メタリカ情報局

メタリカを愛してやまないものの、メタリカへの愛の中途半端さ加減をダメだしされたのでこんなブログ作ってみました。

       

    カテゴリ: エピソード

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    MTVの番組で知られるマット・ピンフィールドによるインタビューにて、カーク・ハメットがメタリカ加入時(1983年)のことを振り返っていました。これまで何度も語られてきた話ではありますが、カークの詳細な記憶によってこれまでの話を補完するものとなっています。UltimateGuitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    metallica_1983_4

    メタリカがカリフォルニアを発って、アルバム制作のためにニュージャージー州に行くって頃には、シーンの誰もがわかっていた。彼らが(ベイエリアのスラッシュメタルシーンのなかで)実際にスタジオ入りしてレコードを作る最初のバンドになるだろうってことをね。(だからカリフォルニアを去るにあたって)みんなで彼らのためにお別れパーティーをやったんだ。

    文字通りその4、5日後に俺はメタリカのサウンドマンから電話をもらった。電話の主は当時、たまたまエクソダスのマネージャーでもあったマーク・ウィテカーだった。彼は「やぁカーク、彼らはデイヴ(ムステイン)とうまくいっていないんだ。彼には個人的な問題があってね。だから他のギタリストを探し始めようと考えている。俺がエクソダスのデモテープを流したら、彼らは気に入ってね。キミで試してみることに興味を持っているから、「No Life 'Til Leather」を送るよ。」って言ったんだ。




    それから「それはもう持ってる」「じゃあ曲を練習しといてくれ」「もう何曲かは知ってるよ」「いいね、じゃあ残りの曲も練習していて」って具合で(笑)

    5日後、俺はサンフランシスコ発ニューヨーク行きの飛行機に乗っていた。マーシャルのキャビネットとヘッドを手荷物に入れてチェックインできたんだ(笑)。今じゃ考えられないよね・・・忘れられないよ。空港に迎えに来たのはマーク・ウィテカーとクリフ・バートンだった。ジェイムズとラーズは寝るのに忙しかったからね。マークは俺に会うなり「キミのバッグはどこだ?」って言ったんで、俺はコンベアベルトの小さな入口で詰まってるマーシャルのキャビネットを指さした。マークはコンベアベルトに飛び乗って、キャビネットを右に傾けて通すことができたんだ。

    それからバンに乗ってクイーンズ区ジャマイカ地区にあるミュージック・ビルディングにいる彼らに会いに行った。着いた頃には夜の6時半過ぎで、彼らはもう起きていた。俺は思ったね。「コイツら、すでにロックンロールなスケジュールなんだな・・・」って。

    俺がアンプをセットしていると、彼らはすっかり目を覚まして「どの曲を知ってる?」って言うから「全部わかると思うよ」って答えた。

    最初に一緒に演奏したのは「Seek and Destroy」だった。演奏し始めたら、俺は本当に困惑したよ。ジェイムズとラーズが顔を見合わせてニヤニヤしていたからね。俺は何で笑っていたのか分からなかったよ!俺が曲を間違えていたとか!?ってね。

    演奏を終えると、彼らは俺を見て「OK、他に知ってる曲は?」ときた。結局、全ての曲を一通りやると、彼らは「いいねぇ、もう何回かリハーサルをするよ。金曜日にショーがあるんだけど、できそう?」って聞くんで「あぁできると思う」と答えて、実際そうなったってわけさ・・・


    UltimateGuitar.com(2017-04-11)

    インタビュー全編はこちらから。
    https://audioboom.com/posts/5426524-069-kirk-hammett-on-his-earliest-guitar-memories-joining-metallica-and-their-sixth-1-hardwired-to-self-destruct

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    イギリスの編集者ティム・ノークスが行ったカーク・ハメットへのインタビューを抜粋してご紹介。クリフ・バートンが亡くなったバス事故についての考えやエピソードについて語っています。

    kirk2017ouija
    ティム・ノークス
    メタリカを取り巻く、語られてきた話として、ベーシストであるクリフ・バートンの30年前の悲劇的な死があります。あなたは彼にカードゲームで負けて、罰としてツアーバスで2段ベッドで寝るのを諦めなければならなかった。しかしあなた方全員が寝ている間に事故が起こり、クリフが2段ベッドから窓の外に投げ出されてバスの下敷きとなったわけです。

    カーク・ハメット
    間違いなくその通りだ。俺たちみんなでカードゲームをして、一緒にあれを経験した。

    ティム
    大変悲しい話です。2人の友人間のありふれたカードゲームがこの悲劇的な死をもたらしたという思わぬ運命の行方は、まだあなたを悩ませていますか?

    カーク
    絶えずつきまとっているね。実際、キミがその質問をしたという事実に驚いているよ。ちょうどネットを見ていたら、20年前に俺がMTVでそれについて話しているYouTube動画に遭遇したもんだからさ。ちょっと寒気がして背筋がビクッってなった。起こってしまった出来事は本当に不運だったけれど、俺自身「もし俺だったら」っていう死への重たい問いを投げかけるものでもあるんだ。

    ティム
    あれはあなたがコントロールできるものではありませんでした。ドラッグをやるか、腹を立てるか、誰かと寝るかどうかは制御できますが、あれは・・・

    カーク
    運命(fate)と宿命(destiny)だよ。あれは運命と宿命のはざまの問いなんだ。カードゲームで負けるというのが俺の運命だった。だがクリフに起こったことは彼の(避けようのない定められた)宿命だった。あれは(思い悩むと)完全に自己破壊になるから、そこまで考えたくない。もしそのテーマに思いを巡らし頭を渦巻き始めたら、ダメだ、俺はそうするつもりはない。同じような立場にある人たちが精神医療機関に身をゆだねるという話を聞いたことがあるからね。気が狂ったり、飲み狂ったりして自身を死に追いやったり、自分の命を奪ったりして・・・

    ティム
    あなたは間違いなく宿命を確信していますよ。あなたは自身のウィジャボード(日本で言うところの"こっくりさん"の文字盤)やタロットカードを発売しました。それは全て宿命と運命に結びついています。あなたの最も奇妙なウィジャ体験は何ですか?

    カーク
    俺がウィジャのギターを弾くたび、俺たちが「Orion」を弾くたびに、ピックを持った手はクリフ・バートンって綴らずにはいられないね(笑)(訳注:名前を綴ることで降霊させるという意味)それは冗談だけど、クリフと俺が激しく口論したことがあってね、あれはかなり可笑しかったな。あるとき、(口論をしていて)アイツが「これは拳で解決すべきだ。」って言ったんだ。俺は拳が何を意味するのかさえわからなくて「拳って何だ?」って言ったら彼はこうさ(拳で殴るジェスチャー)。俺は言ったよ。「俺はおまえをパンチするつもりはないよ(笑)俺たちはミュージシャンだ。馬鹿げてる。」って。だから俺たちは代わりにレスリングすると決めたんだ(笑)。実際、アイツはとてもキチンとしていて礼儀正しかった。俺たち他のメンバーよりずっとね。彼は他のメンバーよりもずっと地に足がついていたんだ。

    Medium.com(2017-03-03)

    カークにとってあの事故は絶えず考えてしまう答えのない問いなのかもしれません。

    インタビュー中に出てきたカークが発売したというウィジャボードとタロットカードはこちらから。
    http://tinmanmerchandising.com/index.php?cPath=396_397&sort=3a&gridlist=grid&tplDir=KVHToys

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    UltimateGuitar.comにてジェイソン・ニューステッドがNEWSTEDの解散について語っていました。管理人拙訳にてご紹介します。

    jasonnewsted2017

    (自らのプロジェクト、NEWSTEDについて)良いこともあれば悪いこともあった。お金の面に関して言えば、全ての職責を負って、作曲して歌って演奏して全ての費用を払っていた。あまりにも大きな負荷だったんだ。

    良いことで言えば、ショーがとてもうまくいって、とても良く受け入れられたってことだね。ヨーロッパのショーは素晴らしいものだったし、ソニスフィアやダウンロード・フェスティバルでアイアン・メイデンのオープニング・アクトっていう良い機会にも恵まれた。あれは最高だったよ。自分ではおそらく予測できなかった敬意が表れていた。メタリカとヴォイヴォドに続くバンドの世代からリスペクトされてきた。俺たちはそんなこと知らずにみんなに教えていたんだな。

    自分の50歳の誕生日にNEWSTEDバンドをやったことで、俺にもまだ根性がある、自分の半分の年齢に人たちにショーをやって、ステージを走り回ることができると証明できた。俺にはまだそれができるとわかっていたし、自分自身に対してそれを証明しなければならなかった。俺たちがバンドを始めた時、マイク・ミューショックのような才能を持ったヤツとプレイできたことで触発されて、みんなに見てもらいたいと思ったんだ。

    ライヴをやった22ヶ国にNEWSTEDバンドを連れて行くにはとんでもないお金、数十万ドルはかかった。でも自分が学んだ教訓だとか、俺たちに示された敬意だとか、バンドの絆にはそれだけの価値があったよ。でもビジネスは今、俺が知ってたものとはずいぶん違って厳しいものだった。だから続けることができなかったんだ。


    UltimateGuitar.com(2017-04-01)

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    ジェイソン・ニューステッド、メタリカの新譜とロバート・トゥルージロのベースについて語る

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    ジェイソン・ニューステッドがUltimateGuitar.comのインタビューでメタリカの『Hardwired...To Self-Destruct』について語っていました。管理人拙訳にてご紹介します。

    jason_hardwired

    −『Hardwired...To Self-Destruct』について

    これまでの他のアルバムとはちょっと違うね。ロバート(・トゥルージロ)はとんでもなくすごいベーシストだし、相変わらず素晴らしいベーシストだ。彼のことは少なくとも25年以上知ってる。いつだって素晴らしい。俺は(ロバートが)インフェクシャス(・グルーヴス)のレコードは全部持っていたし、インフェクシャスのTシャツも着ていたんだ。落ち込むよ。彼のことはいつだって尊敬しているんだ。そんな彼があそこに入って彼らと一緒にあんなサウンドを作っただって?ごきげんよう!健闘を祈る!この最新作は、彼らがなにか元の歩みに戻ってきた気がして、ここに本質的な何かがあるんだと俺は感じるよ。

    −ニューステッド脱退後のメタリカのアルバムにおいてロバート・トゥルージロのベースによって何か変わったことがあるか

    (訳注:映画『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』『グローバル・メタル』の監督)サム・ダンのロバートへのインタビューを見たとき、彼は曲のパート(「Spit Out The Bone」のベース・パート)を引っ張り出していたね。それは4秒か7秒くらいのベースの演奏だった。ディストーションが効いてて、あのレミーのサウンドを得ようとしていて、ほとんど到達しているようだった。まぁ、俺が言えるのは、ジェイソン・サウンドはマーシャルのベース・アンプってことだね。もしピックで演奏しないなら、俺がヘヴィにスウィングしていたところだ。俺はベーシストとして指では演奏しないから、いつもクレイジーな抵抗を受けてきたんだ。スコアボードを見てくれ。

    ピックで演奏することに関して言えば、攻撃性と(ピックによる)アタックから来る音色は、指では得ることができない。同様にピックではできないけど、指ではできる箇所はたくさんある。俺はそれを称賛するよ。

    でもあのサウンドを相応しいものにするには(攻撃的なノイズで)チャン、チャン、チャン、ガンカ!ガンカ!ってアタックと細断するようなピッキングだね。それは特定のドライブを備えた特定のアンプを通じた、ベースの弦に対する特定の効果じゃないといけない。そしてそれはフェンダーではごまかせない。良いサウンドだけど、(アナウンサーのような生真面目な声で)ロック・アンド・ロールになりえるんだ。

    もし彼があの時にそうしてたら、本当にクレイジーな(ピックの)アタックになりえたと思う。これは非難じゃない、そう取らないでくれ。もし俺が変更した1つのセクションを聴いたら、どんな曲であってもそういうセクションになっただろう。俺はこう言ってただろうね。「おい、ちょっとピックを試してくれ。10秒間ピックで演奏してくれ、そうすればお望みの有効な手段を得られるよ」ってね。以上だ。じゃなきゃ、そんなに時間を費やしていないよ。

    UltimateGuitar.com(2017-03-24)
    ジェイソンがインタビュー中に言及したサム・ダンによるロバートのインタビューはこちら。


    ジェイソンのピック弾きのこだわりを知るとともに、もしかしたら『Hardwired...To Self-Destruct』収録曲を自分のベースで試し弾きしていたんじゃ・・・と思ってしまうインタビューでした。

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    2016年12月17日、オークランドのFOXシアターでライヴを終えたばかりのジェイムズ・ヘットフィールドがThrasher Magazineのインタビューで多岐にわたって語っていました。管理人拙訳にてご紹介します。

    Metallica_Intro
    −あなた方は巨大スタジアムでのツアーやフェスティバルをやってきましたが、最近は小さな会場に戻ってきました。FOXのような会場でやることで、80年代の「かぶいて」いた時代に戻っていませんか?

    (笑)そんなところだ。とても楽しいよ。これがプロモツアーの最後日なんだ。ニューヨーク、LA、ロンドン、パリ、ベルリン、そしてここと、至るところで盛り上げるべく小さなギグをやって宣伝してきた。新曲を演奏したり、みんなを興奮させたり、楽曲を公にする。そう、メタルをね。俺は小さな会場でバンドを見る方が好きなんだ。この会場も大好きだよ。FOXは本当にすごい。ここでたくさんのライヴを観るために子供たちを連れて来ていたんだ。最近やったクラブのなかでは一番大きいんじゃないかな。これまでに150くらいは行ったけど、楽しかったよ。ロンドンでは、ハウス・オブ・バンズでやった。

    −私はそこに行っていました。あれは素晴らしいショーでしたね。

    クールだったよ。最高の音とはいかなかったけど、すごいトンネルにいたね。

    −本当にロンドンの迷宮のようでした。あのショーはバッジー(Budgie)の「Breadfan」で始まりました。他のバンドに敬意を表し、ルー・リードのような他のアーティストとコラボレーションしていることは素晴らしいと思います。こういった曲をカバーしたり、アーティストと一緒に仕事をすることはあなたにとってどういう意味を持つんでしょうか?

    あぁ、俺たちが影響力を持っているように、全ての世代が自分たちの影響力を持っている。俺たちが誰かに何かを教えなければならないというわけじゃない。俺たちにとって、そんな人たちと仕事をするのはエキサイティングなんだ。そういう人たちは既成概念に捉われない。俺たちにとってカバー曲をやるのはいつだって楽しい。メタリカへの道を進むなかで俺たちの助けとなった全てのバンドに敬意を表するよ。わかるだろ?ミスフィッツから、ラモーンズ、モーターヘッド、ブルー・オイスター・カルト、全てのNWOBHMのバンドまでね。だから俺たちが人に教えなきゃならないわけじゃないけど、何と言うか、自分は違うやり方で子供たちに教えていると思う。車で学校に送るときに「じゃあ今週はビーチ・ボーイズ、来週はラモーンズ、その次の週はAC/DCだ」って具合に何かを流している。子供たちがそれを好きにならなくてもいいけど、少なくとも知る必要があるんだ。

    −あなたが運転しているとき、誰もラジオに触れたりしないんですか?

    まぁ俺のホットロッド(カスタムカー)の大部分はラジオがどこにあるのか子供たちがわからない代物だからね。全て隠されているんだ。

    −メタリカもThrasherも1981年に始まって、たくましくなってきました。長く続く秘訣は何ですか?

    正直さ(が欠かせないこと)は間違いないよ。自分がしたいことをして、良いと思うものを演奏する。自分が良い感情を押し出して、アートに正直さを表せば、(そのアートを見出す)人が現れる。俺たちは自分たちの仲間がないことをかなり早い時期にわかった。だから自分たちの仲間を作ったんだ。パーティーをやってみんなを招待する。もしその仲間が好きじゃないなら来ないでくれ。単純なことだよ。Thrasherも同じだと思う。最近では大きな影響を与えている。俺の息子はThrasherのものを着ているしね。俺はそんなこと知らなかったから訊いたよ。「あれはどこで手に入れたんだ?」って。息子は「うーん、クールだと思ったんだよ」って感じだったな。

    −あなた方は『Hardwired...To Self-Destruct』のリリースで古い型をぶち壊しました。誰もがこのデジタル世界でアルバムをリリースするベストな方法を見つけようとしています。あなた方は先を行って、全ての曲のミュージックビデオをリリース直前に公開しました。こういうアプローチをとった理由は何でしょうか?

    わからない。あれはその時あったいくつかのアイデアの組み合わせだよ。ルールなんてないからね。少なくとも今はルールなんてものはない。もうちょっと伝統的な時代に戻れば、これがアルバムをリリースする方法、これが始める方法とかそんな感じだった。でも今は人に音楽を届けるための方法がたくさんある。俺たちは間違いなくYouTubeが今どんな位置にあるのかわかっていた。つまり、俺がやり方を学ぶために必要なものは、YouTubeで調べて誰かがそれについて教えてくれたんだ。もし俺が新曲を聴くとしたら、YouTubeで何かを観たいと思うだろう。俺もとにかく誰かがやるだろうと思った。アルバムのカバーや写真なんかで、誰かが自分の曲でビデオを作るんだ。だからそれを正しいものにしよう、良いものにしようってね。

    −でもオンラインに全てを出すことによって、オンライン上での著作権侵害に屈したように感じませんか?ナップスターとの争いの後、たとえどんなに著作権を侵害されても、管理していた方がマシだと思いますか?

    そうだな。ある意味ではそう思う。自分たちのものを奪う人たちと争っていたのは、道徳的な争いだった。テクノロジーや便利さとの争いじゃない。俺たちは金庫を開けられたように感じたんだ。押し入って老人の有り金を全てつかんで窓の外に投げ始めるちびっこギャング(原題:The Little Rascals)のようだった。お金についてじゃないけど、多少はお金についての問題でもある。俺は趣味でこんなことやってるんじゃないんだ。俺は自分がやっていることが大好きだけど、それは生きる糧だ。これが趣味だったら違った見方をしていたかもしれない。俺は趣味だと言っているヤツに自分の車のブレーキをいじって欲しくはない。プロにやって欲しいと思う。救急隊員が自分の家に「これは私の副業なんです。楽しくてやってます!」なんて言ってやってきたら、「おいマジかよ」ってなるだろ。大好きだし、自分たちや家族を支えるからやっていることなんだ。もちろんテクノロジーは素晴らしいよ。俺たちはそれによって起きていることも大好きだしね。物事がどうなるかわかったら、俺たちはそれを受け入れてきた。自分たちのコントロールの範囲外なんだから、活用してユニークなことをしよう、それが全てにおいて俺たちがやってきたことなんだ。違ったものをやってみたい。それが全てだよ。

    −人が音楽を聴くのにどれくらい便利で使いやすいものになっているのかを考えるとクレイジーですね。人はほとんどの場合、どこにいてもどんな曲でも聴くことができます。アナログ盤の売上げが伸びているという事実は驚くべきことです。なぜ人はまだアナログ盤に惹かれるのだと思いますか?

    かなりすごいことだね。俺の子どもたちもアナログ盤が好きなんだ。最初は「へぇ、これはレトロだ」って目新しさでアーバン・アウトフィッターズ(訳注:アメリカの衣服メーカー、家具・雑貨等も扱っている)でレコードとプレイヤーを買った。でも子供たちはそれが好きだし、あれにはその、儀式があるのが好きみたいだね。レコードを置いて、針を落として、聴くっていう。実際にアナログ盤を聴くんだ。外だったり、運転してたり、(いつも)音楽を聴いているような場所じゃないけどね。レコードを置いて座って音楽を聴く。アナログ盤は決して消えないし、間違いなく人気だよ。誰かが俺に言っていたな、1日だか1週間だかアナログ盤がデジタル音源の売上げを上回っているってね。それを聴いた時は本当に素晴らしいと思ったね。いろいろあるのが良いんじゃないか。

    −人は(実際に)何かを手にして見るのを持っているのが好きなのではないかと。

    それは疑いようがないね。何かを手にしてそれに時間をかけるというのはいつの時代もクールだよ。オンラインだと、いつも「ちょっとここで時間を無駄にしたな」って気持ちがあるし。アナログ盤は単純に大きなプラットフォームでもある。よりクールなアートワークで、よりエキサイティングなものになるんだ。

    −どのようにして『S&M』でサンフランシスコ交響楽団と関わるようになったのでしょうか?

    あれはマイケル・ケイマンとやったことだ。彼はそれまでに何組かのロックグループと仕事をしたことのある指揮者だった。それがピンク・フロイドだったかどうかはわからないけど、ブライアン・アダムスだったのは知っている。マイケルはその(クラシックの)世界を持ち込んだ人だったし、それが彼のビジョンだったんだ。彼はメタルバンドをやりたかった。そうして彼が俺たちのところにやって来たとき、俺たちは「そりゃあいい、やってみよう」ってなった。それには多くのことが必要だった。サンフランシスコ交響楽団と一緒に演奏するってなると、バークレーに移動しなきゃならなかったんだ。サンフランシスコでアコースティック楽器のための音響設備が揃っているところだからね。俺たちがプラグをつないでみると誰も何も聞こえやしなかった。ゴチャゴチャしてたんで、サウンドを適切なものにするためにたくさんのことをやらなきゃならなかったよ。あれにはたくさんの力がいった。それが俺たちがつながった場所なんだ。本物の音楽家と演奏するのは俺にとってはかなり緊張したね。なぜ彼らを本物だと思ったのかはわからない。譜面を読めるとかそんなところかな。俺たちは譜面の読み方はわからなかったけど、感じたんだ。(音楽の)力が大好きだし、それが俺たちに作用することも好きだ。そこまでつながろうとね。彼らは間違いなく同じことを感じていた。タイムカードを押して、座って演奏して自分の分の譜面を読んで、またタイムカードを押して帰るなんて人も間違いなくいた。大部分の人たちは自分たちがしていることが間違いなく大好きで、そうじゃなかったらそんなことやらなかっただろう。彼らはそれまで以上に力強く感じるサウンドになるのを助けてくれたんだ。

    −メタルソングを演奏するのにがっかりしているクラシック音楽純粋主義者はいなかったんですか?

    知っての通り、NOだ。もしそうだったとしても俺たちにそんなところは見せなかったね。確かに仕事としてやってるだけって人もいたけど、他にも「なんてこった!私はウチではヒーローだよ。子供たちはこの企画のことが大好きなんだ。」なんて人もいた。ハープ奏者の人は、タキシードの下にメタリカTシャツを着ていて、さらにその下にはタトゥーが彫ってあった。彼は交響楽団でハープを演奏する、タトゥーをしたバイカーだったんだ。あれはすごかったね。

    −スポーツチームのようにベイエリアでホームアドバンテージを感じることはありますか?

    ホームにいるのはいつだって心地いい。そのエリアだと感じるよ。俺はもうここには住んでいないけど(訳注:ジェイムズはコロラド州に引越しをしている)ここでたくさんの時間を過ごしてきて、間違いなくホームだと感じている。FOXシアターのように何回も来ている場所もあるし。心地がいいんだ。俺たちはどこに行っても心地よく過ごしているけど、家に帰って自分のベッドで寝るのはいつだって最高だよ。

    −あなた方には「Enter Sandman」を喜んで繰り返し聴く頑強なファンがいますが、CIAがあなた方の楽曲を囚人を拷問するために使っていたことに対して怒っていますか?

    (笑)俺たちは長いあいだ、みんなを拷問してきたわけだ。CIAよりずっと年季が入ってる。それについては本当に何も言うことはないよ。もしそうだとしたら、自分の国が自分たちの安全を守るために何か使ってるっていうことは名誉なことだと思う。でも繰り返しになるけど、一度音楽を世に出したら、もう自分のコントロールは効かない。ちょうど誰かがオンライン上で表に出すようにね。彼らがすることのために使うんだ。メタリカのカバーバンドはいっぱいある。「Enter Sandman」「Nothing Else Matters」をグレゴリオ聖歌風にしたり、ブルーグラス風にしたり、ケルトハープのコンボだったりとね。音楽はそこにあって、為すがままに使われるんだ。

    −ケリー・キングはインタビューでスレイヤーの方がもっと恐ろしいから、より効果的だと話していましたよ。

    同意するよ。それについては疑いようがないけど、スレイヤーよりも恐ろしいものも他にまだある。そこにはかなり強烈にクレイジーなものがあるんだ。

    −最近のショーの多くは地元の慈善団体と結びついてますね。

    ごく簡単なことだよ。長いあいだやってきたことだけど、『Death Magnetic』のツアーのあいだでより慣習的なものになった。コンサート、バックステージ、ケータリングで食べ物が余っていたら、それを使ってみよう。お金なら送るのはもっと容易い。食べ物の場合、悪くなってしまうことを心配しなければならない。誰かが傷つくのは嫌だからね。ここで良いことをしようとする。最終的には無駄がなくなるんだ。(残った食べ物が)ゴミ箱に放り込まれたら、何とかして地球に戻っていく。ウジ虫が大好きで、それがハエに変わり、サイクルが続いていく。それを人間まで到達させるのは使命だ。

    −素晴らしいです。Thrasherの読者に言いたいことはありますか?

    俺たちはニューアルバムへの反応、みんながどれだけ新譜を好きなのかを目の当たりにして信じられないほどの衝撃と驚きを感じている。35年経ってなお、ステージに出て全精力を尽くすのが楽しいのと同時に自分たちをアスリートのように感じている。50代になってなおスケーターとしてやっている人を知っているけど、最高だよね。だからそういう限界を超え続けて欲しいな。

    Thrasher Magazine(2017-03-03)

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    ラーズ・ウルリッヒがA.V.Clubのインタビューのなかで、前半はグラミー賞授賞式でのレディー・ガガとのコラボレーションのきっかけについて、後半はグラミー賞そのものについて語っています。管理人拙訳にてご紹介します。
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    −みんな、グラミーでのレディー・ガガとのコラボレーションについて話していますので、そこから始めましょう。RollingStone誌上で、(訳注:映画『ハングオーバー!』や『アメリカン・スナイパー』で知られる俳優)ブラッドリー・クーパーの家で二人が会って、一緒にやろうとなったという彼女の言葉を引用しています。その場で終わりがちの「今度一緒にやろう」がどのように具体化したんでしょうか?

    まぁ、間違いなくアーティストとして尊敬したり素晴らしいと思ったりする人たちがバケツいっぱいにいるわけで。俺がメタリカにいて誇りに思えることのひとつは、必ずしもたくさんのコラボレーションをやる必要はないってことなんだ。だからいざやるとなれば、それはすごい特別なものになる。俺たちはそういうものからもうちょっとえり好みしようってわけだ。グラミーに出る時は、グラミーを特別なものにしている一部にコラボレーションをやるって流れがあるわけだし。

    それでグラミーから俺たちにまた授賞式に来てライヴをやってくれないかと依頼があって、その数日後には彼らは文字通り「誰か浮かびました?」ときたもんだ。俺たちは、ジェイムズが素晴らしい女性ヴォーカルと新譜の曲を交互に歌ったらヤバイものになるんじゃないかって内輪で話していた。そしたらその(ブラッドリー・クーパー家での)ディナーでたまたま一緒になった。時おりそんなことが自然に起きる。多くの場合、追いかけない方がいつもうまい方向にいくんだ。俺たちは普通そんなこと探しに行こうなんてしない。そういうことはいつもチャンスの方からやってくるものなんだ。だからかなり特別な今回の件は自然でピュアな要素があったね。


    −一堂に会して曲を通しでやった時、とても自然だと感じましたか?

    聞いてくれ、俺はこれがうまくいくと分かっていた。要はガガは心底メタル・ウーマンなんだ。これがうまくいかないわけがないよ。彼女の中には完璧にそのDNAがある。完全に彼女にうってつけだった。うまくいかないなんてない。唯一の問題はそれがどのレベルでうまくいくかってだけだった。

    1回通しリハをやってね。彼女もジェイムズの声も出ていた。とてもうまくいって、俺たちは全員突っ立って「だろ?」って感じだった。本当にマジで別次元だったんだ。金曜日の夜に2回、いやたぶん3回はリハーサルしたと思う。準備はバッチリ。「マジかよ、俺たちココで何やってんだ?」なんてことは一切なかった。この類のことにしては想像できる限りナチュラルでオーガニックなものだったよ。最初からホームランだったんだ。

    −あなたはレディー・ガガを「まさしく5人目のバンドメンバー」で、これは一緒にやる始まりに過ぎないと語っていましたが、それは(今後)どう具現化するのでしょうか?

    誰かと72時間も一緒に過ごすと、これで終わりにしたくないっていう絆や親密さが生まれるんだ。こうなると、いつだってまた繋がるようにオープンなままでいるもんだ。そりゃあもちろん今日一緒にスタジオ入りしてたり、レコーディングか何かするために曲を書いているわけじゃない。あの週末に一緒にいたことで、関係は途切れるものじゃないし、すごく確かなものだったんだ。いつかどこかでこのコラボを再検討するのは実にしっくりくる自然なことだね。サウンドチェックを終えて、彼女は俺にこう言ったんだ。「また今度一緒に何かやりましょう。このコラボはこのまま終わらせるにはあまりに良すぎなので。」俺も「賛成だ。それが極々当然のことだよ。」と答えたよ。

    確かに俺たちはまだこのことについて膝を突き合わせて話したわけじゃない。(コラボを実現させてからまだ)48時間だぜ(笑)俺は話を聞いたり、ツアーやその他もろもろについて話したりするのに忙しかった。でもこういうことを何か再検討する機会があれば、考え得る限りピュアなものになる。だから成り行きに任せるよ。

    −メタリカはグラミー賞で面白い歴史を持っています。1989年にはベスト・ハードロック/メタル・パフォーマンス部門でジェスロ・タルに敗れ、この賞が時代遅れで見当違いだとたくさんの議論を呼び起こしました。そんな会話が昨今さらに熱を帯びて戻ってきました。特にビヨンセがアデルに敗れた時に。あなたはグラミーをどう見ているのでしょうか?今の時代に即応していると思いますか?グラミー賞が新しく進歩的なことをしているアーティストたちを受け入れていると思いますか?

    面白い質問だね。グラミー賞がオスカーのようになっているっていうニューヨークタイムズの記事があったよ。今年のオスカーを見ると(超低予算で独立系の)『Moonlight』のような映画や『Manchester By The Sea』みたいな映画がある。スポットライトのまさに中心に、たくさんの独立系の進歩的で創造的な努力があるわけ。俺はそれが本当に面白いと思ったね。だって一般的にアカデミー賞のことを考えたら、必ずしも超進歩的なところだとは考えないだろ。でもこの数年で映画の範疇が広がったから、その界隈じゃ全く異なる声があるんだから面白いと俺は思うよ。興行的な要素もあるし、独立した要素もあるし、敢えて言わせてもらえば、彼らの取り組みにはもう少し創造的なところもあるんだ。だから全てにおいて面白いコメントだと思ったんだよね。

    グラミー賞は過去には間違いなく、あからさまに保守的だった。俺たちが80年代後半にグラミー賞と関係を結び始めた頃、彼らはハードロックとメタルを(ようやく)組み入れたような年だったんだ。今やカテゴリーを広げ始めて、そこにラップも入っている。俺たちがあの場で演奏した時、見える限りは良い感じだった。彼らが震えあがっていたかは知らないけど、彼らは俺たちが演奏している間、確かに困惑していたんだ。それで(賞を勝ち取ることが)何にも増して滑稽だったジェスロ・タルに賞を与えた。自分たちの独立した台座に座って、判断の指針やら何やらを指摘していくのは、俺たちみんなにとって容易いことだと思う。でも結局はテレビ番組なんだ。テレビ番組をできるだけ多くの人たちに届けるためには、持ちつ持たれつってのがある。そして多くの人たちに届けるためには、それに関わる必要のある人たちがいるんだ。

    多くの人にとって、グラミー賞は音楽界に入った人たちの1年でたった3時間のことだ。もう少し(出演者の枠と言う意味での)ネットを広げられると主張することもできるだろう。でも同時にニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴの人たちが聞いた唯一のアーティストたちの3時間だとすると、必ずしも飛行機で廻るのを貫く必要はない。この議論にはいろんな側面があって、一つの固定的な立場を取るのは俺にとって難しいよ。彼らはネットをもうちょっと広げることができたのだろうか?もちろんできた!彼らはそういう会話をしてきたと俺は確信している。俺との間には関係なく、毎日のようにね。でも同時に彼らはみんなが見るものを確実なものにしたい。だから紙一重なんだ。俺は関わろうとする戦いを選んだ人生にどんどんなっている。3年に一度、参加することに興味があるか俺たちに尋ねるメールを送ってくれるハッピーなことは俺の手の届く範疇をはるかに超えている。俺たちはハードロックとかそういったものを代表するものだということをとても誇りに思っている。だから彼らが自分たちのようなクレイジーな人たちを見せてくれるくらいには十分広いネットを広げてくれていることに感謝しているよ。俺は両面を見ていくよ。

    −あなたがオスカーについて言及するのは面白いですね。その進歩の大部分は非常に激しい反発から来ていますから。彼らはチャンス・ザ・ラッパーのアルバムを賞の対象とするために進歩的な何かをして、実際に彼が受賞しました。純粋にデジタルが会話に入ってくる音楽の変化をどのように見ていますか?音楽を作り方、人々への届け方が変わると思いますか?

    俺たちの音楽制作過程はダイレクトに変えてはいない。曲を書く時、曲を書く。曲を書いた後に曲と一緒にやろうとしているものとは、必ずしも重なり合うとは思わない。間違いなく今日、主たる原動力は20年前、30年前と根本的に違うわけじゃないんだ。俺たちはたくさんの曲を書いてきて、今はそれを聴くことに関心のある人たちに届けたいんだ。曲を聴きたいと思う人たちに利用可能にするってことだね。10年毎に変化している部分は、それがどれだけ容易になっていくかってところなんだ。

    覚えておかなきゃいけないのは、世界的に見れば、サンフランシスコやニューヨークで起きていることがあり、ポルトガルとウルグアイではまた別のことが起きているってことだよ。チャンス・ザ・ラッパーとSpotifyとApple Musicで起きている以外のこともある。地球規模で見れば、ここでうまくいっていたものが、そこではうまくいかないかもしれないってことに気付く必要がある。それぞれ違う状況でベストを尽くさないといけない。ナマモノだからね。暴走列車みたいなもんだ。頑張ってるけど、どうなるのか正確にはわからない。そういう流れに続く準備はしなきゃならない。今から5年後にどうなってるのかわからないけど、今から5年後にはまだ親愛なる人生に夢中になっているってことはわかる。テクノロジーの最前線にいて、ファンとコミュニケーションを取る機会を得ようとしているだろうね。

    その核となるのは、ファンとのコミュニケーション方法と、聴きたいと思う人たちに音楽を届ける方法だね。それは毎日ではないにしても、少なくとも定期的に変化するものなんだ。それに対しては充分にオープンでいなきゃいけない。もしそうしなければ、その輪から人々を締め出してしまうよ。

    A.V.Club(2017-02-16)

    【追記】
    もしマイクトラブルがなかったら・・・というグラミー賞パフォーマンスのリハーサル映像が公開されました。素晴らしいの一言です・・・・
    https://metallica.com/blog/news/439228/grammy-videos-performance-and-rehearsals

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    Anthraxのスコット・イアンがパーソナリティーを務めるラジオ番組「Never Meet Your Heroes」にカーク・ハメットが出演。2010年から2011年にかけて行われた「Big Four」、スラッシュメタル四天王と呼ばれる4バンド(Anthrax、Megadeth、Metallica、Slayer)の合同ツアーが近い将来行われる可能性について語っています。BLABBERMOUTH.NETさんの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

    kirk2017_1

    −「Big Four」ツアーの始まりについて

    「Big Four」って言葉はマスコミによって作られたもので、俺たちは「Big Four」「Big Four」って書かれているのをずっと見続けていた・・・それからいつか「当時みたいに、みんなオリジナルのメタルバンドで一緒にツアーしようぜ」って程度のことだったんだ。俺たちみんなでお互い一緒のツアーをしようと。それから「それじゃあ「Big Four」でやろう」と絞られてきた。それが実を結んだってことなんだ。でも明らかなことは、俺たちが考えたらすぐにコンセプトはまとまったってことだね。「そうだ、俺たちは一緒にツアーをして、俺たちの長い歴史を絶対に祝うべきなんだ」とね。

    −「Big Four」が今後開催される可能性について

    俺たちは今後の「Big Four」の日程について何もアナウンスしてはいないけれど、俺は個人的には将来またやるんじゃないかと思ってる。いつかはわからないけど、将来やるんじゃないかとね。

    俺はあのショーを祝福のようなものとして考えているんだ。お互いへの祝福、俺たちが作り上げてきた楽曲への祝福、俺たちがやってきたことを受け入れてくれた観衆に対する祝福。もうやらない手があるかい?

    BLABBERMOUTH.NET(2017-02-10)
    Megadethのデイヴ・ムステインもBIG4ツアーの再開に触れていますし、4バンドが新しいアルバムを出して、また機運が高まってきているのかもしれません。

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    big4_metallica

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    メガデスのデイヴ・ムステインがRollingStoneの「我が人生の15曲(My Life in 15 Songs)」という企画で各曲について語っています。そのなかでメタリカに関係する話もしていたので抜粋して管理人拙訳にてご紹介します。

    Megadeth_DaveMustaine

    「Ride the Lightning」

    聴けば誰が作曲者のリフかってことがわかるリフがある。俺が曲を書いた時の話をしているんじゃない。「Ride the Lightning」と「Leper Messiah」のある部分と1stアルバム(『Kill 'Em All』)のあらゆるところで、メガデスのギタープレイに似てると言える些細なものがある。楽器で出来ることがこんなにもたくさんあるんだとわかるよ。彼らはあれで素晴らしいことをやったと思う。

    俺は「Ride the Lightning」の全部を作曲したわけじゃない。ラーズがメロディックなイントロを書いて、次のパートを俺が書いた。その次のパートも俺が書いた。そのまた次のパートからはまたラーズのパートに戻ってまた俺の3つのパートに戻るって具合で当時は・・・誰が楽譜を付けていたんだろう?

    ずいぶん前に俺の曲を使う彼らのことは乗り越えた。そんなクソみたいなことに執着することもできれば、放っておくこともできる。何も変わらない。2つの素晴らしいバンドがあるんだ。俺たちは友だちだ。コトが起きちまった。クソだ。俺は1850万ドルの訴えを起こしたエレフソンを許したし、俺の曲を使った彼らについても許すことができる。(中略)彼らは凄いことをやったと思う。本当に俺は彼らを誇りに思っているよ。

    1985年に『Killing〜』アルバムを出す頃には、ふんぎりがついていた。でも俺の気持ちのなか、彼らに見せる機会のなかった俺のカタログのなかには、このことがずっとあった。俺たちはあのバンドとともにとても単純化した道を進んでいったんだ。誰が言ったかは思い出せないけど、誰かがとてもうまいことを言っていたよ。「メタリカにとってのラモーンズって、メガデスにとってのクラッシュみたい」ってね。おそらく俺が聴いたなかで一番よくできた表現のひとつだと思うよ。もうひとつの比較として「メタリカにとってのアイアン・メイデンって、メガデスにとってのレッド・ツェッペリンと同じ」ってのも見たことがある。「そいつは本当に良い見方してるな」と思ったね。俺たちはもう少し曲展開が複雑だから。



    「Mechanix」

    俺がメタリカにいた前から「Mechanix」を書いていた。メタリカに加入した時、俺たちは曲をたくさん持ち合わせてはいなかった。・・・だからキリング・ジョークやスウィート・サヴェージの曲やダイアモンド・ヘッドの曲からたくさんカヴァー曲をプレイしていた。そしてオリジナル曲もやっていた。

    歌詞は欲情したガソリンスタンドの店員について。なぜなら俺がそうだったからな。俺はハンティントン・ビーチに住んでいるティーンエイジャーで、女の子たちがビキニ水着で高い車に乗ってガソリンスタンドにやってきていた。クソッふざけてんのか?って思ったよ。フルサービスを頼まれた時には、彼女たちがビキニで座っているところで窓を拭きながら彼女たちをチェックするようになる。彼女たちは少しも嫌がっていなかったと思うね。もしそうだったら、窓を何かで覆うだろうから。大好きな車と接することができて、同じく大好きな女の子を見ながらできる仕事となれば、もうホルモン増強剤を打たれたキッズだよ。だからそれが曲になったようなものだな。

    「Mechanix」はある日、俺がクリフ・バートンと一緒にリハーサルに行った時に弾いていた曲だった。ラーズがやってきて「おぉ、じゃあ、このパートを変えようぜ」ときた。俺はクリフと車のなかでレーナード・スキナードを聴いていた。それで俺は「OK、「Sweet Home Alabama」を弾いてみよう」って思ったんだ。ラーズは絶対知らないだろうからね。そしたらアイツは「マジか、それはこれまでで一番すげぇパートだぞ」って。俺は「おいおい、マジで言ってんのか?」ってなったよ。だからはじめに「Mechanix」に「Sweet Home Alabama」が合わさったのが、今はなじみ深い「The Four Horsemen」ってわけだ。

    ジェイムズがあの曲と「Jump in the Fire」の歌詞を大きく書き直した。あの曲も書き直していたんだよ。「Mechanix」ほどじゃないけど、彼はあの曲にたくさんあった、性的な意味を暗示させるような表現が好きじゃなかったんだ。だから「jumping into a pit」って俺が言ってたところを「jump into the fire」っていうもう少しぼやかした表現に変わった。何にでも取れるようにね・・・。「pit」って言ったら、ひとつだからな。

    俺がメガデスとしてレコーディングしたバージョンの「Mechanix」は「The Four Horsemen」よりも速い。それは間違いない。あれはアイツらとやってたものとはかけ離れているんだ。その時にはすでにムカつきながら弾いていたからね。



    「In My Darkest Hour」

    クリフ(・バートン)が死んだと聞いた時に書いた曲だ。俺の友人の"メタル"マリア・フェレーロが電話で彼がバス事故に遭ったと教えてくれたんだ。俺はムキになってた。俺は「何てヤツだ、オマエは俺たちがバンドで兄弟だったとよく知ってたはずだ。彼が死んだと他の誰かに電話させなかったのか?」と、胸糞悪く取ってしまった。あの悲嘆に暮れて人がおかしなことをするってことは今は理解できるようになった。だから俺は彼女が俺に電話をしたことに対する自分の考えを改めた。でも当時の俺はとても怒っていて、一気に曲を書き上げて、出来る限りの速さで歌詞に取り組み始めた・・・。あれは本当に痛みを伴う作曲だったよ。

    クリフと最後に話したのは、たぶん俺が行っていた奇妙なショーでだったと思う。アイツらはまだ俺のことを恐れていたから、俺はバックステージパスをもらえなかった。俺はいつもアフターショーのパスをもらっていたから、臆病なヤツらだと思ったよ。俺たちはコンサートに行くたびに、俺とエレフソンはコンサートを観た後、彼らがパーティーをしているところに招待されていた。俺はパーティーには行きたくなかったけど、友だちに会いに行ってつるみたかったんだ。でも俺たちは友だちじゃないと思った。俺がクリフと最後に話したのはおそらく彼らがアメリカでやっていたショーのうちのひとつだったと思う。

    曲のなかの"Darkest Hour"は、独りぼっちだとわかった俺のことだ。歌詞は俺のミューズであるダイアナについて(笑)。「Loved to Death」の時に付き合っていたのがその女性だった。俺が作曲した「Tornado of Souls」「Trust」「This Was My Life」「99 Ways to Die」も全部彼女についての曲だ。俺はカミさんと愛情に恵まれてとても幸せだけど、俺の心の奥底に入り込んでしまっている唯一の他の人間がいるってことだな。俺たちはみんな本当に恋に落ちるっていう関係を持った誰かがいると思うんだけど、それは必ずしも続くわけじゃないんだよ。

    あの曲はたくさんの感情を呼び起こす。あれを最初にプレイしたのはクリフの両親が俺たちのショーに来た時なんだ。スタジオやリハーサルではできていたんだけど、彼らがそこにいたらやり通すことができなかった。あんな気持ちが沸き起こるとは思いもしなかったんだ。なんだこの感情は?って感じだった。曲をやっていたら突然、俺たちはコントロールが効かなくなっていたんだ・・・。クソッ、でも本当のことだよ。俺は彼にさよならを言うチャンスがなかった。彼がどこに埋葬されたかさえ知らなかったんだ。(中略)でも彼とは天国で会えるだろう。それはクールなことだ。少なくともそう信じているよ。



    「Hanger 18」

    「Hanger 18」は俺がメタリカに入る前のバンド(パニック)から持ってきた曲なんだ。「N2RHQ」と呼んでいた。別の惑星の環境についての曲で、メタリカに入って形を変えてあの曲をやろうか決めようとした時、パニックの時のように、俺はメガデスで再検討するまで待つことにした。(その頃には)「Rust in Peace ... Polaris」も完璧に仕上がっていた。当時は「Child Saint」と呼んでいた。もしアイツらに見せていたら、メタリカはたぶんレコーディングしていたんじゃないかな。

    歌詞は「エリア51」についてで、ニック(・メンザ)が書いたものだ。彼は地球外生命体を信じていた。俺は違うけどね。俺は精神的な世界があると信じている。見えるものと見えないものがあるけど、宇宙人に関しては俺は観たことがない。なのにどうやって知るって言うんだ?可能性はあるだろう。素晴らしい曲の素材を作ったなと思ったね(笑)。(中略)

    コードやコードの動きは(メタリカの「The Call of Ktulu」に)似ているけど、全く同じなんかじゃない。インターネットで4つのコードの曲を調べたら300曲だか400曲はみつけられるだろう。「The Call of Ktulu」は完璧に、100%俺の曲だった。彼らが(デモタイトルの)「When Hell Freezes Over」から変える前のあの曲は、全ての音符を俺が書いたんだ。彼らは途中に引き延ばした部分を付け加えた。あれがどこから来たのかはわからない。あれを初めて聴いた時は奇妙な感じだったよ。オーケストラみたいな転調を持ち合わせていたからね。あの部分は俺を大層感動させたもののひとつだった。「おいおい、あの部分が加わって俺の曲が本当にとてつもないものになったぞ」って思ったね。


    RollingStone(2017-01-11)

    かなり早い段階で後の名曲を書いていたのをうかがい知れます。デイヴがメタリカ在籍時に当時持っていた曲を全て披露していたら、それもメタリカの曲になってしまったのでしょうか(笑)

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