メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    カテゴリ: エピソード

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    ボブ・ロックによるブラック・アルバムの全曲解説。
    前回の続きから最後の4曲の解説を管理人拙訳にて。

    ■Of Wolf And Man

    正直に言おう。最初はオオカミについて詞を書くなんてバカげたことだと思っていたよ。「へぇ、すごいね。オオカミについての歌か。いったい何が言いたいんだい?ピラミッドか何かについて書いた方がいくらかマシだよ」ってな具合さ。メタルがこんな領域にまで達したとき、私は違う方向に進むこととなった。

    それから、我々がジェイムズの歌詞にのめり込んでからは、この歌がバカげてなんかいないとわかったよ。現実感があったんだ。歌詞を反映するように曲に変化を加えることについて話し合った。時間はかかったよ。完全に行き着くかどうかわからなかったけど、ちゃんとたどり着けたんじゃないかな。

    ■The God That Failed

    これはジェイムズと私のあいだにあった氷を壊してくれた曲だね。我々のあいだには緊張が走っていた。だがたくさん話し彼のことを知るにつれ、この男はなんてたくさんのものを持っているんだって気付かされたね。

    「The God That Failed」は深いよ。宗教へのただの卑劣な言動なんかじゃない。彼は非常に複雑なやり方で主題に取り組んだんだ。気持ち的には「Nothing Else Matters」と同じくらいリアルだね。

    この曲でカークと取り組んだことは面白かったね。このレコード制作のあいだもそうだったんだけどね。彼がレコード制作最後の数週間にギター・ソロをレコーディングするためにやってきたと聞いた。私はすぐにみんなと話した。「これはやろうと思っていたやり方じゃない。彼は他のみんなのように、その場で演奏させるつもりだ。」

    はじめこそ、カークはこのアプローチはやりにくそうだったけど、乗り気になって、彼が考えたガイド・ソロをプレイしたんだ。多くの場合、こういったソロを含め、彼が最初に考えていたのは前のやり方を戻して、多重録音をするときに使うものだったんだ。彼は自然にやり方を学んでいったんだね。

    ■My Friend Of Misery

    この曲はほとんどジェイソンの曲だね。彼のイントロから始まった。この曲を制作していた大部分は曲を飛躍させ、本当に成功させるために素晴らしいリフを発展させることに費やされたんだ。そしてそれは成された。リフがどんどん高まっていく。かなりうまくいったね。

    この曲は雰囲気がすべてなんだ。そして、それはとても映画のような感じだね。メタリカは自分たちの力を、むき出しのパワーを知らしめるやり方を知っている。でもこの曲では、もっと雰囲気・空気感を使っている。不吉な感じっていうのかな。そういう雰囲気が効いているね。

    ■The Struggle Within

    この曲もだよ。最初はまったく理解していなかった何かに本当に没頭してしまう自分ってのに気付かされたね。闇とそれにまつわる感情の全て・・・主題はとても捉えづらくなっているよ。

    メタリカの世界にどっぷり浸かれば浸かるほど、取り扱うにはキツく、恐ろしく、楽しめるほどやさしくはない主題こそ彼らが探求せざるえないことなんだと理解するようになったよ。

    このレコード以後、私が共に仕事したこのバンドはまるで別物だったよ。でもそれは予想できたことさ。彼らは成長したんだ。彼らは大人になったし、父親にも夫にもなった。メタリカであることは彼らにとって今でも極めて重要だ。でもブラック・アルバムを制作していたときは、彼らにとってメタリカが全てだった。私はちょうどいい時期に彼らと仕事できたんだ。

    musicrader.com(2011-08-01)

    最後の方は曲の解説というより、ブラック・アルバムの制作を振り返る感じになっていますが、これもまた興味深い話でした。
    まさにそのとき出会ったからこそできたアルバムだったと思います。

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    ブラック・アルバム発売20周年を記念し、プロデューサーのボブ・ロックが解説。
    プロデューサー、ボブ・ロックによるブラック・アルバム全曲解説(その1)
    プロデューサー、ボブ・ロックによるブラック・アルバム全曲解説(その2)

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    ボブ・ロックによるブラック・アルバムの全曲解説。
    前回の続きから4曲の解説を管理人拙訳にて。
    (今回はかなり和訳苦戦。。。)

    ■Wherever I May Roam

    実際、メタリカのメンバーたちは毎日のようにリフを生み出すことができた。できたリフの半分は信じがたいほど素晴らしかったんだ。彼らと付き合いだせば、まぁ、素晴らしいリフと(ディープ・パープルの)「Smoke On The Water」のような(古典的な)リフの違いを聴き始めることになる。メタリカはこのアルバムでいくつかのリフを持ち込んだ。なかでもこの曲は上位にくるだろうと思うよ。

    我々が素晴らしいリフから始まって、そこから歌全体に通じたテーマを届ける手助けをすることが私の仕事となった。部分部分にまで心血を注がなければならなかった。他の曲でもそうだけど、「Wherever I May Roam」の決定的瞬間は歌詞が完成したときに来たね。そのとき、全てが意味を成して、ひとつとなったんだ。

    (曲のオープニングで使用された楽器)シタールは私の手柄と言いたいところだが、あれはバンドのアイデアさ。あれは曲を美しくさせると思ったね。素晴らしい曲の素晴らしい要素だよ。

    <参考>ディープ・パープル 「Smoke On The Water」


    ■Don't Tread On Me

    私にとってこれは奇妙な曲だよ。ザクザク刻むリズム、行進しているような感じ、それが肝心なところだと私は思う・・・。「Don't Tread On Me」の怒りや政治的な立場っていうものに私は最初折り合うことが難しかったな。

    この曲は、作詞作曲に関して私が学んだ、ボン・ジョヴィやラヴァーボーイと本物との違いを象徴している。メタリカは私がこれまで出くわすことのなかった深みと情熱のレベルに達したんだ。

    それは偉人たちと直接会うことで得られるものだ。たとえその偉人たちが何に関して言っているのかわからなくても、それが意味するところは話すことができる。そして、あのように曲につながっていくんだよ。

    訳注:「Don't Tread On Me」への”政治的な立場”についてはこちらをご参考にどうぞ。

    ■Through The Never

    これらの曲について話して、メタリカについて何たるかを理解することで勉強になったことを思い出すのは、何だかおかしいね。

    彼らができうる限りのベスト・バンドでいられるよう手助けしているあいだ、私は彼らを動かしてきたことに対してたくさん洞察を得ることができた。毎日、彼らと私の両方ともに新たな発見があったんだ。

    「Through The Never」に関しては、私は良い点に気付くのに時間がかかった。しかし、いったん気付けば、こいつはかなりいいぞって思ったね。激しいパンク・ロックのヴァイヴがあるのがいいね。新しい影、新しい色、あれはエキサイティングだよ!

    以前、私は彼らが影響を受けてきたものは全てメタルだと思っていた。しかし彼らと話して彼らが(自分と)別の側面を持っていたとわかって本当にハッとさせられたよ。いったん彼らがどのようなところから来たかを理解すると、曲は全てに意味を成したんだよ。

    ■Nothing Else Matters

    ジェイムズが書いたものについて代弁することはできない。でも私にとっては、彼が「Love」という言葉を使わずにラヴ・ソングを書こうとしてできたのがあの曲だ。

    面白いよ。当時、私が知っていたあの男・・・彼は愛を確かに感じることができた。しかしそんな言葉を決して言うことはできなかった。ことさらメタリカの曲では。

    これが彼の才能だよ。彼に内在する全ての悪魔、全ての怒りにも関わらず、自身のやり方で表現することができ、それ(愛)を本当に意味することができたんだ。私はメタリカのベスト・ソングのひとつだと思うね。

    音楽的に我々は大きくしたかった。だが大げさにしたくはなかった。大きさと重みを望んでいた。しかし、80年代のメタル・バンドたちがやってきた趣味の悪いパワー・バラードはやりたくなかった。我々は大きく劇的にするアレンジが成功したんだ・・・でもそれは真の意味で大きく劇的にね。

    musicrader.com(2011-08-01)

    思い出していくだけで楽しくなっちゃう仕事というのが非常にうらやましい(笑)

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    ブラック・アルバム発売20周年を記念し、プロデューサーのボブ・ロックが解説。
    プロデューサー、ボブ・ロックによるブラック・アルバム全曲解説(その1)

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    プロデューサー、ボブ・ロックによるブラック・アルバム全曲解説。
    前回の記事をご覧になっていない方はまずこちらをどうぞ。

    ブラック・アルバム発売20周年を記念し、プロデューサーのボブ・ロックが解説。

    一気に日本語訳したろ!と思ってましたがあえなく挫折ということで、まずは4曲分を管理人拙訳にてどうぞ。

    ■Enter Sandman

    私はバンドがスタジオでライヴをするよう主張したんだ。彼らはそれまでそんなことはしたことなかった。これまで出したレコードは全て各セクションでそれぞれレコーディングしていたんだ。私は彼らにこう話した。「キミたちは素晴らしいライヴ・バンドだ。そのヴァイヴは今回のアルバムにとって極めて重要だ。」とね。「Enter Sandman」では、私はジェイソンにギタリストではなく、よりベーシストとしてプレイするようお願いした。ラーズのドラムが持つ新しい奥行きを押し出し、我々は曲に強烈なグルーヴを持たせたんだ。

    はじめは、音楽とリフを鑑みてバンドと彼らのマネジメントは、あの曲を1stシングルにしようと考えたんだ。それから彼らはジェイムズの歌詞を聴いて、乳幼児突然死についての歌だと気が付いた。その点はちゃんとチェックされていなかったんだ。

    私はジェイムズと座って、彼に歌詞について話した。「キミの持っているものは素晴らしい。しかしもっと良くなる。それほど文字通りの意味である必要があるかい?」ってね。私はあのシングルについて考えていたわけじゃなかった。

    私は彼に曲を素晴らしくして欲しかっただけさ。それは過程だ。彼が自分の望むことを言いながらも、より詩的な詩を書き、やり方を広げるためのね。彼はいくつかの歌詞を書き直して、それが全て盛り込まれたんだ。それが・・・1stシングルさ。

    ■Sad But True

    彼らは私にデモを聴かせてくれた。そして私は90年代版(レッド・ツェッペリンの)「Kashmir」だと思ったと彼らに告げた。あのリフには度肝抜かれたね。私の知る限り、彼らがあれほどヘヴィで、パンチが効いて、パワフルになったことはなかった。私が言えるのは、律動的にみて、あのリフのポテンシャルは間違いなくすごいってことだね!

    私たちは編集中、落ち着かなかった。なぜなら誰もこういった手の込んだやり方で彼らに自分たちの曲をやらせてしまうなんてことはかつてなかったからね。それまでも、そして「Sad But True」が出てくるまでの6曲のなかでも。それで突然気付いたんだ。この曲を含めて全ての曲でEのキーがあるってことに。

    私はバンドの注意をこの事実に向けさせた。彼らは言ったよ。「で、Eって一番低いキーだっけ?」ってね。だから私は彼らに私がプロデュースして、メタリカも好きだったモトリー・クルーの『ドクター・フィールグッド』を聞かせたんだ。モトリーはキーをDに下げていた。メタリカはそれからキーをDに下げたんだ。そうしたら、あのリフは本当にデカくなったんだ。この力は止めようがないね。なにがあろうとも。

    <参考>レッド・ツェッペリン 「Kashmir」


    <参考>モトリー・クルー 『ドクター・フィールグッド』
    dr_feelgood

    ■Holier Than Thou

    バンドはこの曲でいまだに私をからかってくる。なぜならこの曲がシングルになる見込みのある曲として私が目を引いた最初の曲だったからだ。歌詞なしのレコードの段階から曲を選び出すときに指摘すべきことは、まず最初に、曲そのものが私に語りかける何かなんだ。この曲はとても攻撃的な方向に揺さぶり、「メタリカ」と私に語りかけ感動させたんだ。

    レコード制作に没入していくにつれ、流れが変わって他の曲が開花してきて、「Enter Sandman」みたいに重要になってきたんだ。「Holier Than Thou」って曲がある一方でね・・・。素晴らしい曲だよ。シングルにならなかったけど。

    この曲のもつエネルギーとテンポが好きだね。致命傷をグサリとやられた感じだよ。メタリカと会うたび、いつも同じことを私に言ってくるんだ。「えっ?Holier Than Thou だって?」ってね。彼らはあのこと(はじめに目をつけた曲がシングルにならなかったこと)を拭い去ってはくれないのさ。返す言葉もないよ(笑)

    ■The Unforgiven

    ジェイムズがクリス・アイザックの「Wicked Game」にとても夢中になっていた。彼はヴォーカルの豊かで温かみのある感じが大好きだったんだ。この時点でジェイムズは歌いたかったんだよ。彼はそれまでたくさん叫んできていたわけだが、そういったものとは違う方向へ行きたくなったんだ。

    過去には、ヴォーカルをいつも二重奏にして歌った。(でも)ハーモニーを歌ってはこなかった。言ってみれば、違う曲をただ同じように歌っていたんだよ。でもこの二重奏の過程では個性は生まれない。本当に。実際、個性を失う機会が多いよ。なぜなら第1ヴォーカルが持つべき深みを第2ヴォーカルが与えられることを望まれてしまうからさ。

    私はジェイムズにこう話した。私たちはキミのヴォーカルをレコーディングすべきだ。でも自分の声をヘッドフォンで聴く代わりにスピーカーで聴いて欲しいとね。この違いは驚くべきものだった。彼は(真の意味で)歌を歌った。いつもと違うやり方で自身の声を聴くことで彼の声が全く新しい次元となったんだ。大きくて、深みがあって、温かみがある。そして目を引くものとなった。

    <参考>クリス・アイザック 「Wicked Game」


    musicrader.com(2011-08-01)
    コメントの返信はまた後ほど。。

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    ブラック・アルバム発売20周年を記念し、プロデューサーのボブ・ロックが解説。

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    早いものでメタリカがブラック・アルバムを発売してから20周年。。
    よくランキングネタなどを提供してくれるmusicrader.comが20周年記念としてボブ・ロックにブラック・アルバムについてインタビューしています。
    いつもどおりの管理人拙訳にてどうぞ。

    【ブラック・アルバム全曲解説】

    「楽しい、簡単なんてモンじゃないよ、レコードを作るってのは。」

    ブロデューサーのボブ・ロックは『ブラック・アルバム』として広く知られる、メタリカのセルフタイトルとなる5thアルバムについてこう語る。

    「まぁ自分たちは笑ってたけど、コトは簡単じゃなかった。これが終わったら、二度と一緒に働かないと彼らに話したくらいだ。彼らも私に同じようなことを感じてたよ。」

    1990年の秋、ボブ・ロックがメタリカとセッションを始めた頃、バンド(ジェイムズ・ヘットフィールド(vo, g)、ラーズ・ウルリッヒ(dr)、カーク・ハメット(g)、ジェイソン・ニューステッド(b))は既に1988年の『...And Justice For All』がプラチナムを獲得し、カルト・スターから一気にアリーナクラスのヘッドライナーとなっていた。

    「彼らはあるレベルまで切り開いてきた。だが、まだメインストリームのラジオではオンエアされていなかった。彼らが私のもとに来たとき、ビッグに、大物になって飛躍する準備は整っていたんだ。たくさんの人が私がバンドを変えたと思っている。私は変えちゃいない。彼らは頭の中で既に変わっていたんだよ。私と会ったときには。」

    ただ、ボブ・ロックがグループを上昇させる企てに何の手助けもしていないというわけではない。それまでのレコーディングで欠けていた豊かで大衆的な活力を与えた。レコーディング過程でラーズのドラム演奏の取り組みに関わった。ボブ・ロックはこう語る。「ラーズがジェイムズのギターに合わせてドラムをプレイしているのに気付いたんだ。ずっと(ザ・フーの)キース・ムーンがピート・タウンゼントとプレイしたようにしてたんだ。バンドによっては最適なんだけど、全てのバンドではないんだよね。」

    「ラーズはメタリカにもっとグルーヴを望んでいた。AC/DCの『バック・イン・ブラック』はグルーヴを持ち込んだロックのレコードという点においてかなり参考となった。私は彼にあんな感じを出すために、音楽的に焦点を合わせなければならないと彼に言ったんだ。それでいくつかの曲では、バンドはラーズの方を向いてプレイしたんだ。バンドが彼の後に続いてプレイしたんだ。あれは本当に違いが出たね。」

    一方、ジェイムズ・ヘットフィールドはさらに大きな変遷を遂げていた。そのなかには意義深い影響を持つものもあった。ボブ・ロックが言うには、「彼は自分の書く歌詞でさらなる深さを求めていた。彼は歌に重要性を持たせたかった。(そこで)私たちはボブ・ディラン、ジョン・レノン、ボブ・マーリーのような優れたソングライターについて話したんだ。そして彼は自分自身のための曲は書くことができるが、さらに他人をも感化させると理解したんだと思った。彼は苦しみもがいていた。でもソングライターとして、とてつもない躍進を遂げたんだ。」

    1991年8月12日にリリースされたブラック・アルバムはすぐに芸術的偉業として称賛された。初登場1位を獲得、「Enter Sandman」「Sad But True」「The Unforgiven」「Nothing Else Matters」「Wherever I May Roam」といったラジオのオンエア・ヴァージョンを加えたシングルを生み出した。商業的には、このアルバムは巨大なものとなった。売上げは圧倒的な2200万枚、メタリカは世界的なスーパースターとして確固たる地位を築いた。

    次のページから、(それでもなお、結果としてメタリカと5つものプロジェクトを一緒に行うこととなった)ボブ・ロックがリリースから20年を迎えたブラック・アルバムを振り返り、全曲解説を行っている。「私個人としては人生最大の成果かもしれない。」彼は続けて言う。「バンドも同じことを言うと思うよ。」

    musicrader.com(2011-08-01)

    以上はプロローグのみですが、参照記事のなかではブラック・アルバムの各曲についてボブ・ロックが解説しています。ちょっと日本語訳は力尽きたので続きはここかメルマガで(苦笑)

    ジャケットを真っ黒にしたのもAC/DCの影響かしら。。

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    ブラックアルバム、1991年以降で全米No.1売上げのアルバムに。
    Rolling Stone誌読者が選ぶ90年代ベストアルバムTOP10にメタリカのブラックアルバムが選出。

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    イギリスのロック誌、『Classic Rock』のインタビューにて
    ラーズ・ウルリッヒが『St.Anger』についての質問に答えています。

    Classic Rock(以下、CR):『St.Anger』はあなた方の最悪なアルバムといってもいいでしょうか?

    ラーズ:そう考える人がいてもいいと思うよ。

    CR:そんな彼らに同意しますか?

    ラーズ:それはできないね。このアルバムは良いとか悪いとかランク付けはできない。俺にとってはそんな単純なことじゃないんだ。俺が14歳だったらそんなこともできただろうけど、今では世界を(白黒つけない)グレーとして見ているからね。大体において。

    CR:このアルバムのドラム音はヒドかったですよ。

    ラーズ:あれはわざとやったんだ。俺たちがこれまで出したことのない音で誰かが「おっと!おっー!」ってなるようにね。『St.Anger』は他のアルバムとは独立した実験作だと思っている。俺自身、メタリカの大ファンなんだ。それを覚えておいて欲しい。かつて俺たちがやってきたように、ときどきこういった限界をファックしなきゃならない。俺たちはすでに『Ride The Lightning』をやった。いいレコードだと信じている。それをまたやる必要はなかったんだ。

    CR:でも『St.Anger』のなかの良い曲でさえ、(長くて)キリがないです。

    ラーズ:俺たちが最初から最後までこのアルバムを聴いたとき、俺が感じたのは、まぁほとんど俺なんだけど、この体験はすこぶる連打だってこと。リスナーにとっては試されるという点で堪えるものになった。だから俺たちは曲を未編集のままにしておいたんだ。みんなが曲を長く感じるというのはわかるよ。

    CR:あなたはメタリカから離れてジェイムズ・ヘットフィールドと共通点は何かありますか?

    ラーズ:いい質問だね。俺たちは2人とも映画とホッケーにかなり夢中なんだ。さらに2人とも旨い食べ物が好きだし、2人とも朝に靴を履いているよ。

    CR:あなた方2人はどう一緒にやってこられたのでしょう?究極のおかしな2人に見えるのですが。

    ラーズ:本当に楽しいからさ。一緒にジャムったりするのは本当に楽しいんだ。俺たちがメタリカ以外で共通することで大きいのは、お互いメタリカより家族を優先するということかな。これは新しいことだね。俺たちが同じ時期に同じ歳の子供をもったということが、一緒にバンドをやっていく直接的原因だと思う。片方だけ優先度が変わっていたら、たぶん関係を継続することはできなかっただろうね。

    CR:ジェイムズについて世間に間違って思われていると思うことはありますか?

    ラーズ:もちろん。いくつかあるよ。彼は世間で思われているよりずっと優しいし、傷つきやすいよ。彼の男らしい強さのほとんどは彼自身の不安感に対する対処のあらわれにすぎないんだ。とても穏やかな男だし、愛すべきヤツだといつも感じている。あいつと2人だけで過ごしているときはいつもベストな関係なんだ。問題は他のヤツが部屋に入るとすぐに始まるんだ。有利な立場を競ったり、部屋に入ってきた他人に対してそれぞれ争ったりする。おかしなもんだよ。

    BLABBERMOUTH.NETより(2011-07-18)

    かなり挑発的な質問が続いていますが、
    さすがラーズ先生、冷静に答えていますね。

    ジェイソンも同じ時期に家族を持っていたら
    またバンドの状況も違っていたんでしょうかねぇ。

    St_Anger
    St.Anger

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    ラーズ・ウルリッヒ、ドキュメンタリー映画「メタリカ:真実の瞬間」を作ったことを後悔。
    ジェイムズ・ヘットフィールド、父親としての自分について語る。

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    ジェイムズ・ヘットフィールドが母校である
    Downey Highで殿堂入りされました。
    そして先日、殿堂入り式典に参加し、母校でスピーチを
    行いました。こちらがその模様の動画。


    スピーチの内容もいつもながらの誤訳御免の
    拙訳ですが以下に訳してみました。


    まず思い浮かぶのは、この学校で過ごしたほとんどの時間、
    身を潜めていた自分がこのような栄誉を授かることに対する
    最大の感謝です。

    自分は学校は嫌いだった。文字どおり。不適合者だったし、
    学校に馴染めていなかったし、馴染もうとも思っていなかった。
    自分の音楽や音楽を聴くことに出来る限り身を潜めていたよ。
    そう、授業に顔を見せ、単位やらを取得しなければならず、
    それは辛うじてどうにかなったんだが、誰かに一体感でも
    持ったようにはとても感じなかった。

    (だから)こうしてここに帰ってきて、殿堂入りされるというのは
    全く奇妙で理解しがたい出来事だし、みんなの夢の証だね。
    −こうして最後に殿堂入りした身として言えるのは−
    「不適合者」のカテゴリーに入る人だってちょっと人と違う方法で
    自身の夢に専念して成し遂げることができるということ。

    高校は自分にとってはつらい時期であり、実際相当キツかった。
    このDowney高校の近くに住んでいたんだ。自分の子供には
    いまでもあのメインストリートを渡ろうとして車に轢かれた話を
    するんだよ。子供たちは「またあの話をして」って言うんだ。

    自分は今、キツかった高校時代をどう乗り越えてきたかを
    話すためにここにいる。父親は13歳のときに去り、
    母親も自分が16歳のときに他界した。不運なことに
    そのとき自分はまだこの高校を卒業できていなかった。
    ここに多くの友人がいたのに、新しい学校へ転入して兄と
    一緒に暮らすことになった。だから高校時代は自分にとって
    ベストの時間ではなかった。だけど、音楽が救い手となった。
    それは自分の人生において非常に大きい救世主となったんだ。
    そして自分が他の人々の頭とレコードに入り込んで、音楽に
    携わることが出来た。基本的には、学校でブラブラする代わりに
    家に帰ってギターを練習したんだ。
    それが自分がやってきたことだね。

    ここで若い人たちが歌っているのを見るのは素晴らしい。
    高校の頃、ジャズ・バンドを組もうと誘われたんだ。
    自分は全くジャズとのつながりはないと思っていたけど、
    こうして最近の歌をジャズ・バージョンにアレンジされたのを
    聴くとインスパイアされるね。とてもクールだよ。
    彼らをここに来させて、歌っているのを後ろで見ていると
    誇りに思うし、(感動して)涙を誘うよ。

    自分が買った最初のギターは、その年に母親が家の仕事を
    手伝わせた結果、手に入れたんだ。そのギターはジャズ・バンド
    のギター・プレーヤーが持っていたものだった。結局、その
    ギターは下取りに出してPAシステムを手に入れたんだけどね。
    自分はまだギタープレイヤーになりたいのか、歌手になりたいのか
    わからなかった。結局、両方ともやることになったんだけど。

    さらに言いたいことは、今までわからなかったけど、高校時代は
    とても重要な時間だったということ。多くのことが自分の人生に
    起こったけど、それには理由がある。自分に起きたこと、それは
    1年生としてフットボール・チームに所属して、翌年2年生の
    チームに戻ってきた時、カミングスという名前のコーチが
    こう言ったんだ。「髪を切って来なさい。君の髪は長すぎる。
    耳を越えているじゃないか。」それで自分はフットボール選手を
    見てこう言ったんだ。「えぇっと、良いフットボール選手であるには
    ボリュームのある髪でなければならない。」しかしそのときは
    こう言われたよ。「髪を切るか、チームを去るかだ。」

    そしてこれはとても重要な決定だったんだ。
    「ロッカーになりたいのか?フットボール選手になりたいのか?」
    将来の夢はオークランド・レイダースに入ることだった一方、
    ポスターの中の人みたいにもなりたかったんだ。自分の部屋に
    貼ってあったエアロスミスのポスターのようにね。
    そしてそのとき決断したんだ。自分のギアを音楽にのみ
    集中することに傾けたんだ。だからこの選択を促した
    彼には感謝しているよ。彼を否定のしようがない、
    立場を守ったのは。だから自分はそうしたんだから。
    この学校で起きたことにはとても満足しているよ。

    このような不適合者を殿堂入りさせてくれたことにただただ
    感謝を述べたい。そして今日ここに来てくれた全ての人、
    ここで会った音楽を愛する若い子供たちは音楽にインスパイア
    され、人生を後押しする。どこであろうと精一杯夢に生きることから
    インスピレーションを得ることができるんだ。
    それは起こり得るんだから。

    BLABBERMOUTH.NET(2011-05-29)

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    ロックの殿堂セレモニーにてメタリカらオールスター共演。

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    メタリカの1stアルバム、『Kill 'Em All』収録曲、
    「The Four Horsemen」は初期メタリカに在籍していた
    デイヴ・ムステインが作った「Mechanix」が原型で、
    オリジナルの「Mechanix」はムス大佐が後に結成した
    メガデスで発表したことが知られています。

    Metallica - The Four Horsemen


    Megadeth - Mechanix


    メタリカ版「The Four Horsemen」にはスローダウンする
    ミドルパートが付け加えられていますが、実はこれも
    デイヴ・ムステインが偶然行ったことがアイデアの元
    となっていることを最近知りました。

    以下、デイヴ・ムステインのお言葉。

    「俺はいつも自分たちのことを「Four Horsemen」と呼んでいたんだ。
    メタリカにいる前、モントローズ(Montrose)と呼ばれているバンドと
    ギタリストのロニー・モントローズが大好きでね。
    彼は続けてガンマ(Gamma)ってバンドを組んだんだ。彼らのレコードで
    芝生をサメの背ビレが横切っているジャケットのが最高だと思ったね。
    まぁとにかく、そのレコードに収録されている「Four Horsemen」
    って曲をメタリカに入るまえの自分のバンド、パニック(Panic)で
    やっていたんだ。」


    gamma2


    Gamma - Four Horsemen


    「俺がメタリカに加入した時、自作した曲「Mechanix」は既にあった。
    そして「Four Horsemen」も俺たちがカバーしていた曲だから
    俺の提案でもあるんだ。それでジェイムズにアイデアの種を植えたんだ。
    ある日、俺たちがリハーサルをやっていた時に、ちょうどラーズが
    俺の曲「Mechanix」をスローダウンしようとか何とか言っていたんだよ。
    俺はクリフとスタジオに着いたところで、2人でレーナード・スキナード
    (Lynyrd Skynyrd)を聴いていたんだ。で、俺がふざけて「Mechanix」を
    やる代わりに「Sweet Home Alabama」を弾いたんだよ。それがつまり、
    メタリカ版「Four Horsemen」のミドルパートになったんだよ。」


    Lynyrd Skynyrd - Sweet Home Alabama


    Revolver Magazine(2011-05)※BIG FOUR特集号

    確かに「Four Horsemen」の3:28あたりのベースラインはモロに
    「Sweet Home Alabama」ですね。

    こういう曲の成り立ちを知ってから聴くとまた一興かと。

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    関連記事
    「デイヴ・ムステイン回顧録」インタビューの前置き。
    ラーズ・ウルリッヒ、デイヴ・ムステインとの秘話について熱く語る。

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    更新ご無沙汰してます!

    最新号にてBIG4特集が行われている「Revolver」誌。
    ↓ その表紙
    revolverbig4

    そのなかに収録されているラーズのインタビューを抜粋して拙訳。
    けっこう長いです。ラーズはホントよくしゃべる(苦笑
    デイヴ・ムステインとの秘話を明かしてくれています。


    Revolver:ラーズ、初期メガデスにはどのくらい注目していたんだい?

    ラーズ:1stアルバムはどこまで興味をもったか覚えてないなぁ。
    でも86年に『Peace Sells〜』が出たときはまさにぶっ飛んだね。
    俺の好みにぴったりだったんだよ。文字どおり、
    長いあいだ俺のお気に入りレコードになったよ。

    デイヴはサンフランシスコにやってきてたくさん演奏していた。
    俺はいつもあいつをみつけにいったよ。そして俺たちは
    酒を飲み、たくさんのドラッグをかまし、ぶらついたもんだ。
    その頃、84年から85年のあいだ、俺とあいつはその時点で
    いろいろあった問題を本当にあっというまに乗り越えたんだ。

    『...And Justice For All』ツアーのころ、ロス近くの
    Irvine Meadowsで俺たちはライブをしたんだけど、
    デイヴがやってきて『Justice』ツアー最後の何回かの
    ショーのときには一緒に出歩いていたのを思い出すよ。
    たしか89年だったかな、ただ俺たちはぶらついていたんだ。

    それどころか、LAで『...And Justice For All』の制作を
    終えたとき、88年の夏だったな、俺はアパートに行って
    朝の5時にあいつにアルバムを聴かせたのを覚えているよ。
    俺たちはどうにか起きていようとそこで座って
    「Blackened」やらいろいろ再生したんだ。
    80年代の大部分を通じて、俺とデイヴは当時、友好関係
    みたいな通じ合うものがあったんだ。

    両バンドが大きくなり始めるまでは、マスコミで
    俺たちのあいだにあった状況とはまるで違う"コト"を
    始まることはなかった。そこにはまるで2つの関係が
    あるかのようだったよ。マスコミはメガデス-メタリカ
    (という対立関係)ってのが大好物でね。そしてそれ自身に
    魂が宿っちまったんだと思うよ。そんで、どうにかして
    マスコミは俺たちのバンドを持ち上げてさ。
    結局、そいつはひとり歩きみたいになって、
    俺たちの個人的な関係にまで立ち入ってきて、
    90年代のあいだ、ときどき冷え切ってしまったという
    事実の大部分を担ったと思うね。俺の言いたいことわかる?


    Revolver:では、いつ友情を蘇らせたんだい?

    ラーズ:おいおい、長年のあいだそんなときもあったし、
    そうじゃないときもあったさ。93年、ブラック・アルバムを
    出したサイクルの終わりに向かってメガデスと一緒に
    ヨーロッパでたくさんのショーもやった。そこでは
    またしばらくのあいだとても親しくやってたんだ。
    俺たちはまた一緒に出歩いてたんだ。えぇっと、
    99年のイングランドの Milton Keynes だったかな。
    デイヴは新譜のプロモーション・ツアーか何かで
    来ていたんだよ。そんであいつはやってきて
    ショーのときにはまたぶらついてた。
    そしてあいつは『Risk』から曲をプレイしてたのを
    覚えているよ。俺たちはいつも同じ街にいるときは
    一緒に出歩いていたんだ。


    一番俺たちの関係が冷え切ってコミュニケーションが
    明らかにとれなくなったのは『Some Kind Of Monster』
    (メタリカ出演のドキュメンタリー映画)が出た後だ。
    すべてはあのシーン(※)だよ。あれで4、5年かそこら
    ストップしてしまったんだ。


    ※ラーズと1983年にメタリカを首にされたデイヴが
    衝突する場面のこと。この会合は2001年9月13日に
    サンフランシスコのリッツ・カールトンホテルで
    行われた。バンドのセラピスト、フィル・トゥルによって仲裁された。

    でもそれ以外は、90年代を通して、俺たちは
    あちこちで互いに会ってきた。一緒に出歩きもしたし、
    いいことづくめだったよ。ちょうど2つの平行の軌道が
    あってさ。マスコミにはメタリカ-メガデスなんていう
    デカいものがあって、一緒に出歩くラーズとデイヴがいる。
    よけいに奴らのようなことをやっちまうと、
    ときどき奇妙なことになっちまうんだ。
    「ちょっと待て。今週の「Kerrang」誌にはこいつのこと
    好きじゃないことになってるぞ!」なんて。変な感じだったよ。


    Revolver:明らかに現在は状況は上向きだよね。
    『Big 4 DVD』のボーナス・ドキュメンタリーのなかで
    一番感動的だったのは、息子がどんなにメガデスのことが
    好きなのかをデイヴに話すところ。

    ラーズ:長男のマイルスはメガデスの大ファンでね、しばらく。
    何年前かに通学中にこういった局面を経験してきたんだ。
    それがレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだろうと
    システム・オブ・ア・ダウンだろうとね。
    そしてメガデスをたくさん聴いていた局面があったのさ。
    あの子のお気に入りは「Hook In Mouth」だね。
    だから3、4年前から基本的に俺が朝起きて、子供たちに
    学校の準備をさせて、朝7:40に車を出して、通学用
    「Hook In Mouth」を爆音で流し始めるってわけ(笑)
    ちょっと変わってるよな。15年は早い。


    (後略)

    BLABBERMOUTHNET(2010-04-09)

    お互いに自分の曲を聴かせていたというのが
    なんともほほえましい。。


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