズにとって「オフ」は何を意味しているだろう?
ラーズ・ウルリッヒ
「オフ」はトイレにいる時の1日2回各30分を意味している。それが「オフ」だよ。残りの23時間?まぁ身体のメンテナンスとしての睡眠だろうね…。人はいつも「家にいるならオフでしょ」って言うけど、俺にとっては単にスケジュールがないことを意味しているんだ。メタリカの全てのことが信じられないほどスケジュール化されていて「ここにいなきゃ、そこにいなきゃ、これをやらなきゃ、あれをやらなきゃ」って始終そうなっている。だから俺にとって夏休みってのは、もう少しこう…ジェス(ジェシカ・ミラー)と俺がヨーロッパで時間を過ごすこと。そこかしこにあれやこれやあるけど、そう厳格なものじゃない。俺はますます自分のため、自分たち家族のために、もっと衝動的で場当たり的な感じで「全てがスケジュール化されている」ことに抗っているよ。今年の夏はヨーロッパで過ごすことになっているけど「ここにいる」かもしれないし、「そこに行く」ことだってできる。母国(訳注:デンマーク)でちょっと過ごすとかどうとかね。でも「7月17日の午前8時には、ここにいなくちゃならない」とかそういうものじゃない。それが俺にとってオフタイムの最高なところだね。
カーク・ハメット
ジェイムズの答えとは対照的なんだけど、このショーの後、俺は家に戻って溶岩やら地震やら洪水やら津波の可能性に対処しなくちゃならない(訳注:カークの自宅のあるハワイではキラウエア火山の噴火によって甚大な被害が出ている)。でもそれが人生ってもんだ!それが俺が住んでいるところでの普通の生活なんだ。
ラーズ
ミサイルに溶岩か(訳注:ミサイル緊急警報の誤送信がハワイで発生)。
カーク
俺が住んでいるところじゃ、それがいつもの生活の一部なんだ。受け入れるだけだよ。海にはもうちょっと用心深くなるし、空を見上げて、地面を感じ、呼吸をする。それ以外でだって、俺は9月から3月、4月にかけて病気やケガが信じられないほど続いたし。
ステファン
えぇー。
カーク
そうなんだ。病気とケガの大きな連鎖みたいな感じだった。病気になった時、俺はケガを治すための運動ができなかった。病気じゃなかった時には、またケガをしてしまった。バカげてるよ、だからこの夏は身体の調子を整えるための期間にするよ。自分からケガをしないようにする。自分の身体をもっと強くする必要がある。今年の夏の目標は、ケガをしても相殺できるようにすること。俺は本当に弱っているけど、ケガはしたくないからね。それと病気もそうだ。
ステファン
津波や地震などについて喋ってくれたけど、ちょうど知りたかったところなんだ。ここの席に座ってるみんなはハワイに(ミサイル)警報が鳴った時、メールを送ったの?
カーク
そうそう。
ステファン
核兵器を送っていると言われる島がどうなっているかについてここで話しておきたい?
カーク
ニュース価値はあると思うよ。でもまぁ俺の電話はパンクしたよ。アンバーアラート(訳注:未成年者失踪事件発生時に地域住民に知らせる警報)か?とてもよく似ていたんだよ、そういう警報にね。俺はヨガをやっていた。あおむけになって足腰を浮かせていたら、息子が言うんだ。「ねぇ、お父さん、電話が津波が来るみたいな面白い音立ててるよ。」って。俺はえぇ?って思って電話のある方に行って手に取ったら「ミサイル警報:着弾が差し迫っています。これはテストではありません。」って言うんだ。俺はそれを読んで、何だって?となった。俺が住んでいるところのリビングからは空港が見える。
ロバート・トゥルージロ
韓国を見ろ!
カーク・ハメット
それに真珠湾も見えるんだ!そこでは何も動きがなかった。何もだよ。実際、どこも静かなものだった。真珠湾には早期検出システムがあるってことを知っている。ゴルフボールのように見える、4階建ての高さの巨大なものは、太平洋全体に渡るアメリカのための早期発見システムなんだ。スクランブル発進もなかったし、真珠湾を出る船もなかった。サイレンも何もない。空襲サイレンなんてものはね。だから俺は「これは間違いだろう」って思ったんだ。ヨガを続けたよ。
ステファン
なるほど。
カーク
でも気を付けないと。友人の友人は心臓発作を起こした。その知人が言うには、山道を登っていて、警報を受けて、崖から飛び降りることを考えたんだって。
ステファン
うわぁ、想像を絶するね。
カーク
クレイジーだよ。
ロバート
わぉ。
カーク
とにかくそういうこと!それが俺がやることなんだ。それとギターをたくさん弾くことがね。
ステファン
ロブはどう?
ロバート
海に戻るのを楽しみにしてるってことはわかるかな?最後に南カリフォルニアでサーフィンしたのはいつだったか覚えてないくらいなんだ。(妻の)クロエが行きたがってるのもわかってる。彼女は(今年)ヨーロッパにあまり行ってないから、フランスの田舎で2週間過ごしたいと思ってるんだ。今回は地中海側にいるかな。2、3年前に大西洋側には行って、ブルターニュからビアリッツを廻ったよ。あれはクールだったね。キミは知っての通り、前回の長期休暇の時には手術を受けていた。ヘルニアの手術を受けていたから、休暇のあいだは本当に大したことはできなかった。だからアウトドアや海に入る時間を楽しみにしているよ。それと(息子の)タイは6月にレコーディングをするから、その準備を手伝うのも楽しみだね。
俺はラーズとポーラー賞を受賞するためにスウェーデンに行くよ。(息子のタイの)スタジオにいるのはかなりクールなことになるだろうね。少なくとも彼はクールになるための全てを準備しているよ。それが楽しみだ。それが今年の夏かな。普通は夏には俺たちが話しているようなことがあって、かなり忙しくなるけど楽しみだよ。
ステファン
「夏休み」のテーマから離れる前に、この夏の間に誰かが他のメンバーにメールを送りたいと思うアイデアが浮かぶんじゃないかな…「おい、リフが浮かんだ!」とか「アイデアを思いついた!」とか、そういうのはどういう仕組みなの?つまり3か月。誰かが誰かにメールを送るつもりはある?もしそうならいつ頃になると思う?
カーク
9月?
ジェイムズ
わからないな…
ステファン
(アイデアが溜まって)辛抱できない時点というのはないの?
ジェイムズ
もし俺がラーズに「おい、リフができたぞ!」なんてメールしたら何かが間違ってるよ。
ラーズ
(ジェイムズの妻の)フランチェスカにすぐにメールするよ「どうした?」って。
ジェイムズ
そう!
ステファン
じゃあ辛抱できないっていうのはないんだ?
ジェイムズ
ない。俺たちは全員、自分たちのことがある。自分の趣味を持っていて、それを楽しむための時間をかけたい。でも知っての通り、俺の人生の喜びのひとつは趣味じゃない。楽曲を書くことなんだ。
ラーズ
リフ付きのメッセージを送ってくれ!
ロバート
一般的には、俺たち全員、ほとんどの部分で音楽のことを考えているというのが正しいかな。自分たちのDNAの一部なんだ。昨日は午前3:00にアイデアが思いついて、VOXアンプで小さなドラムマシーンを演奏していたよ。いつもそんなことが起きるんだ。
ラーズ
休暇が前進させることの一部だということを理解しなきゃならないよ。「おっと、全ての会場が夏に押さえられてしまったから家にいなくちゃならなくなった」なんてことじゃない。俺たちのようにツアーをするため、俺たちのように演奏をするため、自分たちがやっていることを届けるために、家から離れて、家族から離れて、ここに来て、このテーブルについて、こんなことを話すために、起きる全てのことがある。俺にとって…なんと言えば適切かわからないけど…それはメンテナンスのようなものだ。わかるでしょ?そのメンテナンスの一部が、9月初旬にマジソンでステージに出ることができるってことだし、そこから離れている時間があるってことなんだ。そうじゃなかったら全ては崩壊してしまうよ。この『Hardwired...』みたいに18か月とかそのくらいで(年間)50公演で俺たちの予定が組まれているようなキャンペーンでは、こういうことを機能させる方法をマスターしたように感じる。でなければ、ベストに近づき続けているってことだ。
ステファン
聞きたかった質問に直接触れてくれたね。これはこの18か月間で学んだことなのかな?自分について何を学んでいる?自分自身を驚かせるようなことを話し合ったりしてる?互いにどんなことを学んでいる?「うわぁ彼がそんなものを持っているとは知らなかった」なんてことを発見したりする?
カーク
言っておかなきゃならないのは、俺は小さなドラムキットでふざけ始めて以来、隣に座っている新しいドラム教師がいるってことだね。それも知らなかったことでしょ!
ラーズ
(カークには)新しいお気に入りのドラマーがいて、それはもうスチュワート・コープランド(訳注:ポリスのドラマー)じゃないんだ。
ジェイムズ
マイルス・ウルリッヒだな!(訳注:ラーズの息子)
カーク
そう、マイルスだ!
ロバート
俺は(カークが)ステージ上でラーズを見ているのを目撃したよ。彼をガッツリ見てたんだ。
ステファン
わかったわかった、もうちょっと質問の主旨に戻ろう。Metallica.com(2018-07-05)
メタリカは「ヘヴィ」メタルの王として崇敬されている。しかしバンドがコンサートのために(アイダホ州)ボイシに到着する頃には、メンバーたちは大いに「軽く」したいことだろう。
水曜日(2018年5月3日)朝、メタリカはTwitterとFacebookを通じて29秒のビデオを公開し、ラジオ局ボイシ・ステーション100.3FMの「The X」のパーソナリティー、Big Jからのメタリカダイエットチャレンジを受けると語った。
Big Jことジェレミ・シュレーダーが11月28日までに少なくとも100パウンド(約45キログラム)落としたら、4人全員の個人的なインタビュー取材を受けるとメタリカは約束したのだ。ごく稀な機会である。
「メチャメチャ驚いたよ」シュレーダー(41歳)は語る。
妻からビデオは見たかとたずねるメールを受け取った時、彼はインターネットで楕円形のダイエット器具を見ていた。
ラーズ・ウルリッヒは動画のなかで「Big J、最高の運を掴んでほしい。Smaller Jになってね。」と語った。タコベルの名前が付けられたアリーナでライヴを行うのは間違いない。
Big Jの巨大さを理解するためにメタリカの定番曲で考えてみよう。
・彼の体重は約424パウンド(約192キロブラム)…【Sad But True(悲しいけどホントの話)】
・それにもかかわらず彼は体重を減らすことに専念している…【Nothing Else Matters(他はどうだっていい)】彼は【Seek and Destroy(探求と破壊)】をしなければならない
・彼はメタリカや自分自身を失望させたくはない…【The Unforgiven(許されざる者)】になるのはまっぴら
Big Jはソーシャルメディアのビデオを通じて、食べ物との格闘を記録している。彼は3月にメタリカのマネージメントに連絡を取り、この挑戦のアイデアを投げ込んだのだ。
いまだに彼は世界で最も大きなバンドの1つが自分の体重を扱った動画を公開するとは見当もつかなかった。「今はプレッシャーがのしかかっているよ」と語る。
Big Jは、「The X」でDJを務める別の人物が最近、心臓発作から蘇生後、ダイエットについて考えるのに多くの時間を費やしたと語る。「彼は俺よりも若いんだ。心臓発作なんてどうやったらなるんだ?なんて彼と冗談で話していたんだ。これは本当だ。健康問題はもはや無視できないものになっているんだ。」
さらに熱狂的にこう語る。「メタリカにインタビューするなんて素晴らしいことだよ。生きている方が素晴らしい。」
Idaho Stateman(2018-05-02)
MUSIC LIFE CLUB presents
LEGEND OF ROCK Vol.107 - For MUSIC LIFE Lovers
~Tribute to METALLICA~
日程:2018年7月23日(月)
会場:渋谷 duo MUSIC EXCHANGE
時間:開場18:00 開演:20:00
出演:HATTALLICA as METALLICA / and more
内容:Tribute Show/Exhibitiion/and more
料金:前売り ¥3500 当日¥4000 共に1ドリンク代別
※学生は学生証提示で¥1000+1ドリンク代 、小学生以下は保護者同伴の上、ドリンク代のみで入場可(要ID)
特別協力:(株)シンコーミュージック・エンタテイメント/MUSIC LIFE CLUB
チケットはこちらから。
http://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1815942&rlsCd=001&lotRlsCd=
ジェイムズ・ヘットフィールド
「ギターの名前は「Carl」。カールソン通りからとった。俺たちは大きな場所に巨大な部屋を持っている。ぶっ飛んだロックスターみたいに『カールソンのガレージをこの部屋に持ってこよう』っていうのはクールだと思ったんだ。つまり、それは『Ride the Lightning』のバナーのような昔使っていたものを全て持ってくるってことだ。ガレージをそのままここに一緒に持ってこようとね。ただ、そんなバカげたことが達成されることはなかった。後でガレージが取り壊されたことを知ることになったんだ。そこで少し前に俺たちはカールソンに行ってきた。あの場所で素晴らしいお膳立てをしてくれたよ。」
ラーズ・ウルリッヒ(回想)
「このガレージで2つのレコードの曲を書いた。『Ride the Lightning』『Master of Puppets』はそこのガレージで書かれたんだ。」
ジェイムズ・ヘットフィールド
「ずっと前からの友人たちは以前と変わらず、超クールで、昔のパンクロックの仲間のアンディー・アンダーソンと話をした。彼はアティテュード・アジャストメントってバンドをやってる。彼は『そういえば(ガレージに使われていた)廃木材を持ってるよ』って言うんだ。『本当?』ってなったね。」
ラーズ・ウルリッヒ(回想)
「俺たちはキミたちが座っているまさにその場所で『Master of Puppets』の曲を書いた。そこがガレージだったからね。ガレージがそこにあったんだ。ガレージは誰の手にあるんだ?俺たちに返せよ(笑)」
ジェイムズ・ヘットフィールド
「彼は8つくらいの小さい廃木材を持ってきてくれた。以前にケン・ローレンスが俺のために手がけたギターが細部までこだわったものだった。だから彼ならあの廃材でやってくれると思ったんだ。でも俺は今回のギターは粗削りな感じにしたかった。まさにあのガレージのようにね。」
「俺たちと共に仕事をするアーティストには、あまりに多くの方向性を示唆してしまうとそれがアートでは無くなってしまう。俺の考えではね。(普通なら)何をするのかわかっているアーティストを好むだろう。俺が知ってるケンなら、あの廃材で演奏できて、キレイに加工された使いやすいものにするだろう。だから俺は仕上がりについて心配していた。はじめはキレイにしすぎるんじゃないかと心配していたんだ。だが彼はそうしなかった。彼のワイヤーブラシによって、木材の感触、木目の感触を留めるものにしてくれた。レコード盤のグルーヴのようにね。」
「ケンはこのギターに意味を込めてくれた。彼が考える、昔使われていたこの廃材に合う物語をね。(物語は)多層構造になっていて、クリフがあのガレージを美しく飾っている。(ギターのフレットボードを指さしながら)ここに俺たち3人、これがクリフ。(向かって左から)カーク・"ザ・リッパー"・ハメット、これがラーズでライトニング・ドラムスティックを持っている。これが俺で絶対菜食主義者を脅かす者(笑)。それからこれがクリフ。Orionで映し出されたものだ。」
「太陽が橋のある港の先に昇り、俺たちは(橋=ベイブリッジを渡って)クリフに合流するためにサンフランシスコにやってきた。『Master of Puppets』も書いた。クリフはこの世を去ったが、今も空からオリオン座として俺たちを見守っている。これはガレージとそこにいる俺たち4人を表していて、俺たちの心の中に永遠にあるものだ。」
-とてもヘヴィな物語だ
「間違いないね。それだけじゃないんだ。(向かって左から)3、1、3、2とガレージの入り口にあるカールソン通り3132の住所を表している。(後略)」
・メタリカ、ラーズ・ウルリッヒの直筆サイン
(※アルバム『ハードワイアード….トゥ・セルフディストラクト』ジャケット写真プリントに書いたもの)
・メタリカ オリジナルマスキングテープ(非売品)のセット
1.ユニバーサル・インターナショナル公式Twitterをフォロー
2.“CDの写真” もしくは “曲を聞いているスクリーンショット” を、ハッシュタグ #メタリカメタルガレージ と共にツイート!
応募例
■応募条件
・Twitterのアカウントを持っている方
・@UNIVERSAL_INTERをフォローしている方
・日本国内に在住されている方
・下記注意事項に同意いただける方
■応募に関する注意事項
※お1人様何件でもご投稿いただけますが、プレゼントお受け取りの対象はお1人様1投稿となります。
※応募期間中にフォローを取り消された場合は、応募が無効となりますのでご注意ください。
.@larsulrich with the 1st Pitch STRIKE 😝#MetallicaNight | #SFGiants pic.twitter.com/Vop4MzKqg4
— San Francisco Giants (@SFGiants) 2018年4月24日
Enter to win the guitar Kirk Hammett played at the 2018 Metallica Night with the @SFGiants! Visit https://t.co/ejEd2WAYZq & with a $10 donation to @AWMHFoundation, you will be entered to win! Entries are unlimited & the contest ends Monday, April 30 at 11:59 PM EDT. pic.twitter.com/UDndZBqepR
— Metallica (@Metallica) 2018年4月24日
【1989年2月5日、テキサス州ダラスのリユニオン・アリーナで行われZ-Rockラジオで放送されたメタリカのライヴ音源を新たにデジタル・リマスターした2枚組アルバムがリリース! 】以下、トラックリスト。
このアルバムは1988年にアルバム「メタル・ジャスティス」をリリースし瞬く間に大スターとなったメタリカが翌月からワールド・ツアーを行い、その模様が5ヶ月間に渡って放送されたZ-Rock FMラジオの音源となっている。
知的な歌詞や社会的テーマを強く取り上げ従来のヘヴィ・メタル・バンドから一線を画していた時期のライヴとなっており、グラミー賞ヘヴィメタル部門 にもノミネートされ彼らにとって初のミュージック・ビデオ制作となる「ワン」も収録されたファン待望のアルバムとなっている。アイアン・メイデンのカヴァーも聴きもの!!
■Disc 1:試聴はこちらから。
1. Blackened (Remastered) - 6:18
2. For Whom The Bell Tolls (Remastered) - 4:33
3. Welcome Home (Sanitarium) (Remastered) - 5:58
4. Leper Messiah (Remastered) - 5:44
5. Harvester Of Sorrow (Remastered) - 5:12
6. Eye Of The Beholder (Remastered) - 5:59
7. Bass Solo (Remastered) - 4:20
8. To Live Is To Die (Instrumental) (Remastered) - 2:01
9. Master Of Puppets (Remastered) - 7:29
10. One (Remastered) - 7:37
■Disc 2:
1. Seek & Destroy (Remastered) - 7:05
2. And Justice For All (Remastered) - 9:20
3. How Many More Times (Instrumental) (Remastered) - 1:01
4. Creeping Death (Remastered) - 8:16
5. Fade To Black (Remastered) - 6:31
6. Guitar Solo (Remastered) - 6:29
7. Battery (Remastered) - 4:38
8. La Bamba / Prowler / Run To The Hills / Helpless - 3:13
9. Last Caress (Remastered) - 1:22
10. Am I Evil (Remastered) - 3:39
・メタリカ『ライヴ・イン・テキサス1989』 METALLICA - Live : Reunion Arena, Dallas, TX, 5 Feb 89
・メガデス『ライヴ・イン・ニューヨーク1994』MEGADETH - Night Of The Living Megadeth - Live In New York City
・アンスラックス『ライヴ・イン・アメリカ1993』Anthrax - Wallace Civic Center, Fitchburg, MA, August 8th '93
・パンテラ『ライヴ・イン・テキサス1988~ビフォー・ウィー・ワー・カウボーイズ~』PANTERA - Before We Were Cowboys
・ドリーム・シアター『ライヴ・イン・アメリカ1993』DREAM THEATER - METROPOLIS PART1... LIVE...SUMMERFEST MILWAUKEE JUN '93
・Y&T『ライヴ・イン・カリフォルニア1983』 Y&T - Live...Salinas California 1983
2018年5月12日(土)
会場:彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール(埼玉県)
曲目・演目:
ハイドン:弦楽四重奏曲 ト長調 作品33-5 Hob.III:41 「ごきげんいかが」
ツェムリンスキー:弦楽四重奏曲 第3番 作品19
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第9番 変ホ長調 作品117
メタリカ(荒井英治編):メタルマスター(マスター・オヴ・パペッツ)
2018年7月14日(土)チケットはこちらから。
会場:かつしかシンフォニーヒルズ アイリスホール(東京都)
曲目・演目
シュルホフ:弦楽四重奏曲 第1番(1924)
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 作品122
池辺晋一郎:ストラータXII(2017)
荒井英治編曲プログレッシブロックアルバムから
ピンク・フロイド:原子心母
ピンク・フロイド:マネー
キング・クリムゾン:堕落天使
キング・クリムゾン:レッド
(『...And Justice For All』の)リマスター盤はもうすぐ出るよ。実際にメタリカにモノを送っている最中で、あれがどのようにレコーディングされたのか、我々が何をやったのかについて原稿を書いているところなんだ。昨年は『Master Of Puppets』のリイシューがあったし、“Justice”は今年11月には出るんじゃないかな。これまでと同じように、アナログ盤、CD、ラフバージョン、デモテープ、そして大型本といったもの全てだ。
メインのバージョンでは、リマスターのように、多かれ少なかれこれまでのようなサウンドになるだろうね。でもそこには別のバージョンもあるかもしれない。
誰も私にリミックスや何かを頼む人はいないってことはわかっている。(当時の制作陣である)スティーヴ・トンプソンやマイケル・バービエーロにもそうするよう頼んだ人は誰もいないだろう。バンドは(リミックスではなく)リマスターで行くと思う。そこでもっとベースの音を突出させているかどうか、私にはわからない。でもまぁ出てくるのを聴こうじゃないか。
あれは2インチのテープに全てレコーディングされていた。私はそれを相当編集していたから、今それを再生しようとすると壊れてしまうと思うよ。おそらくそれらをもう一度、一緒にテープ録音する必要がある。誰かがそれをデジタルフォーマットに移行したかどうかはわからない。問題は、いつそれをやったのか、それがどのように聴こえるかだ。いったんフォーマットを変更してしまったら、終わりだからね。
でもいずれわかる。おそらく11月には出るだろう。だからちょうど今それに取り組んでいるところなんだ。
UltimateGuitar.com(2018-03-27)
1.ジェイムズ・ヘットフィールドとラーズ・ウルリッヒは、1985年の中頃に批評家とファンの両方に印象深いアルバムを出すことを目標に曲を書き始めた。カリフォルニア州エルセリートのガレージで一緒に取り組み、リハーサルの段階でクリフ・バートンとカーク・ハメットを呼んだ。
2.バンドは曲を書き始めた頃には、アルバムが『Master Of Puppets』と呼ばれることになることが分かっていた。
3.ジェイムズとラーズは曲がこれだと思えるまで、ギターリフに取り組んで各曲を書き始めた。次に曲のタイトルと題材を考えて、その後ジェイムズが曲名に合った歌詞を考え出していた。
4.『Master Of Puppets』はデイヴ・ムステインが作曲面で貢献していない初のメタリカのアルバムだが、ムステインは「Leper Messiah」は共作曲だと主張している。バンドはそれを否定したが、彼のアイデアを取り入れた箇所があることを認めた。
5.バンドはこのアルバムをラーズの故郷デンマークで録音した。なぜなら彼らはそのスタジオがより良い音響を持っていると感じていたから。
6.ラッシュのシンガー、ゲディ・リーはこのアルバムのプロデュースを持ち掛けられたが、スケジュールが競合していたため叶わなかった。
7.カーク・ハメットはギタリストのジョー・サトリアーニにより効率的に録音する方法を学んでいた。
8.バンドはパーティー好きだったにもかかわらず、アルバムのレコーディング中は酒を飲まないままだった。
9.メタリカはマネージャーのピーター・メンチと共にアルバムカバーをデザインした。墓地に白い十字架、十字架には空から伸びる手によって操られた糸が付いていた。ドン・ブラウティガム(Don Brautigam)によって描かれたオリジナル・アートワークは2008年に2万8000ドル(約300万円)で売られた。
10.アルバムカバーには、ペアレンタル・アドバイザリー・ラベル(訳注:未成年者にふさわしくないと認定された音楽作品に全米レコード協会が添付するマーク)を嘲笑するステッカーが貼られていた。ステッカーにはこう書かれていた。「あなたがプレイしたくない唯一の曲はおそらく「Damage Inc.」でしょう。悪名高いFワードが複数回使われていますからね。それを除けば「shits」も「fucks」も「pisses」も「cunts」も「motherfuckers」も「cocksuckers」だって、このレコードのどこにもありません。」
11.ファンや専門家の間でオープニングトラックの「Battery」の意味について見解が分かれている。怒りについて歌った曲だと考える人もいれば、タイトルが「(法律用語としての)脅迫と暴行」を指しているという人もいれば、砲撃台についてだと考える人もいる。さらにメタリカが駆け出しのころにプレイしていたクラブがたくさんあるサンフランシスコのバッテリー・ストリートにちなんでいるという人もいる。
12.タイトルトラックは薬物について扱っている。ヘットフィールドは「ドラッグがどのように立場を変えてしまうか、自分の摂取するものを自分がコントロールする代わりに、ドラッグの方が自分をコントロールするようになる」ことについてだと説明している。本質的には、ドラッグがマスターであり、使用者がパペットなのだ。
13.「Master Of Puppets」の最後のソロを弾いている間、カークはフレットの一番上の弦を引っ張って、高い音を出している。
14.「Master Of Puppets」の最後でギターとメンバーのエコーのかかった笑い声が録音されているのが聴こえる。
15.「The Thing That Should Not Be」はH.P.ラブクラフトの小説『インスマスを覆う影』から触発された。
16.「Welcome Home (Sanitarium)」はケン・キージーの小説『カッコーの巣の上で』に基づいており、誤って隔離された精神保健機関の患者の考えを描いている。
17.「Welcome Home (Sanitarium)」のデモ版では、歌詞が異なる他、コーラスもなく、トラックの途中で曲が終わり、「Orion」のベースが始まっている。
18.タイトルが意味するように「Disposable Heroes」は英雄である軍隊が国から無視されていることに関するもので、反戦歌となっている。カークは「Disposable Heroes」が戦争映画で聴いた曲にように聴こえればと望んでいた。
19.「Disposable Heroes」という用語は(SF小説の)『華氏451』から取ってきている。
20.「Leper Messiah」は、自分たちのために人々を言いくるめてお金をもらい、テレビでキリスト教の説教を説く人に関する曲。「Master Of Puppets」同様、約束したものを提供せずに信奉者をコントロールするだけの宗教について解釈している。
21.デヴィッド・ボウイの1972年の曲「Ziggy Stardust」のなかで「Leper Messiah」という歌詞がある。
22.ジェイムズは左腕に「Orion」中盤にあるベースパートの音符のタトゥーを入れている。アルバムのプロモーション・ツアーの最中にツアーバスの事故で亡くなったクリフが最後に参加したアルバムであり、「Orion」はバートンの壮大な才能の一部を示している。
23.「Damage Inc.」は標的が不特定の無意味な暴力についての曲だ。
24.1986年にリリースされて間もなく、アルバムはビルボード200で72週間ランクインした。
25.『Master Of Puppets』はバンドに初のゴールドディスク認定をもたらした。非常に少ないエアプレイ、ミュージックビデオなしであったにもかかわらず、最初の3週間で30万枚を売り上げた。アルバムは600万枚を超える売り上げで6回のプラチナムを獲得している。
iHeartRadio(2018-03-03)
-『...And Justice For All』のレコーディングについてこちらはロックの殿堂入りセレモニーの前夜祭にてラーズの家族と一緒に写るスティーブ・トンプソン(2009年)。
最初の日、ラーズがやってきて彼が自分のドラムをどのようなサウンドにしたいのか、全てのドラムについてイコライザー設定の写真を持ってきた。だから(ミキシングを共に担当したマイケル・)バービエーロに言ったんだ。「マイケル、ラーズと一緒にやってみて、彼がこうだと思うサウンドに聴こえたら、教えてもらうようにしてもらったらどうだい?」
そうしてラーズが望む音を出してみたんだけど、私はそれを聴いてこう自問したよ。「何だい、このクソみたいな音は・・・」だから私はみんなを部屋から追い出して、全てを詰め込んで、ドラムを再調整して、ギターとベースの音を上げた。ベースは素晴らしいパートになっていて、ヘットフィールドのリズムギターと完璧な組み合わせだったからね。最高だったよ。バンドがぶっ飛ぶようなものにしようとそんなことをやっていたら、ヘットフィールドが入ってきて、いいねと親指を立てた。みんなもだ。ハッピーだったんだ。
そうして再生の準備ができたら、ラーズが歩いてやってきた。15秒ほど聴くと「止めてくれ」ときた。彼は私にこうさ。「えぇっと、俺のドラムのサウンドはどうなったんだ?」だから私はたぶんこういったと思うよ。「マジで言ってんの?」
そんなわけで私はラーズが満足していたサウンドまで戻らなければならなかった。私は満足していなかったが・・・。そしたら彼は「ベースはわかる?」と言ったんで、私は「あぁ」と答えると今度はこうだ。「5か6デシベルくらい下げて欲しいんだけど」私は「なんで?」と訊いたが、彼は「いいから下げてくれ」と。だから私はかろうじて聴こえるというところまで下げた。今度は「もうちょっとだけ下げてくれ」ってなったんだ。
私はジェイムズの方を向くと、ジェイムズはただ両手を上げていた(文字通りのお手上げ)のを覚えている。私は言ったんだよ。「本当に何でそんなことをするんだ?」って。
-今後出るであろう『...And Justice For All』のデラックス盤について
私はジャスティス・アルバムの記念に貢献しているよ。山ほどの写真やアウトテイクを彼らに送ったからね。でも彼らはレコードのリミックスする気は毛頭ない。彼らはあのままを維持したいんだ。
彼らはあれをリマスタリングするかもしれないが、マスタリングで出来ることはそう多くない。実を言えば、オリジナルのマルチトラックが保存できているかさえわからないんだ。ラーズのドラムだけで500万の編集があるんだから。もし箱を持って開けたなら、おそらくあの場所全部で約5000万本のテープがあるだろうね。
-最後に
彼らはこれだけ長い間、あれと共にあった。私は批判の大部分と一緒に暮らしてきた。なぜなら誰もがそれは私のせいだと思うからね。そしてミキサーとして私の名前がバービエーロと共に入っているのだから、非難は受けなければならないと思う。
でもメタリカがロックの殿堂に選出されて、彼らが我々をその場に呼んでくれた時のことを思い出すよ。素晴らしいと思っていた。ラーズと出会ったら、彼は私の方にやってきてこう言ったのさ。「スティーヴ、あのレコードのベースは何が起こったんだい?」彼は実際に私にそう訊ねたんだ。私は「OK、参った、降参」と言うしかなかったよ(笑)
PRP(2018-02-22)
メタリカのフロントマン、ジェイムズ・ヘットフィールドは、郡の取締役会が火曜日(2018年2月27日)に取引を承認した後、公式にマリン農業地帯信託(以下、MALT)にオープンスペースとして1000エーカー以上の土地を譲ることになった。
昨年秋、『Master Of Puppets』のような数百万ドルのセールスをあげたハードロックアルバムで知られているバンドにいるヘットフィールドは、妻のフランチェスカと永久にオープンスペースとなるよう農業保護区域のためにルーカスバレーの土地240エーカーを寄付した。この夫婦は以前にもロッキングH牧場の440エーカーを2005年に保護区域に置き、その後2009年にも330エーカーの土地を保護区域へと寄付している。
今回、火曜日の動きでそれは全てMALTの手に渡ることになった。
「MALTはマリン郡の農地を維持するさらなる使命を果たし、オープンスペースと娯楽の機会を提供するという使命をより深めることができます」シニア・オープンスペース・プランナーのクレイグ・リチャードソンはそう語る。
マリン郡の行政官、デーモン・コノリー取締役会会長は「我々は全員一致でこれに同意する」とし、全会一致で承認となった。
11月の声明でヘットフィールドは次のように述べている。「マリン郡のオープンスペース地区とMALTと協力して農業を再建し、牧場の景色を見られる回廊を維持することに家族はとても満足しています。自分たちはこれが大きな社会的利益となることを信じており、目標のひとつは長きに渡って牧場での農業を維持していくことです。」
こういった献身ぶりが40エーカーの残りの土地に4戸の家を建てるというヘットフィールドが以前示した関心にどのような影響を及ぼすかは不明だ。
ヘットフィールドの代理人、インターナショナル・プランニング・アソシエイツ社長のスコット・ホッチストラサーは火曜日、ヘットフィールド家は家を建てる計画を郡に提出していないと述べた。郡は先月(2018年1月)不動産は車庫の予定とする変更を承認している。
(中略)
2016年、ヘットフィールドはラジオ番組で家族が1980年代から住んでいたマリン郡からコロラド州ベイルに移り住んでいると語った。ヘットフィールドは同時にベイエリア、特にマリン郡の隣人たちに対して「人々の態度にはうんざりしている」と語っていた。
The Mercury News(2018-02-28)
その他、初めて買ったレコード、バイト経験、デイヴィッド・エレフソンとの出会いについて語っています。インタビュー動画はこちらから。
クリフと俺は本当に本当に親しくなった。彼はレイナード・スキナードが好きだったのを覚えているよ。ある日、彼とリハーサルに向かう車のなかで「Sweet Home Alabama」を聴いていた。ラーズが(デンマーク訛りで)「このパートを真ん中でテンポをゆっくりにしないと」なんて言っていた。それで俺が「OK」って言ってこうさ(「Sweet Home Alabama」のリフを口ずさむ)。俺が「Sweet Home Alabama」を弾くと、アイツは知らなかった。(デンマーク訛りで)「ファック!やべぇな、おい」ときた。俺は「OK、これでいこう」そうしてあれ(「Sweet Home Alabama」のリフの最後のパート)を削った。デイヴ・ムステインとレイナード・スキナードが「The Four Horsemen」を書いたのさ。
俺たちは何度もノミネートされている。素晴らしいことだ。ただ、「おぉノミネートされて本当に嬉しく思います」って何回も言うしかできなかったんだ(笑)そう!だから実際に賞を勝ち取った時、彼らが発表したやり方が逆だったってのを覚えているよ。マーガレット・チョーがプレゼンターだったんだけど、彼女は「受賞者は「Dystopia」です」と言っていた。受賞者はメガデスだったはずだ。受賞はバンドであって曲についてじゃないからな。落ち込んだのはほんの1秒で、席から立ち上がった。舞台に上がる途中でBGMが流れていたけど気にも留めなかった。舞台に上がって俺たちは俺たちのことをした。すると誰かが「あなたが受賞した時、演奏されていた曲を聴きましたか?」って言われたけど俺の答えは「No」だった。どうやら彼らはメタリカの曲を演奏していた。だから俺は言ったんだ。「俺は彼らを悪く感じていないよ。だって彼らは本当にマズい仕事ぶりだったからね。」って。良いことと言えば、忌々しいグラミーで「メタリカ」って言ってなかったってことだね!
BLABBERMOUTH.NET(2018-03-02)
2018/09/02 Madison, WI @ Kohl Center
2018/09/04 Minneapolis, MN @ Target Center
2018/09/06 Lincoln, NE @ Pinnacle Bank Arena
2018/09/08 Grand Forks, ND @ Alerus Center
2018/09/11 Sioux Falls, SD @ Denny Sanford Premier Center
2018/09/13 Winnipeg, MB @ Bell MTS Place
2018/09/15 Saskatoon, SK @ SaskTel Centre
2018/10/16 Milwaukee, WI @ Wisconsin Entertainment and Sports Center
2018/10/18 Pittsburgh, PA @ PPG Paints Arena
2018/10/20 State College, PA @ Bryce Jordan Center
2018/10/22 Charlotte, NC @ Spectrum Center
2018/10/27 Buffalo, NY @ KeyBank Center
2018/10/29 Albany, NY @ Times Union Center
2018/11/26 Las Vegas, NV @ T-Mobile Arena
2018/11/28 Boise, ID @ Taco Bell Arena
2018/11/30 Salt Lake City, UT @ Vivint Smart Home Arena
2018/12/02 Spokane, WA @ Spokane Arena
2018/12/05 Portland, OR @ Moda Center
2018/12/07 Sacramento, CA @ Golden 1 Center
2018/12/09 Fresno, CA @ Save Mart Center
2019/01/18 Tulsa, OK @ BOK Center
2019/01/20 Little Rock, AR @ Verizon Arena
2019/01/22 Birmingham, AL @ Legacy Arena at The BJCC
2019/01/24 Nashville, TN @ Bridgestone Arena
2019/01/28 Raleigh, NC @ PNC Arena
2019/01/30 Cincinnati, OH @ U.S. Bank Arena
2019/02/01 Cleveland, OH @ Quicken Loans Arena
2019/02/28 El Paso, TX @ Don Haskins Center
2019/03/02 Lubbock, TX @ United Supermarkets Arena
2019/03/04 Wichita, KS @ Intrust Bank Arena
2019/03/06 Kansas City, MO @ Sprint Center
2019/03/09 Louisville, KY @ KFC Yum! Center
2019/03/11 Indianapolis, IN @ Bankers Life Fieldhouse
2019/03/13 Grand Rapids, MI @ Van Andel Arena
— US Bank Arena (@USBankArena) 2018年2月23日
— Bankers Life Fieldhouse (@TheFieldhouse) 2018年2月23日
— Bell MTS Place (@bellmtsplace) 2018年2月23日
— T-Mobile Arena (@TMobileArena) 2018年2月23日
CLASSIC SLIP-ON 9,720円(税込)
SK8-HI REISSUE 19,440円(税込)
TRUCKER CAP 3,240円(税込)
T SHIRTS 4,320円(税込)
管理人からは昨年のメタリカのツアーTシャツをプレゼント企画として持っていこうと思ってます。ご参加お待ちしています!
■場所
西横浜エルプエンテ
相鉄線西横浜駅から徒歩1分
改札を出て真っ直ぐ。道なりに階段をくだり、短い横断歩道を渡って左へ。
郵便ポストの脇に入り口があります。
■日時
2018年3月4日(日)
17:00 OPEN
18:00 HATTALLICA LIVE START
19:00 TALK SESSION
■チャージ
1500円+1ドリンク
(今回、お食事の用意はございません)
2018年のポーラー音楽賞はアメリカのバンド、メタリカに授与されます。ワーグナーの感情的なざわめきとチャイコフスキーの大砲(訳注:序曲『1812年』で楽譜上に本物の大砲を撃つ指定がある)で、誰もが肉体的で激怒を表した音楽を創ることになりましたが、まだそこまで理解されるものではありませんでした。
達人のアンサンブル演奏と、とてつもなく加速されたテンポによって、メタリカはそれまでになかった場所にロック・ミュージックを引き込みました。メタリカの世界では、10代の寝室とコンサートホールの両方をヴァルハラ(訳注:北欧神話における主神オーディンの宮殿)に変えることができる。バンドの妥協なきアルバムの力強さは、何百万人ものリスナーの疎外感をスーパーパワーに変える助けとなりました。
Facebook(2018-02-14)
その他の当日の写真は記事元ネタをご覧ください。
56回目の誕生日にクリフ・バーとの生涯と遺したものはカリフォルニア州カストロバレーの故郷で祝福された。クリフ・バートン・デーとして街から正式に宣言され、カストロバレー音楽学校では、長年の友人、元バンドメンバー、そしてファンが彼らの物語と思い出を分かち合う親密で心のこもった集会が行われたのだ。
バートン・ファミリーを代表するのは、サンフランシスコ郊外で子供時代を過ごした頃からクリフのことを知っていたフェイス・ノー・モアのドラマー、マイク・ボーディンだった。クリフの父親であるレイ・バートンは参加がかなわなかったが、彼が集まった人たちに心の底から感謝したい旨の説明をした。その後にマイクはまず、かのベーシストについて誰しもが語らなければならないことを話した。「彼は偉大なヤツだった。死によって生きていた人生よりも大きくなる人がいる。時にはそれが正しくないこともある。クリフはそうじゃなかった。彼は本当に偉大なヤツだった。スマートなヤツだった。そして思いやりがあった。死によって彼は今よりもずっと崇められることとなった。彼は今や伝説だ。彼を知っていた我々はそれを乗り越えることはできないだろう。」
長年の友人であり、『Murder in the Front Row』の共著者であるハラルド・オイモエンはどれだけクリフが謙虚であったかを口にし、『Master of Puppets』時代に彼と地元のバーに行った時に、注目を浴びることになってクリフがどれだけ落ち着かなかったかを聴衆に語った。「彼はお世辞が好きじゃなかった。最も地に足の着いたヤツだったんだ。」
(中略)
今回が最初の公式のクリフ・バートン・デーだったが、多くの人々の人生にまで影響した人に対して敬意を払うことは、もはや長年の伝統となるに違いない。
Loudwire(2018-02-11)
ジェイムズとメタリカのメンバーたちとは映画の舞台裏で何百時間も過ごしたから、彼のカリスマ性や力強い存在感というものを近くで体感してきた。その同じパワーや惹きつける魅力をドラマチックな役に持ち込むのは極自然なように思えたんだ。だから彼がこの映画に出演してもらう私の口説き文句に応じてくれた時には興奮したよ。
Deadline(2018-02-12)
instagramより(2018-02-13)
01. Heart and Soul (feat. Robin McAuley & Kirk Hammett)
02. Warrior (feat. Gary Barden, Graham Bonnet, Robin McAuley & Doogie White)
03. Take Me to the Church (feat. Doogie White)
04. Night Moods (feat. Graham Bonnet)
05. The Girl with the Stars in Her Eyes (feat. Doogie White)
06. Everest (feat. Graham Bonnet)
07. Messin' Around (feat. Gary Barden)
08. Time Knows When It's Time (feat. Robin McAuley)
09. Anchors Away (feat. Doogie White)
10. Salvation
11. Livin' a Life Worth Livin' (feat. Gary Barden)
12. The Last Supper (feat. Gary Barden, Graham Bonnet, Robin McAuley & Doogie White)
【ボーナスDVD収録予定内容】
01. ウォリアー(ビデオ)
02. ザ・ドキュメンテーション
03. インタビュー
04. LOUD PARK 2017 来日ドキュメンタリー
【メンバー】
マイケル・シェンカー(ギター)
ゲイリー・バーデン(ヴォーカル)
グラハム・ボネット(ヴォーカル)
ロビン・マッコーリー(ヴォーカル)
ドゥギー・ホワイト(ヴォーカル)
クリス・グレン(ベース)
テッド・マッケンナ(ドラムス)
スティーヴ・マン(ギター/キーボード)