メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    カテゴリ: エピソード

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    早いものでメタリカがブラック・アルバムを発売してから20周年。。
    よくランキングネタなどを提供してくれるmusicrader.comが20周年記念としてボブ・ロックにブラック・アルバムについてインタビューしています。
    いつもどおりの管理人拙訳にてどうぞ。

    【ブラック・アルバム全曲解説】

    「楽しい、簡単なんてモンじゃないよ、レコードを作るってのは。」

    ブロデューサーのボブ・ロックは『ブラック・アルバム』として広く知られる、メタリカのセルフタイトルとなる5thアルバムについてこう語る。

    「まぁ自分たちは笑ってたけど、コトは簡単じゃなかった。これが終わったら、二度と一緒に働かないと彼らに話したくらいだ。彼らも私に同じようなことを感じてたよ。」

    1990年の秋、ボブ・ロックがメタリカとセッションを始めた頃、バンド(ジェイムズ・ヘットフィールド(vo, g)、ラーズ・ウルリッヒ(dr)、カーク・ハメット(g)、ジェイソン・ニューステッド(b))は既に1988年の『...And Justice For All』がプラチナムを獲得し、カルト・スターから一気にアリーナクラスのヘッドライナーとなっていた。

    「彼らはあるレベルまで切り開いてきた。だが、まだメインストリームのラジオではオンエアされていなかった。彼らが私のもとに来たとき、ビッグに、大物になって飛躍する準備は整っていたんだ。たくさんの人が私がバンドを変えたと思っている。私は変えちゃいない。彼らは頭の中で既に変わっていたんだよ。私と会ったときには。」

    ただ、ボブ・ロックがグループを上昇させる企てに何の手助けもしていないというわけではない。それまでのレコーディングで欠けていた豊かで大衆的な活力を与えた。レコーディング過程でラーズのドラム演奏の取り組みに関わった。ボブ・ロックはこう語る。「ラーズがジェイムズのギターに合わせてドラムをプレイしているのに気付いたんだ。ずっと(ザ・フーの)キース・ムーンがピート・タウンゼントとプレイしたようにしてたんだ。バンドによっては最適なんだけど、全てのバンドではないんだよね。」

    「ラーズはメタリカにもっとグルーヴを望んでいた。AC/DCの『バック・イン・ブラック』はグルーヴを持ち込んだロックのレコードという点においてかなり参考となった。私は彼にあんな感じを出すために、音楽的に焦点を合わせなければならないと彼に言ったんだ。それでいくつかの曲では、バンドはラーズの方を向いてプレイしたんだ。バンドが彼の後に続いてプレイしたんだ。あれは本当に違いが出たね。」

    一方、ジェイムズ・ヘットフィールドはさらに大きな変遷を遂げていた。そのなかには意義深い影響を持つものもあった。ボブ・ロックが言うには、「彼は自分の書く歌詞でさらなる深さを求めていた。彼は歌に重要性を持たせたかった。(そこで)私たちはボブ・ディラン、ジョン・レノン、ボブ・マーリーのような優れたソングライターについて話したんだ。そして彼は自分自身のための曲は書くことができるが、さらに他人をも感化させると理解したんだと思った。彼は苦しみもがいていた。でもソングライターとして、とてつもない躍進を遂げたんだ。」

    1991年8月12日にリリースされたブラック・アルバムはすぐに芸術的偉業として称賛された。初登場1位を獲得、「Enter Sandman」「Sad But True」「The Unforgiven」「Nothing Else Matters」「Wherever I May Roam」といったラジオのオンエア・ヴァージョンを加えたシングルを生み出した。商業的には、このアルバムは巨大なものとなった。売上げは圧倒的な2200万枚、メタリカは世界的なスーパースターとして確固たる地位を築いた。

    次のページから、(それでもなお、結果としてメタリカと5つものプロジェクトを一緒に行うこととなった)ボブ・ロックがリリースから20年を迎えたブラック・アルバムを振り返り、全曲解説を行っている。「私個人としては人生最大の成果かもしれない。」彼は続けて言う。「バンドも同じことを言うと思うよ。」

    musicrader.com(2011-08-01)

    以上はプロローグのみですが、参照記事のなかではブラック・アルバムの各曲についてボブ・ロックが解説しています。ちょっと日本語訳は力尽きたので続きはここかメルマガで(苦笑)

    ジャケットを真っ黒にしたのもAC/DCの影響かしら。。

    Metallica
    METALLICA

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    ブラックアルバム、1991年以降で全米No.1売上げのアルバムに。
    Rolling Stone誌読者が選ぶ90年代ベストアルバムTOP10にメタリカのブラックアルバムが選出。

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    イギリスのロック誌、『Classic Rock』のインタビューにて
    ラーズ・ウルリッヒが『St.Anger』についての質問に答えています。

    Classic Rock(以下、CR):『St.Anger』はあなた方の最悪なアルバムといってもいいでしょうか?

    ラーズ:そう考える人がいてもいいと思うよ。

    CR:そんな彼らに同意しますか?

    ラーズ:それはできないね。このアルバムは良いとか悪いとかランク付けはできない。俺にとってはそんな単純なことじゃないんだ。俺が14歳だったらそんなこともできただろうけど、今では世界を(白黒つけない)グレーとして見ているからね。大体において。

    CR:このアルバムのドラム音はヒドかったですよ。

    ラーズ:あれはわざとやったんだ。俺たちがこれまで出したことのない音で誰かが「おっと!おっー!」ってなるようにね。『St.Anger』は他のアルバムとは独立した実験作だと思っている。俺自身、メタリカの大ファンなんだ。それを覚えておいて欲しい。かつて俺たちがやってきたように、ときどきこういった限界をファックしなきゃならない。俺たちはすでに『Ride The Lightning』をやった。いいレコードだと信じている。それをまたやる必要はなかったんだ。

    CR:でも『St.Anger』のなかの良い曲でさえ、(長くて)キリがないです。

    ラーズ:俺たちが最初から最後までこのアルバムを聴いたとき、俺が感じたのは、まぁほとんど俺なんだけど、この体験はすこぶる連打だってこと。リスナーにとっては試されるという点で堪えるものになった。だから俺たちは曲を未編集のままにしておいたんだ。みんなが曲を長く感じるというのはわかるよ。

    CR:あなたはメタリカから離れてジェイムズ・ヘットフィールドと共通点は何かありますか?

    ラーズ:いい質問だね。俺たちは2人とも映画とホッケーにかなり夢中なんだ。さらに2人とも旨い食べ物が好きだし、2人とも朝に靴を履いているよ。

    CR:あなた方2人はどう一緒にやってこられたのでしょう?究極のおかしな2人に見えるのですが。

    ラーズ:本当に楽しいからさ。一緒にジャムったりするのは本当に楽しいんだ。俺たちがメタリカ以外で共通することで大きいのは、お互いメタリカより家族を優先するということかな。これは新しいことだね。俺たちが同じ時期に同じ歳の子供をもったということが、一緒にバンドをやっていく直接的原因だと思う。片方だけ優先度が変わっていたら、たぶん関係を継続することはできなかっただろうね。

    CR:ジェイムズについて世間に間違って思われていると思うことはありますか?

    ラーズ:もちろん。いくつかあるよ。彼は世間で思われているよりずっと優しいし、傷つきやすいよ。彼の男らしい強さのほとんどは彼自身の不安感に対する対処のあらわれにすぎないんだ。とても穏やかな男だし、愛すべきヤツだといつも感じている。あいつと2人だけで過ごしているときはいつもベストな関係なんだ。問題は他のヤツが部屋に入るとすぐに始まるんだ。有利な立場を競ったり、部屋に入ってきた他人に対してそれぞれ争ったりする。おかしなもんだよ。

    BLABBERMOUTH.NETより(2011-07-18)

    かなり挑発的な質問が続いていますが、
    さすがラーズ先生、冷静に答えていますね。

    ジェイソンも同じ時期に家族を持っていたら
    またバンドの状況も違っていたんでしょうかねぇ。

    St_Anger
    St.Anger

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    ラーズ・ウルリッヒ、ドキュメンタリー映画「メタリカ:真実の瞬間」を作ったことを後悔。
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    ジェイムズ・ヘットフィールドが母校である
    Downey Highで殿堂入りされました。
    そして先日、殿堂入り式典に参加し、母校でスピーチを
    行いました。こちらがその模様の動画。


    スピーチの内容もいつもながらの誤訳御免の
    拙訳ですが以下に訳してみました。


    まず思い浮かぶのは、この学校で過ごしたほとんどの時間、
    身を潜めていた自分がこのような栄誉を授かることに対する
    最大の感謝です。

    自分は学校は嫌いだった。文字どおり。不適合者だったし、
    学校に馴染めていなかったし、馴染もうとも思っていなかった。
    自分の音楽や音楽を聴くことに出来る限り身を潜めていたよ。
    そう、授業に顔を見せ、単位やらを取得しなければならず、
    それは辛うじてどうにかなったんだが、誰かに一体感でも
    持ったようにはとても感じなかった。

    (だから)こうしてここに帰ってきて、殿堂入りされるというのは
    全く奇妙で理解しがたい出来事だし、みんなの夢の証だね。
    −こうして最後に殿堂入りした身として言えるのは−
    「不適合者」のカテゴリーに入る人だってちょっと人と違う方法で
    自身の夢に専念して成し遂げることができるということ。

    高校は自分にとってはつらい時期であり、実際相当キツかった。
    このDowney高校の近くに住んでいたんだ。自分の子供には
    いまでもあのメインストリートを渡ろうとして車に轢かれた話を
    するんだよ。子供たちは「またあの話をして」って言うんだ。

    自分は今、キツかった高校時代をどう乗り越えてきたかを
    話すためにここにいる。父親は13歳のときに去り、
    母親も自分が16歳のときに他界した。不運なことに
    そのとき自分はまだこの高校を卒業できていなかった。
    ここに多くの友人がいたのに、新しい学校へ転入して兄と
    一緒に暮らすことになった。だから高校時代は自分にとって
    ベストの時間ではなかった。だけど、音楽が救い手となった。
    それは自分の人生において非常に大きい救世主となったんだ。
    そして自分が他の人々の頭とレコードに入り込んで、音楽に
    携わることが出来た。基本的には、学校でブラブラする代わりに
    家に帰ってギターを練習したんだ。
    それが自分がやってきたことだね。

    ここで若い人たちが歌っているのを見るのは素晴らしい。
    高校の頃、ジャズ・バンドを組もうと誘われたんだ。
    自分は全くジャズとのつながりはないと思っていたけど、
    こうして最近の歌をジャズ・バージョンにアレンジされたのを
    聴くとインスパイアされるね。とてもクールだよ。
    彼らをここに来させて、歌っているのを後ろで見ていると
    誇りに思うし、(感動して)涙を誘うよ。

    自分が買った最初のギターは、その年に母親が家の仕事を
    手伝わせた結果、手に入れたんだ。そのギターはジャズ・バンド
    のギター・プレーヤーが持っていたものだった。結局、その
    ギターは下取りに出してPAシステムを手に入れたんだけどね。
    自分はまだギタープレイヤーになりたいのか、歌手になりたいのか
    わからなかった。結局、両方ともやることになったんだけど。

    さらに言いたいことは、今までわからなかったけど、高校時代は
    とても重要な時間だったということ。多くのことが自分の人生に
    起こったけど、それには理由がある。自分に起きたこと、それは
    1年生としてフットボール・チームに所属して、翌年2年生の
    チームに戻ってきた時、カミングスという名前のコーチが
    こう言ったんだ。「髪を切って来なさい。君の髪は長すぎる。
    耳を越えているじゃないか。」それで自分はフットボール選手を
    見てこう言ったんだ。「えぇっと、良いフットボール選手であるには
    ボリュームのある髪でなければならない。」しかしそのときは
    こう言われたよ。「髪を切るか、チームを去るかだ。」

    そしてこれはとても重要な決定だったんだ。
    「ロッカーになりたいのか?フットボール選手になりたいのか?」
    将来の夢はオークランド・レイダースに入ることだった一方、
    ポスターの中の人みたいにもなりたかったんだ。自分の部屋に
    貼ってあったエアロスミスのポスターのようにね。
    そしてそのとき決断したんだ。自分のギアを音楽にのみ
    集中することに傾けたんだ。だからこの選択を促した
    彼には感謝しているよ。彼を否定のしようがない、
    立場を守ったのは。だから自分はそうしたんだから。
    この学校で起きたことにはとても満足しているよ。

    このような不適合者を殿堂入りさせてくれたことにただただ
    感謝を述べたい。そして今日ここに来てくれた全ての人、
    ここで会った音楽を愛する若い子供たちは音楽にインスパイア
    され、人生を後押しする。どこであろうと精一杯夢に生きることから
    インスピレーションを得ることができるんだ。
    それは起こり得るんだから。

    BLABBERMOUTH.NET(2011-05-29)

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    メタリカの1stアルバム、『Kill 'Em All』収録曲、
    「The Four Horsemen」は初期メタリカに在籍していた
    デイヴ・ムステインが作った「Mechanix」が原型で、
    オリジナルの「Mechanix」はムス大佐が後に結成した
    メガデスで発表したことが知られています。

    Metallica - The Four Horsemen


    Megadeth - Mechanix


    メタリカ版「The Four Horsemen」にはスローダウンする
    ミドルパートが付け加えられていますが、実はこれも
    デイヴ・ムステインが偶然行ったことがアイデアの元
    となっていることを最近知りました。

    以下、デイヴ・ムステインのお言葉。

    「俺はいつも自分たちのことを「Four Horsemen」と呼んでいたんだ。
    メタリカにいる前、モントローズ(Montrose)と呼ばれているバンドと
    ギタリストのロニー・モントローズが大好きでね。
    彼は続けてガンマ(Gamma)ってバンドを組んだんだ。彼らのレコードで
    芝生をサメの背ビレが横切っているジャケットのが最高だと思ったね。
    まぁとにかく、そのレコードに収録されている「Four Horsemen」
    って曲をメタリカに入るまえの自分のバンド、パニック(Panic)で
    やっていたんだ。」


    gamma2


    Gamma - Four Horsemen


    「俺がメタリカに加入した時、自作した曲「Mechanix」は既にあった。
    そして「Four Horsemen」も俺たちがカバーしていた曲だから
    俺の提案でもあるんだ。それでジェイムズにアイデアの種を植えたんだ。
    ある日、俺たちがリハーサルをやっていた時に、ちょうどラーズが
    俺の曲「Mechanix」をスローダウンしようとか何とか言っていたんだよ。
    俺はクリフとスタジオに着いたところで、2人でレーナード・スキナード
    (Lynyrd Skynyrd)を聴いていたんだ。で、俺がふざけて「Mechanix」を
    やる代わりに「Sweet Home Alabama」を弾いたんだよ。それがつまり、
    メタリカ版「Four Horsemen」のミドルパートになったんだよ。」


    Lynyrd Skynyrd - Sweet Home Alabama


    Revolver Magazine(2011-05)※BIG FOUR特集号

    確かに「Four Horsemen」の3:28あたりのベースラインはモロに
    「Sweet Home Alabama」ですね。

    こういう曲の成り立ちを知ってから聴くとまた一興かと。

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    「デイヴ・ムステイン回顧録」インタビューの前置き。
    ラーズ・ウルリッヒ、デイヴ・ムステインとの秘話について熱く語る。

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    更新ご無沙汰してます!

    最新号にてBIG4特集が行われている「Revolver」誌。
    ↓ その表紙
    revolverbig4

    そのなかに収録されているラーズのインタビューを抜粋して拙訳。
    けっこう長いです。ラーズはホントよくしゃべる(苦笑
    デイヴ・ムステインとの秘話を明かしてくれています。


    Revolver:ラーズ、初期メガデスにはどのくらい注目していたんだい?

    ラーズ:1stアルバムはどこまで興味をもったか覚えてないなぁ。
    でも86年に『Peace Sells〜』が出たときはまさにぶっ飛んだね。
    俺の好みにぴったりだったんだよ。文字どおり、
    長いあいだ俺のお気に入りレコードになったよ。

    デイヴはサンフランシスコにやってきてたくさん演奏していた。
    俺はいつもあいつをみつけにいったよ。そして俺たちは
    酒を飲み、たくさんのドラッグをかまし、ぶらついたもんだ。
    その頃、84年から85年のあいだ、俺とあいつはその時点で
    いろいろあった問題を本当にあっというまに乗り越えたんだ。

    『...And Justice For All』ツアーのころ、ロス近くの
    Irvine Meadowsで俺たちはライブをしたんだけど、
    デイヴがやってきて『Justice』ツアー最後の何回かの
    ショーのときには一緒に出歩いていたのを思い出すよ。
    たしか89年だったかな、ただ俺たちはぶらついていたんだ。

    それどころか、LAで『...And Justice For All』の制作を
    終えたとき、88年の夏だったな、俺はアパートに行って
    朝の5時にあいつにアルバムを聴かせたのを覚えているよ。
    俺たちはどうにか起きていようとそこで座って
    「Blackened」やらいろいろ再生したんだ。
    80年代の大部分を通じて、俺とデイヴは当時、友好関係
    みたいな通じ合うものがあったんだ。

    両バンドが大きくなり始めるまでは、マスコミで
    俺たちのあいだにあった状況とはまるで違う"コト"を
    始まることはなかった。そこにはまるで2つの関係が
    あるかのようだったよ。マスコミはメガデス-メタリカ
    (という対立関係)ってのが大好物でね。そしてそれ自身に
    魂が宿っちまったんだと思うよ。そんで、どうにかして
    マスコミは俺たちのバンドを持ち上げてさ。
    結局、そいつはひとり歩きみたいになって、
    俺たちの個人的な関係にまで立ち入ってきて、
    90年代のあいだ、ときどき冷え切ってしまったという
    事実の大部分を担ったと思うね。俺の言いたいことわかる?


    Revolver:では、いつ友情を蘇らせたんだい?

    ラーズ:おいおい、長年のあいだそんなときもあったし、
    そうじゃないときもあったさ。93年、ブラック・アルバムを
    出したサイクルの終わりに向かってメガデスと一緒に
    ヨーロッパでたくさんのショーもやった。そこでは
    またしばらくのあいだとても親しくやってたんだ。
    俺たちはまた一緒に出歩いてたんだ。えぇっと、
    99年のイングランドの Milton Keynes だったかな。
    デイヴは新譜のプロモーション・ツアーか何かで
    来ていたんだよ。そんであいつはやってきて
    ショーのときにはまたぶらついてた。
    そしてあいつは『Risk』から曲をプレイしてたのを
    覚えているよ。俺たちはいつも同じ街にいるときは
    一緒に出歩いていたんだ。


    一番俺たちの関係が冷え切ってコミュニケーションが
    明らかにとれなくなったのは『Some Kind Of Monster』
    (メタリカ出演のドキュメンタリー映画)が出た後だ。
    すべてはあのシーン(※)だよ。あれで4、5年かそこら
    ストップしてしまったんだ。


    ※ラーズと1983年にメタリカを首にされたデイヴが
    衝突する場面のこと。この会合は2001年9月13日に
    サンフランシスコのリッツ・カールトンホテルで
    行われた。バンドのセラピスト、フィル・トゥルによって仲裁された。

    でもそれ以外は、90年代を通して、俺たちは
    あちこちで互いに会ってきた。一緒に出歩きもしたし、
    いいことづくめだったよ。ちょうど2つの平行の軌道が
    あってさ。マスコミにはメタリカ-メガデスなんていう
    デカいものがあって、一緒に出歩くラーズとデイヴがいる。
    よけいに奴らのようなことをやっちまうと、
    ときどき奇妙なことになっちまうんだ。
    「ちょっと待て。今週の「Kerrang」誌にはこいつのこと
    好きじゃないことになってるぞ!」なんて。変な感じだったよ。


    Revolver:明らかに現在は状況は上向きだよね。
    『Big 4 DVD』のボーナス・ドキュメンタリーのなかで
    一番感動的だったのは、息子がどんなにメガデスのことが
    好きなのかをデイヴに話すところ。

    ラーズ:長男のマイルスはメガデスの大ファンでね、しばらく。
    何年前かに通学中にこういった局面を経験してきたんだ。
    それがレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだろうと
    システム・オブ・ア・ダウンだろうとね。
    そしてメガデスをたくさん聴いていた局面があったのさ。
    あの子のお気に入りは「Hook In Mouth」だね。
    だから3、4年前から基本的に俺が朝起きて、子供たちに
    学校の準備をさせて、朝7:40に車を出して、通学用
    「Hook In Mouth」を爆音で流し始めるってわけ(笑)
    ちょっと変わってるよな。15年は早い。


    (後略)

    BLABBERMOUTHNET(2010-04-09)

    お互いに自分の曲を聴かせていたというのが
    なんともほほえましい。。


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    カーク・ハメットが先日2月6日に急逝したゲイリー・ムーアに
    どれだけ影響を受けたかを語っています。

    【メタリカのカーク・ハメット、“メタル・マスター”の
    ギター・ソロはゲイリー・ムーアへのオマージュと明らかにする】


    2月6日におそらく睡眠中の心臓発作で亡くなった
    ゲイリー・ムーアだが、メタリカのギターの
    カーク・ハメットはゲイリーの熱狂的なファンだった
    ことでも知られ、自分に影響を与えた5大ギタリスト
    のひとりだったと語っている。

    ちなみに、ほかの4ギタリストはジミ・ヘンドリックス、
    エディ・ヴァン・ヘイレン、スティーヴ・レイ・ヴォーン、
    マイケル・シェンカーだとか。

    カークはメタリカでの自身の演奏でもゲイリーからの影響を
    反映させていて、メタリカの代表作ともいわれる1986年の
    『メタル・マスター』のタイトル曲“メタル・マスター”
    のオープニングのギター・ソロのフレーズも実はゲイリーが
    得意していたギター・フレーズを借用してきたものだと
    カークはローリング・ストーン誌に語っている。

    特にゲイリーのブルース・アルバムを初めて聴いた時には
    ゲイリーのギターのスタイルだけでなく、ギターの音色
    そのものに「ぶっ飛んだ」とカークは語っていて、カーク自身、
    ゲイリーのサウンドとフィーリングだけをベースにしたリフも
    いくつか書いていて、そのリフを使った曲が1991年の
    『メタリカ』収録の“ジ・アンフォーギヴン”なのだとも
    明かしている。

    そんな自身にとってのヒーローといってもいいゲイリーに
    カークが実際に初めて会ったのは意外にもわずか1年半前の
    ことだったとか。

    「ドイツのホテルに泊まってて、ホテルのジムに行こう
    としてたんだよ。5階でエレべーターに乗ったら、
    4階で止まって、そこにゲイリー・ムーアがいきなり
    乗り込んできたんだ。もう信じられなかったね!」

    「すぐに自己紹介してさ、どれだけ影響を受けたかっていう
    話をさせてもらう機会にありついたというわけなんだ。
    実は一時期ゲイリーは最近のギタリストで自分をパクっている
    やつに非常に腹を立てていたっていう話を聞いていたから、
    俺もちょっとビクビクもんだったんだけどさ、あれ以上に
    優しく接してもらうことは考えられないっていうくらいに
    対応してもらってね、今振り返ってみて、本当にああやって
    会える機会に恵まれてよかったと思うよ」

    ro69.jp(2011-02-10)

    改めてその影響を受けたという2曲を。

    Master of Puppets


    The Unforgiven



    R.I.P.

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    SuicideGirls.com上で記載されているデイヴ・ムステイン
    のインタビュー記事について書こうと思っていたのですが
    インタビューにいたるまでの前文がなかなかいい内容で、
    そこまで訳した段階で翻訳挫折したので、とりあえず
    訳せたところまで掲載します(苦笑

    昔からのメタリカファンの方はよく知っている話かも
    しれませんが改めて。


    【ムステイン:ヘヴィメタル回顧録】

    1983年4月11日はデイヴ・ムステインの
    プロ生活にとって決定的な日となった。

    彼は将来有望なメタルバンド、メタリカのリードギタリスト、
    さらには曲作りに貢献するソングライターとして、1年半以上に
    渡りメタルで生計を立てるという夢を実現させていた。

    当時あまたのバンドがそう思っていたように、このバンドは
    まさに特別で恐るべき才能をもった4人組で、メタルバンドが
    これまで到達したことのないところまで行く可能性を持っている
    と彼は思っていた。

    際限のない野心を持った音楽家、ムステインの目は「未来」
    を向いていた。しかし彼はあまりにも「今」をおろそかにしていた。
    飲酒とドラッグの問題は、根無し草的な幼少期に端を発している
    のだが、長年にわたり彼を苦しめた。そして成功が近づくほど、
    彼の見境のない所業が増えていき、ついに一線を超えたのだ。

    何が最後の引き金となったのか、本当のところは誰もわからない。
    しかしメタリカがビジネスでニューヨークにいた4月11日の朝、
    シンガーであるジェイムズ・ヘットフィールドに起こされた
    ムステインは、出し抜けにホームタウンであるLA行きの
    グレーハウンドバスのチケットを手渡された。
    彼はさしたる警告なしにメタリカを追われたのだった。

    彼はその後、ニューヨークからLAに向かうバスのなかで
    地獄の4日間を過ごした。一文無しのため、同席者から
    ごっそりチップをせがみ、どうして自分の夢が煙のように
    消えてしまったのだろうと思いに耽っていた。しかしながら、
    絶望と傷心によって彼の才能を抑えておくことはできなかった。
    バス停で拾った核戦争についてのチラシを読んで、
    彼はキャッチーなフレーズに気付いた。

    「The arsenal of megadeath・・・」

    そして彼はLAに着くまでのあいだ、マフィンの包装紙の裏に
    歌詞を書きとめ始めたのだ。このとき彼は新しいミッション、
    「灰燼から立ち上がり、史上最も速く激しいメタルバンドを
    結成すること」を持つにいたったのだ。

    27年後、メガデスはメタルバンドのパイオニアとしての評判を
    得ることとなった。

    ひとつは『Rust in Peace』『Countdown to Extinction』
    『Youthanasia』のようなプラチナムレコードという業績であり、
    ひとつはその他のメタル・ゴッドファーザーたちやメタリカと
    割り勘できる(それも頻繁に)ということだ。

    SuicideGirlsは、先ごろ電話でムステインと彼の新しい著書
    「Mustaine: A Heavy Metal Memoir」や、年齢や成功の良さに
    気付いたこと、新たに見出したキリスト教への信仰心が
    これっぽっちも彼をまるくしていないことについて話した。

    Ryan Stewart

    SuicideGirls(2010-08-23)


    ちなみに文章中にあるデイヴ・ムステインの著書は先ごろ
    出されたものでまだ日本語版は出ていません。

    mustaine
    Mustaine: A Heavy Metal Memoir




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    デイヴ・ムステインがメタリカのロックの殿堂入りを祝福。
    ジェイムズ・ヘットフィールド、デイヴ・ムステイン解雇やバンドのイメチェンについて語る。
    デイヴ・ムステインがスラッシュ四天王ツアーの噂やメタリカのロックの殿堂入り欠席の本当の理由を語る。
    デイヴ・ムステイン、メタリカを語る。
    四天王、スラッシュメタルへの思いを熱く語る。

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    内容に偏った部分もあるように思いますが、
    概観を知るにはとてもよい記事を英訳にて。

    長いので部分的に端折ってます。

    【四天王とともにスラッシュメタルが還ってきた】

    「人間の魂の核心に語りかけてくるんだよ、なぁ。」

    Metallicaのギタリスト、カーク・ハメットは
    スラッシュメタルの変わらぬ魅力について説明した。

    「マジだぜ。どんな文化的な背景をもっていようが、
    どんな年齢だろうが、どんなファン層だろうが、
    ビートとエネルギーが語りかけてくるんだ。
    もし(スラッシュメタルを)耳にして、関わったら、
    万事完了さ。人生の一部になるんだ。」


    誰が反論できようか?なにしろ我々が会ったとき、
    彼は7日に渡ってヨーロッパ中で50万人のメタルファン
    のためにライヴを行っている真っ最中だったのだから。

    そこに居合わせたメタルファンはありえないと
    言われてきたショーの目撃者となった。
    スラッシュメタル四天王のMetallica、Slayer、
    Anthrax、MegadethがSonisphereのツアーで
    30年近いキャリアで初めて同じステージ上でライヴを行ったのだ。

    苦々しい反目があったにも関わらず、予想だにしない
    和解とこれまでのエゴの大きさを超えるほどの
    驚くべき謙遜を見る機会となった。
    「Metallicaがみんなを洞窟から引っ張り出してきたんだ。
    みんながヤツらを見に来るんだ。俺たち残りのモンは
    殺人ケーキの上にまぶされた砂糖みたいなもんだ。」
    とSlayerのケリー・キングは認めていた。)

    そして何より、ほんの10年前に死んで埋められたと
    思われていたジャンルが生き残り、4つのバンドが
    薬物中毒といった個人的な悲劇、創造力や
    コミュニケーションの断絶といった無数の障害を
    彼らなりのやり方で打ち負かし復権を果たした証となった。

    スラッシュメタルは大部分、カルフォルニアの一握りの
    バンドによって鍛え上げられた。彼らはJudas Priest、
    Angel Witch、Iron MaidenといったNWOBHMの
    グループのヘッドバンギングの疾走を持ち込んだ。

    (中略)

    ニューヨークのトレンドに抗っていたAnthraxの
    創設メンバーであり、ギタリストのスコット・イアンはこう語る。

    「俺たちは負け犬だったんだ。俺たちはもっとビッグな
    バンドを見ていて考えていたんだ。『俺たちこそ真のメタルだ。
    おまえじゃない』ってね。今思うとなんてバカなんだって
    感じだけどな。でも俺は完全にそういう考え方をしていたね。」


    しかし、この考え方は時代思潮を捉えたのだ。

    「キッズたちはBon Joviとかを聴いて育ったかもしれないが、
    15歳になったら、そういったものはもう欲しがらない。
    Anthrax、Metallicaを聴き始めるからな。そして俺たちの
    ミッションはダークサイドに落ちるのを止めることさ!」


    (中略)

    Megadethのデイヴ・ムステインにとってヘヴィメタルの
    新しい出番がやってきたのだ。妥協なきヴィジョン、
    音楽的にも詞的にも頭カラッポのパーティーバンドとは
    程遠い、メタルの上座から排除されてきた四天王の出番が。

    「おそらくいまだにグラムメタル出しているヤツがいて
    そのクソみたいなモンを買っているニセチチつけた
    たくさんの女がどっかにいるんだ。でもヘヴィメタルが
    本当に好きなヤツのためのスラッシュメタルは
    男の音楽とか考えてやがるんだ。アイツらはメタルな
    ヤツらをおとしめ、バカに見えるようにしやがった。
    (選挙投票キャンペーン【Rock the Vote】で)
    90年代にホワイトハウスに行ったとき、多くの人が
    『まぁ彼はそれほど賢くないだろう』と考えていたんだ。
    それとは反対に、俺はとても雄弁だったわけだがな。」


    それにも関わらず、90年代初頭グランジが登場したとき、
    スラッシュメタルの開拓者たちは突然、自身が荒地にいる
    ことを思い知らされた。Metallicaはスーパースター界まで
    ひた走っていたかもしれないが。(たとえ筋金入りのファンが
    Metallicaの音楽はやわになったと言っていたとしても)
    残りの彼らは仲間に取り残されたのだ。

    四天王のうち、もっともマンガのようなキャラクターであった
    Anthraxはより暗く、より内省的になっていく音楽風景に
    対処するのは難しいことだと気付かされた。

    「オルタナティヴ・ロックが90年代にあらわれたとき、
    俺たちは『アイツらはMTV全番組に出ておきながら、
    どこがオルタナティヴ(これまでの主流に代わるもの)
    なんだ?俺たちこそがオルタナティヴだろ!』って
    感じだったよ。」
    とスコット・イアンは嘆く。

    Slayerの恐ろしいライヴの評判は、狂信的なファンを
    勝ち取った。しかし彼らの90年代は質においても
    量においてもムラがあった。そして創造的な問題は
    彼らの心配事のなかでは一番小さいものだった。
    Slayerをよく聴いていたと言われている3人の
    クラスメートによってカルフォルニアの15歳少女が
    殺害されたことで事件はバンドに原因があるとされたのだ。
    Slayerに対する訴訟は2001年にようやく棄却された。

    Megadethにおいてはデイヴ・ムステインはバンドメンバーと
    以前の同僚たち同様に終わりなき確執のなか、10年の半分を
    ヘロイン中毒で費やしていた。

    Metallicaはこれまでと同じくらいの華々しさで不興を買った。
    90年代の音楽的選択について不平を言う人はいたけれども、
    2000年にファイルシェアのNapsterと法廷闘争を行った。
    Metallicaの未発表音源をオンラインで漏らすことに
    ついに我慢の限度を超えてしまったのだ。

    Metallicaのファン層は80年代、アンダーグラウンドに
    おけるテープ交換によって確固たるものになっていた。
    Napsterの出来事は短気で浅はかと思われ、ドラマーで
    バンドの頭脳でもあるラーズ・ウルリッヒはヒーローから
    憎悪の対象となった。Metallicaの評価すべきは
    芸術的、また個人的な問題の極みにいたときに
    ジョー・バーリンジャーとブルース・シノフスキーに
    驚くほどあけすけなドキュメンタリーを作ることを
    許可したことだ。その結果が「Some Kind Of Monster」で、
    創造性が底の時期の「St. Anger」製作過程で彼らが
    小競り合いをしたり、不機嫌になったりしている
    グループの危機が記録されている。

    しかしながらカーク・ハメットはあのレコードは
    作らなければならなかったと信じている。

    「俺たちはバラバラだった。俺たちは集中して取り組む
    何かを持ち、みんなでひとつになれた。いつでも
    曲を間違った方向に行き着かせることだってできた。
    でも俺たちはラップメタルレコードを作ることは
    なかったんだ。神に感謝だな。」


    (中略)

    注目されなくなってきたことはスラッシュメタル創立の
    父たちにとって信じがたいことだった。そのうち、
    MetallicaとSlayerは「Reign in Blood」のプロデューサー、
    リック・ルービンに協力を求めた。そうして出来たのが
    「Death Magnetic」であり「Christ Illusion」である。
    これらはこの10年で商業的にも批評的にも、もっとも
    成功したレコードとなった。

    「1985年から90年にかけて、みんなとんでもねぇすげぇ
    レコードを出していたよ。そして俺たちはまたやってやったんだ」

    と、ケリー・キングは認めている。

    デイヴ・ムステインは腕の故障でキャリアを脅かされていた
    状況を克服し、Megadethを再結成した。Anthraxはシンガーで、
    彼らのもっとも愛されているレコードのボーカルを担当していた
    ジョーイ・ベラドナに再び協力を求めた。

    そして、その奮闘ぶりにも関わらず、スラッシュメタルで
    もっとも嘲笑されていた看板、ラーズ・ウルリッヒは
    4つのバンドがようやく集まり、50万人の献身的な
    ヘッドバンガーたちのためにライヴを行った。

    「過去40年を振り返っても、こんなことをする4バンドを
    みつけることなんてできないだろうね。俺たちみんな、
    こうしてここにいて、やればできるんだよ。やべぇよ。」

    スコット・イアンはこう語る。

    こうして注目すべき節目となったが、間違いなく
    もっとも驚かせたのはメタルの永遠の偏屈者、ムステインだ。
    Metallicaとの過去の出来事に和解したのだ。

    「バックステージで、ジェイムズと俺は話したよ。そして
    ハグしたんだ。これまで自分たちがしてきたことを互いに
    謝罪したよ。そしてラーズと俺はディナーに行こうと
    話したんだ。こんなことが起きるなんて誰が思ったろう?
    でも俺たちはそうしたんだ。ヘヴィメタルの名においては
    思い切ってやっちまえってことだ。」


    Jamie Thomson

    guardian.co.uk(2010-07-22)

    こうしていろいろ振り返ってみると本当に奇跡的な
    イベントだったんだなぁと思います。

    いつもどおりの拙訳にて誤訳等あれば、お知らせください。


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